アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

女子フィギュアスケート トリプルアクセルのスピリッツ

 このところ、スピリチュアルネタが連続して、理屈っぽくて、堅苦しく重い内容が続きましたが、ちょっと軽くて明るい内容を考えました。この冬は4年ぶり、冬期オリンピックのシーズンです。何と言っても、ソチ(ロシア)におけるフィギュアスケート女子で、今期限りでの引退をほのめかしている浅田真央選手の念願の金メダルが期待されるところです。先日のグランプリシリーズ第1戦アメリカ大会ではショートの冒頭で見事にトリプルアクセル(3回転半)のジャンプを決めて優勝、先週末のNHK杯でも浅田選手は自己最高得点で優勝、グランプリファイナル出場を決定づけております。オリンピックの優勝を占う、浅田選手の代名詞とも言えるトリプルアクセルについて、そのスピリッツに照準を当ててみました。


◇ フィギャアスケートにおける6種類のジャンプ

 まず最初にフィギュアスケートにおける6種類のジャンプをご説明します。けっこう理解が難しいですが、少なくともトリプルアクセルの難易度が高いことは分かります。

1.トウループ TOE LOOP

 右足外側のエッジに乗り、左足のトウをついて踏み切ります。滑ってきた軌道を利用しながらトウをついて跳ぶので、最も跳びやすいジャンプとされ、観戦者の目には、自然の流れに乗って跳んでいるように見えます。男子で跳ばれる4回転はその大半がこのトウループです。コンビネーションジャンプの2つ目に跳ぶジャンプとしてもよく使われますので、競技中のいろんな場面で見るジャンプであります。

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2.ループ LOOP

 右足踏み切りでトウを使わないジャンプです。右足外側のエッジで滑りながら、左足を少し前に出して、滑ってきた勢いを使って踏み切ります。跳ぶ瞬間に、イスに腰掛けたような格好になるのが特徴です。比較的難易度が低く、コンビネーションジャンプの2番目に跳ばれることが多いですが、トウループと異なり着氷した右足でトウピックの助けなしに再び跳び上がらなければならないため、トウループよりも難しいとされています。

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3.サルコウ SALCHOW

 ループ、トウループと同じく、ジャンプする直前の体の進行方向がジャンプの回転方向と同じです。そのため滑る勢いをそのままジャンプに生かしやすく、比較的難易度が低いとされます。ループ、トウループと異なり左足内側のエッジで滑りながら、右足を前上方に振り上げて跳ぶので、瞬間、内股が「ハ」の字になります。踏み切るときにスキーのボーゲンのような体勢になればサルコウと判断できます。比較的易しいジャンプなので、男子ではトウループに次いで4回転ジャンプに使われますし、安藤美姫選手が、女性では初めての4回転ジャンプを決めたのもサルコウです。

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4.フリップ FLIP

 次に述べるルッツと非常によく似ているので素人には見分けるのは困難です。ジャンプする直前に左足内側のエッジに乗り、右のトウをついて跳びます。前向きに滑走して踏み切る直前にぱっと後ろ向きになって跳ぶことが多いです。

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5.ルッツ LUTZ

 アクセルの次に難しいとされるのがルッツジャンプです。少し長めに左足の外側エッジに乗って後ろ向きに滑走し、左肩をぐっと入れて右のトウをついて跳びます。滑走で描いてきた軌跡と反対の回転をかけながら踏み切るので難しいとされるジャンプです。「左足外側エッジ」というのが重要なポイントで、これが「左足内側エッジ」に体重を乗せてしまうと、正しくないエッジと判定されて減点対象となります。長く左足で後ろ向きに滑走して跳ぶ選手と、右足で滑走して踏み切る直前に左足を右足にかぶせるようにクロスさせて踏み切る選手がいます。後者の場合、フリップジャンプとよく似てきます。

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6.アクセル AXEL

 名称は1882年にアクセルジャンプを初めて飛んだノルウェーのフィギュアスケート選手アクセル・パウルゼンに由来します。女子では1920年には同じノルウェーのソニア・ヘニーが初めてシングルアクセルに成功しました。6種類のジャンプの中で唯一前向きで踏み切るため見極めは簡単ですが、難易度が最も高いです。着氷は常に後ろ向きですから回転数は1/2回転加わり、1回転半がシングルアクセルとなります。男子選手にとって、トリプルアクセル(3回転半)で得点を稼ぐことが上位に食い込むための重要な鍵になります。しかし前向きで踏み切るのは難しいため、選手によってはさらに高難度とされている4回転トウループのほうが得意という人もいます。当然、女子にとってはことさら難しいジャンプとなり、トリプルアクセルを成功させた女子は過去に数えるほどしかいません。

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【各種三回転ジャンプの比較】
ジャンプ比較


◇ 女子におけるトリプルアクセル

 1948年、サンモリッツオリンピックでアメリカ男子のディック・バトンがダブルアクセル(2回転半)を成功させ、その5年後、1953年には同じくアメリカのキャロル・ヘイスが女子選手として初めてダブルアクセルに成功しました。1978年にカナダの男子、ヴァーン・テイラーが世界選手権で初めてトリプルアクセル(3回転半)に成功して、その10年後、1988年、伊藤みどりが女子でのトリプルアクセルを成功させたのが世界で初めての快挙でありました。女子でトリプルアクセルが公式認定されたのは以下に示す5プレーヤーのみであります。年、大会はいずれも各選手が初めてトリプルアクセルを成功、認定された時の記録であります。

【女子のトリプルアクセル】
女子トリプルアクセル経験者


◇ 女子トリプルアクセルの明と暗

1.トーニャ・ハーディングの2つの事件

 1991年、女子選手として史上2人目のトリプルアクセルを成功したトーニャ・ハーディング選手は、おそらくは世界のトップ、オリンピックでの金メダルを夢見たことと思います。今でこそ日本は世界有数のフィギュアスケート国家となりましたが、伊藤みどり選手が出現した頃は、米国の方が圧倒的に強く、実際、92年、アルベールビルオリンピックで伊藤みどり選手が銀メダルを獲得しましたが、その時の金メダルは米国、クリスティー・ヤマグチ選手、その後もナンシー・ケリガン、タラ・リピンスキー、ミシェル・クワン、サラ・ヒューズ、サーシャ・コーエンと言った多数のメダリストを輩出しております。そうした米国の背景にあって、史上2人目のトリプルアクセルを武器に頂点を目指すのは言うなれば当然であったと思います。

 激戦の米国内で唯一のトリプルアクセルプレーヤーとなって

 91-92年のスケートアメリカにてショートもフリーでもトリプルアクセルを成功して優勝、1992年の全米選手権は3位となり、アルベールビルオリンピックの切符を手に入れました。しかし、1992年のアルベールビルオリンピックでは、前年まで成功していたトリプルアクセルが、オリジナルプログラム、フリー共に着氷に失敗、4位に留まりメダルには手が届きませんでした。

 アルベールビルオリンピックではメダルに届かず

 夏季と冬季のオリンピックの開催をずらす目的で、92年に続いて94年にも冬季オリンピックが開催されることになっており、彼女には短期間で二度目のチャンスが巡って来ました。ところが、92-93年のシーズンは不調に陥り、世界選手権にも出場できませんでした。そんな状況で迎えた94年、リレハンメルオリンピックの選考会となる全米選手権の会場で、練習を終えたナンシー・ケリガン選手が何者かに襲われる事件が発生しました。俗にいう「ナンシー・ケリガン襲撃事件」であります。

 ナンシー・ケリガン襲撃事件

 ケリガン選手は膝を殴打され怪我を負い全米選手権を欠場、ハーディング選手がこの大会で優勝を果たし、リレハンメルオリンピックへの切符を勝ち取りました。しかし、事件発生から2週間後、元夫であるジェフ・ギルーリーらが逮捕され、ケリガン選手への暴行はハーディング選手に頼まれたとの証言をしました。全米スケート協会とアメリカオリンピック委員会はハーディング選手をオリンピックチームから追放することを検討しましたが、結局、そのままハーディング選手の出場となりました。

 疑惑の目を向けられながらオリンピック出場

 リレハンメルオリンピックでも彼女は事件を起こします。フリーの演技が始まって最初のトリプルルッツが1回転となる失敗の直後、突然泣き出して演技を中断し、「靴紐が切れて演技が出来ない」とジャッジに訴えました。映像ではひもが切れたり緩んだりのトラブルは見られませんでした。

 リレハンメルでは、失敗したフリーのやり直しを主張

 ジャッジが、ハーディング選手のフリー演技のやり直しを認めると、彼女は突如笑顔に変わりガッツポーズしながらリンクを一旦後にしました。グループの最後で再びリンクに登場し、演技を再度行った彼女は、結局、合計8位と平凡な結果に終わりました。

 多くの物議をかもし出したハーディング選手はオリンピックの後、ナンシー・ケリガン選手襲撃事件における罪を認め、その後はプロレスラーになったりボクサーに挑戦したりと波乱に富んだ人生を歩んでいるようです。せっかく修得したトリプルアクセルを生かせず、慢心などの逆に作用してしまった選手かも知れません。



2.攻撃的プログラム、中野友加里のトリプルアクセル

 2010年に引退してフジテレビに入社した中野友加里選手は、現役時代、スパイラルにおける満面の笑みと、美しいドーナツスピンが印象的な選手でありましたが、彼女もトリプルアクセルの使い手であり、実は、スパイラルやスピンよりも、彼女の特徴を示す言葉、それは極、端に難しいジャンプ構成を組む選手として「クレージーガール」、「攻撃的プログラムの使い手」でありました。

 「攻撃的プログラム」を組む「クレージーガール」

 02-03のシーズン、ショートプログラムにトリプルアクセル入れ、フリーには単独のトリプルアクセルと、トリプルアクセル — 2回転トウループのコンビネーションに、3回転フリップ-3回転トウループ、3回転ルッツ-3回転ループの2つのコンビネーションを跳ぶ極めて攻撃的なプログラム構成をしました。シーズン初戦の中部ブロック大会でトリプルアクセルに成功すると、続くスケートアメリカではISU公認記録としては伊藤みどり、トーニャ・ハーディングに次いで3人目となるトリプルアクセルに成功しました。さらに西日本選手権と全日本選手権では、3回転アクセル-2回転トウループにも成功、冬季アジア大会と四大陸選手権ではそれぞれ3位となり、荒川静香、村主章枝とともに日本人選手で表彰台を独占しています。こうした華々しい時もあったのですが、大技を使うという事は大きな失敗もあって、スランプになると長引く傾向にあったようです。

 大技は爆発力があるが失敗、スランプも!

 03-04年および04-05年は調子が出ずに辛いシーズンとなり、05-06年、東京ブロック大会で、国内競技会では初となるISUジャッジングシステムのもとでの6種類の3回転ジャンプに成功し、スケートカナダでは新採点システムの下で始めて3回転アクセルに成功、表彰台に載りました。NHK杯でGPシリーズ初優勝、GPファイナルでも初出場ながら3位に入り、念願のオリンピック出場に向けて順調なシーズンでありました。しかし、全日本選手権では大技にミスが出て5位にとどまり、トリノオリンピック出場はかないませんでした。

 大技プログラムで大ミス、トリノを逃し

 その後の中野友加里選手は、トリプルアクセルを回避することもしばしばで、確実性を上げておりましたが、その分、以前のような爆発的な演技が減り、2-5位くらいの安定したプレーヤーとなりました。しかし、バンクーバーオリンピックが近づいた09-10年のジャパンオープンの演技中、トリプルアクセルで激しく転倒し、左肩を亜脱臼してしまいました。この大怪我が影響して、その後の大会では精彩を欠き、全日本選手権ではショートで2位でしたがフリーでミスを連発、鈴木明子選手に僅差で敗れて、またも念願のオリンピック出場は叶いませんでした。代表に選出されていた四大陸選手権と世界選手権を故障を理由に欠場、バンクーバーオリンピックの開催中に引退を表明しました。


 トリプルアクセル転倒で大怪我、引退へ

 彼女は、真面目で負けん気が強い性格とされますが、トリプルアクセルと言う大きな武器を得て、さらに大きなプレーを目指してしまった、そこに落とし穴、大技の裏に潜む大失敗と怪我、があった選手でしょうか。

トニーと中野
トーニャ・ハーディング(左)と中野友加里(右)


3.浅田真央選手のギネス認定とその後

 記憶に新しいところで、2010年、バンクーバーオリンピックにおける金妍兒選手との一騎打ちは極めて高いレベルでありました。金妍兒選手が歴代最高得点を出して金メダルを取りましたが、浅田選手は1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させ、これは女子シングル史上初であり、ギネス世界記録に認定されております。

金と朝だ
バンクーバーにおける浅田真央(左)と金妍兒(右)

 しかし、バンクーバーオリンピックの後、ジャンプの矯正に取り組み、新しく変えたジャンプに苦しんだ時期がありました。2011年は東日本大震災があって、2連覇のかかった世界選手権が1か月先に延期となり、その間に被災地の惨状を目の当たりにし、「こんな時に大会に行ってもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなったとされます。結果、大会ではトリプルアクセルは失敗、総合6位に終わりました。11-12年のシーズンになって、グランプリファイナルの大会に臨むにあたり、母親の危篤の知らせを受け棄権、至急で帰国しましたが、48歳で亡くなられた母親のの死の際に間に合いませんでした。このシーズンは成績が振るわず、トリプルアクセルのみならず、多くのジャンプでミスが見られ、本人曰く、シーズン終了後にはスケートへの意欲を失い、辞めることも考えたとされます。
 12-13年の昨シーズンは復調の兆しを見せ、しばらくは封印していたトリプルアクセルも復活させて良い雰囲気で今シーズンに繋いで来ました。「スケート人生の集大成」として、事実上、引退の宣言をしたソチオリンピックではショートとフリーにトリプルアクセルを3回導入し、フリーので3回転ジャンプを計8回とする目論みとのことです。


◇ トリプルアクセルと大会での成績

 トリプルアクセルを飛べることがどれほど女子の大会において優位であるかを検証いたしたく、トリプルアクセル経験者5人の国際試合における成績を列挙いたしました。確かに、トリプルアクセルを飛ぶほどのプレーヤーですので、トッププレーヤーとして輝かしい成績が見て取れます。

【女子トリプルアクセル経験者の国際試合での成績】
トリプルアクセラーの成績

 しかしながら、細かい部分に目を向けますと、女子トリプルアクセル経験者5人中、オリンピック出場は伊藤みどり選手(日本)が2回、トーニャ・ハーディング(米国)、浅田真央(日本)の両選手が各1回となっており、メダルについては伊藤、浅田両選手の銀メダル2つに留まっております。4年に1度ですのでタイミングもあろうかと思いますが、リュドミラ・ネリディナ(ロシア)と、上でご紹介した中野友加里(日本)の両選手はトリプルアクセル経験者でありながらオリンピックへの出場は叶いませんでした。
 逆の観点から、オリンピックでのメダリストに目を向けてみました。伊藤みどり選手がジュニアでの競技生活を始めた1980年移行の冬季オリンピック、フィギュアスケート女子シングルの成績は以下の通りです。

【冬季五輪フィギュアスケート女子シングルメダリスト一覧】
メダリスト

 金メダリストとして、トリノの荒川静香選手(日本)のイナバウアーや、上述、バンクーバーでの金妍兒選手の007のテーマに乗った演技は記憶に新しいところですが、こうして過去9回の大会を見渡しますと、9x3=27人のメダリスト中、トリプルアクセルに挑戦したのは2人、成功したのもその2人、全体の7.4%と言う低い少数派であります。上で申し上げました通り、出場できなかった選手もいるわけですから、トリプルアクセルはオリンピックに出場する絶対的な武器にはならず、また出場してもオリンピックで優勝する、あるいはメダルをとるための武器でもない、と言うのが今までのところかと存じます。

イナバウアー
荒川静香のイナバウアーの演技


◇ 今後の女子におけるトリプルアクセル

 1990年9月25日生まれで現在23歳の浅田真央選手が本当にソチオリンピックを最後に引退するのかどうかは解りませんが、13-14年の今シーズン、浅田選手以外にトリプルアクセルを飛ぶ女子選手はいないようです。上の表に示す通り、96年から01年までの間、トリプルアクセルを飛ぶ女子選手の国際大会での出場はありませんでした。もしかしたら、そうした時代に突入する可能性はあります。ハーディング選手は間違った道に進んでしまい、中野友加里選手もトリプルアクセルが飛べるが故に攻撃的なプログラムを組んだと推察します。浅田選手だってこの4年間、ずいぶんとジャンプに悩んでいました。トリプルアクセルは言うなれば「諸刃の剣」であり、大きな効果をもたらす可能性をもつ反面、多大な危険性をも併せもつものかも知れません。
 
 トリプルアクセルは「諸刃の剣」?

 もしかしたら、トリプルアクセルの魅惑に騙されず、着実、安全な道を歩む方がオリンピックのメダルに近いと言う時代がすぐそこに来るかも知れません。このあたり、もはやこれをやらずには上位進出はなくなった、男子の4回転ジャンプとはちょっと違う状況かと存じます。


◇ 伊藤みどりのトリプルアクセルにかける執念

 最後に伊藤みどり選手が、今から20数年前の1992年、アルベールビルオリンピックで飛んだトリプルアクセルを解説いたします。有名な話しですのでご存知の方は多いと思いますが、、、。
 伊藤みどり選手はカルガリーオリンピックのフリーで、5種類の3回転ジャンプを7度決め、思い通りの演技にガッツポーズを演技終了直前に見せ、演技終了前から2万人の観客のスタンディング・オベーションを受けました。この際、技術点では5.8-5.9点と出場選手中最高点をマークしましたが、芸術点は5.5-5.7点(芸術点だけでは5位)と低く抑えられたため、観客からはブーイングが起き、最終的には5位に終わりました。
 彼女が、ジュニアの時に練習していたトリプルアクセルに再度、挑戦したのはこのオリンピックの後からとのことです。88-89年のシーズン、愛知県フリー選手権でトリプルアクセルに挑戦し、競技会では初めての成功を収め、国際大会では1988年NHK杯で成功、この時、世界初として認定されました。

 カルガリーの後にトリプルアクセルを再開

 カルガリーオリンピックの後にルールの改正が起こり、規定演技が苦手な伊藤選手には有利となりました。そうなると、彼女にとっては新ルールの下、世界では唯一自分しか飛べないトリプルアクセルを武器にオリンピックのメダルを目指すのは当然のことでありました。
 
 いよいよアルベールビルオリンピックにおいて、残念ながら、伊藤みどり選手は精神的な緊張から大不調でありました。2日前の練習の段階で、トリプルアクセルのコンビネーションジャンプが14回中すべて失敗、トリプルアクセル単独は5回成功と成功率が落ちていました。そのため、オリジナルプログラムで予定していたトリプルアクセルを3回転ルッツに変更しましたが、そのルッツで転倒して4位と出遅れてしまいました。

 アルベールビルでは大不調、変更したルッツで転倒

 フリー演技、一度は3トリプルアクセルで転倒します。場内は大きな溜息が漏れますが、伊藤みどり選手はチャンスを伺いながらその他のジャンプを全て成功し、疲れが出て来る演技後半の残り1分で再びトリプルアクセルに挑み、見事に成功しました。

 フリーの序盤に転倒したトリプルアクセルに演技後半1分で再挑戦

 このトリプルアクセルについて、5歳の伊藤みどり選手を「家庭環境が恵まれない子だったので、スケートでご飯を食べていけるようにしてあげたい」という思いから自宅に引き取って育てたコーチの山田満知子氏は、、、

「あの子は転倒したトリプルアクセルにもう一度挑戦した。オリンピックでトリプルアクセルを本当に飛びたかったんだと思います。なんて強い子なんだろうと思います」

、、、と涙ながらにコメントされました。

 日本女子のフィギュアスケート選手として第二次大戦前にオリンピック出場を果たした稲田悦子氏は、、、

「最後に決めたトリプルアクセルには、自分のスケート人生をかけたんだという気迫が感じられました」

、、、と感想を述べています。

 また、後年、伊藤みどり選手の後輩であるフィギュアスケートプレーヤーである恩田美栄氏は、、、

「もう並大抵の体力じゃないです。それに同じジャンプを一度転んでるにも関わらず。私にはできない。跳ぶとしたら死ぬくらいの覚悟がいる」

、、、とも語っっております。やはり、トリプルアクセルはプレーヤーの心をつかんで離さない、もしかしたら「諸刃の剣」、後世の女子プレーヤーにとっても伊藤みどり選手のスピリッツが受け継がれた演技かも知れません。そう言う意味では浅田真央選手はトリプルアクセルの歴史を変えるかも知れないと思う次第です。

伊藤みどり

 YouYubeのリンクですが、映像をご用意いたしました。アルベールビルオリンピックにおける伊藤みどり選手のフリーの演技です↓。下の青字のタイトルをクリックしていただけばYouTubeに繋がり22年ぶりの演技を見られます。

伊藤みどり アルベールビルオリンピック フリーの演技


http://ja.wikipedia.org/wiki/アクセルジャンプ
http://skatingjapan.or.jp/figure/trick.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤みどり
http://ja.wikipedia.org/wiki/トーニャ・ハーディング
http://ja.wikipedia.org/wiki/中野友加里
http://ja.wikipedia.org/wiki/浅田真央
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