◇ シリア内戦への米国軍事介入に触れ 2011年、チュニジアとエジプトに端を発したアラブ世界の大規模反政府(民主化要求)運動、通称「アラブの春」(Arab Spring)の流れで、シリアは内戦状態となってから約2年、これまでに8万人以上が死亡、国外に逃れた難民は130万人を超えたとされております。
シリア内戦における死者 いよいよ、アサド政権が化学兵器を使用したとの見解から、米国が軍事介入に踏み切ることを表明し、人道的見地から化学兵器など大量破壊兵器を「越えてはならない一線」とコメントしたオバマ大統領の意図はよく解ります。
シリアの化学兵器使用に米国、軍事介入 しかし、中東、アラブ世界あるいはイスラム社会は歴史が古く、考え方や価値観が複雑であり、我々が普段、接している資本主義、民主主義を単純に当てはめるわけには行かない印象はあります。今後のニュースの展開を観て行く材料になりますでしょうか?、中東/アラブ/イスラムの歴史的背景に関する知識をまとめてみました。
◇ 中東 ≠ アラブ ≠ イスラム まずはじめに、つい同じような範疇で考えがちな「中東」と「アラブ」と「イスラム」ですが、よく考えれば同じものではないことは明白です。インドネシアのようにアラブ諸国でも中東でもない国にイスラム教徒が多数いる国はありますし、中東にはユダヤ教を信じるユダヤ人の国家、イスラエルが存在します。レバノンにはキリスト教マロン派の住民がが大勢おります。少し言葉の定義をまとめておきます。
1.言葉の定義、「中東」から 元々、中東(Middle East)と言う言葉は、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカを植民地にしていたイギリスが19世紀以降にインド以西の地域を植民地化するに当たって考え出された概念です。イギリスにとって東はインド、ここが基準になり、日中のようにインドより極端に東は「極東」、中くらいの東が「中東」ということのようです。
イギリスにとって東はインド
日中のように極端に東は「極東」
中くらいの東が「中東」 現在のところ、インド以西の西アジアとアフリカ北東部の国々を指す概念であり、これには伝統的な中東と拡大中東があります。
【伝統的中東】アラブ首長国連邦、イエメン、イスラエル、イラク、イラン、エジプト、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、トルコ、バーレーン、パレスチナ、ヨルダン、レバノン
【拡大中東】 アフガニスタン、アルジェリア、キプロス、北キプロス、スーダン、チュニジア、
西サハラ、パキスタン、モロッコ、モーリタニア、リビア
伝統的中東(深緑色)と拡大中東(薄緑色、G8で提案)2.アラブ世界とアラブ人 重箱の隅のような話しですので端的に申します。アラブ世界とは「アラビア語を話している人たちがいる地域」のことです。ですからアラビア半島のみならず北アフリカもアラブ世界です。一方、イランはペルシア語ですのでアラブ世界には含まれません。アラブ人とは「アラビア語を母国語とする人」のことです。下記に示す通り、アラブ人は中東のみならずそれ以外の地域にもたくさんいます。また、「アラブ人はみんなイスラム教徒か?」と言うとそうではありません。アラブ人にもキリスト教徒が大勢います。
日本において、「アラブ人は中東に住み、イスラム教を信仰する民族」として捉えられ、「アラブ人=イスラム教徒」との認識が広まっていますがそれは間違いです。【主なアラブ人国家】 アラブ首長国連邦、アルジェリア、イエメン、イラク、エジプト、オマーン、
カタール、クウェート、サウジアラビア、サハラ・アラブ民主共和国、シリア、
スーダン、チュニジア、バーレーン、パレスチナ、モロッコ、モーリタニア、
ヨルダン、リビア、レバノン
3.実は非常に広いイスラム世界 世界で最もイスラム教徒がいる国はインドネシアで、インドにも1億人近いイスラム教徒がいます。イスラム世界あるいはイスラム教国の定義は以下の通りとされており、イスラム世界は、北アフリカから中東、そして東南アジアまで、非常に広い世界となります。
【イスラム世界(教国)】○ 国教がイスラム教である国、シャリーア(イスラーム法)を法として実際に運用している国。この場合はイスラム国家と呼ばれることが多い。この定義ではトルコやアルバニアのような、人口の大多数がイスラム教徒であっても世俗主義を標榜する国家は入らない。
○ イスラム教徒が人口の比較的多数を占め、国家の指導的立場、ヘゲモニーをイスラム教徒が握る国。ほぼすべてがイスラム諸国会議機構 (OIC) に加わっている。「ムスリム国家」とほぼ同義であり、「キリスト教国」「仏教国」などの言葉に対応する。
世界各国のイスラム教徒の割合◇ イスラム教の母体はユダヤ教・キリスト教 後述しますが、イスラム教は紀元610年頃、サウジアラビアのメッカというところでムハンマドという商人が大天使ジブリール(ガブリエル)から啓示を受けたことが始まりとされております。すでにその時代にはユダヤ教とそこから派生したキリスト教が広まっておりましたので、イスラム教の神はユダヤ教、キリスト教と同一の神として発展して行きます。ユダヤ教やキリスト教と同様に唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる共通点があります。まずはユダヤ教とキリスト教の関係に触れます。
唯一神教
偶像崇拝の排除
神への奉仕
信徒同士の相互扶助関係や一体感1.キリスト教はユダヤ教の改革版 ユダヤ教は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェ(エホバ)を神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教であります。「タナハ」と呼ばれる聖典はキリスト教で言う「旧約聖書」と同一の書物であり、「ヤハウェが6日間でこの世界を造り7日目に休まれた」という天地創造のことが書かれています。ダビデの星は、ユダヤ教、あるいはユダヤ民族を象徴する印であり、二つの正三角形を逆に重ねた六芒星(ヘキサグラム)といわれる形をしています。
ダビデの星 イエス・キリストの出現とその後のキリスト教発展についてはここで詳述するまでもないと思います。簡単に言うとキリストはユダヤ教の改革運動を行っており、それに不信感を持ったユダヤ人により、「イエスは自らをユダヤ人の王であると名乗り、また『神の子』あるいはメシア(救世主)であると自称している」との罪を着せられ、ユダヤの裁判にかけられた後、ローマ政府に引き渡され十字架にかけられました。処刑後、十字架から降ろされ墓に埋葬された3日後に復活し、大勢の弟子たちの前に現れたため、「イエスはただの人間ではない」となり、「イエスこそが救世主ではないか」との発想から信者たちによりキリスト教の布教活動を始まりました。
イエス・キリストはユダヤ教の改革運動を行った
キリスト教はイエスではなくその信者によって始まった
十字架にかけられたイエス・キリスト キリスト教は元々、ユダヤ教ですので、ユダヤ教の聖書はキリスト教にとっても聖書であり、これをイエス以前の神との契約として「旧約聖書」と呼び、イエスの言行録は新しい神との契約として「新約聖書」としました。
イエス以前のユダヤ教における神との契約=旧約聖書
イエスの言行録等イエス以後の新しい契約=新約聖書 但し、旧約聖書という言い方はあくまでもキリスト教徒の見方ですので、ユダヤ教徒にとっては「旧約聖書」という言い方は不本意とのことです。
2.イスラム教の起源 ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフと、「アブドゥラと言えばブッチャーでは?(笑)」と言う名の人物がイスラム教の開祖であります。紀元610年頃、商人であった彼、ムハンマドは悩みを抱いてサウジアラビアのメッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想にふけっていました。そこに大天使ジブリール(ガブリエル)が現れ唯一神(アッラーフ)の啓示が始まったとされます。ジブリールはアラビア語ですが英語ではガブリエルです。キリスト教でマリアに処女懐胎を告げたのが大天使ガブリエルであり、ユダヤ教あるいはキリスト教で信じられている大天使がそのままムハンマドのもとに現れたのです。
瞑想するムハンマドへの大天使ジブリールの啓示が始まり その後も啓示は次々とムハンマドに下され、預言者としての自覚に目覚めたムハンマドは、近親の者たちに彼に下った啓示の教え、すなわちイスラーム教を説き始めました。最初に入信したのは妻のハディージャで、従兄弟のアリーや友人のアブー・バクルがそれに続いたとされます。
ちなみに、神様は人間に言葉を直接は話しません。必ず仲介役のような、通訳のような役割の者が入ります。これはユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通しており、ムハンマドは「神様の言葉を預かった人」という意味で「預言者」と呼ばれます。言葉を“預かる”から預言者であって、未来を“予言する”「予言者」ではありません。
「預言者」≠「予言者」天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド 預言者ムハンマドが天使ジブリールの言葉を人々に伝え、人々はひたすら神に帰依(きえ、神仏や高僧などのすぐれた者を信じそれによりすがること)します。「イスラム」という言葉には帰依するという意味があります。イスラム教は「神様にすべてを委ねて、心の安寧を得る」という宗教なのです。
「イスラム」=「帰依(きえ)する」 ムハンマド没後、信者たちが暗誦していた言葉をまとめたものが「コーラン」(Quran, クルアーン)で、これは「最後の」啓典とされております。なぜ「最後」なのかと言うと、「これまで神はユダヤ人に神の言葉を伝えたが、ユダヤ教徒は教えを守らなかった。そこでイエスに改めて神様の言葉を伝えた。しかしキリスト教徒も教えを守らなかった。そこでムハンマドを最後の預言者として言葉を伝えた」、とそんな理由とのことです。
コーランは「最後の啓典」ナスフ体によるコーラン(クルアーン) イスラム教徒にとっては旧約聖書も新約聖書もコーランも、いずれも神様からの言葉でありますが、神が最後に与えたコーランが一番大事な啓典となっています。イスラム教の詳しい内容については他に譲ることといたします。
◇ イスラム教 シーア派 vs スンニ派 イスラム教には派があって、「シーア派とスンニ派の対立」というニュースをよく聞きます。唯一神教でありコーランと言う旧約聖書も新約聖書も超えると自分たちで考えている「最後の啓典」があるのに神の教えに対する理解やイデオロギーに差があるとは考えづらいことです。
簡単に言うとイスラム教伝承者の指導者を誰にするか?、ムハンマドの子孫とするか?、コーランの教えを正しく伝える人物にすべきか?、と言う立場の違いのようです。すなわち、ムハンマドが亡くなった後、ムハンマドの血筋を引く者こそが「預言者の代理人(カリフ)に相応しいとして従弟で娘婿のアリーに従う「アリーのシーア(党派の意味)」が発生して「アリー」の部分が無くなって「シーア」と呼ばれるようになり、日本では「シーア派」と呼んでいます。一方、「血筋に関係なくコーランに書いてあることやイスラムの慣習(スンナ)を守ることが大事」とする考え方が「スンナ派」であり、日本では「スンニ派」と呼んでいます。以上、「シーア派」と「スンニ派」の違いは、宗派としての教えではなく、世襲かそうでないかくらいの違いのようです。
シーア派:ムハンマドの血筋を預言者の代理人(カリフ)
スンニ派:コーランやイスラムの慣習(スンナ)を厳守 アラブ世界はスンニ派が多いのですが、不思議なことにアラブ人ではなくペルシア人のイランは、アラブ人であるムハンマドの血筋に従う立場のシーア派が主流です。民族が違ってもシーア派は広がったため、イラクの東半分もシーア派が主流で、サウジアラビアの南の一部やバーレーンにもシーア派が多数いるそうです。実はシーア派のいる土地は石油資源が豊富であることが多く、これをシーア派の人たちは「神が我々に石油を恵んでいる」と言っており、この石油のためにシーア派とスンニ派の対立が生まれているとのことです。
「シーア派 vs スンニ派」は石油の争いシーア派(緑)とスンニ派(黄緑)の分布 *****
以上、中東/アラブ/イスラムの定義、歴史的背景について触れて参りました。理解しきれていない部分も多々ありますので、細かい間違いについてはご容赦いただきたく存じます。ネットや雑誌からの情報収集ですが、自分が誤解していたこと、日本人が元々考えていたものとの相違に驚く部分もございました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アラブの春
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130830-00010002-wordleaf-int
http://ja.wikipedia.org/wiki/中東
http://ja.wikipedia.org/wiki/アラブ人
http://ja.wikipedia.org/wiki/イスラム世界
http://ja.wikipedia.org/wiki/イスラム教
http://ja.wikipedia.org/wiki/ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ユダヤ教
http://ja.wikipedia.org/wiki/イエス・キリスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/スンナ派
http://ja.wikipedia.org/wiki/シーア派
人気ブログランキングへ
- 関連記事
-
スポンサーサイト