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アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

大洋〜横浜の あの年 あの日、そして あの時間 VOL. 002 1982年5月5日 平松投手の引退を踏みとどまらせた故 関根 潤三 監督


 1982〜84年の3年間、横浜大洋の監督をしていただいた 関根 潤三 氏が9日、老衰で死去されました。享年93歳です。関根監督を偲ぶ平松政次投手の言葉が記事になっていましたのでご紹介します。

平松の言葉、関根氏

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平松政次氏「200勝できたのは関根さんのおかげ」
[2020年4月10日7時0分]

プロ野球の大洋、ヤクルトで監督を務めた関根潤三氏が死去したことが9日、分かった。93歳。

   ◇   ◇   ◇

 私が200勝できたのは関根さんのおかげです。いなかったら、その前に引退していましたね。

 82年でした。名古屋遠征中に関根監督のホテルの部屋を訪ね「辞めようと思うんですが」と申し入れたんです。5月5日の中日戦が登板予定日で、その前日です。「オレが最期をみとってやる」と言ってくれた。肩の痛みが消えず、登板時は必ずボルタレン(痛み止め)を飲んでいました。
 翌日、予定通り先発したんですが、やっぱり痛い。球がいかない。真っすぐは山なりですよ。それが逆にチェンジアップになって、谷沢や田尾といったところが打てない。5回を1失点に抑えた。通算185勝目になりました。続く甲子園遠征で、再度話し合い。トレーナーにみてもらったら「筋肉はまだ生きている」という話になって、続行を決めました。

 翌83年。「薬を飲み続けたら体が持たないぞ」の忠告も受けて、体づくりから再スタートしました。この年に200勝に届いた。関根さんが監督でなかったら私の成績に200の数字はなかったと思います。

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830519 中日戦
1983年5月19日 平松投手 シーズン初勝利
前列左から 故 関根 監督、平松 投手、後列はレオンとトレーシー

 私見を申します。故関根さんが横浜大洋の監督になった時の最初のコメント「私は長嶋君に惚れているんですよ」。日本放送ショウアップナイターの、とりわけマウンドの投手の限界についてなど、鋭い解説からの監督就任に強めた多大な期待が脆くも壊れる瞬間でした。長嶋茂雄さんを監督に迎えるための監督就任て、バカも休み休み!、大洋〜横浜愛が強い私にとっては古葉、森と同じくらい嫌いな監督としてのスタートでした。でも、こうして文章を作っている最中も涙が溢れて来ます。平松さんを再生してくれましたし、「関根魔術」、ずいぶんとファンを楽しませてくれました。関根さんが好きだったと言うよりも、あの時代の横浜大洋が好きだった、その演出をしてくれたヒトでした。私にとって、また一つ、心にポッカリと穴があく、そんな関根潤三さんの逝去です。93歳?、関根さん、ヘビースモーカーで(笑)、大往生ですね! ご冥福をお祈りします。

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