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アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

《現地レポート》シャンゼリゼ通り〜エトワール凱旋門〜コンコルド広場 −4–


 エトワール凱旋門を出た一行はシャンゼリゼ通りを東に進み、コンコルド広場へと向かいました。太陽が西に傾き始めたところで東に向かうのですから陽の光が目的地を照らしてなかなか良い街並みが目の前に広がっておりました。

コンコルド広場へ向けて01

 背後を振り返るとエトワール凱旋門ははるか彼方でありました。

コンンコルド広場へ向けて02

 コンコルド広場にやって来ました。

コンコルド広場入り口


◇ コンコルド広場の概要

 コンコルド広場 Place de la Concorde はセーヌ川右岸(北岸)の中心部界隈に位置し、テュイルリー庭園と、同広場が起点となるシャンゼリゼ通りとに挟まれた場所にあります。1755年、アンジュ=ジャック・ガブリエルによって設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれておりました。その後、フランス革命の勃発により騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められております。フランス革命中には、ルイ16世やマリー・アントワネットのギロチン刑が行われた場所であります。1795年のヴァンデミエールの反乱において、当時ポール・バラス軍司令官副官であったナポレオン・ボナパルトが王党派を鎮圧後、現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれるようになりました。


噴水01

噴水02


◇ オベリスク

 コンコルド広場の中央にはエジプトから贈られたオベリスクが立っております。「クレオパトラの針 L'aiguille de Cléopâtre」とも呼ばれますが、クレオパトラとは何の関係もなく、一般的には「ルクソールオベリスク」呼ばれます。元々はルクソール神殿の入口に対で立っていましたが、1826年、エジプトとスーダンを統治していたムハンマド・アリーがフランスに贈り、1833年、ルイ=フィリップ1世の命でコンコルド広場の中央に立てられました。ラムセス2世の治世を褒め称えるヒエログリフが刻まれており、また、当時の技術レベルでは輸送は困難を極めたため、台座には輸送の際にどのような機械を使ったかを説明する図が彫られております。

オベリスク

オベリスクの壁04

pベリスクの壁03

オベリスクの壁02

オベリスクの壁01

オベリスク02






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