アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

「父ちゃんのポーが聞こえる <則子・その愛と死>」

父ちゃんのポーが聞こえる01 のコピー

 若いヒトに己の経験した「生と死」を伝えたいとしてブラックジャックをご紹介しましたが、もう少し芸術的なところでは、私が幼稚園の頃に実家においてあって、何度も反復して読んでは「将来は必ず医者になる!」と意志を固めていった詩集がございます。立山連峰の麓、高岡市〜富山市で、小学校6年生より発病して、その翌年から昭和45年7月26日21歳で亡くなるまでの9年間をずっと病院で過ごしたハンチントン舞踏病の少女、故松本則子さんが遺した詩集であります。私はいつの日か、彼女の過ごした土地を訪れたいと考えておりましたが、やっと平成21年5月の連休、当地に赴くことができました。この際には、40年近くの歳月を経て、己が医者になるきっかけとなった人物の郷里に立ち、胸が熱くなったのを思い出します。なお、この詩集は映画にもなりました。

映画父ちゃんのポーが聞こえる

 ハンチントン舞踏病の少女が遺した詩集

 徐々に転倒する頻度が多くなってきた彼女は、いよいよ普通の中学生としての生活は困難となり、昭和38年9月より高岡市民病院こまどり学級と言う特殊学級に入りました。当時、約1年間は確実な診断に至らず、徐々に症状が悪化するにつれ、すでに亡くなられていた母親より遺伝した病気であることが判明したようです。下記に詳しい病態を示しますが、常染色体優性遺伝とのことですので、両親のどちらかにその遺伝子があれば1/2の確率で遺伝します。徐々に全身の筋肉が動かなくなり、意志とは関係なく踊るような不随意運動が出ることから「舞踏病」と名付けられており、最後には呼吸筋も動かなくなるため窒息あるいは肺炎で亡くなることが多いようです。

父ちゃんのポーが聞こえる03 のコピー

父と本人

 *****

【ハンチントン舞踏病】
 大脳中心部にある線条体尾状核の神経細胞が変性・脱落することにより進行性の不随意運動(舞踏様運動)、認識力低下、情動障害等の症状が現れる病態。常染色体優性遺伝。日本では特定疾患に認定された指定難病である。
 原因となる変異をもつ場合には、高い確率で40歳前後に発症し、10-20年かけて進行する。世代を経るごとにその発症年齢が早くなること、父親から原因遺伝子を受け継いだときにそれが顕著になる現象も知られている。1872年に米国ロングアイランドの医師ジョージ・ハンチントン(George Huntington)によって報告され、人種により異なるが白人での発生率は5-10/100,000、アジア人、アフリカ人ではその数十分の1となる。
 遺伝性疾患の為に、2006年現在では根本的な治療法や進行を防止する治療法は現在のところ確立されていない。

 *****


 こまどり学級の頃より詩を書き始めた故松本さんは、昭和40年3月に同学級を卒業、富山市にある肢体不自由児の施設である高志学園に移動となりましたが、郷里の高岡からは離れているため、大好きな父親は頻繁には病院に来れなくなり、「寂しい想いから詩のひとつひとつに命をこめたました」との記載が詩集にあります。そんな時、その、機関士であった父親が、高志学園の付近を客車を引いて走ることとなり、学園の近くを通る定まった時間に汽笛を鳴らす約束をします。父親の汽笛を聞いた時にしたためた詩が以下です。

 ポー 
 汽笛がこだまする
 空に小さく消えて行く
 午後四時四十五分ちょうど
 父だ
 父の引いている列車が高山線を走っているのだ

 ポー
 胸の奥でひそかに
 則子も声ない汽笛をあげる
 涙が頬をこぼれ落ちた
 <40.4.9>


高志学園

富山病院


 昭和44年2月、いよいよ重症で手がかかり、治る見通しもない故松本さんは古里保養園(現、国立療養所富山病院)に移動となりましたが、当時の障害者に対する医療は必ずしも満足できるものではなかったようで、トイレや便器での排泄はさせてもらえずオムツをさせられていたそうです。年頃の女の子にとっていかにも忍び難いことだったと思われます。ある時、看護師が病室を覗くとベッドから抜け出した彼女が扉の近くで転がっていたことがあり、病室を抜け出したい一心で転がって来たようで、これに対して病院側は二度としないようにベッドを柵で囲う処置をとったそうです。心が痛みます。以下、いくつか詩集の中から抜粋してご紹介いたします。

 私は 健康で 明るくって
 人から愛される娘になりたかった
 そして平々凡々と一生を送りたかった
 あたりまえの あたりまえの 女の子であってほしかった
 でも そうでない私—
 自分の病気を考えると死にたくなることだって 時々
 ・・・・・
 「死ぬ勇気があるのなら生きなさい」
 そう
 私は生きたい
 生きるからには 一生けんめいにと心にちかう私


  **

 うれしいこと
 それは お便所から出てくると
 歩行器が部屋の方向に向けてあるとき
 だれがしてくれるのか
 しらないけれど うれしい


  **

 私は父が好きだ
 ほんとうにこの世で
 一番尊敬し 愛する
  シュバイツアーより
  ワシントンより
  ヘレン・ケラーより
  ほんとに私の知ってる限り
  最高に 最高の人である
 私はずい分チビッ子の頃からの
 お父ちゃん子である
 で 私は大きくなったら
 おとうちゃんに せいいっぱいの孝行を
 しなくちゃ
 と思っていた
 それなのにー
 運命のバッキャローめ
   私は父の為に生きて
   いるのかもしれない
   私が死んだら
   泣いてくれるのは
   父ちゃんだけかもしれない
 泣いた ひとりで
 涙で顔が
 クシャクシャになった


  **

 今日も、父ちゃんのポーが聞こえた
 うれしくって、とても悲しかった


  **

 愛することはたやすいが、愛されることはむずかしい?
 愛されたくて、愛したんじゃないといいきれる?

 愛されるのは資格がいるけど
 愛するのはいいでしょう?


  **

 おお だるい だるい
 このだるさ ひだるさ
 全身をめぐる
 このだるさというやつ
 進行性筋萎縮症の
 結末は「死」であるという
 私もそういう「死」というやつを
 予期せずして
 予想していなければならない
  死にたくない
  けれども 死ぬ
  たまらない人生

 死ぬトキ
 「幸福でした」といって 死にたい


  **

 苦しみぬいたと
 うぬぼれてはならない
 苦しみきれぬと
 絶望してはならない
 たえず苦しめ
 苦しみの上にあれ
 そしてほほえめ
 苦しみは
 波のようなものではないか
 磯岩をかむその波 波
 海藻を洗う波 波


  **

 失ったものを数えるな
 残ったものを数えろ!


  **


詩1
「立山連峰に身を捧げたい」左手で書いた直筆の詩

立山

 最近では脊髄小脳変性症の少女、「1リットルの涙」が有名です。どんなかたちのものであろうと、病気と向き合って生きてゆく生き様を見ると命の尊さや生きる事の意味(人生観)、逆に死とはどういうものか(死生観)が見えて来ることもあろうかと思います。

父ちゃんのポーが聞こえる 則子・その愛と死 松本則子著 1971年 立原書房
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンチントン病


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