アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

科学?/非科学? いろは歌に隠された暗号?

 いろは歌のご紹介をしましたが、実はこの歌には暗号文が隠されているとの説(?)もあります。こちらはスピリチュアルと言うよりもその周辺、むしろ科学と非科学の境界領域としての扱いになりますが、「こういう考え方もある!」、と言うことです。

 いくつかの仮説において、基本的には下図の如くいろは歌を7字ずつに区切った升目で記して論じております。これは仮説を確からしくするためではなく、古来からいろは歌は、七文字ずつに区切って記されており、先の記事に載せました「金光明最勝王経音義」(1079年)に記されたいろは歌も、七文字ずつに区切られ、七行で記されています。理由は不明であり、こうしたところは暗号説を後押しするところかと存じます。

いろは7x7
図1.いろは歌を含む7x7升目

◇ イエス・キリストの処刑を示す暗号との説

 下図に示す通り、いろは歌の升目の上部(青線枠、青字)を左から読みますと「いちよらやあえ(ゑ)」となります。この言葉を「イチ・ヨラ・ヤアエ」から「イーシ・エル・ヤハウェ」と読み替え、さらにヘブライ語の「イーシ」は人、「エル」は神、「ヤハウェ」は聖書に出てくる神の名と解釈すると以下の如く「神ヤハウェの人」(つまりイエス)となります。

いろは仮説1
図2.いろは歌升目の上部(青線枠、青字)と下部(赤線枠、赤字)に注目

 「イチ・ヨラ・ヤアエ」
    ↓    
 「イーシ・エル・ヤハウェ」
    ↓
 「神ヤハウェの人」(つまりイエス)


 さらに、上図のいろは歌升目の下部(赤線枠、赤字)を左から読みますと「とかなくてしす」となります。これはそのまま「咎なくて死す」となり、上述と併せて、「神ヤハウェの人(イエス) 咎なくて死す」と読めるとの説です。

 「神ヤハウェの人(イエス) 咎なくて死す」

 また別の見方としては、下図の如くいろは歌の升目の上右、上左、下左の隅(青線枠、青字)を読むと「いゑ(え)す=イエス」となり、先の「とかなくてしす」(「す」はイエスの「す」と)重複)と併せて、「イエス、咎なくて死す」と言う暗号が含まれているとの主張です。

いろは仮説2
図3.いろは歌升目の上右、上左、下左の隅(青線枠、青字)を読むと「イエス」、下部(赤線枠、赤字)を左から読むと「咎なくて死す」
 
 「イエス、咎なくて死す」

◇ 五・七・五・七・七で救世主イエスを讃える暗号との説

 さらにすごい発想があります。いろは歌の升目の上部(青線枠、青字)を左から5文字まで読み「いちよらや」(図4、青線枠、青字)、左端までいったところで右斜め下方に読み下がり「あゑ(え)さけゐ(い)つわ」(図5、青線枠、青字)、さらに下部を右から左に5文字まで読み「とかなくて」(図6、青線枠、青字)、、、。

いろは仮説3−1
図4.いろは歌升目の上部(青線枠、青字)を左から5文字まで読み「いちよらや」

いろは仮説3−2
図5.左端までいったところで右斜め下方に読み下がり「あゑ(え)さけゐ(い)つわ」

いろは仮説3−3
図6.さらに下部を右から左に5文字まで読み「とかなくて」

 次は図7(青線枠、青字)の如く、下部左端の「し」より斜めに上がった「す」から斜めに一つ下がって「み」より斜め右上に上がって行き、全部あわせて「しすみこゐ(い)れり」、最後には左上より一文字おきに降りて来て、「いはほと」から左に一文字おき「なて」(図8、青線枠、青字)、併せて「いはほとなて」となりました。

いろは仮説3−4
図7.下部左端の「し」より斜めに上がった「す」から斜めに一つ下がって「み」より斜め右上に上がって行き、全部あわせて「しすみこゐ(い)れり」

いろは仮説図8
図8.最後には左上より一文字おきに降りて来て、「いはほと」から左に一文字おき「なて」、

 これを全て合わせますと下記の短歌となり、それを解釈したのが矢印以下とのことです。

いちよらや あえさけいつわ とかなくて 
しすみこいれり いはほとなて
    ↓    
素晴らしい神の人は 八重桜に隠された逸話となり 
罪無くして死んだ御子イエスこそ 救いを完結する救世主である


 暗号の解き方、解釈に仕方など、多くの部分で省略いたしました。詳しくあURLを記しておりますのでそちらを参考にして下さい。私的には、激しく突飛な発想に賛否の姿勢を明らかにするまでも無いですが、一つだけ歴史上の事実(少なくとも言い伝え)に、上で申し上げた暗号説を後押しするものがあります。それは聖徳太子がイエス・キリストと同じく馬小屋で生まれたとの逸話です。

 聖徳大使はイエスと同じく馬小屋で生まれたとの言い伝え

 イエス・キリストは、その両親であるヨセフと妊婦であったマリアが、住民登録のために先祖の町ベツレヘムへ赴く途中に産気付き、その付近の馬小屋を借り手イエスを出産したと言われています。聖徳太子の本名は厩戸皇子(うまやどのおうじ)であり、母が実母である蘇我小姉君の実家で出産したため、つまり叔父・蘇我馬子の家で生まれたことから馬子屋敷が転じて厩戸(うまやど、うまやと)と付けられたとする説や、生誕地の近辺に厩戸という地名があり、そこから名付けられたとする説がありますが、厩戸の前で出生したことによるとの伝説もあります。彼は、イエスとは異なるバリバリの皇族であり、後の用明天皇の第二皇子、母親は欽明天皇の皇女、穴穂部間人皇女であり、臨月を迎えた穴穂部間人皇女が馬小屋あたりで産気付くことには疑問が残ります。これに対して、紀元前4年のイエス・キリストの生誕が、紀元後574年の聖徳太子の出生の言い伝えに関与したとの可能性はあると思います。

イエスと聖徳太子


http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/049irohauta.htm
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=165
http://ja.wikipedia.org/wiki/イエス・キリスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/聖徳太子


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