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アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

「誰かが誰かの中で生きる」と言うこと


 「世界の中心で、愛をさけぶ」と言う 片山 恭一 氏の青春恋愛小説があります。ドラマ、映画になりました。その作品のご紹介ではありませんが、一言であらすじを申しますと、高校時代に実った恋、直後に白血病で他界した彼女、廣瀬 亜紀 と、それを17年も忘れられない彼、松本朔太郎 の物語です。ドラマの特別編の最後、二人がいたクラスの担任で国語教師の 谷田部敏美 の「廣瀬は松本の中で生きるのでしょう」とのセリフがエンディングとなります。

世界の中心で、愛をさけぶ 1シーン

 「誰かが誰かの中で生きる」と言うこと

 この言葉は、実生活において様々な場面で思い起こされます。誰かが亡くなっても、その人と接していた人物はまだ生きていて、その関わりは深くとも浅くとも、時々は記憶の中によみがえり、あたかも残された人間の中で生きているかのようです。

 これは誰にでも経験があるでしょう。もう二度と会うことがない故人との生前におけるふれあいを思い起こし、今でも生きて目の前にいるかのように、自分に話しかける、笑顔で振り向く、あるいは別の感情を見せる姿が海馬の片隅に残っていて、目の前のスクリーンに映し出されることがあります。それは、どんなに年が離れた子供の頃の記憶であろうとも、恋人や親友のような心通じ合う存在であろうとも、ちょっとした知り合いであっても、誰かの記憶の中でよみがえる人は亡くなっていても「誰かの中で生きる」と言えるのではないでしょうか? 人は誰でも死にますが、その人物を覚えている人がいる限り、記憶の中で生き続ける存在があります。故人の人格を思い返して、意識の中で再現され続けるうちは「誰かの中で生きている」と言う考え方です。

 ある人物が亡くなって、「最初の死」を迎えて、その人物を知っている人々が生きているうちは、「誰かの中で生きる」ことが続き、いよいよその人物を知る最後の人が他界した時、「二度目の死」を迎える、そんなことをふと思いつきました。


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