アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

伊勢神宮 参拝記 その3:皇大神宮(内宮)


 午前に豊受大神宮(とようけだいじんぐう)= 外宮(げくう)を参拝して赤福ぜんざいで一服したところで正午を少しまわっておりましたが、昼食は摂らずに皇大神宮(こうたいじんぐう)= 内宮(ないくう)へと移動しました。バスが外宮前にも停まることは知っていましたが、駅停留所からの方が確実と思われ、伊勢市駅へと歩きました。下に外宮と内宮の位置関係を示す地図とバスの路線図を供覧します。

001 神宮マップ

002 伊勢神宮 バス路線図


◇ 宇治橋(うじばし)

 内宮への入口、五十鈴川(いすずがわ)にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へ、そして人と神とを結ぶ架け橋と言われております。内宮のお参りは宇治橋の前で一礼し、緑豊かな神路山(かみじやま)、島路山(しまじやま)の四季の移ろいを感じながら宇治橋を渡ることから始まります。

003 宇治橋1

003 宇治橋2

003 宇治橋3


◇ 皇大神宮(内宮)案内

 宇治橋を渡って左に向かうと皇大神宮(内宮)の案内の看板を見ます。内宮の地図とその簡単な説明文です。以下に供覧いたします。

003 参道1

003参道2

004 内宮地図

【皇大神宮(内宮)】
005 皇大神宮説明書き

 *****

 御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 御鎮座 垂仁(すいにん)天皇二十六年


天照大御神は皇室の御祖神であり歴代天皇が熱く御崇敬になられています。また私たちの総氏神(そううじがみ)でもあります。
約二千年前の崇神(すじん)天皇の御代に皇居をお出になり各地をめぐられたのち、この五十鈴川(いすずがわ)のほとりにお鎮まりになりました。
二十年に一度神殿をお建て替えする式年遷宮(しきねんせんぐう)は千三百年余り続けられ、平成二十五年十月二日に第六十二回式年遷宮が行われました。

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◇ 御手洗場(みたらしば)・手水舎(てみずしゃ)

 五十鈴川は「御裳濯川(みもすそがわ)」とも呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳(みも)のすそを濯(すす)いだことから名付けられたと伝えらえます。神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となります。内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692)徳川 綱吉の生母、桂昌院(けいしょういん)が寄進したといわれる石畳を敷き詰めた御手洗場があります。今回の参拝においては水位の上昇から立ち入り禁止となっており手前の手水舎にて身と心を清めることとなりました。

006 御手洗場

007手水舎

008 参道3


◇ 内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)

 宇治橋から正宮に至る参道の中間地点、左側にある銅板葺、入母屋造の建物が、内宮神楽殿です。向かって左側からお神札授与所(ふだじゅよしょ)、ご祈祷受付、御饌殿(みけでん)、神楽殿となっています。御饌、御神楽(おかぐら)などのご祈祷のご奉仕や、お神札やお守りを授与しています。

010 内宮神楽殿

010 内宮神楽殿2


◇ 正宮 皇大神宮

 神路山(かみじやま)、島路山(しまじやま)の麓、五十鈴川のほとりに鎮座する皇大神宮は、皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。今から2000年前、皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)をご神体として伊勢の地にお祀りし、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりがみられました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めます。
 わが国最初の正史「日本書紀」によると、天照大御神はお生まれになった時、

 「光華明彩(ひかりうるわしくして)、六合(くに)の内に照り徹(とお)る」

と称えられ、この上なく輝かしい存在として、また神々の世界を治める日の神としても伝えられています。高天原(たかまのはら)にいらっしゃる大御神は皇孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの国にお降しになる際に、

 「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是(これ)吾(あが)子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いま)し皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あまつち)と窮きわまりなかるべし。」

と、この国は天地と共に永遠であるとの祝福のお言葉をお与えになりました。また、この言葉と共に大御神は宝鏡を授けられ、「この鏡は私を見るがごとくにまつれ」と命じられました。さらに高天原でお育てになった稲穂を授けられ、米をつくる暮らしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられました。この御祝福の言葉は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」と呼ばれます。

 さて、瓊瓊杵尊に授けられた宝鏡は八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれ、天皇が天照大御神をお祀りするご神体となっています。八咫鏡は代々宮中で天皇ご自身がお祀りされていましたが、崇神(すじん)天皇の御代になるとお側でお祀りすることに恐れを抱かれ、皇居を出られ、大和の笠縫邑(かさぬい)のむらに神籬(ひもろぎ)を立ててお祀りすることになりました。

 そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)が皇大御神をお祀りしていましたが、垂仁(すいにん)天皇の御代に、倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神をお祀り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られた後、伊勢の国の度会(わたらい)の地、宇治の五十鈴の川上に到られ、皇大御神のお教えのままに「祠やしろ」をたててお祀り申し上げることになりました。今からおよそ2000年前のことです。祠は社やしろとも書き、家(や)や屋の代(やのしろ)という意味で、大きなお祀りに際してその度新たにたてられる建物のことです。神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になったのは、天武天皇から持統天皇の御代にかけてのことと考えられています。20年に一度の大祭、神宮式年遷宮もその時代に始まりました。

011 正宮 皇大神宮1

011 正宮 皇大神宮2


◇ 御稲御倉(みしねのみくら)

 内宮の所管社の一つです。神宮神田で収穫した御稲が奉納され、三節祭でお供えされます。建物は正宮同様に神明造で、規模は小さいですが特徴をうかがうことができます。

012 御稲御倉1

012 御稲御倉2


◇ 別宮 荒祭宮(あらまつりのみや)

 荒祭宮は内宮に所属する十別宮のうち第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(みぎみたま)」と申し上げるのに対して、荒祭宮のご祭神は、天照大御神の「荒御魂(あらみたま)」、荒々しく格別に顕著なご神威を現される御魂の働きを祭ります。

013 荒祭宮1

013 荒祭宮2


◇ 鳥居をくぐり宇治橋を渡って外へ

014 華表

015 五十鈴川

015 周囲の街


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