アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

悲しい出来事を歌で伝えた「真白き富士の根(嶺)」、別名「七里ヶ浜の哀歌」


 世界の出来事、2009年(平成21年)と昨年と2ヶ年を加えて、以前に掲載したものには若干の文章を追加して列挙いたしました。お目を煩わし恐縮いたします。

 こうして過去を振り返って参りますと、ずいぶんの不幸な出来事があって、その情報がいとも簡単に手に入る世の中になったものだと、今更ながらに感心いたします。文章による情報のみならず、画像や動画でも起こった出来事を再現することが可能であり、ともすると閲覧者の気を引かんとする感情が沸き起こり、一つの出来事に対して少しでもよりリアルな画像を掲載するよう努めてしまいます。
 新聞や雑誌、画像や動画の技術、ラジオ、テレビと言ったメディアの発達に続いて、インターネットの普及と、目まぐるしい情報化社会の波が押し寄せる以前の、つい100年前はどうであったか?、と思い返した時、今と同様に不幸な出来事は発生しており、人々の悲しい気持ちや憤り、失われた命への哀悼の念と言ったものを後世に伝える手段としてしばしば歌が作られておりました。
 溢れる情報が簡単に手に入る今ではこういう手法は少なくなって来たと思われますが、これも一つの文化であったと、代表的な楽曲を一つご紹介いたします。まずは、起こった不幸な出来事から。


◇ 相模湾七里ヶ浜の悲劇と歌の誕生

 1910年(明治43年)1月23日、神奈川県の相模湾に漕ぎ出でた、県下の逗子開成中学ボート部の生徒等12人の乗ったボートが遭難し、救助は難航、遺体捜査に5日もかかりました。溺死した全員の遺体が七里ヶ浜に打ち上げらると言う悲劇が起こりました。


七里ヶ浜と逗子開成中学
神奈川県相模湾七里ヶ浜と現在の逗子開成中学校

 当時、逗子在住で、鎌倉女学校(現 鎌倉女学院)に勤務していた 三角 壽々 教諭(後の三角 錫子 氏)は七里ヶ浜の悲劇に触れ、ボート転覆事故の死者を想い、「七里ヶ浜の哀歌」として一晩で作詞したとされます。原曲は、イギリスの舞踏曲のひとつであり、アメリカの作曲家 ジェレミー・インガルス(Jeremiah Ingalls)氏が1805年に賛美歌集「クリスチャン・ハーモニー」の中に 「GARDEN(讃美歌)」の曲名として採集して紹介していたものです。2月6日、逗子開成中学 校庭にて大追弔大会が開かれ、12人の霊を弔いました。この際に鎌倉女学校生徒の合唱でこの歌が歌われました。


◇「真白き富士の根(嶺)」、別名「七里ヶ浜の哀歌」

曲 ジェレミー・インガルス
詞 三角 錫子


 *****

 真白き富士の嶺、緑の江の島
 仰ぎ見るも、今は涙
 歸らぬ十二の雄々しきみたまに
 捧げまつる、胸と心

 ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
 風も浪も小(ち)さき腕(かいな)に
 力も尽き果て、呼ぶ名は父母
 恨みは深し、七里ヶ浜辺

 み雪は咽(むせ)びぬ、風さえ騒ぎて
 月も星も、影を潜め
 みたまよ何処に迷いておわすか
 歸れ早く、母の胸に

 みそらにかがやく、朝日のみ光
 暗(やみ)に沈む、親の心
 黄金(こがね)も宝も、何にし集めん
 神よ早く、我も召せよ。

 雲間に昇りし、昨日の月影
 今は見えぬ、人の姿
 悲しさあまりて、寝られぬ枕に
 響く波の、音も高し

 帰らぬ浪路に、友呼ぶ千鳥に
 我も恋し、失(う)せし人よ
 尽きせぬ恨みに、泣くねは共々
 今日も明日も、かくてとわに

 *****


真白き富士の根 写真

 以下に楽曲を紹介するYouTubeのURLをご紹介いたします。著作権の関係でアドレス冒頭 “https”のhの文字を省いております。

ttps://search.yahoo.co.jp/video/search?p=真白き富士の根&tid=e6cfabe8119aa4e83167fcb941d3f6d7&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1

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