アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

韓国 歴代大統領たちの末路


 先日12月5日、安倍 晋三 首相の在職日数が中曽根 康弘 元首相を抜いて戦後歴代4位(歴史上では6位)となりました。それに先立ち自民党総裁任期の「連続3期9年」への延長も了承されているため、首相が2年後の総裁選で三選し、平成33年9月までの任期を全うすれば在任3567日となって、歴代最長の桂 太郎氏(2886日)をはるかに超えることになります。もしそうなれば、自身が先送りした31年10月の消費税10%への引き上げ、32年夏の東京五輪、パラリンピックも在任中に迎える見通しです。

安倍晋三 写真

【歴代の首相在職日数ベスト10(2016年12月5日現在)】
 01.桂  太郎 2886日:1901〜06年、1908〜11年、1912〜13年
 02.佐藤 英作 2798日:1964〜72年
 03.伊藤 博文 2720日:1885〜88年、1892〜96年、1898年、1900年〜01年
 04.吉田  茂 2616日:1946年〜47年、1948〜54年
 05.小泉純一郎 1980日:2001〜06年
 06.安倍 晋三 1807日:2006〜07年、2012年〜
 07.中曽根康弘 1806日:1982〜87年 
 08.池田 勇人 1575日:1960〜64年
 09.西園寺公望 1400日:1906〜08年、1911〜12年
 10.岸  信介 1241日:1957〜60年

 長期安定政権の弊害あるいは危険性はあろうかと存じますが、一国の政治のリーダーに問題があって、政権がコロコロ変わる、政治的な空白が生まれることがあれば、それは国家にとってマイナスであることは言うまでもありません。今、お隣の大韓民国(以下、韓国)がまさにそう言う状況にあると言えます。ついに昨日、12月9日、韓国、朴 槿恵(パク・クネ)大統領に対する弾劾訴追案が国会本会議で可決されました。

パククネと崔順実 写真
朴 槿恵(パク・クネ)大統領(左)と 崔 順実(チェ・スンシル)氏(右)

 一連の、朴 大統領のスキャンダルは、彼女が大統領府の内部資料を長年の友人である 崔 順実(チェ・スンシル)氏に渡して、政権運営のアドバイスをもらっていたとの疑惑に始まり、国政への介入、大統領府が多数の大手企業に間接的に圧力をかけて資金を集め、チェ 氏のために財団を設立、その資金をチェ 氏が個人的に流用したなどの疑惑へと進展しております。さらには、2014年4月16日に発生した韓国旅客船セウォル号の沈没事件に際して、大統領が7時間に渡り事件を把握していなかった「空白の7時間」の疑惑が再浮上して物議を呼んでおります。
 韓国では「パク大統領退陣」を訴える、100万人を超えるとも言われるデモが発生しており、この政権がそう長くはないことは明白となって参りました。現大統領に起こった事の詳細は他に譲るとして、韓国の大統領と言えば、その任期の最後には、何がしかのトラブルや大統領自身の不正疑惑が起こっている印象があり、ここでは韓国 歴代大統領11名を簡単にご紹介し、その末路に注目いたします。


◇ 初〜第3代 李 承晩(イ・スンマン)大統領:1948〜60年

  黄海道平山出身で、日本の植民統治時代、米国を拠点に独立運動を展開、韓国民主党→自由党→無所属と渡り歩きました。「建国の父」と呼ばれる韓国発の大統領で、「反日政策」を最初に掲げた韓国のリーダーでもありました。己のポストを守るための憲法改正と不正選挙を繰り返した独裁体制を確立しましたが、最後には革命が起こり失脚、亡命しました。

李 承晩 大統領

○「建国の父」

 朝鮮の独立運動家で、1948年8月13日、アメリカ合衆国の後援の下、朝鮮半島南部のみを実効支配する大韓民国が建国され、その初代大統領で「建国の父」と呼ばれております。

○ 反日と「李 承晩(りしょうばん)ライン」

 李 承晩 氏は、朝鮮の独立運動に日韓併合前後から関わっていた経歴から、日本を激しく嫌っていたとされます。初代大統領として基盤が弱かったこともあり、国民の矛先を日本に向けるべく反日政策を行いました。その代表的な対日政策の1つに1952年の一方的な海洋主権宣言、いわゆる「李 承晩(りしょうばん)ライン」がありました。これは、日本の軍隊が解体された隙を突いて、国連海洋法条約や排他的経済水域が成立する以前に、竹島を含む豊富な水産資源の漁場の確保を目的として一方的にとられた措置でありました。

李承晩ライン 図

 李ラインの設定で韓国の実効支配下に置かれることとなった竹島の処遇は、現在に至るまで日韓の懸案問題になっており、また、今日でも日本と韓国間に横たわる問題の多くが 李 承晩 氏の民族主義的政策に端を発しているとされます。ただ、声を大に「反日」を唱えていた割には彼の時代には従軍慰安婦の問題は話題にも挙がりませんでした。

○ 憲法改正強行と不正選挙の後に革命

 李 氏は、大統領ポストを永続的に確保しようと、再三にわたり憲法改正を強行し、1960年3月の大統領選挙では極端な不正選挙を実施して四選を勝ち取りましたが、同年4月、その独裁的政治手法と大統領選挙の不正に憤慨した学生、市民を中心に糾弾運動が起こり、国会でも大統領の即時辞任を要求する決議が全会一致で採択されました。これを受けて、ラジオを通じて「国民が望むなら大統領職を辞任する」と宣言して下野、12年間続いた独裁体制が崩壊しました(4月革命)。

○ 亡命と異国での死

 その後、アメリカ、ハワイに亡命し、5年後の 1965年、韓国の地に戻ることなく死亡しました。


◇ 第4代 尹 潽善(ユン・ボソン)大統領:1960〜61年

 忠清南道出身で李承晩政権の商工大臣などを歴任、韓国民主党結成に参加して、「4月革命」による李 大統領の失脚直後に大統領に就任しましたが、次期政権となった 朴 正煕(パク・チョンヒ)大統領の起こした軍事クーデターで失脚しました。下野した後は民主化運動を行いましたが実刑判決を受けるに至りました。

○ 軍事クーデター後に辞任

 李 承晩 大統領が失脚、亡命することとなった「4月革命」を経て、1960年8月に大統領に就任しましたが、翌1961年5月16日に「5・16軍事クーデター」が発生、軍の要請で大統領の座に留まるが、翌年3月に軍政が制定した政治活動浄化法に抗議して辞任しました。

○「民主救国宣言」で実刑判決

 下野した後は、民主化を訴えて第5〜9代 朴 正煕(パク・チョンヒ)大統領と政権を競いますが、1976年および1978年に「民主救国宣言」を発表したところ、政府から「憲法秩序を破壊しようとする非合法活動である」と厳しく非難され、実刑判決を受けました。


◇ 第5〜9代 朴 正煕(パク・チョンヒ)大統領:1963〜79年

 韓国の歴代では5期と、最も任期が長かった大統領です。慶尚北道出身、日本の陸軍士官学校や満州国陸軍中尉を経て、戦後は韓国陸軍で要職を務めておりました。軍事クーデターを起こして大統領に就任、民主化運動を弾圧した一方、日韓国交正常化を果たし、韓国の産業を復興させました。陸 英修 夫人が74年、自身は79年に射殺されました。私腹を肥やさなかったことは評価されています。

朴 正煕 写真

○「5・16軍事クーデター」から独裁体制

 尹 潽善 政権において、議会の混乱で戦後復興や工業化などが進まず、また軍内の腐敗も深刻化している状態に対して、1961年5月16日、軍の将官、将校、士官らの改革派を率いてクーデターを決行し軍事政権(国家再建最高会議)を成立させました(5・16軍事クーデター)。形式的な民政移行が行われた後も実権を握り続け、自身の政党である民主共和党による事実上の独裁体制を形成、1963年より第5代から第9代大韓民国大統領を務め、権威主義体制による開発独裁を推し進めました。

○ 日韓国交正常化

 日本の 佐藤 栄作 内閣総理大臣と日韓基本条約を締結して日韓両国の国交を正常化しました。

○ ベトナム戦争への出兵

 1964年.アメリカ合衆国のリンドン・ジョンソン大統領の要請を受けてベトナム戦争に大韓民国国軍を出兵しました。

○「漢江の奇跡」

 日本から国交正常化の見返りとして、米国からはベトナム戦争への出兵の報酬として、日米から莫大な経済支援を受け、経済・産業の活性化に努め、1970年代にかけて「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成しました。

○ 民主化運動の徹底した弾圧と「金 大中 拉致事件」

 統制的な軍事政権下にて民主化の運動は徹底して弾圧され、人権上問題のある拷問や政治犯の投獄なども行われた。1973年、大韓民国中央情報部(KCIA)が日本に滞在してた大韓民国の民主化運動家で、後の第15代 大統領である 金 大中(キム・デジュン)を拉致監禁しました(「金 大中 拉致事件」)。

○「文世光事件」で夫人射殺

 1974年、文 世光 容疑者による朴 大統領暗殺未遂事件が発生、陸 英修 夫人が射殺されました。

○ 暗殺

 1979年10月26日、大規模な民主化デモの鎮圧を命じた直後、側近である 金 載圭 情報長官により暗殺されました(享年61歳)。


◇ 第10代 崔 圭夏(チェ・ギュハ)大統領:1979-80年

 江原道原州邑出身、無所属、韓国で最も在任期間の短い大統領で、朴 大統領暗殺で全国に広がった若者の民主化運動、労働者の労働運動、「ソウルの春」を鎮圧するために、新軍部による政権掌握のため戒厳司令部が1980年5月17日を期して断行され(5・17クーデター)、第11, 12代大統領の 全 斗煥(チョン・ドゥファン)氏、第13代大統領、盧 泰愚(ノ・テウ)氏らによる軍部政権の掌握で辞任しました。


◇ 第11, 12代 全 斗煥(チョン・ドゥファン)大統領:1980-88年

 慶尚南道出身、民主正義党所属の軍人で、「5・17クーデター」で実験を握り、朴 大統領と同様に民主化を弾圧しました。1984年には韓国大統領として初の来日、88年、不出馬で退任後、逮捕され死刑判決から減刑、無期懲役から特赦を受けました。

全斗煥大統領写真

○「ソウルの春」の鎮圧、金 大中 氏の逮捕、「光州事件」

 朴 大統領暗殺後、全国に、若者の民主化運動、労働者の労働運動が広がりました。この期間は「ソウルの春」と呼ばれますが、全 氏らは、これを1980年5月17日、戒厳司令部を断行して新軍部により鎮圧しました(5・17クーデター)。さらには、金 大中 氏ら有力政治家を逮捕、追放しました。これに反発していた光州での民主化要求デモを鎮圧するため陸軍の特殊部隊を送り、市民を多数虐殺し(光州事件)、その後、正式に大統領に就任しました。

○「ラングーン事件」

 1983年、ミャンマーのアウン・サン廟へ赴いた際、北朝鮮の工作員による全 大統領を狙ったラングーン爆弾テロ事件が発生しました。大統領自身は難を逃れたものの、外相ら21人の閣僚その他が死亡しました。

○ 日本からの経済援助

 1984年、戦後の韓国元首として初めて日本を訪れ、昭和天皇との晩餐会に臨むなど、日本と向き合う姿勢を強調しましたが、同時期に第一次教科書問題が発生、中国共産党に連携する形でこれを批判し日本からの経済援助を引き出しました。

○ 退任後 死刑判決

 1988年の退任後は、自ら財団を設置し院政を狙いましたが、利権介入などが発覚し親族が逮捕されるに至り、1988年11月23日には私財の国庫への献納と隠遁を表明しました。しかし、その後もクーデター、民主化弾圧や、光州事件での虐殺、不正蓄財への追及が止まず、死刑判決を受け、のちに無期懲役に減刑、さらには特赦を受けました。


◇ 第13代 盧 泰愚(ノ・テウ)大統領:1988-93年

 日本統治時代の大邱出身で、朝鮮戦争勃発に伴い入隊、陸軍士官学校で同期であった 全 斗煥 元大統領と、「5・17クーデター」、「光州事件」を首謀し、全 大統領の退任を受けて、16年ぶりに行われた民主的選挙で民主正義党から大統領に就任しました。退任後、政治資金隠匿が発覚、さらにクーデター、光州事件でも追及され軍刑法違反として懲役刑を受けますが、特赦されました。

盧泰愚 写真

○ 民主化宣言で大統領就任

 1987年、高まりつつある民主化要求に対し、次期大統領候補として「オリンピック終了後、然るべき手段で信を問う用意がある」と声明、「6・29民主化宣言」を発表し、金 泳三、金 大中 氏ら文民出身候補を抑えて大統領に選出されました。

○ 北方外交

 外交面で「北方外交」を提唱して共産圏との関係改善を目論み、1990年にソビエト連邦、1992年には中華人民共和国と国交を樹立しました。

○ 朝鮮統一問題

 1991年9月17日には朝鮮民主主義人民共和国との国際連合南北同時加盟を実現し、同1991年12月13日に南北基本合意書を締結しました。

○ 大統領退任後に懲役刑

 1993年の大統領退任後、1995年、政治資金の隠匿が発覚、さらに粛軍クーデター、光州事件でも追及され軍刑法違反として懲役刑を受け、1997年、特赦されました。


◇ 第14代 金 泳三(キム・ヨンサム)大統領:1993-98年

 慶尚南道出身、朴 正熙、全 斗煥 軍事政権を厳しく批判し、民主化を訴えて、反政府運動の指導者として弾圧を受けました。民主自由党、新韓国党、ハンナラ党と渡り歩き、1993年の大統領就任後、軍の改革と不正摘発を進め、盧、全 両大統領経験者を逮捕に導きました。外交面では、日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で強硬姿勢を取り、日本との関係が悪化しました。政権末期の1997年、「小統領」と呼ばれるほど権威を振り回した次男が業者から不正資金を受け取り逮捕、有罪判決を受けました。


◇ 第15代 金 大中(キム・デジュン)大統領:1998-2003年

 1950年代から故郷の南西部、全羅南道を地盤として政治活動を開始、軍事政権と対決し、激しい弾圧を受けながらも、民主化を訴えました。大統領就任後は北朝鮮に対する融和的な「太陽政策」を推進し、これが評価されノーベル平和賞を受賞しました。

○ 民主化運動で暗殺工作と拉致(金大中事件)

 運送業より政治家を志した当時より、李 承晩 大統領の独裁政治に反対する姿勢をとり、1971年、新民党からの大統領選挙では、現職の朴 正煕 氏に97万票差にまで迫り(朴 634万票、金 537万票)、以後、朴 大統領の政敵としてつけ狙われるようになりました。大統領選の直後には、交通事故を装った暗殺工作で股関節の障害を負い、。1973年8月8日、東京、ホテルグランドパレスで韓国中央情報部 (KCIA) の工作員に拉致され、神戸で殺害される寸前まで行きましたが、ソウルに返されて自宅で軟禁状態となりました。

○「民主救国宣言」で逮捕

 1976年、第4代大統領である尹 潽善 氏とともに「民主救国宣言」を発表するも逮捕され懲役刑を受けました。

○ 公民権回復後に再逮捕から死刑判決

 1979年、朴 正煕 大統領暗殺後の1980年、公民権を回復、政治活動を再開しましたが再逮捕となり、これが引き金となり光州で起きた民主化要求のデモが発生、軍部が武力鎮圧する、流血の大惨事となりました(光州事件)。金 氏は軍法会議にて一連の騒動の首謀者と認定され死刑判決を受け、1982年に無期懲役に減刑、同年12月、米国への出国(追放)を条件に刑の執行が停止されました。

○ 政治活動の再開と大統領就任

 1985年、米国より帰国、全 斗煥 大統領により政治活動が解禁され、1987年には再び公民権を回復しました。以後、2度の大統領選挙で敗北した後、1997年、民主党から出馬して大統領に選出されました。

○ アジア通貨危機を克服、日本文化の開放政策

 大統領就任直後、まずは、韓国を襲ったアジア通貨危機を克服し、日本に対して「未来志向的な関係発展」をうたう日韓共同宣言に 小渕 恵三 首相とともに署名、日本文化の開放政策も進めました。

○「太陽政策」でノーベル平和賞

 金 氏は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対しては「太陽政策」と称される緊張緩和政策を志向し、2000年6月、北朝鮮の首都 平壌で 金 正日 国防委員長との南北首脳会談が実現、「6.15南北共同宣言」を締結しました。南北首脳会談などが評価されて、ノーベル平和賞を受賞しました。これは2016年時点で韓国人唯一のノーベル賞受賞であります。

金 大中と金正日 写真

○ 対北送金疑惑

 「太陽政策」にはノーベル賞授与のための工作があったとの説があり、南北会談の実現のために 金 大中 大統領から現代グループを通じて4〜5億ドルが 金 正日国防委員長に渡していたとされます。これについては2004年、金 大中 氏自らが関与を認める発言をしており、2009年、氏の没後、金 大中 政権が発足当時からノーベル平和賞受賞のために組織的な「工作」を行っていたことや、北朝鮮に5億ドルを不法送金した内幕が暴露されております。


◇ 第16代 盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領:2003〜08年

 南部の慶尚南道金海市出身の弁護士、歴代の韓国大統領で最初の日本統治時代を経験していない世代の大統領です。北朝鮮に対する融和政策を進めましたが、韓国経済の低下で支持を失い、レームダック状態に陥り、また日本とは竹島問題で険悪な関係となりました。大統領選挙の不正資金疑惑があり、弾劾訴追にまで発展、一旦はこれが可決され、のちに棄却されております。大統領退任後、不正献金疑惑が持ち上がり、2009年、飛び降り自殺で他界しました(享年62歳)。

盧 武鉉 大統領 写真


◇ 第17代 李 明博(イ・ミョンバク)大統領:2008~13年
 大阪府出身、現代建設の社長、ソウル市長から大統領に就任した人物です。任期中、法人減税やウォン安政策を推進したほか、米国や欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)の締結など大企業優遇政策で輸出は伸びましたが、国民に恩恵は行き渡らず不満を残しました。強硬姿勢で臨んだ北朝鮮との関係は冷却し、竹島上陸で日韓関係も悪化しております。内政がうまくいかないと反日を煽って国民の目を日本に向けさせる傾向が強い大統領でありました。実兄が収賄の容疑で逮捕されており、李 氏も大統領退任後、土地の不正購入の疑惑を持たれております。


◇ 第18代 朴 槿恵(パク・クネ)大統領:2013年〜

 大邱出身で、父は 朴 正熙元 大統領、韓国史上初の女性大統領です。李 大統領から引き継ぐ形で、従軍慰安婦問題などでの反日姿勢、原則に基づいた対北朝鮮政策、アメリカや中国訪問の成果、国内における政治的な論争から一定の距離を置いたこと、などから国民の支持率が一時、63%にまで及びましたが、冒頭に申し上げた通り、12月9日、国会で弾劾訴追案が可決され、職務は停止となっております。


◇ まとめ:韓国歴代大統領の容疑/犯罪そして末路

 以下、韓国歴代大統領の容疑/犯罪そして末路をまとめました。特にコメントはありません。

韓国大統領の末路

関連記事
スポンサーサイト