アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

過去における出来事は記憶の中ですべて「幻(まぼろし)」


 半世紀も生きて参りますと、過去における様々な局面の記憶が蓄積して参りますし、こうした年齢になると様々なかたちの同窓会が催され、小、中、高、大学の学生時代に加えて、浪人時代、あるいは米国留学時代の同窓会に参加して、その時代その時代の出来事を、記憶の中から探り出して思い返す、そんな機会が多いこの数年であります。
 例えば、傷を負った記憶は「痛かった!」と言う記憶でしかありませんし、「寒かった」、「眠かった」あるいは「美味しかった!」もしかり、体感として得たものは、その時にそうであったと言うだけのことですが、心に響く出来事の記憶は、思い返す度にまたその当時と同じくらいに心に響くことがあります。辛かったこと、悔しかったこと、裏切られた気持ち、怒り、悲しみ、そうした記憶は、今、思い返しても胸を突き刺す憤りとして蘇ってくることはあり、逆に、嬉しかったこと、心からの感謝や感動、達成感、充実感を得た出来事の記憶は、時空を超えて、今もなお胸をじんと熱くし得ます。
 こうした今なお心に響く過去の出来事の記憶について、総じて思うことは、修正ができない、今となっては取り返しのつかない、失われた時間であり、もう一度、それを経験することも実感することもできない、言うなれば「幻(まぼろし)」のような感覚です。
 100人いれば100通り、1000人ならば1000通りの人生が有りそれぞれに出来事があって、そして記憶があるのですが、なるべく一般論としていろんな方面の出来事について「幻」となり得る事象を論じたいと思いました。


◇ 日常の情動から

 上でも申し上げた、喜怒哀楽の感情群=「情動」は、特別な出来事がなくとも、ふとした瞬間に人間の心に湧き上がって来ます。テレビやラジオ、読書、インターネットなどのメディアに接しただけで心が動かされたり、ちょっとした日常会話から不快感を覚えることもあれば豊かな気持ちにもなります。ちょっとした感動、興味、喜び、口惜しさ、悲しみ、憐れみなどがそれです。
 これらの情動のどれくらいの割合を記憶しているかは人それぞれだと思いますが、ある過去の瞬間における日常の情動が思い出されることはあって、これに対して、同じような感情を抱くこともあれば、今とってはなんとも思わない、「なぜあの時、あのように感じたのだろう?」と疑問に思うこともあります。過去の日常におけるつまらない情動であっても、その記憶は今更どうにもならない「幻」と思えます。


◇ スポーツにおいて

 プロとまではいかなくとも、多くの方が学生時代に部活動としてスポーツに打ち込んだ経験があると思います。学生時代の若くて純粋な心は、大いなる向上心を生み、それとは裏腹のプレッシャーもあるでしょう。成功や失敗に対して心は大きく揺れ動くものです。
 眼をつぶれば、瞼(まぶた)に焼き付いている光景があります。チームが勝利した瞬間、負けた時、己が思わぬ好プレーができた、あるいは大きな失敗を犯した、スポーツは筋書きのないものでありますから、様々な局面には、上でも触れた情動が後からついて来て、そして今、記憶を紐解いた時、また新たな感動が蘇ります。勝利による誇りや達成感、ホッとした気持ち、敗北による悲哀と挫折感しかり、細かい部分においても「なぜあのプレーができたのか?」の不思議、「なんであんな失敗をしてしまったのか?」との後悔など、スポーツにおける過去の記憶は、やはりこれも、動かしがたい「幻」であります。


◇ 勉学や仕事において

 現代の社会において、全く感情を入れず勉学や仕事をこなす人は少ないと思います。現行の学力社会の制度では、勉学の先には成績、試験の合否があり、今の社会は仕事の成否が業績や収入に影響を与えます。そうした環境において、やはり勉学、仕事の達成度が心の中の情動に置き換わって参ります。
 やはりここでも、過去の頑張った、あるいは逆に頑張ることができなかった、それが結果に繋がった、そうした記憶が蘇ってきた時、今から変更することはできない、そしてもう一度、あの頃の、情熱や達成感、あるいは逆に焦りや挫折を味合うことはできない、やはり「幻」を感じることはあります。


◇ 人間関係、恋愛と友情と

 過去のものが、今となっては動かしがたい、取り戻すことが困難である、記憶が「幻」と思える最たるものに人間関係があります。恋愛と友情を一緒に語るのは難しいかも知れませんが、死別、別離、心のすれ違いから、もう再び会うことのない人間関係、恋愛でも友情でもそれは同じ、誰でも少なからずあろうかと存じます。
 もう会えないわけではない人間関係であっても、過去のふれあいが、今ではもう失われた感情となってしまうことはしばしばです。「あの時は心が一つになっていた」、「お互いを大切に思っていた」、「意気投合した時があった」、これらはやはり過去の「幻」であり、今とっては取り返せないものであります。
 ビートルズのレノン・マッカートニー作(実際は ポール・マッカートニー 氏)の“Yesterday”と言う有名な曲の核心の部分を以下に挙げます。

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 Why she had to go I don't know, she wouldn't say.
 I said something wrong, now I long for yesterday.


 なぜ彼女は行かなければならなかったのか、私にはわからない、彼女は何も言おうとしなかった。
 私は何か(彼女を傷つける)悪いことを言ってしまったんだ。昨日が悔やまれてならない。
 (自己訳)

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 この主人公も、失われた恋人を想い、自分の犯してしまったことを憂いつつ、過去の記憶に「幻」を追っているのだと思います。


◇ あとがき

 最近は記事にしていませんが、私は、今なお、瞑想によるトランス状態のエクササイズを行っております。それは、過去の、あの時の自分に戻りたい、もう一度、あの時に直面したい、そんな気持ちから、過去の「幻」を追う作業であるとも言えますね。


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