アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

死にゆく患者の家族にしてあげられること


 友人と外科医になってまもない頃の話しをしていて、ふと忘れていた、偶然にも、患者家族の心に働きかけていたある行為を思い出しました。

 事故や、今回の熊本地震のような災害で肉親と死に別れることがあると、残された家族にとっては、突然の出来事でなかなか受け入れられない、後々まで尾を引く、ともすると後悔や自責の念にかられる場合もあろうかと存じます。それに比べて、病死、とりわけ悪性腫瘍による死は、発病、手術、化学療法、再発や終末期と言う過程を踏み、患者の弱りゆく姿を見ていますので、ある程度は心の準備ができると言うものです。
 しかしながら、その癌死であっても、家族にとって受け入れられない場合は時としてあります。西洋医学の外側にある様々な「代替統合医療」を希望される場合や、自宅で看取りたいとの希望が叶わぬ場合、私ども医療機関の人間に直接は言ってくることはなくとも、治療を受けた病院に対する不満がある場合もあるでしょうし、がんセンターなどのもっと高次の医療機関で治療を受けさせればよかった、重粒子やサイバーナイフのような先進医療があったはずだ、と言ったは考え方はあろうかと存じます。患者が亡くなり、家族はそのことで後悔したり、医療に疑問を持ったり、そういう感情では誰もが不幸のどん底であり、救われません。
 数え切れないほどの癌で亡くなる患者を診てきて、医学の無力を感じざるを得ないと同時に、亡くなられる患者に対して時として医療は何もしてあげられないことはありますが、残された家族には何かしてあげられることがあるかも知れないと思うようになります。


◇ 大学院を修了した直後

 私が医者となった約30年前は、その昔にあったインターン制度は終わりを告げ、初期研修医制度は始っていず、医局制度の全盛期でありました。大学卒業後、外科の教室に入局と同時に大学院に進学して4年で博士号を修得したところで、医局の命に従いローテードで関連病院に出ました。学位論文が成功したこともあって、症例の多い大きな病院に出させていただきました。

病院 写真0001

 20代後半、それまでの2年間は動物実験と論文書きで、臨床はたまにある外の病院の当直のバイトくらいでしたので、極めて医療、とりわけ外科手技に飢えておりました。なんとしても手術を覚えたい、上手になりたい、少しでも早く一人前になりたい、そういう気持ちが強い時期でありました。そして、そうなるためにどうすればいいかも十分、解っておりました。
 多くの「手に職を持つ」仕事ががそうだと思いますが、技術の向上には、机上での勉強や、少しでも先輩の術を盗み見て技術を学ぶのと同時に、先輩から手とり足とり教えてもらう、患者にデメリットが生じない範囲で手術をやさせていただくと言うことも不可欠であります。では、そうなるためにどうしたらいいか?、簡単なことです。先輩に可愛がられることが何より大事なんです。
 では、先輩に可愛がられるためにはどうしたら良いか? 「尊敬します!」、「ついて行きます!」、「頑張ります!」、「お願いします!」などと、お世辞や意欲、お願いを簡単に言う若者はいますが、そんな表面的な言葉では騙せない、態度で示すのが何よりも説得力があります。酒の付き合いが良いとか、絶対服従と言うのも一つの方法ですが、私は、出来る限り病院にいる、そのついでに受け持ち患者の死はすべてを看取ろうと決めました。

 手術手技を磨くために
  → 先輩に可愛がられるために

  ・出来る限り病院にいる
  ・受け持ち患者の死をすべて看取る


 それ相応な決意であったと思い出されます。


◇「患者の死をすべて看取る」を始めたものの

 私が勤めた病院は、外科は2班に分かれており、各々3,4人のドクターで構成され、患者はそのどちらかの班に振り分けられ、各班毎にグループで診療に当たる体制でありました。当然のごとく私はその班の中では一番若い下っ端でありました。
 外科の病棟の入院患者は、主として消化器の、周術期(手術前後の時期)の患者がほとんどで、胃癌だけで年間約200件に及びました。時には切除不能の進行癌で科学療法を行う人もいました。大学病院やがんセンターのように他院にお願いしませんし、緩和ケア病棟はありませんので、不幸にして再発した症例の終末期の医療も行っておりました。そうした病棟ですので、亡くなる患者のほとんどは癌死でありました。
 平日の日中であれば、患者が心肺停止しますと、手術中や外来に出ている以外の、手が空いている受け持ちのドクターが呼ばれて看取りますが、夜間休日には特別な決まりありませんでした。当直医にお願いする場合や、電話でコールしてもらう場合など様々で、自分が執刀したケースや、若い人など、患者に対する思い入れで左右される部分がありました。

 大学院を終えてローテードの病院に来たばかりの私には、自分が執刀した症例などあるはずもなく、死にゆく症例はすべて知らない患者でありました。でも、グループ診療で受け持ちとなり、しかも一番の下っ端ですので、亡くなる患者を看取る義務はなくとも権利はありました。「患者の死をすべて看取る」と決めた以上は、そろそろ血圧が下がり、尿量が減ってきた患者がいると、夜勤の看護師に「いつでも電話をください」とお願いしておりました。ポケベルも携帯電話のない時代ですので、自宅の枕元に電話機を置いて寝る毎日でありました。
 ところが、いくつかの取りこぼしがあって、「すべて看取る」とまではいかないケースがありました。看護師の方でうっかり当直医をコールしてしまったり、私の方で、熟睡しているなど、電話に出られない場合もありました。朝、ハタと目が覚めて、病院に電話したり急いで出勤すると、「明け方、当直の先生に看取っていただきました」と看護師から平然とした返事、、、。

 自宅待機では幾らかの取りこぼしがあり

 特に誰が悪いわけでもない普通の日常がそこにありましたが、研究生活で臨床から遠ざかっていて、手術手技に飢えていた私はそれでは我慢がなりませんでした。


◇ 看取りを予期して病院泊まり込みを開始

 「こんなことではいけない!」、「普通のことをしていてはいけない!」などと思った私は、癌の末期の患者がいよいよ最期か?、となると病院泊まり込みを図るようになりました。自分の机がある小さな医局とソファーがあって仮眠をとる全体医局の電話番号を伝えて、「病院に泊まっていますから」と看護師に伝えて待機しました。あらためて申し上げますが、あくまでも先輩に可愛がってもらって手術手技を向上させるのが目的でありました。逆を言えば、そういう目的が叶わぬのであれば、「病院泊まり込み」なんて絶対にしなかったと断言できます。

 あくまでも先輩に可愛がってもらって手術手技を向上させるのが目的

 さて、「病院泊まり込み」は非常に効果的で、当直医は必ずしも外科のドクターではありませんでしたし、非常勤の場合もありましたので、終末期の患者以外の件でも、私の受け持ちではない患者の件でも電話で相談をされ、よく診察にも行きました。日常だけでは得られない経験はありましたし、多くの看護師から頼りにされ信頼に繋がり、ちょっとした良い噂にもなって、外科医5年目の自分には快く感じられました。もちろん、先輩に可愛がってもらい手術症例が与えられる、と言う目的も、徐々にではありますが、叶いつつありました。
 
 看護師から頼りにされ信頼に繋がり、手術症例にも恵まれ

 ところが、ここでも問題が生じました。単純に言えば「己の身がもたない」と言う現実です。先輩から手術症例を与えていただき、日中はほとんど毎日が手術であり、その夜は看取りの患者のための「病院泊まり込み」では、毎日、心身ともにボロボロでありました。このあたり、少し込み入った話になりますが、手術と言うものは、助手と執刀ではその消耗度が随分と違いまして、例えば、胃切除術の助手が何日続いてもそれほど大変ではないのですが、胃切除術の執刀(オペレーター)が3日も続き、しかも1日に2件の日もあったりすると、心身ともに疲労は限界を超えました。もちろん、手術が上手ではないので時間もかかりましたし、自分が執刀した症例こそ自身がなくて心配にもなりました。

 手術の執刀と「病院泊まり込み」で己の身がもたない

 そんな日々を送っていますと、当然のごとく、心に浮かんで来るのは、患者が逝かない夜はなるべくなら自宅へ帰りたいと言う気持ちでありました。これまた臨床医としての未熟さ故なのですが、末期癌には違いなくとも、その患者が今日逝くのか明日なのか、その次なのか、その判定ができないために、今日も明日もその次も「病院泊まり込み」が必要となっておりました。どうにかならないものかと思案したりもしました。

 患者が逝かない夜はなるべくなら自宅へ帰りたい

 そうした日々を送っていた私が取った行動は、至極、当然の行為でありました。看取ると決めた患者を診に行くのです。夜の0時に診察して、2時にも診て、あまり違いが無いようなら帰宅しても大丈夫かと判定しました。自信がなければ4時の診察でも考えましたし、そのまま6時に診てもう朝を迎える事もしばしばでした。もちろん、患者が生き延びれば翌日も「深夜の2時、4時、6時診察」となりました。


◇「深夜の2時、4時、6時診察」が始まって

 この「深夜の2時、4時、6時診察」は素晴らしい経験でありました。あまり言葉は良くありませんが、末期の患者が死にゆく状態の変化を刻々と観ることで、臨床医としての客観的な眼を養うことができました。全く失敗なく、0時と2時で違いが無ければ帰宅できるようになりました。その翌日の0時と2時の状態から、この明け方に間違いなく逝かれるであろう、などと言う予測ができるようになりました。

 0時と2時で違いが無ければ帰宅できるように
 明け方に間違いなく逝かれるであろうと言う予測が可能に


 手術手技を習得したいし、そのためには受け持ち患者の死をすべて看取る、と決めて、でも自分の身も大切にしなければならない、苦肉の策ではありましたが、思うように機能して、継続することができました。


◇ 患者家族の心をつかむ

 「手術手技向上」などと、邪(よこしま)な思惑で始まった「患者の死をすべて看取る」であり、「病院泊まり込み」、ひいては「深夜の2時、4時、6時診察」でありましたが、それを始めた早い段階から患者家族の心境が痛いほど伝わって来ました。

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 深夜2時、末期癌の患者が待つ個室に小さなノックをして扉を開きますと、床にざこ寝状態の家族が、ある者は光に目を歪め、ある者はむくと起き上がり、「なぜこんな時間に?」と怪訝そうな目を私に向けてきて、患者の脈を取り、体温を感じ、胸の音を聴取する一挙手一投足に注目が集まります。0時の段階と2時とでいくらか違いがあるかどうかを、ナースステーションのモニターのみならず自らの五感で感じる作業でありますが、何も言葉を残さずに一礼して去って行く私の行為は、家族にとっては、もう死期が近いことを無言に伝える儀式でもありました。
 4時の診察、2時の時よりも起き上がって目を向ける家族が増えています。「先生が来たよ!」と寝ている家族を起こす声も聞こえます。2時と同じように患者の脈を取り、体温を感じ、胸の音を聴取して、皆に一礼して部屋を出る私に「どうでしょう?」と尋ねてくる家族はいません。深夜のこの時間に私が診察に来ること事態が患者の死が近いこと、おそらくはこの明け方であろうことを無言のままに伝えておりました。
 5時半、看護師からの電話を受けて、ナースステーションのモニターはフラット、ゆっくりと病室に向かう私の手には対光反射を見るペンライト、首には聴診器がかけてあり、死亡時刻を確認するための腕時計もして参ります。看護師とともに部屋に入った私を見た家族の表情は、驚くようでも、激しい悲しみに包まれるようでもない、「ついにこの時が来た」、患者の死を受け入れている患者家族がそこにいました。悲しみと、涙はありますが、不満や疑念、後悔の念などは取り去られた、安らかな感情が流れておりました。

 *****


 後日、このような最期を迎えた多くの患者の家族から言われたこと、それは、、、

 「深夜の最期まで看取っていただきありがとうございました」
 「こんな良い先生に看取ってもらってうちの人は幸せです」
 「あの世で感謝していると思います」
 「この病院にお願いして本当に良かったと思っています」


、、、と言う言葉がほとんどでありました。患者の家族は、もしかしたら、あの一晩で気持ちの整理がついて、患者の死を受け入れ、それを美化する形での納得の心境に達したようでした。私は、医学の限界を知りつつ、「深夜の2時、4時、6時診察」が始まった理由も知っていましたが、ただただ、「そうですね!」と申し上げて、患者家族の心をつかんだ実感と、そのままの状態であるように肯定的な相づちを打つのみでありました。


◇ あとがき

 正直に、本当に、手術手技を学びたい、先輩に可愛がられたい、その一心で始めた「患者の死をすべて看取る」から「深夜の2時、4時、6時診察」でありましたが、患者家族には、肉親の死を現実のものとして受け止める、そのきっかけを与えるものとなりました。そうしなければ大きく変わっていたかと言うとそうでもないと思いますが、死にゆく患者には何もしてあげられないのに、「うちの人は幸せです」、「あの世で感謝していると思います」と、家族は自らを慰める発想に行き着きます。そのことで、肉親の死による悲しみが和らぐような、「死にゆく患者の家族にしてあげられること」があったように思いました。

 多数の手術症例に恵まれ、多くの手術手技を習得した私がその病院を去る時が来た、その前日まで「深夜の2時、4時、6時診察」が続けられたことは言うまでもありません。もう、その時の目的は別のところにありました。


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 今、あの時の「受け持ち患者の死をすべて看取る」も、「看取りを予期して病院泊まり」も、もちろん「深夜の2時、4時、6時診察」も、個人的には原則的にはやっていません。もう肉体的には困難ですし、臨床初期研修医制度を経たドクターが増えて来て、私の育った環境とは違う若者が私の下に複数いるのが現状です。あの「深夜の2時、4時、6時診察」、心身ともに辛かったですが、そうした医療で「死にゆく患者の家族にしてあげられること」が可能であるならば、若者にある一定期間、経験させたいと思う次第です。




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