アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

琉球王朝の聖地 久高島と、神々と交信する祝女(ノロ)


 知る人ぞ知る、とてつもないパワースポットなのか?、あるいは宇宙の真理にも及ぶスピリチュアリズムに触れることが可能なのか?、「世界の名所」のカテゴリで沖縄、久高島および本島南部の斎場御嶽を勉強して、あくまでも客観的にご紹介いたします。もちろん訪れたことはないのですが、来月、ツアーに参加する予定で、実際に現地で取材して来ます。言うなればその予習であります。


◇ 久高島・斎場御嶽(セイファウタキ)の概要

 本論に入る前に呼び方でありますが、久高島は普通に「くだかじま」で良いのですけれど、斎場御嶽は「セイファウタキ」と読みます。このように随所に沖縄の言語が出てきますので、読み方を、現代日本語はひらがなで、沖縄の言語はカタカナで示すようにいたします。キー・ワードは以下の6つで、これらの沖縄言語については全てにおいて読み仮名をつけるようにいたします。

【久高島キー・ワード】
 久高島           =「くだかじま」
 クボー御嶽         =「クボーウタキ」
 斎場御嶽          =「セイファウタキ」
 三庫理           =「サングゥイ」
 海神            =「アマミキヨ」
 海の彼方のニライカナイ
 天空のオボツカグラ
 祝女            =「ノロ」
 神人            =「カミンチュ」
 おなり神信仰
 イザイホー


1.久高島・斎場御嶽(セイファウタキ)の地理

 久高島は、沖縄本島東南端に位置する知念岬の東海上5.3kmにある、周囲8.0kmの細長い島であります。北東から南西方向にかけて細長く、最高地点でも海抜17mと平坦な島であり、土質は島尻マージと呼ばれる赤土で保水力には乏しく、河沼はなく水源は雨水と湧き水を貯めるカーと呼ばれる井泉に依存しています。海岸沿いには珊瑚礁で出来た礁湖(イノー)が広がっております。
 これに対して、斎場御嶽(セイファウタキ)は久高島を望む沖縄本島南東部の岬の山間にあり、久高島までの距離は約6kmであります。

沖縄本島地図
沖縄本島

0沖縄本島南部地図2
沖縄本島南部

久高島航空写真01
久高島の航空写真

2.歴史:琉球王国と久高島、斎場御嶽(セイファウタキ)

 久高島、斎場御嶽(セイファウタキ)が歴史に記録されるようになったのは琉球王国時代からであります。この琉球王国とは、1429年から1879年の450年間、沖縄本島を中心に存在した王国で、正式名称は琉球國(りゅうきゅうこく、ルーチュークク)であります。最盛期には奄美群島と沖縄諸島および先島諸島までを統治しました。

 【先島諸島】
  ・宮古列島
    宮古島、池間島、大神島、来間島、伊良部島、下地島、多良間島、水納島
  ・八重山列島
    石垣島、竹富島、小浜島、黒島、新城島、西表島、鳩間島、由布島、波照間島、与那国島
  ・尖閣諸島
    魚釣島、久場島、大正島

 勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではありましたが、隣接する大国である明、清と鎖国政策の日本との間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たしました。1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入りましたが、対外的には独立した王国として存在し、中国大陸、日本の文化の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げました。1871年、明治政府は廃藩置県によって琉球王国の領土を鹿児島県の管轄としましたが、1872年には琉球藩を設置、琉球国王、尚泰を琉球藩王として華族に列しました。しかし、1879年、明治政府により琉球藩の廃止および沖縄県の設置がなされ、完全に日本に帰属することとなりました。

那覇首里城
那覇 首里城

 久高島は、琉球の創世神、海神(アマミキヨ)が天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話における聖地の島であります。琉球王国時代、国王が琉球神道における最高神女である祝女(ノロ)、聞得大君(きこえのおおきみ、チフィジン)を伴って島に渡り礼拝を行っておりましたが、後には斎場御嶽(セイファウタキ)から久高島を遙拝するようになりました。この斎場御嶽(セイファウタキ)は、前出の海神(アマミキヨ)が造った御嶽の1つと考えられており、久高島からの霊力(セジ)を最も集める、沖縄最高の霊地とされ、2000年12月には世界文化遺産に指定されております。

久高島01


◇ 琉球神話における久高島と斎場御嶽(セイファウタキ)

1.琉球神話の聖地としての久高島

 上述の如く、久高島は、琉球の創世神、海神(アマミキヨ)が天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話聖地の島であります。島内には御嶽(ウタキ)、拝み所(ウガンショ)、殿(トゥン)、井(カー)などの聖地が散在しており、中でも島中央西側にあるクボー御嶽(うぶうがみ、クボーウタキ)は久高島第一の聖域であり、琉球開びゃく神話にも登場する琉球の七大御嶽の一つであり、祖先の魂が宿る所とされています。昔から霊威(セジ)高い御嶽として、琉球王府からも大切にされてきました。奥にある円形広場はイザイホーやフバクワ行事などの祭祀場となっており、普段は草木一本ですら穫る事を許されない、人々にとって最高の聖域です。以前は男子禁制でありましたが、現在は、何人たりとも、出入りを禁じられております。
 久高島の道は、北東に進んでいくと白い一本道になり、最先端のカベール岬へと繋がっています。琉球神話で、沖縄の祖神である海神が初めて白馬の姿で降臨したとも伝わる聖地であります。壬の日には神がこの岬に白馬の姿で降り立ち、そのまま島の周りを巡視して回り帰っていくと言われていて、その馬を見るのはなぜか縁起が良くないと言われています。旧暦の2月、ヒータチといわれる豊漁祈願をする時には、神女達は白装束を着て集落からクボー御嶽を通り、カベール岬につくと神歌(ティルル)を歌い、その年も豊漁であるように祈ります。と言うように、この島ではもっとも神聖な場所の一つでもあります。

久高島略図
久高島簡易MAP

うぶうがみ写真
クボー御嶽(クボーウタキ)の入り口

カベール岬 写真
カベール岬

2.久高島巡礼で国王が立ち寄る最高の聖地、斎場御嶽(セイファウタキ)

 斎場御嶽(セイファウタキ)は15-16世紀の琉球王国、尚真王時代の御嶽であり、「セイファウタキ」の「セイファ」は「最高」の意味であり、沖縄本島最高の聖地とされました。久高島に巡礼する国王が立ち寄った御嶽であり、久高島からの霊力(セジ)を最も集める場所と考えられておりました。

斎場御嶽 写真
斎場御嶽(セイファウタキ)、三庫理(サングゥイ)

御嶽から望む久高島
斎場御嶽(セイファウタキ)、三庫理(サングゥイ)から眺む久高島


◇ 祝女(ノロ)制度

 久高島には、琉球王朝に作られた神女組織「祝女(ノロ)」制度を継承し、12年に一度行われる秘祭イザイホーを頂点とした祭事を行うなど、女性を守護神とする母性原理の精神文化を伝えております。祝女(ノロ)とは琉球王国の第二尚氏王朝の第三代国王、尚真王時代に制定された神職とされます。

1.琉球王朝の霊魂や他界についての信仰

 祝女(ノロ)の説明の前に、琉球王朝の信仰について軽く触れておきます。琉球王朝の信仰は以下に要約しましたアニミズム(animism)と祖霊信仰を基本とするものでありました。

 アニミズム:生物、無機物を問わず全ての物の中に霊魂または霊が宿っているという考え方
 祖霊信仰: 既に死んだ祖先が生きている者の生活に影響を与え得ると言う信仰に基づく宗教体系

 琉球王朝の信仰では、死後の世界として他界が存在し、それは海の彼方にあるニライカナイと、天空にあるオボツカグラの2つがあると考えられていました。

 死後の世界・他界:海の彼方のニライカナイと天空のオボツカグラ

 これらの他界にティダと呼ばれる太陽神をはじめとする多数の神がおり、また生者の魂も死後にニライカナイに渡って肉親の守護神になるとされました。こうした神々は、時を定めて現世を訪れて豊穣をもたらし、人々を災難から守護すると考えられております。
 久高島は海の彼方の他界、ニライカナイにつながる聖地であり、穀物がニライカナイからもたらされたと言われています。「琉球国由来記」(1713年)によりますと、島の東海岸にある伊敷(イシキ)浜に流れ着いた壷の中に五穀の種子が入っていたと記載されており、五穀発祥の地とされます。島の伝承では流れ着いたのは壷ではなく瓢箪であり、それをアカッチュミとシマリバという名の夫婦が拾ったともされます。
 こうした言い伝えから、年始に男子1人につき伊敷浜の石を三個拾い、お守りとして家に置き、年末に浜に戻す儀式があります。また、かつて琉球時代に執り行われた「麦の穂祭り」など多くの五穀発祥にまつわる祭祀が年中行事として現在も残っております。

2.おなり神信仰

 祝女(ノロ)制度と切っても切れない関係にあるのが「おなり神信仰」であります。古来、琉球では女性の霊力が強いと考えられており、「おなり神(おなりがみ)」または「をなり神(をなりがみ)」とは、妹(をなり、おなり、うない)が兄(えけり)を霊的に守護すると考え、妹の霊力を信仰する琉球の信仰であります。また、兄(男性)の守護者としての妹(男性の血族の女性)を神格化して呼称するものであります。

3.信仰における祝女(ノロ)の位置付け

 おなり神信仰が基本にあって、霊力が強いと考えられる女性、とりわけ祝女(ノロ)は海の彼方のニライカナイや天空のオボツカグラの神々と交信することのできる存在であり、また祭祀の間はその身に神を憑依し、神そのものになる存在とされております。そのため、祝女(ノロ)は神人(カミンチュ)とも呼ばれます。

ノロ写真
昭和初期のノロ

3.イザイホー

 久高島のクボー御嶽(クボーウタキ)内で、12年に1度、午(うま)年の旧暦11月15日からの6日間に行われる、島の30歳から41歳までの既婚女性が神人(カミンチュ)=祝女(ノロ)の地位につくための儀礼をイザイホーと言います。基本的にその要件を満たす全ての女性がこの儀礼を通過することになっております。
 儀式の観念は、ニルヤカナヤ(ニライカナイと同様の他界概念の久高島での呼称)からの来訪神を迎え、新しい神人(カミンチュ)=祝女(ノロ)をその神々に認証してもらい、島から去る来訪神を送るというものであります。この儀式より神人(カミンチュ)=祝女(ノロ)となった女性は、一人前の女性として認められ、家族を加護する神的な力を得るとされます。
 ただし、このイザイホーは、後継者の不足のために1978年に行われた後、1990年、2002年、2014年は行われておりません。

1954年に行われたイザイボー
1954年に行われたイザイボー


◇ おわりに

 知るひとぞ知る、日本の最後の聖地とも言われる久高島と祝女(ノロ)の制度を軽くご紹介しました。久高島は自然に囲まれた美しい島ではありますが、ある少数民族の信仰に基づくシャーマニズムでは方付けられないスピリチュアリズムがこの地にはあるのかも知れません。
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