アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

「ある女子高生の事故死が東北大病院を変えた」とする記事から


 救命救急医療の現場を垣間見る、本日の、ある記事を見つけましたので、供覧、ご紹介し、私見を申したいと存じます。それは1999年6月23日の出来事から、、、。

救急救命の碑の記事

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女子高生の死 反省胸に

救命救急の碑(2004年)

 東北大病院の正門前にそびえる高さ約3メートルの救命救急の碑。元病院長の山田章吾(67)は碑を建てるきっかけになった16年前の事故を一日たりとも忘れたことはない。

 1999年6月23日午後6時35分頃、病院正門前の歩道で自転車に乗っていた宮城一女高(現・宮城一高)2年の女子生徒(当時16歳)がバランスを崩して車道に倒れ、後ろからきた市バスにひかれた。「痛いよ」。苦渋の表情を浮かべていた。
 居合わせた誰もが、目の前にある東北最大の医療機関に搬送されると思った。ところが、女子生徒を乗せた救急車が向かったのは、約3キロ離れた別の病院だった。当時、東北大病院に救急部はあったが、現在の高度救命救急センターのように常時患者を受け入れていなかった。診療は夜間や休日に限られていた。
 研究第一主義を掲げ、不測の患者に対応する救急医療は研究の妨げになる。そんな意識が大学側にあったのかもしれない。女子生徒は約3時間後、息を引き取った。

 「行ってきます」。朝、いつものように元気に家を出た娘がベッドで人工呼吸を受けていた。女子生徒の母(59)は搬送先の病院に駆けつけた瞬間、腰から崩れ落ちた。娘の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 新体操部の練習が終わり帰宅すると、リビングで片方の足を持ち上げて、クルクルと回った。「見て見て」。愛くるしい姿を父(61)は今も忘れられない。
 「目の前の大病院に運んでくれれば、娘は助かったのではないか」。そんな思いが、母の頭を行ったり来たりした。夫とともに精神科に通い、安定剤をのんだ。

 どん底にあった家族を救ってくれたのは、事故現場に供えられた花だった。

女子生徒が亡くなった現場の花
女子生徒が亡くなった現場には今も花が供えられている(8日)

 事故から4年後の2003年、両親は東北大病院に呼ばれた。病院長室で「助けてあげられず、申し訳ありませんでした」と頭を下げたのは、その前年に病院長に就任していた山田だった。山田を含めた3人の目から涙があふれ出た。
 山田が病院長になって最優先課題としたのは救急医療の充実だった。専門はがんの放射線治療で門外漢だったが、事故現場に絶えることなく手向けられる花を見て、碑を建てることに決めた。
 04年4月の除幕式で、山田は「救急医療に対する東北大病院の決意を示すものだ」と述べた。「目の前で倒れた人に手を差し伸べることができなかった。ここで医療に携わる者は、その反省をずっと胸にとどめてほしい」と願いを込めた。

救命救急の碑の前に立つ山田さん
救命救急の碑の前に立つ山田さん。「患者を第一に考える医療を続けてほしい」と後輩たちに注文した(8日、仙台市で)

 06年、院内に開設された高度救命救急センターには、東日本大震災の際、80人を超える患者がヘリで搬送されるなど、多くの命を救った。女子生徒が生きた年月と同じ16年が過ぎ、母は言う。「そのきっかけを作ったのは娘だった。今はこう自らを納得させているんです。娘は、このために生まれてくれたんだなって」             

 高度救命救急センター:救急患者を24時間体制で診療する。通常の救急救命センターでは治療が難しい、広範囲のやけどや指の切断、急性薬物中毒など重症患者にも対応する。専任医師は約30人。専用ベッドが20床以上あり、屋上にヘリポートを備える。

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 私は東北大学ではありませんが、1999年当時は、米国留学から大学病院に帰って来て間もない頃で、確かに日本の、とりわけ地方の大学病院で救命救急医療は激しく遅れておりました。私の大学も救急部はありましたが、そこの専任の医師は1人のみで、各科から交代で当直医を出しており、救急部の当直と言えば、まったく何も来ない「寝当直」でありました。救急部があることを知ってか知らずか?、救急隊は大学病院にはまったく目もくれない、と言う状況でした。それこそ、私のいた大学病院も、目の前で事故に遭われた患者が搬送されることは無かったと思います。
 記事の中に「研究第一主義を掲げ、不測の患者に対応する救急医療は研究の妨げになる」との文章がありますが、研究とかその妨げとか言う以前に、救急医療を専門とする医師が大学にはほとんどいなかったと言うのが本当のところです。救急をやる体制でもなかったと言うのも否めません。例えば緊急のCTを撮る場合にいちいち放射線科に頼診券でコンサルトを立てなければいけないとか、緊急内視鏡をするにしても光学診療部所属の医師、看護師でなければ内視鏡に触ることはできないなどと、大凡、緊急でなにかをするには向かない煩雑なシステムが大学にはありました。
 現在は、ほとんどの大学病院が救命救急医療に力を入れておりますし、そうした分野に身を投ずる医師が増加しております。事故や銃に伴う外傷が少ない本邦においても、遅まきながら、救命救急医療に対する学問が確立されつつあると思います。この傾向は東北大病院に限ったものではない、全国的な流れとなっております。

 1つ大きな問題をご紹介しますと、救命救急部を兼ね備えた大学病院や大病院以外の、中規模の病院で救急をうたっている施設が少なくありません。救急車をタクシー代わりに使う軽症なケースもありますが、多くの救急車はそのまま入院につながりますので、病院の収益になります。それゆえ、設備が整っていず、心臓血管外科や脳外科、救命救急などの専門医がいないにも関わらず、救急車は全例、受けるように厳しくしている病院があります。
 毎月、「救急車受け入れ率」と言うのが算出されて、限りなく100%に近づくよう心がけて、それでいて、その内情は受けた患者に適切な診療はできずに他所へ紹介したり、ひどい時は受け入れだけして、手に負えないからそのまま転送となったりします。そういうのを「救急隊のたらい回し」などと言って、現在でも大きな問題となっております。これもお恥ずかしい、医療の歪みであります。

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