アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

医学の無力に憤る! 故 黒木 奈々 さん「未来のことは未来の私にまかせよう」


 ある文庫本のご紹介です。実は、読んで直ぐの段階では、必ず読後感想を文章にしようと思っていたのですが、どう解釈したものか?、どう表現したらいいのか?、例えば、若い女性に対する、ただの興味本位な気持ちではないか?、ブログ文章のネタのような発想はないか?、そんな自問自答が心の中で生じました。ここでご紹介する意味はどこにあるのか?、と言う疑問も起こりました。そうした自分の気持ちに真っ直ぐ問いかけたところ、それは題名の通り、「憤り」こそが偽らざる心境でありました。まずは、あるニュースを2つほど閲覧いただきます。

黒木奈々03

 国際報道での黒木奈々さん YouTYube映像


◇ 黒木 奈々 アナ32歳で死去 復帰願い叶わず

 先々月の2015年9月19日の記事であります。胃がんの手術後、アナウンサーとしての復帰を目指して闘病していたフリーアナウンサーで、NHK BS1「国際報道2015」でキャスターを勤めた、黒木 奈々さん(享年32歳)が2015年9月19日午前2時55分、胃がんにて永眠されたとの記事です。

黒木死去のニュース

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 黒木奈々アナ32歳で死去 復帰願い叶わず 

 昨年9月に胃がんを公表し、闘病中だったフリーアナウンサー・黒木奈々さんが19日午前2時55分、都内の自宅で亡くなった。32歳だった。所属事務所が同日、マスコミ各社にファクスで伝えた。通院しながら週1回出演していたNHK BS1「国際報道2015」を7月13日を最後に休養。1カ月ほど前から入院し、治療を続けていたが、復帰への願い叶わず、帰らぬ人となった。

 関係者によると、最期を看取ったのは両親。入院中も見舞いに行き、最近もメールなどでやりとりを続けていた事務所スタッフによると、「いつか良くなって復帰したいと思っていました。秋にも…10月からは無理かもしれませんが、再度治療を続けながら、復帰を目指していました。もう一度、あの場所に…スタジオに帰りたかったと思います」と無念の思いを代弁した。 がんに冒されてもなお、キャスターという仕事に熱き想いを抱き続けていたという。

 黒木さんは昨年4月から「国際報道2014」で長年の夢だった報道番組のキャスターになった。しかし、同7月末に胃潰瘍の治療を受けた後の検査で、胃がんが見つかり、無念の休業。9月10日にHPで「告知を受けた当初はあまりのショックで言葉も出ませんでしたが、今は、まずは闘い抜くこと、生きることだけを考えて、日々過ごしています」と胃がんを公表。9月下旬に全摘出手術を受けた。その後は入退院を繰り返しながら、基本的には自宅から通院の形で、治療を続けていた。
 今年1月4日放送の同局「国際報道2015」に生出演。4カ月ぶりにテレビ復帰を果たし、3月末からは毎週月曜の限定ではあるが、同番組に復帰し、レギュラー出演していた。しかし体調が再び悪化。7月13日が最後の出演となった。

 鹿児島県出身。上智大学外国語学部フランス語学科卒業後、毎日放送(MBS)に入社。報道局記者を経て07年2月に退社し、フリーに転身した。

 通夜は22日午後6時から、葬儀・告別式は23日午前10時から、ともに東京都港区南青山2丁目33の20、青山葬儀所で営まれる。喪主は父・黒木幹宏氏。

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 このニュースを観た時、「ああ、そう言えば若い女子アナウンサーが胃がんになったって聞いたことがあったな!、それにしてもつい最近の出来事だったような!?」と暗い気持ちと、少しびっくりした感覚がありました。その、ずいぶんと最近の出来事とした記事が次です。


◇ 黒木 奈々 胃がん告知に涙止まらず…闘病決意「必ず病気に打ち勝つ」

 こちらが昨年、黒木 奈々さんが胃がんを公表した2014年9月10日の記事であります。彼女は2014年07月27日午後7時すぎ、ワインバーでの突然の心窩部痛で発症、救急搬送先の病院で胃潰瘍の穿孔(穴が開くこと)と診断され、入院、外科的治療は行わず、10日ほどの保存治療で軽快退院となりました。郷里、鹿児島での静養後、08月16日よりNHK「国際報道2014」の仕事に復帰、08月25日には救急病院にて胃カメラの検査が行われ、潰瘍性病変は軽快しているものの、同部の生検の結果、胃がんの診断が得られた模様です。

黒木胃がんのニュース

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 黒木奈々 胃がん告知に涙止まらず…闘病決意「必ず病気に打ち勝つ」

 胃がんと診断されたNHK BS1「国際報道2014」(月~金曜後10・00)の黒木奈々キャスター(31)が10日、所属事務所の公式サイトでコメントを発表。「あまりに突然のことで、当初は悔しくて、悔しくて、毎日涙が止まりませんでした」と告知にショックを受けながらも「必ず病気に打ち勝ち、皆さまの前に戻れる日が来るよう頑張りますので、どうか温かく見守っていただけると幸いです」と闘病へ強い決意を示した。

 7月末、胃潰瘍穿孔の診断。その後、経過を見る検査の結果、胃がんと判明した。「応援してくださっている皆さまや関係者の方々に、何もご報告もご挨拶もできないまま」8月27日のオンエアを最後に番組を休んだ。

 「今回の件で、たくさんの方々にご心配、そして多大なるご迷惑をおかけしてしまったこと、本当に申し訳なく思っております。それと同時に、多くの方々の優しさに触れ、心の底から感謝する毎日です」

 「告知を受けた当初はあまりのショックで言葉も出ませんでしたが、今はまずは闘い抜くこと、生きることだけを考えて、日々過ごしています」と前を向く。「今、私は同じ病気を経験された方々が社会復帰されている姿を拝見し、日々励まされています。今度は私の番だと思って、必ず病気に打ち勝ち、皆さまの前に戻れる日が来るよう頑張りますので、どうか温かく見守っていただけると幸いです」と力強く復帰を誓った。

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 この記事が出る直前の9月5日、彼女は有明のがん研有明病院にセカンド・オピニオン目的で受診し、当初は早期がんとの説明を受けました。しかし、8日の胃カメラ再検後、早期がんではなく、スキルス胃がんであり、リンパ節郭清を含む胃全摘術が必要との説明を受け、大変なショックと悲しみに包まれた、そんな状況での9月10日の公表だったわけです。


◇ 故 黒木 奈々 さんの略歴

 彼女の著書をご案内する前に、その文中でも自己紹介されている彼女の略歴を、謹んでご紹介いたします。

1.出身・学歴

 1982年(昭和57年)11月12日、生まれで鹿児島県鹿児島市の出身です。中学では軟式テニス、鹿児島県立鶴丸高等学校では硬式テニス部に所属してキャプテンを務めました。小学生時代からアナウンサーを目指していたそうで、子供の時からの夢に向かって、女性アナウンサーを多く輩出している上智大学外国語学部フランス語学科に入学し、在学中にフランスのグルノーブル政治学院に1年間の留学をしています。

2.卒後就職と転職

 大学進学直後よりフジテレビのアナウンススクールに通っていましたが、卒業時のアナウンサー採用試験は在京キー局、地方局のすべてに落ち、報道記者枠で大阪の毎日放送(MBS)へ入社しました。報道局ニュースセンター所属の報道記者として勤務したものの、フリー・キャスターを目指して翌年、同局を退社して上京、「TBSニュースバード」のオーディションを受けて合格、2007年04月よりクリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA、現在のキャスト・プラス)に移籍すると同時にTBSニュースバードのニュース・キャスターとなりました。同番組では「ドクター月尾 地球の方程式」の2代目の聞き手役も務めるほか、2009年04月から半年間は早朝から午前7時台を担当しました。また、同局のキャスター汾陽 麻衣 さんとは同郷であり親友となりました。

3.セント・フォースに移籍とNHK「国際報道2014」

 2010年03月にCMAを退社、同年08月にセント・フォースに移籍しましたが、TBSニュースバードには2011年3月まで出演していました。2011年04月からは「ワールドWaveトゥナイト」(NHK BS1)サブキャスターを任され、いよいよ、2014年03月31日にNHK「際報道2014」のメインキャスターに就任しました。まさに、ニュース・キャスターと言う夢を現実のものとして、最も人生で輝いていた昨年の序盤でしたが、7月の発病以来、苦しい闘病の日々が始まったのでした。


◇ 黒木 奈々 著「未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター」

 本を紹介するにあたり、著作権に抵触しないよう、極力、本文の引用は避けたいと思います。なるべく、私の感じたこと、推測を優先して、本文については文章に変化を加えたかたちになります。まずは、故 黒木 さん自らがその著書をPRしている映像を見つけましたので、これを供覧いたします。
 本年3月26日に文藝春秋より、単行本「­未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター」が刊行されるのに先立ち、3月23日、故 黒木 さんより、本に込めた思いや読者へのメッセージを伝えています。

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 「NHKBS1『国際報道2015』キャスター黒木奈々さん がん闘病で揺れ動く気持ちを綴った手記を刊行」YouTube

第一章 発症から手術まで

 上で申し上げました、2014年07月27日午後7時すぎ、ワインバーで旧友との飲み会に及んだ際に突然の激痛に襲われ、救急搬送された病院で胃潰瘍の穿孔と診断されました。手術は行われず、保存的治療にて軽快した彼女に、さらに襲いかかったのは、その潰瘍性病変の「がん」との診断でした。発病で休養していた職場に復帰し、キャスターとして番組のオンエアを終えたところで、テレビ局の廊下で父親から「悪性」との報告を受けた時の衝撃的な心境、職場の同僚や家族との絶望的な会話、わずかな希望と周囲の優しさが端的に表現されています。私事、日常の臨床で、これまでの数え切れないほどの悪性の告知に対して、様々な反応を見て参りましたが、医者の前で見せる反応と、私生活での姿は大きく異なることを改めて知らされました。

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 その後、彼女とご家族はセカンド・オピニオンを求めて、がん研有明病院を受診しました。ここでは、同業者として、若干の疑問と不満を感じました。担当のドクターより、おそらくは早期がんであること、スキルス(「硬がん」とも言われます)ではない、「ご家族で乾杯していいですよ!」との説明がなされます。故 黒木 さんとそのご家族は、安堵する気持ち、大きな希望を得た日でありました。
 しかし、若い女性の胃がんであれば、細胞の分化度の低いスキルスの可能性は高く、しかも穿孔しているわけですから、進達度は漿膜に達しており、早期がんはあり得ないのが常識です。患者、家族を安心させたい気持ちはあったでしょうが、小説の文章の通りであれば、ちょっと楽観視が過ぎる印象はあります。
 その後の検査で、彼女とご家族は進行がんであり、開腹胃全摘術の必要性、術後化学療法(抗がん剤のこと)の可能性を説明され、再度、慟哭に陥ることになります。小説の中で、彼女自身、「なんてついらい1日だったことか」と述べております。悪性の病状説明において、その進行度が大きく変わるのは好ましくありません。常に、客観的姿勢で、ありのままをご説明したいものです。あまり、本人、家族の心理状態を大きく揺り動かしたくない、と言うのが本音です。
 そうした折、彼女は「心に響いた友人からのメール」を受け取ります。彼女が最も感銘を受けたのは、本の題名にもなった、、、

 「未来のことは未来の奈々(私)にまかせれば大丈夫だよ」

 、、、との言葉だったようです。がんに限らず、命に関わる病気、自分の将来に限界を知った瞬間、人は未来を憂う気持ちになります。でも、目の前に手術や化学療法を控えた時、自分の未来のことを考える余裕はありません。「未来のことは未来の自分にまかせよう」と言うのは、二つの意味があると思います。1つは、「未来を憂うことでふさぎこんだり暗い気持ちになるのは止めよう!」、と言う逃避的な発想と、今1つは、「未来のことは未来に考えるとして、今を精一杯生きよう!」と言う、現在に対する積極的な姿勢です。

胃がんを告白する黒木キャスター

 9月19日、彼女の手術は審査腹腔鏡を先行させて、開腹術へ移行となったとされます。これは、スキルス胃がんの場合、転移形式としても最も多いのが腹膜播種と言って、がん細胞が腹腔内に散布された状態であるため、その有無を腹腔鏡で観察し、播種があれば手術は終了、胃切除術は行わずに化学療法、播種が認められなければ根治術に行くと言うシステムです。ただ、彼女の場合は、腫瘍部分が穿孔を来しましたので、その近傍への播種が最も考えられるのですが、保存的に軽快する過程において、穿孔部が腹膜や大網に覆われて、鏡視下観察が困難であった可能性はあると思われます。

第二章 自叙伝

 故 黒木 さんの自叙伝となっている章です。暖かい家庭に恵まれ、一本気だけれど心配性の父親や、乳がんになって手術、化学療法、放射線治療を経験した我慢強い母親、優しいお兄さんのことが描写されております。小学生からアナウンサーに憧れていましたが、中学で「アンカーウーマン」と言う映画の、ある女性が田舎から苦学して夢の階段を駆け上がりテレビキャスターとなったサクセス・ストーリーを観て、いよいよ将来は決定的になったと述べております。高校受験前で、志望する高校が決まる前から、多くの女子アナウンサーが卒業した上智大学への進学を決めたとのこと、真の太い女の子だったように思います。

黒木奈々 テニス

アンカーウーマンDVD

 2001年、上智大学フランス語学科に入学して、フジテレビのアナウンストレーニングの学校に通い、アルバイトをして、精一杯に頑張っている大学時代を紹介しています。そして、フランス、グルノーブル政治学院への1年間の留学で、多くの経験をし、政治学を勉強して、それがキャスターとして国際問題を伝えたいと思うようになったきっかけであると説明しています。そして、この留学を機に、発病してワインバーで倒れた時に一緒だった、一生の友達をたくさん得たこと書かれております。
 彼女の上智大学卒業後の就職活動はアナウンサー採用試験だけでありました。ところが、どういう仕組みなのか?、理由が解らぬまま、全くうまく行きませんでした。特に「どうしてアナウンサーになりたいのか?」と言う面接の質問に苦慮したことを明かしています。結局、全国を駆けずり回って熊本の民放局で採用された以外は全滅でありましたが、報道記者からニュース・キャスターへの道を考え、大阪毎日放送の報道記者としての採用を受けました。
 しかし、彼女の「自分のアナウンサーとしての自分を試してみたい!」と言う思いは強く、しかも日に日に強固ちなって行き、ついには入社から1年保たずに大阪毎日放送を退職、フリー・アナウンサーを目指すべく上京、「TBSニュース・バード」のオーディションを受けました。結果は見事に合格、意志の強さ、行動力、そした彼女の内に秘める力が感じられる章です。

ニュースバード時代の黒木奈々さん
TBSニュースバード時代

汾陽麻衣と黒木奈々
TBSニュースバード時代、汾陽 麻衣 さんと

 TBSニュース・バードで3年を過ごして充実した毎日を送れたこと、恋愛もし、良い相手に出会えたけれど、仕事を優先したいと思ったことを告げたところで、いよいよ国際報道への道が開けたことに話しが移ります。2011年、NHKの国際ニュース番組のキャスターのオーディションを受け、「ワールドWaveトゥナイト」のサブキャスターに合格しました。大喜びする彼女の笑顔が目に浮かぶようです。
 そしてついに、2014年4月より、「ワールドWaveトゥナイト」が改編されて、「国際報道2014」メインキャスターに抜擢されます。小さい頃からの夢を実現した、まさに「引き寄せた」、そんな人生であり、「そういう人は強い!」、そう思わせる人物だったと思います。

第三章 抗がん剤と格闘

 再び闘病生活の話しです。術後早期の激しい疼痛や、胃全摘後の食生活における苦しみが、ひしひしと伝わって来る章です。そんな中、痛み止めを我慢するとか、廊下を少しずつ長く歩くと言った、身近なところで努力する姿を描写しています。よほどご高齢な方とか、激しい合併症がある患者でない限り、胃全摘後の経過は概ね順調であり、それが30代前半の女性であればなおさらと思われますが、彼女の術後の喜怒哀楽を見るにつけ、改めて臨床心理を考えさせられました。
 9月19日の手術から2週間とちょっと、10月5日に退院、自宅生活でのリハビリが始まった故 黒木 さんですが、退院後初めての外食で、以前のように食べられなくなった自分に悲観して号泣するなど、デデリケートな心理状態を紹介しています。そんな折、彼女は、自分の胃がんの進行度がステージIIIであることを知り、主治医からは今後の5年間での再発率が60〜70%に及び、特に最初の2年までが非常にリスクが高いことが説明され、そして、「抗がん剤を100%勧めます」との言葉を受けました。
 再発予防としての抗がん剤に、がん研有明病院からの提案は、TS1(ティー・エス・ワン)の経口投与とシスプラチンの点滴とのことでした。分子標的薬(胃がんではトラスツズマブ [ハーセプチン] )は、彼女の場合は標的となるHER2蛋白が陰性のため使用されないとのことでした。TS1もシスプラチンも、いずれも骨髄抑制や食欲不振などの一般的な副作用がありますが、とりわけTS1は色素沈着が顕著であり、油断すると顔や指の日焼けが著明になります。また、シスプラチンは吐き気が強く、腎障害もありますので、点滴が必要な薬剤であり、短期の入院でやられるのが一般です。色素沈着も吐き気も入院も、若い女性で胃全摘後、職場復帰を目指す患者には極めて酷なレジメンだと思いますが、現代の医療では最良の選択であることは確かです。
 自分の厳しい生命予後を知らされ、しかも抗がん剤治療の過酷な内容を前にして、激しく動揺する気持ちと、「絶対嫌だ!、負けたくない。悔しい。打ち負かしていみせる!」との固い意志も伺われます。人間は弱くもあり、強くもある、そう感じる彼女の文章でありました。10月28日、TS1が処方され、主として食欲不振の副作用に苦しみながら4週間の内服、2週間の休薬後、12月16日からのシスプラチン投与の入院を控えたところで章を閉じております。

第四章 1月4日のNHK総合「国際報道2015」特番を目指して

 入院でのシスプラチン投与を控えた彼女には、すでに、普段はBS1で放映している国際報道が年明けの1月4日、1日だけ、NHK総合で特番として放送されることが伝えられておりました。最終章では、その特番での復帰を目指す彼女の、シスプラチン副作用との壮絶な戦いが描写されております。

 「なんでこんなついらい思いをしないといけないの」

 シスプラチン投与中の彼女の言葉です。私は数え切れないほどの患者にTS1とシスプラチンを投与してきて、TS1は良い薬だと思いますが、白金製剤であるシスプラチンはすごく嫌いな薬です。入院で大量の輸液を必要として、強い吐き気の副作用は患者の心を折れさせます。吐き気があるだけではなく、味覚が失われるので食べ物の味が分かりません。32歳の若年胃がん患者に対する治療として、つい昨年の今頃に選択された化学療法ですので、これが現代の最先端の医療と言うことになります。ただ、大腸がんに認可されている同じ白金製剤で副作用の少ないエルプラットが胃がんにも適応が通りますので、今後は彼女のように苦しむ患者は少なくなるかと思います。
 入院から8日目に自宅へと帰っても食欲はなく、味覚障害は遷延していることが述べられています。恐らくはシスプラチン100 mgを1回のみ短時間で静注しただけどと思いますが、改めて壮絶な副作用だと思います。
 そんな状況が続いた、シスプラチン投与から10日目、12月26日、やっと元気になってきたと言っています。そして、退院後初めて外出し、NHKに対して「4日の特番に出演します」と報告を入れました。
小さい頃から夢見て、一度は掴んだニュース・キャスターのポジションへの復帰する、その強い意志が、厳しい予後を聞かされても、そんな「未来のことは未来の自分にまかせる」ことによって、辛い抗がん剤治療をも乗り越えて来たのが伝わって来ます。

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 小説は、彼女が無事、1月4日のNHK総合の特番への出演を勤めて、来たるべき2回目のシスプラチン投与んに向かう段階で、「昨日、オンエアが終わった時、決意を新たにした。必ずがんを直して、この場に戻ってくる…」、と表明して終わっております。日記はまだまだ続いたと推測されますが、1月4日の特番を目指して抗がん剤との戦いに勝った、1つの段階を超えた心境で、発刊することとなったのでしょう。
 この小説のテーマとして、働く女性が、突然「がん」と宣告された時、どうアドバイスするか、と言うことが掲げられております。題名のごとく、故 黒木 奈々 さんは「未来のことは未来のアナタにまかせてください。今を一生懸命に生きてください」とメッセージを残しました。


◇ その後

 その後の故 黒木 さん、本年、2015年3月30日より、治療を継続しつつ、当面は毎週月曜日に限定する形でNHK BS1「国際報道2015」のキャスターに復帰しましたが、7月27日の放送から再び出演を取り止めており、その後8月31日の放送で正式に休養入りする事が発表されました。その後は報道の通りでありますが、公になった彼女の最後の言葉が、「初めて漏らした弱音」として報道されております。

黒木さん死去に際しての同僚の話 記事

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32歳で死去した黒木奈々さんが、初めて漏らした弱音…通夜で同僚明かす

 昨年9月に胃がんの手術を受け、闘病中の19日に32歳の若さで亡くなったフリーアナウンサーの黒木奈々(くろき・なな)さんの通夜が22日、東京・青山葬儀所で営まれた。親交のあった気象予報士の真壁京子さん(47)やフリーアナウンサーの江連裕子(38)らが参列。最後まで仕事復帰を目指していた黒木さんとの早すぎる別れを惜しんだ。葬儀・告別式は23日に同所で営まれる。

 青山葬儀所が涙に包まれた。通夜には黒木さんと同じ芸能プロダクションに所属する真壁さんや江連アナ、フリーアナウンサーの中田有紀(42)のほか、仕事関係者、友人などが多数参列した。

 祭壇は遺族の意向で報道陣には公開されなかったが、関係者によると、ピンクのバラなど色とりどりの花で彩られた。遺影は3月に著書「未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター」を出版した際に撮影されたもの。やさしくほほ笑む姿が参列者の涙を誘った。ファン向けの待機所に遺影と同じ写真が用意され、花を供える人の姿もあった。

 今月2日にメールを送ったという江連アナは「頑張っても頑張っても次から次に大きい壁が来て、疲れちゃった。でも小さな幸せや楽しみを見つけようとしています」と返信があったことを明かした。「初めて聞いた弱音でした…」。14日に送ったメッセージは読まれた形跡があったが、返信がなく、心配していた矢先の訃報だったという。「奈々ちゃんは最後まで気丈で、病気に打ち勝つと常に思っていた。番組に戻るという強い意志を持っていたと思います」と声を震わせた。

 落ち着いたら食事をしようと約束していたという真壁さんは「『神様って残酷だよ、なんでこんなに早く逝っちゃったの』って…。奈々ちゃんが一番悔しいと思う。奈々ちゃんの分も私たちが頑張っていかないといけない」と涙を拭った。所属事務所の広報担当者は「とにかく最後まであきらめずに『必ず治してもう一度スタジオに立つんだ』という気持ちがありました」と振り返り、無念の胸中を思いやった。

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◇ あとがき

 多くのがん患者に接してきて、今後もそのつもりでおります。舌や咽頭と言った頭頸部を除く、食道以下の全ての消化器のがんを経験してきて、私が接した患者で、最年少は6歳男子の肝細胞がん(肝芽種のような小児がんは除く)で、17歳男子のS状結腸癌、24歳女子の膵がんもおりました。そうした中、胃がんは20代が2人、30代は5人にも及びます。消化器のみならず、白血病や悪性リンパ腫のような血液疾患、脳腫瘍、骨肉腫も若年者に発症する悪性腫瘍であります。
 がん患者の苦悩を年齢で区別するわけではありません。お年を召された方の苦痛に心が痛むことはしばしばであります。一方、若い人の場合、これからの人生の夢や希望を打ち砕かれる出来事になり得ます。そうした、稀な患者への対応は、難しいと言うのも正直な気持ちです。
 故 黒木 奈々 さんの「未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター」を読んで、真っ先に感じたことは、冒頭でも申し上げた、己が信奉するところの「医学の無力に対する憤り」であります。手術と、シスプラチンをはじめ、副作用の強い抗がん剤による苦しみを経て、発症から1年ちょっとでの死に、私なんかよりも、がん研有明病院の担当医たちこそが無力感と憤りを感じていると思います。
 しかしながら、彼女は「未来のこと未来の自分にまかせよう」と言う言葉を残して、今後発生するがん患者に、ひとつの生き方を示したと思います。今後の臨床医としての生活に生かしていきたいと思います。謹んで、ご冥福をお祈りするとともに、ご遺族、関係者の方々には、重ねて謹んで、哀悼の意を申し上げます。

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