アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

母と娘の再出発 ~ 摂食障害 乗り越えて(2)家事育児…理想の姿追いかけ


 第2話は、普通の家庭のように見えますが、ある意味で完璧な母親を見て育った娘の摂食障害であります。その発病のきっかけは、ちょっとした胃腸炎に端を発したものだったようです。


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 両親は惜しみない愛情を注いでくれる。望み通りの進学校に入学した。友人にも恵まれ、私の人生は順風満帆―。そう信じて疑わなかった高校2年の夏。静岡県中部の自営業香苗(51、仮名)は摂食障害になった。

 その夏、香苗は下痢に見舞われた。数日間食べられずにいたら、体重が減った。うれしかった。「もっと食べなければもっと痩せる」。体重が戻る恐怖から、体調が回復しても、食べる量を抑え続けた。次第に何を、いつ、どれだけ食べればいいのか分からなくなった。
 身の異変に戸惑いながら、1年後には過食と拒食を繰り返すようになった。家族が寝静まって台所にあるおかずや菓子を食べ始めると、腹が膨れて苦しくなるまで止まらない。我に返ると自己嫌悪にさいなまれ、その後数日間は食事を控える。そんな生活が大学に入ってからも続いた。
 大学を卒業後、念願の教職に就き、結婚。2人目を出産後、仕事と育児の両立に限界を感じて退職した。そのとき頭をよぎったのは母の姿。祝い事など人が集う時、母は懐石料理のようなごちそうを並べた。香苗が中学生になるまで、洋服も全て手作り。保護者会や町内会の活動も手を抜かない。不平不満は口にせず、いつも誰かのために夜中まで作業をした。だから香苗も、家事や育児をおろそかにしたくなかった。

母親の家事

 3人目を産んで数年後、義母が入院し、義父が同居した。1番上の長女瑠衣(24、仮名)は小学校に上がったばかり。育児に介護に手いっぱいでも、香苗は付き合いで「行事の幹事をやって」と頼まれれば断れず、夜中までパソコンに向かった。子育てに忙しくなってから自然と、摂食障害の症状は治まった。ただ、なぜ食事をコントロールできない事態が起きたのか、分からないままだった。

 憧れ、苦しみ 心にひずみ

 疑問が解けたのは40代前半。きっかけは70歳を過ぎた母の死だ。「お母さんは100年分の人生を生きた」。葬儀に集った母の親族や友人が口々にそう涙した。香苗は母に問うた。「いつも笑っていたけど、本当はつらい時もあったんじゃない?」「もっと自分のために人生を楽しむ方法があったのでは?」
 香苗は、母という女性を理想とし、母と同じ道をたどってきたことに気付く。周りの期待に応えようと動く自分に逆らえず、「いつも元気ね」と言われながら気を張って生きてきた。「心は悲鳴を上げているのに頑張りすぎたひずみが、摂食障害となって現れた」。そんな気がした。
 母の死からしばらくして、大学生だった長女瑠衣が拒食になり、過食嘔吐(おうと)に移った。几帳面だった瑠衣は、発症前から急にだらしなくなった。まるで香苗に「こんな風に適当でも生活できるんだよ」と訴え掛けるかのように。
 「母と私。私と娘。程度の違いはあれど、似ている気がする」。摂食障害が何らかのひずみを現すサインなら、瑠衣にとって必要。そう捉える半面、通院や本人の意思で治る病気ではないと知る香苗にとって、先の見えない不安な日々だ。

 香苗は摂食障害になってから、別の部屋で寝ていた両親が「川の字」に寄り添ってくれたことを思い出す。「両親がしてくれたように、娘がつらいときにはいつでも支える。安心できる家庭でありたい」。そう心に誓いながら「誰かに倣うのでなく、娘にとって心地のいい生き方を見つけ、楽になってほしい」と願う。

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 必要以上に(?)完璧に家事をこなす母親を見て、気後れをする娘が摂食障害になって、その娘が大人になって、やはり母親のような仕事ぶりをするようになったら、その娘にも摂食障害が発生したケースのようです。でも、この女性は、カウンセリングなどなしに、自分の母親から始まって、自分とその娘に及ぶ悪循環に気がついたようです。

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