アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

母と娘の再出発 ~ 摂食障害 乗り越えて(1)「私を見て。気遣って」心の叫び


 ネットを観ていて、思わぬ心を動かされる記事に出会いました。「静岡新聞 SBS」の「こち女ニュース」と言う欄で、摂食障害を乗り越えた母娘のお話です。4家族、4話に渡る連載ですが、いずれのケースも母親と娘の関係が摂食障害の原因となっております。全文で供覧いたします。第1話は、子供の頃に母親から言われた言葉が発端となったお話です。

静岡新聞 こち女ニュース


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 女性が発症者の9割以上を占める摂食障害。その原因は複雑でさまざまだが、中でも母との関係や母の生き方にわだかまりを募らせた結果、摂食障害になった―と受け止める娘が後を絶たない。生きづらさを抱えた娘と母たちの「生き直し」ともいえる回復の道のりをたどり、家族の在り方を考える。

 食パン1斤にカツ丼、ラーメン、ポテトチップス、アイスクリーム1リットル、コーラ2リットル…。日々メニューは違うが、自室で食べては吐いてを繰り返し、およそ3人前を平らげる。静岡県西部の事務職聡美(51、仮名)は15年ぐらい前まで毎晩、その作業に4時間を費やしていた。
 発端は24歳で始めたダイエット。食事制限に加えて、毎日立ち仕事の後にプールで2キロ泳ぎ、休日は町内を5キロ以上走った。美しくなりたかったわけではない。周りから「きれいになったね」と褒められたかった。「あと1キロやせよう」。浮き浮きした気分で続けると、体重は8カ月で12キロ落ち、42キロに。生理は止まった。30キロを切ると動けなくなった。入院して体重を戻すうちに、拒食から過食嘔吐(おうと)に切り替わった。1、2年たったころ、摂食障害の体験談を読みながら、なぜ発症したのか自問する中で確信を持った。「母親のせいだ!」。怒りがこみ上げた。

母親の「嫌い」発言

 3歳の夏だった。レースのカーテンが揺れ、陽光が差し込むリビング。隣には1歳の妹がいた。いら立った様子の母が、聡美に向かって言い放った。「おまえなんか大嫌い」―。聡美にとって「時計が止まった」瞬間。幼心に「母に見捨てられたら生きていけない。“いい子”で生きよう」と決意した。

 「いい子」演じ続け限界

 以来、母に甘えた記憶はない。家庭では、仲の悪い両親の間を取り持つ「ピエロ」や、妹を守る役に徹した。友人の前でも嫌われたくない一心から、相手の顔色をうかがいながら発言を変える「カメレオン」だった。
 40歳を過ぎたころ、相性の合うカウンセラーに巡り会い、3歳の出来事を初めて人に打ち明けた。「それはあなたが悪かったからじゃない」と言われてようやく、深い傷が癒える思いがした。母にぶつけられなかった怒りを、2年間にわたってカウンセラーに吐き出し、「もういい」と許せた。「母には初めての子だった。ヒステリーになったのも仕方ない」。わだかまりは解けていった。
 カウンセリングを終えるまで「カメレオン」のように人に合わせる生き方が息苦しいことにさえ、気付いていなかった。「“いい子”を演じるなんてもうできないと、自分自身が叫び声を上げたのが24歳の時」。聡美はそう考えている。
 やせ細る娘を、母は心配した。聡美はうれしかった。甘えられなかった時間を取り戻すかのように、拒食や過食嘔吐を通して「私を見て。私を気遣って」と母に訴えていたのだった。聡美は「もし摂食障害にならなければ、自死を選んでいたかもしれない」という。摂食障害は、自身を守る手段だった。

 独身で、両親と一緒に暮らしている。「母が望むような人でいなければ」。長年、聡美が自らの心を縛り続けた鎖はほどけ、母の意見を過度に真に受けたり反発したりすることはなくなった。「母は母、私は私」。聡美は自分がようやく自立できたのだと思う。発症から27年。今も月に1回程度、食べ過ぎて吐くことがある。摂食障害の症状を引きずってはいるが、もう「障害」ではない。

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 摂食障害の心理学的研究に取り組み、その病態と治療に大きく貢献したのが、ドイツ生まれの米国の精神科医、ヒルデ・ブルック(1904年3月11日 - 1984年12月15日)であります。ブルック氏の報告によりますと、摂食障害の中核群である拒食症患者は、学童時からの底知れぬ自尊心の欠如を抱えており、両親の極めて侵入的な介入を受け続けたとされます。患者のほとんどは両親を喜ばせることと両親の期待に応えることを命題として生きてきた人々であり、その体験の蓄積からくる葛藤が症状となって患者を支配すると言います。
 この第1話の聡美は、「おまえなんか大嫌い」と言われた母親の言葉が発端でありました。恐らくは、育児に追われた母親が、その1回だけではない、多くの機会に彼女を追い詰める言動があったかと思います。その瞬間、瞬間がブルック氏が言う「侵入的な介入」であり、その繰り返しが「底知れぬ自尊心の欠如」を生み出して来たのでだと思います。

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