アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

フランスより寄贈された「自由の女神像」、正式名称は「世界を照らす自由」(更新)

 会社の仕事で、ニューヨークに1ヶ月も出張、と言う羨ましい話を聞き、ちょっと「自由の女神像」(Statue of Liberty)を勉強しました。今回はその覚え書きです。タイトルに記した如く、正式名称は「世界を照らす自由」(Liberty Enlightening the World)だそうですが、ここでは慣れ親しんだ「自由の女神像」の呼び名で統一させていただきます。

自由の女神像0001


◇ 自由の女神像の概要

 アメリカ合衆国のニューヨーク港内、リバティ島にある像、「自由の女神像」はアメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成しました。アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴であるとともに、19世紀以来絶えることなく世界各地からやってくる移民にとって新天地の象徴ともなっています。1984年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。


◇ 発案から完成までの歩み

1.背景と建造への呼びかけ

 1776年7月4日のアメリカ合衆国独立から100周年を迎えようとしている米国では、奴隷解放をめぐり勃発した南北戦争(1961年4月12日 - 1865年4月9日)後の混乱に苦しんでおりました。一方、海を隔てたフランスでは、ナポレオン3世(Napoléon III, 1808年4月20日 - 1873年1月9日;フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの弟ルイ・ボナパルトの息子)の専制下にあり、同国の法学者で政治家のエドゥアール・ド・ラブライエなる人物が、自由の象徴たる像を建造することで、両国民に真の自由を見て欲しいと考え、アメリカに対し両国の深い友情の証となりうるモニュメントの寄贈を提案し、寄付の募集を呼びかけました。この提案に賛同した彫刻家、フレデリック・オーギュスト・バルトルディらの助言を受けて、「世を照らす自由の炎を静かに掲げる女神像」の制作始まりました。

エドゥアール・ド・ラブライエ 図
エドゥアール・ド・ラブライエ

2.制作の開始と強度の獲得

 1874年、ラブライエよりフレデリク・バルトルディに設計が依頼されましたが、高さ46.5 m、重さ110 tにもなる建造物には強度の問題が懸念されましたが、パリのエッフェル塔を設計したアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルが設計に加わり、像内部の鋼鉄を用いた骨組みで弾力性を持たせることで嵐などにも耐えうる設計をしたとされます。

エッフェルとエッフェル塔
アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルとエッフェル塔

3.像のデザイン

 像のデザインはウジェーヌ・ドラクロワの絵「民衆を導く自由の女神」とバルトルディの母親をモデルにしたものとされ、また一部では、バルトルディがフリーメイソン所属であったことから、フリーメイソンが崇拝している魔女メデューサであるとの説もあります。

4.建造の資金

 本体制作では、フランス国内で資金集めのため記念像建造キャンペーンとして、宝くじや、1878年の万国博覧会であるパリ万博に完成頭部を展示し約40万ドル相当の寄付金を集めたとされます。台座部分の建設資金は、「ニューヨーク・ワールド」紙社主ジョセフ・ピューリッツァが資金集めのキャンペーンを行い、アメリカ国民の寄付によってまかなわれました。

パリ万博に置かれた自由の女神
パリ万博に置かれた自由の女神

5.パリからニューヨークへの移動、そして除幕

 自由の女神像は1984年に完成、1985年まではパリのシャンゼリゼ通りに設置されていましたが、約350のパーツに解体され、フランス海軍軍用輸送船イゼール号でニューヨークに運ばれました。1985年6月に無事ニューヨークに到着しましたが、台座の完成が資金難のため遅れていたため港に待機、1986年4月台座完成により女神像の組み立てが開始されました。

建造中の自由の女神 図

 1886年10月28日に除幕式が行われました。当日はあいにくの雨でしたが、グロバー・クリーブランド大統領をはじめ100万人以上の観衆が集まり、顔にかけられたフランス国旗を製作者のバルトルディが除幕しました。


◇ 自由の女神像の仕様

1.性別・材質・サイズ・重量

 自由の女神像は、ローマ神話における自由の女神リーベルタースがモデルであり、性別は女性であります。銅製で、台座から像の頭の部分までの高さは33.86 m、台座から右手持つ松明(たいまつ)までの高さは46.05 m、台座の高さが47 mなので、台座部分も含めると全長は93 m、総重量は225 tであります。

2.右手の松明

 右手に握られ高く掲げられた松明は移民たちの希望を表す象徴とされます。元々は、その炎の部分は純金で作られておりましたが、現在は1984-1986年の修復工事の際に取り替えられたもので、24金の金箔で覆われています。オリジナルは台座のロビーに展示されております。

自由の女神 松明 図

3.王冠

 女神がかぶっている冠には7つの突起があります。これは7つの大陸と7つの海に自由が広がることを願って作られたとされます。各々3.7 mの長さです。

自由の女神 王冠 図

4.左手に持つ独立宣言書

 左手には独立宣言書を持っており、アメリカ合衆国の独立記念日である「1776年7月4日」とフランス革命が勃発したバスティーユ襲撃の日である「1789年7月14日」と、ローマ数字で刻印されています。

自由の女神独立宣言書 図

5.鎖と足かせを踏みつける足元

 自由の女神像の足元には引きちぎられた鎖と足かせがあり、これを女神が踏みつけています。全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類は皆自由で平等であることを象徴しているのです。

自由の女神 足元 図

6.台座の記念碑

 自由の女神像はフランス系フリーメイソンリーとアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物でありましたので、台座の記念碑には以下の文言が刻まれています。

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AT THIS SITE ON AUGUST 5TH, 1884, THE CORNERSTONE OF THE PEDESTAL OF THE STATUE OF "LIBERTY ENLIGHTENING THE WORLD" WAS LAID WITH CEREMONY BY WILLIAM A. BRODIE, GRAND MASTER OF MASONS IN THE STATE OF NEW YORK. GRAND LODGE MEMBERS, REPRESENTATIVES OF THE UNITED STATES AND FRENCH GOVERNMENTS, ARMY AND NAVY OFFICERS, MEMBERS OF FOREIGN LEGATIONS, AND DISTINGUISHED CITIZENS WERE PRESENT. THIS PLAQUE IS DEDICATED BY THE MASONS OF NEW YORK IN COMMEMORATION OF THE 100TH ANNIVERSARY OF THAT HISTORIC EVENT.

仮訳:この地にて1884年8月5日、「世界を照らす自由の女神」の像の台座の礎石は、ニューヨーク州メイソン団のグランド・マスター、ウィリアム・A・ブロディーによる式典とともに設置された。グランド・ロッジの構成員ら、合衆国およびフランスの政府の代表ら、陸軍および海軍の将校ら、諸外国の使節団の構成員ら、ならびに名高い市民らが参列した。この銘盤はかの歴史的事件の第100周年を記念してニューヨークのメイソン団により捧げられる。

 *****



◇ 自由の女神像の観光

1.本体へのアプローチ

 台座部分にはエレベータが設置されており、エレベータの最上階(10階)からは像の中のらせん階段を上って王冠部分の展望台に登ることができます。

自由の女神王冠の中 図
自由の女神 王冠の中の様子

2.フェリーで行くリバティ島

 本体台座から内部へ入りたい、間近で見上げたいと言う人はマンハッタン島最南端にあるリバティ島・エリス島行きフェリー発着所、バッテリー・パークより、夏季は15-20分毎、冬季は30-40分毎にリバティ島への運行があります。

リバティ島行きフェリー

3.スタッテン島往復フェリーからの見学

 スタッテン島住民がマンハッタンへの通勤ルートとして利用している公共交通機関からも遠目に自由の女神像を眺めることができます。

4.ヘリコプターの上空から自由の女神像を見学

 様々のヘリコプターツアーがあって、自由の女神やエリス島を空から眺めるリバティ・ヘリコプターの「ビッグアップルツアー」(15分$150)が有名です。

ヘリツアー 自由の女神 図


◇ リバティー島に渡り自由の女神を反時計周りに撮影

自由の女神 反時計周り01

自由の女神 反時計周り02


◇ リバティー島から観たマンハッタン

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