アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

地震の年表:日本の20世紀以降〜現在まで


 先日5月30日の夜、20時24分頃、私は風呂に入って頭を洗っておりました。一昨日の飲み会後に寝つきが悪くて、明け方目が冷めてしまった私は、気だるい1日を過ごして、夕方にはゴルフの練習をしました。洗髪しながら体がグラグラと揺れてきて、これに対して素直に「今日は疲れているので目が回っているんだな」と思いましたが、あまりにも大きな揺れにて、すぐに異常を察知いたしました。
 小笠原沖で発生した今回の地震のマグニチュード(M)8.5は2011年3月11日の東日本大震災のM9.0に次いで本邦では2番目に大きな規模の地震であり、震源は590 kmと世界で最も深い場所で発生した巨大地震と考えられております。
 最近、世界的に地震や火山活動の報告が増えていて、明らかに地球内部に大きな変化が起こっているような、そう感じている人は少なくないと思います。私自身は人生の折り返し点を過ぎておりますが、10代、20過ぎの子供達のことを考えると、これからの50年間に起こりうる巨大災害を憂う気持ちになります。
 今日は、即席で過去約100年、20世紀以降(1900年〜)現在に至るまでの、日本におけるM 7.0以上、または最大震度6弱以上、または死者/行方不明者1人以上のどれかに該当する地震について年表を作ってみました。この題材は、対象を世界中に広げたり、もっと過去に遡り、あるいは年月が経て更新して参る所存です。なお、M8.0以上、最大震度7、死者・行方不明者1000人以上、気象庁により命名された地震・津波の場合は赤字で表記します。また、マグニチュード(M)の値は、1900〜1923年は、河角(1951年)、宇佐美(1970年、2003年)あるいは宇津(1999年)らの推定値であり、1923年以降は気象庁データベースに従います。

◇ 1901年(明治33年)

08/09 青森県東方沖 M7.2

08/10 青森県東方沖の地震 M7.4 前日と併せて死者18人


◇ 1902年(明治34年)

01/30 青森県三八上北地方の地震 M7.0 死者1人


◇ 1905年(明治38年)

06/02 芸予地震 M7.3 死者11人

 14時39分、広島県呉市倉橋島の南を震源として発生し、東は東京、西は長崎と広範囲で揺れましたが、大きな被害は広島湾岸と伊予灘に面した地域と局所に留まりました。この本震の前々年から前震が多発しており、1903年(明治36年)に9回、1904年(明治37年)に3回、そして1905年1月から5月の間に3回と続き、6月の本震となりました。

07/07 福島県沖の地震 M7.1


◇ 1909年(明治42年)

03/13 千葉県房総半島沖の地震 M6.5(08:19)、M7.5(23:29)

08/14 姉川地震(江濃地震) M6.8 死者41人

 15時31分、滋賀県北東部の姉川付近を震源として発生、内陸直下型地震であったため被害は震源に近い滋賀県と岐阜県に生じ、特に大きな被害は滋賀県に集中しました。旧国名の近江国と美濃国を取って江濃地震(こうのうじしん)とも呼ばれます。

08/29 沖縄本島付近の地震 M6.2 死者2人

11/10 宮崎県西部の地震 M7.6


◇ 1911年(明治44年)

06/15 喜界島地震 M8.0 死者12人

 23時26分、鹿児島県喜界島南方で発生し、名瀬測候所で震度6に相当する揺れを観測したほか、那覇測候所などでも震度5相当(強)の揺れでありました。南西諸島で発生した地震としては有史以来最大規模のものとされ、フィリピン海プレートがユーラシアプレート(沖縄マイクロプレート)に沈み込む南西諸島海溝で発生した海溝型地震と推定されています。明治喜界島近海地震、明治奄美大島近海地震とも呼ばれております。


◇ 1913年(大正02年)

02/20 日高沖の地震 M6.9


◇ 1914年(大正03年)

01/12 桜島地震 M7.1 死者29人

 18時28分、鹿児島県中央部、薩摩半島と桜島に挟まれた鹿児島湾を震源として、桜島大正大噴火の最中に起きた地震であり、噴火開始から約8.5時間後に発生しました。通常の火山性地震はM 6以下でありますが、この地震は単純な火山性地震ではなく、マグマの侵入によって地殻の強度が低下し、元々蓄えられていたひずみが解放されたため、例外的な大地震につながりました。

03/15 仙北地震 M7.1 死者94人

 4時59分44秒、秋田県仙北郡大沢郷村を震源として発生、別名を強首地震(こわくびじしん)と言います。秋田市の震度は5でありましたが、震度のわりに被害が大きく、仙北郡を中心に、人的被害は死者94名、負傷者324名、家屋被害は全壊640戸、半壊575戸、焼失3戸でありました。


◇ 1915年(大正04年)

01/6 石垣島北西沖の地震 M7.4

03/15 北海道十勝沖の地震 M7.0 死者2人

11/01 宮城県沖の地震 M7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波


◇ 1916年(大正05年)

11/26 明石付近の地震 M6.1 死者1人


◇ 1917年(大正06年)

05/18 静岡付近の地震 M6.0 死者2人


◇ 1918年(大正07年)

09/08 択捉島沖地震 M8.0 死者24人

 千島列島沖地震 (2006年)の前回活動と考えられている海溝型地震で、静岡県沼津市まで人間が感じることができる揺れが伝わりました。6 m から12 m の津波が発生し、ウルップ島岩美湾では地震発生後35分で津波が来襲、家屋は全滅、当時の住民63名中24名が死亡しました。


◇ 1921年(大正10年)

12/08 龍ヶ崎地震 M7.0


◇ 1922年(大正11年)

04/26 浦賀水道地震 M6.8 死者2人

12/08 島原地震(千々石湾地震) M6.5


◇ 1923年(大正12年)

06/02 茨城県沖の地震 M7.1 最大震度4

07/13 九州地方南東沖の地震 M7.3 最大震度4

09/01 大正関東地震(関東大震災) M7.9 最大震度6 死者/行方不明者約10万5000人

 11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80 kmを震源として発生し、関東地方南部と山梨県で最大震度 6、神奈川県、東京府を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えました。

 日本災害史上最大級の被害

 本地震の数分後、太平洋沿岸地域から伊豆諸島にかけて津波が襲いました。熱海では地震後5-6分で引波となり間もなく第1波が襲来、さらに5-6分して第2波は7-8 m、局地的に高さ12 mに及び、海岸から200 m内陸まで、地盤高7 mまでが浸水したとされ、家屋流失 162戸、死者/行方不明92名の被害となりました。伊東では波高9 mとなり海岸から浜海道までの集落はほとんど流失、宇佐美村でも111戸が流失しました。被害の総計は、死者10万5000人、全壊10万9713棟、半壊10万2773戸、焼失21万2353戸の大災害でありました。

関東大震災 写真02

 金森(1971年)のモデルでは、震源域は三浦半島の延長線方向の相模トラフに平行な右横ずれの低角逆断層とされ、武村(1996年)も、P波の初動分布による震源メカニズムは、金森が指摘する通りフィリピン海プレートの沈み込み方向から判断される北北東に34°傾斜する節面が断層面と考えられ、横ずれ成分を多く含むことを支持するとしています。地震調査委員会は発生要因をフィリピン海プレートの沈み込みによって生じたプレート境界での北米プレートの跳ね返りとしています。
 今村(1929年)は、地震波の記録から本地震は3つの異なる発震点から始まった多元地震であるとし、第一元は相模湾中央、第二元は丹沢山地方面、第三元は再び相模湾の小田原沖に戻ったとししました。また、陸地測量部による精密測量の結果から、断層線の西部は南下り、東部は北下りであり、非局部大地震に伴う地形変動としています。

09/01 相模湾の地震 M 7.3(大正関東地震の余震)

09/02 千葉県南東沖の地震 M7.3 最大震度5(大正関東地震の余震)


◇ 1924年(大正13年)

01/15 丹沢地震 M7.3 最大震度6 死者19人(大正関東地震の余震)

07/01 北海道東方沖の地震 M7.5 最大震度4

08/15 茨城県沖の地震 M7.2 最大震度5

12/27 網走沖の地震 M7.0 最大震度4


◇ 1925年(大正14年)

5/23 北但馬地震 M6.8 最大震度6 死者428人

 11時11分、震源地を円山川河口付近とする兵庫県但馬地方北部で発生した地震で、最大震度は兵庫県の豊岡、城崎(いずれも現在の豊岡市)で観測された震度6(当時の震度階級による最大震度)、その他、兵庫県、京都府、滋賀県で震度5、岡山県、鳥取県、和歌山県、三重県で震度4をそれぞれ観測しました。
 地震の被害は円山川流域、特に豊岡、城崎の町に甚大で、当時の建築物は木造が大半であったために、地震の初動で建物の多くは一気に倒壊し、折しも昼時で、炊事のために火を起こしていた民家や旅館の倒壊に伴い、瞬く間に火の手が上がりました。この火災により、豊岡では町の半分が焼失し、城崎では実に272名(人口比で8.0%)という多数の死者が出ました。犠牲者の大半は、炊事中に家屋の倒壊に巻き込まれ、脱出できないまま焼死した女性たちであり、「北但大震災の最大の犠牲者は城崎の女性である」とまで言われております。


◇ 1926年(大正15年)

06/29 沖縄本島北西沖の地震 M7.0 最大震度4

08/07 宮古島近海の地震 M7.0 最大震度4


◇ 1927年(昭和02年)

03/07 北丹後地震 M7.3 最大震度6 死者2925人

 18時27分39秒、京都府丹後半島北部を震源とし、兵庫県の豊岡町(現・豊岡市)、京都府の宮津町(現・宮津市)、峰山町(現・京丹後市)で震度6、京都市、兵庫県洲本市、福井県福井市、敦賀市、奈良県奈良市、広島県福山市で震度5を記録しました。
 地震の被害は北近畿を中心に中国、四国地方まで及びました。中でも被害が集中したのは丹後半島のつけ根にあたる約15 kmの範囲で、家屋倒壊率は70-90%に達しました。地震発生時刻が早春の夕刻だったために暖房や炊事の火を原因とする火災が各所で発生し、特に網野町、峰山町、与謝野町旧野田川町地区では大火となり、合わせて8287戸が焼失しました。この地震による被害は、広範囲に及び、2年前の北但馬地震で大打撃を受けた豊岡市城崎町でも、火災により2300戸以上が焼失、震源から150 km以上も離れている鳥取県米子でも、2戸の倒壊家屋が出ました。さらに、大阪市内では、地割れから泥水を噴き出し、家屋が浸水しました。液状化現象が発生したと考えられます。
 被害の総計は、死者2925人(京都府内・2898人)、負傷者7806人、全壊1万2584棟、半壊9443戸、焼失8287戸、全焼6459戸、半焼96戸の大災害へと発展しました。


◇ 1928年(昭和03年)

05/27 岩手県沖の地震 M7.0 最大震度4


◇ 1930年(昭和05年)

02/13-05/31 伊東群発地震 最大M5.9

10/17 石川県大聖寺付近の地震 M6.3 最大震度5 死者1人

11/26 北伊豆地震 M7.3 最大震度6 死者/行方不明者272人

 震源地を静岡県伊豆半島北部、函南町丹那盆地付近とする、早朝に発生した、直下型の地震で、北伊豆地震地震断層系の丹那断層などの活動により生じたとされます。総被害は死者/行方不明者272名、負傷者572名、全壊2165戸、半壊5516戸、焼失75戸でありました。


◇ 1931年(昭和06年)

02/20 日本海北部の地震 M7.2 最大震度3

03/09 三陸沖の地震 M7.2 最大震度4

09/21 西埼玉地震 M6.9 最大震度5 死者16人

 11時19分59秒、埼玉県大里郡寄居町付近を震源として発生、震源の深さは3 kmとたいへん浅く、深谷断層帯の一部が活動して発生したとされます。埼玉県内では16人が死亡し、負傷者は146人に達し、家屋被害は全壊207戸、半壊124戸で火災も発生しました。

11/02 日向灘の地震 M7.1 最大震度5 死者2人


◇ 1932年(昭和07年)

09/23 日本海北部の地震 M7.1 最大震度3


◇ 1933年(昭和08年)

03/03 昭和三陸地震(三陸沖地震) M8.1 最大震度5 死者/行方不明者3064人

 2時30分48秒、岩手県上閉伊郡釜石町(現 釜石市)の東方沖約 200 kmを震源として発生した、太平洋プレート内における単一アスペリティの破壊による正断層型のアウターライズ地震であり、1896年明治三陸地震に影響を受けたとみられています。地震規模に比べて地震による直接の被害は少なかったのですが、地殻変動によって発生した大津波が襲来し、被害は甚大となりました。最大遡上高は、岩手県気仙郡綾里村(現 大船渡市三陸町の一部)で、海抜28.7mを記録し、津波第一波は、地震から約30分で到達したと考えられます。

昭和三陸地震写真

 死者/行方不明者3064人(行方不明者1542人)、負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及びました。行方不明者が多かったのは、津波の引き波により海中にさらわれた人が多かった事を意味します。

06/19 宮城県沖の地震 M7.1 最大震度4

09/21 能登半島の地震 M6.0 最大震度4 死傷者60人


◇ 1934年(昭和09年)

02/24 硫黄島近海の地震 M7.1 最大震度1


◇ 1935年(昭和10年)

07/11 静岡地震(大谷地震) M6.4 最大震度6 死者9人

 静岡県静岡市付近を震源として発生した、想定東海地震の震源域内で発生した地震で、沈み込んだフィリピン海プレートで発生した地震(スラブ内地震)と考えられます。

10/18 三陸沖の地震 M7.1 最大震度3


◇ 1936年(昭和11年)

02/21 河内大和地震 M6.4 最大震度5 死者9人

11/03 宮城県沖地震(金華山沖地震) M7.4 最大震度5

12/27 新島近海の地震 M6.3 最大震度4 死者3人


◇ 1937年(昭和12年)

02/21 択捉島南東沖の地震 M7.6 最大震度2

07/27 宮城県沖の地震 M7.1 最大震度5


◇ 1938年(昭和13年)

05/23 茨城県沖の地震 M7.0 最大震度5

05/29 屈斜路湖地震 M6.1 最大震度3 死者1人

06/10 宮古島北西沖の地震 M7.2 最大震度4

11/05-07 福島県東方沖地震(塩屋埼沖地震、塩屋崎沖地震) M7.5 最大震度5 死者1人

 11月5日17時43分にM7.5、同日19時50分にM7.3、11月6日にM7.4、11月7日にM6.9、11月7日にM7.5の地震で福島県、茨城県、宮城県で最大震度5、福島県で死者1人、東北〜関東に津波が発生しました。


◇ 1939年(昭和14年)

03/20 日向灘の地震 M6.5 最大震度4 死者1人

05/01 男鹿地震 M6.8 最大震度5 死者27人


◇ 1940年(昭和15年)

08/02 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) M7.5 最大震度4 死者10人


◇ 1941年(昭和16年)

07/15 長野地震 M6.1 最大震度6 死者5人

11/19 日向灘の地震 M7.2 最大震度5 死者2人


◇ 1943年(昭和18年)

06/13 青森県東方沖の地震 M7.1 最大震度4

09/10 鳥取地震 M7.2 最大震度6 死者1083人

 17時36分54秒、鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域を震源として発生、震源が極めて浅く、鳥取市で震度6、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録しました。1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1000名を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、三河地震、南海地震)の最初の1つであります。

鳥取地震写真

 激しい揺れにより、鳥取市の中心部は壊滅し、古い町並みは全て失われました。木造家屋のほぼ全て(80%)が倒壊した一方で、五臓円薬局ビルなど鉄筋コンクリートの建物は比較的持ちこたえたとされます。夕食の準備中だったこともあり、地震後には、市内16ヶ所から出火、水道管が破裂するという悪条件でありましたが、地震前に降雨があり湿度が約90%と高かった事と、倒壊した家屋が破壊消防の防火帯の役目を果たした事などにより、市民のバケツリレーでも容易に延焼を食い止める事ができ大火にはならなかったとされます。被害は、死者1083人、重症負傷者669名、家屋全壊7485戸、家屋半壊6158戸、焼失267戸に及びました。

10/13 長野県北部の地震 M5.9 最大震度4 死者1人


◇ 1944年(昭和19年)

12/07 東南海地震(昭和東南海地震) M7.9 最大震度6 死者/行方不明者1223人

 13時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 kmから浜名湖沖までの破壊が進行したプレート境界型巨大地震で、敗戦前後の4大地震の2つ目であります。被害は、死者/行方不明者1223人、負傷者2864名、家屋全壊18008戸、家屋半壊36554戸に及びました。

東南海地震 写真

 当時、日本は太平洋戦争の最中で、軍需工場の被害状況などの情報が日本の国民や敵国に漏れることを恐れた軍部は情報を統制しました。しかも、翌12月8日が真珠湾攻撃3周年ということもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報はより一層統制され、12月8日の各紙の1面トップはいずれも昭和天皇の大きな肖像写真および戦意高揚の文章で占められておりました。地震についての情報は、1面ではない紙面の最下部のほうにわずか数行程度が記載されただけで、しかも被害が小規模であったこと、早期の復旧の見通しが述べられていたのとことでした。


◇ 1945年(昭和20年)

01/13 三河地震 M6.8 最大震度5 死者/行方不明者2306人

 3時38分23秒、愛知県の三河湾で発生した直下型地震、敗戦前後の4大地震の1つであります。震源地は三河湾、深さ11 kmで、三重県津市で震度5を記録したが、震源に近い現在の西尾市などでは震度6(現在の震度階級では7)であったとされます。1月前の1944年12月7日に発生した昭和東南海地震の最大規模の余震とする説があるが、同地震に影響を受けて発生した誘発地震とする説もあります。
 震源が浅く、M 6.8と規模が比較的大きかったにも関わらず、被害報告はごく僅かしか残されていないために、現在に至ってもこの地震について詳しいことは判っていません。しかし震源域の三河地域では、昭和東南海地震よりも多くの死者が記録されており、死者1180人、行方不明者1126人、負傷者3866人、家屋の全壊は7221戸、半壊1万6555戸、全焼2戸、半焼3戸、その他2万4311戸とされます。なお、近年になって地震被害を報告した当時の帝国議会秘密会の速記録集が見つかっており、これによれば愛知県の幡豆郡と碧海郡で死者2652人に達したとされます。

02/10 青森県東方沖の地震M 7.1 最大震度5 死者2人


◇ 1946年(昭和21年)

12/21 南海地震(昭和南海地震) M8.0 最大震度5 死者/行方不明者1443人

 4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km、深さ 24 kmを震源として発生した、敗戦前後の4大地震の最後の1つであります。「1946年 南海地震」とも呼ばれ、単に「南海地震」といえばこの地震を指すことも多いです。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生しました。
 他の年代に発生した南海地震と比較して、被害の規模は小さかったと考えられていますが、被害は中部以西の日本各地にわたり、高知県、徳島県、和歌山県を中心に死者/行方不明者1330名、家屋全壊11591戸、半壊23487戸、流失1451戸、焼失2598戸でありました。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知、三重、徳島沿岸では 4-6 m に達しました。

南海地震 写真

 この領域では周期的に大地震が発生しており、前回の南海地震である安政南海地震から92年ぶりでの発生でありました。また、この地震の2年前である1944年(昭和19年)12月7日には昭和東南海地震も起きています。その昭和東南海地震の後、今村明恒氏は「宝永地震や安政東海・南海地震は東海・南海の両道に跨って発生したものであるが、今回の地震は東海道方面の活動のみに止まっており、今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」と指摘していましたが、当時これに耳を傾けるものはいず、指摘は現実となったわけです。

12/21 択捉島南東沖の地震 M7.1 最大震度5


◇ 1947年(昭和22年)

04/14 択捉島南東沖の地震 M7.1 最大震度2

09/27 与那国島近海の地震 M7.4 最大震度5 死者5人


◇ 1948年(昭和23年)

04/18 和歌山県南方沖の地震 M7.0 最大震度4(昭和南海地震の最大余震)

06/15 紀伊水道の地震 M6.7 最大震度4 死者2人

06/28 福井地震 M7.1 最大震度6 死者/行方不明者3769人

 16時13分29秒に発生し福井県を中心に北陸から北近畿を襲った地震、震源は福井県坂井郡丸岡町(現坂井市丸岡町)付近の深さ30 km前後と浅く、戦後復興間もない福井市を直撃した都市直下型地震で、「福井大地震」とも呼ばれます。発生当時戦後最多となる死者を出し、大正関東地震(関東大震災)、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)などと並ぶ、日本の災害史上最悪クラスの震災となりました。また、2015年の現在まで、東日本大震災、阪神・淡路大震災に次ぐ戦後3番目の規模の震災であります。この地震を機に気象庁が震度 7を制定しました。
 福井平野では、全壊率が60%を超えるなど被害は甚大でした。九頭竜川の堆積物により福井平野の地盤が弱いことと、福井市中心部では人口が密集しており、戦後復興期、建物はバラックが多く、不安定な構造だったためにかなりの建物が倒壊しています。震源地直近の丸岡城(丸岡町)も倒壊しました。大和百貨店福井店も1階が潰れて全壊する被害を受け、福井地震の象徴として有名になりました。

福井地震直後の大和百貨店ビル

 発生時刻が16時過ぎ(サマータイムでは17時過ぎ)で夕食の支度をしている家庭が多かったため、福井市中心部では、24件の火災が発生し、地震のため、道路が通行不能となったり、水道が破損したことにより、消火に時間を要したため被害が拡大しました。死者3769人、負傷者22203人、家屋全壊36184戸、半壊11816戸、焼失3851戸でありました。


◇ 1949年(昭和24年)

07/12 安芸灘の地震 M6.2 最大震度3 死者2人

12/26 今市地震 M6.2(08:14)、M6.4(08:24)最大震度4 死者10人

 8時17分、栃木県今市市(現在の日光市)鶏鳴山付近を震源とする内陸直下型地震で、栃木県内で死者10人、負傷163人、家屋全壊290戸、家屋半壊2994戸、山崩れ60数カ所とされます。


◇ 1950年(昭和25年)

02/28 宗谷東方沖の地震 M7.5 最大震度4


◇ 1951年(昭和26年)

07/12 小笠原諸島西方沖の地震 M7.2 最大震度3


◇ 1952年(昭和27年)

03/04 1952年十勝沖地震 M8.2 最大震度5 死者/行方不明者33人

 10時22分44秒、北海道襟裳岬東方沖約50 km、深さ54 kmを震源として発生、北海道から東北北部で揺れや津波などの被害があり、死者28人、行方不明者5人、負傷者287人、家屋全壊815戸、家屋半壊1324戸、流失91戸、浸水328戸、焼失20戸、非住家被害1621戸、船舶被害451隻を出しました。

52年 十勝沖地震の津波

 十勝沖地震は、北海道の十勝地方の沖合を震源として起こる地震、過去に数回発生しているため、一般的に発生年を付して「xxxx年十勝沖地震」と呼んで区別され、1843年、1915年、1952年、2003年に発生しております。北海道十勝沖からロシア連邦のカムチャツカ半島沖にかけて千島海溝が存在しており、この海溝では太平洋プレートが北アメリカプレートの下に年間数cmの速度で沈み込んでいます。このため両プレートの境界で歪みが発生し、その歪みの開放により発生する逆断層型の海溝型地震とされます。

03/07 大聖寺沖地震 M6.5 最大震度4 死者7人

07/18 吉野地震 M6.7 最大震度4 死者9人


◇ 1953年(昭和28年)

11/26 房総沖地震 M7.4 最大震度5


◇ 1955年(昭和30年)

05/30 硫黄島近海の地震 M7.2(21:31)、M7.5(21:33)最大震度3

07/27 徳島県南部の地震 M6.4 最大震度4 死者1人


◇ 1956年(昭和31年)

09/30 白石地震 M6.0最大震度4


◇ 1958年(昭和33年)

03/11 石垣島近海の地震 M7.2 最大震度5 死者2人

11/07 択捉島沖地震 M8.1 最大震度5


◇ 1960年(昭和35年)

03/21 三陸沖の地震 M7.2 最大震度4


◇ 1961年(昭和36年)

02/02 長岡地震 M5.2 最大震度4 死者5人

 3時39分、新潟県長岡市付近の深さ20 kmを震源として発生、死者5人、負傷者30人、家屋全壊220戸、家屋半壊465戸でありました。2004年には、ほぼ同じ場所で新潟県中越地震が発生しています。

02/27 日向灘の地震 M7.0 最大震度5 死者2人

08/12 釧路沖の地震 M7.2 最大震度4

08/19 北美濃地震 M7.0 最大震度4 死者8人

 14時33分33秒に石川県加賀地方、深さ10 kmを震源に発生しました。岐阜県大野郡白川村では御母衣第2発電所の建設現場付近で大規模な地滑りが発生し、作業員が生き埋めとなり4名が死亡した他、石川県石川郡白峰村(現・白山市)では登山中の大学生2名を含む4名が死亡しました。


◇ 1962年(昭和37年)

04/23 広尾沖地震 M 7.1 最大震度5

04/30 宮城県北部地震 M6.5 最大震度4 死者3人


◇ 1963年(昭和38年)

10/13 択捉島沖地震 M8.1 最大震度4


◇ 1964年(昭和39年)

06/16 新潟地震 M7.5 最大震度5 死者26人

 13時1分41秒、新潟県粟島南方沖40 km、深さ34 kmを震源に発生、新潟市、佐渡島や粟島、島根県隠岐島で最大4 mの津波が来襲し、死者26人、家屋全壊1960戸、家屋半壊6640戸、家屋浸水15298戸でありました。


◇ 1965年(昭和40年)

04/20 静岡地震 M6.1 最大震度4 死者2人


◇ 1966年(昭和41年)

03/13 与那国島近海の地震 M7.3 最大震度5 死者2人


◇ 1968年(昭和43年)

02/21 えびの地震 M6.1 最大震度6 死者3人

 10時44分50秒、宮崎県と鹿児島県境の韓国岳の北西15km付近(えびの高原)を震源として発生、死者3人、負傷者44人、家屋全壊498戸、家屋半壊1278戸、この他にも鉄道、道路などが分断、橋の損壊、耕地の埋没も見られました。

04/01 日向灘地震 M7.5 最大震度5 死者1人

05/16 1968年十勝沖地震 M7.9 最大震度5 死者/行方不明者52人

 9時48分53秒、青森県東方沖(北海道襟裳岬南南東沖120km)、深さ0 kmを震源として発生、北海道から東北北部で揺れや津波の被害があり、死者/行方不明者52人、負傷者330人、家屋全壊673戸、家屋半壊3004戸でありました。
 本地震の発生メカニズムは、本来の十勝沖のアスペリティが破壊されたものではなく、いわゆる「十勝沖地震」とは異なり、地震調査研究推進本部の分類における「三陸沖北部地震」に該当します。

O5/16 青森県東方沖の地震 M7.5 最大震度5(1968年十勝沖地震の最大余震)

06/12 三陸沖の地震 M7.2 最大震度4(1968年十勝沖地震の余震)

10/08 小笠原諸島西方沖の地震 M7.3 最大震度3


◇ 1969年(昭和44年)

08/12 色丹島沖地震 M7.8 最大震度4

09/09 岐阜県中部地震 M6.6 最大震度5 死者1人


◇ 1970年(昭和45年)

05/27 小笠原諸島西方沖の地震 M7.1 最大震度3


◇ 1971年(昭和46年)

02/26 新潟県上越地方での地震 M5.5 最大震度4 死傷者13人

08/02 十勝沖の地震 M7.0 最大震度5


◇ 1972年(昭和47年)

02/29 八丈島東方沖の地震 M7.0 最大震度5

12/04 八丈島東方沖地震 M7.2 最大震度6

 19時16分、八丈島の東方、地下50 kmを震源に発生、福井地震以来、震度6の観測事例が無く、この地震で24年ぶりに公式に震度6を観測しました。


◇ 1973年(昭和48年)

06/17 根室半島沖地震 M7.4 最大震度5

06/24 根室半島南東沖の地震 M7.1 最大震度5(根室半島沖地震の最大余震)


◇ 1974年(昭和49年)

05/09 伊豆半島沖地震 M6.9 最大震度5 死者30人

 8時33分27秒、石廊崎沖南南西約5 km、深さ9 kmを震源に発生しました。この地震による被害はほとんどが南伊豆町に集中し、特に中木地区は城畑山の斜面で幅約60 mにわたる山崩れが起き、山裾の22戸が飲み込まれ、27人が生き埋めとなりました。被害の総計は、死者30人、負傷者102人、家屋全壊134戸、全焼5戸。山崩れ・崖崩れは101箇所でありました。
 過去に地震被害の記録のない地域でありましたが、この地震以後、伊豆半島付近の地震活動が活発になり、1976年(昭和51年)に河津地震(M5.4)、1978年(昭和53年)に伊豆大島近海の地震(M7.0)が発生しています。

11/30日 鳥島近海の地震 M7.3 最大震度4


◇ 1975年(昭和50年)

06/10 北海道東方沖の地震 M7.0 最大震度1

06/29 日本海西部の地震 M7.3 最大震度3


◇ 1978年(昭和53年)

01/14 1978年伊豆大島近海の地震 M7.0 最大震度5 死者/行方不明者25人

 12時24分39秒、伊豆大島西岸沖、深さ約15 kmを震源として発生した海洋プレート内の地震であり、死者/行方不明者25人、負傷者139人、家屋全壊89戸、家屋半壊554戸、火災557戸、山崩れ240件でありました。

03/07 東海道南方沖の地震 M7.2 最大震度4

03/23 択捉島南東沖の地震 M7.0 最大震度3

03/25 択捉島南東沖の地震 M7.3 最大震度3

06/12 宮城県沖地震 M7.4 最大震度5 死者28人

 17時14分25秒、宮城県仙台市の東方沖約100 km、深さ40 kmを震源として発生、平均37.1年の間隔で複数回起きた宮城県沖地震の一つであります。被害はブロック塀などの下敷き18人を含む死者28人、負傷者約1万人、建物の全半壊7400戸、停電70万戸、断水7000戸に及びました。

12/06 択捉島付近の地震 M7.2 最大震度4


◇ 1980年(昭和55年)

06/25-07/01 伊豆半島東方沖の群発地震 最大M6.7 最大震度5

09/25 千葉県北西部の地震 M6.1 最大震度4 死者2人


◇ 1981年(昭和56年)

01/19 三陸沖の地震 M7.0 最大震度4


◇ 1982年(昭和57年)

03/21 浦河沖地震 M7.1 最大震度6

 11時32分06秒に北海道日高支庁浦河郡浦河町南西沖20 km、深さ40 kmを震源として発生、負傷者167人、家屋全壊13戸、家屋半壊28戸、船舶転覆等6隻でありました。

07/23 茨城県沖の地震 M7.0 最大震度4


◇ 1983年(昭和58年)

05/26 日本海中部地震 M7.7最大震度5 死者104人

 11時59分57秒、秋田県能代市西方沖80 km、深さ14 kmを震源として発生した逆断層型の地震で、当時としては日本海側で発生した最大級の地震であり、秋田県、青森県、山形県の日本海側で10 mを超える津波による被害が出ました。津波による被害者100人を含む死者104人、家屋全半壊3049戸、船舶沈没または流失706隻でありました。

83年 日本海中部地震 八峰町に建つ「濤安の乙女」像
日本海中部地震の犠牲者を追悼するために建立された八峰町に建つ「濤安の乙女

06/21 青森県西方沖の地震 M7.1 最大震度4(日本海中部地震の最大余震)

08/08 山梨県東部の地震 M6.0 最大震度4 死者1人


◇ 1984年(昭和59年)

01/01 三重県南東沖の地震 M7.0 最大震度4

03/06 鳥島近海の地震 M7.6 最大震度4

06/13 鳥島近海の地震 M5.9 最大震度

08/07 日向灘の地震 M7.1 最大震度4

09/14 長野県西部地震 M6.8 最大震度4 死者/行方不明者29人

 8時48分49秒、御嶽山 (おんたけさん、長野県)山麓の長野県木曽郡王滝村直下、深さ2 km)を震源に発生、王滝村では推定震度6を記録し、被害が集中、同地域だけで者/行方不明者29人、負傷者10人、家屋全壊14戸、家屋半壊73戸でありました。


◇ 1987年(昭和62年)

03/18 日向灘の地震 M6.6 最大震度5 死者1人

05/07 日本海北部の地震 M7.0 最大震度2

12/17 千葉県東方沖地震 M6.7 最大震度5 死者2人

 11時8分17秒、千葉県房総半島、九十九里浜付近、深さ57.9 kmを震源として発生、千葉県の広範囲で震度5の強震を記録し、死者2人、重傷26人、軽症118人、建物全壊16棟、半壊102棟、火災3棟を出しました。


◇ 1989年(平成01年)

06/30-07/24 伊豆半島東方沖の群発地震 最大M5.5 最大震度4

11/02 三陸沖の地震 M7.1 最大震度4


◇ 1993年(平成05年)

01/15 釧路沖地震 M7.5 最大震度6 死者2人

07/12 北海道南西沖地震 M7.8 最大震度5 死者/行方不明者230人

 22時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底、深さ35 kmを震源に発生、震源に近い奥尻島(推定震度6)を中心に、火災や津波で多大な被害を出した、日本海側で発生したものとしては近代以降、最大規模の地震でありました。震源域が島のすぐ近くであったため地震発生から数分で奥尻島に津波が到達したことがこの地震の特徴であり、最大遡上高(そじょうこう)は31.7 mにまで及びました。被害は、死者/行方不明者230人、負傷者323人、家屋全壊601戸、家屋半壊408戸、焼失192戸、浸水455戸でありました。

10/12 東海道南方沖の地震 M6.9 最大震度4 死者1人


◇ 1994年(平成06年)

07/22 日本海北部の地震 M7.3 最大震度3

10/04 北海道東方沖地震 M8.2 最大震度6、死者/行方不明者11人(北方領土内)

10/09 北海道東方沖の地震 M7.3 最大震度4(北海道東方沖地震の最大余震)

12/28 三陸はるか沖地震 M7.6 最大震度6 死者3人

 21時19分21秒、青森県八戸市東方沖180 kmのごく浅い地域を震源として発生、死者3人、負傷者784人、家屋全壊72戸、家屋半壊429戸でありました。


◇ 1995年(平成07年)

01/07 岩手県沖の地震 M7.2 最大震度5(三陸はるか沖地震の最大余震)

01/17 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災) M 7.3 最大震度7 死者/行方不明者6437人

 5時46分52秒、野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近の深さ16 kmを震源に発生し、兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出しました。震源の野島断層は地震により大きく隆起して地表にも露出しました。大都市直下を震源とする日本で初めての大地震であり、気象庁震度階級に震度7が導入されて以来初めて(1996年9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の)気象庁によって震度7が記録された地震でありました。
 死者は発生当時戦後最多となる6434人、行方不明者は3人、負傷者は43792人に上り、68万9776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達しました。戦後の国内災害では、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に次ぐ被害となりました。

阪神淡路大震災 写真

 地震前後の測地データを解析および余震の分布などから、兵庫県南部地震を起こした断層は「六甲・淡路島断層帯」で、断層帯南部の淡路島北側の江井崎から伊丹市中心部付近まで南西から北東に伸びる淡路区間と呼ぶ約50 km、深さ約5-18 kmの断層面でありました。この断層面の南西の端から始まった断層のずれは、約10秒間に断層全体に広がって大きな揺れを引き起こしたと推定されています。

12/04 択捉島南東沖の地震 M7.3 最大震度2


◇ 1997年(平成09年)

05/13 鹿児島県北西部地震 M6.4 最大震度6弱


◇ 1998年(平成10年)

04/20-05/03 伊豆半島東方沖の群発地震 最大M5.9 最大震度4

05/04 石垣島南方沖地震 M7.7 最大震度3

08/20 小笠原諸島西方沖の地震 M7.1 最大震度3

09/03 岩手県内陸北部地震 M6.2 最大震度6弱


◇ 2000年(平成12年)

01/28 根室半島南東沖の地震 M7.0 最大震度4

03/28 硫黄島近海の地震 M7.9 最大震度3

07/01 神津島近海の地震 M6.5 最大震度6弱

07/09 神津島近海の地震 M6.1 最大震度6弱

07/15 新島近海の地震 M6.3 最大震度6弱

07/30 三宅島近海の地震 M6.5最大震度6弱

08/18 神津島近海の地震 M6.1 最大震度6弱

08/18 新島近海の地震 M5.1 最大震度6弱

08/06 小笠原諸島西方沖の地震 M7.2 最大震度4

10/06 鳥取県西部地震 M7.3 最大震度6強

 13時30分18秒、鳥取県西部、深さ9 kmを震源として発生、M7を超える大地震にも関わらず死者は出ず、その理由として、震源地が山間部であったこと、市街地の一部を除き、人口が密集していない地域であったこと、積雪の多い地域のため頑丈な造りの民家が多かったこと、そして地盤が比較的強固であったことが挙げられます。


◇ 2001年(平成13年)

03/24 芸予地震 M6.7 最大震度6弱 死者2人

 15時27分、上蒲刈島の南、深さ51 kmを震源に発生しました。

12/18 与那国島近海の地震 M7.3 最大震度4


◇ 2002年(平成14年)

03/26 石垣島近海の地震 M7.0 最大震度1


◇ 2003年(平成15年)

05/26 宮城県沖地震(三陸南地震、宮城県北部沖地震、東北地震)M7.1 最大震度6弱

 18時24分、宮城県気仙沼沖、深さ72 kmを震源として発生し、北海道、東北地方、関東地方など、広範囲で揺れを感じましたが、死者はありませんでした。太平洋プレートの内部で、南北約30から40 kmが上下20 kmにわたってひび割れ、縦方向に約2 mずれたとみられております。

07/26 宮城県北部地震 M5.6(00:13)、M6.4(07:13)、M5.5(16:56)最大震度6強

07/27 日本海北部の地震 M7.1 最大震度3

09/26 2003年十勝沖地震 M8.0 最大震度6弱 死者/不明者2人

 4時50分07秒、1952年の大地震と同じ、北海道襟裳岬東南東沖80 km、深さ45 kmを震源として発生し、津波により釣りをしていた2人がさらわれて行方不明、1人は2年後に遺体で発見されました。

09/26 十勝沖の地震 M7.1 最大震度6弱(十勝沖地震の最大余震)


◇ 2004年(平成16年)

09/05 紀伊半島南東沖地震 M7,1(19:07)、M7.4(23:57)最大震度5弱

10/23 新潟県中越地震(新潟県中越大震災)M6.8 最大震度7 死者68人

 新潟県中越地方、深さ13 kmを震源として発生した直下型の地震で、震度7を計測したのは兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来9年ぶり、観測史上2回目でありました。被害は、死者68人、負傷者4805人、家屋全壊4172戸、家屋半壊13810戸でありました。

10/23 18:11 新潟県中越地方 M6.0 最大震度6強(新潟県中越地震の余震)

10/23 18:34 新潟県中越地方 M6.5 最大震度6強(新潟県中越地震の最大余震)

10/23 19:45 新潟県中越地方 M5.7 最大震度6弱(新潟県中越地震の余震)

10/27 新潟県中越地方 M6.1 最大震度6弱(新潟県中越地震の余震)

11/29 釧路沖の地震 M7.1 最大震度5強

12/14 留萌支庁南部地震 M6.1 最大震度5強


◇ 2005年(平成17年)

03/20 福岡県西方沖地震 M7.0 最大震度6弱 死者1人

 10時53分、福岡県北西沖の玄界灘の深さ9 kmを震源に発生、震源に近い福岡市西区の玄界島で住宅の半数が全壊する被害となったのをはじめ、同区能古島、西浦、宮浦、東区志賀島などの沿岸地区で大きな被害となりました。死者1人、負傷者約1200人、家屋全壊約140戸でありました。

07/23 千葉県北西部地震 M6.0 最大震度5強

08/16 宮城県沖の地震 M7.2 最大震度6弱

11/15 三陸沖の地震 M7.2 最大震度3


◇ 2006年(平成18年)

04/21 伊豆半島東方沖地震 M5.8 最大震度4


◇ 2007年(平成19年)

03/25 能登半島地震 M6.9 最大震度6強 死者1人

07/16 新潟県中越沖地震 M6.8 最大震度6強 死者15人

 10時13分23秒、新潟県中越地方沖の深さ17 kmを震源として発生し、非公式ながら柏崎刈羽原子力発電所敷地内にある地震計1基において震度7に相当する揺れ(計測震度6.5)があったと算出されています。
 柏崎市を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害で、死者15人、重軽傷者2316人、建物全壊1319棟、建物大規模半壊857棟、建物半壊:4764棟でありました。

07/16 新潟県上中越沖の地震 M5.8 最大震度6弱(新潟県中越沖地震の最大余震)

◇ 2008年(平成20年)

05/08 茨城県沖の地震 M7.0 最大震度5弱

06/14 岩手・宮城内陸地震 M7.2 最大震度6強 死者/行方不明者23人

 8時43分頃に岩手県内陸南部、深さ8 kmを震源に発生、岩手県奥州市と宮城県栗原市において、最大震度6強を観測、両市を中心に被害を受けました。死者/行方不明者23人、負傷者426人、家屋全壊30戸、家屋半壊146戸でありました。

07/24 岩手県沿岸北部の地震 M6.8 最大震度6弱 死者1人

09/11 十勝沖の地震 M7.1 最大震度5弱


◇ 2009年(平成21年)

08/09 東海道南方沖の地震 M6.8 最大震度4

08/11 駿河湾の地震 M6.5 最大震度6弱 死者1人


◇ 2010年(平成22年)

02/27 沖縄本島近海の地震 M7.2 最大震度5弱

11/30 小笠原諸島西方沖の地震 M7.1 最大震度3

12/22 父島近海の地震 M7.4 最大震度4


◇ 2011年(平成23年)

03/09 三陸沖の地震 M7.3 最大震度5弱(東北地方太平洋沖地震の前震と思われる)

03/11 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)M8.4 最大震度7死者/行方不明者約1万9000人

 14時46分18.1秒、牡鹿半島の東南東約130 km付近の太平洋、三陸沖(仙台市の東方70 km)の海底、深さ24 kmを震源に発生しました。太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域(日本海溝付近)における海溝型地震で、震源域は岩手県沖から茨城県沖にかけての幅約200km、長さ約500km、およそ10万平方キロの広範囲にわたりました。地震の規模を示すマグニチュードはMw(モーメントマグニチュード)9.0で、日本の観測史上最大の地震であり、世界でもスマトラ島沖地震(2004年)以来の規模で、1900年以降でも4番目に大きな超巨大地震でとなり、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらし、戦後最悪の自然災害となりました。

東日本大震災跡002

 地震によって大規模な津波が発生しました。最大で海岸から6 km内陸まで浸水、岩手県三陸南部、宮城県、福島県浜通り北部では津波の高さが8-9 mに達し、明治三陸地震(1896年)の津波を上回る最大溯上高40.1 m(岩手県大船渡市)を記録するなど、震源域に近い東北地方の太平洋岸では、高い津波が甚大な被害をもたらしました。津波は関東地方の太平洋岸でも被害をもたらした他、環太平洋地域を中心に世界の海岸に達しております。

東日本大震災の津波

 本地震による最大の問題点の1つとして福島第一原子力発電所(原発)の事故が発生しました。地震に伴い、1-6号機まである原子炉のうち稼働していた1-3号機は自動的に制御棒が上がり緊急停止しましたしたが、同時に送電線のトラブルなどで外部電源が失われました。速やかに非常用ディーゼル発電機が起動したものの、地震の約50分後、遡上高14-15 mの津波が発電所を襲い、地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機が海水に浸かって故障、全交流電源喪失状態に陥りました。このためポンプを稼働できなくなり、原子炉内部や、核燃料プールへの送水が不可能となり冷却することができなくなり、稼働中であった1-3号機全てで核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器(圧力容器)の底に落ちる炉心溶融(メルトダウン)が発生、溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開き、または制御棒挿入部の穴およびシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が原子炉格納容器(格納容器)に漏れ出し(メルトスルー)、燃料の高熱そのものや、格納容器内の水蒸気や水素などによる圧力の急上昇などが原因となり、1、3号機で原子炉建屋、タービン建屋が水素爆発を起こしました。こうして、放射性物質の放出をともなう、国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される原子力事故に発展しました。

福島第一原発事故

 2015年(平成27年)5月時点で、震災による死者/行方不明者1万8470人、建築物の全壊/半壊は合わせて39万8997戸が公式に確認されています。震災発生直後のピーク時における避難者40万人以上、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上等の数値が報告されているが、4年が経過した2015年4月時点、未だに避難者等の数は21万9618人にのぼり、避難が長期化していること伺われます。

 死者/行方不明者1万8470人
 震災発生直後の最大避難者40万人以上 → 4年後も21万9618人


 本地震は、断層面が水平に対して10度と傾きが浅く、ほぼ東西方向に圧縮される、低角逆断層(衝上断層)型のずれであり、水平方向の変位量が大きく、東北地方の太平洋沖地域に特徴的なタイプの海溝型地震でありました。断層の破壊が始まった震源地は三陸沖でしたが、最終的に断層が破壊した震源域は日本海溝下のプレート境界面に沿って南北に長く、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500 km、東西約200 km、深さ約5-40 kmの範囲で、合計約10万 km²の広範囲に及ぶものでした。

東日本大震災のメカニズム

 気象庁は地震発生後、この地震は単一ではなく、3つの地震が連動したもの(連動型地震)と解析しました。会見で同庁地震予知情報課の課長は、「5分前後かけて連続して発生するという、複雑な起こり方をしている。極めてまれで、気象庁の観測で初めての経験」と述べました。文部科学省の地震調査委員会も13日に臨時会を開き、破壊断層は南北に400 km、東西に200 kmの広範囲で、少なくとも4つの震源領域で3つの地震が連動発生したと述べております。さらには、東京大学地震研究所も、「大きな断層破壊が、1.宮城県沖、2.宮城県のさらに沖合、3.茨城県北部沖の陸に近い部分、の順に起こった」と説明しております。

 広い震源域を有した海溝型地震であり連動型地震

03/11 15:08 岩手県沖の地震 M7.4 最大震度5弱(東北地方太平洋沖地震の余震)

03/11 15:15 茨城県沖の地震 M7.6 最大震度6強(東北地方太平洋沖地震の最大余震)

03/11 15:25 三陸沖の地震 M7.5 最大震度4(東北地方太平洋沖地震の余震)

03/12 長野県北部の地震 M6.7 最大震度6強 死者3人(東北地方太平洋沖地震の誘発地震)

03/12 04:31 長野県北部の地震 M5.9 最大震度6弱(長野県北部地震の最大余震)

03/12 05:42 長野県北部の地震 M5.3 最大震度6弱(長野県北部地震の余震)

03/15 静岡県東部の地震 M6.4 最大震度6強(東北地方太平洋沖地震の誘発地震)

04/07 宮城県沖の地震 M7.2 最大震度6強 死者4人(東北地方太平洋沖地震の余震)

04/11 福島県浜通りの地震 M7.0 最大震度6弱 死者4人(東北地方太平洋沖地震の余震)

04/12 福島県中通りの地震 M6.4 最大震度6弱(東北地方太平洋沖地震の余震)

06/30 長野県中部の地震 M5.4 最大震度5強 死者1人(東北地方太平洋沖地震の誘発地震)

07/10 三陸沖の地震 M7.3 最大震度4(東北地方太平洋沖地震の余震)

11/08 沖縄本島北西沖の地震 M7.0 最大震度4


◇ 2012年(平成24年)

01/01 鳥島近海の地震 M7.0 最大震度4

03/14 三陸沖の地震 M6.9 最大震度4

03/14 千葉県東方沖の地震 M6.1 震度5強 死者1人(東北地方太平洋沖地震の余震)

12/07 三陸沖の地震 M7.3 最大震度5弱 死者2人(東北地方太平洋沖地震の余震)


◇ 2013年(平成25年)

02/02 北海道十勝地方南部の地震 M6.5 最大震度5強

04/13 淡路島付近の地震 M6.3 最大震度6弱

10/26 福島県沖の地震 M7.1 最大震度4(東北地方太平洋沖地震の余震)


◇ 2014年(平成26年)

07/12 福島県沖の地震 M7.0 最大震度4(東北地方太平洋沖地震の余震)

11/22 長野県北部の地震(長野県神城断層地震)M6.7 最大震度6弱

 22時8分頃、日本の長野県北部、北安曇郡白馬村、深さ5 kmを震源として発生、死者は出なかったものの、負傷者46人、家屋の全壊/半壊が243戸の被害がでました。糸魚川静岡構造線の一部にあたる神城断層とその北方延長部の併せて約20 kmの断層が活動したものでした。


◇ 2015年(平成27年)

05/30 小笠原諸島西方沖地震 M8.1 最大震度5強

 20時23分、小笠原諸島西方沖、深さ682 kmを震源として発生、気象庁が1885年に地震の観測を開始して以降初めて、震度1以上の揺れを47都道府県全てで観測し、また1900年以降に発生したマグニチュード8クラス以上の地震では世界最深でありました。


◇ 我が国における20世紀以降〜現在までの年別地震件数とその傾向

 以下は、上で列挙しました20世紀以降(1900年〜)現在に至るまでの、日本におけるM 7.0以上、または最大震度6弱以上、または死者/行方不明者1人以上のどれかに該当する地震を表にしました。M8.0以上、最大震度7、死者・行方不明者1000人以上、気象庁により命名された地震・津波の場合は赤丸で表記します。

地震年表¥の図

 我が国あるいは世界的に地震が増えているのかどうかは専門家に委ねるとしても、卓上の分析を少しばかり加えます。年号で分類して多い少ないと言うのは特に根拠はないのですが、20世紀の1901年以降を、1)明治33年〜大正時代の24年間、2)昭和時代63年間、3)平成26年まで、の3つの時代に分けて、M 7.0以上、または最大震度6弱以上、または死者/行方不明者1人以上の地震件数、さらには最大震度7、死者・行方不明者1000人以上、気象庁により命名された地震・津波の大地震の件数を算定しました。

 1)明治〜大正の24年間: 31件(1.3件/年)、大地震 3(8.0年に1件)
 2)昭和時代63年間  :110件(1.7件/年)、大地震24(4.6年に1件)
 3)平成26年まで   : 84件(3.2件/年)、大地震13(2.0年に1件)


 こうした分析が正しいかどうかは分かりませんが、素人目に見ても、明らかに我が国における地震の発生件数は増加しております。こうした傾向を直視して国のあり方を考えるべきかと存じます。地震の発生が全国に幅広く分布している我が国において、よく言われる、「福島第一原発の事故を教訓」にするのであれば、勇気ある姿勢!、これまでの方針を転換して、原発は全て廃止にするべきではないでしょうか?
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