アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

三浦 大輔(横浜DeNAベイスターズ)、歴代1位タイとなる23年連続勝利


 プロ野球、一昨日、子供の日である5月5日、東京ヤクルトスワリーズとの試合で横浜DeNAベイスターズの「ハマの番長」こと、三浦 大輔 投手(以下、三浦)が今季、初登板初先発で6回を投げ、3失点(自責点は2)、勝ち投手となりました。これは、入団2年目の1993年(平成5年)から23年連続の勝利であり、工藤 公康(現ソフトバンク監督)、山本 昌(中日、現役)のプロ野球記録に並びました。この息が長い選手を「アスリートのスピリッツ」のカテゴリで取り上げます。

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◇ 三浦 年度別成績

 まずは、三浦の、横浜大洋〜横浜〜横浜DeNAにおける一昨日までの24年間の投手成績を供覧いたします。ちなみに、大洋〜横浜大洋〜横浜〜横浜DeNAのファン歴40年の私は、今から21年半前の1993年9月、広島戦でプロ初勝利を初完投で上げた試合はスポーツニュースで観たのをはっきりと憶えております。その2年前のドラフト6位の入団は、高卒でありました。昔も今も、桑田(巨人)や中山(横浜大洋)、現代なら大谷(日本ハム)のようなドラフト1位クラスはともかく、高卒のドラフト下位の投手が、2年やそこらで、1軍で勝ち星を上げるのは珍しく、活躍することもないまま引退するケースも多いと思います。思わぬ「拾い物!」と喜びました。

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三浦 大輔

1973年12月25日生、183 cm 88 kg、右投右打、高田商、1991年ドラフト6位
1992年 横浜大洋ホエールズ、1993〜2011年 横浜ベイスターズ、2012年〜 横浜DeNAベイスターズ

三浦大輔 通算成績 JPEG
(NPBオフィシャルサイトより)

【三浦 大輔 投手 タイトル】
 最高勝率1回(1997年)、最優秀防御率1回(2005年)、最多奪三振1回(2005年)、
 月間MVP4回(2000年8月、2005年8月、2007年7月、2014年8月)
 オールスター出場6回(2002、2004,2006、2009、2012、2013年)


◇ 三浦 大輔 投手 経歴

 三浦は41歳、奈良県橿原市出身で、横浜大洋〜横浜〜横浜DeNA一筋、24年目の投手です。昨年より兼任コーチとなり、今年の年俸は1億3500万円とされます。「リーゼント」、「ハマの番長」など風貌から来るネーミングに加え、「開幕戦で勝てない」(7戦全敗)、「巨人に弱い」、「「打線の援護がない」、「超スローカーブ」、「二段モーション」など、大洋〜横浜ファンからは良きにつけ悪しきにつけ長年に渡り話題となって来た投手です。

1.プロ入り前

 高田商業高校3年生時の1991年、県大会は春、夏ともに決勝で、同年ドラフト1位で巨人に入団した谷口 功一 投手がエースでいた、天理高校に敗れました。三浦は秋のドラフトにて阪神からの指名を期待していたようですが、横浜大洋よりドラフト6位で指名され入団しました。背番号は46でした。

2.1991年ドラフト指名リスト

 1991年の日本プロ野球ドラフト会議指名リストを以下に示します。実はこの年の横浜大洋のドラフト1位は斉藤 隆 投手であり、彼は東北福祉大学からプロ入りしましたが、現在、45歳になっても東北楽天ゴールデンイーグルスにて現役であり、今年もこれまで2試合に登板しております。

【西武ライオンズ】
 1位  竹下  潤  投 手  駒沢大学
 2位  新谷  博  投 手  日本生命
 3位  熊澤当緒琉  外野手  所沢商業高
 4位  松田 和哉  投 手  長崎南山高
 5位  神野 信也  投 手  新居浜商業高
 6位  千原 淳弘  投 手  日高高中津分校
 7位  渡辺 孝男  捕 手  札幌篠路高
 8位  日月 哲史  外野手  関東高卒

【近鉄バファローズ】
 1位  高村  祐  投 手  法政大学
 2位  江坂 政明  投 手  神戸製鋼
 3位  品田 操士  投 手  花咲徳栄高
 4位  中村 紀洋  投 手  大阪 渋谷高
 5位  背尾 伊洋  投 手  大阪桐蔭高
 6位  森山 一人  投 手  邇摩高
 7位  上山  勲  内野手  北嵯峨高

【オリックス・ブルーウェーブ】
 1位  田口  壮  内野手  関西学院大学
 2位  萩原  淳  内野手  東海大学甲府高
 3位  本東  洋  投 手  三菱重工長崎
 4位  鈴木 一朗  投 手  愛知工業大学名電高
 5位  北川  晋  投 手  浪速高
 6位  西  芳弘  外野手  寺井高
 7位  山本 大貴  投 手  元阿部企業

【日本ハムファイターズ】
 1位  上田 佳範  投 手  松商学園高
 2位  片岡 篤史  内野手  同志社大学
 3位  徳田 吉成  捕 手  東洋大学
 4位  島崎  毅  投 手  NTT北海道
 5位  仲光 秀記  内野手  別府大学附属高
 6位  根本 隆輝  内野手  小松島西高
 7位  金子 貴博  投 手  船橋法典高
 8位  高野 慎哉  捕 手  原町高卒

【福岡ダイエーホークス】
 1位  若田部健一  投 手  駒澤大学
 2位  作山 和英  投 手  東北福祉大学
 3位  浜名 千広  内野手  東北福祉大学
 4位  三井 浩二  投 手  足寄高  ※入団拒否
 5位  山口 信二  投 手  新日本製鐵君津
 6位  本田 明浩  捕 手  新日本製鐵大分
 7位  林  孝哉  内野手  箕島高
 8位  市原  圭  外野手  上宮高
 9位  久保 孝之  内野手  上宮高
10位  田畑 一也  投 手  元北陸銀行

【千葉ロッテマリーンズ】
 1位  吉田 篤史  投 手  ヤマハ
 2位  河本 育之  投 手  新日本製鐵光
 3位  丹波 健二  内野手  東芝
 4位  花島 寛己  投 手  習志野高
 5位  樋口 一紀  内野手  住友金属
 6位  服部 文夫  投 手  九州三菱自動車
 7位  市場 孝之  内野手  国際海洋高卒
 8位  小林  至  投 手  東京大学

【広島東洋カープ】
 1位  町田公二郎  外野手  専修大学
 2位  徳本 政敬  内野手  木本高
 3位  佐藤 貞治  投 手  鎮西高
 4位  金本 知憲  外野手  東北福祉大学
 5位  杉田  勇  捕 手  富士学苑高
 6位  伊藤  真  投 手  八千代国際大学
 7位  小畑 幸司  捕 手  所沢商業高
 8位  大石 昌義  投 手  鳴尾高卒

【中日ドラゴンズ】
 1位  落合 英二  投 手  日本大学
 2位  佐々木健一  投 手  徳島商業高
 3位  若林 隆信  内野手  佐賀学園高
 4位  若林 弘泰  投 手  日立製作所
 5位  井手元健一朗 投 手  四日市工業高
 6位  佐野  心  外野手  いすゞ自動車
 7位  永川 満寿  内野手  西淀川高

【ヤクルトスワローズ】
 1位  石井 一久  投 手  東京学館浦安高
 2位  西岡  洋  投 手  大阪ガス
 3位  増田 政行  投 手  国士舘大学
 4位  津川  力  内野手  明徳義塾高
 5位  高梨 利洋  内野手  札幌第一高
 6位  鮫島 秀旗  捕 手  日生学園第二高

【読売ジャイアンツ】
 1位  谷口 功一  投 手  天理高
 2位  小原沢重頼  投 手  城西大学
 3位  松岡 正樹  捕 手  平安高
 4位  伊藤 博康  外野手  東北福祉大学
 5位  三好 正晴  投 手  川口工業高
 6位  羽根川 竜  投 手  東北高

【横浜大洋ホエールズ】
 1位  斎藤  隆  投 手  東北福祉大学
 2位  永池 恭男  内野手  福岡工業大学附属高
 3位  有働 克也  投 手  大阪経済大学
 4位  斉藤  肇  投 手  静岡 星陵高
 5位  石本  豊  外野手  藤代柴水高
 6位  三浦 大輔  投 手  奈良 高田商業高
 7位  山根 善伸  捕 手  新日本製鐵名古屋
 8位  川北 和典  内野手  元プリンスホテル

【阪神タイガース】
 1位  萩原  誠  内野手  大阪桐蔭高
 2位  久慈 照嘉  内野手  日本石油
 3位  弓長 起浩  投 手  熊谷組
 4位  桧山進次郎  内野手  東洋大学
 5位  中川 申也  投 手  秋田経済法科大学附属高
 6位  工藤 慎明  投 手  筑陽学園高
 7位  木立 章成  内野手  専修大学北上高
 8位  中村 公信  投 手  元田村コピー

 こうして見ると、この年のドラフトは、新谷(西武)、高村(近鉄)、中村紀(近鉄)、田口(オリックス)、鈴木 = イチロー(オリックス)、片岡(日本ハム)、若田部(ダイエー)、浜名(ダイエー)、河本(ロッテ)、金本(広島)、石井(ヤクルト)、斉藤隆(横浜大洋)、久慈(阪神)、弓長(阪神)、桧山(阪神)など日本プロ野球ならびに米大リーグでも活躍した選手を多く排出した年でありました。でも、その中にあってドラフト6位以降で100勝以上は三浦ただ一人ですし、現在まで現役なのは、先にも申し上げた斉藤(楽天)と世界のイチロー(MLB マリーンズ)と3人のみであります。

3.プロ野球選手名鑑のコメント

 正式名「'92プロ野球 12球団 全選手 百科 名鑑」(日本スポーツ出版社)に三浦について以下のように紹介されております。

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46 投手 三浦 大輔

三浦大輔 入団時写真

(生)73・12・25(歳)19(出)奈良県橿原市(利)右投右打(長)181(重)74(歴)高田商ー大洋(92年D6位)(給)400万(評)契約金3500万、140キロの速球とフォークボールが武器。強豪天理高がいるため、昨年の春季大会では、その、天理に敗れて、準優勝。夏の県大会でも決勝で天理と対戦、12奪三振の力投をみせたが、1対3で敗れてしまった。右の本格派で、じっくり鍛えれば面白い。(血)B

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 まず、最初に気づくのは、今年の公式発表では183 cm 88 kgとのことでしたが、24年前の入団時は181 cm 74 kgとのことで、身長が2 cm、体重では14 kgも増加しております。

3.初登板からローテーション入りまで、「二段モーション」獲得へ

 横浜大洋ホエールズ最後の年となった1992年、三浦にとって入団1年目の10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)に3番手としてプロ初登板を果たすと、打者6人を完璧に抑える好救援を見せました。実はこの試合、最多勝2回、最多奪三振を3回、83年には沢村賞、ベストナインにも選ばれた、1980年代の横浜大洋ホエールズの大エースであった、遠藤 和彦 投手の引退試合であり、横浜スタジアムは超満員の大観衆でありました。まさに、緩やかな新旧交代のターニング・ポイントであったわけです。
 球団名が「横浜ベイスターズ」に変更された1993年9月4日、上でも触れました通り、対広島東洋カープ戦(北九州市民球場)でプロ初勝利を初完投で上げ、この年は3勝3敗の成績でありました。翌1994年はやや伸び悩みの感がありましたが(2勝2敗)、1995年には先発ローテーション入りを果たし、初の規定投球回達成、8勝8敗の成績でありました。
 なお、この年から、振りかぶった後、上げた左足を一瞬空中で静止させる独特のフォームに変更しました。これは練習の遠投から生まれたもので、何気なく試していたら、うまくタメが出来たためそのまま使う事になったとのことです。2006年以降にボークに関する規定の厳格化(2段モーションの禁止)によって投球モーションの変更を余儀なくされましたが、今なお以前の投球フォームの名残が残っております。

4.最高勝率から主力投手入り

 1996年(22歳時)は、5勝10敗と主力投手としては不本意なシーズンとなり、1997年もキャンプで足を痛めてリハビリからのスタートとなり、開幕しても6月が終って1勝3敗と全く調子が上がりませんでした。しかし、7月15日に巨人戦初勝利を上げると勢いに乗り、8月20日のヤクルトとの天王山で1失点完投勝利を記録するなど、終わってみれば、9連勝を達成して10勝3敗で最高勝率に輝きました。同年のオフには背番号を46から18に変更、いよいよ主力投手となりました。

5.1998年、38年ぶりのリーグ優勝

 1998年については別の機会に詳述しますが、この年の横浜の先発投手陣は、三浦(12勝7敗、防御率3.18)の他に、左の野村 弘樹(13勝8敗、3.34)、右の斎藤 隆(13勝5敗1S、2.94)、川村丈夫(8勝6敗、3.32)、戸叶 尚(7勝8敗、5.17)ら各投手がおり、実績と球の力では野村、斎藤が秀でていましたが、川村が開幕投手を担ったことからも分かる通り、誰がエースと言うわけではなく、とにかく権藤 博 監督の「中継ぎローテーション」を駆使して、大魔神、佐々木主浩 投手(1勝1敗45S、0.64)に繋ぐ、そんな戦いぶりでありました。
 この年の三浦は、開幕から絶好調で8月4日の阪神戦に勝って10勝4敗、目標と語っていた15勝も見えていましたが、突然の肝機能障害を発病し、8月22日の中日戦での敗戦後、8月25日に登録抹消、チームが優勝争いをする中、入院生活を送ることになりました。「顆粒球減少症」などと報道されましたが、EBウイルス感染による「伝染性単核球症」であったのでは?、と思います。安静にしていれば自然に治りますし、慢性化することはなく、後遺症は残りませんが、ある一定期間、発熱と咽頭痛があって、休まざるをえない病態です。
 三浦は病院を抜け出し、横須賀のグラウンドで黙々と走っていたそうで、1月後に復帰したところで、マジック3で迎えた10月6日のヤクルト戦の先発では素晴らしい好投を見せました。最終的には、自己最高の12勝を上げ、十分、優勝に貢献した印象でしたが、本人からすれば、最後の正念場である9月を欠場したことは負い目となったでしょうし、もしかしたらその後の選手生活におけるトラウマとなったかも知れません。

横浜セリーグ優勝の記事

6.日本シリーズでは思わぬ大乱調

 38年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした横浜ベイスターズは西武ライオンズとの日本シリーズに臨みました。1戦目の10月18日(横浜スタジアム)で、石井 琢朗 選手のバントヒットから横浜の先制点で始まった試合は、野村 — 阿波野 — 佐々木のリレーで9-4で勝利、第2戦目(10月19日)は斉藤 隆の4-0完封勝利と好調な滑り出しでありました。
 第3戦は雨で順延となった10月22日、西武ドームで行われ、シーズンの成績通りに権藤監督は三浦を先発のマウンドに送りました。ところが、2回裏に4四球を出してノーヒットで2点の先制を許すと、3回裏にも無死から連続四球を与えるなど2回1/3で6四球という大乱調、4失点降板となりました。試合は、その後にリリーフした福盛、戸叶も四球を重ねてシリーズ記録となる11四球を与えて大敗となってしまいました(2-7)。実は、三浦は第6戦の先発も予定されていましたが、この乱調で川村に大役を奪われてしまったとされます。
 第4戦(10月23日)は、野村を立てるも2-4で敗戦、対戦成績が2対2のタイとなりましたが、第5戦目は斉藤隆の好投とマシンガン打線の爆発もあって17-5の大勝で、いよいよシリーズに大手をかけました。第6戦、10月26日は先発の川村が好投、阿波野、佐々木と繋いで2-1、横浜は日本一になりました。残念ながら、三浦の日本シリーズにおける登板は2回1/3のみで終わりました。

横浜ベイスターズ日本一 写真

7.1999年、開幕投手 三浦 とナインに意識の違い?

 セ・リーグ優勝、日本一の翌年、野村が肘の手術を受けて1年を棒に振ることになり、権藤監督は開幕投手に斉藤隆ではなく、三浦を指名しました。この時の両投手の状態がどうであったかは分かりませんが、権藤氏の思惑として、前年のシーズン終盤と日本シリーズで思うような仕事ができなかった、斉藤隆より4歳若い三浦をエースに擁立して、今後の横浜ベイスターズの投手陣の柱と考えたのだろうと思います。
 ところが、権藤氏の思惑は大きく外れました。三浦は開幕戦で敗戦投手となって、なんと、この年14試合目の登板で初勝利を上げることとなり、シーズンでは9勝10敗と平凡な成績で終わりました。これにはちょっとしたカラクリがあって、前年の優勝、日本一に貢献できなかった三浦と、その他のナインに意識の違いがあったのでは?、と考えます。

 1999年、三浦と他の横浜ナインの意識の違い?

 この年のチーム打率は当時の日本記録である .294 と、マシンガン打線は最盛期を迎えました。以下に、横浜のスターティングラインアップ、規定打席選手を列挙いたします。

 1番 石 井 131試合537打数157安打 8本 58打点39盗塁 .292
 2番 波 留 130試合568打数169安打15本 70打点21盗塁 .298
 3番 鈴木尚 134試合542打数178安打17本 92打点 7盗塁 .328
 4番 ローズ 134試合521打数192安打37本153打点 3盗塁 .369
 5番 駒 田 129試合519打数151安打 9本 71打点 0盗塁 .291
 8番 谷 繁 122試合427打数126安打11本 51打点 0盗塁 .295

 1番から5番までがシーズン150本安打以上、8番谷繁(現中日選手兼任監督)を含む、6人の規定打席到達選手が打率2割9分以上と、とてつもない打撃陣だと思います。しかしながら、この年の横浜は、前年の優勝、日本一の慢心から雑な野球が目立ちました。三浦が先発した開幕から6連敗のスタートでしたし、佐々木は肘の手術で離脱しました。打撃陣は、言い方は悪いですが、「個人打撃成績のための」シーズンのようでした。そして、それに上手に便乗したのが川村(17勝6敗)と斉藤隆(14勝3敗)でありました。逆に三浦が登板している時は打線が沈黙と言うことが、この時期より起こり始めました。

 三浦と他のナインの意識の違い、それは三浦にはやり残したことがあったのに対して、多くの横浜の主力選手に「達成感」、「慢心」と言った気持ちがあったと思います。三浦がどこまでも野球に対して真面目であったのに対して、優勝後の横浜ナインは野球を楽しむ感覚が感じられました。

 大袈裟な言い方ですし、実際のところはもっともっと多くの要素があるのですが、この1999年の戦い方が、その後の横浜が昨年までの16年間、優勝から遠ざかった原因かと思いますし、逆を言えば、三浦が優勝から17年目の今シーズンまでも現役でいるのは、彼には「やり残したことがあった」からではないかと思う次第です。

8.開幕戦未勝利/巨人戦に弱い

 1999年の開幕投手に選ばれた三浦は以後も6回の開幕投手を務めますが、結果は0勝7敗といずれも敗戦投手となっており、開幕登板での7連敗は日本記録となっております。

 【三浦の開幕投手成績=全て敗戦投手】
  年 度  対戦相手  球 場      相手投手
  99年  ヤクルト  横浜スタジアム  石井 一久
  02年  広  島  広島市民球場   佐々岡真司
  04年  ヤクルト  神宮球場     ペバリン
  05年  中  日  ナゴヤドーム   川上 憲伸
  06年  巨  人  東京ドーム    上原 浩治
  07年  巨  人  横浜スタジアム  内海 哲也
  08年  中  日  ナゴヤドーム   浅尾 拓也

 三浦はセ・リーグ優勝の大詰めで病気欠場となり、日本シリーズでも乱調でKOされました。期待された99年の開幕でも敗戦投手となりました。いつの間にか、「ここ一番で力を発揮できない投手」とのレッテルを貼られてしまい、これを本人も意識したのか?、開幕戦では好投できず、また注目度が集まる巨人戦でも成績は不良でありました。もっとも、三浦が月間MVPを4回獲得したのはいずれも7月8月の真夏であり、春先はスロー・スターターであるとも言えます。また、プロ入り前に入団を希望していた阪神に対しては闘争心があるためか、非常に好成績を残しております。

9.2005年、短い「真のエース」

 2000年からは、優勝の投手陣から、野村が故障、引退、斎藤隆が故障とストッパー転向(2001年、森監督)、川村の不調、低迷があって、1番手の先発ローテーション投手として頑張らざるを得ない状況となりました。2000年は11勝6敗、2001年も11勝6敗と、まずまずの成績ではありましたが、チームで1番であっても、「真のエース」と言えるかどうか?、疑問符が付く投球でありました。2002年からの3年間は、2002年と2004年の開幕投手を務めながら、故障もあって、4勝、5勝、6勝と奮いませんでした。
 そんな彼が、短い間でしたが、「真のエース」と思える時がありました。2005年(27歳時)7月13日から後半戦の投球であります。この年、7月13日以前の14試合では3勝7敗であり、前年(6勝)とほぼ同等な内容でありました。ところが、7月13日からシーズン終了までの14試合では9勝2勝、14試合中13試合で3失点以下、12試合で8イニング以上を投げて5完投、防御率に至っては1.89という驚異的な数字を記録しました。8月には自身2度目の月間MVPを受賞し、9月20日広島戦では完封で4年ぶりの二桁勝利を達成、そして10月12日広島戦でも2失点完投勝利をあげてチームを4年ぶりのAクラスに導きました。結局、三浦は最優秀防御率(2.52)、最多奪三振(177)で球団史上2人目となる投手二冠王に輝き、球団としては86年の 遠藤 一彦 投手 以来19年ぶりとなる200投球回も達成しました。

10.2006年からの「1年おき投手」の4年間とFA残留

 2005年の後半に「真のエース」と思われる投球をした彼ですが、2006年には8勝12敗 防御率 3.45と平凡な成績でした。2007年は少し挽回して、11勝13敗 3.05、2008年はまたも二桁勝利に届かず、7勝10敗 3.56、2009年は11勝11敗 3.32と、俗に言う「1年おき投手」の4年間を過ごしました。この間の2008年オフ、FA権を行使すると、阪神がトラキラーの三浦獲得に動き横浜を上回る契約条件を提示しましたが、三浦は「強いチームを倒したい」と残留を決意しました。

11.引退の危機から復活

 2010年(32歳時)、開幕直前の巨人とのオープン戦で4回、8本塁打を含む14被安打で14失点という大炎上で二軍スタートとなりました。4月9日の広島戦で復帰登板、6回無失点で勝利投手になると、阪神戦、ヤクルト戦と好投を続けましたが、4月30日のヤクルト戦では初回に5失点を喫するなど徐々に打ち込まれる試合が目立つようになりました。5月21日の日本ハム戦では8回を自責0に抑えてダルビッシュに投げ勝つなど意地を見せましたが、続くロッテ戦で移籍した吉見に投げ負けると、そこからシーズン終了まで白星を掴めず、終わってみれば3勝8敗、防御率7.23という大不振のシーズンでした。

 2011年(33歳時)も5月4日の広島戦で初回に梵の先頭打者本塁打から4連打を集中されて3点を失うと2回表の打席で代打を送られ、アクシデント以外では15年ぶりとなる初回KOとなってしまいました。翌日に登録抹消となった三浦は、大きなショックを受けて一時は引退も考えたとされますが、妻の「三浦大輔がこのまま終わっていいの?そんな姿は見たくない」という言葉で三浦はもう一度がんばろうと決意したとのことです。

 妻の「三浦大輔がこのまま終わっていいの?そんな姿は見たくない」との発言

 2軍での三浦は、長距離走中心だった調整を見直して、ショートダッシュで徹底的に下半身をいじめ抜きました。これによって130キロ台中盤まで落ち込んでいた球速が140キロ台中盤まで回復し、7月9日に一軍昇格、翌日の中日戦で先発すると初回に大島、岩崎、森野から3者連続三振、4回裏に小池のタイムリーで先制を許したが、6イニングで9つの空振り三振を奪うなど「三浦復活」を印象付けました。7回表には三浦の代打稲田が勝ち越打を放って三浦に415日ぶりの白星が記録されました。
 8月7日の中日戦では白星は付かなかったが7回を4安打、1四球で無失点に抑えて勝利に貢献、続く14日の中日戦では7回一死までノーヒットノーランという素晴らしいピッチング、その後も21日の阪神戦で7回を自責1、28日の中日戦で6.2回自責1、9月4日の阪神戦で7回自責0(降雨コールドで完封)と5試合連続で自責1以下を記録しました。打線の援護に恵まれず白星は伸びませんでしたが、この年、5勝6敗、防御率2.91という好成績を残し復活しました。

12.2012年、横浜DeNAベイスターズになってから昨年まで

 2012年(38歳時)、親会社がTBSからDeNAとなり、開幕3戦目の4月1日、対阪神戦(京セラドーム大阪)で三浦は勝利投手となり、横浜DeNAベイスターズとしての球団初勝利となりました。7月4日の対巨人戦では2005年8月23日以来となる2507日ぶりの巨人戦勝利を上げ、同時に通算150勝を達成しました。以後も好調を続けて前半戦だけで8勝をあげ、3年ぶりのオールスターに出場しました。最終的にはチームトップの9勝をあげリーグ最多の6完投を記録しました。

 2013年(39歳時)、6月12日のが対ロッテ戦(QVCマリン)で3対0で完封勝利し、小山 正明 投手の39歳1カ月での球団最年長完封記録を39歳3カ月で更新するなど、チームトップの9勝をあげました。

 2014年(40歳時)、投手兼任コーチに就任、開幕から4連敗を喫しますが、7月13日のヤクルト戦で5回1失点で勝利投手となり、米田哲也に並ぶ歴代3位タイとなる22年連続勝利を達成、その後5連勝を挙げてチームの後半戦の巻き返しに貢献しました。8月は1完投を含む3勝0敗、セ・リーグ唯一の防御率1点代(1.20)の活躍で月間MVPに選ばれました。最終的に5勝6敗でしたが、投球回数はチーム5位と健闘しました。


◇ 2015年(41歳時)5月5日の勝利

 5月5日の試合結果は、産経新聞、スポーツ報知およびデイリースポーツの記事をご紹介いたします。その前に、三浦の4回表の投球を動画にいたしました。球威は落ちましたが、コントロールはさすがです。

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産経新聞三浦の記事

 今季最多の2万8960人で埋まったこどもの日の横浜スタジアム。主役は今季初登板の41歳、DeNAの三浦だ。

 「1カ月遅れの開幕。何年やっても緊張するけど、この緊張の中でやるために準備してきた」

 二回に先制されたが、四回に逆転。六回に勝ち越されて、三浦はマウンドを降りたが、その裏に再逆転。試合前のロッカーで「三浦さんに勝ち星をつけよう」と気勢を上げた野手陣がバックアップしブルペン陣も最後は1点差で振り切った。

 歴代7位となる実働24年、23年連続勝利は工藤(西武など)、山本昌(中日)のプロ野球記録に並び右腕では最長。「振り返れば長いけど、一年一年の積み重ねですから」と語った。

 くしくもこの日は麻由子夫人の誕生日。ウイニングボールは「家族にプレゼントします」と照れくさそうに笑った。(芳賀宏)

5:5三浦投球 写真


三浦の記事 コピー

◆DeNA5―4ヤクルト(5日・横浜)

 DeNAが、先発・三浦大輔投手(41)の23年連続勝利のプロ野球タイ記録で4連勝を飾り、単独首位に浮上した。女房役の高城がプロ初アーチを放ち、打線もベテランの好投に報いるために奮起。中畑監督も大興奮で、チームの貯金も今季最多の5となった。

 初夏を思わせる日差しを浴びて、ハマの番長がまばゆいばかりの輝きを放った。今季初登板の三浦は、6回7安打3失点(自責2)で今季初勝利。プロ2年目の93年から23年連続の勝利は、プロ野球タイ記録だ。チームも単独首位に浮上。「やっと開幕できました。みんなに勝たせてもらって感謝してます。ご来場ありがとうございます!」。お立ち台から声を張り上げると、今季最多の2万8960人が押しかけたハマスタのボルテージは、最高潮に達した。

 待ちに待ったマウンドだった。24年目の今季は、開幕ローテ争いに敗れて5年ぶりの開幕2軍スタートに。イースタンでは3戦3敗、防御率4・76と結果は出なかったが、ゴールデンウィークの9連戦中ということもあり、巡ってきた先発のチャンス。「同じ気持ちでマウンドに上がってるつもりだけど、やっぱり雰囲気が違う。こういう緊張感の中で投げたかった」。アドレナリン全開で、別人のような投球を披露した。

 山本昌と工藤という、球界のレジェンドに肩を並べた。「1年1年やってきたことの積み重ねなんでね。今は2015年をどう戦うかしか頭にない」というが、胸にある野望を秘めている。「おふたりが作ってくれた新しい道を太くできれば、という思いはある。野球は年齢じゃない、というところは見せたいね」。まだまだ老け込むつもりはない。

 この日は麻由子夫人の誕生日で「こどもの日」。スタンドには高校3年の長女も観戦に訪れていた。「勝ててよかった。女房と子どもに、いいプレゼントになりました」。ウィニングボールを手に、番長は上機嫌で球場を後にした。(片岡 泰彦)

 中日・山本昌投手「素晴らしい記録、おめでとうございます。僕より8つ年下だし、まだこの先、何年も勝ち投手として(記録を伸ばせるように)頑張ってほしい。個人的にも親しいし、200勝まで突っ走ってほしいですね」

5:5ヒーローインタビューに臨む三浦


デイリースポーツ記事

「DeNA5-4ヤクルト」(5日、横浜)

 千両役者には大歓声が包むハマスタのマウンドはよく似合う。DeNAの「ハマの番長」三浦の今季初登板。24年目の“開幕”に、心地よい緊張感が全身を伝った。

 「これを求めていたし、この緊張感の中で投げたかった」。思いは初回の投球から表れる。先頭の山田、続く上田を空振り三振に仕留める滑り出し。中畑監督が「こちらにも伝わるものがあった」と舌を巻く気迫だった。

 同点の六回に味方失策で勝ち越しを許すが、その後の2死一、二塁をしのぐと、打線が右腕の粘りに応える。その裏に女房役・高城の勝ち越し右翼線二塁打など計3得点で逆転。三浦にプロ野球タイ記録となる23年連続勝利をプレゼントした。

 逆境を力に変えてきた。昨季は開幕直後から長い2軍生活を経験。ようやくの初勝利は7月に入ってから。「それも修業。苦しみの先に勝った喜びがある。去年を経験したから前向きにできている」。開幕を2軍で迎えたベテランは、目の奥に強い光を宿していた。

 チームは4連勝で首位に浮上。貯金5と5月以降の単独首位は、ともに8年ぶり。だが三浦が目指す頂は、まだ先だ。「今日は良かったけど、これで終わりじゃないので」。麻由子夫人の誕生日に手にしたウイニングボールを家族の元に届け、次なる戦いへと歩みを進める。

5:5高城と三浦 写真

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◇ 今シーズンの横浜ベイスターズと今後の展望

 さて、長くなりましたが、横浜DeNAベイスターズについては必ずどこかでご説明して参りたいぞ存じますが、今シーズンのベイスターズはまさに「絶好調」です。

DeNAベイ20勝1番乗り記事

 いちいち記事を拾うまでもなく、両リーグ20勝1番乗りは球団史上初の出来事ですし、4月の月間MVPに選ばれた梶谷や本塁打と打点でトップを走る筒香らを中心とした打線に、久保、山口、三嶋、そして今日、巨人戦に予告先発の井納が元気で、不調の高崎、故障のモスコーソは2軍落ちしていますが、そこに三浦が入って来ますと、まだまだ奮闘できる状況であります。

 三浦のプロ入り前から、主戦投手になるまで、セ・リーグ優勝と日本一、そしてその後の浮き沈みをご紹介しました。必ず確実に引退の日は来ますが、ここまで頑張った彼に、最後のチャンスが巡りつつあります。それは、1998年以来、17年ぶり、優勝争いの中で活躍すること、そして前回、2回1/3で降板せざるを得なかった日本シリーズでの登板、勝ち星を上げることであります。それだけはなんとしても、実現させてやりたい、大洋〜横浜ファンの共通した感覚だと思います。
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