アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

「癌の告知」について 第二版

 今日は、「癌の告知」について、昨年の5月3日にも取りあげた内容ですが、文章と図を加えて更新し、第二版としてもう一度、記事にさせていただきます。

 私が初めて癌患者と身近に接したのは小学校1年生、6歳ぐらいのことでした。母親の姉が若くして胃癌に罹り、その病室を訪れる際「ガンという言葉は絶対に口にしてはダメ」と言われて、「ガンバって!」すら言ってはならないと硬く口を閉ざしていたのが想い出されます。今から思えば、叔母は若い女性に多いスキルスから癌性腹膜炎状態だったようで、昭和40年代の当時、本人に病名は知らされていませんでした。
 多くの有名人が癌に罹患し、不幸の転機を聞くことが少なくなく、今も昔も、癌は治療困難な病気であります。もちろん昭和の時代と今とでは、治療法に試行錯誤から改善が図られ、治療成績に向上は見られておりますが、己が癌であることを知ったその瞬間から死を意識せざるを得ないのは昔も今も変わりありません。日本人の人生観や死生観に大きな変化が生じているとは考えづらく、その昔、タブーとされた「癌の告知」について、その是非を検証いたします。


◇ 昭和の医療 渡辺 淳一 氏の小説から

 昭和の代表的な医学系小説家で、春先に他界された、故 渡辺 淳一 氏(1933年 [昭和8年] 10月24日 - 2014年 [平成26年] 4月30日、享年80歳)は昭和49年発刊の「無影燈」の中で、進行胃癌の患者に対する手術で切除不能で終わった際の、主人公である直江医師と若手の小橋医師の会話を以下のように描写しています。

無影灯 写真

 *****

  小橋 患者になんと説明するのですか?
  直江 大きな潰瘍で、できるだけ切除したと言えばいい
  小橋 そんなんで騙せるものですか? 
     良くならないと言って迫ってくるんじゃないですか?」
  直江 癌である以上、騙さなければならない
     患者は迫ってなどこない
     患者は、医者が嘘をついていると知りながら、
     その嘘に一縷の望みを託して、
     嘘のなかに入って行こうとするものだ
     最後の最後に、命尽きる時、
     医者を恨むだろうがそれでいいのだ

 *****


 昭和の時代、乳癌や白血病など他分野はともかく、消化器において癌は不治の病であるとの前提の下、その告知は本人の落胆、精神力の減退、苦しみを惹起する一方、告知しないことにより患者は精神の安定から安らかな生活を送れると信じられておりました。これは、死に直面する者に対する精神的配慮と言えるものだったと思います。こうした傾向は、平成7, 8年頃まで続きましたが、私は平成6年4 月より秋田県の病院に勤務しましたので、その秋田では「癌の告知」は行わない時代でありました。

癌の告知の是非、精神的配慮から

 この発想に基づいて、冒頭で申し上げた、3人の学童期息子/娘をもちながら若くして進行胃癌に罹った私の叔母にも、癌の告知はなされなかったことは想像に難くありません。そして、その叔母が、癌の告知がなされずに、元気に笑顔でいられた時間が少なからずあって、「とても本人には伝えられない」としていた母方の親戚一同の雰囲気が想い出されます。癌を告知しないことにより、患者がその「嘘の中に入ってくる」、故 渡辺 淳一 氏の考え方は決して間違いではないと思います。現在においても、患者家族の方から本人への告知を避けて欲しいとの要望がしばしば聞かれます。それはそれで、あり得る心情だと思います。
 しかしながら、今現在、「癌の告知」が普通に行われているのはなぜでしょうか? いくつか思い当たることを挙げてみます。


◇「癌の告知」の根拠として考えられること

 先に一般的に言われている根拠を述べますと、、、

 ○ 情報化社会のため隠し果(おお)せない
 ○ 合併症、危険性を含む病名、治療概要説明の必要性
 ○ 自分の余命を知って充実した余生を送りたいとする考え方
 ○ 代替・統合医療など、自ら治療法を選択する権利

そんなところでしょうか? それぞれについて若干の考察を加えます。

1.情報化社会のため隠し果(おお)せない

 「医者からもらった薬がわかる本」(法研)の初版が1985年(昭和60年)であり、これまで29版を重ねております。患者が自分が受けている治療の概要を知ると言う今では常識的なことは、この本が大きなきっかけとなったように思います。

医者からもらった薬がわかる本 図

 また、今の時代はブログやFace Book、ツィートなどとSocial Networking Service、SNSが発達しており、インターネットを介して、見ず知らずの人の闘病生活を知ることができます。他者との比較から、自分がどんな病気でどう治療されているかを知ることは至極簡単なことであります。「癌の告知」をせずに隠匿していたのが、あっさり患者にバレてしまう、そういう「情報化社会」の流れと言う考え方です。

2.合併症、危険性を含む病名、治療概要説明の必要性

 現代は契約の時代であります。とりわけ医療の分野では、インフォームド・コンセント(informed consent, IC)と言って、「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念が定着してきて、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で、対象者が自らの自由意思に基づいて医療従事者と方針において合意する概念であります。日本では、1997年(平成9年)の医療法改正によって、医療者は適切な説明を行って、医療を受ける者の理解を得るよう努力する義務が初めて明記されました。

手術検査同意書 図

 上で示しましたごく一般的な手術(検査)承諾書においては、病名、麻酔法とその副作用、合併症と、手術(検査)の目的、必要性と、やはり副作用、合併症、さらには手術(検査)後の経過、見通しまで明記して、患者、家族に署名をいただきます。最後の文章に大きな意味があります。

 なお、医学的常識に基づく施術が行われたにもかかわらず、万一発生した不可抗力の事態に対しては、異議申し立てをいたしません。

 つまりこれがインフォームド・コンセントの実際であり、合併症などの「不可抗力」に対する訴訟などを予防して、はっきり、医療サイドを守るためものであります。これも、偽らざる現実であります。しかし、これが医療における「契約」と考えれば至極、当然のことでもあります。
 こうした流れの中で、「癌の告知」をしないことは、あり得ない、と言うのが現状です。上で申し上げた、1997年(平成9年)の医療法改正で初めて明記された「医療者は適切な説明を行って、医療を受ける者の理解を得るよう努力する義務」、このあたりが、正確に「癌の告知」が一般化された時期かと存じます。

 1つ、申し上げたいこととして、この時期(平成9年当時)の前、私たち外科医は、患者に対して「癌の告知」を行うべきか否かをずいぶんと議論して参りました。その現れが故 渡辺 淳一 氏の主張であり、患者によっては「この人には話しても良いのでは!?」って思うケースはしばしばでした。上記流れの医療法改正を機に、難しいことを考える必要がなくなったのは医師の方なのであります。

3.余命を知って充実した余生を送りたいとする考え方

 余命を意識することによって残りの人生を考えることは、今に始まったことではないと思います。現代医療が確立される以前は、むしろそういう時代であったかも知れません。命の儚さ(はかなさ)や、限られた人生に対する心構えなど、、、。

BJ死ぬ直前の芸術作品 図

 上に示したのは、前にも提示したことがあります(昨年7月19日記事「解ってほしい! ヒトがいきること、ヒトがしぬことを」)。故 手塚 治虫 氏の「ブラック・ジャック」、1976年(昭和51年)8月に発刊された第9巻に収録された「絵が死んでいる」と言う作品の1場面、末期癌の画家が絵を完成させるシーンです。故 手塚 治虫 氏は昭和の内科医、故 渡辺 淳一 氏も昭和の時代に整形外科医でありましたけれど、告知や余命に対する考え方が両者に大きな開きがあったとは思いますせんが、それぞれに医師としての考え方があったと思います。
 ここで申し上げたいことは、生きている間に自分がやれること、芸術作品や誰かに何かを伝えたいこと、あるいはやり遂げたい仕事があって、自分が癌であるならそう言ってほしい、予後はどの程度であるのかを知りたい、そう言う考え方がが表面に出て来ているように思います。でも、これはもっと前からあった概念だと思います。

4.代替え医療など、自ら治療法を選択する権利

 「癌の告知」がタブーであった時代には己の治療の概要は不明瞭で、投薬すらも詳しい説明がなされませんでした。癌であることが告げられていないのですから、治療法を選択する余地すらもなかったわけです。
 例えば、癌に効くとされるサプリメントや温泉、玄米などの食事法、免疫力を高める笑いなどの生活習慣、あるいは自己啓発や信仰、お祓いなどなど、数えきれないほどに、現代の西洋医学以外にも癌に対する有効なものがあります。

代替療法・統合療法「日本がんコンベンション」会場風景

 上の写真は今年の7月に出席してきました「第20回 代替・統合療法 日本がんコンベンション」の会場風景です。癌治療にけける、現代医療の限界を指摘するのみならずそれを弊害とする立場の人があまりにも多いのに驚きました。こちらの分野はまた機会があれば勉強の成果をお知らせしたいと思いますが、中には高い説得力があるお話もありました。先日取りあげた「科学?/非科学? ファスティング(断食)の美容・アンチエージング・疾病における有効性を検証」(8月11日)や「解明されつつあるサーチュイン遺伝子のアンチエイジング効果」(9月7日)はこの「代替・統合療法」で仕入れたネタでありました。
 こうした、現代医療、少なくとも保険診療の範囲の外側に、もしかしたら癌に有効な治療法があるかも知れないことを私は否定しません。私だって自らが癌に罹れば、いろんな免疫力を高める工夫をすると思います。

 さて、こうした時代において、「癌の告知」は患者にその治療法を選択する権利を与えるものともなって来ました。手術の後に化学(放射線)療法を行っいる患者から「体に良いと言われてヤクルトを飲んでいます」と言われたり、「秋田の玉川温泉に行きたいのですが良いでしょうか?」と質問されたりします。癌を告げているからこそ、病院で受ける治療以外に、自分でも代替療法を模索されているのです。
 しかし、時には困ることもあります。抗癌剤治療は受けたくない、代替医療一本で行きたと言う患者もたまにはいます。「強化インスリン療法」や「高濃度ビタミンC療法」、「高度活性化NK細胞療法」と言った、有効性が証明されていない、すなわち保険診療として認可されていない治療法が、自由診療で行われており、これらを選択する患者も出現してきており、「癌の告知」の時代に入り、、、

 治療法を選択するのは患者の権利

となって来ているのです。これに対して否定的な意見を述べることはあっても、絶対にダメとは言えません。現代医学が完璧なわけではありませんし、患者の自分の命ですから、その治療法選択は患者の権利なわけです。


◇「癌の非告知」、本当の問題は!

1.嘘で始まり嘘をつき続ける医療

 まずは以下のスライドをご覧下さい。患者に「癌の告知」をしない、すなわち別の病名を告げると言うことは以下のような説明になると言うことであります。

患者に話した嘘の数々 スライド

「胃潰瘍で一部に悪性が疑われますので切除します」
 :これくらいなら許されますでしょうか?
「腸に潰瘍があって血が止まらないから切除しましょう」
 :腸ってどこの腸よ!?、それに潰瘍??
「腸が長すぎて一部に狭いところがありますから切ります」
 :腸が長いって私はウサギ?、狭いってどういうこと?
「胃がただれているから今のうちに切っておきましょう」
 :ただれくらいで切られたら日本人はほとんど胃切除になりますが?
「お腹の中の癒着を取る薬を使いますよ」
 :「癒着」ってすごく神秘的な単語でよく使いました
「術後、元気が出る薬を使います。でも吐き気がして毛が抜けます」
 :「元気?」。「吐き気?」、「脱毛?」
  どっ、どういう意味!? よくそんなこと言ったもんだ!


 これは実際に癌の患者さまに申し上げた言葉であります。もうちょっと上手な嘘をつけよな〜!、と言われるかも知れませんが、私が考えたわけではなく、医局の先輩たちが使っていた言葉を私も使いました。これらは嘘ですよね! 命に関わる疾病に罹患した患者に対してこれらの言葉は「無いな〜!」と思いました。でも、そうしてました。そういう時代でありました。

 お年を召されて苦痛なく平穏な生活を送っているご老人や、学童期の子供にはあえて病名を告げる必要のない場合はあるでしょう。社会的地位や家庭を支える立場にある年代ではどうでしょうか? 
 私は外科医として最初の何年か、無数の消化器癌患者と接して数え切れないほどの「嘘」をついて来ました。癌を潰瘍と偽り、再発を体調不良と説明し、その都度、癌とそれに伴う病態を告知しないことが本当に患者にとって良いことなのか自問自答の日々でありました。まさに、「嘘で始まり嘘をつき続ける医療」でありました。患者のなんとなくよそよそしい態度と、つきそう家族の困ったような暗い表情には常に引っかかるものを感じていました。絶対に間違った医療だと思っておりました。

2.非告知で信頼感の欠落した家族と孤独に陥る患者

 患者に対しては癌ではない、例えば胃潰瘍のように話して、その家族には真実を伝える、そうしたやり方が家庭内のどのような変化を生ずるか、当時は考えてもいませんでした。患者に「癌の告知」をしないことは、「とても本人には伝えられません」と言う家族も同意しておりましたから、、、。
 あらゆる癌患者のいる家庭に、と言うわけではありませんが、多くの場合、患者以外の家族間で「噂話し」が発生します。まさか葬式や遺産相続の話と言うわけではなく、例えば、、、

 「今日、病院に行ったら、お父さん、再発しているみたいなの」
 「あの温泉が効くそうで連れて行きたいけど本人は知らないからね」

 と、そんな話だと思います。そんな家庭環境で、患者が、ともに住む家族間の様子、肉親だったり、苦楽をともにした配偶者の表情に違和感を持たないわけはありません。はっきり、「何か隠しているだろう!」って思うこと、言うことがあったと思います。家族間に秘密があって、患者は家族を疑い、ぎくしゃくして家族間に信頼感が欠落、患者は孤独に陥る、そんな情景が脳裏に浮かびます。

患者に告知しなかった場合スライド

 秋田におりました頃、癌の術後に外来通院していた患者がある時から来れなくなり、ご家族が薬だけをもらいに来るようになって、「本人はどうしてますか?」と尋ねると、「最近、会話していません」、「食事もあまり摂れていません」、「暗い方をぼ〜っと見ているようです」、「夜はあまり眠れていないようです」と、そんな話を聞きました。患者が、自分が癌ではないかという疑いと恐怖から、医者と家族に対する疑念を持ち、誰も信じられない!、1人孤独の日々を送っているのは明白でした。口にはしませんが、明らかに、本人に「癌の告知」をしなかったことに対して、私と患者のご家族との間に後悔の気持ちが生まれておりました。ここでも、果たして癌治療のあり方としてこれで本当に良いのだろうか?、という疑問がつきまといました。


◇「癌の告知」で家族全員で癌と闘う!

 癌は現在、日本人の死亡原因第1位であります。ですから「癌の告知」は患者本人にとって「死の宣告」に近いものであることには今も昔も変わりはありません。もちろん、進行癌の患者に対して「余命何ヶ月」とか「手の施しようがない」と簡単に申し上げるものではありませんが、どのように話しても患者は、多くの場合、動揺と焦燥を隠せません。しかし、患者本人と家族が同席の下、その両者に全く同じ内容で真実を告げ、予後や死亡率と言った悲観的な話ではなく、確固たる治療法、治療計画を説明した時、もちろん患者本人の落胆は否定しませんが、ほとんどの場合、励ます家族と勇気づけられる患者、そして癌治療に心血を注ぐ医療サイドとの間に強い一体感が生まれる実感を得ます。

「癌告知」の家族スライド

 担癌患者に免疫力増強が有効であることが証明されつつあり、患者が癌と闘う同志(家族、医師)を得て、強い意志を持って治療に専念する、こうした形は免疫力を増強させもする、これこそが今なお死亡率の高い癌に対する治療のあるべき姿と考える次第です。

告知による医療患者家族の図


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