アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

ナスカの地上絵

 ヘミシンクには体外離脱のエクササイズがあります。この体外離脱をして時空を越えてどこへでも行けるとしたらどこへ行こうと言った話になって、古代の文明を見てみたい、「ナスカの地上絵が気になりますね」と言う声が挙りました。ちょうど1月くらい前に、新たな地上絵発見の記事が掲載されたばかりでした。古代文明には永遠に解き明かされない謎があって、時として現代に訴えるスピリッツが隠されていることがあります。ナスカの地上絵、スピリチュアルの周辺記事として軽くまとめてみました。


◇ 新たに発見されたリャマの地上絵

ナスカ、リャマ絵の記事

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 山形大は8日、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られるペルーのナスカ市街地から北に約1キロの近郊で、ラクダ科のリャマとみられる地上絵を少なくとも17点確認したと発表した。

 山形大によると、絵の内側にある地表の小石を面的に取り除く手法などから、紀元前400~同200年の間に描かれたとみられ、ハチドリやクモといった有名な地上絵よりも古いという。リャマは当時から家畜として使われていた。

アンデス文明にリャマ
アンデス文明において荷運びに使われたリャマ(ラクダ科)

 地上絵はリャマの全身や一部が描かれ、最大のものは全長約15メートル。約1キロ四方の範囲で四つのグループに分かれている。このうち三つのグループの地上絵は初めて確認され、残る一つのグループは先行研究で存在が知られていたが、数や正確な位置が不明だったと説明している。

 山形大は2012年、現地にナスカ研究所を開設。今回の地上絵は13年度の調査で確認し、ペルー文化省に報告した。

ナスカ地上絵:リャマ

リャマたちの地上絵

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◇ アンデス文明

 ナスカ弁明とその地上絵に触れる前に、その起源および周辺の古代文明をご紹介します。まずは、ナスカ文明が発生する母体となったアンデス文明です。

 紀元前10000年頃、ベーリング海を渡ってアジアからアメリカ大陸に移動して来た古モンゴロイド(黄色人種)により造られた、ペルーを中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在した文明です。文字を持たず、鉄は製造せずに青銅器までであり、金・銀の鋳造が発達、家畜は行われたが車輪の原理は知らなかったとされます。紀元前3000-2500年頃より各地に遺跡が造られ、紀元前1800年頃になると、土器の利用が始まり、紀元前800年頃より各地にパラカスやナスカに文化が広がり、インカ帝国へと繋がって行ったものとされます。

アンデス文明の範囲
赤い楕円の地域にアンデス文明があったとされます


◇ パラカス文明

 紀元前800-100年頃、ペルー南部に発生した文明とされ、パラカス湾のなだらかな砂丘に、世界の大きな謎の1つ「三叉の大燭台」が描かれています。この地上絵の歴史はパラカスの農民たちの時代にさかのぼることができると言われています。農民たちは、漁を終えて岸に戻る方向を知るために燭台を使ったと考えられています。また、燭台がもう1つのペルーの大きな謎であるナスカの地上絵の方向をちょうど指していることから、宇宙人が描いたとする説もあります。地元の人たちの間では、旅の際の方向を知る目印とするためにナスカの天文学者がこの地上絵を描いたと言われています。

Paracas_gallery1.jpg


◇ ナスカ文明

 紀元前後から西暦800年頃まで現在のペルー共和国海岸地帯のナスカ市周辺に栄えた文明とされ、ナスカの地上絵で知られます。アンデス文明のうち、灌漑設備が整備され開拓の進んだ前期中間期ないし地方発展期にあたります。狩猟や農業を主な生業とし、わずかに漁業も行ったとされます。
 はじめは宗教的性格が強く、のちに軍事的性格が強まります。奴隷制は見られませんが社会階層は厳格であったとされます。庶民はフジの骨組みに泥を塗ったキンチャと呼ばれる住居に住み、宗教的なピラミッドなどの公共建築物を築き、灌漑用水路を整備しました。


◇ ナスカの地上絵の概要

 やっと地上絵まで到達しました。有名な世界遺産、「ナスカの地上絵」は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた、ペルー南海岸地方の北から南へ走る丘陵と東方のアンデス山脈の麓との間にあるパンパ・コロラダ、パンパ・インヘニオと呼ばれる細長い乾燥した盆地状の高原の地表面に描かれた、幾何学図形、動植物の絵であります。
 1939年6月22日、動植物の地上絵は考古学者のポール・コソック博士により発見され、その後ドイツの数学者、マリア・ライヒェが終生この地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになりました。あまりにも巨大な絵が多く、上空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が困難であり、このような巨大な地上絵を何故描いたのかというのが大きな謎となっております。

 上空からでないと全体像の把握は困難

 地上絵にはサル、リャマ、シャチ(クジラ)、魚、爬虫類、海鳥類が描かれ、ナスカ式土器の文様との類似点が指摘されてきました。描かれた直線のうち、土中に打ち込まれた木の棒についてC14法による分析が進められ、地上絵作製の時期は、先行するパラカス文化の終わる紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代であると確定されています。

ナスカ:全体図
ナスカの地上絵の配置


◇ ナスカの地上絵の目的(仮説)

1.暦法関連説

 地上絵の線についてはマリア・ライヒェが、夏至と冬至に太陽が日没する方向に一致するものがあることを明らかにし、平行でない一連の直線は数世紀にわたる夏至と冬至に日没する方向を示していると主張しました。これに対して、ホーキンズも線の方向についてコンピューター分析を行ったところ、1年の太陽と月の運行の方向に合うものが偶然と考えられる場合の2倍に達するという結果を得ました。ナスカの地上絵には暦学的性質があり、乾燥した南海岸地域の人々にとって夏至と冬至は、雨季と乾季の始まりで、農業を行う時期や祭儀などに深く関連することが推察されました。しかし、数百本という線から構成される地上絵で天体の運行と一致する物はあまりにも少なく、暦法関連説では、その一致しない地上絵の説明は全くつかないため、現在この説を単体で支持する学者は多くありません。

2.社会事業説

 ワリ「帝国」の研究で知られるW.イスベルの説、ナスカの社会には、ワリやクスコのような中央集権的な食料管理制度と食料貯蔵施設がなく、局所的、家族的なレベルで豊作時の食料を保管していたので、豊作時に人口が増え、不作時に死亡者がでやすい状況にありました。 そのため、豊作だった場合の個人貯蔵分について、大規模な労働力を投入する必要のある儀式活動に注意を向けさせ、祭祀「施設」の「建設」=地上絵を「描く」活動に従事する労務集団に食糧を供給するために強制的に取り立てるシステムができていて不作時に備えていた、とするものであります。「文字を持たないナスカ文明において、社会がどのように組織を動かすか」という重要な情報を貯えようとする試みが、地上絵に反映されていると考えております。

3.雨乞い儀式利用説

 「ナスカの地上絵は一筆書きになっており、それが雨乞いのための楽隊の通り道になった」という、ホスエ・ランチョの説であります。

4.成人試験説

 当時のナスカに住む人々にとって王になる者、また管理能力の有無を測る手段として地上絵の線上を歩かせて何の絵が書かれてあるかを当てる事ができるかどうかで判別するという手段が用いられたとする説です。回答は正解者、不正解者ともに秘密を守る事が義務付けられより高度な図柄を正確に回答できた者ほどより上位の管理職に命ぜられた。一種のIQテストと言うものです。

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 その他、「滑走路」として利用した、空からの道しるべなどと、宇宙人説も散見されます。


◇ ナスカの地上絵 写真集

ナスカ:手
「手」−1

ナスカ:手02
「手」−2

ナスカ:さぎ
「サギ」

ナスカ:くじら
「シャチ(クジラ)」

ナスカ:ペリカン
「ペリカン」

ナスカ:犬
「犬」

ナスカ:宇宙人
「巨人(宇宙人)」

ナスカ:さる02
「さる」

ナスカ:くも03
「くも」

ナスカ:コンドル
「こんどる」

ナスカ:ハチドリ
「ハチドリ」
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