アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

「運(気)」その意義と存在の有無、「運気の流れ」その座標を考案

 ふと観たYahoo!ニュースから、「浅田麻央、来期休養を表明」ではありません。元楽天監督の野村克也氏(78)が、教え子であるニューヨーク・ヤンキース、田中将大投手に対してぼやいた記事であります。

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ノムさん、マー君にぼやき記事

 元楽天監督の野村克也氏(78)が、教え子のヤンキース・田中にぼやいた。

 18日に都内で自著「理は変革の中に在り」(KKベストセラーズ)の発売記念イベントに出席した同氏は「野球頭脳、感性はまだダルビッシュのレベルには届いてない。マー君は外角低めを狙って内に入ったら次もまた失敗するけど、ダルは修正できる」と分析。日本時代からレギュラーシーズン34連勝中については「それは神の子だからじゃん。ツイててるんだよ」と話した。

野村克也氏サイン会

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 最後の一文、野村氏ほどに技術論を語る優れた指導者にして、「(34連勝中)それは神の子だからじゃん。ツイててるんだよ」との発言、「神に見守られてツキ(=運)がある」との考え方は、ある意味、幾多の勝負を経験して来たからこその真実かと思います。スポーツの世界であれば、どんなに身体能力があろうとも、努力家で練習を重ねようとも、選手の持つ「ツキ=運」みたいなものが成績やプレーヤーとしての生涯を左右することはある、と言うものでしょうか。
 スポーツ選手に限らず、誰にでも「運気の流れ」と言うものが存在し、常に高い運気を維持できる人がいれば、運気の上り下がりが激しい人、運気の低迷が著しい人がいるように思います。先日来、ブログを汚して来ましたパワースポットやパワーストーン、いわゆる風水は、結局のところ、「気を引き寄せる」、「オーラを輝かせる」と言ったことを目的としたものが多く、つまりそれは運気を上げることを目的としていると言えるかと思います。

 風水とは別の、運気を上げるスピリチュアルの側面を考えるにあたり、「運気(の流れ)」そのものをまずは理解しようと思います。


◇ 「運」〜「運気」とは?

 辞書からの引用では、「運」から「運気」までの間には「運命」と「運勢」と言う言葉が存在します。すなわち、「運」とは「人知では測り知れない身の上の成り行き、巡り合わせ」、「運命」は「 超自然的な力(天運)に支配され人の上に訪れる運」、「運勢」とは「幸不幸の巡ってくる具合、運命の勢い」、そして「運気」とは「自然現象に現れる人の運勢」、とされます。

 運 :人知では測り知れない身の上の成り行き、巡り合わせ
 運命:超自然的な力(天運)に支配され人の上に訪れる運
 運勢:幸不幸の巡ってくる具合、運命の勢い
 運気:自然現象に現れる人の運勢


 言葉のニュアンスとして、個人的には、「運」は日々、時間と共に変化する軽い印象で、「運命」となると、病気や出逢いのように人生の大きな出来事、行き着く先のような動かせない天命のような言い回しのように感じます。「運勢」と言うと、お神籤(みくじ)や占いのように未来の運の程度を明文化したもののように思えます。「運気」は、今まさに現在の、個人に現れるオーラのような運の程度を示すもののような印象ですね。

 さて、「運が良い(幸運、好運)」とは、本人にとって好ましいことであるものの、到底実現しそうもないことを偶然実現させてしまうことなどを指します。「運が悪い(不運、悲運)」とは、普通なら問題なく実現することが、偶然の出来事などで実現不可能となり、本人にとってマイナスあるいは災いとなることであります。

 運が良い:本人にとって好ましい実現不可能なことが実現
 運が悪い:本来は実現可能なことが不可能となる


言葉の使い方として、勝負事で運が良いことを「ツキがある」、「ツイている」などと言いますが、これは「運」とほぼ同義で良いように思います。また、「運」には、「運が良かった」などと過去の状況説明として用いられる場合と、「運の強い男」など個人の特性を説明するために用いる場合があります。さらには、「運」を用いた形容が妥当な時と好ましくない時があります。例えば、努力の末、勝ち取ったものに対して、本人が「運が良かった」と謙遜することがあっても、他人はそうは表現しません。また、努力したのにダメであったことに対して「運が無かった」と慰める言い方はよく使われます。

 未来の「運」あるいは現在の「運気」を予言または評価する力があると考えられるものに、占術や、神社・寺院のお神籤(みくじ)、そしてチャネリングがあります。「運(気)」を向上させると言われるものに、パワースポットやパワーストーンを含む風水や、個人的にもっているジンクス、そして考え方、精神性があろうかと存じます。


◇ 「運」や「運気」は本当にあるのか?

 さて、「運」や「運気」と言うものは本当にあるのでしょうか? 「運(気)」の有る無しについて科学的の証明した話を聞いたことがありません。日常生活においては、上で申した通り、「運」、「不運」を語る際に、成功したら「努力の賜物」、失敗すれば「不運」と言ったり、その逆であったりしますし、「運も実力のうち」との言葉もあります。

 成功すれば「努力の賜物」、失敗すれば「不運」
 成功は「幸運だった」、失敗は「努力が足りなかった」

 
 確率論で考えた時、例えば病気について言えば、高齢化もあって日本人の生涯における癌の罹患率はもう50%にまでなっており、癌に罹ったら不運とも罹らなければ幸運とも言えないと思われます。宝くじの当選確率に個人差があるかと言えば、一等賞は大量のくじを購入した人に当たる傾向が言われております。当選確率が一定だからこそ、くじの購入数がチャンスを拡げるのは明らかです。そもそも、宝くじのように人生で何度も何度も当選することがないものについて、「運(気)」を測るのは困難かと存じます。

 「運」も「不運」も無い、日本人の癌の罹患率は50%
 当選確率が一定の宝くじは購入くじ数でチャンス拡大


 最も単純に「運(気)」を測るものとして、ギャンブルがありますが、ここには「運(気)」とは異なる個人的な能力が要素として含まれていると思います。競馬や競輪、ボートレースなどは事前の調査や経験値に寄るところが大きいかと存じます。ブラックジャックやポーカーなどのカードや麻雀は、ランダムに配られ、あるいは自ら引くカードや牌の質に左右されますので運気が影響する部分は大きく思えますが、これらは対戦相手がいるものであり、戦略や読心術、(もしかして)あるいはイカサマと言った技術的要素が大きく関与しています。この手のギャンブル(賭博)で勝ちが多い人を「運がある」、「運気が強い」とは言わないでしょう。

 対戦相手のあるギャンブル(賭博)には技術的要素

 それでは人間には「運」や「運気」と言うものは無いのでしょうか?、これらは幻想なのでしょうか? 私は、医者であり、科学者でもありましたし、医療の現場では確率論を考えざるを得ない立場にあります。患者に対してインスピレーションを語って説明することも、起こった結果について「運」、「不運」を述べることも、多くの場合は許されません。しかし、そういう立場にあるからこそ感じているものとして、、、

 紛れも無く人間には「運」も「運気」もある

、、、と言う事です。それこそ「科学?/非科学?」の領域ではありますが、目に見えない「何か」が個々の人間の未来を左右しているように思えます。医者である私のみならず、そのように感じている人がかなりの割り合いでいることは、占いやお神籤、風水の概念の存在からも明らかであります。これも立派な、人間ならではの、スピリチュアルの分野かと存じます。


◇ 「運気の流れ」を示す座標の考案

 人間には「運」も「運気」もあるとの前提で、ひとつ「運気の流れ」を示す座標を考案いたしました。こんなことは、私に始まったことではなく、誰もが心で描いたことがあるものかと存じますが、今後の「運気」に関する議論に使用していくアイテムとしてご紹介いたします。

運気の座標
「運気の流れ」を示す座標

 なんてことは無いただのグラフです。普通の運気の人、語弊はありますが、平凡な人生を送る人はほぼ「プラスマイナス0」のx軸を境に小きざみに運気が上下しているものと思います。

普通の運気曲線
普通の運気を持つ人:運気のレベルを示す曲線は「プラスマイナス0」のラインを挟んで細かく変動しています

 科学的に証明されてはいず、その絶対値を表す単位すら存在しない「運気」を客観的に示す座標を考案いたしました。「運(気)」を考える時、今後も利用して参る所存であります。

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