アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

死刑制度をめぐる国際社会の現状

「死刑執行という未知のものに対するはてしない恐怖が、私の心を
たとえようもなく冷たくする時がある」


 元プロボクサーで、死刑囚として約48年もの間、身柄を拘束された 袴田 巌(はかまだ いわお)さん(78歳)が昭和48年、獄中から兄に宛てた手紙の一文とされます。死刑に対する言いようのない恐怖がつづられております。この、昭和41年に起きた「袴田事件」が検察および警察の捜査手法に問題があったのか、証拠が捏造されたものなのか、いわゆる冤罪であったのかは、今後の動向に注目したいと思います。なお、1949年に第二次世界大戦以前の刑事訴訟法に代わって現行の刑事訴訟法が施行されて以後、死刑判決を受けて死刑囚になったものの、再審で無罪判決を受けて釈放された事例に、免田事件、松山事件、島田事件、財田川事件がありました。
 似たような推移を取ったケースで「飯塚事件」というのがありました。平成4年に2人の女児が殺害された事件で逮捕、起訴された男性に死刑判決が下り、平成18年には刑が確定したものの、再審請求が出される動きの最中、平成20年に刑が執行されてしまいました。今なお再審の請求中であるこの事件も、実は冤罪かも知れず、しかし刑の執行と言う形で被疑者の生命は奪われてしまいました。
 こうした事例に接するにつけ、いわゆる「誤判の可能性」から死刑制度の廃止論がしばしば言われるところです。人間には間違いや「気の迷い」はつきものであり、誤認による逮捕・起訴・死刑判決・死刑執行がなされてしまう可能性があり、死刑執行後に冤罪が判明した場合には、その被害は重大であり、被害の回復は不可能とする意見であります。

 死刑制度の是非については別の機会を設けたいと存じます。ここでは、最近、発表されたものを含む、世界の死刑制度の現状をまとめてみました。


◇ エジプトにおける1度に529人もの死刑判決

 つい最近の、3月24日のロイターが伝えた記事では、エジプトの暫定政権がテロ組織として認定した、モルシ前大統領の出身母体であるイスラム組織ムスリム同胞団のメンバー529人に対して、裁判所より死刑判決が言い渡されたとのことです。2011年に始まった「エジプトの春」から2度の政権崩壊を経て、不安定な時期であるとは言え、1度に529人もの死刑判決は、「見せしめ」のような要素も推察され、もしかしたら人道的な見地からは離れた判断のように思われます。後述します、昨年の世界の死刑執行数が778件であったことから考えても常軌を逸しています。

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エジプトの記事

 [カイロ 24日 ロイター] -エジプトの裁判所は24日、殺人罪などに問われていたムスリム同胞団のメンバー529人に対し、死刑判決を言い渡した。被告側の弁護人が明らかにした。
 弁護人によると被告のうち529人に死刑、16人に無罪が言い渡された。同胞団に対する当局側の締め付けが強まっていることを示している。被告は上訴することができるという。

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 全く、投稿内容と合致しませんが、最近のエジプトの出来事を年表にしたものを見つけたので添付いたします。

エジプトのイスラムの春

【「エジプトの春」からモルシ政権崩壊まで】


◇ 中国における死刑と臓器移植

 1998年、留学しておりました米国の大学、移植外科の、あるスタッフドクター(日本で言う准教授)が、肝移植の実践、指導を依頼され、1週間の期間、北京の大学病院に招かれて行きました。中国はB型肝炎肝硬変が多く、レシピエント(移植臓器を受け取る患者)はいくらでもいるでしょうが、たった1週間の滞在で、「そんな短い期間に都合よく脳死ドナーは出るのかな?」と疑問を言っていたところ、台湾からの留学生が教えてくれました、「死刑囚の臓器を利用している」とのことです。すなわち、中国では、臓器移植のドナーと認定された死刑囚は、全身麻酔下に開胸、開腹手術が行われ、保存液の還流がなされた瞬間が死刑執行とのことです。
 日本で主に行われている生体肝移植はドナーとレシピエントの手術が平行して行われ、臓器摘出から移植までの時間が短く、臓器の保存状態が良いのですが、移植する肝臓の容量が問題となることがあります。欧米諸国で多い脳死全肝移植は肝臓の容量は十分ですが、ドナーの状態、特に循環動態が不安定であることが多く、また臓器を輸送するため臓器摘出から移植まで時間がかかり、しばしば保存状態が不良なことがあります。
 もちろん観たことはありませんが、中国において、死刑囚をドナーとした生体全肝移植がなされているとしたら、臓器摘出から移植までの時間が短く、保存状態が良好であり、かつ肝容量が十分な移植が行われているものと推察いたします。

 さて、中国における死刑執行は世界で最も多いとされ、その数は公表されておりませんが、年間4000人とも8000人超えとも言われています。その原因として、中国の刑法における死刑の適用範囲が日本と比べると非常に広範なものとなっているのが挙げられます。

【中国において死刑が適用される犯罪】
・故意の殺人による生命を侵害する犯罪
・国家機密の漏洩などスパイ行為による政治的犯罪
・故意の傷害や放火、電力設備等破壊などの悪質な暴力・破壊行為
・麻薬密輸・販売等の薬物犯罪
・賄賂授受や業務上横領などの汚職行為
・金融詐欺や通貨偽造などの経済犯罪
・人身売買
・売春や性犯罪
・文化財密輸
・武器、弾薬や毒性物質等危険物の窃盗

 似たような国として北朝鮮が挙げられます。中国同様、死刑執行の数を公表しておりませんが、公開処刑の報道はありましたし、以前、「族誅(ぞくちゅう)」を取り上げた(昨年10月27日)張 成沢氏(チャン・ソンテク)氏の死刑は120匹の猟犬による残忍な殺害であったとの噂もあります。想像したくもないことです。


◇ 最新の死刑統計から

 概して、エジプトや中国、北朝鮮のような発展途上国で死刑が多い印象があり、地球規模で文明が進化すれば死刑は減少するのではないか?、などと甘い発想を持っておりましたが、つい3日前の記事で、昨年2013年における全世界の死刑執行は22ヶ国で前年を96人上回る778人であったとの報道がありました。

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全世界死刑数の報道

 【ロンドン時事】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は27日、2013年の死刑執行に関する報告書を発表した。それによると、13年には世界22カ国で、前年を96人上回る計778人が死刑に処された。
 国別の執行数は多い順にイランが369人、イラク169人、サウジアラビア79人。主要8カ国(G8)の中で執行したのは米国(39人)と日本(8人)のみ。イランと北朝鮮、サウジとソマリアでは公開処刑が行われた。
 一方、中国政府はデータを公表しておらず、これを加えた場合の執行人数は大幅に増加する見込み。中国では「数千人」が処刑されたと見積もられている。
 アムネスティは、一部の国々が停止していた死刑執行を再開するなど「(死刑廃止運動で)幾つかの克服すべき後退があった」と指摘。ただ「執行国は少数に限られている」とし、廃止に向けて国際的な連帯を強める必要性を訴えた。 

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2013年国別死刑執行数
2013年 死刑執行国(非公開の中国、北朝鮮以外)

 中国、北朝鮮を除くと、上位3ヶ国がイラン、イラク、サウジアラビアのイスラム圏でありますが、それに続くのが米国で、日本も8番目とのことでした。過去5年間に毎年死刑を執行した国はわずか9ヶ国、バングラデシュ、中国、イラン、イラク、北朝鮮、サウジ アラビア、スーダン、米国、イエメンだけ、とのことでした。


◇ 死刑制度に対する各国の姿勢

 下図の如く、世界各国の死刑制度に対する姿勢、立場はかなり明確であります。世界の197ヶ国で、「あらゆる犯罪に対する死刑を廃止」(96ヶ国、48.7%)、戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止(9ヶ国、4.6%)、法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない死刑執行モラトリアム国。もしくは、死刑を執行しないという公約をしている(34ヶ国、17.3%)、過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国(58ヶ国、29.4%)と、日本や米国のように死刑を執行している国は三割にも満たないことが解ります。

世界の死刑実施状況
死刑制度の世界地図


◇ 死刑制度についての私見

 テレビのディベート番組などで死刑制度の是非を議論したものを何度か観たことがありますが、全くの平行線であり、意見は噛み合わず、落としどころの無い、下手すると不毛な会話とも思えることがあります。死刑執行が多ければ、発展途上の慈悲の心が無い国、モラルに欠けた国民とは言えません。同様に、死刑を認めない国は人道的に優れた国、優れた国民性、そんな簡単には分けられないと思います。

 死刑執行件数で国民性は計れない

 冒頭で触れました、冤罪における死刑判決とその執行は、絶対にあってはならないものであります。確固たる証拠があって100%罪が明らかな場合にのみ死刑判決は有効とするべきだと思います。また、現代の病める社会、ストーカー事件の増加やネットを介した闇の世界の拡大は、猟奇的犯罪、凶悪事件の増加を予見させますが、一方で、防犯カメラの設置拡大やDNA鑑定の進歩、犯罪心理学の研究など、罪が拡大する前の早期に犯罪者を的確に逮捕、起訴することは、死刑に値する犯罪を減少させ得るものであります。これは死刑の是非を問う以前の解決策でしょう。
 過去の凶悪犯罪において、殺された被害者の痛み、遺族の苦しみを観るにつけ、尊い命を奪った罪に対して死をもって償うべきとする考え方は、正にもっともなこと、現在の日本の立場であり、否定できないものであります。しかしながら、犯罪者に死刑の判決を行いそれを執行することは、これも1つの殺人であり、幸せに暮らしている罪なき人を殺すことは許されない犯罪ですが、それに対する罰として司法の側から、同じように人命を絶つことが正統かどうかは議論の余地があると思います。人命に「尊さ」があるとして、普通の生活をする人間と犯罪を犯してしまった人間とで、その「尊さ」に差があるかどうかはスピリチュアルな問題でもあります。
 例えば、「附属池田小事件」の 宅間 守 死刑囚のように、たまに見かける「死刑になりたかった」と言う理由で無差別に殺人を行った犯人に、希望通りに死刑を執行するよりも、厳密な無期懲役、例えば「懲役200年」を課して労働を義務付けるのも一案だと思います。更正のための刑務所生活ではなく、犯した罪を残された天寿をまっとうするまで「労働」で償う発想です。

 死刑よりも大きく償う方法

 もう一つ、極端な意見を言わせてもらえば、己の命を断つ権利は人間が個人に与えられたものかも知れません。死刑に値する罪を犯した人間に対して、死刑ではなく無期懲役刑を言い渡し、自ら命を断つ道も与える、昔の腹切のような苦痛を伴う方法ではなく、自殺を容認するのも一つの道だと思います。自殺であれば、司法の側も原告側、検察側も、殺人者にはなりません。自殺を選択した犯罪者に対して、ある一定の人間の命に対する尊厳は保たれます。もちろん、自らの命を断つことができないのであれば、上述の如く、残された天寿をまっとうするまで「労働」で償うことになります。

 自殺と無期懲役を選択させる極端な案

 死刑制度の是非については簡単には結論がでないところであります。国家によって考え方が違うのは、宗教、民族の考え方の違いでもあり、ここにも死生観や生命についての考え方があろうかと存じます。また機会があれば勉強したいと存じます。今回は世界における死刑の現状、日本の立場、位置づけをまとめてみました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140329-00000109-san-soci
http://ja.wikipedia.org/wiki/飯塚事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/免田事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/松山事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/島田事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/財田川事件
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/04/html/d19932.html
http://jacklog.doorblog.jp/archives/35676190.html
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