アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

22年ぶりのある会話

 さて私事、ゲートウェイ・エクスペリエンスのCDを用いたヘミシンクの瞑想を始めたのが昨年の3月6日、もちろん、まだアセンションは起こっておりませんし、あんまり進歩はありませんが、現在も継続しております。当ブログを開設したのも昨年3月の21日、こちらも細々と続けており、ここまで123件ですので、最近はスローペースですが、3日に1件のペースで来ております。3月がにわかに特別な月となりました。

 にわかに特別な月となった3月

 なによりも、3年前の今日、この日、2011年(平成23年)3月11日は東日本大震災がありました。死者、行方不明者が2 万人を超え、日本中が強い衝撃と悲しみに襲われ、今なお傷跡が残っております。
 実は、ふたたび私事ですが、一昨年の3月、私の父が他界しました。近々、三回忌の法要を予定しております。今日、震災から3年目のこの日、我が身に起こった小さなスピリチュアルな出来事をご報告いたします。

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「22年ぶりのある会話」

 父が他界したのは一昨年の3月2日の夜でした。享年80歳でありました。父は昭和30年卒の精神科医でありました。若い頃に事故に遭い足が不自由であったため、難聴になりながらも作曲家として名を残したベートーヴェンに共感、楽曲をこよなく愛しておりました。
 父の病気は十二指腸乳頭部癌でした。平成18年には胆嚢癌を発病し、私が執刀、根治手術を行いましたが、こちらはそれほど進行したものではなく無再発で経過したものの、皮肉なことに胆嚢摘出と併せて行った肝外胆管切除術(胆道変更術)が乳頭部癌の発見を遅らせることとなりました。乳頭部癌は胆管が十二指腸に開口する部位に発生する癌なため多くの場合は黄疸や肝機能障害で発症しますが、胆道変更術後であれば進行するまで発見が遅れることは後になってから納得するものでありました。それにしても、己の父親が胆嚢癌の後に十二指腸乳頭部癌に罹患するとは、大学で肝胆膵外科を専門とした私に対する何かの挑戦のような感覚を持たせる出来事でした。

 実は、私の家族には過去にも大きな不幸がありました。平成2年、3歳年下の妹を自動車事故で亡くしました。私の医師免許証が大学の医局に届いた5月16日の2週間後、5月30日の夜中に訃報を聞き、翌朝、妹が大学に通っていた神奈川県の厚木に飛びました。実家で一連の葬儀が終わって落ち着いたところで父が不意に言いました。「僕の葬儀は音楽葬にしてもらい、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』の第2楽章をメインでかけてほしいな」と。「英雄」の第2楽章はしばしばドラマの死のシーンで使われる一般の耳に馴染んでいる曲ですが、暗く絶望的で、いかにもナポレオンが囚われとなり失意のまま死ぬ情景が想起されるものであります。これに対して私は「ベートーヴェンなら交響曲第7番第2楽章の方が、同じ死者を送る曲でも暖かい音色が随所にあって、第3の第2楽章よりも愛情を感じますよ」と申し上げました、そのとき父は「そうか」と言ったのみで会話はそれっきりでありました。

 話しを戻して、一昨年の年が明け、腹水貯留と浮腫で入退院を繰り返す父を見て、いよいよ最期の時を予感し、元々の希望から、経を読んで焼香する宗教葬ではなく、音楽を流して献花する音楽葬をイメージしておりました。父の容態が急変したのは2月29日のことで翌3月1日には両眼が上転したほとんど昏睡状態に陥りました。いよいよ厳しいことを告げたところ、母が父の遺体を運び込む部屋の掃除をしたいと言い出し一緒に実家に行きました。そこで、ポータブルCDプレーヤーと数多くのクラッシックCDを見つけ、22年前、妹が亡くなった直後にかわした会話を想い出し、今こそ葬儀で流す曲を決める時とひらめきました。
 CDプレーヤーを持って病室に戻った私は、父に向かって「以前の会話を憶えていますか?」と問い、ヘッドホンでベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」第2楽章と交響曲第7番第2楽章を相次いで聴かせました。葬儀などと余計なことは申さずに「第3の第2楽章と第7の第2楽章、どちらが良いですか?、第3ですか?、第7ですか?」と問いかけました。その時、第3 と訊いた際に首を横に振り、第7では?と訊いたらはっきり首を縦にしました。二度ほど繰り返し確認し「それでは、僕が勧めた第7の第2楽章にしますね」と申し上げた、それが父とかわした最後の会話となりました。

 仕事柄、多くの癌患者に接し、多くの死に遭遇いたします。本人、家族ともに納得する死などなかなか無いものですが、父の葬儀に流す曲を、「22年ぶりのある会話」をもって、死の直前、本人に確認できた、この小さな出来事に僅かばかりの救いを感じました。

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【ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 第2楽章】

 1804年の作品、フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲されました。しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンはナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話が知られています。第2楽章は葬送行進曲、ナポレオンが捕われの身となって処刑された情景を思い浮かべる曲です。You Tubeより演奏を貼付けました。クリックいただけば楽曲が聴けます↓。

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 第2楽章

【ベートーヴェン 交響曲第7番 第2楽章】

1811年から1812年にかけて作曲され、初演は、1813年12月8日、ウィーンにてベートーヴェン自身の指揮で行われました。ベートーヴェンの交響曲中では最もリズミカルな作品で、「精神病」、「酔っぱらい」などとも評されました。その中にあって、初演にてアンコールを求められた第2楽章は、 極めて評価が高く、シューマンはこの主題を基に変奏曲を遺し、ワーグナーはこの楽章をさして「不滅のアレグレット」と呼んでおります。同じくYou Tubeより演奏を貼付けました。クリックいただけば楽曲が聴けます↓。

ベートーヴェン 交響曲第7番 第2楽章

 なお、ベートーヴェンが全聾(ぜんろう)となったのは1810年、40歳頃とされており、少なくとも交響曲第7番を作曲していた1811年当時には完全に耳が聞こえなかったと思われますね(笑)。


 もう一つ、本日、レスリングの吉田沙保里さんのお父さんが急逝されました。謹んで、心からお悔やみを申し上げます。
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