アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

西田 敏行 氏の 口笛に込められた情感

 正月、HDDに録画してあった「ドクターX ~外科医・大門未知子~ 第2シリーズ」の最終回(昨年12月19日放送)を見直したところ、西田敏行氏が演ずる蛭間 外科統括部長が一人、教授室で口笛を吹く場面がありました。たった数秒でありますが、そのシーンを観て西田さんの情感に触れた人がいたのではないかと思います。

ドクターX画像
「ドクターX ~外科医・大門未知子~ 第2シリーズ」

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「ドクターX」の1シーン、西田敏行氏の口笛

 口笛は「もしもピアノが弾けたなら」(1981年、作詞:阿久悠、作曲・編曲:坂田晃一)でありますが、これは西田氏が1981年のNHK紅白歌合戦に出場して歌ったヒット曲ですので、30年以上の年月を経て、ドラマの中で西田氏が演ずる配役が口ずさんだとしても、これはちょっとした演出、ユーモア、若しくはアクセントと考えられます。それはそれで良いと思いますが、私はちょっと考え過ぎでしょうか?、あの口笛は西田氏が自ら進言してやらせてもらったのではないか?、と思います。あまり、理屈っぽい話にするつもりはないのですが、西田敏行氏の略歴からご説明いたします。


◇ 俳優 西田敏行 氏

 西田敏行氏(1947年 – 、現在66歳)は福島県郡山市の出身で、明治大学付属中野高等学校卒業、明治大学農学部中退、身長166cm、体重80kg超、主演の映画「釣りバカ日誌」は1988年から2009年まで22作続いた代表作であります。以下、2014年1月までの主な芸能活動を列挙いたします。

西田敏行

・1967年(20歳) ドラマ「渥美清の泣いてたまるか」(TBS)でテレビ俳優としてデビューするも、しばらくは役者として不遇の日々
・1976年(29歳) レギュラー出演した「いごこち満点」、「三男三女婿一匹」(共にTBS)で注目を集め、個性的な演技、愛嬌のある顔立ちや体型で人気を獲得
・1977年(30歳) NHK大河ドラマ「花神」に出演(山縣有朋 役)
・1977年(30歳) ドラマ「特捜最前線」(テレビ朝日)に出演
・1978年(31歳) ドラマ「西遊記」(日本テレビ)に出演(猪八戒 役)
・1980年(33歳) ドラマ「池中玄太80キロ」(日本テレビ)で主演
・1981年(34歳) NHK大河ドラマ「おんな太閤記」に出演(豊臣秀吉 役)
・1981年(34歳) ドラマ「池中玄太80キロ」第2シリーズ主演、この時の挿入歌「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒット、年末にはNHK紅白歌合戦に出場
・1984年(37歳) NHK大河ドラマ「山河燃ゆ」に出演(天羽忠 役)
・1986年(39歳) ドラマ「泣いてたまるか」(TBS)リメイクの主役
・1986年(39歳) 映画「植村直己物語」に主演、モンブラン(フランス)、エベレスト(ネパール)、マッキンリー、北極など植村の足跡を追う5大陸ロケを敢行
・1988年(41歳) NHK大河ドラマ「武田信玄」に出演(山本勘助 役)
・1988年(41歳) 映画「敦煌」主演
・1988年(41歳) 映画「釣りバカ日誌」1作目に主演、以後、89, 90, 91, 92, 93, 94, 94, 96, 97, 98, 98, 00, 01, 02, 03, 04, 05, 06, 07, 08, 09年の計22作
・1990年(43歳) NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」で主演(西郷隆盛 役)
・1993年(46歳) 映画「学校」で主演
・1993年(46歳) 映画「男はつらいよ 寅次郎の縁談」に出演
・1994年(47歳) 東宝ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」で森繁久彌、上條恒彦に次ぐ3代目テヴィエ役に抜擢、その後7年にわたり出演
・1995年(48歳) NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」で主演
・1996年(49歳) 映画「学校II」で主演
・1996年(49歳) 映画「虹をつかむ男」で主演
・1997年(50歳) 映画「虹をつかむ男 南国奮斗篇」で主演
・2000年(53歳) NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」に出演(徳川秀忠 役)
・2001年(54歳) 頸椎性脊髄症を患い入院、神経圧迫部位を除去する手術施行
・2002年(55歳) 映画「陽はまた昇る」に主演
・2003年(56歳) NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」に出演(内山半兵衛 役)
・2003年(56歳) 映画「ゲロッパ」に主演
・2003年(56歳) 自宅にて心筋梗塞を発症、吉永小百合の手紙に従い禁煙
・2006年(59歳) NHK大河ドラマ「功名が辻」に出演(徳川家康 役)
・2006年(59歳) 映画「椿山課長の七日間」に主演
・2008年(61歳) 長年にわたる演劇界での業績が認められ、紫綬褒章を受章
・2009年(62歳) 日本俳優連合理事長に就任
・2010年(63歳) 「釣りバカ日誌」シリーズの22年間の功績が讃えられ三國連太郎氏と共に第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞
・2012年(65歳) 社団法人日本喜劇人協会主催の喜劇人大賞を受賞
・2013年(66歳) NHK大河ドラマ「八重の桜」に出演(西郷頼母 役)
・2013年(66歳) ドラマ「ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第2シリーズ」(テレビ朝日)に出演

 その他、多数の映画、ドラマに出演され、ご紹介しませんでしたが、テレビのバラエティー番組、ラジオにまでも活動範囲を拡げております。ご紹介に取りこぼしがあればご容赦ください。
 さて、ご紹介した西田敏行氏の芸能生活序盤に目を向けますと、NHK大河ドラマ「花神」に出演した山縣有朋 役は、明治維新政府における、長州出身の個性ある軍人、政治家として強いインパクトがありました。「特捜最前線」に出演した後、堺正章(孫悟空 役)故夏目雅子(三蔵法師 役)、岸部シロー(沙悟浄 役)と共演した(猪八戒 役)、「西遊記」のオープニングはゴダイゴの「Monkey Magic」、エンディングでは同「ガンダーラ」がヒットして、同ドラマは人気番組となりました。

西遊記
1978年 ドラマ「西遊記」(日本テレビ) 左から西田敏行、堺正章、岸部シロー、夏目雅子

 こうして、10年以上の下積み時代を経た30代の青年は俳優として徐々に成長を遂げ、ついに西田敏行氏に、(ほとんど)初めての主演の連続ドラマのチャンスが巡ってきたのが1980年(33歳時)、ドラマ「池中玄太80キロ」(日本テレビ)でありました。1980年4月5日より6月28日まで13話を数えたドラマは1話を除く12話で視聴率20%超えとなり、翌年には第2シリーズが作られ、その挿入歌「もしもピアノが弾けたなら」を西田敏行氏が自ら歌い、これが大ヒット、ドラマも大成功に終わりました。西田氏が、「今、自分があるのはあのドラマのおかげ」と思っているかも知れない、ドラマ「池中玄太80キロ」のとりわけ出演者に目を向けてご説明します。

池中玄太スナップ


◇ 「池中玄太80キロ」(1980年〜)
 〜 西田氏を一人前にするために揃った豪華キャスト 〜

 池中玄太(西田敏行;以下、玄太)は通信会社(大京通信)で、楠 編集長(長門裕之)の下、カメラマンとして報道撮影の仕事に従事しており、副業で鳥類、特に丹頂鶴の写真を撮影することをライフワークとしていました。そんな玄太は、3人の子持ちの未亡人、鶴子(丘みつ子)と知り合い、結婚することになりましたが、結婚式の直後に鶴子はくも膜下出血で他界してしまいます。周囲より、他人である玄太が残された子供達を育てるのは無理とされ、鶴子の3人の娘、絵里(中学生、杉田かおる)、未来(小学生、有馬加奈子)、弥子(小学生、安孫子里香)は別々の親戚の家に引き取られて行きます。しかし玄太は、鶴子との約束だと言って、3人を立派に育てて見せると宣言して、娘達を連れ戻し、玄太と血のつながらない3人の娘の共同生活が始まります。
 最初のうちはギクシャクとした関係が続き、玄太と3人の娘は本音で格闘し合ったりもしましたが、玄太の涙ぐましい努力と、周囲の温かい応援で、いつしか、本当の家族以上に理解しあえる関係になっていく、そんなストーリーでありました。
 第2シリーズでも家族の結束を固める出来事が続く池中家でありますが、玄太は同僚である鳴山暁子(アッコ、坂口良子)とお互いに心が惹かれ合うようになります。アッコが別の男性と婚約までしたところで、どんでん返し、二人が結ばれるところでシリーズが完結します。

 *****

【スタッフ(第1、2シリーズ)】

 原案・脚本:松木ひろし
 脚本   :松原 敏春、林  秀彦、清水 邦夫、金子 成人、
       桃井  章
 音楽   :坂田 晃一
 製作   :溝口  至、中島 忠史、安念 正一、成田美津留
 演出   :石橋  冠、宮崎  洋、中山 史郎、宮崎  洋、
       松永 好訓、剣政  博
 製作著作 :日本テレビ
 主題歌  :第1シリーズ 
       「風に抱かれて」
       作詞:喜多 條忠 作曲:芳野 藤丸 編曲:木森 敏之
       歌 :西田 敏行
       「娘たちよ」
       作詞:東海 林良 作曲:木村  昇 編曲:木森 敏之
       歌 :西田 敏行
       第2シリーズ
       「もしもピアノが弾けたなら」
       作詞:阿久  悠 作曲・編曲:坂田 晃一
       歌 :西田 敏行
       「いい夢見ろよ」
       作詞:阿久  悠 作曲・編曲:坂田 晃一
       歌 :西田 敏行
       「鳥の詩」
       作詞:阿久  悠 作曲・編曲:坂田 晃一
        歌 :杉田かおる


【キャスト(第1、2シリーズ、年齢は開始時)】

 池中家
 池中 玄太(玄太)          :西田 敏行 (33歳)
 池中 絵里(えり)  長女      :杉田かおる (16歳)
 池中 未来(みく)  次女      :有馬加奈子
 池中 弥子(やこ)  三女      :安孫子里香 (07歳)
 池中 鶴子      妻       :丘 みつ子 (32歳)

 大京通信社
 楠  英政(楠公)  大京通信社上司 :長門 裕之 (46歳)
 鳴山 暁子(アッコ) 大京通信社同僚 :坂口 良子 (25歳)
 前川 秀也(ヒデ)  大京通信社同僚 :三浦 洋一 (26歳)
 杉野  透(半ペラ) 大京通信社同僚 :井上 純一 (22歳)

 その他
 飯島 歌子(ママ)  喫茶店ママ   :松尾 和子 (45歳)
 秋田 チエ(チエ)  喫茶店店員   :藤谷美和子 (17歳)
 鳴山 春江      アッコの母親  :丹阿弥谷津子(56歳)
 本城理三郎(本城)  鳥類研究家   :宇野 重吉 (66歳)

 *****

 こうしてドラマ「池中玄太80キロ」のキャストを振り返りますと、日本テレビが西田敏行氏を一人前にするために、まさに旬で演技派の男優、女優をとり揃えて、ストーリーと同様、共演者全員で西田氏を応援した構図が伺われます。
 第二次世界大戦前から戦後にかけて長く演劇界をリードしてきた名優、宇野重吉氏が鳥類研究家として玄太(西田)の指南役であり、同じく職場の上司には、長門裕之氏、第二次大戦前より名子役としてデビューしており、1956年には22歳時「太陽の季節」(原作 石原慎太郎、石原裕次郎氏のデビュー作)に主演した、こちらも日本を代表する俳優でありました。松尾和子さんもレギュラー出演されましたが、元々は「誰よりも君を愛す」で1960年、日本レコード大賞を受賞した、「ムード歌謡の女王」と称されるスター歌手でしたが、ドラマ出演の経験も豊富で、たいへん味のある演技だったと思います。

宇野、長門、松尾

 その他、若い出演者たちも、長女を演じた杉田かおるは7歳にして天才子役と言われ、1979年「3年B組金八先生」にも出演しておりましたし、藤谷美和子さんも12歳でカルビーポテトチップスのCMで芸能界入り、1978年、井上純一と共に「ゆうひが丘の総理大臣」に出演して人気を集めておりました。

杉田、藤谷、井上

西田氏より7歳年下の三浦洋一氏は、20歳の時に演出家つかこうへい氏と出会い、1975年には「熱海殺人事件」の主演の舞台を踏んでおり、1978年「七人の刑事」で人気を得ておりました。坂口良子さんは16歳でミス・セブンティーンコンテストで優勝、芸能界入りし、1972年(17歳時)、フジテレビのドラマ「アイちゃんが行く!」で主演デビュー、その後もドラマ「たんぽぽ」(1973年)、ドラマ「前略おふくろ様」(1975年)、映画「犬神家の一族」(1976年)など、多数のドラマ、映画に出演して人気女優の地位を確立しておりました。

坂口、三浦

 本ドラマの共演者は、ベテランはもちろんのこと、若者においても、主演の西田氏よりも既に成功を納めている、人気を博している方が多かった、今でこそ日本を代表的する俳優である西田敏行さんが、ドラマ「池中玄太80キロ」の中では、共演者たちに励まされ、持ち上げられて役を演じたであろうことが想像されます。


◇ 共演者のその後

 たいへん悲しいことですが、ドラマ「池中玄太80キロ」が始まった年から34年が経過して、あのドラマにおける多くの共演者に不幸がありました。西田敏行さんの心中察して余りあるものがあります。

 宇野重吉氏は、ドラマ「池中玄太80キロ」出演後の1985年、宇野重吉一座を立ち上げ地方公演を始めましたが、晩年は癌との戦いであり、胃切除術、肺部分切除術を受け、1988年1月9日、死去、73歳でありました。

 1991年、松尾和子さんの息子が覚せい剤取締法違反で逮捕され、この事に思い悩み、睡眠薬を多量服用し、自殺未遂を起こしたこともありました。1992年9月25日、自宅の階段から転落して頭部を強打し、数時間後に急変、帰らぬ人となりました。享年57歳の若さでした。

 1999年6月、三浦洋一氏は食べ物のつかえ感を訴え検査したところ末期状態の食道癌が見つかりました。11月、新宿コマ劇場での人生最後の舞台は点滴を打ちながら千秋楽まで勤めた後に入院、2000年5月14日、46歳の若さでなくなりました。

 長門裕之氏は、2004年頃より認知症の症状が出始めた妻、南田洋子さんの介護で晩年を過ごし、2009年、南田氏がクモ膜下出血で死去した1年半後の2011年5月21日、脳出血で77歳にて他界しました。

 昨年、2013年3月27日、坂口良子さんが横行結腸癌のため死去、享年57歳でありました。その2日後の3月29日、西田敏行氏は以下の談話を発表しております。

 *****

 早過ぎるよアッコ、これから沢山楽しい事が待ってるのによ~
 池中玄太はこう言って天を仰いで号泣しています。

 坂口良子さん早過ぎます、順番が違います、
 西田敏行はこう言って悔しさに唇を噛んでいます。

 ただ、今は現実を受け止めようと必死にもがいています。

 言えるのは、玄太を愛したアッコをあんなにステキに演じてくれて
 ありがとうございました。

 おかげで玄太を日々楽しく生きる事が出来ました。
 ホントにホントありがとうございました。

 合掌

 西田敏行拝

 *****


 冒頭に話しを戻して、ドラマ「ドクターX」の1シーン、西田敏行氏の口笛、「もしもピアノが弾けたなら」は、ドラマ「池中玄太80キロ」にて自分を支え、励まし、育ててくれた共演者たちへの、西田氏のさりげない呼びかけ、ねぎらいの言葉、そんな情感が込められているように思える次第です。


◇ ドラマ「池中玄太80キロ」のシーンから

 最後に少しだけ、ドラマ「池中玄太80キロ」から、出演者たちの肉声が入った動画を供覧いたし、最後に第2シーズンの主題歌「もしもピアノが弾けたなら」をご紹介いたします。まだ一周忌に達していない坂口良子さん他、故人の方々には謹んでご冥福をお祈りいたします。

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第1シリーズ 第3話 「やったぜ!特ダネ」から
 ちょうど玄太(西田)が仕事で失敗した際に、娘が犯人逮捕の手柄を挙げ、本城(宇野)のところで愚痴を言う玄太でした。

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第1シリーズ 第8話 「給料日の約束」から
 アッコ(坂口)がにわかに恋した相手(三橋美智也)は犯罪者でありました。心配してアパートで待っていた玄太(西田)のところに帰って来たアッコは涙にくれるのでした。

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第1シリーズ 最終話 「娘たちよ、大きく翔べ!」から
 タイとカンボジアの取材の話があって玄太(西田)は内心では行きたいのだが、娘たちのことを考えて躊躇している。そんな時、3人の娘が楠部長(長門)を訪れ海外出張の命令をお願いしました。

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第2シリーズ 第20話 「欲しいものはとれ!」から
 玄太(西田)に惹かれながら別の男性と婚約するアッコ(坂口)の気持ちを思い、ヒデ(三浦)が玄太に対して行動に出るよう促し、ついには殴り合いとなります。

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第2シリーズ 最終話 から
 玄太(西田)と結婚することとなったアッコ(坂口)が玄太の優しさを語り、そのまま最後のシーン、「もしもピアノが弾けたなら」のエンディングテーマに続きます。


http://ja.wikipedia.org/wiki/西田敏行
http://ja.wikipedia.org/wiki/池中玄太80キロ
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130329/ent13032913170019-n1.htm
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