アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

フィレンツェ最古の橋 ヴェッキオ橋(Ponte Vecchio)に様々な歴史


 ローマとピサ、フィレンツェに行って来ました。遺跡や宮殿、広場、美術館など、いろいろ観て回りましたが、なかなか良い写真が撮れませんでしたし、どれも奥が深くて、こちらで取り挙げるのは忍びない気持ちはあります。ささやかにフィレンツェの観光名所、ヴェッキオ橋をご紹介いたします。


◇ ヴェッキオ橋

 ヴェッキオ橋(Ponte Vecchio)は、イタリア語で「古い(Vecchio)橋(Ponte)」と言う名前が付けられている通り、フィレンツェ最古の橋とされます。シニョリーア広場(Piazza della Signoria)、ヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)、ウッフィッツィ美術館(Galleria degli Uffizi)の一角より南西方向、徒歩数分ほどの、フィレンツェ南部を東西に流れるアルノ(Arno)川に架けられております。ローマ時代の996年に最初に建設され、1177年、1200年、1250年、1333年に起こった川の氾濫でしばしば倒壊し、現在は1345年に建造された全長85 mほどの橋であります。三つのアーチ状の橋桁をふたつの頑丈な橋脚が支える形態は当時のヨーロッパでは初めての試みとされます。

ヴェッキオ橋を北西から見た写真
ヴェッキオ橋を北西から観た風景


◇ メディチ家専用の渡り廊下

 ヴェッキオ橋の2階には、自宅であるピッティ宮殿(Palazzo Pitti)とウッフィッツィ美術館を繋ぐメディチ家専用の通路があり、これをヴァザーリ回廊(Corridoio Vasariano)と言い、1565年、画家であり建築家でもあった ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511.07.30 – 1574.06.27)によって造られました。現在の回廊には多数の肖像画が展示されております。

ヴァザーリ回廊 写真
ヴァザーリ回廊


◇ 肉屋の集まりから貴金属店へ

 1450年頃、ヴェッキオ橋には街中の肉屋が集められたとのことです。肉は食用にならない廃棄物が出て、放置していると腐敗して悪臭を放つため、川に直接廃棄する取り決めだったとのことです。

ヴェッキオ橋から東方向
橋の中央から東方を観た風景

ヴェッキオ橋から西方向
橋の中央から西方を観た風景

 ところが、1587年にメディチ家 第3代トスカーナ大公となった フェルディナンド1世・デ・メディチ(Ferdinando I de' Medici)が、自宅であるピッティ宮殿からウフィッツィ美術館へと通う際に、上述のヴァザーリ回廊の窓から見える、川に捨てられ腐敗した肉の醜い光景と強烈な悪臭に我慢がならず、全ての肉屋を撤収させたとのことです。代わりに入れたのが現在まで続く貴金属店でありました。

ヴェッキオ橋の宝石店の写真
ヴェッキオ橋に立ち並ぶ貴金属店


◇ オペラでの引用

 プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」のアリア「私のお父さん」、「お父様にお願い」の中で娘が父親に対して「お父さん、もしリヌッチョと結婚できないなら、私、ヴェッキオ橋からアルノ川に身投げしてしまうから」と脅すシーンがあります。


◇ 奇跡の橋

 ヴェッキオ橋は「奇跡の橋」と呼ばれます。それは第二次世界大戦を経ても破壊されなかったからです。大戦末期、イタリアに駐留するドイツ軍は、上陸して来た連合軍に対してその侵攻を妨げるために、アルノ川で防衛戦を引きヴェッキオ橋を除く全ての橋を破壊したとされます。ただ一つ残ったヴェッキオ橋がなぜ壊されなかったのかは謎とされ、これが「奇跡の橋」の由縁であります。

ヴェッキオ橋を北東より見た写真
ヴェッキオ橋を北東から観た風景

ヴェッキオ橋の街並み2
ヴェッキオ橋の街並み


 奇跡的に現在まで残ったフィレンツェ最古の橋は、美しい景観を放ち、観光スポットのみならず、街の人々が集う賑やかな憩いの場所にもなっておりました。


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ヘミシンクによる 夢の中での(?)体外離脱体験 (Out of Body Experience, OBE)


 本日のつい先ほど、午前8時半頃から約15〜20分間の体外離脱を体験いたしましたので記録します。ブログのヘミシンクのカテゴリーは久しく投稿しておりませんでしたが、細々とはやっておりました。なんとなくガイドに会えたような、体外離脱に近い感覚に近づいたり、あるいはそのまま深く眠ってしまったり邪魔が入ったりと、記録するほどでもない連続でありました。でも、元々は「アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求」をテーマにヘミシンク体験を記録するために始めたものでしたので、今後も細々と記録を続けていきたいと思います。


◇ 状況 Situation

 旅行から疲れて帰りぐっすり眠った翌日の朝、トイレに目が覚めて用を足しに起きました。ついでに下の階のリビングに置かれた携帯とヘッドフォーンを取って再びベッドに入りました。明らかに目が覚めた状態の意識下における行動でありました。iPhoneの表示は7:00ちょうどでありました。


◇ 体外への旅 サポート用 Hemi-Syncシリーズ

 最近の折を見て行っているヘミシンクは「体外への旅 サポート用 Hemi-Syncシリーズ」(モンロー研究所のヘミシンクの体外離脱サポートCD6枚組セット)であります。

ヘミシンク体外への旅

 CD1 はじめに
 CD2 リラックス状態
 CD3 状態A(半覚醒状態)
 CD4 状態B(Aの続き)
 CD5 状態C(Bを深めたイメージ)
 CD6 状態D(強化信号を加え、体外離脱と明晰夢へと誘導する)



◇ 実践 Exercise

 仰向けに横になってヘッドフォーンを装着、カーテンに遮光されて部屋は薄暗く、アイマスクは付けませんでした。朝方の寝ぼけた状態で不確かですが、時間の経過から恐らくは、最後のCD6(状態D)から始めました。仰向けのまま約1時間CD6を聴いたところで、最初に戻り、CD1(はじめに)のロバート・モンロー 氏 の体外離脱についての説明、日本誤訳が流れて来ました。内容は過去の記事で紹介したものであります。

2014/09/25「体外離脱体験 Out of the Body Experience (OBE)」

 何度も聴いた導入編ですので早送り、先に進めたところでCD2(リラックス状態)に移りました。最初は左側臥位、次いで右側臥位と楽な態勢となって、布団から左肩と腕を出して、顔は布団の中に伏せておりました。


◇ 体験 Experience

 CD2に入ってそれほど経たないうちだったと思います。突然、両脚が浮き始め、仰向けの状態に戻って両肩を付けたままの逆立ちのような態勢となりました。約1分、自由が効かず元には戻れず逆立ちはしばらく続き、どうしたものかと思いましたが、「これは体外離脱では!?」と気付きました。うつ伏せに体を入れ替えて、これは肉体を動かすのではなく心で念ずるかたちで、両手両足を広げた大の字となったところ、体は宙に浮きました。イメージとしては下図のような感覚でありました。

宙に浮く状態

 体に力を入れたり意識が弱ると、空中での高度が下がり地面すれすれになりますので、心で念ずるように浮遊を続けました。部屋の床と壁は見えましたが、自分が寝ている姿に目をやる余裕はありませんでした。
 八畳の寝室を何回か回旋したところで、ふとひらめきました、「壁をすり抜けて外に出られるのでは?」と。躊躇もあってさらに何回か回旋したところで、「ままよ!」とばかりに部屋の角に突っ込んだところ、いとも簡単に壁をすり抜けて屋外へ出ました。眩しい光が目に入って来て、しかし空には雲があり、雨上がりの湿った景色は、肌に気温は感じませんでしたが、いかにも涼しい朝でありました。

自宅前と公園

 上の写真は先ほど全てが終わった後に撮影したものですが、自宅とその前に広がる広場で、まさにこの空で空中浮遊しました。自宅と広場を上空から見下ろしながら、以前にも感じた不安感が頭をよぎりました。どこかへ行ってみたい気持ちとは裏腹に、元に戻れないのでは?、との不安です。
 「今日はここまでとして、またの機会にしよう!」と思い、自宅の外壁に突入したところ、見事、突き抜けて寝室に戻りました、と同時に肉体に帰っており、ふらふらと起き出して、その場にいたカミさんに「今、体外離脱したんだ!」と伝えました。次の瞬間は布団の中でありました。もちろん、ヘッドフォーンを耳に付け、ヘミシンクの効果音が流れた状態でありました。


◇ あとがき;夢見体験? In a Dream?

 完全な意識下で行ったヘミシンクであり、体外離脱は鮮明に覚えているのですが、瞑想からの夢見状態であった可能性が極めて高いです。なぜなら、最終は布団で朦朧とした状態でありましたし、起き出してセブンカフェを買いに行く際には、先ほどは起きていたカミさんはまだ寝ていました。「コーヒー欲しい?」って呼びかけに「コールドでラージ!」って返事が返って来て、体外離脱の体験を知らせたのが夢の中であることは明白でありました。
 今回の体外離脱が夢見体験であったとしてもそれは問題ありません。なぜなら、ほとんどの正常な人が夢見体験の中で無意識に体外離脱が起こるとされます。今回、意識下のヘミシンクで体外離脱を誘導することができました。これは夢見と瞑想状態の狭間での出来事と考えます。今後も精進を重ねる所存です。


1970年代後半の 20歳代の さだまさし さん が綴った恋の唄たち


 シンガーソングライターで、ラジオ・パーソナリティーで、小説家で映画監督の、今となっては随分と肩書きが増えた さだまさし さん(本名 佐田 雅志、1952年4月10日生)についての、ちょっとした私見を申し上げます。私が さだ さん を意識するようになったのは、恥ずかしながら、10代の時に3歳年下の妹が「私花集(アンソロジィ)」と言うアルバムを買って来てからでありました。このアルバムは1978年3月のリリースですので今から約40年も前であります。「恥ずかしながら」と申しましたのは、当時の「アルバム」とは、直径30 cmのレコードで回転数33 1/3回/分の「LP(Long Playing)」のことであり、1枚3000円もして、それを自分の小遣いで買うのを妹に先を越されたからであります。

私花集 ジャケット

 さすがに「精霊流し」(1974年)くらいは知っておりましたが、妹から借りてカセットテープにダビングした「私花集(アンソロジィ)」に聞き惚れて、その前とその後と、年に1本出されるアルバムを全て収集するちょっとしたブームでありました。医者になってから、さだ さん とは東北地方のコンサートを観に言った際に、知人で関係者の人に案内されて楽屋でお会いして握手させていただきました。その一度だけですが、ここでは「さだまさし さん」もしくは「さだ さん」と呼ばせていただきます。
 前置きが長くなりましたが、テーマはタイトルに示す通り「さだまさし さん が綴った恋の唄たち」で、1952年生まれ、31歳で結婚した彼が20代であった、大凡、1970年代の曲が対象であります。


◇ さだまさし さん が綴った恋の唄たちの分類

 さだ さん は日本の代表的なシンガーソングライターであり、「さだまさし研究会(さだ研)」なるものもあるくらいですから、彼についての詳しい紹介が必要ないのは助かります。さだ さん の楽曲は、人生観や歴史、世情を歌うもの、父や母への想い、個人的な誰かへの感情など、多岐に渡りますが、当然ごとく独身時代の20代は多数の恋の唄を歌っております。一般的に、恋愛を歌った多くの楽曲がハッピーエンドではなく、別れや苦しい恋心を表現していて、さだ さん の恋の唄もそういう傾向にあります。ここでは以下の如く分類して考えます。

 ・極めて少ないハッピーエンドはヒット曲
 ・意外に少ない軽いノリでの失恋の歌
 ・案外多い昔の恋人とのふれあい
 ・死に別れた恋人を歌う
 ・真骨頂! 美しい音色と芸術的な詩で綴られた失恋の歌


 こうして分類すると「まさにそうだ!」と共感される方がいらっしゃるかと思いますが、全くそうは思わない方がいるかも知れません。対象となるのは、以下の、ソロとして1つ目「帰去来」以下、6つのアルバムと、その時期に出されたシングルの恋愛の歌であります。

 1.「帰去来」 (1976年)
 2.「風見鶏」 (1977年)
 3.「私花集」 (1978年)
 4.「夢供養」 (1979年)
 5.「印象派」 (1980年)
 6.「うつろい」(1981年)


帰去来ジャケット

風見鶏 ジャケット

夢供養 じゃyケット

印象派 ジャケット

うつろい ジャケット


◇ 極めて少ないハッピーエンドはヒット曲

 改めて、多くのミュージシャンが恋愛を歌っておりますが、ハッピーエンドは少なく、さだまさし さん も同じ傾向にあります。ただ、さだ さん の場合は、少ないハッピーエンドを堂々とシングルでリリースしてヒットを生み出しました。ここでは「雨やどり」(1977年)と「天までとどけ」(1979年)を挙げます。なお、「パンプキンパイとシナモンティー」(1979年「夢供養」に収録)もハッピーエンドを惹起させますが、歌う本人ではなく、「(喫茶店の)マスター」と言う客観的存在を主役としたストーリーでありました。また「きみのふるさと」(1977年「風見鶏」に収録)はもうすでに結婚を意識した男性が恋人の故郷に向かう情景を歌ったハッピーな歌であります。

「雨やどり」(1977年)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

雨やどり ジャケット

 さだまさし さん の歌で最初のハッピーエンドかどうか知りませんが、ソロデビュー後、2枚目のシングルで、「精霊流し」を超えるオリコンシングルチャート1位にノミネートされる大ヒットとなりました。1977年2月11日ののレコーディングは埼玉県の熊谷会館でのコンサートライブで行われ、録音には観客の笑い声が入っております。後続として「もうひとつの雨やどり」(同年、シングルB面)、「雨どりや」(1979年)があります。以下に曲の冒頭と最後の歌詞をご紹介します。

 *****

 それはまだ私が神様を信じなかった頃
 9月のとある木曜日に雨が降りまして
 こんな日に素敵な彼が現れないかと
 思ったところにあなたが雨やどり

 すいませんねと笑うあなたの笑顔とても凛々しくて
 前歯から右に4本目に虫歯がありまして
 仕方がないので買ったばかりのスヌーピーのハンカチ
 貸してあげたけど傘の方が良かったかしら

 でも爽やかさがとても素敵だったので
 それは苦しい時だけの神頼み
 もしももしも出来ることでしたれば
 あの人にも一度逢わせてちょうだいませませ

  (再会して交際が始まり)

 本当なら連れて来てみろと言うリクエストにお応えして
 5月のとある水曜日に彼を呼びまして
 自信たっぷりに紹介したらば
 彼の靴下に穴がポカリ
 慌てて抑えたけどしっかり見られた

 でも爽やかさがとても素敵だわと受けたので
 彼が気を良くして急に
 もしももしも出来ることでしたれば
 このひとをお嫁さんにちょうだいませませ

 その後私気を失ってたからよく分からないけど
 目が覚めたらそう言う話がすっかり出来上がっていて
 おめでとうって言われても一度気を失って
 気がついたらあなたの腕に雨やどり

 *****



「天までとどけ」(1979年)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 フジテレビのドラマ「時よ燃えて!」の主題歌でありました、恋愛が成就して結婚に至る直前の、この上なく愛の喜びを歌った歌だと思います。当時の人気歌番組であるTBSテレビ「ザ・ベストテン」では合計6週間10位以内にランキングされました。

天までとどけ ジャケット


◇ 意外に少ない軽いノリでの失恋の歌

 さだまさし さん の失恋の歌と言えば、軽い笑顔で歌う曲と言う印象を持ってしまうのは私だけではないでしょうが、実は「軽いノリでの失恋」の歌は極めて希であります。

「絵はがき坂」(1976年「帰去来」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 アルバム「帰去来」(1976年)のB面に収録され、後にシングル「雨やどり」(1977年)のB面でも登場したこの曲は、実は初期の さだまさし ワールドにおけるファン投票 ベスト10に迫る人気曲であります。さだ さん が失恋を軽いノリで歌う印象を持たせたのはこの曲があったからと思います。コンサートでは観客が手拍子で共演する、実は、失恋の歌の舞台は、さだまさし さん が少年時代に過ごした長崎県長崎市の活水地区、彼の妹、玲子 さんの母校である活水女子大学とも、有名なオランダ坂とも言われています。

 *****

 あなたはためらいがちに何度も言いあぐねて
 どうしてそんなことああ迷うのですか
 一人で生きていけるほどお互い大人じゃないし
 それにしてもあなたの時計ああ進みすぎました

 カンナがもうすぐ咲くからそれまであなたが髪を
 切らなければいいね出来たら本当にいいね

 活水あたりはまだ絵はがき通りの坂
 つたやかづらの香り背に学生たちが通る

 あなたの横顔越しにシャボン玉が一斉に
 弾けた気がしたのはああ紫陽花ですか

 同じようにジーンズ着てアンアンノンノ抱えた
 若いお嬢さんたちが今シャッターを切った
 活水あたりはまだ絵はがき通りの坂
 僕も思い出欲しくてそっと心でシャッター押した

 絵はがき坂を下りながらあなたは
 やっぱり言いましたね ああさよならですか
 ああさよならですか
 ああさよならですか

 *****


「最后の頁(ページ)」(1978年「私花集」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 明るく美しい音色の曲です。「秋桜」(1977年)と共にカップリング曲として 山口 百恵 さんに提供されました。「サヨナラとマッチの軸でテーブルに書いた落書き、火を灯せばサヨナラが燃えて綺麗だ」と、いかにも「さだワールド」の歌詞であります。


◇ 案外多い昔の恋人とのふれあい

 もしかしたら さだまさし さん の独特の手法かも知れません。以前に交際した女性と再会している情景を歌っています。何やら、彼女から相談を受けて、それに答える設定です。なんとなくウキウキした気分が感じられ、実生活ではあまりない設定ですのでコミカルな雰囲気も感じます。

「吸い殻の風景」(1977年シングルおよび「風見鶏」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 昔の恋人と再会して、彼女の方から一方的に現状とかつての言い訳を聞くという設定です。歌詞を一部抜粋してご紹介いたします。

 *****

 (途中から)

 みんなはどう元気でいる
 私のこと覚えているかしら
 あの頃私子供だったから
 みんなを困らせたわ

 今になって考えれば
 あなたはとても良い人だった
 だからこそ
 落ち着くところへ落ち着いたの二人

 人は皆それぞれに自分の
 時刻表を持っているのよ

 あなたと私の場合はどちらかが
 列車を乗り違えただけの事じゃない

 だからそんな風に
 自分のこといじめるのは止して頂戴
 わかるでしょ風の日には
 誰だって目をつぶるわ

 *****


「立ち止まった素描画(デッサン)」(1979年「夢供養」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 別れた恋人が別の男性とも交際してまた別れたことを聞き、その彼女に語りかけているシーンです。実際に会って話しているかは不明ですが、詩の面白い言葉の言い回しが印象的です。一部を抜粋してご紹介いたします。

 *****

 別れたんだってね彼とまるであっけなく
 僕との時の様にきみから言い出して
 ちょっと買い物に出かける様な調子で
 ふらりと部屋を出て来たに決まってる

 (中略)

 忘れちゃいけないもしきみが
 地図にない街を捜したきゃ
 初めに地図が必要だってこと
 きみと僕で前に一度
 身に浸みたはずなのに
 きみはスケッチブックに素描画(デッサン)だけ済ませたら
 色付けの前に投げ出す繰り返し

 *****


「分岐点」(1981年「うつろい」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 昔の恋人に呼び出されて失恋話を聞かされます、それもミートパイとソーダ水をヤケになって飲み食いしながらのしゃべりまくり。最後のフレーズで、ふともう一度、ヨリを戻せるのではないかと考えている主人公の本音なんかも含めて、全体にコミカルで楽しい曲となっております。

 *****

 昔の恋人僕を呼びつけて
 また例によって失恋話
 普段は全く音沙汰も無しに
 何処かの誰かと別れるたびに呼び出す
 悲しい時にはお腹が空く性質で
 それも決まってミートパイとソーダ水
 それを泣きつ怒りつじっと頬張っている

 ごめんねいつも泣き顔ばかりで
 でも食べかけのミートパイじっと見てると
 いわゆり条件反射なのよね
 ボッとしたあなたの顔見たくなる

 そんな憎まれを叩いて2杯目の
 ソーダ水飲み干してやっと笑ったね

 (中略、最後のフレーズ)

 可笑しなもんだねもしかしたらきみと
 出直せるかなんて今思ってる

 *****



◇ 死に別れた恋人を歌う

 多くのシンガーに歌われる「死に別れた恋人を思う歌」を、20歳台の さだ さん は、少なくとも4曲は作っております。

「異邦人」(1976年「帰去来」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 亡くなった元恋人の弔問とアルバムを形見としてもらう為にかつて過ごした街を訪れたところ、街そのものは昔のままであったけれど、もはやそこには自分の居場所がないことを実感すると言う歌です。

「夕凪」(1976年「帰去来」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 渡辺 俊幸
 歌  さだまさし

 同じアルバムに2曲目となります亡き恋人を思う歌であります。夕暮れの海を眺めながら恋人を思い出しております。この情景は、後に「黄昏迄」(1981年「うつろい」に収録)に引き継がれ、大バラードとして完成します。

「みるくは風になった」(1980年「印象派」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 交通事故で他界した実在の女性に向けた鎮魂歌でありますが、その女性は恋人ではありませんでした。さだまさし さん がアルバム「風見鶏」のレコーディングのために渡米した際に案内役を務めた留学生の 故 相沢 玲子 さんは、帰国後も さだ さん や 渡辺 俊幸 氏 と親交があり、さだ さん にとっては妹のような感覚の女性だったようです。

「黄昏迄」(1981年「うつろい」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 先にも申しました、5年の歳月を経て、「夕凪」(1976年「帰去来」に収録)の続きとなる、黄昏の海を見ながら亡くなった恋人を思う歌であります。メロディの美しさ、歌詞の美しさ、さだまさし ファンの人気トップ10に入る名曲であります。

 *****

 海を見下ろす丘の上は
 いつでも向かい風が吹いて
 空と海の青と思い出とが一列に並ぶ

 きみが愛していた子犬は
 あれから大きく育った
 今僕の側で一緒に海鳴りを聴いている

 金色の波の上を帆影が一つ
 二つ港へと還ってゆく

 昔きみと約束していた
 二人して年老いたならば
 世界中を船で廻ろうと
 飽きるほど一緒にいようと

 突然に海に帰ったきみを
 追いかけて僕の心がカモメになって舞い上がる

 黄昏迄海を見ていたい
 温もりを懐かしむ様に
 寄せて返す波を見ていたい
 いつまでも漂いたい
 
 黄昏迄海を見ていたい
 温もりを懐かしむ様に
 寄せて返す波を見ていたい
 いつまでもいつまでも

 *****


黄昏迄 写真


◇ 真骨頂! 美しい音色と芸術的な詩で綴られた失恋の歌

 美しい音色でしっとりと歌った失恋の歌に、「指定券」(1976年「帰去来」に収録)、「つゆのあとさき」(1977年「風見鶏」に収録)、「最終案内」(1977年「風見鶏」に収録)、「フェリー埠頭」(1978年「私花集」に収録)などがあります。いずれも十分に失恋の情感を描写した美しい歌でありますが、これを遥かに超える、さだ さん の真骨頂と言えるのが、時に激しく、時に奥深く、総じて芸術性が加わった失恋の歌であります。

「胡桃の日」(1976年「帰去来」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 さだまさし さん が、まさにグレープ時代から卒業した様な、イメージを覆すロック調の曲であります。アップテンポで衝撃的なメロディに、いかにも目に浮かぶ様な男女の修羅場が描写されており、「真骨頂!」の範疇に入れさせていただきました。2番の歌詞だけ掲載いたします。

 *****

 窓の外には雨と唐松枝にはるりかけす
 きみの前には僕の前には胡桃の実がひとつ

 何気ない言葉で傷つくみたいで
 思わずきみに向かって
 振り上げた右手の拳で一体
 僕は何をしようとしてた
 
 まるで胡桃を素手で割ろうとしている様で
 驚いて振り向いたきみの眼が哀しい

 窓の外には雨と唐松枝にはるりかけす
 きみの前には僕の前には胡桃の実がひとつ

 *****


「飛梅」(1977年「風見鶏」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

太宰府天満宮を舞台に、菅原 道真 公 にまつわる「飛梅伝説」をモチーフにして、来年には同じ道を歩まない二人の別れを歌った楽曲であります。
 延喜元年(901年)、平安時代の貴族 菅原 道真 公 は、平安京朝廷内で 藤原 時平 氏 との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなり、京都の屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ大切にしていた梅の木に、以下のごとく語りかける様に歌を詠みました。

 東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主(あるじ)なしとて 春を忘るな

 「大鏡」等に記されている「飛梅伝説」とは、道真 公 を慕う梅の木が太宰府まで飛び、地に降り立ったと言うものであります。「飛梅」の歌詞、一部をご紹介いたします。

 *****

 心字池にかかる三つ赤い橋は 
 一つ目が過去で二つ目が今

 三つ目の橋できみが転びそうになった時
 初めてきみの手に触れた僕の指

 (中略)

 裏庭を抜けてお石の茶屋へ寄って
 きみが一つ僕が半分梅ヶ枝餅を食べた

 来年も二人で来れるといいのにねと
 僕の声にきみは答えられなかった

 時間と言う樹の想い出と言う落ち葉を
 拾い集めるのに夢中だったねきみ
 
 あなたがもしも遠くへ行ってしまったら
 私も一夜で飛んで行くと言った
 忘れたのかい飛梅

 あの日と同じ様に今鳩が舞う
 東風(こち)吹けば東風吹かばきみは
 何処かで想い起こしてくれるだろうか
 太宰府は春いずれにしても春

 *****


飛梅の心字池 橋


「晩鐘」(1977年「風見鶏」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 晩秋のどこにでもある、ある交差点での恋人との別れを、日本古来の美意識を駆使して描写しております。「きみは信号が待ちきれなかっただけ、心変わりに一番驚いているのはきみの方」などとと彼女をかばう主人公の優しさが伝わってくる名曲であります。

 *****

 風花がひとひらふたひらきみの髪に舞い降りて
 そして唇沿いに秋の終わりを白く縁取る

 別れる約束の次の交差点向けて
 まるで流れる水の様に自然なふりして冬支度

 僕の指にからんだ最後のぬくもり覚えていたくてつい立ち止まる
 きみは信号が待ちきれない様に向こう岸に向かって駆けてゆく
 銀杏黄葉の舞い散る交差点でたった今風が止まった

 哀しみがひとひらふたひら僕の掌に残る
 時を失くした哀れ蚊の様に散りそびれた木犀(もくせい)みたいに

 眩暈の後の虚ろさに似つかわしい幕切れ
 まるで長い夢をみてたふとそんな気がしないでもない

 心変わり告げるきみが痛々しくて思わず言葉を遮った僕
 きみは信号が待ちきれなかっただけ
 例えば心がわり一つにしても
 一番驚いているのはきっときみの方だと思う

 きみは信号が待ちきれなかっただけ
 流れに巻かれた浮浪雲桐一葉
 銀杏黄葉の舞い散る交差点でたった今思い出と出会った

 *****


「加速度」(1978年「私花集」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 渡辺 俊幸
 歌  さだまさし

 公衆電話から別れを告げる恋人の声に耳を傾けている、最後のコインが落ちた時に恋が終わると思われた、その瞬間は彼女の「それから!」って言葉でした。時間が来て電話が切れて、発信音と雨の音、なんとも言えない胸を打つシチュエーションです。作曲、編曲を担当した 渡辺 俊幸 氏 はビートルズを意識したと語っています。

 *****

 別れの電話は雨の日の午後
 受話器の向こうできみは確かに
 雨にうたれ声もたてずに泣いていた

 「最後のコインが落ちたから
 今までの全てがあと3分ね」って
 きみは途切れがちに小さく呟いた

 スローモーションで時が倒れてゆく
 言葉さえ塞いで
 ご覧愛の素顔は2つの世界の
 シソーゲーム 
 喜びと悲しみと

 最後の電話がコトリと切れて
 静かに僕の手に残ったものは
 発信音と穏やかな雨のさざめき

 途絶える直前のきみの優しさは
 最後にピリオド打たなかったこと
 まるで悲鳴の様に言いかけた「それから」って

 自分の重みに耐え切れずに落ちてゆく
 ガラス窓のしずく

 あたかも二人の加速度の様に
 悲しみを集めて
 ほら一つまた一つ

 *****


「まほろば」(1979年「夢供養」に収録)

 作詞 さだまさし
 作曲 さだまさし
 歌  さだまさし

 さだまさし ファンの人気投票で、第2位にランキングされた曲であります、最近はどうなっているかわかりませんが。歌の舞台は奈良の春日野、男女の心のすれ違い、言葉にすることの虚しさ、関係のうつろさを、日本ならではの古式ゆかしい美を曲に凝縮して歌っております。「万葉集」磐姫皇后の作歌 巻2-87、89を参考に歌詞が作られているとされます。

 万葉集 磐姫皇后の作歌 巻2-87
 原文:在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
 読み:ありつつも君をば待たむ打ち靡くわが黒髪に霜の置くまでに
 意味:このままずっと君を待ちます、垂らしたままの私の黒髪に霜が置くまで

 万葉集 磐姫皇后の作歌 巻2-89
 原文:居明而 君乎者将待 奴婆珠能 吾黒髪尓 霜者零騰文
 読み:居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも
 意味:夜を明かして君を待ちましょう、私の黒髪に霜が降ろうとも

 *****

 春日山から飛火野辺り
 ゆらゆらと影ばかり泥む夕暮れ
 馬酔木の森の馬酔木に
 尋ね尋ねた帰り道

 遠い明日しか見えない僕と
 足元のぬかるみを気に病むきみと
 結ぶ手と手の虚ろさに
 黙り黙った別れ道

 川の流れはよどむことなく
 うたかたの時押し流してゆく
 昨日は昨日明日は明日
 再び戻る今日は無い

 例えばきみは待つと
 黒髪に霜のふる迄
 待てると言ったがそれは
 まるで宛名のない手紙

 寝ぐらを探して鳴く鹿の
 後を追う黒い鳥鐘の音一つ
 馬酔の枝に引き結ぶ
 行方知れずの懸想文

 二人を支える蜘蛛の糸
 ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
 きみを捨てるか僕が消えるか
 いっそ二人で落ちようか

 時の流れは惑うことなく
 うたかたの夢押し流してゆく
 昨日は昨日明日は明日
 再び戻る今日は無い

 例えばここで死ねると
 叫んだきみの言葉は
 必ず嘘ではない
 けれど必ず本当でもない

 日は昇り日は沈み振り向けば
 何もかも移ろい去って
 青丹よし平城山の空に満月
 
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まほろばの歌詞の一部


◇ あとがき

 さだまさし さん と言うと、「雨やどり」や「関白宣言」などの楽曲や、笑いを誘うコンサートでのトークなど、楽しい情景が思い浮かばれますが、一方で清潔感と芸術性を兼ね備えたシリアスな部分もあります。その本質は、極めて真面目な人物何だろうと拝察いたします。まだまだ60代半ばですので、今後のご活躍に大いに期待いたしますし、またいずれ、こちらのブログで扱わせていただくことがあろうかと存じますが、20歳代の さだ さん はもう帰って来ませんので、当時の恋愛の歌をまとめさせていただきました。分類法として正しかったのか、曲の解釈に間違いはなかったか、確固たる自信はありませんが、一つだけ、長くなりましたので誤字脱字はご容赦ください。