アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のヘミシンク体験とスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

大人の発達障害


 仕事柄、精神的ストレスなどの心因性の問題が消化器症状として現れる患者にしばしば接します。はっきりと胃十二指腸潰瘍や過敏性腸症候群などの疾病と言うかたちである事も、胃腸炎や胃もたれのようなものな漠然としたものであることもあります。そうした患者たち、とりわけ20〜30代の若者の中に、よく話を聞くと、どう言うわけか、周囲とのコミュニケーションが上手に取れない、健全な人間関係を作れない、仕事に打ち込めない、などの元々の人格的異常が関与しているケースがあります。ここでは、その代表的な病態として、最近、よく話題に挙がる「大人の発達障害」について、その原因、病態、診断と治療など、様々なページから拾って来ましたのでご紹介いたします。


◇ はじめに

 大人の発達障害は脳機能障害の一種です。先天的な異常であるため2, 3歳頃より特性が出始めるとされますが、知的障害を伴わない場合は見過ごされ易く、学童期から思春期にかけて集団生活への不適応が明らかになります。それでも、学校の成績に問題がなければ、「ちょっとずれている」、「天然ボケ」、「空気読めない」などと言われる程度に留まり、発達障害として認知されないことがほとんどです。
 ところが、社会に出ると困難さが一気に表面化します。社会人になると、周囲の人間は友達やクラスメートばかりではなくなります。多くの人間関係が仕事を共にする事務的なものであり、仕事を通じて信頼感や共感を得る存在となります。社会に出ると、世の中には「こんなことは言われなくとも解るはず」という暗黙の了解や大人のルールが数多くあって、そうした目に見えない常識を理解しにくいのが発達障害の特徴の一つですので、主として職場における集団の中で孤立したり、対人関係がうまくいかないことがしばしばとなります。私生活においても、異性と交際できない、友達がいない、注意力・集中力がない、そんな人間です。
 さらには、発達障害の人は他の人とコミュニケーションが上手にできません。視野が狭く、己の価値観が絶対ですし、一方で集中関心を保つことも平静な心でいるのも苦手ですから、これらに伴う、社会生活における様々な困難に直面する人であります。
 誰もが身近な存在に、もしかしてあの人がそうかも?、と思うことがある、病気ではないようで実は深刻な病態が「大人の発達障害」にあります。


◇ 大人の発達障害の概念/分類/疫学

 大人の発達障害の概念と簡単な分類、疫学をご紹介いたします。

1.子供の「発達障害」とは別のものとしての扱い

 ただ単に「発達障害(Developmental disability, DD)」と言うと、子供が、遺伝的素因、胎児期や出生児の状態、感染症、環境因子ななどにより、発達の過程において障害が生じ、肉体的、精神的な不具合が生ずる病態が含まれて来ますが、ここでは主として成人になってから発症するもののみを取り上げますので、「大人の発達障害」と明記する事で別のものとして扱ってまいります。

2.大人の発達障害の概念

 大人の発達障害は、発達の遅れと言う意味ではなく、脳の認知機能の障害のために、他人とコミュニケーションをとったり、暗黙のルールを守ったり、集中関心を保ったり、ミスや抜け漏れなく社会生活を送る事ができない、社会不適応を起こす状態であります。認知機能とは、目や耳などの感覚器官から入って来た情報を記憶と照らし合わせて、自分の取るべき行動を判断するまでの一連の処理能力を言いますが、大人の発達障害では、この認知機能に不具合が生じており、ある種の情報は的確に処理できるのに、ある種の情報にはうまく対応できない、処理能力に偏りが見られるのが特徴です。

3.大人の発達障害の分類と疫学

 大人の発達障害は以下に分類され、それぞれの発生頻度を%で示します。

 ○ 自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder, ASD)1.5〜2.6 %
  ・知的障害を伴う自閉症(Autism、カナータイプ)
  ・高機能自閉症(high functioning autism, HFA)
  ・アスペルガー症候群(Asperger syndrome, AS)
 ○ 注意欠如多動性障害(Attention deficit hyperactivity disorder, ADHD)5.0〜11.0 %
 ○ 学習障害(Learning disorder, LD)3.2〜4.5 %

 続いて、個々の発達障害について、病態、症状をご説明いたします。


◇ 自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder, ASD)

1.自閉症スペクトラムの概念の始まり

 「自閉症」と言う言葉は1943年、米国の精神科医 レオ・カナー 氏の論文で初めて使われました。ここでは、社会性や言語発達能力に重い障害が見られる子供たちを「早期幼児自閉症」として、知的障害、精神発達遅滞を伴うものと扱われておりました。その1年後、オーストラリアの小児科医 ハンス・アスペルガー 氏が「自閉的精神病質」と題した論文で、カナー 氏の症例と共通する特徴を持ちながら、言語発達の遅れや知的障害が見られない病態を報告しました。あまり注目を集めることはありませんでしたが、これが「アスペルガー症候群」の始まりでありました。
 1981年、英国の児童精神科医 ローナ・ウィング 氏は、カナー 氏が報告した症例とアスペルガー 氏の症例は本質は同じと考えました。彼は言語能力や知的レベルで病態を分けるのではなく、自閉症とアスペルガー症候群、その周辺にある自閉性障害すべてを含めて「自閉症スペクトラム」と呼ぶことを提唱しました。「スペクトラム」とは「連続性」と言う意味であり、病態の横の繋がりを指します。

2.自閉症スペクトラムの「三つ組の障害」

 ウィング 氏は自閉症スペクトラムの特徴として以下の「三つ組の障害」を提唱しております。それぞれの障害は個々に解説して参りますが、この3つの障害が現れている場合に自閉症スペクトラムと診断されます。

【三つ組の障害】
 ・社会性の障害:他人とうまく交流できない
 ・コミュニケーションの障害:言葉や表現を用いた意思表示ができない
 ・想像力の障害:想像力が乏しく、独特のこだわりがあり

3.自閉症スペクトラムの3病態とその位置付け

 自閉症スペクトラムには、上述の如く、知的障害を伴う(古典的)自閉症(Autism、カナータイプ)、高機能自閉症(high functioning autism, HFA)、アスペルガー症候群(Asperger syndrome, AS)に分類され、知的能力やコミュニケーション能力が低いレベルから高いレベルまで幅が広く、これらは、スペクトラム、連続した病態であると考えられております。

 ・知的障害を伴う(古典的)自閉症(カナータイプ):言語・知的発達に遅延あり
 ・高機能自閉症:乳幼児期に言語発達はあるが成長とともに問題は目立たなくなる
 ・アスペルガー症候群:言語・知的発達に遅延はないが言葉の使い方が特徴的

自閉症スペクトラムの概念 図

4.社会性の障害

 自閉症スペクトラムの最も特徴的な症状が社会性の障害であり、それはそのまま対人関係を作るのを難しくさせます。具体的は病態を箇条書きに説明いたします。

1) 他人に対する思いやり・配慮の欠如

 対人関係において、相手の気持ちを汲み取り、場の雰囲気にふさわしい言葉を投げかけることで良好な人間関係を作り、少なくとも不快感や敵対心を持たれないようにするのが人間として正常な対応で、こうした対人関係の能力を「社会性(ソーシャリティ)」と言います。自閉症スペクトラムの人にはその能力はありません。状況がどうであれ、相手が誰であろうと意に介さず、常に自分中心、自分の思う通り、自分にプラスになることしか考えません。これでは友達はできませんが、友達ができないことを寂しいとも思いません。

2)マナーやルールを理解できない

 犯罪に繋がるような大きな法律は別としても、人間社会にはマナーや暗黙のルール、集団における小さな取り決めがあります。これを理解できない、守れないのが自閉症スペクトラムの人です。例えば女性の年齢や容姿についての言動や、学歴、家柄による差別発言など、人間社会では通用しないマナーからの逸脱があります。相手との距離感が掴めないこともあり、会話において、過度に大声をあげたり、逆に目線を合わせられないのも自閉症スペクトラムの人独特のマナーです。
 ルールや取り決めについては、刑法や交通法規に及ぶ単純なものまで社会的なものを守る知識はありますが、明文化されていないルールを守ることはできません。予定表にすでに書かれた他人の予定を無視して自分の予定を押し通したり、小さな社会において皆で決めたルールを守れません。嘘をつくのは日常茶飯事ですし、人間として当たり前な立ち振る舞いができずに、信じられない行動をとります。集団の中にいても、自分の世界に浸り、周りに関心を示さない、周りに従わないとも言えます。

3)他人に過剰に気を使うタイプも

 自閉症スペクトラムの人は自己本位やマイペースと思われがちですが、逆に周囲に対して必要以上に気を使うタイプもいて、これもある意味では自己本位でマイペースと言えます。若いときより、「人の気持ちが解らない」、「空気が読めない」と言われ続けた結果、常に人から嫌われるのではないか?、と言う怯えがあって、たった数分の遅刻など小さなミスに対して何度も謝罪したり、必要以上に丁寧な言葉を発したりします。

自閉症 社会性の欠如の図

5.コミュニケーションの障害

 自閉症スペクトラム内でも言語発達能力の高低はありますが、共通しているのは「他人と共感したり、意思疎通を図ることが困難なため、正常な対人関係を築きにくい」と言う点で、これをコミュニケーションの障害と言います。

1)独特な言葉の理解の仕方とイントネーション

 相手の気持ちを察することができないため、言葉と言葉のキャッチボールにはなりません。一方的な会話は独りよがりで、また抑揚がなく無表情、身振り手振りもないため不自然な話し方になります。

2)言外の意味が通じない

 社交辞令や皮肉など、言外の意味、微妙なニュアンスを理解できないため、他人の言葉をストレートに受け止める、間に受けることがしばしばで、それに伴うトラブル、空気読めないが後を絶えません。

コミュニケーション障害

6.想像力の障害

 自閉症スペクトラムの人は、想像力の障害があり、柔軟な発想を持つことができず、また特定のものに対する独特のこだわりがあるため、それに伴う諸症状が見られます。

1)限定反復的行動

 起床から食事、出勤、退社、就寝まで時間をきっちりと決めて、仕事も一定の手順に頑固なまでに拘ります。物事をシステム化することに強い安心感を抱き、それを日々実践しようとします。

2)急な変更に柔軟な対応ができない

 予定通りに行かないことが生ずると不安や恐怖に陥り、ひどく混乱した状態となります。これは、物事の流れを読んだり、この先どうなるかと言ったことを想像する能力に欠けるからで、予定外のことが起こると柔軟に対応することができないのです。

3)特定なものに対する拘り

 日常の限定反復的行動は、意識の持って行き先をも限定させます。狭い興味の対象に執着して、その興味を長い間持続します。そうすることで安心感を得ると考えられており、凝り固まった拘りが周囲に害を及ぼす場合はしばしばです。一方、独特の強い興味は並外れた集中力を生むこともあり、芸術や研究分野で大きな仕事をなすこともあります。

4)変化に富むものが苦手、変化のないものが好き

 想像力の障害がある自閉症スペクトラムの人は、変化をすごく嫌うため、人の気持ちの変化にも不安を覚えることが多く、ロボットなどの機械や心変わりしない動物を好む傾向にあります。

7.周囲への迷惑が解らない

 自閉症スペクトラムは、他者の考えや心情をくみ取ることができない、社会性の障害、コミュニケーションの障害があるため、相手にどう思われているかと言うことに気が回りません。周囲への迷惑を「わからないからやってしまう」と言う状態です。

自閉症スペクトラム 想像力の障害 図


◇ 注意欠如多動性障害(Attention deficit hyperactivity disorder, ADHD)

 成人期にまで残りやすい大人の発達障害に「注意欠如多動性障害(ADHD)」があります。読んで字のごとくの性格で、一言で言えば「落ち着きがない」状態です。

1.注意欠如多動性障害の3つの特性

 注意欠如多動性障害には3つの大きな特性があります。

 ・多動性(転勤性):気が散りやすく、何かをやりかけのまま別のものに夢中になる
 ・衝動性:外界の出来事に心が動かされやすく、カットなって怒鳴ったりキレたりする
 ・不注意:ミスや物忘れが多く、整理整頓ができない

2.感度が高くトレンドに敏感

 注意欠如多動性障害の人が、集中力が持続しないのは、刺激に敏感で、新しいものに接することに満足する心理状態にあるからです。自閉症スペクトラムの人が興味の対象が限定的で「狭く深い知識を持つタイプ」であるのに対し、注意欠如多動性障害の人は様々な分野に渡り「広く浅い知識を持つタイプ」と言えます。

3.周囲への迷惑を理解

 自閉症スペクトラムと注意欠如多動性障害の大きな違いに、自分の行う周囲への迷惑への理解があります。自閉症スペクトラムではその認識が欠落していたのに対し、注意欠如多動性障害の人は自分の衝動的行動が周囲に迷惑をかけ、不快な思いをさせることを理解できます。自閉症スペクトラムが周囲への迷惑を「わからないからやってしまう」のに対して、注意欠如多動性障害は「いけないこととわかっていながらやってしまう」と言うことです。

4.自閉症スペクトラムとの合併

 自閉症スペクトラムと注意欠如多動性障害では、診断基準や医学的定義から見て別の障害のように見えますが、一人で両方を合併するケースは少なくありません。自閉症スペクトラムの特性を持つ人が、不注意や衝動性も併せ持ち、注意欠如多動性障害の診断をも満たすケースは少なくないとのことです。ある時は自閉症スペクトラムの特性が出て、ある時は注意欠如多動性障害の症状が発言する、当然のごとく、生きにくさは強く、治療に難渋するとされます。

注意欠如多動性障害 症状


◇ 学習障害(Learning disorder, LD)

 発達障害には「学習障害」が含まれます。これは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないものの、「聞く」、「話す」、「読む」、「書く」、「計算する」又は「推論する」能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものであります。学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されますが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではありません。また、単独で出現するケースもありますが、自閉症スペクトラムや注意欠如多動性障害と合併する症例の方が多く見られます。

学習障害 図


◇ 大人の発達障害の原因論

 なぜ発達障害になるのか、その原因論についてはまだ完全には解明されていません。脳のいくつかの部位が、何らかの原因で発達を阻害された結果と考えられております。

1.認知機能の偏りが主たる病態

 脳は感覚器官から入ってきた様々な情報を受容(入力)して記憶と照合し、組み合わせたり統合したりして、それに応じて行動(出力)します。この、受容(入力)から行動(出力)までのプロセスを「認知」と言います。自閉症スペクトラムや注意欠如多動性障害の発達障害では、この認知機能に偏りが主たる病態と考えられております。

2.完全に否定された親の愛情不足や甘やかし

 人と交わることができない自閉症スペクトラムの原因として親の愛情の不足が原因と言われた時期がありました。同様に、注意欠如多動性障害の場合はしつけが悪い、甘やかしが原因と、総じて、発達障害の原因が親の接し方、育て方に問題あるとされました。現在では、発達障害は生れながらの脳の特性によるものであり、先天的要因が大きいと考えられており、親の育て方は完全に否定されております。

3.遺伝性

 特に自閉症スペクトラムについては遺伝子レベルの研究が進んでいます。それによると遺伝子ですべてが説明できるわけではないが、大きく遺伝要因が関与していることがわかってきました。
 発達障害に関連する遺伝子は200とも400ともいわれますが、発症までのメカニズムはまだわかっていません。例えば自閉症の兄弟がいる場合、もう一人も自閉症である場合は発症率が高まるという研究結果が出ています。遺伝子が異なる二卵性双生児で兄弟二人共に発達障害である可能性は5〜109%であるのに対し、遺伝子が全く同じ一卵性双生児では75〜85%でありますが、100%ではありません。このことは、遺伝性の関与は大いに考えられるが、遺伝性のみでは説明がつかないと言えます。

4.環境因子

 発達障害の原因として環境要因があげられます。親の年齢、出産時の合併症、妊娠時の食事、汚染からの影響、環境ホルモンなどが考えられています。今後、遺伝要因と環境要因がどのように絡んで発症に至るのかが徐々に解明されていくと思われます。

5.その他

 発達障害の原因に、海外では予防接種やワクチンを原因とする説や、ウイルスやプリオンによる感染も可能性として考えられておりますが、今までのところこれらは否定的であります。


◇ 大人の発達障害の診断

 発達障害の診断にはアメリカ精神医学会の精神疾患の分類と診断のマニュアルと基準(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, DSM)が用いられております。2013年5月、自閉症スペクトラムに関するものが第4版から5版へと更新されましたのでここにご紹介いたします。その他、付随して行われるウェクスラー式成人知能検査(WAIS-III)やIQを構成する各要素の分析などは他に譲ります。

1.DSM―5による自閉症スペクトラム障害の診断基準(表1)

A.現在または履歴により、以下のようなことが明らかにされ、多くの状況を通した社会的コミュニケーションと社会的相互作用の持続的な障害(例示であり網羅的なものではない)。

1)異常な社会的アプローチと正常な噛み合った会話の失敗から、関心・感情・感動の縮小した共有、社会的相互作用の生起や反応の失敗までの幅のある社会―情緒的相互性の障害。
2)統合性の低い言語的・非言語的コミュニケーションから、アイコンタクトや身体言語の異常性、ジェスチャーの理解や使用の障害、顔の表情や非言語的コミュニケーションの全体的欠如まで幅のある、社会的相互作用に使われる非言語的コミュニケーション行動の障害。
3)様々な社会的状況に合わせた行動調整の困難、想像力に富んだ遊びの共有ないし友人を作ることの困難、仲間への関心の欠如まで幅をもった、関係 性の発達・維持・理解の障害。

※重篤度は社会的コミュニケーション障害や固定的・反復的行動パターンに基 づく(表2参照)。

B.現在あるいは履歴において以下の事項の内少なくとも 2つにより示される、行動・関心・活動における固定的・反復的なパターン(例は例示である網羅的なものではない)。

1)型にはまったもしくは反復的な動作、ものの使用ないし会話(例えば単純な運動ハパターン、おもちゃの配列、ものの押し方、エコラリア echolalia、特異なフレーズ)。
2)同一性へのこだわり、決まったやり方への柔軟性を欠いた固執、儀式化した言語的・非言語的行動パターン(例えば小さな変化への極端な苦痛、変化への困難、固定的な思考パターン、挨拶儀式、同じ道を採ることへの要求、ないし毎日同じものを食べる)。
3)強度や焦点が異常なかなり限定された固定的関心(例えば通常でないものへの強い固着ないし占有、極点に制限され根気のいる関心)。
4)感覚刺激への過剰反応もしくは鈍感さないし環境の感覚的側面への通常でない関心(例えば苦痛/気温への識別の無さ、特定の音や触感への嫌悪反応、過敏な臭覚、ものの感触、光や運動への視覚的な魅了)。

※重篤度は社会的コミュニケーション障害や固定的・反復的行動パターンに基 づく(表2参照)。

C.症状は発達初期に存在している(しかし社会的要求が制限された能力を超えるまでは顕現しないかもしれないし,後の人生で学習されたストラテジーにより隠されてしまっているかもしれない)。

D.症状は、現在の機能で社会的、職業的、あるいは他の重要な領域において臨床的に重要な障害を引き起こす。

E.これらの障害は、知的障害(知的発達障害)ないし全体的な発達遅滞によってよりよく説明されない 知的障害と自閉症スペクトラム障害はしばしば併存する。自閉症と知的障害の併存診断をするためには,社会的コミュニケ-ションが一般的発達水準から期待されるものより低くなければならない。

2.DSM―5による自閉症スペクトラム障害の重篤度(表2)

LEVEL 3:非常に本質的な支援が必要

【社会的コミュニケーション】
 言語的・非言語的な社会的コミュニケーション・スキルにおける重篤な障害が、機能の重篤な障害、社会的相互作用の非常に制限された生起、他者からの社会的交渉への反応の乏しさを引き起こしている。例えば、相互作用を引き起こすのが希な知的な会話の言葉が少ない人は、もっぱらニーズに合致する異常なアプローチを行い、非常に直接的な社会的アプローチにのみ反応する。

【固定的・反復的行動】
 柔軟性のない行動、変化への対応の極端な困難、もしくは他の固定的/反復的行動がすべての領域の機能に著しく干渉する。焦点や行為の変化が大きく苦痛/困難。

LEVEL 2:本質的な支援が必要

【社会的コミュニケーション】
 言語的・非言語的な社会的コミュニケーション・スキルにおける顕著な障害;決まった場所でのサポートでさえ明白な社会的障害;社会的相互作用の制限された生起;他者から社会的交渉への縮小したもしくは異常な反応。例えば、単文のみを話し、その相互作用が狭い空間的な関心に制限され、著しく奇妙な非言語的なコミュニケーションをする人。

【固定的・反復的行動】
 柔軟性のない行動、変化への対応の困難、もしくは他の固定的/反復的行動が通常の観察者にしばしば明確に出現し、様々なコンテキストで機能に干渉する。焦点や行為の変化が苦痛/困難。

LEVEL 1:支援が必要

【社会的コミュニケーション】
 決まった場所でのサポートがないと、社会的コミュニケーションの障害が著しい障害を生じる。社会的相互作用を生じることの困難と他者の社会的な交渉への非定型的ないし失敗した反応の明らかな例がある。社会的な相互作用への関心が低いかもしれない。例えば、全文で話すことができ、コミュニケーションに係わるが、その会話はあちこちに飛び通じない。友人を作ろうとする試みは奇妙で典型的に失敗する。

【固定的・反復的行動】
 柔軟性のない行動が、1つあるいはそれ以上のコンテキストで機能に重大な干渉を生じる。活動の切り替えの困難。組織化や計画性の問題が独立性を妨害する。


◇ 大人の発達障害に類似した精神疾患

 大人の発達障害は、統合失調症などの精神疾患を合併していること、また精神疾患との鑑別が困難であることがしばしばであり、発達障害そのものに対する学問の歴史が浅いこともあって、精神疾患を合併する発達障害や精神疾患に類似したケースにおいて、精神疾患に対する治療のみが行われることがよくあります。ここでは、大人の発達障害に類似した精神疾患に触れます。

1.統合失調症

 以前は「精神分裂病」と言われた病態で、代表的な精神疾患です。考えがまとまらず、通称「言葉のサラダ」、支離滅裂なことを話します。幻聴を感じることが多く、自分の考えや行動が他人に操られている感覚を持ちます。慢性期になりますと、感情が乏しい「感情の平板化」、世間に無関心な「感情鈍麻」、引きこもって無為に過ごす「自閉(無為)」、意味なく笑う「空笑」、そして末期には「人格荒廃」となります。

2.強迫神経症

 自分の意に反して、不安あるいは不快な考えが浮かんできて、抑えようとしても抑えられないのを「強迫観念」、無意味と解っていながら強迫観念に従って何度も同じことを繰り返して行ってしまうのを「強迫行為」と言います。手を何度も洗わなければ気が済まない「手洗い強迫」や、外出先で戸締りが気になって引き返す「確認強迫」などです。本人は強迫観念に囚われていることを自覚しており、しばしば自責の念を持ちます。自閉症スペクトラムの「限定・反復的行為」も強迫行為ではありますが、強迫観念はなく、また本人は強迫行為を気にしません。

3.心身症

 ストレスなどの「心因」が原因で身体に異常を来すのを「心身症」と言います。大人の発達障害の人は、コミュニケーション能力が低く対人関係を築けないため、感情を人に伝えられずに独りで悩みを抱えていることがあります。こうした際に、心身症の症状が発現するとされます。


◇ 大人の発達障害に対するケア

 大人の発達障害は、先天的な脳機能の障害であり特性でありますので、例えば色を見極めるのが困難な色盲や、聴神経に問題がある聴覚障害に薬物治療が無効なのと同じように、根治的な治療はありません。同時に、精神疾患ではありませんので、抗精神病薬は、一時的に症状を軽減することはあっても根本的な治療とは言えず、かえって薬の副作用から病態が悪化することが少なくありません。ここでは、「治療」と言うよりも、「ケア」と言うかたちで対処法についていくつかご紹介いたします。

1.診療はあくまでも精神科

 大人の発達障害は精神疾患とは違うと申しましたが、やはり診療の場はあくまでも精神科であります。ただ、上述のごとく大人の発達障害に類似した精神疾患がありますので、誤った診療を受ける可能性はあります。統合失調症と診断されて精神科に長期入院していた患者が実は自閉症スペクトラムであったと判明したと言う実例が少なくありません。
 大人の発達障害に対応するのは精神科であると言うのは間違いありません。しかし、診療を委ねる精神科の選択が重要であります。病院に受診する前に、自分の(あるいは家族の)病態が発達障害かも知れないと言う意識を持って、専門の病院を選択する方が良いでしょう。

2.日記療法

 大人の発達障害の人は、人間関係や職場における失敗から、生きにくさを感じています。でも、それがなぜなのかはわからないのです。失敗の自覚はあるのですから、そうした出来事が起こる都度、日記を書いて文章として残すことが勧められています。「日記療法」を行うことで、同じ失敗があった時に自分自身を見つめなおし、かつ、次回に繰り返さない姿勢に繋がります。社会性やコミュニケーション能力を改善しうるのです。

3.日常生活の工夫

 アスペルガー症候群に代表される、大人の発達障害の人は、知能は正常なことが多いですから、診断を受けたところで、日常生活を変えることで工夫することは必ずできます。以下に列挙したことで、大人の発達障害の特性が現れづらくなると言われております。

1)丁寧過ぎず乱暴過ぎない言葉使いを心がける
2)社会人として必要なマナーを身につける
3)他人と接する時には距離感に注意する
4)服装に注意を払い、清潔感を大切にする
5)身の回りを整理整頓して、メモを取ることで忘れ物をなくす

4.職業の選び方

 社会性やコミュニケーションの障害から仕事に苦労することが多い大人の発達障害ですが、研究や芸術などで、思わぬ大成功を収めることも知られています。人間関係に難渋するのですから、営業などの人と接する仕事よりも、独りでコツコツと創造する仕事が良いとされます。また、大人の発達障害では、得意分野と不得意分野がはっきりと分かれているとされます。仕事を探すにあたり、自分お特性を見つめ直し、自分の得意分野、興味があることを見極めることから始めると良いとされます。


◇ 大人の発達障害に対する周囲のサポート

 大人の発達障害があっても、ある程度は周囲のサポートより問題なく生活が可能です。なかなか、職場に己の障害を公表してサポートを期待するのにはいくつかのハードルはあろうかと思いますが、いくつか理想的な周囲のサポートをご紹介します。

1.「発達障害 = 個性」

 大人の発達障害はそれ自体が人間としての「個性」であるとの発想がサポートの第一歩とされます。人とは異なる行動特性や不得意なことなど、マイナスの側面に過剰に反応することも、激しく責めるのでもなく、そうしたものを「特性」と捉えることで暖かく接すると同時に、問題点を一緒に解決する姿勢を見せることが第一のサポートであります。

2.指示や注意は簡潔明瞭に

 大人の発達障害の人は言外の意味をくむことが苦手ですので、仕事をお願いする時には、簡潔で明瞭な言葉で伝えてあげるのが必要です。例えば、ミスを犯したとしても、そのことをなじり、怒るよりも、ミスの内容を具体的に知らせ、どうすれば良かったかを、やはり簡潔明瞭に伝えることが大切です。

3.雑然・煩雑な環境を簡潔明瞭な環境に

 指示や注意と同様、オフィスの棚や机、システムなど、職場環境の雑然・煩雑さを是正して、大人の発達障害の人にとって簡潔明瞭な職場環境を提供してあげることも周囲のサポートに繋がります。


◇ あとがき

 大人の発達障害を勉強して、思い返せば多くの過去の知り合いがこの障害を有していたのではないか?、自分自身にも当てはまるのではないか?、とふと思いました。と同時に、周囲から浮いて、他人には理解できない行動をとり、自分自身も生きにくさを感じている人々でありますが、果たして彼らが病気なのか、本当に障害として良いのかいささか疑問にも思いました。
 空気が読めない、社会性が無い、コミュニケーションの障害と、ネガティブな、あるいはマイナス面に着目するからその原因論や病態が議論されるのであります。世の中には、空気を鋭く読んで社会性に富む、コミュニケーション能力に長けた人物はいますが、そうした人間についての分析はなされていません。もしかしたら、学力や運動能力と同様に、この手の能力にも優劣に連続性があって、「正常」と呼ばれる領域は無い、幅広い人間の個性あるいは性格の一部を拾い上げているだけなのかも知れないと思いました。
 現代社会において、「大人の発達障害」と呼ばれる人々が生きづらいのは確かでありますが、それを病気とせずに、いわゆる「個性」として受け止める姿勢が求められます。


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【速報】 フィギュアスケート 浅田 真央 さん 引退!


◇ 引退表明のブログ

 本日の浅田 真央 さんのブログの文章です。

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 「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」

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◇ 引退の記者会見

浅田真央 引退会見

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浅田真央選手からのあいさつ

司会:お待たせいたしました。ただ今より浅田真央現役引退記者会見を始めさせていただきます。本日は直前の案内にもかかわらず、多くのメディアの方々にお越しいただき、本当にありがとうございます。すでに本人が自分のブログで発表されておりますが、本日は、本人の口から皆さまにあらためまして引退の報告をすると同時に、引退の決断に至った経緯や今後の活動予定等に関しても、皆さまから時間の許す限り質問をお受けしたいと思っております。では、浅田真央さんにご登壇いただきたいと思います。浅田さん、お願いします。

浅田:皆さん、こんにちは。浅田真央です。本日はお忙しい中、このような場にお集まりいただき、本当にありがとうございます。2日前にホームページで発表しましたが、またあらためてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活終える決断をいたしました。長い選手生活だったんですけど、たくさん山がありました。でも、そのたくさんの山を乗り越えられたのも支えてくださった方々や、たくさんのファンの方々の応援があったからだと思っています。今日は感謝の気持ちを皆さんにお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。本日はよろしくお願いいたします。

司会:ありがとうございます。ご着席ください。それでは、これより皆さま方からの質問をお受けいたします。係の者がマイクをお持ちしますので、ご質問のある方は挙手をお願いします。なお、ご質問の際、会社名とお名前をおっしゃっていただきたいと思います。このあと囲み取材、個別等の取材はありませんので、ご質問のある方はこの時間内でお願いいたします。それでは最初に分科会を代表いたしまして、フジテレビさまにご質問をお願いいたします。フジテレビさん、お願いします。


親しい人への報告はどのようにされたのか?

フジテレビ:はい。代表質問、幹事社フジテレビ西岡です。よろしくお願いします。

浅田:よろしくお願いします。

フジテレビ:まずはお疲れさまでした。

浅田:ありがとうございます。

フジテレビ:2日前、ブログで引退を発表されて、あらためて今、どんな心境でしょうか。

浅田:いや、まず本当に今日、この場に立ったときに、入ってきたときに、本当にこれだけのたくさんの方がいらしてくださっていたので、私自身ちょっとびっくりしたんですけど、今ちょっと落ち着いています。

フジテレビ:いろんな人から引退のあとに言葉を掛けられたと思います。何か印象に残った言葉というのはありましたか。

浅田:そうですね。発表してからは本当にたくさんの方が連絡をくださったんですけど、皆さん、本当にお疲れさまっていう言葉を掛けてくださったので、私自身も、ああ、なんか、選手生活終わるんだなっていう気持ちになりました。

フジテレビ:親しい人への報告というのは、どのような形でされましたか。

浅田:そうですね。少し前ですけど、家族だったり友達に報告しました。

フジテレビ:何か印象に残る言葉とかありましたか。

浅田:いやもうみんな、お疲れさまって、よく頑張ったねって言ってくれました。

フジテレビ:引退を決めたきっかけについて伺います。具体的にどのぐらいの時期から引退ということを考えたのでしょうか。

浅田:そうですね。私は復帰してからいい形でスタートできたんですけど、やはりそこから練習をするにつれて、試合に出るにつれて、やっぱり今のスケート界の時代はすごいので、私自身も付いていけるのかなっていう思いが強くなったり、あとはやっぱり気持ちであったり体の部分で、やっぱり復帰前よりも少しつらいことのほうが多くなりました。で、なんとか1シーズンは乗り切れたんですけど、2シーズン目からは、なんとかなんとか頑張ろうっていう思いだけでやってきました。でも、やっぱり最後の全日本選手権で、あ、もう、なんだろう。もういいんじゃないかなっていうふうに思いました。

フジテレビ:その全日本選手権から今まで3カ月近くありましたけれども、その間はどんな思いだったんですか。迷いも含めていかがですか。

浅田:そうですね。やはり自分が復帰してから、ずっと掲げてきた、やっぱり平昌オリンピックに出るっていう目標があったので、私自身、すごくそこで自分で言ってしまったこと、自分が目標をやり遂げなきゃいけないと思っていたので、その自分の言ってしまったこととの葛藤はずっとありました。


引退は具体的にいつ決めたのか?

フジテレビ:全日本選手権がきっかけになったということですけれども、具体的には、時期的にはいつごろ決心したんでしょうか。

浅田:本当に全日本終わって全て結果が出たときに、ああ、もう終わったんだなっていうふうには思いました。でも日がたつにつれて、やっぱり自分が言ってしまったことっていうのは、やっぱり今まで最後までやり通してきたので、やらなきゃいけないんじゃないかなっていう思いのほうが強くて、やはりここまで延びてしまいました。

フジテレビ:平昌オリンピックへの思いもあったと思いますが、それを上回るぐらいの達成感があったということでしょうか。

浅田:そうですね。私はソチオリンピックが終わってから、最高の形で終えることができたんですけど、やはり自分の体もまだまだできますし、自分の気持ちとしてもまだまだやれるという思いがあったので復帰しました。でも、自分が実際挑戦してみて、もう気持ちも体も、自分の気力ももう全部出し切ったので、今は挑戦して何も悔いはないです。

フジテレビ:最後の大会になった全日本選手権でトリプルアクセルに挑みましたよね。その全日本選手権の最後、挑んだ気持ちも含めて振り返っていかがですか。

浅田:そうですね。最後になるのかなという気持ちは、ソチオリンピックの世界選手権ほどではなかったですけど、でも、最後トリプルアクセルを挑戦して終えれたことは、自分らしかったかなというふうには思います。

フジテレビ:それでは現役生活を振り返っていただきます。初めてスケート靴を履いた日のことって覚えてらっしゃいますか。

浅田:私は覚えてないんですけど、5歳だったので。でも、ヘルメットをかぶってスキーウエアを着て、肘当て膝当てをしてたのは写真に残っているので、覚えています。

フジテレビ:どうですか、それから二十数年間、スケートやってきて一番楽しかったことってどういうことでしたか。

浅田:やっぱり小さいころにフィギュアスケートっていくつも技があると思うんですけど、その技ができるようになったときっていうのは本当に楽しい気持ちで、じゃあ次、2回転飛びたい、次、3回転飛びたいっていう、そういう思いがすごく楽しかったですね。

フジテレビ:逆にプレッシャーも背負って、つらかったこともあると思いますけれども、つらかった部分っていうのは今、どう受け止めていますか。

浅田:いや、つらかったことはそんなになくて、やっぱりこの道を選んできたのも自分ですし、自分がやりたいって思って望んでやってきた道なので、つらいと思ったことはありません。


オリンピックを振り返って

フジテレビ:2回のオリンピックを振り返っていただきます。まずはバンクーバーオリンピックでは銀メダルを手にしました。まずはバンクーバーの思い出、今、振り返っていかがですか。

浅田:はい。バンクーバーは19歳だったんですけど、すごく10代で、若くて、本当に気が強くて、本当にその強い気持ちだけで乗り越えてきたなという感じがします。

フジテレビ:そして4年後のソチオリンピックでは素晴らしいフリーで国民に感動を与えてくれました。ソチオリンピックを振り返って、今、どんな思いでいらっしゃいますか。

浅田:ソチオリンピックは、やはりショートが残念な結果だったので、本当に気持ち的にはすごくつらい試合ではあったんですけど、フリーでああいう形で最高の演技で終えることができて、あの気持ちの状態からバンクーバーからソチのその4年間の思いを全て4分間に注ぎ込めたと思っています。

フジテレビ:二度のオリンピック経験というのは、浅田さんにとってどんな経験になりましたか。

浅田:私の今後の人生においてもすごくいい経験だったり、いい思い出だったのかなというふうに思います。

フジテレビ:そして3回の世界選手権優勝、これは日本人最多です。印象に残っている大会、ことっていうのは何かありますか。

浅田:はい、そうですね。2回世界選手権で金メダル取ったときは、全てオリンピックのあとの世界選手権だったので、なんか、オリンピックの悔しさっていうのをその世界選手権で晴らせた大会だったかなというふうには思うんですけど、私、最後の世界選手権は一応、自分の気持ちの中では最後と思って望んだ試合だったので、すごく、今までのスケート人生を全てそのプログラムにぶつけた試合だったので、やっぱり最後の世界選手権が、一番思い入れは強い試合でした。

フジテレビ:現役生活を振り返っていただいてどうでしょうか。最も印象に残っている演技、今、1つ選べと言われたらどれになりますか。

浅田:難しいですね、やっぱり。1つっていうのは難しくて、うーん。でもやっぱり、ソチのフリーかなというふうには思います。

フジテレビ:やっぱりあの時間に込めた思いというのは大きかったですか。

浅田:そうですね、やはり気持ちがすごい、今までの試合以上にちょっと落ち込んでたり、つらかったりした部分もあったんですけど、それでもあれだけの、挽回の演技ができたことに関してすごく、そしてそれがオリンピックだったっていうことが一番良かったのかなというふうに思いますけど。


長く指導を受けた2人のコーチについて

フジテレビ:長く指導を受けた2人のコーチについて伺いたいと思います。まずは、山田コーチにご報告もされたと思いますけど、どんな思いがありますか。

浅田:はい。満知子先生は小さいころに指導を受けてたんですけど、本当にスケートの楽しさだったり、挑戦する楽しさを教えてくれました。その一方でスケートだけではなく、いろんなことを教えてくれた先生です。

フジテレビ:そして佐藤コーチ、佐藤コーチへの思いはいかがでしょうか。

浅田:佐藤コーチは大人になってから指導を受けたんですけど、やはり自分の意思もすごく強いほうというか強いので、先生といろいろ話し合いをしたりする機会も多かったんですけど、自分の意見もしっかり聞いてくださって、それを静かに見守っていてくれていた先生でした。

フジテレビ:特に休業があってから、戻ってきてからの2シーズン間は佐藤コーチとのやり取りもいろいろあったと思います。振り返ってみてこの2年間の意味、復帰してからの意味というのはご自分の中でどう捉えていますか。

浅田:意味。そうですね。ソチオリンピックのシーズンで世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、本当に今もまだできたんじゃないかなっていうふうに思っていたと思います。でも、自分が望んで復帰をしてチャレンジして出した結果なので、本当に今は何もやり残したことはないので、そういった意味で、もう一度自分でチャレンジすることができて良かったなというふうに思っています。

フジテレビ:それでは今後のことについて伺います。まずは今後、浅田さんがどんな仕事をしていくのか注目されると思うんですが、まずは自分の中でどんなプランがありますか。

浅田:はい。まず本当にもうすぐ夏にあるのがTHE ICEのアイスショーなので、そこでまた選手生活を終えて初めて皆さんの前で滑るので、いい演技を目指して頑張りたいなというふうに思っています。

フジテレビ:フィギュアスケートにどういう形で携わっていくんだろうとわれわれは考えるんですけれども、その辺りはいかがですか。

浅田:やはり私は5歳からスケートを始めて、今までスケートにお世話になりました。なので、これからどんな形であっても、フィギュアスケートに恩返しができるような活動はしていきたいなというふうに思っています。

フジテレビ:具体的なプランはこれからという感じですかね。

浅田:そうですね、はい。


実際に引退の日を迎えて、イメージ通りだったのか?

司会:ありがとうございました。それでは、これから皆さまのご質問を受けたいと思います。質問のある方は挙手願います。

日本テレビ:日本テレビのラルフ鈴木と申します。選手生活、本当にお疲れさまでした。

浅田:ありがとうございます。

日本テレビ:少しどうですか、今、緊張というか、先ほどちょっと喉を潤してましたけど。

浅田:すごいもう、熱気も結構すごいですし、たくさんしゃべるんで喉、渇いちゃいました。

日本テレビ:良ければどうぞ、一口、大丈夫ですか。

浅田:今、はい、飲みました。

日本テレビ:大丈夫ですか。アスリートならば誰もが迎えるこの引退という日なんですけれども、どうでしょう、自分が思い描いていたイメージしていた形と、今、実際この日を迎えられていかがでしょうか。

浅田:いや、本当に発表するまであまり自分の中ですごい実感というのはなかったんですけど、またこうしてあらためてここに座って、今までのことを振り返りながら話していると少しずつ、ああ、引退するんだなという気持ちは、やっぱり湧いてきますね。

日本テレビ:気持ち的には寂しいのか、少しほっとしているのか、あるいはすがすがしいのか、いかがでしょう。

浅田:本当に気持ちは、すごく晴れやかな気持ちです。

日本テレビ:これからスケート靴をあまり履かない生活、リンクから離れて少し暖かい生活が待っていますけれども、その辺りいかがでしょうか。

浅田:そうですね。私は1月から3月までは、今、4月。1月から4月まではスケート靴を持たず、滑らずにずっといました。でも7月にショーがあるので、もう滑り始めます。

日本テレビ:最後に1つだけ、今すがすがしいという気持ちがありましたけれども、何か1つ現役生活でやり残したこと、何か悔やむことっていうのはありますでしょうか。

浅田:本当に決断をするに当たって、本当にたくさん悩みました。でも、そういったやり残したことはなんだろうって思うことがなかったので、それだけ本当に自分は全てやり尽くしたんじゃないかなっていうふうに思います。

日本テレビ:ありがとうございました。

浅田:ありがとうございました。

司会:はい、ほかにございませんでしょうか。じゃあ、女性の方。


トリプルアクセルとはどんなものだったか?

テレビ朝日:テレビ朝日の小川と申します。本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございましたとまずはお伝えしたいです。

浅田:ありがとうございます。

テレビ朝日:今日は白いブラウスに白いジャケットというお召し物ですけれども、その真白のお洋服というのに込められた思いというのはあるんですか。

浅田:はい、そうですね。黒のスーツか白、どちらにしようかいろいろ悩んだんですけど、でも自分の気持ちとしては本当に晴れやかな気持ちなので、この服を今、着ています。

テレビ朝日:すがすがしい思いというのが伝わってくるようでもありますけれども、これまでの真央さんの競技人生の中で、何度も出てきた言葉というのがノーミスだったと思うんですが、ここまで完璧、パーフェクトというのにこだわり続けたのは、どういう思いがあるんですか。

浅田:やっぱり失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて練習してきてるからこそ、やっぱり誰もがミスしたくないと思うと思うんですけど、自分はでも、試合にそんな強いタイプではなかったので、あえて自分で言っていたんじゃないかなというふうにも思っています。

テレビ朝日:それからもう1つ、やはり真央さんといえばトリプルアクセルだと思いますが、このトリプルアクセルというのは真央さんにとってどんなものでしたか。

浅田:私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが飛びたいと思って、ずっとその夢を追ってやっぱりやってきたので、本当に飛べたときはすごくうれしかったですし、自分の強さでもあったとは思うんですけど、その反面、やっぱり悩まされることも多かったです。

テレビ朝日:もう1つだけ。真央さんは5歳のときにスケートを始められましたけれども、今、もしタイムスリップして5歳のときの自分に会うことができたら、どんな言葉を掛けますか。

浅田:難しいな。そうですね。頑張ってって、はい。

テレビ朝日:頑張ってって。

浅田:はい。

テレビ朝日:どういう思いを込めて、それは。

浅田:やっぱり私は、これだけフィギュアスケートをやってて、やっぱりたくさんの方に応援してもらえて、本当に幸せだなというふうに思いました。なので、大変なこともあったんですけど、自分に対してエールをたぶん送ると思います。

テレビ朝日:どうもありがとうございます。

司会:はい。ほかにございませんでしょうか。じゃあそちらの。


日本や世界の子供たちへのアドバイスは?

朝日新聞:朝日新聞のゴトウです。どうもお疲れさまです。

浅田:ありがとうございます。

朝日新聞:以前、浅田選手が子供さんたちと接してる様子っていうのが、すごく印象に残ってるんですけれども、浅田選手の経験から日本、世界の子供たちに何かアドバイスというか、声を掛けられることがあるとしたら、どんなことでしょうか。

浅田:そうですね。私は本当にちっちゃいころから本当にスケートが大好きで、ただただスケートが大好きでやってきました。なので、今から始める子だったり、今、頑張ってる子には、やっぱりスケートを大好きな気持ちを忘れないでねって言いたいかなというふうに思います。

朝日新聞:何か子供さんと関わる活動をやったり。

浅田:そうですね。私は本当に子供が大好きなので以前にもスケート教室とかはやっていたんですけど、また機会があれば、ぜひやりたいなというふうに思っています。

司会:はい。ありがとうございました。じゃあ、そちらの紺のスーツの。


続けて来られた、その支えとなったものは?

NHK:NHKニュース7の高井と申します。浅田さん、お疲れさまでした。

浅田:ありがとうございます。

NHK:浅田さんに伺いたいのは、やはりトリプルアクセルのお話なんですけれども、先ほど自分の強さでもあり、悩まされる存在でもあったということなんですが、あえてトリプルアクセルに声を掛けられるとしたら、どんな言葉を掛けたいですか。

浅田:難しい(笑)。トリプルアクセルに声を掛けたい。トリプルアクセルに声を掛けるんですよね。どうしよう。

NHK:そういう存在だとして。

浅田:存在だとして。

NHK:もう、困っちゃったよっていう感じなのか、それともありがとうっていう感じなのか、どういう感じでしょう。

浅田:いや、うーん。なんでもっと簡単に跳ばせてくれないのって感じです(笑)。

NHK:もう1つ。先ほど、よくここまで続けてこられたとご自身に声を掛けたいという話がありましたが、その続けてこられた、その支えとなったものはなんだったんでしょうか。

浅田:1つはやっぱり自分の目標ですね。それだけではないですけど、たくさんの方に支えられて、そしてたくさんの方の応援があったからだと思っています。

NHK:1つは応援。

浅田:はい?

NHK:ほかにもありますか。

浅田:あ、今、思い付くのは、そんな感じですね。

NHK:ありがとうございます。

司会:ありがとうございます。じゃあ、そちらの黒い。お願いします。


世界選手権で五輪の枠が3から2になったことをどう受け止めているのか?

共同通信:共同通信のヨシダと申します。引退の決断まで時間がかかったかと思うんですけど、まず今年の世界選手権で五輪の枠が3から2になることが決まりましたけど、それをどう受け止めていらっしゃったかというのと、それが何か引退の決断に影響したのかどうか。そこら辺、お伺いできますでしょうか。

浅田:はい。そうですね。私はさっき自分で言ってた平昌オリンピックに出る、その目標をやめてしまう自分が許せるのかな、許せないのかなって思いながらずっと過ごしてきて。でも、最終的に最後、話し合いをして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したというわけではなくて、自分自身が最後、決めることですし、そんな感じで、はい。決めました。で、2枠になってしまったことに関しては、残念なことではあるとは思うんですけど、やはりその2枠を、やっぱり大勢の、たくさんの選手の子たちが争うわけなので、本当にハイレベルな試合になるんじゃないかなと思っています。

司会:はい。よろしいでしょうか。

共同通信:すいません。もう1点だけよろしいですか。すいません。

司会:はい。お願いします。

共同通信:2月に決断して、この4月に発表になったっていうのは、その2カ月間ぐらいっていうのは、どういう流れっていうか思いがあったんでしょうか。

浅田:そうですね。いろいろと自分の気持ちの準備だったりもあり、今日に至りました。

司会:はい。よろしいでしょうか。じゃあそちら、一番後ろのグレーの方。女性で。

決断を後押し、心を軽くしてくれたのは誰?

TBS:TBSの宇内と申します。本当にたくさんの感動をありがとうございました。

浅田:ありがとうございます。

TBS:引退を決意するまでに、本当に目標を掲げたのに、ここでやめていいのかなと悩んでいたとおっしゃっていましたけれども、この全日本選手権が終わってからの3カ月間、いったいどなたかが一番その決断を後押ししてくれたのか、心を軽くしてくれたのか、教えてください。

浅田:家族だったり、お友達だったり、知ってる方に相談はしました。本当に皆さん、それぞれいろんなアドバイスはくれたんですけど、最終的に決めたのは自分自身なので。その中でも旅行に行ったり、いろいろ今まで行けなかったところに行ったりして、その中でも考えながら、ずっと日々を過ごしてきて決断をしました。

TBS:最終的にはご自身の中で決断できたということなんですね。

浅田:はい。

TBS:21年間という非常に長い競技人生。本当に続けてくること自体が大変だったと思うんですけれども、何か、どなたかに掛けられた一番印象に残ってる言葉であったり、ご自身が一番大切にしてる言葉、何かありましたら教えてください。

浅田:そうですね。でも本当に、この決断をしてからは本当にたくさんの方に温かい言葉を、メッセージを贈ってくださったので、私自身、本当に晴れやかな気持ちで今、この場にいます。なので、やっぱり感謝という気持ちは、これからも忘れずに進んでいきたいなというふうに思っています。

TBS:はい。ありがとうございます。

司会:ありがとうございます。黒の女性の。


これからの日本スケート界にどう貢献していきたいか?

日本経済新聞:日経新聞のハラですけれども、浅田選手が試合に出始めた21世紀の初めのころって言ったら変ですけども、こうやって今、こんな多くの人が来て、ショーも行われてたくさんの人がフィギュアという競技に興味を持つようになってきたと思うんですけれども、こうやってスケートが日本でブームになって、世界でも強い国になったっていうことに、浅田さんとして自分はどういうふうに貢献っていうか、力になったのかなと思うかっていうことと、やっぱり自分がやった、〓こうして00:37:06〓きたことがこれからも日本のスケート界で続くために、どういうふうにしていきたいなとかいうことを教えてください。

浅田:私がちっちゃいころっていうのは、伊藤みどり選手をはじめ本当にたくさんのトップの素晴らしいスケーターがいました。私はそのスケーターの方々を見て、私もこうなりたいと思って、ずっとそれを目指してやってきました。そしてジュニアだったりシニアに上がってからは本当にスケーター、みんなそれぞれ強くて魅力のある選手ばっかりが集まって、それぞれがいい刺激をし合いながら切磋琢磨して頑張ってきました。そしてそれを応援してくださるメディアの方だったり、ファンの方だったりがいたから、やはりここまでフィギュアスケートもたくさん注目されるスポーツになったんじゃないかなというふうに思っています。なので、これからのスケーターの子たちには、みんなでそれぞれ高め合って、刺激をし合いながら頑張っていってほしいなというふうに思っています。

司会:よろしいですか。はい。


ソチのショートからフリーまでの間、立ち直るきっかけとなったのは?

ニコニコ動画:ニコニコ動画の七尾の申します。お疲れさまでした。そしてどうもありがとうございました。

浅田:ありがとうございます。

ニコニコ動画:選手人生におきまして、たくさんの山があったと、冒頭おっしゃいました。あの伝説のソチ大会についてお伺いしたいんですけれども、ショートプログラムから二十数時間の間に、どのようなきっかけで立ち直って、世界中が感動したフリーの演技につなげることができたのか。各種報道はあるんですけれども、立ち直ることができたきっかけにつきまして、あらためてお聞かせください。

浅田:はい。ショートが終わってからは、本当に、ああ、日本に帰れないと思って、すごくつらい思いもしたんですけど。そのフリーの当日の朝もまだ気持ちが切り替わっていなくて、このままで大丈夫なのかなという形で練習、公式練習を終えました。でも、試合が近づくにつれて、メイクをして、アップをしてリンクのドアを出た瞬間に、なんか、すごい会場で、じゃあこれはもうやるしかないなっていう思いが出てきて、ようやくそのときに、やるしかないって思いました。

ニコニコ動画:競技は終わった瞬間はどうでしたか。満面の笑みだったんですけれども、どういう気持ちだったんですか。

浅田:最後のポーズ、上を向いてたんですけど、終わったって思いましたね。それと同時にやっぱり良かったって思いはすごく込み上げてきて、ちょっと涙してしまったんですけど。バンクーバーのときにも悔し涙を流していたので、ああ、泣いてちゃ駄目だなって思って、頑張って笑顔にしました。

ニコニコ動画:ありがとうございました。

浅田:はい。

司会:はい、ありがとうございます。じゃあそちらの女性の方、はい。


違う世界に進むにあたって考えていることなどについて

ワールド・フィギュアスケート:新書館の『ワールド・フィギュアスケート』のスズキです。お疲れさまでした。

浅田:ありがとうございます。

ワールド・フィギュアスケート:今日はある意味、浅田選手の競技選手としての卒業式かと思うんですけれども、と同時に新しい道に進む入社式といいますか、セレモニーかと思うんですが、あえて今の時期は新入社員の方も多い時期なんだと思うんですけれども、そういう1人として、浅田選手がこれから不安に思ってることとか、心配なこととか、何かそういう違う世界に進むということで考えていることがありましたら教えてください。

浅田:私が。私も本当に、また新たな一歩だと思っています。でも不安とかは何もなくて、ただただ前にある道を進んでいくだけだと思っているので、これからも新たな経験をして、元気に前を向いて進んでいきたいなというふうに思っています。

ワールド・フィギュアスケート:あともう1つ。プルシェンコ選手も先日、競技引退を発表しましたけれども、長く同じ競技の世界で戦ってきた仲間として、この偶然といいますか、そういう時期とか何か思うことはありますか。

浅田:プルシェンコ選手も引退されたということで、本当に私よりも長い選手生活、そして本当にたくさんの記録を残してきて、本当にたくさんの人を魅了してきた選手だと思います。なので、心からお疲れさまでしたと言いたいです。

ワールド・フィギュアスケート:ありがとうございました。

司会:はい、よろしいでしょうか。じゃあそちらの白いドレスの人、はい。


前を向く中で大事にしてきたこと、信念というのはどんなこと?

フジテレビ:フジテレビ、内田嶺衣奈です。本当にお疲れさまでした。

浅田:ありがとうございます。

フジテレビ:ありがとうございました。浅田真央さんの前を向く姿、いつも戦い続ける姿というのが本当に印象的だったんですが、前を向く中で大事にしてきたこと、信念というのはどんなことですか。

浅田:本当にちっちゃいころからこれは変わらないんですけど、1日1日もそうですけど、何かこれがしたいっていう目標を持ってずっとやってきました。なので、その目標を達成するっていう強い気持ちを持ってずっとやってきたつもりです。

フジテレビ:今、すごく忙しかった選手生活を終えて時間が少しできたとは思うんですが、一番やりたいこと、どんなことですか。

浅田:はい、私、1月2月3月と時間があったので、旅行に行ったり、おいしいものを食べたりすることができました。

フジテレビ:ありがとうございます。

司会:はい、よろしいでしょうか。じゃあそちらの、ボーダーのシャツの。


キム・ヨナ選手への思い

新聞赤旗:すいません、新聞の赤旗のカツマタといいます。お疲れさまです。

浅田:ありがとうございます。

新聞赤旗:先ほど競い合うこと、その大切さ、若手におっしゃってました。ご自身もキム・ヨナ選手とも競い合ってきました。その彼女への思いっていうのは、あらためて今の時点でいかがでしょうか。

浅田:はい。私たちは15歳、16歳ぐらいから一緒にジュニアの試合であったり、シニアの試合だったり、一緒に試合に出てきました。本当にお互いにいい刺激を与えながら、もらいながら、ずっとスケート界を盛り上げてきたんじゃないかなというふうには思っています。

しんぶん赤旗:ありがとうございます。


全日本に向けてどんな気持ちで臨み、滑り終わった後、何がもういいんじゃないかなと思ったのか?

司会:はい、よろしいでしょうか。じゃあそちらで、はい。スーツ着てる、黒いスーツ。

NHK:NHKの一橋と申します。浅田さん、お疲れさまでした。

浅田:ありがとうございました。

NHK:まず最後の全日本選手権、滑ったときに、もういいんじゃないかなと思ったとおっしゃっていましたけれども、あの全日本に向けてはどんな気持ちで臨んで、そして滑り終わって、何がもういいんじゃないかなと思えたんでしょうか。

浅田:試合に向かう気持ちというのは、1つ1つの試合変わらないんですけど、常にノーミス、さっきも自分で言ったんですけど、ノーミスをする、完璧な演技をする、そして自信を持って滑るっていうのを考えていました。で、演技が終わったときに、やはり完璧ではなかったですし、自分の現役生活の最高の演技ではなかったので、少したぶん悔しい気持ちもあったんじゃないかなというふうには思うんですけども、そのあとキス・アンド・クライに座って、得点が出て、順位が出たときに、あ、うん、もういいのかもしれないっていうふうに思いました。

NHK:もういいのかもしれないというのは、どういうことですか。

浅田:やはり全日本選手権を今まで12歳から出場しているんですけど、一番、残念な結果で終わってしまって、その結果も1つ大きな、この決断に至るに当たって大きな出来事だったんじゃないかなというふうには思っています。

NHK:あともう1つ。もしも一度だけ過去に戻れるとしたら、いつの自分にどんな言葉を掛けてあげたい、アドバイスができるとしたら、いつに戻ってどういうことを言ってあげたいですか。

浅田:いや、26年間ですもんね。ああ、難しい(笑)。いや、でも本当に戻ることはないと思うので、あんまり今、ぱって答えは出てこないですね。

NHK:ありがとうございます。

司会:じゃあちょっと遠いですけども、一番後ろの方ですね。女性の方で。

今、オリンピックについてどう思うか

テレビ東京:テレビ東京の鷲見と申します。21年間、本当にお疲れさまでした。

浅田:ありがとうございました。

テレビ東京:平昌までやりたいというふうにおっしゃっていたことが引退を悩ませていたという話をされていましたけれども、今、オリンピックについて、どういうふうに思われますか。

浅田:はい。もう本当に、あと1年でソチの、ソチじゃない。あと1年で平昌オリンピックということで、たぶん選手の方々は、みんなそれぞれいろんな思いを持って今、日々、生活してると思います。なので、私はエールを送りたいです。

テレビ東京:これまでオリンピックの舞台も経験されていますが、真央さんにとってオリンピックの舞台というのは、どういう場所だったでしょうか。

浅田:やはり4年に一度ですし、選手である以上は、それを目指して私もちっちゃいころからやってきたので、そこに出れた。そしてメダルを取れたということは本当に良かったなと思いますし、オリンピックは本当に素晴らしい舞台だなというふうに思います。

テレビ東京:最後に1つだけ。もし生まれ変わるとしたら、もう一度フィギュアスケーターになりたいですか。それともまた別のものになりたいですか。

浅田:今、こうして26歳までスケートをやって、全てやりきって、もう何も悔いはないので、もしもう一度人生があるなら、スケートの道は行かないと思います。

テレビ東京:例えば何になりたいなっていうのはありますか。

浅田:いや、本当にいろいろありますね、やっぱり。なんだろう。

テレビ東京:思い浮かぶものは、なんでしょう。

浅田:なんだろう。私、でも食べることが大好きなので、ケーキ屋さんとかカフェとか、そういうレストランだったり、そういうのをやっていたのかなというふうにも思ったりもします。

テレビ東京:ありがとうございます。

司会:ありがとうございます。まだまだちょっと尽きませんが、あと2つにさせていただきたいと思います。じゃあそちら。前の男性の方。

有言実行のポリシーは誰から授かった教えなのか

文化放送:文化放送の斉藤と申します。どうもお疲れさまでした。

浅田:ありがとうございました。

文化放送:真央さんは、自分が言ったことは必ずやり遂げるというポリシーがあるとおっしゃっていました。このポリシーは、どなたから授かった教えなのでしょうか。教えてください。

浅田:やはり母かなというふうに思います。あとはこういう性格なので、すごく、頑固っていうんですかね。普段はそんなことないんですけど、自分が決めたことに関しては、一応、頑固なつもりです。

文化放送:その自分の言ったことを必ずやり遂げるというポリシーを貫いた最初の体験。いつだったか覚えてらっしゃいますか。

浅田:しっかり覚えてるのは小さいころに、毎年、野辺山合宿という新人発掘合宿が長野県であるんですけど、そこで絶対トリプルアクセルを跳ぶって決めて、合宿に行って、初めて〓下りた 00:52:14〓のが一番、記憶にあります。

文化放送:そこが現在の浅田真央という素晴らしいアスリートの原点と考えてよろしいのでしょうか。

浅田:そう、え、自分で言うのもちょっとあれですけど、そのときに目標を達成すると、こんなにうれしいんだなって、また頑張りたいなって思えたときでした。

文化放送:分かりました。ありがとうございました。

浅田:はい。ありがとうございました。


結婚の予定は?

司会:じゃあ最後にしたいと思います。最後に本人を送り出せるような質問をしてもらえる方、いらっしゃいますか。じゃあ、そこの真ん中で手を挙げられてる方。

サカイ:フリーランスのサカイユウトと申します。よろしくお願いします。

浅田:よろしくお願いします。

サカイ:浅田真央さんにお聞きしたいんですけど、ご結婚のご予定はありますか。

浅田:いや(笑)。ご結婚のご予定ですか。

サカイ:はい。

浅田:ないです。

サカイ:分かりました。ありがとうございます。

浅田:(笑)

司会:よろしいですか。はい。じゃあ最後にもう1つにしてください(笑)。送り出してもらえると、はい、どうぞ。

浅田:でも、お相手がいれば、その方と一緒に帰れたんですけどね。


台湾人との結婚や台湾に旅行に行く予定はあるのか?

中央通訊社:台湾の中央通訊社の記者です。お相手がいれば、例えば愛ちゃん。

浅田:あー、愛ちゃん。

中央通訊社:愛ちゃんみたいに台湾の人と結婚なさったりとか、そういうこと可能でしょうか。あと、ずっと寒いリンクにいらっしゃったので、暖かいところ、例えば台湾でのんびりしたりとかそういうことはあるんでしょうか、はい。

浅田:そうですね、私、愛ちゃんとお友達なので、もし台湾の方でいい方がいればご紹介してもらいたいなというふうに思います。で、私、本当に1つ行ってみたい国が台湾なので、うん、愛ちゃんに案内してもらいます。

司会:ありがとうございます。最後は台湾の話になっちゃいました。

浅田:(笑)。

司会:じゃあもう1ついきましょうか。はい。

複数:(笑)。

司会:誰か締めてください。いきます、自信のある方。質問に自信のある方。はい。じゃあ、はい、手前の女性の方。手前の、はい。


今後、プロスケーターとしてどのようなスケートを見せていきたいか?

フィギュアスケートLife:扶桑社のフィギュアスケートLifeのハセガワです。お疲れさまでした。

浅田:ありがとうございました。

フィギュアスケートLife:今後、THE ICEを含めて、プロスケーターとしても活躍されていくご予定だと思いますが、プロスケーターとしてどういうスケートを今後、見せていきたいと思いますか。

浅田:一番近くにあるのはTHE ICEなので、まだプログラムも作ってないんですけど、エキシビジョンナンバーを作ります。そのエキシビジョンナンバーで、今までのスケート人生全てをそのプログラムに注ぎ込めるように、そういうプログラムを作っていきたいと思います。

司会:よろしいですか、ありがとうございます。では、以上で本日の会見を終了させていただきたいと思います。最後に、浅田真央のほうから皆さまにもう一度ごあいさつをさせていただきます。


浅田選手から最後のあいさつ

浅田:皆さん、今日は本当にどうもありがとうございました。発表してからは本当にこの2日間、温かいお言葉をいただいて、私も本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました。

 スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で、前に進んでいきたいと思っています。はい。皆さん応援どうもありがとうございました。

司会:皆さん、どうもありがとうございました。

浅田真央 後ろを向いて涙をこらえ
後ろを向いて涙をこらえ、、、

浅田真央 前を向いて笑顔
真央らしく、前を向いたら笑顔!

 *****


 日本を代表するアスリートの大きなターニングポイントです。感動をありがとう、お疲れ様でした。

浅田真央 五輪シーズン


北朝鮮 ミサイル発射および核実験の年表


 昨日4月5日午前8時過ぎ、北朝鮮が同国東岸から午前6時42分ごろに弾道ミサイル1発を発射したとの報道がなされました。米中首脳会談を前に核実験の準備も噂される北朝鮮の、これまでのミサイル発射、核実験を簡単な年表でまとめてみることと致しました。以下は今回の事件の記事であります。

北朝鮮 ミサイルの記事


◇ 北朝鮮のミサイル発射および地下核実験

 北朝鮮のミサイル発射(青字)および地下核実験(赤字)の歴史を年表にいたしました。参考までに、同国の最高指導者、故 金日成 氏以降の3名の統治を先に示します。

 1972年12月28日〜1994年07月08日     故 金 日成(キム・イルソン)
 1994年07月08日〜2011年12月17日     故 金 正日(キム・ジョンイル)
 2011年12月17日〜2017年04月16日 現在    金 正恩(キム・ジョンウン)


1993年

05/29 ノドン1号を日本海に向けて発射 能登半島北方に着水

1998年

05/28 パキスタンにおいて地下核実験 パキスタンにないプルトニウム型にて北朝鮮の代理実験の疑惑
05/30 パキスタンにおいて地下核実験 北朝鮮の代理実験の疑惑

08/31 テポドン1号を発射 日本上空を横断して太平洋に着水

2006年

07/05 スカッドC ノドン/スカッドx2 テポドン2号 スカッド ノドンx2の7発を日本海に向け発射
10/09 北朝鮮本土における初の地下核実験 TNT換算で最大規模15kt

2009年

04/05 人工衛星打ち上げ用ロケット 銀河2号 を東方に向けて発射 事実上の弾道ミサイル発射実験
05/25 2度目の地下核実験 最大規模4kt

2012年

04/13 人工衛星 光明星3号を搭載した銀河3号を打ち上げたがブースト段階の不具合で軌道投入失敗
12/12 光明星3号を搭載した銀河3号を打ち上げ衛星軌道への投入成功

2013年

02/12 3度目の地下核実験 最大規模12.5kt

2016年

01/06 4度目の地下核実験 初の水素爆弾 最大規模6-9kt
02/07 光明星4号を打ち上げ沖縄上空を通過して衛星軌道に投入成功
09/09 5度目の地下核実験 最大規模10kt

2017年

04/05 スカッドミサイルを発射 日本海に着水


◇ 寸評

 ミサイル開発や核開発の進歩や朝鮮半島の情勢に伴う変化はあるでしょうが、北朝鮮を建国した 故 金 日成 氏の22年の統治下ではミサイル発射実験1回でありましたが、故 金 正日 氏に変わってその統治17年間ではミサイル発射実験は3回、本国における核実験が2回であり、現在の 金 正恩 氏に変わってから現在までの5年半ではミサイル発射実験4回、核実験3回と、その頻度は明らかに増加しております。

 金 日成 統治下(22年間):ミサイル発射1回、核実験0回
 金 正日 統治下(17年間):ミサイル発射3回、核実験2回
 金 正恩 統治下(05年半):ミサイル発射4回、核実験3回


金とミサイル

 米国トランプ新大統領から発せられる、ともすると過剰なまでに感じられる危機感は、実は国家を守るためには必要なことかも知れません。