アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

2016年06月19日 の記事一覧

医療に生かされる


 あるコミュニティに参加した時に「日本の平均寿命が世界一である、それはなぜだと思いますか?」と言う質問がコメンテーターから出て、場内のある人が「胃瘻や点滴で医療によって寝たきりの人を生かしているから」と返答し、「はい!、その通りですね!」と、そうした方向に結論が向かう会合でありました。この手の題材として、昨年4月の本ブログの投稿で、「『平均寿命』に見えるもの、『健康寿命』から教えられること」と題して、ネットから平均寿命について勉強させていただきました。

 2015/04/04 「平均寿命」に見えるもの、「健康寿命」から教えられること

 この中で、日本の女性の場合、「不健康期間」は世界で唯一10年を超えて最長であるものの、「健康寿命」も世界一であることをご紹介しました。いわゆる「寝たきり」の「不健康期間」の延長のみが平均寿命の延長に繋がっているものではない、と言うものです。
 しかしながら、平均寿命延長の原因論としては不適切としても、「胃瘻や点滴で現代医療が寝たきりの人を生かしている」と言うコメントは間違ってはいません。良い悪いに言及するものではありませんが、そうした側面が医療にはあって、携わる人間の不足や医療費などの社会的側面、患者の人間の尊厳と言った部分でしばしば議論されるところです。
 ここでは、遠い昔の、療養所病院で見た患者をご紹介して、現代も続いている「医療に生かされる」と言う現状について私見を申し上げたいと存じます。なお、個人情報に配慮して、時期と場所は特定せず、若干の脚色、フィクションを加えた表現といたします。


◇ 胃瘻からの経管栄養で手足を抑制された女性患者

 大学院の頃ですのでもう20年以上前、ある「○○療養所○○病院」と言う、慢性期の療養型、障害者向けの病院に、休日の日当直のアルバイトに行きました。医局でのんびりしていると、病棟からの電話で、胃瘻から入れているエレンタール(経管栄養剤)の流入が緩慢で詰まりがちなので見て欲しいとのことでした。そんなの水道水でもフラッシュすればいいのでは?、などと思いながら階段を上がって病室へ行くと、あまり日常では見たことがない光景に出会いました。
 6人部屋で、カーテンで隔てられることなく、女性のお年寄りがベッドに仰向けになっており、腰が曲がって、顎を突き出して、うつろな目を頭側の壁に向けて無表情で寝ておりました。下に枕が当てがわれた膝は屈曲しており、両手両足は、手首足首のところで縛られてベッドに固定されております。着衣の胸の間からチューブが出ていて経管栄養のボトルに連結、栄養剤が自然落下で注入されており、そのスピードがいつもより遅いとのこと、、、。

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【経管栄養/胃瘻】

 食事摂取ができない患者に対して静脈内(点滴)ではなく、消化管に栄養剤を注入する方法を経管栄養(Tube feeding)と言います。その投与経路として、鼻から胃内に留置したチューブを経鼻胃管(Nasogastric, NG, tube)、内視鏡的に腹壁を貫通して胃内にチューブを留置する処置を胃瘻(Percutaneous endoscopic gastrostomy, PEG)と言います。

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 カテーテル・チップ(太い注射器)に微温湯をもらってチューブからフラッシュしてみると、最初は抵抗がありましたが、スッと速やかな注入が可能となり、「やっぱりカスかなんかが詰まり気味だったんですね」と申し上げました。ついでに「どういう方なんですか?」と尋ねたところ「89歳、老人性痴呆で、もうかなり長いですが、家族はずっと来ていません」との返事が返って来ました。今はあまり使われなくなった言葉「老人性痴呆」ですが、重度の(アルツハイマー型?)認知症だったのだろうと思います。「(手足の)抑制は必要なんですか?」と聞いたら、「大人しくしているようで、今まで何回か胃瘻チューブを抜かれちゃったんですよ」とのことでした。
 医者になってまだ数年、急性期の病院で1年半の研修をした後、大学病院にいる身でしたので、こうした老年医療に携わることはなく、ほとんど初めて、医療の、ある側面を観た気がしました。時々瞬きをしながら、つり上がった目で何かを見つめている、何を考えているのか?、あるいは何も考えていないのか?、ベッドに手足を縛り付けられた老婆の病室を後にしながら、何となく暗い気持ちになったのが思い出されます。


◇ ほとんど意識はないのに経口摂取している

 同じ日の夕刻、処方が切れている患者がいるのでお願いしますとの連絡を受け病棟に向かいました。階段を上がってすぐの病室で、看護師が女性の患者さんに食事を食べさせているところに遭遇しました。こちらも90前後と思われるご老人で、「自分では食べられないのですか?」と尋ねたら、「そうですね、脳梗塞で麻痺があって、それに意志の疎通は全くありません」とのことでした。麻痺があるので手足の抑制は不要のようでした。
 「よく噛んでね、少しずつ飲み込んでね」との声かけに聞こえているのかいないのか?、虚ろな目をして、本能的に、口に運ばれるお粥をただもぐもぐと咀嚼して飲み込む繰り返し、声を発することも、笑顔を見せることもありません。顔の表情からはほとんど精神活動はしていない、ただ目の前の、言葉は悪いですが「餌(エサ)」を食べる、動物のような姿がそこにありました。
 口から食べられているのだから、人間的な生活と言えば言えなくもないのかな?、と思われましたが、あまりに無表情で、ただ口に運ばれたものを飲み込んで、とても食べ物を味わう様子ではない、生命を維持するためだけの動物的行為のようで、後味の悪いものを見てしまったような気持ちにさせられました。こちらの患者さまも、ご家族は久しく来院していないとのことでした。


◇ 中心静脈カテーテルからの高カロリー輸液で高熱を発した100歳男性

 別の日の日曜日、またも目を疑うような「人間」の姿を目の当たりにしました。中心静脈カテーテルから高カロリー輸液を行っている脳出血後、100歳男性の患者さんが、前日の土曜日午後から39℃台の発熱があるとのこと、、、。なんでも、かつては胃瘻を増設して経管栄養にしていたそうですが、しばしば食道の方に逆流してくるため、気管に入って気管支炎から肺炎を起こしかねないとのことで、点滴による管理となったようです。

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【高カロリー輸液/中心静脈カテーテル】

 高カロリー輸液(Intravenous hyperalimentation, IVH または Total parenteral nutritio, TPN)とは、経口摂取不能の患者に対して、生命を維持するために必要な栄養分を点滴で補充する方法で、投与する輸液が高濃度となるため末梢の静脈は利用できず、そのためのルートとして心臓に近い大静脈にカテーテルを留置する、それを中心静脈(Central venous、CV)カテーテルと言います。

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 まずは病棟の看護師詰め所に行って、当然のごとく電子カルテのない時代ですので、温度板と言う紙の板に色鉛筆で記載された熱型を見て、スパイク・フィーバーを確認し、中心静脈カテーテルからの感染を疑いつつ患者さんの診察に向かいました。
 北側に面した6人部屋の右側、真ん中のベッドにその患者さんはいました。カーテンを開けたところ、思わず息をのみました。全身、骨と皮のミイラのように縮んだ体が小さく丸まって、ベッドの半分にも満たない片隅に横たわっておりました。もちろん意識があるようには見えず、両腕は胸の前に「×(バツ)」の字を描いて組んでおり、左右の脚も付け根から屈曲して交差させています。咄嗟には人間とは思えない、微動だにしない物体を前にして、思わず「呼吸しているの?、いつもこうなの?」と尋ねたら、呼吸状態は問題なく、手と脚は拘縮して動かない、もちろん、脳内出血を発症して以来、急性期の病院から紹介、転院を通じて、現在に至るまで意識はないとのことでありました。もう100歳ですので、配偶者は他界しており、入院時の連絡先であった甥(おい)と言う人もどこぞの施設に入所しており、代理人と言う人が患者さんの年金から医療費を支払っているとのことでした。
 尿カテーテルの留置尿はスパイク・フィーバーを起こすほどには濁ってはいず、呼吸状態は安定して痰がらみもありません。中心静脈カテーテルが左脚の付け根、大腿静脈より挿入留置されており、同部位の場合、股間に近いので、しばしばその刺入部からの感染が起こります。丸まって拘縮した下肢の付け根、抜くのも大変そうな、どうやって挿入したのか分かりません、中心静脈カテーテルを抜去するのを主治医の先生に連絡して了解を得ました。抜いたカテーテルの先端を培養に出し、血液培養とカンジタ(真菌)のチェックを行って、末梢からの維持輸液と抗生剤の点滴をオーダーしてその日は終わりました。


◇「医療に生かされる」人々に接して

 上で申し上げてような患者さんが、そのアルバイトに行った病院の入院患者のどれくらいの割合を占めるのか?、一般の病院ではどうなのか?、詳しいことは知りませんが、その後の医者生活で、同じような患者さんを様々な病院で数え切れないほどに見かけましたし、この20年以上、ほとんど医療側の対応は変わっていないと断言できます。
 こうした、寝たきりのご老人に対する、昭和の後期から平成に至るまでの医療について、初めて観た時には驚きましたし、暗い気持ちにもなりました。これで良いのであろうか?、疑問と批判も持ちました。でも、そうではない、「仕方がない」と言う気持ちもございます。

 冒頭で申しあげたコミュニティでは、「胃瘻や点滴で現代医療が寝たきりの人を生かしている」とする現代における本邦の医療に極めて批判的な話で終始していました。高い平均寿命のカラクリを(シタリ顔で)説いて、「医療経済学」、医療費の無駄遣いを指摘、「人間の尊厳」やら「尊厳死」にまで言及しておりました。それでいて、具体的にはどうするべきなのか?、何が理想なのか?、には議論が及ばない、そもそも、現実に起こっていること、実際の医療の現場とはかけ離れたところで会話がなされていた、と言うのが実感でありました。

 上の患者さんたちのカルテの表紙には、“DNR”と大きく赤字で書いてありました。“DNR, Do not resuscitation”とは「蘇生術は行わない」を示す略語であり、死に至るような急変時において、心臓マッサージは行わず、人工呼吸器によるサポートも行わないと言う、家族からの承諾書をもらっている、との意味です。最初の、胃瘻の患者さんは、当時から7年前の、息子さんによる承諾書のサインがありましたし、3人目の脳内出血後の全身が丸まって拘縮している患者に至っては13年も前に、「蘇生術は行わない」との承諾書に、他界した奥さんの直筆の署名がありました。
 この“DNR”の承諾書に関しては、20数年前の療養所病院と現在とで大きな違いはありません。プリントされた活字の紙に家族が署名する、驚くほどこの四半世紀の間に変わりはありませんでした。寝たきりのご老人に対して(これは末期がん患者にも適応されますが)、急変時には「蘇生術は行わない」と言うのは「医療経済学」にも「人間の尊厳」にも妥当な考え方でありますが、「生命維持に必要な栄養を与えない」とする承諾書はありません。ちょっとしたトラブル、例えば胃瘻チューブが詰まりかけているとか、カテーテル・フィーバーに対する対処は行いません、とする承諾書も存在しませんし、患者家族との間でそんな話に及ぶことは皆無であります。
 ほとんど意識がないけれど不穏になって胃瘻チューブを抜いてしまう患者さんを抑制して、同じく意識は極めて希薄ながら生き永らえる本能だけの患者さんの口に食べ物を運び、さらに昏睡状態の患者さんに高カロリーの点滴を投与して、これらは「医療に生かされる」人々でありますが、「生命維持に必要な栄養を与えない」とすることは、飢餓状態から「死なせる」と言うことであり、死に至る手前のちょっとしたトラブルに対処しないことも、それは、やはり「死なせる」と言う意味であります。誰が「死なせる」のでしょうか?、家族でしょうか?、医療側でしょうか?、それこそ「人間の尊厳」であります。人の死を左右する権利が人にはあるのでしょうか? 患者さんがお元気だった頃に見せた笑顔、自分にかけてくれた言葉、身を持って伝えた生き方があって、その記憶があるから、家族の人は寝たきりとなった患者さんを「死なせる」ことはできません。

 では一方で、ほとんど意識がないと思われる患者さんの気持ちはどうでしょうか? 元気であった頃に、寝たきりになってからの「医療に生かされる」状態を希望されたでしょうか? これに対しては否定的な気持ちになります。「医療に生かされる」状態になってまで生き永らえることを心から希望する人はいないでしょう。
 私は上で申しあげた患者さんたち、手足を抑制しなければ胃瘻チューブを抜いてしまう老婆は、胃瘻チューブを抜くことで「医療に生かされる」のを終わりにしたいと思っていたのかも知れませんし、拘縮して丸く固まった100歳のご老人は中心静脈カテーテルからの感染で、いよいよ「医療に生かされる」、栄養のルートが抜去されて、「蘇生術は行わない」と署名しながらも先に他界した妻のもとへと旅立つチャンスを得たのかも知れないと思わされます。

 簡単にどちらが正しいとか、どうあるべき!、と言えるものではありません。

 寝たきりとなって「医療に生かされる」患者さんがいることは、医療における暗い側面ではありますが、それを無くする方策があるのなら、教えて欲しいと言うのが本音であります。少なくとも、「医療経済学」やら、端から見た薄っぺらな「人間の尊厳」で考えるべきものではなく、もっと人間の死生観に立脚した議論が必要と考える次第です。


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