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アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

エボラ出血熱、感染対策が後手に回った理由は?

 エボラ出血熱関連のニュースが連日報道されております。今回の感染流行は昨年12月頃から、ギニアをはじめとする西アフリカにて始まり、本年10月15日までのWHOまとめでは、感染疑い例も含め8,997名が感染し、4,493名(49.9%)が死亡したとされます。過去の流行においては多くても300人弱の死亡者でありましたが、今回はその15倍以上にまで膨れ上がる状況です。

2014年エボラ出血熱地図

 一昨日の記事からは米国ニューヨーク在住の医師(33歳)が、「国境なき医師団」の一員として渡航した西アフリカのギニアから10月17日に帰国、21日より疲労感を自覚するも、友人たちとボウリングに出掛け、地下鉄、タクシーにも乗車したところ、23日より高熱が出現、陽性と判定され隔離されたとのことです。世界有数の巨大都市に、エボラ感染の恐れが拡大したことにより、国際社会にも大きな衝撃が走っております。

 遅まきながら、この病気について知識をまとめ、このような感染拡大に至った原因と展望を考えてみます。


◇ エボラ出血熱

1.エボラ出血熱の概要とその病原体

 エボラ出血熱(Ebola hemorrhagic fever, EHF)またはエボラウイルス病(Ebola virus disease, EVD)は、エボラウイルスを病原体とする感染症で、死亡率が50-80%にも及び、人類が罹患するウイルス感染症の中で最も危険なものの1つと言われております。
 エボラウイルスはフィロウイルス科エボラウイルス属と呼ばれ、大きさが80-800 nmの細長いRNAウイルスであり、ひも状、U字型、ぜんまい型など形は決まっておらず多種多様とされます。

エボラウイルス画像

 なお、「エボラ」の名は、コンゴ民主共和国で発病者が出た地域に流れるエボラ川から命名されました。

2.感染経路

 英科学誌「ネイチャー」(2005年)によると、ガボンのフランスビル国際医学研究センターなどのチームの調査で、オオコウモリ科のウマヅラコウモリ、フランケオナシケンショウコウモリ、コクビワフルーツコウモリ等が、エボラウイルスの自然宿主とされ、現地の食用コウモリからの感染が研究論文で発表されています。

 自然宿主はコウモリが有力

 また、感染したカニクイザル、ゴリラ、チンパンジーと豚が発見されており、これらはヒトと同じ終末宿主と考えられます。サル(チンパンジー)から人への感染例も報告されており、中央アフリカではサルの燻製を食する習慣があるためと考えられております。

 同じ終末宿主であるサルからも感染

エボラウイルスの感染経路

 人同士の感染は、患者の体液、すなわち血液、分泌物、排泄物や唾液などの飛沫が感染源となり、死亡した患者からも感染します。 エボラウイルスの感染力は強いものの、基本的に空気感染をせず、感染者の体液や血液に触れなければ感染しないと考えられています。これまでに見られた感染拡大も、死亡した患者の会葬の際や医療器具の不足(注射器や手袋など)により、患者の血液や体液に触れたことによりもたらされたとされております。患者の隔離に関する措置が十分に行われていれば、感染することはないとされます。

 患者の体液の飛沫から接触感染
 基本的に空気感染はない


 アフリカでのエボラ出血熱の流行を調査すると、ヒトからヒトへの感染の拡大は、貧しい医療衛生環境での注射器、注射針の使い回しや家族内での濃厚な接触が原因とされます。また、防護服を着た医療従事者への感染が確認されており、防護服脱衣の際などの厳重注意が呼びかかえられております。

 医療衛生環境の重要性
 防護服を着た医療従事者への感染も確認


 その他、マラリア原虫を媒介するハマダラカが、吸血したての人の新鮮血を媒介しているという説もあります。

3.症状

 潜伏期間は通常7日程度(最短2日、最長3週間以上)とされ、WHOおよびCDCの発表によると、潜伏期間中には感染力はなく発病後に感染力が発現するとされます。発病は突発的で、発熱、悪寒、頭痛、筋肉痛、食欲不振などから、嘔吐、下痢、腹痛などを呈し、進行すると口腔、歯肉、結膜、鼻腔、皮膚、消化管など全身に出血が起こります。致死率は50-90%と非常に高いです。

4.治療法

 エボラ出血熱ウイルスに対するワクチン、抗ウイルス薬、ならびにエボラ出血熱感染症に対して有効な医薬品などは確立されていません。また脱水に対する点滴や、鎮痛剤およびビタミン剤の投与、播種性血管内凝固症候群(DIC)に対するプロテアー・インヒビターの投与が対症療法として行われております。
 一方、1995年にコンゴでの流行の際、回復した元患者の血清を8人の患者に輸血し、そのうちの7人が回復をしており、その後も動物実験などで確認されつつあります。2014年9月、WHOは「回復した患者の血液や血清を有効な治療方法」と認定し、「早急に試すように」との勧告を出し、2014年には感染した米国人医師らに血清の投与や輸血などが行われております。
 また、富士フィルム・ホールディングスの傘下企業富山化学工業が開発したインフルエンザ治療薬「アビガン錠(ファビピラビル)」はウイルスのRNAポリメラーゼの阻害薬で、疫病のマウスモデルにおいてエボラウイルスを排除する効果が確認されております。本年の流行において同薬剤の投与でフランス人とスペイン人の女性患者が治癒しました。

5.過去の流行

 1976年6月末、スーダン南部ヌザラの綿工場に勤める倉庫番の男性が出血熱様症状を示し、次いでほかの部署の男性2人も同様の症状で倒れました。これが初めてエボラ出血熱と認識された流行の幕開けでした。この3人の患者を源として家族内、病院内感染を通してエボラ出血熱の流行が拡大し、計284人がエボラ出血熱を発症して151人(53.2%)が死亡しました。
 その流行とは別に、同年8月末にコンゴ民主共和国(旧ザイール)北部のヤンブクで1人の男性(教会学校の助手)が出血熱の症状を示しました。その患者が収容されたヤンブク教会病院での治療・看護を通じて大規模な流行が発生しました。計318人の同様の患者が発生し、280人(88.1%)が死亡しましたが、これもエボラウイルスによる出血熱であることが確認されました。
 その後、スーダン、コンゴ民主共和国、象牙海岸で散発的なエボラ出血熱の流行が確認されていましたが、1995年にコンゴ民主共和国中央部バンドゥンドゥン州キクウィトの総合病院を中心として、エボラ出血熱の大規模な流行が発生しました。その流行では計315人が発症して244人(77.5%)が死亡しました。
 今世紀に入ってからは、2008年のコンゴ民主共和国での流行で32人が感染し14人(43.8%)が死亡、2011年から2012年にかけてウガンダで流行し、32人が感染し22人(68.8%)の死亡が報告されております。

 今回の流行は西アフリカが中心であり、過去の例と併せて、以下の地域にエボラ出血熱が分布していることが解ります。

 ・中央アフリカ:スーダン、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、
         ガボン、ウガンダ
 ・西アフリカ :コートジボワール、ギニア、リベリア、
         シエラレオネ、ナイジェリア


エボラ出血熱の流行が見られた地域


◇ ヒーラーがエボラ流行に関与?

 少し前ですが、8月には以下の記事が出ました。エボラ感染が拡大しているシエラレオネで、エボラ出血熱を治癒する能力を持つヒーラーによりその感染症が流行した、との報道です。

シエラレオネのヒーラーの記事

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シエラレオネ、エボラ流行は一人の「ヒーラーから」 医療当局者

【8月21日 AFP】シエラレオネでのエボラウイルス感染拡大は、エボラ出血熱を治癒する特殊な能力を持つと主張していたある一人の「ヒーラー(治療師)」によってもたらされた。

 同国東部ケネマ(Kenema)地区の医療当局者がAFPに語った。

 ケネマ地区の医療当局責任者、モハメド・バンディ(Mohamed Vandi)氏はAFPの取材に対し、ギニアからエボラウイルスが持ち込まれた原因は、東部国境沿いのソコマ(Sokoma)村のヒーラーだったと述べる。
 バンディ氏は「このヒーラーの女性は、特別な治癒能力を持っていると主張していた。そのため隣国ギニアからエボラウイルスの感染者たちが彼女の治療を受けようとシエラレオネに入ってきた」と話した。また「本人は(エボラに)感染して死亡した。そして彼女の葬儀に集まった近隣の町の女性たちが感染した」とも付け加えている。
 バンディ氏によると、国内での感染はこの女性たちから連鎖反応的に広がったという。そして6月17日、エボラウイルスがケネマに到達し、以降の大流行につながった。

 今年初めにギニア南部での感染が確認されたエボラ出血熱は、まずリベリアへと広がり、5月にはシエラレオネでも確認された。

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 国家に経済力が無いために、衛生面などの福祉を充実することができず、また医療の体制も整っていない地域では、ヒーラーに頼らざるを得ないのが現状で、今回のエボラ出血熱でもこうした話は出てまいりました。当然の如くヒーラーは肌に接触して治療をすることが多いため、不特定多数の患者に触れ、もしも健常人に対してもヒーリングを施すことがあったのならば、ヒーラー自身が感染源となり得ます。


◇ 過去の感染症を省みて

 ここで、過去に世界中から恐れられた感染症がどうなったのか?、天然痘と後天性免疫不全諸侯群についてごく簡単にまとめてみました。

1.天然痘

 天然痘(Variola)は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症、非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生じ、仮に治癒しても瘢痕を残すことから、太古の昔より世界中で不治の病、悪魔の病気と恐れられておりました。感染力の高さ、40%前後と考えられる高い致死率のため、時に国や民族が滅ぶ遠因となった事すらありました。

天然痘の図
天然痘の被害を伝えるアステカの絵(左)と天然痘罹患少女(右)

 天然痘の発源地はインド、アフリカとも言われますが、最も古い天然痘の記録は紀元前1350年のヒッタイトとエジプトの戦争の頃とされます。また、天然痘で死亡したと確認されている最古の例は紀元前1100年代に没したエジプト王朝のラムセス5世とされます。
 イスラム圏においては、アル・ラーズィー(865-925年)の著書「天然痘と麻疹の書」(Kitab fi al-jadari wa-al-hasbah) において麻疹と天然痘の違いについて説明されています。

 エジプト王朝からイスラムへ

 ヨーロッパでは、紀元前430年の「アテナイの疫病」は天然痘であった可能性が示唆されております。また、165年から15年間ローマ帝国を襲った「アントニヌスの疫病(アントニヌスのペスト)」も天然痘とされ、少なくとも350万人が死亡しました。その後、12世紀に十字軍の遠征によって持ち込まれて以来、流行を繰り返しながら次第に定着し、ほとんどの人が罹患するようになったとされます。フランス・ブルボン王朝の、有名なマリー・アントワネットの義父にあたるルイ15世(1710年2月15日-1774年5月10日)は天然痘で亡くなっております。

 ヨーロッパでは広範囲に伝搬

 アメリカでは、コロンブスの上陸以降、白人の植民とともに天然痘もアメリカ州に侵入し、先住民であるインディアンに激甚な被害をもたらしました。ある程度、流行を繰り返したヨーロッパと異なり抵抗がなかった当時のアメリカでは天然痘による死亡率が高かったとされています。

 コロンブス上陸でアメリカ大陸へも進入

 中国では、南北朝時代の斉が495年に北魏と交戦して流入し、流行したとするのが最初の記録であります。頭や顔に発疹ができて全身に広がり、多くの者が死亡し、生き残った者は瘢痕を残すというもので、明らかに天然痘でありました。その後短期間に中国全土で流行し、6世紀前半には朝鮮半島でも流行したとされます。
 日本には、中国、朝鮮半島からの渡来人の移動が活発になった6世紀半ば以降に海を渡ったと考えられております。585年の敏達天皇の崩御も天然痘の可能性が言われ、735年から738年には西日本から畿内にかけて大流行したとされております。ヨーロッパや中国などと同様、日本でも何度も大流行を重ねて江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となりました。天皇さえも例外ではなく、東山天皇は天然痘によって崩御している他、孝明天皇の死因も天然痘とされ、明治天皇も幼少時に天然痘に罹患しました。

 中国、朝鮮半島、日本へも拡散

 天然痘が強い免疫性を持つことは、近代医学の成立以前から経験的に知られていました。つまり、天然痘に罹患した既往は終生の免疫を得、再罹患はないと言うものです。西アジア、インド、中国などでは、天然痘患者の膿を健康人に接種し、軽度の発症を起こさせて免疫を得る方法が行なわれていました。
 18世紀半ば以降、牛の病気で、人間にも罹患するも軽症である「牛痘」にかかった者は天然痘に罹患しないことが判明しました。その事実に注目、研究したエドワード・ジェンナー (Edward Jenner) が1798年、天然痘ワクチンを開発し、それ以降は急速に流行が消失していきました。

 免疫性の知識から「種痘」の開発、そして根絶へ

 天然痘は人間に感染する感染症で人類が根絶できた唯一の例とされます。日本国内における発生は1955年の患者を最後に確認されていず、天然痘の予防接種、いわゆる「種痘」は約40年前の1976年を境に終了しました。
 国際的には、1958年に世界保健機関 (WHO) 総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、根絶計画が始まりました。1970年には西アフリカ全域から根絶され、翌1971年に中央アフリカと南米から根絶されました。1975年、バングラデシュの3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのエチオピアとソマリアが流行地域として残りました。
 1977年のソマリア人青年のアリ・マオ・マーランを最後に自然感染の天然痘患者は報告されておらず、3年を経過した1980年5月8日にWHOは根絶宣言を行いました。現在自然界において天然痘ウイルス自体が存在しないとされています。

2.後天性免疫不全症候群

 後天性免疫不全症候群(Acquired Immune Deficiency Syndrome, AIDS)は、ヒト免疫不全ウイルス(Human Immunodeficiency Virus, HIV)が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす免疫不全症です。免疫が低下しますので、カリニ肺炎やカポシ肉腫などの特殊な病態を含む多彩な感染症を発症する病態です。HIV感染症の段階では無症状であり、ウイルスの侵襲で血液中のCD4陽性T細胞がある程度まで減少したところでAIDSとして症状が発現します。「HIV感染症」までの段階で抗ウイルス剤による治療が勧められております。感染様式は血液(血液製剤)、精液(性交)、垂直感染(母子感染)であり、唾液などの体液からの感染はないとされます。

 HIV感染症 → AIDS発症
 血液、精液から感染


 HIVの起源はカメルーンのチンパンジーという説が有力で、そこから人に感染して世界中に広まっていったと考えられています。1981年、米国ロサンゼルスの同性愛男性に発見され症例報告されたのが、正式に認定できる初めてのAIDS患者でありましたが、疑わしき症例は1950年代から報告されており、「やせ病(slimming disease)」という疾患群が中部アフリカ各地で報告されていました。

 カメルーンのチンパンジーが起源?
 1950年代の中部アフリカに「やせ病」?
 初の症例報告は1981年の米国


 1981年の症例報告後、わずか10年程度で感染者は世界中に100万人にまで広がったとされ、現在全世界でのHIV感染者は5千万人に達すると言われています。下図の如くサハラ以南のアフリカで高頻度に感染が見られますが、米国でも国民の0.5-1%、ロシアでは1-2%に罹患しています。ヨーロッパ、カナダ、アジア、オセアニア、南米では0.1-0.5%程度で、日本は0.1%以下となっております。

AIDS発生国 図

 米国では、当初、AIDSが広がり始めた頃、原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて、感染者に同性愛男性や麻薬の常習者が多かったことから感染者に対して社会的な偏見が持たれました。その後、病原体としてHIVが同定され、異性間性行為による感染や出産時の母子感染も起こり得ることが知られるようになり、広く一般的な問題として受け止められた経緯があります。

 現在、抗HIV薬は様々なものが開発され、著しい発展を遂げています。基本的に多剤併用療法ですが、完治、治癒に至ることは困難であるため、抗ウイルス薬治療は開始すれば一生継続する必要があります。それでも現在では、HIV感染と診断されても、早期に適切な治療を受ければ通常の寿命を全うすることが十分可能となっています。

 現在は早期診断、早期治療で天寿を全う

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 古来から長期に渡り全世界に伝搬し、数え切れないほどの人類を死に至らしめた天然痘と、20世紀になっての突然の発生、急速に世界中に感染が拡大して多数の死者を出したHIV感染症/AIDSと、ある意味、対照的なウイルス感染症をご紹介しました。対照的と申しましたが共通点もあって、天然痘は世界から完全に撲滅され、HIV感染症は、この数十年でその発症がコントロールされるまでに治療が進みました。


◇ エボラ出血熱の治療法確立の遅れ

 天然痘やHIV感染症/AIDSと、エボラ出血熱の大きな違いは、その感染範囲が世界に広がったかアフリカに限局していたかの違いかと存じます。天然痘はフランスの王室や日本の天皇にまで及びましたし、HIV感染症/AIDSは米国で初の症例報告がなされました。エボラ出血熱は、米国で初のHIV感染症/AIDSが報告された1981年より5年も前の1976年にアフリカで発生しました。細かいところに目を向ければ、HIV感染症/AIDSにしても、1981年に米国で報告される約30年前にアフリカでそれらしい病態が確認されておりました。
 エボラ出血熱に対する対策が遅れたのはアフリカに発生した感染症だったからでしょう。1950年代当初のHIV感染症/AIDSも同じでした。発展途上の大陸に発生した疾病への対応が遅れる先進国の構図と言えるかも知れません。ワクチンや抗ウイルス剤を研究開発しても、アフリカ大陸の諸国では購入できない経済事情もあるでしょう。アフリカの黒人に対する蔑視も否定できないと思います。上でご紹介した通り、ヒーラーに治療を委ねた結果、かえって感染が拡大した地域があることも、アフリカの医療事情が伺われます。

 人の命のお値段が安い民族

 これは、目を背けたいことですが、認めざるを得ない事実かも知れません。「医療ビジネス」と言う言葉を考えさせられる出来事です。


◇ エボラ出血熱、今後の展望

 エボラ出血熱感染の元患者の血清を投与することで、同疾病の患者が回復したことから、免疫抗体、ワクチンや予防接種の確立は近いと考えられますし、富士フィルムのインフルエンザ治療薬「アビガン錠(ファビピラビル)」の抗ウイルス作用が認められております。もうすでに、米国、スペイン、フランスに感染者が出現し、世界中が話題としている感染症に対してその殲滅の日は近いと思います。

 エボラ出血熱 撲滅の日は近い

 しかしながら、防護服を着た医療従事者への感染までも見られるほどに感染力が強いことも事実であります。ワクチンや抗ウイルス剤の以前の段階で、感染予防の衛生観念がアフリカ諸国に欠けている可能性は大いにあります。そして、現在、中国がアフリカを開発、貿易取引の相手として進めています。中国も衛生観念が低い国家であります。中国から朝鮮半島、日本への伝搬は可能性としてあろうかと存じます。

 アフリカ〜中国〜朝鮮半島から日本の可能性

 天然痘治療に世界が一つとなった過去の歴史、HIV感染症/AIDSの治療確立が瞬く間に西洋文明、先進諸国に広がった現代、これを考えるとエボラ出血熱の脅威は限定的です。ただ、一点、中国への感染とそこから日本への伝搬に厳重な注意が必要かと思います。



http://ja.wikipedia.org/wiki/エボラ出血熱
http://ja.wikipedia.org/wiki/天然痘
http://ja.wikipedia.org/wiki/後天性免疫不全症候群
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