アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

マグロ ユッケのアボガド和え、亜麻仁油、クルミ添え

 先日来、アボガドとクルミ、亜麻仁油を美味しく食べるレシピ、麻婆茄子、スモークサーモンをご紹介しましたが、そろそろ最後か?、自然食品の関係者より素晴らしいアボガドをいただきましたので、今度は「マグロ ユッケ」に挑戦してみました。手順から完成まで一気にご紹介します。

01.水菜(みずな)5束を長さ約4cmの長さにカット、皿に敷く
02.アボガド1個を1/4角、各厚さ3mmにカット、水菜の上に置く
03.マグロ ネギトロ200gにユッケ丼のたれ(下図)20g、2袋を添加

まぐろユッケどんのたれ写真

※必ずしも既製品を用いずとも、醤油、ごま油、砂糖、ガーリックパウダーの混合で代用できると思います

04.上記たれに付属の韓国コク辛調味料5g、2袋を添加
05.調味料を混ぜたネギトロをよくかき混ぜアボガドの上から広げる
06.ネギトロの中央にくぼみを作り亜麻仁油2gと卵黄を入れる
07.白ごまを添える
08.梨1/4個を千切りにして添える
09.クルミを約2個分添える
10.希望で小口ネギを添える

まぐろユッケ、アボガド和え、くるみ添え

 上記写真の如く完成です。よくかき混ぜて食べましょう! マグロ(tuna, fresh, bluefin, raw)はサバ科マグロ属(学名Thunnus)に分類される硬骨魚類の総称で、いわゆる青魚です。脂肪成分は以下の通りで、健康に良いとされるオレイン酸(ω9)とリノレン酸(ω3)を豊富に含みます。

【マグロ100gあたり(144kcal)】
 一価不飽和脂肪酸(オレイン酸、ω9) 1.60g
 多価不飽和脂肪酸           1.43g
  そのうちリノレン酸(ω3)     1.30g
 コレステロール            0.04g
 糖質                 0.00g

 これに加えて亜麻仁油でリノレン酸(ω3)をさらに補給、本来なら松の実ですがリノレン酸(ω3)が豊富なクルミを用いました。コレステロール豊富な卵黄は栄養学的にはあまり良いとは言えませんが、食感、風味としては不可欠であり、同様に季節の梨も少量を加えてアクセントとしました。アボガドは以前も申した通り、食物繊維、ビタミン、ミネラルがたいへん豊富です。総じて、簡単ですが、極めて健康的な食品ではないでしょうか?
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増加する安楽死希望者の記事から

◇ ブラック・ジャック vs ドクター・キリコ

 子供の頃の愛読書、故 手塚 治虫 氏の「ブラック・ジャック」にしばしば現れた登場人物、ドクター・キリコ は苦痛を伴う不治の病の患者に対して安楽死を行う医者でありました。患者側の死にたいと言う強い希望があって、その疾病、激しい苦痛から逃れられないことが明白である時、ドクター・キリコの出番となるですが、主人公であるブラック・ジャックは彼に対して否定的な立場をとっておりました。しかしながら、故 手塚 治虫 氏はストーリーの展開の中で、ドクター・キリコとブラック・ジャックを対等に扱っており、どちらが正しいとの結論を出さない場合が多かったように思います。すなわち、自らも臨床医であった氏は安楽死について中立の立場であったように想い出されます。

ドクターキリコの会話


◇ 安楽死のためのスイス渡航者5年で611人

 さて先日、タイトルの如き記事を見つけました。スイスで認められている安楽死を希望して同国に訪れる旅行者が増加しているとのものです。全文を供覧いたします。

安楽死の記事見出し

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 安楽死する目的でスイスを訪れた「自殺旅行者」が2008-2012年の5年間で611人に上ることが、スイス・チューリヒの法医学研究所がまとめた実態調査で明らかになった。それによると、旅行者611人は31カ国からスイスを訪問。特にドイツと英国からの旅行者が多かった。英国では死ぬ権利を訴える6団体が年間約600人の自殺を手助けしており、うち150-200人が自殺を目的に渡航しているという。
 611人のうち58%は女性で、年齢は23-97歳、平均年齢は69歳。半数近くが神経疾患を抱えていたほか、がん、リウマチ、心臓疾患など複数の疾患を持つ人も多かった。安楽死では4人を除く全員が鎮静麻酔薬のペントバルビタールナトリウムを投与され、大半にスイスの死ぬ権利を訴える団体がかかわっていた。

 自殺を目的とした旅行者の数は2008年の123人から09年には86人に減少した後、09-12年の間に172人へと倍増している。回復の見込みのない患者や多大な苦痛に見舞われている患者に対し、医師が安楽死を手助けすることを認めるかどうかを巡っては各国で論議が交わされてきた。
 スイスでは医師の間の倫理規定はあっても、幇助(ほうじょ)自殺の具体的な条件を定めた法律は存在しない。ドイツでは自殺幇助は倫理的に認められておらず、意識を失っていく患者に対して医師が何もしなければ、罪に問われる可能性もある。英国、アイルランド、フランスでは自殺幇助が違法とされているいるが、裁判に持ち込まれたケースもある。欧州12カ国で実施した意識調査では、幇助自殺の合法化に賛成する回答が過半数を占めた。

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 以前、「抗精神病薬後遺症に関するYahoo知恵袋に異論」(本年2月27日)と題した記事の中で、オランダでは国籍を有する者に対して「安楽死法」が施行されることに触れましたが、オランダに同法律が制定されたのは2001年であるのに対しスイスは1942年から施行されていたようです。


◇ 安楽死 覚え書き

1.安楽死の概念

 安楽死(euthanasia)とは、患者本人の自発的意思に基づく要求に応じて、患者の自殺を故意に幇助してに死に至らせること(積極的安楽死)、および、患者本人の自発的意思に基づく要求に応じ、または、患者本人が意思表示不可能な場合は患者本人の親・子・配偶者などの自発的意思に基づく要求に応じ、治療を開始しない、または、治療を終了することにより、結果として死に至らせること(消極的安楽死)とされます。
 消極的安楽死は、後述いたしますが、多かれ少なかれ日本の医療でも行われており、私も経験があります。一方、我が国において、積極的安楽死は法的で明示的に認めておらず、刑法上殺人罪の対象となります。以下に、本邦における過去の判例を2件示します。

2.名古屋安楽死事件の判例

 1962年(昭和37年)の名古屋高裁の判例では、以下の6つの条件(違法性阻却条件)を満たさない場合は違法行為となると認定しています。

 1)回復の見込みがない病気の終末期で死期の直前
 2)患者の心身に著しい苦痛・耐えがたい苦痛
 3)患者の心身の苦痛からの解放が目的
 4)患者意識が明瞭、意思表示能力あり、自発的意思で安楽死を要求
 5)医師が施行
 6)倫理的に妥当な方法

3.東海大学病院安楽死事件の判例

 1995年(平成7年)の横浜地裁の判例では、下記の4つの条件(違法性阻却条件)を満たさない場合は違法行為となると認定しています。

 1)患者の耐えがたい激しい肉体的苦痛
 2)患者の病気は回復の見込みがなく、死期の直前
 3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために可能なあらゆる
   方法で取り組み、その他の代替手段がない
 4)患者の自発的意思表示で、寿命の短縮、今すぐの死を要求

4.積極的安楽死を認めている国

 スイス      1942年
 米国オレゴン州  1994年 「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」
 オランダ     2001年 「安楽死法」
 ベルギー     2002年 「安楽死法」
 ルクセンブルグ  2008年 「安楽死法」
 米国ワシントン州 2009年

5.積極的安楽死を賛成する主張

 本邦において、積極的安楽死を法律で容認することに賛成する主張は以下の通りです。

・生に対する要求と死に対する要求、治療を受けるか受けないか、延命するかしないか、患者の自己決定権は最大限尊重されるべき
・キリスト教文化圏の国では個人尾自己決定権を尊重して、積極的安楽死が法律や判例で容認されている国があり、日本も見習うべき
・生命の継続・延命を強要し、心身の耐え難い苦痛を継続させることは虐待や拷問であり、死生観の強要である
・あらゆる形態・手段による延命治療は有害無益な医療であり、医療費の公費負担は回復する見込みがある医療に限定して使うべき

6.積極的安楽死に反対する主張

 本邦において、積極的安楽死を法律で容認することに反対する立場として、下記の主張をする集団からの圧力により、患者の自己決定権・生存権が侵害され、死を強要される可能性がある、とされます。

・日本は過剰な社会保障費・医療費を浪費しているので、社会保障費・医療費を削減すべき
・就業世代が高齢者のために、健常者が回復不可能な病人のために、過剰な医療費負担を強いられているので医療費を削減すべき
・あらゆる形態・手段の延命治療は無価値で無駄な医療であり、延命治療に対して医療費を公費負担は一切すべきではない


◇ 消極的安楽死を行った1例

 日本の法律において消極的安楽死は、刑法199条の殺人罪、刑法202条の殺人幇助罪・承諾殺人罪にはなりません。万国共通しているのは、終末期の患者には延命可能性が全くないかまたは長くても月単位なので、終末期の患者に対する延命治療は、皇族・王族・大統領・首相などの特別な社会的地位の人を例外として一般的ではなく、終末期の患者に対する消極的安楽死は広く普及しております。

 私の周囲でも、終末期の患者に対して延命治療を行わないかたちでの「消極的安楽死」は日常的でありますが、もう少し踏み込んだかたちの安楽死を経験しましたのでご報告します。いつもの通り時期、地方は明確にいたしません。

 50代前半の女性、進行胃癌で食事摂取が困難な状況であり、右の卵巣が大きく腫脹しておりました。タレントの榊原郁恵さんのような雰囲気で、とても明るく気丈な女性で、男女2人の子供とご主人がいましたが、家族の中では彼女が中心的な存在でした。
 本人に、元疾患診断と卵巣への転移(Krukenberg 腫瘍)の可能性を説明したうえで幽門側胃切除術、右付属器切除術を施行しました。病理診断で卵巣腫瘍はやはり胃癌からの転移でありました。
 術後経過は良好で10日前後で退院、外来化学療法を行いましたが、手術から半年ほど経ったところで、歩行困難を訴えるようになりました。痛みは無いのだけれど右下肢に力が入らず前に出せないと、、、。腰部Xp、MRIなどで腫瘍が腰椎に発生して神経を圧迫していることが判明、放射線治療を検討しましたが、病状の進行は早く、10日前後で両脚ともに動かなくなり完全に歩行は不可能、臥床状態となりました。いわゆる下半身不随です。その上、骨盤神経領域の感覚も麻痺しており、便意や尿意が感じられなくなっておりました。
 ご本人に病状の説明をして、設備が整った遠方の病院に通って放射線治療を行えば少しは改善する可能性があることをお話し、腰椎転移による痛みはなく、他に遠隔転移、局所再発がありませんので、生命予後としてはまだすぐにどうこう言う状態ではないことも説明しました。
 しかし、気丈な彼女は、家族に頼って遠方の病院に通うのはできないと言い、しかもオムツに排便してそれを替えてもらうのはとてもできないと言って、食事摂取を一切、拒否するようになりました。何度も説得しましたが、彼女は食事を摂りません。かろうじて末梢静脈からの点滴はさせてもらいましたが、どうしても食べないなら中心静脈栄養をしましょうと提案しましたが、それも拒否、ただただ終日、ベッドに横になるばかりで、殻に閉じこもるような、永眠までの1ヶ月でした。間違いなく死を選択した患者に対して、本人の同意が得られないと言う理由から治療を終了した1例でありました。


◇ おわりに

 上述の如く、積極的安楽死は国際的に合法化される方向にあります。そして、スイスでの安楽死を希望する渡航者が増えているとの記事、これは終末思想やニューエイジ思想との関連や、新しい死生観の始まりなのかも知れません。過去の事例のように、医師が手を下すかたちの積極的安楽死が行われたところで議論にするのではなく、多くの場合を想定した国民的な議論の場を設けて、問題に向き合う姿勢が求められる時期が来ているように思います。
 ただ、個人的には、もしも「安楽死法」が日本に制定されて、患者が希望すればそれを施行することができるようになったとしても、1つの命を絶つことに対して、医者の側にも選択権、はっきり言えば拒否権を与えて欲しいと考える次第です。

 医療系の話ではありますが、死生観にも関わる社会的事象ですのでスピリチュアルの周辺記事として登録いたします。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140821-35052666-cnn-int
http://ja.wikipedia.org/wiki/安楽死

「運気の流れ」を導く「気 ≒ オーラ」 〜 輝く「オーラ」が望むものを引き寄せると言うこと 〜

 先日、「運気の流れと成功哲学」のカテゴリーの記事で、「『運気の流れ』に影響を及ぼす因子、その割合は?」(7月25日)と題して、己の運気に影響する因子を挙げて解説、それらがどれくらいの割合で関わっているのか考えました。もちろん、列挙した因子、「自分」、「人間関係」、「環境」、「風水とその類似物」、「占術」、「その他」の割合は個人によって異なりますので、一応、3通りほど円グラフを作りましたが、まだまだ他のパターンもあるかも知れません。あるいは、自分では気付いていない別の因子の関わりがあるかも知れません。
 さてこの記事の中で、「自分」の要素として、「気 = オーラ」の認識を挙げました。私個人はこの因子をたいへん重要な位置づけと考えており、ここで再度、「運気の流れ」を導く「気 = オーラ」を考えてみたいと思います。

 最初に申し上げておきます。私の解釈が正しいかどうか分かりませんが、厳密には「気 =(イコール)オーラ」ではありません。辞書で調べても全く同じものと扱うには無理があると思います。「気」は内面の状態を指し、「オーラ」はその「気」が表面に現れた表現形式、とそんなふうに捉えております。だから、気の状態がそのままオーラに現れる、

 「気(内面の状態) ≒ オーラ(表現形式)」

と考える次第です。


◇「気」の概念

 「気」(き,KI,Qi)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つですが、同様な概念は世界中にあり、英語ではmind(マインド)、spirit(スピリッツ)、heart(ハート)など、ラテン語は spiritus(スピリトゥス)、ギリシア語 psyche(プシュケー)、pneuma(プネウマ)、ヘブライ語 ruah(ルーアハ)、そしてサンスクリット語の prana(プラーナ)が該当します。一般的には不可視であり、流動的で運動し、作用を起こすとされ、生命力や聖なるものとして捉えられます。霊的・生命的概念から、いわゆる気体である「空気」とは違う意味の、思想上の概念としての「気」であります。「気」とは、人間の深層心理、無意識あるいは意識下の心の状態と言って過言ではないと思いますが、これは無意識に作られる場合と意識的に改善あるいは悪化させることができると思います。
 宋学で、「理」が万有を支配する原理であるのに対して,万物を形成する元素を「気」と言います。「心(こころ)」という語が精神活動を行う本体的なものを指すのに対して、「気」はその「心」の状態・反応など現象的な面をいう傾向が強いとも言えます。「気は心」という言葉も、表面的な「気」のはたらきは本体としての「心」の表れであるという考え方に基づいているようです。「気」の状態を表す言葉(句)および二文字の漢字は以下の如くあります。

【気を使った言葉(句)】
気が合う ・ 気がある ・ 気がいい ・ 気が多い ・ 気が大きい ・ 気が置けない ・ 気が重い ・ 気が勝つ ・ 気が利く ・ 気が気でない ・ 気が腐る ・ 気が差す ・ 気が知れない ・ 気が進まない ・ 気が済む ・ 気がする ・ 気が急く ・ 気がそがれる ・ 気が立つ ・ 気が小さい ・ 気が散る ・ 気が尽きる ・ 気が付く ・ 気が詰まる ・ 気が遠くなる ・ 気が咎める ・ 気が無い ・ 気が長い ・ 気が抜ける ・ 気が乗る ・ 気が早い ・ 気が張る ・ 気が晴れる ・ 気が引ける ・ 気が触れる ・ 気が減る ・ 気が紛れる ・ 気が回る ・ 気が短い ・ 気が向く ・ 気が揉める ・ 気が若い ・ 気に入る ・ 気に掛かる ・ 気に掛ける ・ 気に食わない ・ 気に障る ・ 気にする ・ 気に留める ・ 気になる ・ 気に病む ・ 気の所為 ・ 気の無い ・ 気の病 ・ 気は心 ・ 気は世を蓋う ・ 気もそぞろ ・ 気を入れる ・ 気を失う ・ 気を落とす ・ 気を兼ねる ・ 気を利かせる ・ 気を砕く ・ 気を配る ・ 気を遣う ・ 気を尽くす ・ 気を付け ・ 気を付ける ・ 気を取られる ・ 気を取り直す ・ 気を抜く ・ 気を吞まれる ・ 気を吐く ・ 気を張る ・ 気を引く ・ 気を紛らす ・ 気を回す ・ 気を持たせる ・ 気を揉む ・ 気を許す ・ 気を良くする ・ 気を悪くする

【気を用いた二文字の漢字】
安気、意気、活気、元気、根気、才気、強気、本気、陽気、色気、勘気、景気、悪気、荒気、陰気、浮気、鬼気、嫌気、損気、短気、稚気、病気、弱気、乱気
気安、気鋭、気炎、気概、気楽、危局、気軽、気骨、気根、気丈、気勢、気長、気合、気位、気韻、気宇、気運、気格、気気、気功、気魂、気質、気性、気情、気色、気心、気随、気先、気前、気組、気早、気層、気立、気妻、気転、気配、気迫、気品、気稟、気風、気分、気儘、気味、気脈、気持、気力、気悪、気鬱、気負、気落、気死、気弱、気障、気絶、気短、気抜、


◇ オーラの概念

 オーラ(aura) とは、人体から発散される霊的なエネルギーのこと、転じて、ある人物や物体が発する、一種の独得な霊的な雰囲気も指します。「息」を意味するギリシア語「アウラー (aura)」に由来し、英語としてはやや文語的な表現とされます。 漢字表記では「奥拉」となります。
 これまでの「オーラ」の概念の説明には個人差があります。テッド・アンドリューズは、「人間のオーラというのは肉体を取り巻くエネルギーフィールド」で「人間をすっぽりと包み込む立体的なもの」「健康な人の場合、オーラはからだのまわりを楕円形、あるいは卵型に包んでいる」、「平均的な人で、身体のまわり2.5~3mにわたって包んでいる」と解説しています。ジェーン・ストラザーズは、オーラというのは人を取り巻く「『気』の場」だとし、人の健康、気分、エネルギーレベルを表現したものと説明しています。ウィリアム・アトキンソンは、オーラとは実在する力であり、「念体」としています。

 肉体を取り巻くエネルギーフィールド
 人を取り巻く「気」の場
 人の健康、気分、エネルギーを表現したもの

 
 この他、「オーラ」の色や、「エーテル体」、「アストラル体」と言った神智学による分類などの説明がなされておりますが、詳しくは他に譲ります。


◇ 「気」と「オーラ」の関係

 冒頭に申し上げた通り、至って単純ですが「気(内面の状態) ≒ オーラ(表現形式)」と言う構図がしっくり行くように思います。図で表すと以下の通りでしょうか。

内在する「気」と表面に現れる「オーラ」

 内在する「気」があって、それが人間の表面に現れており、「オーラ」として感じられます。当然の如く「気」が弱ければ「オーラ」も弱く、曇ります。「気」が充実(活性化)しておれば「オーラ」は強く輝きます。

気とオーラの強弱
「気」と「オーラ」の強弱(左は弱く、右は強い)


◇ 身近で「オーラ」が輝く人気者

 「オーラ」が輝く人の例えとして、真っ先に身近の何処にでもいる「人気者」を挙げます。飲み会とかである人物を囲んで輪ができる光景をよく見ます。もちろん話術がおもしろい、知識が豊富、あかるい話題など、「オーラ」とは関係ない場合は多いでしょうけれど、中には輝く「オーラ」に人々が惹き付けられるケースもあります。「この人と話しているとパワーをもらえる!」、「なんとも言えない魅力がある」、そんな人物です。特に話に魅力があるわけでもないのですが、内在する「気」の充実が「オーラ」として外に滲み出ており、それが時として人の心を動かします。逆を言えば、「気」が落ち目であり、「オーラ」が澱んだ人からはネガティブな雰囲気が感じられ、あまり人々は集まりません。


◇「オーラ」が輝く瞬間

 誰にでも内面における「気」が充実してそれが「オーラ」の輝きとして表面に出る瞬間はあると思います。元々の気質と言うよりも、あるターニングポイントであったり、大きな出来事、スタートライン、達成に伴う、「気」の盛り上がりが「オーラ」を一気に輝かす瞬間でしょう。でも、それが持続するかどうかはその人次第でありますし、大きなプラスとなる出来事があっても「オーラ」に変化が見られない人は問題があるとも言えるでしょう。

1.受験や仕事における成功

 高校でも大学でも、受験を経験する人は少なくありませんし、受験を経たほとんどの学生さんが進学します。でも、自分の成績からランクを下げての受験や、希望校には入れずいわゆる「すべり止め」に進学する場合、元々、進学することにあまり思い入れがなくなんとなく受験した場合など、人それぞれでしょう。最近は推薦入学も一般的であります。
 そんな中、非常に狭き門である難関校に努力の末、合格する学生もいます。受験勉強で努力している時から「気」が充実して、合格を引き寄せる「オーラ」に輝いていたとも言えるかと思います。そして合格!、達成感がさらに「気」を充実させて「オーラ」の輝きは頂点に達する瞬間しょう。

 受験と同様、社会人にも難題を乗り越えて成功することはしばしばあります。夢のプロジェクトを立案、企画して、多くの人から協力を得て、途中のひらめきもあるでしょう、高いモチベーションは「オーラ」を磨きます。そして成功!、同じです。達成感がさらに「気」を充実させて「オーラ」の輝きは頂点に達する瞬間です。

 成功と言う意味では、スポーツなどの勝負事での勝利、芸術作品などのクリエーティブな仕事における作品の完成、長年のの努力が報われ表彰される瞬間なども、「気」と「オーラ」は向上する瞬間だと思います。

2.結婚式の新郎新婦

 結婚式における新郎新婦は100人を超える人々が集まった集会の主役です。親戚、友人、知人から祝福されて、家庭を築く第一歩を踏み出す時、否が応でも「気」は高まり、美しい「オーラ」を身体の周囲に纏(まと)います。式が豪勢か否か?、お金をかけたかどうか?、招待客の人数、そういうのに左右されるものではないと思います。「気」と「オーラ」の状態は、パートナーへの愛情、家庭を築くことへの気概や責任感、そうしてものがどの程度であるかによるものでしょう。


◇ 石原慎太郎 氏「日本よ」より

 東京都知事から政界に戻られた石原慎太郎 氏が産經新聞に連載した随筆をまとめた「日本よ」と言う単行本があります。その中に、氏が強く感じた「オーラ」を述べた文章があり(氏は「オーラ」と言う言葉を使っておりませんが、、、)、ここに一部をご紹介いたします。

「日本よ」

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政治家の視線と面構え

 台湾の新総統の就任式に出席してさまざま感じるところがあった。何よりも強い印象を得たのは、一国を預かってきて去る人、これから預かるべく来たる人ともどもに、その顔つきが日本のそんな立場にある政治家たちと比べていかにも違うということだった。去る人も含めて、彼等が等しく厳しい「戦い」の場にあるということをその表情は明かしていた。顔つきがまったく違うのだ。
 総統府での新総統の宣誓式を終え、それによって国家の最高責任者としてのすべての責務を終えた李登輝前総統が式場から退席していく時の、あのさわやかな表情を私は忘れられない。あれはまさしく侍の顔、心ゆくまでの戦いを終えた侍の澄みきった、清明な表情だった。あの瞬間の李登輝氏の顔にたたえられていたものをある人は満足ともいい、ある人は自負ともいい、またある人は新たな決意ともいうだろう。その解釈は今回の台湾の新しい最高指導者を選ぶ選挙に関して李氏が実は何を思い何を志し、それ故に実は何を行ったのかのさまざまな憶測、解釈にも繋がるだろう。しかしなお、李前総統の外面、内面に何が輻湊(ふくそう)してあろうと、氏が志したものはすなおに、一途に、ただ「愛国」であったことは間違いない。退任を終えてその場を去り行く政治家のあれほど晴ればれした面持ちを、私はこの国において見たことがない。

季登輝写真

 中 略

 思えば私たちはこの国の過去にも、ああしたさわやかでなお鋭い視線を備え、ああして優しく懐かしいのどの顔つきの政治の指導者をもってきたはずだ。たとえば、テレビの回想番組などで時折目にする、強烈なシニシスムで多くの低劣なメディアを軽蔑無視し、宰相としての意思を強烈に通した吉田茂や、沖縄返還に一途に政治生命を懸けた佐藤栄作、安保の改訂に国運を懸けた岸信介、近くはメディアを駆使した優れたコミュニケイターとして、テレビに映しだされるサミットで国威を背負って臆面なく他に割りこんでアメリカ代表の隣で中央を占め続けた中曽根康弘といった指導者たちがいたものだった。

吉田茂写真001

佐藤栄作写真001

岸信介写真001

中曽根康弘写真001

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 石原氏が言われるところの「視線と面構え」は内面における高い志に基づく顔の現れた表現に他ならず、これは充実した「気」に裏打ちされた輝く「オーラ」と言い換えることができるかと存じます。


◇ 輝く「オーラ」が「運気の流れ」を好転する

 さて、まとめに入りまして、「『運気の流れ』に影響を及ぼす因子」としての 「気(内面の状態) ≒ オーラ(表現形式)」を考えてまいりました。ここで、断言いたしますが、「運気の流れ」が良い方向に向いているから「気」が充実して、「オーラ」が輝くのではありません。不遇を囲っても、不運に見舞われても、高い意識から鋭い目線で未来を切り開いた人物を私たちは沢山、知っております。一方で、豊かな環境、幸運に恵まれても、凡庸な「気」から淀んだ「オーラ」で衰退した人物もです。

 豊かな「運気」が「気 ≒ オーラ」を高めるのではない
 
 あくまでも、己の「気」に心を配り、その「気」を高め、「気」を充実させた時に、「オーラ」は磨かれ、「オーラ」の澱みが取り除かれ、「オーラ」が輝く、そうしたときに「引き寄せ」が起こるのであります。

 「気」の充実、「オーラ」の輝きが「引き寄せ」を起こす

 ですから、「運気の流れ」を好転させる「引き寄せ」を起こすには、なによりも自分の中の「気」を意識し、自分の「オーラ」に目を配ることです。今現在の自分の「気」はどれくらい?、「オーラ」はどの程度?、そうした意識の持ち方が「自分」の要素で「運気の流れ」をコントロールする第一歩かと存じます。

 まずは自分の「気」、「オーラ」への意識から

 「引き寄せの法則」は概念としては解りますが、それをいかに実践するかが難しいところだと思います。「気(内面の状態) ≒ オーラ(表現形式)」への配慮はその問題を解決する鍵のように思う次第です。

目を開けたまま息を引き取るということ

 以前、突然の心停止を来す一連の疾患で起こる現象であるアダムス・ストーク症候群の患者の経験をお話しました。最近になって、題名を「臨死体験/死後の世界;アダムス・ストーク症候群では起こらない?」(昨年8月14日)と変え、カテゴリーも「スピリチュアル」の範疇に変更しましたが、同記事で紹介したような致死的不整脈で命を落とされる患者は私にとっては極めて稀です。消化器外科医ですので癌の末期となり看取るケースがほとんどです。
 これまでの25年間、多い時には月に3-5件、無い時は数ヶ月も機会がないこともあり、正確な数は知りませんが、年間20件なら計500件ほど、患者を看取って参りました。多くの患者は、血圧低下、代謝性アシドーシス(血液が酸性になる)、腎不全や循環不全を伴う多臓器不全から、昏睡状態での死でありましたが、これまでの3例ほど目を開けたまま息を引きとった患者がおりました。たいへん印象的であったのでご紹介いたします。時期や地域については言及いたしません。


◇ 娘の後ろ姿を目で追った30代胃癌女性

 30代中盤の女性、離婚して母子家庭とのこと。食欲不振、嘔吐で来院し、胃カメラを行ったところ、胃の出口が閉塞を来した進行胃癌でした。腹部CTでは、腹腔動脈を巻き込んで腫大したリンパ節が、胃腫瘍と、背側では膵、後腹膜と一塊となっており、しかも大量の腹水貯留が認められました。即座に切除不能と判断しましたが、食事摂取が可能となるように、胃と腸をつなぐバイパス術を行いました。術後経過は良好で、4病日には流動食を開始し、10日目で全粥となりました。
 化学療法を提案しましたが、まずは娘と2人暮らしの自宅に帰りたいとの希望があり、退院となりましたものの、10日ほどで再入院、腹水貯留が増加しており、疼痛を伴っておりました。補液と利尿剤の増量、緩和治療を開始して、小康を得ましたが、確実に全身状態は弱っていきました。
 再入院から10日ほどしたある日曜日のお昼、10代の1人娘が来ていて、「冷たいお茶が飲みたい」、母の言葉に、自動販売機へと娘は部屋を出ました。その直後に心電図モニターがフラットとなり、回診後、たまたま、まだ病棟に残っていた私は個室のドアを開けました。娘が出て行った後をしっかりと開いた目で追いながら患者は息を引き取りました。


◇ 孫の顔を凝視しながら逝ったご老人

 珍しい十二指腸癌で手術して5年目を迎えた80代女性が末期癌状態で入院して来ました。過去のカルテを閲覧すると癌細胞が腹膜に播種した状態(原発の腸管内に留まらず拡がった状態)でしたから、5年も生存したのは幸運と言える患者でした。ずいぶんと気丈な方で、遠くからたくさんの親戚が見舞いに来て、病室はいつもにぎやかでしたが、1人だけ気になる孫がいて、まだ来れないでいると言っていました。
 そろそろ今日、明日か?、と言う状況が続いたある夜中、その、気になる孫が到着しました。20代の青年だったと思いますが、患者であるご老人は、多数のご家族に囲まれて、そのお孫さんの首に両手をかけて、じっと彼の顔を凝視していました。わずかに震える面持ちで目をカッと開いて孫の顔を観るご老人には、あの世までけっして忘れないと言う強い意志が感じられました。やがて、孫を捉える腕が力なく落ちて、息を引き取ってまらも両目は開眼したままでありました。


◇ 妻の心に「ありがとう」と唱えた男性

 60代後半の男性、スキルスと呼ばれる進行胃癌で胃全摘術後、抗癌剤を受けましたが、約1年で腹膜再発、腹水貯留が著明で、いよいよ終末期を迎えました。背中に広くTATTOOがあって、「先生〜!、ぜんぜん良くならねえよ!」とべらんめい調の言葉、ずいぶんと苦労されたのではないか?、気が強そうな顔付きの奥さんが印象的でした。
 もうそろそろかな?、と思っていたある休日の朝、病室を訪れて「どう?」って声をかけると、仰向けで腕組みした彼はこくっと頷きました。安定しているようだったのでそのまま部屋を後にしました。奥さんが椅子に座っていました。
 その約10分後、ナースコールが鳴って、駆けつけると奥さんが号泣していて、患者はご臨終でありました。「どうしたの?」と問うと、奥さんは泣きながら説明しました。奥さんはいつも通りの雑談をしていたのですが、ふと感じるものがあって、椅子に座って患者と目を合わせたそうです。全く無言であった患者が、突然、ポロっと涙を流して、その時、奥さんの心の中に「ありがとう」との言葉が飛び込んで来て、見つめ合ったまま、患者は呼吸が止まったと、、、。もちろん、私が駆けつけた時も目は開いたままでした。


◇ 事故、外傷とは異なる死線期

 目を見開いたままで死に至るのは、映画やテレビドラマなどで、事故、外傷による即死の際によく見られます。交通事故で頭部を強打した場合や、鉄砲に打たれて即死状態、首を絞められての窒息死などで、目を見開いた、本当にそういう死に方をするのかどうか?、あまり現実には見たことがないので解りません。しかし、直前まで循環動態が安定した健康体で、不測の事態から死線期に及び、目を閉じる間もなく死に至ったことは想像できます。
 病死、とりわけ癌死における死線期は、全身状態が不安定で、多くは意識消失が起こるほどに血圧が低下しています。そんな状況でも目を開けたままでその時を迎える患者は、事故、外傷と異なる死線期であり、それは、ずっと予見していた己の死が今、この時、訪れると意識した状態であります。死への意識から、最後まで現世の何か大切なものを見つめて、それが血圧の低下とともに薄れて行く、そして死出の旅立ち、そんな瞬間なのだろうと思います。

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◇ 臨死体験/死後の世界との関わり

 臨死体験において、病室のベッドで仰向けの自分の姿を見た経験などが話されております。死後の精神世界があるとの考え方から、死線期において早くも体から離れた意識が己の姿を見ているとの発想であります。私が経験した症例は、全身状態が極めて不良な、末期癌の状態でありながら、死線期においても己の肉体に留まり、現実の映像を見つめ続けた患者たちでありました。
 死後の世界があるのかどうか、本当のところは解りませんが、こうした経験から言えるのは、人の死には様々な形態があるように考える次第です。


 患者さま達には、貴重な経験をご教示いただいた感謝の気持ちとともに、ご冥福を今なおお祈りしております。

科学?/非科学? ファスティング(断食)の美容・アンチエージング・疾病における有効性を検証

 今年になって、マクロビオティック(Macrobiotic、1月2日)、糖質制限食(1月23日)、パレオ食(パレオリシック Paleolithic食,旧石器時代食、7月4日)と言った食事法を勉強しました。通称「マクロビ」は科学的根拠には乏しいものの、風水の概念を含む人の気持ちを惹き付ける内容でありました。糖質制限食とパレオ食には高い類似性が感じられ、それはいずれも人類の遺伝子に基づいた、本来の動物としての食生活のあり方にヒントを得た発想であるところです。
 今回取り上げる、ファスティング(断食)も糖質制限食やパレオ食と同じく、人間の本来の食生活を追求する部分が多分にあり、また明らかな有効性が言われております。しかも歴史が古く、宗教的行為とされた時代が長くありました。モデル、アスリートをはじめ、今多くの方に注目されているファスティング(断食)について、科学的と非科学的な両面から検証いたします。

断食の本x2
「奇跡が起こる半日断食」(甲田光雄 著、左)と「3日食べなきゃ7割治る!」(船瀬俊介 著、右)


◇ 先祖の言い伝えや子供の頃からの教え

 ファスティングについて批判的な発想として、身近なところで、ご先祖様からの言い伝えや子供の頃からの教えが大きいと思います。恐らくは万国共通、朝昼晩の食事があることは当たり前のことで、日本には「3度3度の食事」、「日本人はごはんとみそ汁!」と言う言葉がよく聞かれ、朝食を抜くことは不健康と言われていました。脳の活動には糖分を必要とするとの理由で、学生時代の朝食は学校での勉強に重要な要素とされました。

しっかり食べよう朝ご飯

 例えば、中高生あたりで、しっかり朝食を摂っている子供と朝食を摂らない子供の成績を比較した研究があり、朝食を摂っている子供の方が成績優秀との結果が言われています。多くの子供をもつ親にとって我が意を得たりの報告かも知れません。
 しかし、「しっかり朝食を摂っている子供」と「朝食を摂らない子供」の違いは朝食を摂る摂らないだけではありません。別の要素として、生活習慣の良否、生活の規則正しさがあります。朝食を摂る摂らないの比較は、睡眠をしっかりとって、健全な生活を送る子供と、夜遊び、夜更かしをしている子供との比較でもあるわけです。朝食を摂らないせいで成績が悪いとは言えない別の要素が含まれていると言う事です。


◇ 現代の医療の現場では

 現在のブームとなっているところの食事スタイルであり健康法に対して「科学?/非科学?」と接頭語を付けたのには訳があります。それは一般的な医療の現場において認知されていないという事実です。ファスティングの有効性を唱える人々は臨床や動物実験の現場において証明されたエビデンスを添えておりますが、なかなか現代の医療においては反映されていないのが現状です。
 例えば、私は消化器外科の医者として、当然のごとく多くの癌の患者さんを外来および病棟で診ています。早期癌で再発の心配がない人から、進行癌に対して再発予防の化学(放射線)療法を行う人、残念ながら癌の再発を来たし、再手術や治療目的の化学(放射線)療法を計画したり、緩和ケアを導入したりと、対象となる患者さんは非常に幅があります。
 こうした患者さんたちに対して、世の中一般に、私のような立場の医者がかける言葉は、「栄養をつけましょう!」、「食事はちゃんと摂ってくださいね」が多いと思います。なぜならば、血漿タンパクや脂質、血算の値などの血液検査から、癌患者は多くの場合が栄養状態が不良で貧血であることが多く、これに対して手術や化学(放射線)療法によるダメージが加わります。少しでも栄養価の高いものを摂って、栄養状態や貧血を改善し、免疫力を上げて欲しいと思うものです。

 「栄養をつけましょう!」、「食事はちゃんと摂ってくださいね」

 別の話ですが、糖質制限食でご紹介した京都、高雄病院(江部 康二 医師)では糖尿病の治療のための教育入院で、糖質制限食のメニューを学びその習慣を身につけます。糖質を制限して血糖を上げない食事ではありますが、朝昼晩の3食はあります。
 一方、一般的な糖尿病治療教育入院では、カロリー制限を行った3度3度のご飯やパンの主食を食べながら、経口血糖降下剤の服用やインスリンの自己注射を指導します。

 糖尿病治療教育入院でも3食は常識

 糖尿病に限らず、あらゆる入院治療において、絶食でない患者には朝昼晩の3食は常識であり、これは留学した米国の病院でも同じでした。胃が小さくなる胃切除後の食事として5回食と言うのも本邦の医療の常識であります。

 医療における絶食は、腸閉塞や術後の腸麻痺、急性胃腸炎や胆嚢炎、膵炎など、食事を摂れない状態や食事を摂ることで病態が悪化する場合に行われますが、一般的には、ある一定期間のファスティング(断食)が体に良いとして医療に取り入れられてはおりません。
 自分が医者として実践している医療が科学で、それ以外は非科学とするほどおこがましい感情は持っておりませんが、科学的に証明されたことを医療の現場で指導し実践するのが医師、医療機関の勤めである、という原則があるにはあります。

 しかしながら、現代の肥満、糖尿病、高血圧、動脈硬化、メタボリックシンドローム、アレルギー性疾患、精神疾患、悪性腫瘍の増加を観るにつけ、現代の食事体系、栄養学の考え方に修正を加えても良い様に思います。なぜなら、列挙しました病態のうち、少なくとも肥満、糖尿病、高血圧、動脈硬化、メタボリックシンドロームは高カロリーの食生活に関与するものであります。これまでの常識を打ち破り、勇気と高い意識を持って医療も変わるべき時が来ているかも知れません。


◇ ファスティングの概念・歴史

 先祖の言い伝えや子供の頃からの教え、現代の医療の現場などと、前置きが長くなってしまいましたが、まずはファスティングの概念、歴史から入ります。ファスティング fasting とはfast「断食する」のing形、つまり名詞ですので「断食」です。医療の世界で食事を止めとすることを「絶食」と言いますが、この場合も英語にするとfastingであります。ここでは、歴史的事実としての言葉は「断食」を用い、現代の話では「ファスティング」の言葉を使用いたします。

 さて、「ファスティング = 断食」とは、ある一定期間、全てのあるいは特定の食べ物を断つことであり、多くは宗教的行為として扱われ、世界の諸宗教に広く見られます。

1.ユダヤ教

 ユダヤ教では食べ物と水などの飲み物を完全に断つ断食が行われ、食べ物の匂いをかいだり、薬を飲んだり、歯を磨くことさえも禁止されています。年に6回(ヨム・キプル、ティシュアー・ベ=アーブ、ゲダリヤの断食、テベトの10日、タンムズの17日、エステルの断食)の断食が行われます。

2.キリスト教

 聖書では、モーセの神の山にいる40日間の断食、イエスの荒野での40日間の断食が記載されております。それとは別に4, 5, 7, 10の各月が断食の月とされ、贖罪の断食などの儀式として行われました。断食は耐えるものではなく、自分の不節制を認識し、他人へ施すことで神により近づくための経験と考えられていたようです。

3.イスラム教

 イスラム教ではラマダーンの月の間、日の出から日没まで断食が行われます。断食中は食べること、飲むこと、喫煙、性交が禁止されます。ラマダーンはイスラム暦の月の1つで、断食はイスラム教の信仰で最も重要な活動の1つとされます。

4.仏教

 仏教では、断食を日常的行事とはしていず、煩悩を克服、滅却するための修行として行われ、時として死をも覚悟した苦行とされたものもありました。

5.バラモン教、ヒンドゥー教

 古代インドではバラモン教において修業法の一つとして断食が行われてきました。ブッダ(釈迦)が悟りを開く前にガヤの山林に6年間こもって、断食を行っていたとされます。また、ヒンドゥー教においても断食は欠くことのできない重要な要素であります。個人個人の考えと地方の慣習に基づき、異なる種類の断食があります。エカダシ(14日間周期の月相の11日目)またはプルニマ(満月の日)のような特定の日に断食を行う、個人の信念や信仰している神によって1週間の特定の日に断食を行う、などです。

【インドの伝承医学 アーユルヴェーダに示された効果】
 各地の各宗教で、主として精神修行目的に断食が行われて来ましたが、そのうち、いろいろな病気が治ってしまうことが経験的に解ってきたようです。インドの伝承医学であるアーユルヴェーダの古典「スシュルタ・サムヒタ」では、断食は自然治癒力を活性化させる術であり、それにより健康を実現し長生きできるとして、腹水には1週間の断食を、長寿法には3日間の断食を勧めています。


◇ ファスティングの実際

 過去の宗教における断食とは別に、現代の社会で行われているファスティングは、その期間によっていくつかに分けられます。

1.半日ファスティング

 主に朝食を抜き、昼食も軽め(100 kcal程度)とするファスティングで、プチファスティングなどとも言われます。夕食後から夜間の睡眠中、起床後の昼食までの16-18時間を水分だけ摂取する方法で、これは毎日の習慣として日々行うものです。もう少し進化すると「1日1食」となりますが、これも半日ファスティングの範疇に入れて良いかと存じます。

2.1日ファスティング

 1週間に1度、何曜日と決めて1日丸々食事を摂らない方法で、半日ファスティングと同じく習慣的、規則的に行えます。1日ファスティングは毎日の半日ファスティングと異なり、非日常的な1日を作り出すのですから、散歩をするとか瞑想するとか、長い風呂に入るとか、ふだんとは異なる時間を作ることにより、何か気づかなかったことに気づくような、貴重な時間を得ることができると言われます。もちろん、何日ファスティングの日常に、計画的に1日ファスティングを入れる方法はあろうかと存じます。ファスティング明けの食事再会を「復食」と言いますが、1日だけとは言え、ファスティング後の「復食」にはお粥など、胃腸に優しい食べ物が推奨されます。

3.本格ファスティング

 多くのサイトで3日間や1週間〜数週間のファスティングが紹介されておりますが、3日以上のファスティングを「本断食」、「本格ファスティング」と言い、家庭で行うのは危険であり、医療機関や断食道場などで行われております。半日ファスティングや1日ファスティングのように日常的、日課のように行うものではありませんので、よく計画を練って、体調を観ながら実行するものです。3日くらいのファスティングを年に3、4回行うことは推奨されております。ファスティング明けの「復食」にはお粥など、胃腸に優しい食べ物が必要なことは短期間のファスティングと同じです。リバウンドでの大食は極めて危険な行為です。


◇ 内臓諸器官の休息

 さてここからは、ファスティングの有効性、各種作用についてご紹介して参ります。まずは食事を摂らないことによる胃腸や肝臓、腎臓の休息です。

 食事摂取により慢性的に消化と吸収、代謝、排泄を行っている胃腸や肝臓、腎臓はともすると疲弊してしまい、その機能低下は様々な病態を引き起こします。胃腸の障害は、消化吸収障害のみならず、先日、ご紹介した「リーキー・ガット症候群 Leaky Gut Syndrome(LGS、腸管壁浸漏症候群)」(7月7日)や、次で述べます宿便の原因となります。肝臓、腎臓の疲弊は、当然の如く慢性肝障害→脂肪肝、慢性腎機能障害へと進行します。

 摂取カロリーを減らすことのみならず、ある一定時間、内臓に負荷をかけないことによる休息が、該当臓器の再生に繋がるとの言う発想です。


◇ 宿便の排泄と有害物質の解毒作用

 ファスティングは宿便を解消し、有害物質の解毒作用もあると言われます。まずは宿便の定義からご説明いたします。

1.宿便とファスティングによる排泄

 宿便とは、便秘により排泄されないで、腸内に長く滞留している糞便のことで、滞留便(たいりゅうべん)とも呼ばれます。ただ、この定義は国語辞典の範囲内であり、実は「宿便」は医学の専門用語ではありません。「奇跡が起こる半日断食」の著者である 甲田 光雄 医学博士は、一私案と断った上で、宿便の定義を「胃腸の処理能力を超えて、負担をかけ続けた場合、腸管内に渋滞する排泄内容物を総称したもの」であるとしています。宿便の色と硬さは普通の便とそう変わらないとし、また、便秘と宿便がよく似ていることに絡めて、宿便は毎日普通に排便があったとしても残留してしまう可能性があり、腹が張って排便が無いというような便秘とは違うと説明しています。

宿便の図

 老廃物が腸管内に長時間滞留すると、牛乳が腐敗菌で腐るように、老廃物が悪玉菌で腐敗し、毒素と悪臭(排ガス)を産生し、毒素は腸管壁から吸収されて血流に入り、身体の隅々まで送られます。老廃物が腸管内を短時間で通過すれば、牛乳が乳酸菌でヨーグルトになるように人体に必須の栄養素や無臭のガス(無臭排ガス)を産生すると言われます。

【宿便が原因となり得るとされる各種病態】
 肌荒れ、吹出物、ニキビ、胃腸障害、過敏性腸症候群、アレルギー性疾患、更年期障害、生理不順、頭痛、不眠、精神疾患、悪性腫瘍、など

 ファスティングにより腸管はある一定期間の休息をもらえます。活力を蓄えた腸管は、自ら排泄する能力を高め、その結果、溜まっていた宿便を排泄できると言われています。

2.環境ホルモン(毒素)の排泄

 現代は過食の時代であり、摂取カロリーを減らすファスティングは皮下脂肪、内臓脂肪を減らすことになります。この脂肪組織には頑固に昔からの環境ホルモン(毒素)が沈着していると言われます。例えば、高度経済成長時代に全国の田畑で大量の有機塩素農薬、ベンゼンヘキサクロリド(benzene hexachloride, BHC)という劇薬の殺虫剤が使用されました。このBHCは何年も脂肪組織に蓄積される性質を持ちますが、ファスティングによって尿中に排泄されることが実験的に証明されております。現代はダイオキシンやプラスチックに含まれるビスフェノールと言った環境ホルモンが問題となっております。これらの毒素もファスティングによる宿便の解消、脂肪組織の減少により排泄され得ると考えられます。


◇ 自己融解作用

 ファスティングにより栄養の供給が遮断あるいは減少すると体細胞は栄養分となるものを体内から探して、それを融解して栄養として利用すると言うものです。その最も顕著な組織として血管壁に沈着した脂肪分が指摘されています。血液中のコレステロールや中性脂肪は元より、動脈硬化の正体である血管壁に形成されたアテローム(コレステロールの塊)も自己融解を起こすとされます。もちろん「環境ホルモン(毒素)の排泄」の項で申した通り、脂肪組織の減少も自己融解作用の一環です。

 動脈硬化における血管壁アテロームの消滅

 がん細胞は糖質しか利用できないと言われており、ファスティングおよび糖質制限食により腫瘍自体も自己融解から縮小するとの意見も散見されます。これに関しては科学的には証明されておりません。

がん治療の虚実HP図


◇ 眠っている本来の力を蘇らせる

 過食の時代を生きる我々は体内に過剰なエネルギーを溜め込んでおります。ファスティングは体内の余分な栄養を取り除き、身体に対して飢餓状態と言うストレスをかけます。これはパレオ食(パレオリシック Paleolithic食,旧石器時代食)と相通ずる考え方でありあますが、本来の人間は農耕も家畜も行わない旧石器時代の人類と同じ遺伝子であると考えられております。体内に過剰なエネルギーを溜め込んでいることは本来の姿ではなく、ファスティングで飢餓状態のストレスをかけることで眠っている本来の力を蘇らせると主張するむきがあります。


◇ ファスティングで心も生まれ変わる

 ファスティングを実践している人の言葉です。「何より実感できるのは、まず味覚の変化でしょう。普段から外食が多い方は特に、濃い味付けや化学調味料などによって、味覚が麻痺しているもの。現代に多い糖尿病や高血圧、肥満なども味覚の狂いと深く関わっていることは自明の理です。たった数日であっても固形物を摂らない期間をつくることで、味覚はリセットされ、素材そのものの味を感じることができるようになっているのです。」
 また、今まで当たり前のように食べていた食事を、数日ぶりに口にする回復食のお粥のあまりの美味しさに中には涙を流す人もいると、、、。それは美味しさに対しての感動だけではなく、食べられる有難さや感謝の気持ちも合わさってのことかも知れません。ファスティング後は、体のリセット、デトックスは勿論のこと、心の変化を実感する人も少なくないと言われております。


◇ サーチュイン遺伝子活性化による老化抑制

 ファスティングによる飢餓状態、カロリー制限によってサーチュイン遺伝子が活性化し、これによる老化抑制効果が指摘されております。これについては後日、特集を組みますのでご期待ください。


◇ 酵素水について

 今世間で話題のファスティングには「酵素水」なるものが付き物となっております。それは、主に野菜や野草のエキスを糖質による発酵抽出で完成させた専用ドリンクのことです。通常の食事は一切しないで過ごすのですが、その間はドリンクから必要最低限のカロリーやミネラル、ビタミンを補給できるため、無理がなく、そして安全に行うことが出来るとされるものです。

 ダイエットや健康、アンチエージングのためのファスティングに役立つ「酵素水」なんて言うと、その手の通販が発生するのは世の常です。

デルタ酵素水


◇ おわりに

 今回の記事ではあえて解説いたしませんでしたが、栄養学の基本として、概ね現代人の必要摂取カロリーは男性2000-2500 kcal、女性1500-2000 kcal、あるいは体重あたり35-40 kcalと考えられており、糖質、タンパク質、資質をバランス良く摂取することが指導されてきました。ファスティングは食事を摂取しない期間を作るだけではなく、当然の如く、摂取する栄養分そのものを減少させるものであります。これは現代栄養学への挑戦であり、新しい発見、啓発となるものかも知れません。

 しかし、忘れてはならないことがあります。ファスティングによって食事の機会が減ることになりますが、それによって欠乏する可能性のある栄養素があります。それはビタミンとミネラルであります。

 ビタミン、ミネラルを無視したファスティングはただの飢餓

 総カロリー(熱量)としての栄養をファスティングで制限することは大いに検討して、実生活に導入して良いと思います。ただし、ビタミン、ミネラルの不足は避けなければなりません。そのために、「酵素水」もあるでしょうが、ちょっと前、伏線として「アボガド料理」を勉強させていただきました。


真実は? 「日航ジャンボ機墜落事故」、疑問と疑惑

 先の「日航ジャンボ機墜落事故」について、今度は公に言われている疑問点、非公式に噂されている疑惑にまで言及します。

◇ 公式に発表されている事故対応への疑問

1.放射性物質の存在?のため捜査を待機

 事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されており、また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていました。これらの放射性物質が墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があるとして、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐに現場には入らず別命あるまで待機するよう命令されたとのことでした。

2.米軍ヘリから激しく遅れた自衛隊の墜落現場到着

 最初に墜落現場を発見したのは米軍ヘリであり、墜落事故直後には現場に到達して、救助活動は行わずに立ち去った模様です(後述)。もしそうだとしても、墜落現場についての情報が、在日米軍横田基地から政府、自衛隊など、日本の機関に報告されたはずです。しかしながら、消防、警察や、災害派遣要請によって出動した航空自衛隊の地上捜索隊、陸上自衛隊の各捜索隊は、正確な位置情報については誤報が繰り返され、翌13日の朝まで現場に到達することはできませんでした。墜落直後には多数の生存者がいた可能性があって、早期の救助活動が要求される局面で、なぜ、それほどまでに情報共有がなされなかったのか極めて疑問であります。

3.墜落現場の特定の遅れと二転三転の報道

 先の記事で、123便墜落現場は「8月13日04:30航空自衛隊救難隊、05:10の陸上自衛隊ヘリ、05:37の長野県警ヘリにより墜落現場の確認」と述べました。これは公式に発表されたものです。上述のごとく、早い段階(墜落の20分後、8月12日19:20頃?)で米軍ヘリが123便墜落現場に到達していたのに、自衛隊の現地確認は翌朝でした。
 123便の墜落現場は現地付近に住む住民によってかなり正確に特定されておりました。群馬県上野村の黒沢丈夫村長(当時、元海軍少佐、零戦パイロット)は、テレビ報道の映像を見て、現場が村内の「スゲノ沢」であると判断、土地勘のある消防団員に捜索隊の道案内をするよう要請したそうです。しかしながら、8月12日、夜23時頃、一番先に捜索のため到着した機動隊員32名の案内を頼まれた地元民たちに対して、道案内を頼んでおきながら機動隊員から 「その場所は違う、こっちだ」と根拠のない主張をされたそうです。墜落現場はスゲノ沢だと言うと 「いいやそこではない、中ノ沢だ、上官の命令だ」とも、、、。わざと捜索の場所を変えさせて、しかも足取りが遅い機動隊員は、ついに夜明けまで墜落現場にたどり着けませんでした。

 現地住民の誘導に対して否定する発言、足取りの遅さ

 しかも、その8月12日の夜、NHKニュースは墜落現場について二転三転する報道を行っていました。埼玉県三国山、長野県御座山、群馬県上野村小倉山、同ぶどう峠などなど、これらは御巣鷹山から8-10 kmの円のなかに入ります。前出の上野村村長、黒沢丈夫氏は、政府の墜落地点の計測ミスに怒りを隠さなかったとされます。零戦時代の知識でも特定可能なのに、現在の技術で墜落地点が特定できないはずはない、と、、、。

 NHKの墜落現場報道は御巣鷹山周囲で二転三転

 墜落現場の特定が遅れたのは「わざと遅らされていた」のではないか?、救助隊を分散させ、数時間にわたって、御巣鷹山に誰も近づけないようにする何らかの「作為」が働いたのではないか?、報道が二転三転して正確な墜落地点を示さなかったのは、現地の人が現場に行くのを阻む目的だったのではないか?、と言う事です。

4.他の生存者に関する認識の不一致

 生存者の証言によれば、墜落直後には相当数の乗客が生存していた可能性がありました。救出された当時12歳の少女の証言によると墜落した直後は周囲からがんばれという励ましや、早く助けに来ないのかなどという話し声が聞こえていたが、次第に静かになっていったと語っています。

【川上慶子さん(当時12歳)の証言】

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 墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。

川上慶子写真

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 こうした証言から、救出が早ければもっと多くの命を救えたのではないかという意見があります。しかし、事故調査報告書は、この点については事実認定をしておらず、生存者4名以外は即死もしくはそれに近い状況であったとしております。

5.十分に解明されなかった垂直尾翼破壊の原因

 123便を撮影した写真から、同機は垂直尾翼の大部分を失った状態で飛行していたことが判明しており、垂直尾翼の破壊が本事故の大きな要因であることが考えられました。しかし、事故機の垂直尾翼の破壊過程については、尾翼の回収が部分的であるため、その詳細は特定できなかったとしています。損壊した垂直尾翼について、事故から2か月以上が過ぎた1985年11月に、海上保安庁の協力を得て相模湾周辺の海底探査が行われましたが、何も発見できずに打ち切られており、垂直尾翼の大半は回収されませんでした。

日航機垂直尾翼

 事故の翌年、1986年4月25日に行われた事故調査報告書の案を検討する聴聞会では、公述人として参加した技術関係者や学識経験者から、事故原因の究明に重要な要素である垂直尾翼の破壊過程が十分に解明されていないと言う意見、尾翼の捜索も不十分であるという指摘がなされました。

6.事故調査報告書の「急減圧」に対する否定意見

 事故調査報告書では、事故原因として、圧力隔壁の損壊部分から与圧された客室内の空気が流れ出したことで、機内には相当な減圧が発生したと推定しています。事故調査委員会はこの減圧についての計算を行い、異常発生の8秒後には機内の与圧はすべて失われ、気温もマイナス40度にまで低下したことを示唆しています。

 圧力隔壁の損壊なら酸欠、気温低下が起こったはず

 しかしながら、パイロットが急減圧発生時の所定の対応をとらず、酸素マスクを使用した形跡はありませんでした。生存者は、長女の美紀子さんと共に助かった吉崎博子さんは、急減圧に関して、「子供の世話をしていてマスクが外れることもありましたが、それでも苦しいとは感じませんでした。」、また、機内の室温急低下に関しては、「私は半袖のブラウスと長めのキュロットスカートという服装でしたが、特に寒いということはありませんでした。」と証言しています。圧力隔壁の損壊は機内の状況から考えてまったく否定的であることは明白なようです。

7.不自然に速い事故原因究明の幕引き

 運輸省航空事故調査委員会は、事故発生2日後の8月14日に墜落現場に入り、本格的な調査を開始しました。調査には事故機の製造国であるアメリカから、国家運輸安全委員会 の事故調査官らが顧問として加わっております。
 123便は墜落事故の7年前の1978年6月2日に伊丹空港にてしりもち着陸事故を起こしており、その際に事故機の製造者である米国ボーイング社が修理に当った経緯がありました。今回、事故から約1月も満たない9月6日、ボーイング社による声明が出され、1978年の「しりもち事故」の際の、同社による修理が不適切なもの(修理交換した隔壁の下半分と上半分との接続強度が不足した状態、下図)であったことが今回の墜落事故の原因と発表されました。

ボーイング社の説明図

 これをもって公式な原因調査は終了しています。航空関係者や遺族などの一部からは再調査を求める声がありますが、現在に至るまで行われてはいません。ボーイング社があっさり、修理における自らの不手際を認めるのは不自然ですし、事故から1月足らずで事故原因の究明が終了するとはあまりにも速すぎる幕引きであったと考えます。


◇ 墜落後1時間半、幻に終わった米軍救出劇

 墜落事故からちょうど10年が経った1995年8月、日航ジャンボ機墜落事故当時、横田基地に駐屯、ロッキードC-130輸送機のナビゲーターをしていた元在日米軍中尉、マイケル・アントヌーチ氏が事故についての新事実を証言しました。

マイケル。アントヌーチ氏

https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg

 1985年8月12日18:25日航123便が発信した緊急救難信号を、付近を航行していたC-130輸送機が受診しました。その直後に123便の機長と管制が英語ではなく日本語で交信しているのを聞いて、C-130輸送機に搭乗していたアントヌーチ氏は、重大な事態が発生していると思ったと供述しています。確かに18:32管制より123便に対して日本語での交信を許可した記録が残されています。
 18:56管制のレーダーから123便が消滅したのを受けて、米軍横田基地司令部はC-130輸送機に対して123便の捜索に向うよう命令しました。アントヌーチ氏によると、19:15巨大な山火事を発見、墜落地点として報告したとされます。C-130輸送機は現場の上空で旋回を続けて情報収集をしていたとされます。20:30頃、横田基地より、救難ヘリが向っているとC-130輸送機に連絡が入りました。また、キャンプ座間より米陸軍のUH-1ヘリコプターが到着、現場へと誘導し、ロープを降ろし救助を開始した直後、横田基地より中止を命じられ、帰還命令、またその事実も他言しないよう上官から命令されたとのことでした。

 米軍ヘリへの救助活動中止、その事実を他言しない命令

 生存者の証言によりますと、墜落直後の現場にヘリコプターが接近したが、やがて遠ざかっていったと言います。また、報道機関としては事故現場を最も早く発見した朝日新聞社のヘリは、現場を超低空で飛行するヘリを目撃しています。マスコミ各社は「日本側がアメリカ軍の救助協力を断った」などと報道し、救難体制の不備や関係当局の姿勢に対する批判が高まりましたが、元在日米軍中尉、アントヌーチ氏が証言した救助活動中止と他言を禁止する命令は誰が何の目的で発したものかは今なお不明であります。


◇ 事故現場を訪れた最初の民間人、M氏の証言

 日航ジャンボ機墜落事故の夜、墜落現場付近の住民で山歩きに精通した若者が現場にまで訪れた人物がいました。このMさんと呼ばれる人のインタビューがネットに公開されております。全文でご紹介します。なお、この証言は、2009年6月、「(新)日本の黒い霧ブログ管理者」が講師を努めた小グループのセミナーにM氏を招いて、その席上で収録したものとされます。

事故現場を訪れた最初の民間人、M氏の証言

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司会:それではMさんよろしくお願いします。Mさんは事故当夜、現場に
   向われたそうですが、まずその経緯を教えてください。
M氏:私の実家は、事故現場から観て西側、長野県の方にあります。当時
   は大学を卒業して社会人になったばかりで、事故当日はお盆という
   こともあり、たまたま実家に帰省していました。事故の速報を知っ
   たのが、12日夕方の7時過ぎ頃だったと思います。その時は墜落現
   場は長野県の北相木村付近という報道でした。そこで、北相木村や
   もっと南に位置する川上村に住む知り合いに電話を掛けて様子を尋
   ねたところ、どちらも墜落は確認できてないとのことなので、残る
   は南相木村の山間部しかないと思い、そちらに向いました。
   たまたま高校時代の友人2名と一緒だったので、事故現場に行って
   みようということになりました。まだ、若かったですから、その時
   はただ、何としても現場に1番乗りしてやるぞ、インタビューされ
   てテレビに映ってやるぞ、ぐらいの本当に軽い気持ちしかありませ
   んでした。オフロードバイクにまたがり、友人2人と共に南相木村
   に向けて出発し、おそらく21時頃までには南相木村からの林道に入
   っていたと思います。ただし、オンロードバイクの友人は途中でこ
   の行程から抜け、林道から先を進んだのはオフロードに乗った僕達
   2人だけです。
司会:その時刻はまだ、墜落地点は判明してませんでしたよね(公式発表
   は翌朝5時以降)。そこからどこに進めばよいか、どう判断したの
   ですか?
M氏:そんなの訳ないですよ。上空で戦闘機が、それもおそらく2機がぐ
   るぐる旋回している音がしてましたから、墜落現場はその音に中心
   付近だなとすぐに分かりました。そこで、バイクが可能な限り近く
   の林道を進んで、そこから先は徒歩で山に入ることにしました。
司会:ええっ? じゃあもうその時点で墜落地点は判っていたと・・・
M氏:はい。当然、警察の分かっていたはずですよ。だって僕達が南相木
   村へ向っているその後ろから、警察の白バイもついてきましたから。
   でも、普通のバイクなので切り返しの多い山道に難渋していて、オ
   フロードに乗った僕達は簡単に振り切っちゃいましたけど。林道の
   終点から山に入ってからは、途中、山の頂きへ登る度に、ヘリの音
   がする方向を探して、墜落地点を確認しました。ヘリは同じところ
   を一晩中飛んでいたので、墜落地点は当然分かっているものと思い
   ました。
司会:すると、林道から先は、徒歩で夜の山に分け入ったのですか。危険
   だと思わなかったのですか?
M氏:あの辺の山の持ち主の息子とか知ってますし、一緒に山に入って遊
   んでましたから、どんなところかは大体分かっていました。松の木
   と岩が多い所なんですよ。もちろん、急峻で険しい所だとも知って
   ますから、この先へ進むのは中々たいへんだなと思いましたよ。と
   にかく、対ら機現場に向かってまっすぐ進むことしか考えていませ
   んから、きつい傾斜や時にはオーバーハングを超えて、山道なんか関
   係なく強引にいくつもの尾根を跨いで行きました。ですから、直線
   距離でわずか7、8キロの行程なのに、山に入ってから現場に着くま
   で6-7時間くらいかかりました。着いたのは、午前4時前後だったは
   ずです。
司会:午前4時という時刻はどうやって確認したのですか?
M氏:当時は時計を身につける習慣はなかったのですが、着いた時に山の
   尾根付近が白み始めていたので、おそらくそれぐらいの時間だと思い
   ました。
司会:そこで何を見ましたか?
M氏:既に自衛隊員が7-80人、いや100人位は来ていました。それを見て、
   自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。同時に、事故犠
   牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきりと聴こ
   えました。
司会:ええっ? その時に生きて声を出している人がいたのですか!! 
   どれくらいの人が生きていたのでしょう?
M氏:全部を数えた訳ではありませんが、声の響き方からすると少なくと
   も4-50人はいたと思います。実際に、苦しそうに声をあげている人
   を私も間近で何人か見ています。自衛隊の人たちがいる以上、自分
   たちができることは、負傷者のいる場所を教え、早く救助してもら
   うことだと思い、呻き声のするあたりを探しては、その場所を隊員
   さんに伝え、早い手当を頼んでいました。
   ただ、隊員さんの対応には不信感を覚えましたね。「へたに動かす
   と危険なので」、後から来る部隊が手当することになっている」と
   言うだけで、何もしようとしない。手にした4-50cm位の丸いバッ
   グに、地面から拾った物を黙々と入れ続けている。
司会:自衛隊員は何を拾っていたのでしょう?
M氏:まだ暗くてよく見えなかったのでそれが何かまではわかりません
   でした。ボイスレコーダーとか、何か貴重な物なんだろうと思って
   いました。私が覚えている隊員さんの装備は、バッグの他に、片手
   に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴は
   つま先の短い短靴を履いており、傾斜のきついこの山のことをよく
   調べて入っているなと思いました。
   ちょっとひどいなと思ったのは、斜面を登り、尾根の反対側に出た
   ら、向こうの谷ではヘリコプターがホバリングしているじゃないで
   すか、ヘリが来ているならさっさと救助しろよと思いましたね。
   しかも、ヘリの下では、さっき隊員さんたちが何かを入れていたバ
   ッグを10数個まとめ、ネットに入れて吊り上げていました。何度も
   吊り上げていたので、全部で70個くらいのバッグが回収されたと
   思います。
司会:現場にはどれくらい滞在したのですか?
M氏:到着してから1時間後くらいに、自衛隊の次の部隊が続々と到着し
   て来ました。また、暗視スコープを装着した最初の部隊も引き上げ
   る体制に移っていたので、もうこれで大丈夫と思い、この時に下山
   を始めました。なお、次の部隊は、山で歩きにくいブーツ姿だった
   ので、これでちゃんと歩けるのかな?と思いました、
司会:4-50人いたという、呻き声の人たちはどうなってしまったのでしょ
   う?
M氏:それは僕もずっと不思議に思っていたのですが、下山を開始する朝
   の5時過ぎ頃には、谷の呻き声がピタリと止んでいました。
司会:この事故の生存者は4人の女性でしたが、その他にも助かりそうな
   人はいませんでしたか?
M氏:僕が見た負傷者の中に、指先が1本ちぎれただけの男の人がいまし
   た。この程度なら死ぬことはないなと思い、救助活動(隊員への声
   かけ)を後回しにしたのをはっきり覚えています。あの人がどうな
   ったのか、僕にも分かりません。
司会:事故調査委員会が、当夜、墜落場所発見が困難だったと報告してい
   ます。しかし、Mさんは夜を徹して現場に到達している。この報告
   をどう思いますか?
M氏:日頃から遭難者の多い現地周辺にはCB無線による救助網が敷かれ
   てます。無線機を持った人員を担当箇所に登らせて無線を交わせ
   ば、夜間に炎上しているような目立つものなら訳なく見つけ出せる
   はず。どうしてこんなに時間がかかったのか分かりません。
司会:大型アーミーナイフは何に使われていたのでしょう。
M氏:それは見ていないので分かりません。
司会:現場で身の危険を感じたり、二人を排除するような動きはありま
   せんでしたか?
M氏:そういうことは特に感じませんでした。
司会:機体が激しく衝突し炎上した墜落現場に木立が残っているのは不
   自然だとよく指摘されるのですが、実際に見てどうでしたか?
M氏:言われてみたら、確かに変ですよね。林立している木の間に機体の
   破片や遺体(の一部)が飛散していましたから。それにあの辺りは
   針葉樹が多い山ですから、機体から火が出たらあっという間に周囲
   に燃え広がるはず。それにしゃ、あまり燃えてなかったなぁ、変だ
   なぁ。
司会:事故調査委員会が、生存者4人の発見を奇跡的だと報告しています。
   しかし、Mさんは生きている何十人もの声を聞いている。この報告
   について、改めて感想を聞かせてください。
M氏:報告は嘘だと思います。明らかにもっと多くの方の命を救うことが
   できたはずです。
司会:その他、現場で見て、何か変だと思ったことを教えてください。
M氏:山で遭難して遺体になると、狐や狸など、山の動物にひどく食い荒
   らされるのですが、現場で見た遺体には、奴らが手をつけた痕跡が
   まるでない、それは山を知る者としてたいへん不思議な事です。
司会:ありがとうございました。

 *****


 M氏の証言に見る、日航ジャンボ機墜落事故の公式に発表されている報道との矛盾点、および公にされていない事柄は以下の通りです。

1.墜落現場が不明とされた時間帯に救助隊?が到達

 M氏が事故機の墜落現場に到達したのは13日04:00頃、この時にはすでに事故機の周囲に100人程度の自衛隊員が降り立って作業をしていたと証言しています。公式には、8月13日04:30航空自衛隊救難隊、05:10の陸上自衛隊ヘリ、05:37の長野県警ヘリにより墜落現場の確認とされます。

2.事故直後の生存者についての矛盾

 生存者についての見解は公式の報道でも矛盾が指摘されております。生存者の墜落直後は多くの生存者がいたとの証言は、M氏の証言とも一致しております。事故調査報告書には生存者4名以外は即死もしくはそれに近い状況であったとしていますが、M氏はもっと具体的に「指先が1本ちぎれただけの男」について証言しております。

3.M氏が見た自衛隊員は在日米軍?

 M氏は100人にも及ぶ自衛隊員が13日午前4時には事故機墜落現場にいて、その装備は片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグルと証言していますが、軍事評論家の説明では、当時において、この装備は自衛隊よりも在日米軍に当てはまるとされます。

4.人命救助よりも何がしかの物体を回収?

 M氏の証言の中に、ホバリングしているヘリコプターに地面から拾った物体を回収していたとあります。人命よりも優先する何かがあったことになります。

 このオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人は24年間海外勤務にあって真実を語る機会はありませんでしたが、2010年5月16日、江戸東京博物館にて、その日目撃したことの証言を依頼されました。ところが、講演の2週間前、アクシデントが発生、車の後輪がバースト、あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避したとのことです。損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない、熱線銃によるものと判明しました。さらに、「123便事件の真実について、これ以上語るのを止めよ」というメッセージが彼に送られたそうです。幸いにも、かろうじて講演会当日は会場に無事駆けつけ、証言することができました。


◇ 日航ジャンボ機墜落に関する諸説

 以上の通り、日航ジャンボ機墜落事故には公式発表とはずいぶんと矛盾する、あるいは異なる事実、証言がありました。事故に先立って行われた不適切な米ボーイング社の修理、隔壁の接続部の金属疲労、などに伴う垂直尾翼の破壊によって、操縦不能となって墜落したとされる公式報道からはかけ離れた真実が別にあるような?、考えさせられます。123便墜落についての憶測をいくつか列挙いたします。

1.自衛隊による演習用ミサイル衝突説

 JAL123便が操縦不能になった原因は、飛行機の垂直尾翼が破壊されたことにあります。これを金属疲労が原因とする以外に、何らかの飛行物体が衝突したと考えるのも自然なことです。そこで、高度24000ft(7200m)の上空における飛行物体として考えられるものは飛行機かミサイルくらい(UFOも?)、そんなところかと存じます。

 実際、ボイスレコーダーなどの分析記録によると、操縦クルーや乗客の一部がその謎の飛行物体を目撃しているフシがあるとのことです。123便が羽田空港を離陸したのは18:12、水平飛行に移行した18:18過ぎであり、ベルト着用のランプは消えていたと考えられます。この時、123便の右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいてきたとのことです。18:23
再度ベルト着用の指示がでます。18:24には、スチュワーデスが、「(トイレにいき)たいという方がいらっしゃるのですが、よろしいでしょうか」とコックピットに許可を求めています。これに対する、ボイスレコーダーに残された副操縦士の返答は「気をつけて、じゃ気をつけてお願いします、手早く、気をつけてください」であり、これは声紋分析で高度な緊張状態とされます。

 18:18ベルト着用のランプが消えて18:23再点灯
 18:24 副操縦士の高度に緊張した声


 謎の飛行物体を操縦クルーが視認した18:18時点の飛行機の高度は1万1300 ft(3440 m)ですが、衝撃音とともに尾翼が破損した18:24:35時点の高度は、2万3900 ft(7170 m)とのことです。わずか6分の間に1万2600 ft(3780 m)も上昇しました。123便は右前方から飛んできた飛行物体に対して、これを避けつつ高度を上げるものの、この6分間、飛行物体に追い掛け回され、ついには背後から垂直尾翼への衝突だったと考えられます。このことから考えて、謎の飛行物体は明らかに巡航ミサイルであると言えます。標的が、どのように高度を変えても、時々刻々自ら軌道修正を行い、標的を追い詰めて標的の後ろに回ろうとします。その結果が123便の垂直尾翼破壊だったのです。

 謎の飛行物体は巡航ミサイル

 18:24:35の衝突から、18:24:42と7秒後には機長より緊急救難信号、スコーク77を発信されました。この「スコーク77」は、国際緊急無線信号であり、めったなことでは使わない信号だそうです。仮に、事故調査委員会の言うように、圧力隔壁の破損が原因で尾翼が破壊された場合、「ドーン」という爆発音が聞こえただけでは、コックピットの中では何が起こったのか解らなかったはずであり、7秒後と言う速やかは「スコーク77」発信もあり得ないことです。機長は、謎の飛行物体に6分間もつけ回されていたからこそ、「ドーン」という音が聞こえた時、その飛行物体が垂直尾翼にぶつかったと確信して「スコーク77」を発した、そう考えるのが極めて妥当です。

 ミサイルによる6分間の巡航があったからこそ
 衝突7秒後のスコーク77発信


 では、どこから飛んで来た飛行物体なのかと言うと、1985年8月12日は、相模湾で当時の新型護衛艦「まつゆき」が試運航中であったことです。護衛艦は昔のことばでいえば戦艦です。戦艦の試運航というのは、単に海上を航行するだけではなく、兵装運用実験を行うことが大切な目的だそうです。

護衛艦まつゆき

 この「まつゆき」の実験の一環で、発射されたミサイルが、たまたま相模湾上空にさしかかった123便に衝突してしまった、と言う推測がなされております。それを裏付けるものとして、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた故小川哲氏(当時41歳)と言う人物が、123便に近づいて来るオレンジ色の飛行物体をカメラに収めたとされます。下の写真は、日航機墜落事故の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ったものです。

小川哲氏の写真

 自衛隊の失態に繋がることですので、事故調査委員会はそういう事実を知ったうえで、あくまで圧力隔壁破損が垂直尾翼破壊の原因であることで通してしまい、外部からの飛行物体の存在を隠す方針としたのではないか?、と言うものです。

2.自衛隊機による撃墜説

 JAL123便の目撃情報として、「ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった。」(浦和市の住民)、「飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。」(長野県南相木村中島地区の住人3人)。これらの証言はJAL123便の後から戦闘機が追従したことを物語っています。実際、この時間帯に自衛隊のF-4EJ戦闘機2機とF-15J戦闘機1機の計3機が飛行していたことが知られています。

 123便に追従する戦闘機2機の目撃情報

 さらに、墜落事故の翌日、8月13日の埼玉新聞の見出しは「夕やみに“火の玉”」とあります。埼玉県浦和市に住む住民と長野県の川上村住民は次のように言っています。「マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。」(浦和市の住民)、「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた。」(長野県川上村の住民)。

 夕闇に「火の玉」と化した123便

 垂直尾翼が破損したくらいではジャンボ機が「火の玉」となることは考えづらく、上の証言を総合すると、何とか山中に不時着しようとしていた123便に対して、追従した戦闘機が人目につきにくい山かげに入るのを見極めてミサイルを発射したと推測されております。

3.核兵器使用の説

 JAL123便墜落の目撃情報に「ピカッと雷光のように走った閃光、黒いキノコ雲」と言うものもあります。墜落現場残留物にイエローケーキと言う物体が指摘されております。これは、核兵器に使用される軍用の濃縮ウランで、錬度が高く、レンガ色をしているそうです。墜落現場で収集した方が123便事件講演会会場に持ち込んだところ、多くの人が体調に異変を来たしたそうで、その症状から放射性物質であると判明したとされます。

イエローケーキ

 元日航職員で、日航ジャンボ機墜落事故の陰謀説を唱えたために殺害されたと噂される故 佐宗 邦皇 氏の証言では、骨が約3 cm刻みの破片になって飛び散るほどの、広島原爆の30倍以上と推定される衝撃であり、これらは小型の核爆弾使用を示唆しているとのこと、、、。決して不時着態勢に入っていた速度の航空機のものではないとされます。
 東大地震研究所の微小地震計が、墜落時刻に異常振動を観測、記録しています。第1波は18:56:26、第2波は3秒後。これら2つの波は極めて微小な物でありました。これは、123便墜落の衝撃と考えられます。しかし18:56:31から観測された第3波は、約5秒間揺れ、その後も10秒近く揺れる大きなものでありました。最初の2つの波は航空機の地面衝突によるもの、しかし、第3波は広島原爆の30倍を超える小型核爆弾の衝撃ではなかったか?、との考え方があります。

4.情け容赦無い殺害部隊存在の説

 123便の墜落現場において、生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達の存在を指摘する声もあります。123便の生存者たちは、無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた、とするものです。

焼けこげた遺体

 上の写真は子供の遺体でありますが、頭部の輪郭が崩れる程激しく燃えており、ジェット燃料が原因ならば、まとまった燃料が本人にかかり燃えた、あるいは近くで激しく燃えていたことになります。しかし、子供の遺体のすぐ周囲に生えた木立にはほとんど焦げ跡がありません。しかもこの写真を掲載した「フォーカス」の文面には「紙幣や書類が周囲に散乱していた」と記載されています。

 周囲の木立に焦げ跡がないのに黒焦げとなった遺体

 この現象がさらに強いのは、コックピット内であり、焼き尽くされ何も無い、操縦クルーの遺体はなく、ただ歯が残されているのみという状況だったと言われます。いかに激しく地面にぶつかったとはいえ、遺体の一部は残るはずですし、コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。機首前部付近では「遺体がない」という声が相次いだといいます。当時、遺体の歯形で本人確認を行った 大國 勉 氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)は、「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」、と証言しています。

 骨の芯まで二度焼きしたような状況の遺体
 まるで火炎放射器で焼いた跡のよう


 周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのは、やはり、証拠隠滅のために火炎放射器で徹底的に焼き尽くしたからと言う説を後押しします。


◇ 日航機撃墜の理由は?

 上述の、「自衛隊による演習用ミサイル衝突説」であれば偶然の事故もあり得ることですが、もっと意図的に、あの日のJAL123便を撃墜する理由があったとの説があります。ここでご紹介するのは、上で申し上げた事故の本来の姿とリンクするものではなく、あくまでもこの事故の背景にあったものを推測するものであります。ここで挙げるのは、いずれも米国に有利となるお話でありますが、上の説明では、どちらかと言うと日本の自衛隊が犯人であるかの憶測が飛び交っております。これに対する説明に明確な説明をされている人は少ない印象ですが、NHKをはじめ、メディアを巻き込んだ、日米の国家ぐるみの意志であったと説明している人が多数いることをここで申し上げます。

1.プラザ合意から急速な円高へ

 日航機墜落事故の翌月、1985年9月22日、プラザ合意、G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)により発表された、為替レート安定化に関する合意、がなされました。この歴史的な合意を機に、円ドル為替レートが250円/ドル台から1年後には一気に120円/ドル台に円が急騰しました。急激な円高を受けて、以降日本経済は輸出企業を中心に大打撃を被ることになります。そして日銀の窓口指導による、バブル創出、崩壊、金融ビッグバンによるM&A等で外資ハゲタカファンドの進出、郵政民営化、莫大な国富の喪失と続いて行きます。前出の故 佐宗 邦皇 氏は講演の中で、米国によるこのプラザ合意に従うよう日本政府への圧力がかかっており、その一環としてJAL123便の撃墜があったと言っております。

2.純国産オペレーティングシステム「トロン」完成を阻止

 墜落した日航機には、純国産コンピュータ・オペレーティングシステム「トロン」開発プロジェクトの技術者17名が搭乗しており、全員が亡くなりました。この「トロン」とは坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSで無償のオープンソースでありました。
 95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占しましたが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたとされます。それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのであり、「トロン」開発プロジェクトの技術者が死亡して、開発が遅れたことも大きく関係していると考えられます。
 もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないとされます。つまり、日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないとのことです。


◇ 雑感

 文面は、いささかオカルトのような内容となりましたが、色々と調査するにあたり、背筋が寒くなる想いがありました。もしかしたら、「大きな嘘」がかえって明るみにならない典型かも知れません。もしも、米国や日本政府がメディアをも動かして闇の力に従っているとしたならば、29年も前のこの「事件」を、どうやって今後の教訓にして行くのかは難しいかも知れません。しかしながら、罪もない人々の死を痛む強い気持ちは、真実に目を背けず、真実を知ることを恐れない、真実を探求する勇気に繋がるものと確信します。

 29年目の夏を迎え、謹んで、亡くなられた方々の冥福をお祈りし、ご遺族の方へのお悔やみの言葉を申し上げます。