アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

死刑制度をめぐる国際社会の現状

「死刑執行という未知のものに対するはてしない恐怖が、私の心を
たとえようもなく冷たくする時がある」


 元プロボクサーで、死刑囚として約48年もの間、身柄を拘束された 袴田 巌(はかまだ いわお)さん(78歳)が昭和48年、獄中から兄に宛てた手紙の一文とされます。死刑に対する言いようのない恐怖がつづられております。この、昭和41年に起きた「袴田事件」が検察および警察の捜査手法に問題があったのか、証拠が捏造されたものなのか、いわゆる冤罪であったのかは、今後の動向に注目したいと思います。なお、1949年に第二次世界大戦以前の刑事訴訟法に代わって現行の刑事訴訟法が施行されて以後、死刑判決を受けて死刑囚になったものの、再審で無罪判決を受けて釈放された事例に、免田事件、松山事件、島田事件、財田川事件がありました。
 似たような推移を取ったケースで「飯塚事件」というのがありました。平成4年に2人の女児が殺害された事件で逮捕、起訴された男性に死刑判決が下り、平成18年には刑が確定したものの、再審請求が出される動きの最中、平成20年に刑が執行されてしまいました。今なお再審の請求中であるこの事件も、実は冤罪かも知れず、しかし刑の執行と言う形で被疑者の生命は奪われてしまいました。
 こうした事例に接するにつけ、いわゆる「誤判の可能性」から死刑制度の廃止論がしばしば言われるところです。人間には間違いや「気の迷い」はつきものであり、誤認による逮捕・起訴・死刑判決・死刑執行がなされてしまう可能性があり、死刑執行後に冤罪が判明した場合には、その被害は重大であり、被害の回復は不可能とする意見であります。

 死刑制度の是非については別の機会を設けたいと存じます。ここでは、最近、発表されたものを含む、世界の死刑制度の現状をまとめてみました。


◇ エジプトにおける1度に529人もの死刑判決

 つい最近の、3月24日のロイターが伝えた記事では、エジプトの暫定政権がテロ組織として認定した、モルシ前大統領の出身母体であるイスラム組織ムスリム同胞団のメンバー529人に対して、裁判所より死刑判決が言い渡されたとのことです。2011年に始まった「エジプトの春」から2度の政権崩壊を経て、不安定な時期であるとは言え、1度に529人もの死刑判決は、「見せしめ」のような要素も推察され、もしかしたら人道的な見地からは離れた判断のように思われます。後述します、昨年の世界の死刑執行数が778件であったことから考えても常軌を逸しています。

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エジプトの記事

 [カイロ 24日 ロイター] -エジプトの裁判所は24日、殺人罪などに問われていたムスリム同胞団のメンバー529人に対し、死刑判決を言い渡した。被告側の弁護人が明らかにした。
 弁護人によると被告のうち529人に死刑、16人に無罪が言い渡された。同胞団に対する当局側の締め付けが強まっていることを示している。被告は上訴することができるという。

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 全く、投稿内容と合致しませんが、最近のエジプトの出来事を年表にしたものを見つけたので添付いたします。

エジプトのイスラムの春

【「エジプトの春」からモルシ政権崩壊まで】


◇ 中国における死刑と臓器移植

 1998年、留学しておりました米国の大学、移植外科の、あるスタッフドクター(日本で言う准教授)が、肝移植の実践、指導を依頼され、1週間の期間、北京の大学病院に招かれて行きました。中国はB型肝炎肝硬変が多く、レシピエント(移植臓器を受け取る患者)はいくらでもいるでしょうが、たった1週間の滞在で、「そんな短い期間に都合よく脳死ドナーは出るのかな?」と疑問を言っていたところ、台湾からの留学生が教えてくれました、「死刑囚の臓器を利用している」とのことです。すなわち、中国では、臓器移植のドナーと認定された死刑囚は、全身麻酔下に開胸、開腹手術が行われ、保存液の還流がなされた瞬間が死刑執行とのことです。
 日本で主に行われている生体肝移植はドナーとレシピエントの手術が平行して行われ、臓器摘出から移植までの時間が短く、臓器の保存状態が良いのですが、移植する肝臓の容量が問題となることがあります。欧米諸国で多い脳死全肝移植は肝臓の容量は十分ですが、ドナーの状態、特に循環動態が不安定であることが多く、また臓器を輸送するため臓器摘出から移植まで時間がかかり、しばしば保存状態が不良なことがあります。
 もちろん観たことはありませんが、中国において、死刑囚をドナーとした生体全肝移植がなされているとしたら、臓器摘出から移植までの時間が短く、保存状態が良好であり、かつ肝容量が十分な移植が行われているものと推察いたします。

 さて、中国における死刑執行は世界で最も多いとされ、その数は公表されておりませんが、年間4000人とも8000人超えとも言われています。その原因として、中国の刑法における死刑の適用範囲が日本と比べると非常に広範なものとなっているのが挙げられます。

【中国において死刑が適用される犯罪】
・故意の殺人による生命を侵害する犯罪
・国家機密の漏洩などスパイ行為による政治的犯罪
・故意の傷害や放火、電力設備等破壊などの悪質な暴力・破壊行為
・麻薬密輸・販売等の薬物犯罪
・賄賂授受や業務上横領などの汚職行為
・金融詐欺や通貨偽造などの経済犯罪
・人身売買
・売春や性犯罪
・文化財密輸
・武器、弾薬や毒性物質等危険物の窃盗

 似たような国として北朝鮮が挙げられます。中国同様、死刑執行の数を公表しておりませんが、公開処刑の報道はありましたし、以前、「族誅(ぞくちゅう)」を取り上げた(昨年10月27日)張 成沢氏(チャン・ソンテク)氏の死刑は120匹の猟犬による残忍な殺害であったとの噂もあります。想像したくもないことです。


◇ 最新の死刑統計から

 概して、エジプトや中国、北朝鮮のような発展途上国で死刑が多い印象があり、地球規模で文明が進化すれば死刑は減少するのではないか?、などと甘い発想を持っておりましたが、つい3日前の記事で、昨年2013年における全世界の死刑執行は22ヶ国で前年を96人上回る778人であったとの報道がありました。

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全世界死刑数の報道

 【ロンドン時事】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は27日、2013年の死刑執行に関する報告書を発表した。それによると、13年には世界22カ国で、前年を96人上回る計778人が死刑に処された。
 国別の執行数は多い順にイランが369人、イラク169人、サウジアラビア79人。主要8カ国(G8)の中で執行したのは米国(39人)と日本(8人)のみ。イランと北朝鮮、サウジとソマリアでは公開処刑が行われた。
 一方、中国政府はデータを公表しておらず、これを加えた場合の執行人数は大幅に増加する見込み。中国では「数千人」が処刑されたと見積もられている。
 アムネスティは、一部の国々が停止していた死刑執行を再開するなど「(死刑廃止運動で)幾つかの克服すべき後退があった」と指摘。ただ「執行国は少数に限られている」とし、廃止に向けて国際的な連帯を強める必要性を訴えた。 

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2013年国別死刑執行数
2013年 死刑執行国(非公開の中国、北朝鮮以外)

 中国、北朝鮮を除くと、上位3ヶ国がイラン、イラク、サウジアラビアのイスラム圏でありますが、それに続くのが米国で、日本も8番目とのことでした。過去5年間に毎年死刑を執行した国はわずか9ヶ国、バングラデシュ、中国、イラン、イラク、北朝鮮、サウジ アラビア、スーダン、米国、イエメンだけ、とのことでした。


◇ 死刑制度に対する各国の姿勢

 下図の如く、世界各国の死刑制度に対する姿勢、立場はかなり明確であります。世界の197ヶ国で、「あらゆる犯罪に対する死刑を廃止」(96ヶ国、48.7%)、戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止(9ヶ国、4.6%)、法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない死刑執行モラトリアム国。もしくは、死刑を執行しないという公約をしている(34ヶ国、17.3%)、過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国(58ヶ国、29.4%)と、日本や米国のように死刑を執行している国は三割にも満たないことが解ります。

世界の死刑実施状況
死刑制度の世界地図


◇ 死刑制度についての私見

 テレビのディベート番組などで死刑制度の是非を議論したものを何度か観たことがありますが、全くの平行線であり、意見は噛み合わず、落としどころの無い、下手すると不毛な会話とも思えることがあります。死刑執行が多ければ、発展途上の慈悲の心が無い国、モラルに欠けた国民とは言えません。同様に、死刑を認めない国は人道的に優れた国、優れた国民性、そんな簡単には分けられないと思います。

 死刑執行件数で国民性は計れない

 冒頭で触れました、冤罪における死刑判決とその執行は、絶対にあってはならないものであります。確固たる証拠があって100%罪が明らかな場合にのみ死刑判決は有効とするべきだと思います。また、現代の病める社会、ストーカー事件の増加やネットを介した闇の世界の拡大は、猟奇的犯罪、凶悪事件の増加を予見させますが、一方で、防犯カメラの設置拡大やDNA鑑定の進歩、犯罪心理学の研究など、罪が拡大する前の早期に犯罪者を的確に逮捕、起訴することは、死刑に値する犯罪を減少させ得るものであります。これは死刑の是非を問う以前の解決策でしょう。
 過去の凶悪犯罪において、殺された被害者の痛み、遺族の苦しみを観るにつけ、尊い命を奪った罪に対して死をもって償うべきとする考え方は、正にもっともなこと、現在の日本の立場であり、否定できないものであります。しかしながら、犯罪者に死刑の判決を行いそれを執行することは、これも1つの殺人であり、幸せに暮らしている罪なき人を殺すことは許されない犯罪ですが、それに対する罰として司法の側から、同じように人命を絶つことが正統かどうかは議論の余地があると思います。人命に「尊さ」があるとして、普通の生活をする人間と犯罪を犯してしまった人間とで、その「尊さ」に差があるかどうかはスピリチュアルな問題でもあります。
 例えば、「附属池田小事件」の 宅間 守 死刑囚のように、たまに見かける「死刑になりたかった」と言う理由で無差別に殺人を行った犯人に、希望通りに死刑を執行するよりも、厳密な無期懲役、例えば「懲役200年」を課して労働を義務付けるのも一案だと思います。更正のための刑務所生活ではなく、犯した罪を残された天寿をまっとうするまで「労働」で償う発想です。

 死刑よりも大きく償う方法

 もう一つ、極端な意見を言わせてもらえば、己の命を断つ権利は人間が個人に与えられたものかも知れません。死刑に値する罪を犯した人間に対して、死刑ではなく無期懲役刑を言い渡し、自ら命を断つ道も与える、昔の腹切のような苦痛を伴う方法ではなく、自殺を容認するのも一つの道だと思います。自殺であれば、司法の側も原告側、検察側も、殺人者にはなりません。自殺を選択した犯罪者に対して、ある一定の人間の命に対する尊厳は保たれます。もちろん、自らの命を断つことができないのであれば、上述の如く、残された天寿をまっとうするまで「労働」で償うことになります。

 自殺と無期懲役を選択させる極端な案

 死刑制度の是非については簡単には結論がでないところであります。国家によって考え方が違うのは、宗教、民族の考え方の違いでもあり、ここにも死生観や生命についての考え方があろうかと存じます。また機会があれば勉強したいと存じます。今回は世界における死刑の現状、日本の立場、位置づけをまとめてみました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140329-00000109-san-soci
http://ja.wikipedia.org/wiki/飯塚事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/免田事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/松山事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/島田事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/財田川事件
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/04/html/d19932.html
http://jacklog.doorblog.jp/archives/35676190.html
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パワーストーン 覚え書き 五十音順 一覧

 つまらないことで思わぬ言いがかりを付けられ不快に思っていたところ、「悪い気を遠ざけて、心を浄化できますよ!」と水晶の腕輪をもらいました。左腕に付けて瞑想したり感謝の気持ちを念じたりすると不思議と心が落ち着きます。

水晶腕輪

 パワーストーン、全く科学的根拠のないお守りのようなものだと思っていましたが、古代から現代に至るまで、多くの人が「ただの石」に願いを込め、胸を熱くし、そして感謝したのだろうと想像します。それも一つのスピリチュアルと思い、覚え書きとしてまとめ参ります。尚、こうしたものは、新しい情報を入手しては更新するものと心得ますので、少しずつ中味のあるものに、楽しく、進化させていきたいと思います。具体的には、10数カ所にも及ぶ更新、変更点があった場合には、再投稿としてブログのトップに更新掲載しようと思います。


◇ 主なパワーストーン 一覧

 世の中にどのようなものがあるのかは、通販ショップのページへ行けば簡単に知る事ができましたし、商売のためでしょうが、各ストーンについて、効果や使い方、浄化法から原産地まで、多くの解説を観ることができます。とりあえず、以下に一覧を作りました。これに沿って、各石の情報をまとめて参ります。

パワーストーン一覧

ルーズベルト大統領の死去に伴い終戦前最後の総理大臣 鈴木貫太郎 氏が世界に発信した哀悼の意

 今年になって、靖国参拝や従軍慰安婦を勉強して、終戦直前のある出来事を知り心が動かされました。「そんなことも知らなかったのか?」と笑われるかも知れませんが、(勇気を出して)ご報告します。
 太平洋戦争が終戦を迎える1945年、米国のフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は4月12日の昼食後、脳卒中で倒れて他界しました。これに対して、その僅か5日前の4月7日に大日本帝国の総理大臣に就任したばかりの鈴木貫太郎氏が哀悼の意を世界に発信した、と言う出来事です。平時では、国際社会において、他国の指導者の死を悼む声明は普通のことでありますが、当時は大きな戦争における敵味方の関係、日本は配色濃厚で、広島、長崎の原子爆弾投下以前とは言え、1945年の3月10日の東京大空襲は死者10万人にも及ぶものでありました。我が国に甚大な被害を及ぼしている敵国の大統領の死去に対する声明に少なからず胸を熱く致しました。人の死に接した日本人の感じ方にスピリチュアル記事として投稿いたします。

東京大空襲
大空襲後の東京


◇ フランクリン・ルーズベルト大統領

 詳しくは別の機会に譲るとして、ごく表面的な大統領としてのルーズベルト氏を振り返ってみます。彼が大統領に就任したのは世界恐慌のまっただ中でありました。なお、ノーベル平和賞をとったセオドア・ルーズベルト氏は従兄(12親等)に当たります。

 1933年 第32代大統領に就任、直後よりニューディール政策を展開
 1936年 大統領再選
 1937年 (日中戦争勃発)、日独に対して侵略国家として非難声明
 1939年 日米通商航海破棄、(第二次大戦勃発)、中立宣言、マンハッタン計画
      ※マンハッタン計画:原子爆弾の開発計画
 1940年 (日独伊三国同盟)、大統領3選
 1941年 日米交渉開始、対日石油輸出禁止、太平洋戦争開戦
      ※日本海軍のハワイの奇襲を大統領は知っていてあえて攻撃させ、
       「リメンバー、パールハーバー」の言葉で世論を誘導し、
       空母だけは保護したとの説が有力
 1942年 ミッドウェイ開戦
 1943年 (イタリア無条件降伏)
 1944年 大統領4選(米大統領では唯一)、11月より東京大空襲開始
 1945年 2月4日ヤルタ会談、4月12日急死

ルーズベルト
フランクリン・ルーズベルト大統領


◇ 鈴木貫太郎総理の哀悼の声明

 我が国を、ある意味、戦争に導き、多くの日本国民の命を奪い、さらに多大な人命を奪った原子爆弾の計画を進めたルーズベルト大統領の死に接し、我が国の終戦前最後の総理大臣である鈴木貫太郎氏は、同盟通信社の短波放送により以下の談話を世界に発信しました。なお、鈴木貫太郎氏は非国会議員、江戸時代生まれという2つの点で総理大臣を務めた最後の人物であり、また満77歳2ヶ月での就任は2011年現在、日本の総理大臣の就任年齢では最高齢の記録であります。

 「今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います」

鈴木貫太郎
鈴木貫太郎氏 海軍時代と総理就任時

◇ ヒトラーとトーマス・マンの反応

 この頃、日本と同様に配色濃厚で、ルーズベルト大統領の死去18日後の4月30日に自殺したナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは、国内向けのラジオ放送でルーズベルトを口汚く罵ったとされます。これに対して、アメリカに亡命していたドイツ人作家トーマス・マンは鈴木貫太郎氏のルーズベルト大統領死去に対する哀悼声明に深く感動し、英国BBCで以下の如く声明を発表、鈴木貫太郎総理の武士道精神を称賛し、総理の言葉は戦時下の世界に感銘を与えたとされます。

 「ドイツ国民の皆さん、東洋の国日本にはなお騎士道精神があり、人間の死への深い敬意と品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな精神に比べ、あなたたちドイツ人は恥ずかしくないですか」


◇ 鈴木貫太郎総理の哀悼声明の意味

 歴史上、最大級の犯罪者であるヒトラーの反応であろうとも、当時の世界において、ルーズベルト大統領の死を喜ぶ発言はあり得ることだったと思います。当時の日本においても、敵対する米国のリーダーが急死して戦局が好転するかも知れないと考えた人はいたでしょう。
 しかし、鈴木貫太郎総理の、敵国である米国のルーズベルト大統領の死に対する哀悼の表明には、今の時代においても、日本人の多くが共感できると思います。たとえ敵であろうとも、自国のために尽くした人間に対する高い尊敬の意と、その人物の死に触れて、その国の国民の感情を思いやる気持ち、日本人ならではとまでは申しませんが、我々日本人の精神に通ずる情感を感じます。
 日本人は高い志と高貴な死生観を持つ民族である、と思える一つのエピソードと考えます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フランクリン・ルーズベルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木貫太郎#cite_note-17
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京大空襲

22年ぶりのある会話

 さて私事、ゲートウェイ・エクスペリエンスのCDを用いたヘミシンクの瞑想を始めたのが昨年の3月6日、もちろん、まだアセンションは起こっておりませんし、あんまり進歩はありませんが、現在も継続しております。当ブログを開設したのも昨年3月の21日、こちらも細々と続けており、ここまで123件ですので、最近はスローペースですが、3日に1件のペースで来ております。3月がにわかに特別な月となりました。

 にわかに特別な月となった3月

 なによりも、3年前の今日、この日、2011年(平成23年)3月11日は東日本大震災がありました。死者、行方不明者が2 万人を超え、日本中が強い衝撃と悲しみに襲われ、今なお傷跡が残っております。
 実は、ふたたび私事ですが、一昨年の3月、私の父が他界しました。近々、三回忌の法要を予定しております。今日、震災から3年目のこの日、我が身に起こった小さなスピリチュアルな出来事をご報告いたします。

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「22年ぶりのある会話」

 父が他界したのは一昨年の3月2日の夜でした。享年80歳でありました。父は昭和30年卒の精神科医でありました。若い頃に事故に遭い足が不自由であったため、難聴になりながらも作曲家として名を残したベートーヴェンに共感、楽曲をこよなく愛しておりました。
 父の病気は十二指腸乳頭部癌でした。平成18年には胆嚢癌を発病し、私が執刀、根治手術を行いましたが、こちらはそれほど進行したものではなく無再発で経過したものの、皮肉なことに胆嚢摘出と併せて行った肝外胆管切除術(胆道変更術)が乳頭部癌の発見を遅らせることとなりました。乳頭部癌は胆管が十二指腸に開口する部位に発生する癌なため多くの場合は黄疸や肝機能障害で発症しますが、胆道変更術後であれば進行するまで発見が遅れることは後になってから納得するものでありました。それにしても、己の父親が胆嚢癌の後に十二指腸乳頭部癌に罹患するとは、大学で肝胆膵外科を専門とした私に対する何かの挑戦のような感覚を持たせる出来事でした。

 実は、私の家族には過去にも大きな不幸がありました。平成2年、3歳年下の妹を自動車事故で亡くしました。私の医師免許証が大学の医局に届いた5月16日の2週間後、5月30日の夜中に訃報を聞き、翌朝、妹が大学に通っていた神奈川県の厚木に飛びました。実家で一連の葬儀が終わって落ち着いたところで父が不意に言いました。「僕の葬儀は音楽葬にしてもらい、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』の第2楽章をメインでかけてほしいな」と。「英雄」の第2楽章はしばしばドラマの死のシーンで使われる一般の耳に馴染んでいる曲ですが、暗く絶望的で、いかにもナポレオンが囚われとなり失意のまま死ぬ情景が想起されるものであります。これに対して私は「ベートーヴェンなら交響曲第7番第2楽章の方が、同じ死者を送る曲でも暖かい音色が随所にあって、第3の第2楽章よりも愛情を感じますよ」と申し上げました、そのとき父は「そうか」と言ったのみで会話はそれっきりでありました。

 話しを戻して、一昨年の年が明け、腹水貯留と浮腫で入退院を繰り返す父を見て、いよいよ最期の時を予感し、元々の希望から、経を読んで焼香する宗教葬ではなく、音楽を流して献花する音楽葬をイメージしておりました。父の容態が急変したのは2月29日のことで翌3月1日には両眼が上転したほとんど昏睡状態に陥りました。いよいよ厳しいことを告げたところ、母が父の遺体を運び込む部屋の掃除をしたいと言い出し一緒に実家に行きました。そこで、ポータブルCDプレーヤーと数多くのクラッシックCDを見つけ、22年前、妹が亡くなった直後にかわした会話を想い出し、今こそ葬儀で流す曲を決める時とひらめきました。
 CDプレーヤーを持って病室に戻った私は、父に向かって「以前の会話を憶えていますか?」と問い、ヘッドホンでベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」第2楽章と交響曲第7番第2楽章を相次いで聴かせました。葬儀などと余計なことは申さずに「第3の第2楽章と第7の第2楽章、どちらが良いですか?、第3ですか?、第7ですか?」と問いかけました。その時、第3 と訊いた際に首を横に振り、第7では?と訊いたらはっきり首を縦にしました。二度ほど繰り返し確認し「それでは、僕が勧めた第7の第2楽章にしますね」と申し上げた、それが父とかわした最後の会話となりました。

 仕事柄、多くの癌患者に接し、多くの死に遭遇いたします。本人、家族ともに納得する死などなかなか無いものですが、父の葬儀に流す曲を、「22年ぶりのある会話」をもって、死の直前、本人に確認できた、この小さな出来事に僅かばかりの救いを感じました。

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【ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 第2楽章】

 1804年の作品、フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲されました。しかし、完成後まもなくナポレオンが皇帝に即位し、その知らせに激怒したベートーヴェンはナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話が知られています。第2楽章は葬送行進曲、ナポレオンが捕われの身となって処刑された情景を思い浮かべる曲です。You Tubeより演奏を貼付けました。クリックいただけば楽曲が聴けます↓。

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 第2楽章

【ベートーヴェン 交響曲第7番 第2楽章】

1811年から1812年にかけて作曲され、初演は、1813年12月8日、ウィーンにてベートーヴェン自身の指揮で行われました。ベートーヴェンの交響曲中では最もリズミカルな作品で、「精神病」、「酔っぱらい」などとも評されました。その中にあって、初演にてアンコールを求められた第2楽章は、 極めて評価が高く、シューマンはこの主題を基に変奏曲を遺し、ワーグナーはこの楽章をさして「不滅のアレグレット」と呼んでおります。同じくYou Tubeより演奏を貼付けました。クリックいただけば楽曲が聴けます↓。

ベートーヴェン 交響曲第7番 第2楽章

 なお、ベートーヴェンが全聾(ぜんろう)となったのは1810年、40歳頃とされており、少なくとも交響曲第7番を作曲していた1811年当時には完全に耳が聞こえなかったと思われますね(笑)。


 もう一つ、本日、レスリングの吉田沙保里さんのお父さんが急逝されました。謹んで、心からお悔やみを申し上げます。

自分の幸せに気付いていない日本人が多い?

 最近、世間を騒がせた、あるいは騒がせている、事件から、、、。千葉県柏市の通り魔事件犯人は24歳、「社会に報復したかった」とコメントしたそうで、だからと言って人の命を奪って良いわけはなく、最近では秋葉原でもありました、時々ある無差別殺人事件であります。
 一方、歴史的な事件となりそうなのが、「アンネの日記」の関連書物が破られる事件です。東京都杉並区と中野区では、これまでに少なくとも167冊の本のページが破られ、その大半は「アンネの日記」とされます。被害はこの2区に留まらず、本年1月から都内の31の図書館で、少なくとも265冊の「アンネの日記」関連の本が破られていと報道されております。こちらの犯人はまだ捕まっておりません。もしかしたら日本人ではないのかも知れませんが、イスラエルをはじめ世界から注目されつつあり、早期の解決を望むものであります。

柏通り魔と破られたアンネ
柏通り魔殺人事件犯人と破られた「アンネの日記」

 間違いなく幸せを感じていない人の行為

 「通り魔」と特定の書籍に対する猟奇的損壊行為、特になんの関連もないのですが、最近の話題となったどちらの犯人も、「幸せではない」と断言できると思います。少なくとも自分が幸せであることに気付いている人が、こうした事件を起こすはずはありません。


◇ 世界幸福度報告書で日本は43位

 そんな折、国連による「世界幸福度報告書 2013」の存在を知りました。2011年7月に国連で決議され、国連加盟国に幸福度の調査を行い、結果を公共政策に活かすことを呼びかけたものとのことです。2012年4月にブータン首相が議長になっての国連ハイレベル会合が実現し、最初の世界幸福度報告書(World Happiness Report)が発表されました。2013年からは毎年3月20日が国連が定めた国際幸福デー(International Day of Happiness)となり、2013年3月20日には、全世界でハッピーデーが祝われました。日本ではHAPPY DAY TOKYO 2013が開催され1万人が東京都の日比谷公園に集まり、2014年も開催が予定されています。昨年9月9日には、世界幸福度報告書2013が発表されております。

WORLD HAPPINESS REPORT 2013

【世界幸福度報告書ランキング上位45位】
幸福度ランキング

 GDP世界1位のアメリカ合衆国は幸福度ランキング17位、GDP 3位の日本は43位であり、GDP 2位の中国は93位だそうです。2012年に経済危機が発生したスペインが39位と低迷してはおりますが、必ずしもGDPが高い国が幸福度が高い結果になっておりません。トップのデンマークをはじめ、北欧諸国が上位に目立ち、スペイン、チェコ、イタリア以外のヨーロッパ諸国、オーストラリア、豊かなアラブ諸国と南北アメリカ大陸の各国が続いておりますでしょうか? 東アジアでは、30位のシンガポール、36位がタイ、41〜43位が大韓民国、台湾、日本の順であります。

 もちろん国家、民族、あるいは宗教によって、「幸せ」についての考え方、感じ方が異なるため、こうした統計は国民感情を繁栄させることはあっても、国家の豊かさや力とは同義ではありません。物質的に豊かで、治安が良く、東京オリンピック招致活動で大きな売りとした部分がある日本が43位と下位にランキングされているのは、日本国の問題ではなく、日本国民の感じ方の現れであります。


◇ 「幸せ」の定義に照らしてみると

 日本国民の感じ方を考えるため、「幸せ」の定義をいろいろ観てみましたが、最も文章が短いニコニコ大百科を引用します。ウィキペディアをはじめ、他にもの定義があります。

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ニコニコ大百科タイトル

幸せ(しあわせ)とは、現状に満足しもうこれ以上の上を目指さなくなることである。

概要
「幸せ」の定義とは、お金持ちになることではない。
「幸せ」の定義とは、可愛い彼女や彼氏を持つことではない。
「幸せ」に定義とは、ご馳走や美味しい物をたらふく食べることではない。

 幸せの定義とは、現状に満足しもうこれ以上の上を目指さなくなることである。つまり、別にお金持ちならなくても、彼女や彼氏がいなくても、高価で美味しい物なんか食べなくても、幸せだと感じている事がいるということ。言い換ればお金持ちになっても、彼氏や彼女がいても、高価で美味しいものが食べれても、現状に満足できてない状態は不幸と表現されていること。
 つまり幸せだと思うのも、不幸だと感じるのも周囲ではなく「自分の気の持ちよう」ということである。「自分は不幸だ」と思い込む前に、「自分がどうすれば自分は満足しこれ以上の上を目指さなくなるか」を考えよう。

 あなたにとって何をすれば現状に満足し上を目指さなくなりますか?その現状に満足し上を目指さなくなった状態が「あなたの幸せの定義」です。

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 「幸せ」の定義は、「現状に満足しもうこれ以上の上を目指さなくなること」とのことです。ウィキペディアでは冒頭に「心が満ち足りていること」と記載されておりました。もしかしたら、日本人は、「向上心」、「ハングリー精神」や「貪欲」と言ったものに価値を見いだす傾向がありますから、「上を目指さない」、「満ち足りた」と言う感情には抵抗があるのかも知れません。

 でも、自分が幸せであると思えないことは、悲しいこと、あまり良いことではないと思います。本当にはある自分の幸せに気付かないで、不幸ばかりを感じている日本人(自分も含めて)が多い、閉塞感が漂う社会、そんな昨今のように感じます。


http://www.huffingtonpost.jp/kenji-sekine/post_6096_b_4237432.html
http://dic.nicovideo.jp/a/幸せ
http://ja.wikipedia.org/wiki/幸福

浅田真央選手の足を引っ張ったスケート連盟?

 薄々は感じられているかも知れませんが、私はフィギュアスケートにたいへん興味があって、家族グルミで毎冬観ております。この冬もトリプルアクセルについて触れて、浅田真央選手についての記事も掲載しました。もう最後、しばらくは離れようと思いますが、大変、残念な記事を見つけてしまいご報告します。

 日本スケート連盟がソチオリンピックにおいて浅田選手の調整に最善を尽くせなかった、という話をすこし誇張したような記事です。先に結論を申しますと、アスリートは長年のトレーニングを重ねて来て、最後の調整はそれほど大きな要素ではないように思えますが、浅田選手、彼女は前回のオリンピックで敗れたキム・ヨナとの対決を控えた若干23歳、精神的部分を考慮しても、日本選手団として最善の環境を提供してあげてもよかったと思います。以下の記事です。スケート連盟、改善できるところがあれば改善を望みますね。

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浅田真央を“最悪のリンク”で調整させたスケート連盟の失態

 自己ベストをマークした舞いに、「これが自分がやろうと思っていたこと」と、演技終了直後に頬を濡らした浅田真央(23)。敗れてなお、多くのファンの記憶に残る伝説を作った。その陰で、ソチへの最終調整の場に関して、浅田側とスケート連盟は揉めに揉めていた。

 「真央には、精神的にもっとも落ち着ける場所で最終調整をさせてあげたい」と、佐藤信夫コーチ(72)は、スケート連盟幹部に(練習拠点の)中京大リンクで調整したい思いを伝えたという。だが連盟は、ソチへ移動が数時間でできる隣国アルメニアのリンクを確保していた。

 そこで、浅田側と連盟の“対立”の間に、第三案として浮上したのが、浅田の振付を担当するタラソワコーチ(67)の口添えで、ロシア代表のソトニコワ(17)、リプニツカヤ(15)らと一緒にモスクワの「ロシア・ナショナル・トレーニングセンター」で最終調整をおこなうという案だった。

 しかし、この案にも連盟は首を縦に振らなかった。 結局、浅田は連盟に押し切られる形で、渋々アルメニアに向かった。

 「この決断が最悪だった。アルメニアのリンクの氷には砂が混ざっているうえにガタガタ。急遽、刃を研ぎ直す必要に迫られた。しかも空調設備が悪く、非常に寒かった。浅田は最終調整どころか、調子を狂わせてソチ入りした」(スポーツ紙記者)

 連盟による“妨害”はこれだけではない。現地の報道関係者を取材すればするほど、それは次から次へと噴出するのだ。

 「連盟幹部たちは、我々に対しても高圧的。取材させてやっているんだという態度で、少しでも気に食わないことがあれば、『何を書いているんだ』と取材パスを取り上げられた記者も過去にいたほど」(民放関係者)

 それは選手に対しても同様で、今回の男子代表選手にも勇気づける立場にあるはずなのに、心ない言葉を浴びせ、逆に追い込むようなことをしていたという。

 「女子選手に直接言わないにしても、そのコーチや関係者などに失礼なことを言うのは日常的。選手をサポートする立場なのに、彼らはそれをせずに何をやっているかといえば、選手村で頻繁に酒盛り。チーム・ジャパンとして機能しているはずがない」(スポーツライター)

 今回、連盟幹部は十数名ソチ入りしているが、はっきりいって遊びに来ているのと同じ、とスポーツライターは続ける。

 「彼らの遠征費は、浅田らの広告料から多くが出ているが、そのお金で我が世の春を謳歌しているにほかならない。見かねた男子選手やその周辺からは『連盟の誰も信用できない』と、我々に相談をもちかけてきたこともあった」

 五輪前、男女で複数のメダルを目標に掲げながら、選手をサポートできない連盟は猛省どころではすまされない。

(週刊『FLASH』3 月11日号)

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