アセンションへの道程 〜ある外科医のスピリチュアル〜

アセンションを目指したある1外科勤務医のスピリチュアルおよびその周辺事項への探求をご紹介します

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我が意を得たり!:「希望の党」の中身がカラッポすぎて、笑いが止まらない



 世の中では衆議院が解散され、与野党は10月22日投開票の衆院選に向け一斉に走りだしております。選挙に向けて 小池百合子 東京都知事を代表とする新党「希望の党」が発足し、その前に、蓮舫 氏 辞任を受けて代表選を行った民進党、前原 誠司 代表ができたばかりの希望の党へ合流を宣言しました。当ブログではあまり政治的な話題には触れないで来ました。関心がない、知識がない、と言う率直な気持ちに加えて、報道されることと実際とのギャップが激しいため、何を信じたら良いのか解らないのが本当のところです。しかし、今回の一連の騒動には激しく首を傾げたくなる違和感と、所詮は選挙に勝つためのなりふり構わぬ「政治屋」の生き様、それならいつものことと諦めに近い心境になります。そんな折、我が意を得たりと言う文章に出会いましたのでここに記録しておきます。現代ビジネスの記事であります。

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現代ビジネス記事

長谷川幸洋 氏
9/29(金) 9:00配信 現代ビジネス


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「希望の党」の中身がカラッポすぎて、笑いが止まらない

これぞ政界お笑い劇場

 小池百合子東京都知事が新党「希望の党」を立ち上げたと思ったら、民進党は事実上の解党を決め、両党は合流に動き出した。さらに小池氏は都知事を辞任して、総選挙への立候補を模索している、と報じられた。これをどうみるか。

 驚き、呆れたのを通り越して、私はしばらく笑いが止まらなかった。本当だ(笑)。まさに「政界お笑い劇場」ではないか。政治家たちがこれほど我を忘れて、右往左往するのを見るのは、実に久しぶりだ。しかも、当の本人たちは大真面目である。だから芸人の下手なギャグより余計、面白い。希望の党の会見では、小池氏とおぼしき人物がドラマのオープニングさながらに、ヒールの足音を響かせながら逆光の光に向かって歩いて行く動画まで紹介された。何度見ても、笑えてくる(笑)。何がおかしいかと言って、ネタがありすぎて困るのだが、順番に書いていこう。


 「希望の党」の動画

 最初に言いたいのは、そんな野党勢力のドタバタを促したのは、国民の声であるという点である。安倍晋三首相が解散を決めたら突然、野党勢力が流動化し始めた。それは「このままでは、自分たちの当選が危うい」と気が付いたからだ。国民が実際に投票する前に、民進党は国民の声におののいて、解党せざるを得なくなった。自分たちの主張がいかに国民の支持を得ていないか、自ら認めた格好だ。主権者たる国民が政治を動かしたのである。これこそ「解散の大義」を如実に証明している。
 前原誠司代表はじめ民進党議員たちは、つい先日まで「大義なき解散」とか「モリカケ疑惑隠しだ」などと批判していた。それなら絶好のチャンスなのだから、安倍晋三政権打倒を掲げて真正面から挑めばいいのに、なんと戦う前から自分の党を壊してしまった。

 しかも、合流する相手は憲法改正と安全保障関連法の堅持を掲げている希望の党だ。おいおい、それは民進党がもっとも反対していた政策ではなかったのか。いったい、どういうことなのか。前原代表の選択は「もう民進党などどうなってもいい、政策もどうでもいい。とにかく自分の議席を守るためなら、みなさん、どうぞお好きなように」という話にほかならない。代表選で強調していた「最低条件でも党の一致団結」などどこへやら、である。


 民進党代表選挙 出馬表明の前原氏のあいさつ

 民進党のみなさんには、こういう代表を選んでしまったのは自業自得、お気の毒としかいいようがない。ま、それも十分予想された話ではある。私は代表選の最中から「民進党は流れ解散」という見通しを書いてきた。

 8月11日 長谷川幸洋 氏 公開コラム「前原新代表を信用できないシンプルな理由」

 コラムで指摘したが、前原氏は1年前に自分のブログで書いたばかりの憲法改正論を「安保関連法は違憲だから、自衛隊を憲法に書くのは反対だ」などと訳の分からない理由で、さっさと取り下げてしまう代表である。もともと確固たる政治信条などないも同然なのだ。一体、何がしたいのか?

 そんな民進党議員が大挙してなだれ込む、とみられる希望の党はどうか。こちらも「お笑い度」は負けず劣らずである。小池氏は結党会見でなんと言ったか。まだ具体的な政策がないので、綱領をみよう。


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 我が党は、立憲主義と民主主義に立脚し、次の理念に基づき党の運営を行う。常に未来を見据え、そこを起点に今、この時、何をすべきかを発想するものとする。

1)我が国を含め世界で深刻化する社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す。
2)国民の知る権利を守るため情報公開を徹底し、国政の奥深いところにはびこる「しがらみ政治」から脱却する。
3)国民の生命・自由・財産を守り抜き、国民が希望と活力を持って暮らせる生活基盤を築き上げることを基本責務とする。
4)平和主義のもと、現実的な外交・安全保障政策を展開する。
5)税金の有効活用(ワイズ・スペンディング)の徹底、民間のイノベーションの最大活用を図り、持続可能な社会基盤の構築を目指す。
6)国民が多様な人生を送ることのできる社会を実現する。若者が希望を持ち、高齢者の健康長寿を促進し、女性も男性も活躍できる社会づくりに注力する。

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 この文章を読んで、希望の党が何を目指すのか、具体的にイメージできる読者はいるだろうか。私はまったくできない。まるで高校生でも書けそうな、中身のないスカスカの文章である。
 なかでも、小池氏が強調したのは「しがらみ政治からの脱却」だ。「しがらみ政治」とは一見、分かりやすい言葉だが、具体的に何を意味するのか。しがらみ(柵)とは、流れをせき止めるじゃまな柵といった意味である。これを政治の世界になぞらえれば「だれかとだれかの関係が深くて、そのために本来、あるべき姿から歪められた政治」というような意味だろうか。そんな政治からの脱却を、私が簡単に言い換えるなら「既得権益にまみれた官僚たちが主導する政治ではなく、政治家主導に改める」という話になる。そうだとすれば、私も賛成だ。

五輪と築地はどうなった? 

 だが、彼女は官僚主導政治からの脱却など、初めからやる気も実績もまったくない。都知事になって「東京大改革」なるスローガンを掲げたが、やったのは東京五輪・パラリンピックの会場見直しと築地卸売市場の移転問題だった。
 それがどうなったか。会場見直しは結局、元どおりになった。約400億円の経費削減をしたと言っているが、それはまやかしである。予備費の減額と都の借金追加による予算項目の付け替えで400億円を削減したように見せかけただけだ。この件は都議会で自民党議員に追及された。
 築地の移転問題は結局、豊洲移転を決めると同時に、築地にも市場機能を残すという。東京の近い場所に2つも大きな卸売市場が必要ないのは、素人でも分かる。移転派と残留派の双方にいい顔をしようとしただけなのだ。

 彼女は「改革」という言葉を多用する。だが中身はといえば、都知事の出発点からしてデタラメだった。小池氏は就任後まもなくの2016年9月1日、最初の都政改革本部の会議で居並ぶ都の幹部たちに「現職の仕事に関わらず、こうすれば良かったというアイデアを出してください」と呼び掛けた。つまり、官僚に改革を丸投げしたのである。これが彼女の言う「自律改革」だ。前例踏襲の官僚は自分の仕事を自ら見直すことはまずしない。まして同僚の仕事に口を出すなどは掟破りもいいところだ。

喜劇はやがて…

 そもそも、改革とは制度や枠組みを無駄なく効率的に改めることなのだが、既存の制度の中で仕事をするのが官僚である。官僚の活躍基盤である制度自体を見直すのは、政治家の仕事だ。だから、政治家や外部の目で制度をチェックするのが改革の基本になる。ところが彼女の言うように、作業を官僚に丸投げしてしまったら、大胆な制度や枠組みの見直しなど絶対にできない。彼女が改革の原理をまるで分かっていない証拠である。
 彼女がいかに官僚べったりだったかは、同じ会議でただ1人、メインテーブルに座っていたブレーンの上山信一特別顧問が官僚たちに「みなさん、改革意欲が十分で…」などとおべんちゃらを言っていた1点でも分かる。この実績をみれば、彼女が国政の実権を握ったら、何をするかも容易に想像できる。財務省はじめ霞が関官僚を集めて「国政改革会議」を立ち上げ「みなさん、現職の仕事に関わらず改革のアイデアを出して下さい」と官僚たちに呼び掛けるだろう。そしてブレーンが「みなさん、改革意欲は十分だから」などとゴマをするのだ。
 そんな発想がいかにトンチンカンかは、説明するまでもない。それで「日本をリセットする」とは聞いて呆れる。一言で言えば、彼女はいかに政局カンが鋭かったとしても、上っ面の言葉だけの政治家である。「カイカク」とか「リセット」「ワイズ・スペンディング」などと、もっともらしい言葉を使っているが、中身はまるで空っぽなのだ。

 そういう非改革体質に加えて今回、受け入れる民進党の議員たちは多かれ少なかれ、労働組合の支援を受けている。まさに「しがらみだらけの議員たち」ではないか。そんな議員たちが加わる希望の党は「しがらみ政治からの脱却」どころか「しがらみだらけの第2民進党」になるのは目に見えている。

 小池氏は今回、都知事を途中で放り出すのではないかと報じられた。あろうことか「後継者を指名すれば、有権者の理解は得られる」などといった報道まである。それが本当なら、都民をバカにしているとしか言いようがない。本人は9月28日の会見で否定したが、どこまで信じていいのやら…。

 いや、ここまで来たらぜひ、放り出して国政にチャレンジされたらいかがか。主役・小池氏、脇役・前原氏のコンビとその他大勢で「政界お笑い劇場」の本番が開幕したら、北朝鮮情勢の危機が続く中、国民は一時、緊張を忘れて喜劇を堪能するだろう。それが投票にどう結びつくか。喜劇がやがて悲劇にならないとは限らない。

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韓国 歴代大統領たちの末路


 先日12月5日、安倍 晋三 首相の在職日数が中曽根 康弘 元首相を抜いて戦後歴代4位(歴史上では6位)となりました。それに先立ち自民党総裁任期の「連続3期9年」への延長も了承されているため、首相が2年後の総裁選で三選し、平成33年9月までの任期を全うすれば在任3567日となって、歴代最長の桂 太郎氏(2886日)をはるかに超えることになります。もしそうなれば、自身が先送りした31年10月の消費税10%への引き上げ、32年夏の東京五輪、パラリンピックも在任中に迎える見通しです。

安倍晋三 写真

【歴代の首相在職日数ベスト10(2016年12月5日現在)】
 01.桂  太郎 2886日:1901〜06年、1908〜11年、1912〜13年
 02.佐藤 英作 2798日:1964〜72年
 03.伊藤 博文 2720日:1885〜88年、1892〜96年、1898年、1900年〜01年
 04.吉田  茂 2616日:1946年〜47年、1948〜54年
 05.小泉純一郎 1980日:2001〜06年
 06.安倍 晋三 1807日:2006〜07年、2012年〜
 07.中曽根康弘 1806日:1982〜87年 
 08.池田 勇人 1575日:1960〜64年
 09.西園寺公望 1400日:1906〜08年、1911〜12年
 10.岸  信介 1241日:1957〜60年

 長期安定政権の弊害あるいは危険性はあろうかと存じますが、一国の政治のリーダーに問題があって、政権がコロコロ変わる、政治的な空白が生まれることがあれば、それは国家にとってマイナスであることは言うまでもありません。今、お隣の大韓民国(以下、韓国)がまさにそう言う状況にあると言えます。ついに昨日、12月9日、韓国、朴 槿恵(パク・クネ)大統領に対する弾劾訴追案が国会本会議で可決されました。

パククネと崔順実 写真
朴 槿恵(パク・クネ)大統領(左)と 崔 順実(チェ・スンシル)氏(右)

 一連の、朴 大統領のスキャンダルは、彼女が大統領府の内部資料を長年の友人である 崔 順実(チェ・スンシル)氏に渡して、政権運営のアドバイスをもらっていたとの疑惑に始まり、国政への介入、大統領府が多数の大手企業に間接的に圧力をかけて資金を集め、チェ 氏のために財団を設立、その資金をチェ 氏が個人的に流用したなどの疑惑へと進展しております。さらには、2014年4月16日に発生した韓国旅客船セウォル号の沈没事件に際して、大統領が7時間に渡り事件を把握していなかった「空白の7時間」の疑惑が再浮上して物議を呼んでおります。
 韓国では「パク大統領退陣」を訴える、100万人を超えるとも言われるデモが発生しており、この政権がそう長くはないことは明白となって参りました。現大統領に起こった事の詳細は他に譲るとして、韓国の大統領と言えば、その任期の最後には、何がしかのトラブルや大統領自身の不正疑惑が起こっている印象があり、ここでは韓国 歴代大統領11名を簡単にご紹介し、その末路に注目いたします。


◇ 初〜第3代 李 承晩(イ・スンマン)大統領:1948〜60年

  黄海道平山出身で、日本の植民統治時代、米国を拠点に独立運動を展開、韓国民主党→自由党→無所属と渡り歩きました。「建国の父」と呼ばれる韓国発の大統領で、「反日政策」を最初に掲げた韓国のリーダーでもありました。己のポストを守るための憲法改正と不正選挙を繰り返した独裁体制を確立しましたが、最後には革命が起こり失脚、亡命しました。

李 承晩 大統領

○「建国の父」

 朝鮮の独立運動家で、1948年8月13日、アメリカ合衆国の後援の下、朝鮮半島南部のみを実効支配する大韓民国が建国され、その初代大統領で「建国の父」と呼ばれております。

○ 反日と「李 承晩(りしょうばん)ライン」

 李 承晩 氏は、朝鮮の独立運動に日韓併合前後から関わっていた経歴から、日本を激しく嫌っていたとされます。初代大統領として基盤が弱かったこともあり、国民の矛先を日本に向けるべく反日政策を行いました。その代表的な対日政策の1つに1952年の一方的な海洋主権宣言、いわゆる「李 承晩(りしょうばん)ライン」がありました。これは、日本の軍隊が解体された隙を突いて、国連海洋法条約や排他的経済水域が成立する以前に、竹島を含む豊富な水産資源の漁場の確保を目的として一方的にとられた措置でありました。

李承晩ライン 図

 李ラインの設定で韓国の実効支配下に置かれることとなった竹島の処遇は、現在に至るまで日韓の懸案問題になっており、また、今日でも日本と韓国間に横たわる問題の多くが 李 承晩 氏の民族主義的政策に端を発しているとされます。ただ、声を大に「反日」を唱えていた割には彼の時代には従軍慰安婦の問題は話題にも挙がりませんでした。

○ 憲法改正強行と不正選挙の後に革命

 李 氏は、大統領ポストを永続的に確保しようと、再三にわたり憲法改正を強行し、1960年3月の大統領選挙では極端な不正選挙を実施して四選を勝ち取りましたが、同年4月、その独裁的政治手法と大統領選挙の不正に憤慨した学生、市民を中心に糾弾運動が起こり、国会でも大統領の即時辞任を要求する決議が全会一致で採択されました。これを受けて、ラジオを通じて「国民が望むなら大統領職を辞任する」と宣言して下野、12年間続いた独裁体制が崩壊しました(4月革命)。

○ 亡命と異国での死

 その後、アメリカ、ハワイに亡命し、5年後の 1965年、韓国の地に戻ることなく死亡しました。


◇ 第4代 尹 潽善(ユン・ボソン)大統領:1960〜61年

 忠清南道出身で李承晩政権の商工大臣などを歴任、韓国民主党結成に参加して、「4月革命」による李 大統領の失脚直後に大統領に就任しましたが、次期政権となった 朴 正煕(パク・チョンヒ)大統領の起こした軍事クーデターで失脚しました。下野した後は民主化運動を行いましたが実刑判決を受けるに至りました。

○ 軍事クーデター後に辞任

 李 承晩 大統領が失脚、亡命することとなった「4月革命」を経て、1960年8月に大統領に就任しましたが、翌1961年5月16日に「5・16軍事クーデター」が発生、軍の要請で大統領の座に留まるが、翌年3月に軍政が制定した政治活動浄化法に抗議して辞任しました。

○「民主救国宣言」で実刑判決

 下野した後は、民主化を訴えて第5〜9代 朴 正煕(パク・チョンヒ)大統領と政権を競いますが、1976年および1978年に「民主救国宣言」を発表したところ、政府から「憲法秩序を破壊しようとする非合法活動である」と厳しく非難され、実刑判決を受けました。


◇ 第5〜9代 朴 正煕(パク・チョンヒ)大統領:1963〜79年

 韓国の歴代では5期と、最も任期が長かった大統領です。慶尚北道出身、日本の陸軍士官学校や満州国陸軍中尉を経て、戦後は韓国陸軍で要職を務めておりました。軍事クーデターを起こして大統領に就任、民主化運動を弾圧した一方、日韓国交正常化を果たし、韓国の産業を復興させました。陸 英修 夫人が74年、自身は79年に射殺されました。私腹を肥やさなかったことは評価されています。

朴 正煕 写真

○「5・16軍事クーデター」から独裁体制

 尹 潽善 政権において、議会の混乱で戦後復興や工業化などが進まず、また軍内の腐敗も深刻化している状態に対して、1961年5月16日、軍の将官、将校、士官らの改革派を率いてクーデターを決行し軍事政権(国家再建最高会議)を成立させました(5・16軍事クーデター)。形式的な民政移行が行われた後も実権を握り続け、自身の政党である民主共和党による事実上の独裁体制を形成、1963年より第5代から第9代大韓民国大統領を務め、権威主義体制による開発独裁を推し進めました。

○ 日韓国交正常化

 日本の 佐藤 栄作 内閣総理大臣と日韓基本条約を締結して日韓両国の国交を正常化しました。

○ ベトナム戦争への出兵

 1964年.アメリカ合衆国のリンドン・ジョンソン大統領の要請を受けてベトナム戦争に大韓民国国軍を出兵しました。

○「漢江の奇跡」

 日本から国交正常化の見返りとして、米国からはベトナム戦争への出兵の報酬として、日米から莫大な経済支援を受け、経済・産業の活性化に努め、1970年代にかけて「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成しました。

○ 民主化運動の徹底した弾圧と「金 大中 拉致事件」

 統制的な軍事政権下にて民主化の運動は徹底して弾圧され、人権上問題のある拷問や政治犯の投獄なども行われた。1973年、大韓民国中央情報部(KCIA)が日本に滞在してた大韓民国の民主化運動家で、後の第15代 大統領である 金 大中(キム・デジュン)を拉致監禁しました(「金 大中 拉致事件」)。

○「文世光事件」で夫人射殺

 1974年、文 世光 容疑者による朴 大統領暗殺未遂事件が発生、陸 英修 夫人が射殺されました。

○ 暗殺

 1979年10月26日、大規模な民主化デモの鎮圧を命じた直後、側近である 金 載圭 情報長官により暗殺されました(享年61歳)。


◇ 第10代 崔 圭夏(チェ・ギュハ)大統領:1979-80年

 江原道原州邑出身、無所属、韓国で最も在任期間の短い大統領で、朴 大統領暗殺で全国に広がった若者の民主化運動、労働者の労働運動、「ソウルの春」を鎮圧するために、新軍部による政権掌握のため戒厳司令部が1980年5月17日を期して断行され(5・17クーデター)、第11, 12代大統領の 全 斗煥(チョン・ドゥファン)氏、第13代大統領、盧 泰愚(ノ・テウ)氏らによる軍部政権の掌握で辞任しました。


◇ 第11, 12代 全 斗煥(チョン・ドゥファン)大統領:1980-88年

 慶尚南道出身、民主正義党所属の軍人で、「5・17クーデター」で実験を握り、朴 大統領と同様に民主化を弾圧しました。1984年には韓国大統領として初の来日、88年、不出馬で退任後、逮捕され死刑判決から減刑、無期懲役から特赦を受けました。

全斗煥大統領写真

○「ソウルの春」の鎮圧、金 大中 氏の逮捕、「光州事件」

 朴 大統領暗殺後、全国に、若者の民主化運動、労働者の労働運動が広がりました。この期間は「ソウルの春」と呼ばれますが、全 氏らは、これを1980年5月17日、戒厳司令部を断行して新軍部により鎮圧しました(5・17クーデター)。さらには、金 大中 氏ら有力政治家を逮捕、追放しました。これに反発していた光州での民主化要求デモを鎮圧するため陸軍の特殊部隊を送り、市民を多数虐殺し(光州事件)、その後、正式に大統領に就任しました。

○「ラングーン事件」

 1983年、ミャンマーのアウン・サン廟へ赴いた際、北朝鮮の工作員による全 大統領を狙ったラングーン爆弾テロ事件が発生しました。大統領自身は難を逃れたものの、外相ら21人の閣僚その他が死亡しました。

○ 日本からの経済援助

 1984年、戦後の韓国元首として初めて日本を訪れ、昭和天皇との晩餐会に臨むなど、日本と向き合う姿勢を強調しましたが、同時期に第一次教科書問題が発生、中国共産党に連携する形でこれを批判し日本からの経済援助を引き出しました。

○ 退任後 死刑判決

 1988年の退任後は、自ら財団を設置し院政を狙いましたが、利権介入などが発覚し親族が逮捕されるに至り、1988年11月23日には私財の国庫への献納と隠遁を表明しました。しかし、その後もクーデター、民主化弾圧や、光州事件での虐殺、不正蓄財への追及が止まず、死刑判決を受け、のちに無期懲役に減刑、さらには特赦を受けました。


◇ 第13代 盧 泰愚(ノ・テウ)大統領:1988-93年

 日本統治時代の大邱出身で、朝鮮戦争勃発に伴い入隊、陸軍士官学校で同期であった 全 斗煥 元大統領と、「5・17クーデター」、「光州事件」を首謀し、全 大統領の退任を受けて、16年ぶりに行われた民主的選挙で民主正義党から大統領に就任しました。退任後、政治資金隠匿が発覚、さらにクーデター、光州事件でも追及され軍刑法違反として懲役刑を受けますが、特赦されました。

盧泰愚 写真

○ 民主化宣言で大統領就任

 1987年、高まりつつある民主化要求に対し、次期大統領候補として「オリンピック終了後、然るべき手段で信を問う用意がある」と声明、「6・29民主化宣言」を発表し、金 泳三、金 大中 氏ら文民出身候補を抑えて大統領に選出されました。

○ 北方外交

 外交面で「北方外交」を提唱して共産圏との関係改善を目論み、1990年にソビエト連邦、1992年には中華人民共和国と国交を樹立しました。

○ 朝鮮統一問題

 1991年9月17日には朝鮮民主主義人民共和国との国際連合南北同時加盟を実現し、同1991年12月13日に南北基本合意書を締結しました。

○ 大統領退任後に懲役刑

 1993年の大統領退任後、1995年、政治資金の隠匿が発覚、さらに粛軍クーデター、光州事件でも追及され軍刑法違反として懲役刑を受け、1997年、特赦されました。


◇ 第14代 金 泳三(キム・ヨンサム)大統領:1993-98年

 慶尚南道出身、朴 正熙、全 斗煥 軍事政権を厳しく批判し、民主化を訴えて、反政府運動の指導者として弾圧を受けました。民主自由党、新韓国党、ハンナラ党と渡り歩き、1993年の大統領就任後、軍の改革と不正摘発を進め、盧、全 両大統領経験者を逮捕に導きました。外交面では、日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で強硬姿勢を取り、日本との関係が悪化しました。政権末期の1997年、「小統領」と呼ばれるほど権威を振り回した次男が業者から不正資金を受け取り逮捕、有罪判決を受けました。


◇ 第15代 金 大中(キム・デジュン)大統領:1998-2003年

 1950年代から故郷の南西部、全羅南道を地盤として政治活動を開始、軍事政権と対決し、激しい弾圧を受けながらも、民主化を訴えました。大統領就任後は北朝鮮に対する融和的な「太陽政策」を推進し、これが評価されノーベル平和賞を受賞しました。

○ 民主化運動で暗殺工作と拉致(金大中事件)

 運送業より政治家を志した当時より、李 承晩 大統領の独裁政治に反対する姿勢をとり、1971年、新民党からの大統領選挙では、現職の朴 正煕 氏に97万票差にまで迫り(朴 634万票、金 537万票)、以後、朴 大統領の政敵としてつけ狙われるようになりました。大統領選の直後には、交通事故を装った暗殺工作で股関節の障害を負い、。1973年8月8日、東京、ホテルグランドパレスで韓国中央情報部 (KCIA) の工作員に拉致され、神戸で殺害される寸前まで行きましたが、ソウルに返されて自宅で軟禁状態となりました。

○「民主救国宣言」で逮捕

 1976年、第4代大統領である尹 潽善 氏とともに「民主救国宣言」を発表するも逮捕され懲役刑を受けました。

○ 公民権回復後に再逮捕から死刑判決

 1979年、朴 正煕 大統領暗殺後の1980年、公民権を回復、政治活動を再開しましたが再逮捕となり、これが引き金となり光州で起きた民主化要求のデモが発生、軍部が武力鎮圧する、流血の大惨事となりました(光州事件)。金 氏は軍法会議にて一連の騒動の首謀者と認定され死刑判決を受け、1982年に無期懲役に減刑、同年12月、米国への出国(追放)を条件に刑の執行が停止されました。

○ 政治活動の再開と大統領就任

 1985年、米国より帰国、全 斗煥 大統領により政治活動が解禁され、1987年には再び公民権を回復しました。以後、2度の大統領選挙で敗北した後、1997年、民主党から出馬して大統領に選出されました。

○ アジア通貨危機を克服、日本文化の開放政策

 大統領就任直後、まずは、韓国を襲ったアジア通貨危機を克服し、日本に対して「未来志向的な関係発展」をうたう日韓共同宣言に 小渕 恵三 首相とともに署名、日本文化の開放政策も進めました。

○「太陽政策」でノーベル平和賞

 金 氏は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対しては「太陽政策」と称される緊張緩和政策を志向し、2000年6月、北朝鮮の首都 平壌で 金 正日 国防委員長との南北首脳会談が実現、「6.15南北共同宣言」を締結しました。南北首脳会談などが評価されて、ノーベル平和賞を受賞しました。これは2016年時点で韓国人唯一のノーベル賞受賞であります。

金 大中と金正日 写真

○ 対北送金疑惑

 「太陽政策」にはノーベル賞授与のための工作があったとの説があり、南北会談の実現のために 金 大中 大統領から現代グループを通じて4〜5億ドルが 金 正日国防委員長に渡していたとされます。これについては2004年、金 大中 氏自らが関与を認める発言をしており、2009年、氏の没後、金 大中 政権が発足当時からノーベル平和賞受賞のために組織的な「工作」を行っていたことや、北朝鮮に5億ドルを不法送金した内幕が暴露されております。


◇ 第16代 盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領:2003〜08年

 南部の慶尚南道金海市出身の弁護士、歴代の韓国大統領で最初の日本統治時代を経験していない世代の大統領です。北朝鮮に対する融和政策を進めましたが、韓国経済の低下で支持を失い、レームダック状態に陥り、また日本とは竹島問題で険悪な関係となりました。大統領選挙の不正資金疑惑があり、弾劾訴追にまで発展、一旦はこれが可決され、のちに棄却されております。大統領退任後、不正献金疑惑が持ち上がり、2009年、飛び降り自殺で他界しました(享年62歳)。

盧 武鉉 大統領 写真


◇ 第17代 李 明博(イ・ミョンバク)大統領:2008~13年
 大阪府出身、現代建設の社長、ソウル市長から大統領に就任した人物です。任期中、法人減税やウォン安政策を推進したほか、米国や欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)の締結など大企業優遇政策で輸出は伸びましたが、国民に恩恵は行き渡らず不満を残しました。強硬姿勢で臨んだ北朝鮮との関係は冷却し、竹島上陸で日韓関係も悪化しております。内政がうまくいかないと反日を煽って国民の目を日本に向けさせる傾向が強い大統領でありました。実兄が収賄の容疑で逮捕されており、李 氏も大統領退任後、土地の不正購入の疑惑を持たれております。


◇ 第18代 朴 槿恵(パク・クネ)大統領:2013年〜

 大邱出身で、父は 朴 正熙元 大統領、韓国史上初の女性大統領です。李 大統領から引き継ぐ形で、従軍慰安婦問題などでの反日姿勢、原則に基づいた対北朝鮮政策、アメリカや中国訪問の成果、国内における政治的な論争から一定の距離を置いたこと、などから国民の支持率が一時、63%にまで及びましたが、冒頭に申し上げた通り、12月9日、国会で弾劾訴追案が可決され、職務は停止となっております。


◇ まとめ:韓国歴代大統領の容疑/犯罪そして末路

 以下、韓国歴代大統領の容疑/犯罪そして末路をまとめました。特にコメントはありません。

韓国大統領の末路

米国 ドナルド・トランプ 新大統領の選挙前の公約


 世の中は、思わぬ予期せぬ出来事が起こるもので、米国大統領選挙において、政治、外交ともに経験がない実業家のドラルド・トランプ氏が、合衆国国務長官、上院議員を歴任、第42代アメリカ大統領ビル・クリントン氏の妻で1993年から2001年までファースト・レディーであったヒラリー・クリントン氏を破って大統領に選出されました。

トランプ氏写真

米国大統領選結果

 多くのメディアが驚くべき事態、大逆転として報道し、市民の暴動までも起こっている今回の選挙結果でありますが、私個人はあり得る結果と思っておりました。なぜなら、トランプ氏が明確に己のしたいこと、主張を述べていたのに対して、クリントン氏は公約に新鮮味がなく、具体性にも欠けていたと感じられました。前大統領や芸能人が応援演説に駆けつけるのは、クリントン氏が自らの演説する余力も「ネタ」もない現れであったようにも思われ、クリントン支持者は必ずしもクリントン氏を支持していると言うよりも、反トランプ勢力であり、消去法のようにクリントン氏を選択したようでありました。逆に、トランプ氏支持者はクリントン氏および直近の米国政府に対して否定的であったことに加えて、トランプ氏の主張、公約に説得力を感じた結果とも受け止められました。
 ここでは、第45代アメリカ大統領に選出されたドナルド・トランプ氏の公約を、記憶の範囲内で列挙し記録しておこうと思います。「演説」や「人物」ではなく「時事」のカテゴリで扱うことといたします。


◇ 経済政策

1.TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に反対

 トランプ氏は自国の産業を保護することを最優先に、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)には真っ向から反対、「TPPは最低の協定だ」として、「ないほうがいい。むしろ個々の国とそれぞれに協定を結ぶ」と表明、「われわれは貿易で多くのものを失っている。中国、日本、メキシコだ」などと声を荒らげております。これには日本の農家にも賛同する意見が多数あります。

トランプ TPP反対の記事

2.減税

 トランプ氏は課税区分を簡素化して現行の7から3に減らし、第一区(年間所得が1万5000 〜 7万5000ドル)の所得税率を12%、第二区分(7万5000ドルから22万5000ドル)の税率は25%、第三区分(22万5000ドル以上)は33%にすると公約しています。現在10%の課税をかけている所得1万5000ドル以下は無税になる一方で、第三区分の富裕層の現在の税率は39.6%であるため、「富裕層を優遇する減税」とも言われており、「トランプ案では中産階級、低所得階級で、独身労働者にとって大幅増税になる」との指摘もあります。
 法人税は35%から15%と、アジア諸国や欧州を下回る水準まで引き下げるとしています。トランプ氏は、企業優遇策の先に250万人の雇用が創出されると主張しております。

3.財政赤字の解消

 19兆ドルの財政赤字を解消すると公約していますが、その方法について正式な政策案は公表していません。


◇ 内政

1.インフラの整備

 トランプ氏は、国内の老朽化した空港や道路、橋を再生すると公約しています。

トランプ氏インフラ整備

2.「オバマケア」の廃止

 トランプ氏は、オバマ政権の最大の実績とされ、「国民皆保険」に繋がる、医療保険制度改革(オバマケア)について「大統領選に勝てば速やかに廃止できる。しなければならない。」と発言しております。

3.貧困層の所得税免除(上述)

4.雇用の創出(上述)


◇ 軍事

1.米軍の強化

 トランプ氏の選挙スローガンは「アメリカを再び偉大な国に!」であり、米軍の拡大、強化を唱えました。

2.米軍の駐留費用負担増

 日本、ドイツ、韓国、サウジアラビアに対して米軍の駐留費用を増額するよう働きかけ、それが叶わぬなら撤退も示唆しております。

とらんぷ 駐留撤回記事


◇ 移民対策

1.メキシコからの移民の締め出し

 トランプ氏は、移民、とりわけメキシコから移住者に対して、犯罪やドラッグなど、多くのトラブルの元凶と捉え、メキシコの国境に壁を建設した後、費用をメキシコ側に持たせると公約しました。また、国境監視員の数を3倍にするとも、、、。

2.不法滞在者の帰国

 米国にいる不法滞在者を全員帰国させること、不法移民の子は米国で生まれたとしても外国人であることを明言しております。

3.イスラム教徒とシリア難民の米国入国の禁止


◇ イスラム国(IS)対策

 過激派組織、イスラム国(IS)について、トランプ氏は積極的な攻撃を仕掛ける方針として掘り、ロシアとの共闘、石油施設の爆破、核しようも辞さない構えを見せております。

トランプIS核の記事


◇ 環境問題

 温暖化対策のため温暖化ガスを抑制する国際協定「パリ協定」からの離脱を宣言しており、CO2削減に対しては否定的な意見と思われます。


◇ あとがき

 私はトランプ政権について否定も肯定もする立場ではありませんし、知識も持ち合わせませんが、日本も含むあらゆる国の選挙が、演説で国民受けしたものの勝ちのような印象は否定できません。やれることとやれないこと、実現可能か否か、現実的か非現実的かを見極める前に公約として掲げてしまう傾向がありはしないでしょうか? ただ、世界のリーダーとしての「強いアメリカ」を取り戻すことには賛同いたします。トランプ大統領にしばし注目して参ります。


真実は? 9.11米国同時多発テロ事件 陰謀説


 私なんかよりも詳しくご存知の方はいらっしゃいますし、なんとなく疑いの目を持っている方は少なくないと思います、9.11米国同時多発テロ事件の陰謀説をあくまでも客観的にまとめてみます。オカルト主義者や陰謀論者の作り話も世に横行しておりますので、私が取り上げるものも、実は真実とは違う可能性があることをご容赦、ご理解ください。


◇「9.11米国同時多発テロ事件 陰謀説」の概要

 9.11テロについての公式見解は、「ウサマ・ビン・ラディン氏を筆頭とするアルカイダが引き起こした、米国の重要建造物を標的にハイジャックした旅客機を用いた自爆テロであり、この企てをアメリカ政府側は事前に知らなかった」というものであります。これに対して、米国政府はテロを知っていたが見逃したとする「見逃し説」と、積極的に米政府が引き起こした「自作自演説」が唱えられております。それぞれについて若干の解説をいたします。

1.見逃し説

 本年2月5日、「自称通称『イスラム国』その2 起源と背景:2度のアフガニスタン紛争とイラク戦争」と題して、イスラム国の起源を勉強いたしました。1979-1989年、米国(カーターおよびレーガン政権)、CIAは、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するために、アフガニスタン各地で発生した旧ソ連への抵抗勢力、ムジャーヒディーンに武器や資金の提供を行う「サイクロン計画」を実施しました。そうして訓練、育成し武装化したムジャーヒディーンの中からアルカイダが発生したとされます。つまり、元々アルカイダは米国政府の支配下にあった組織であり、その実態がなんであるか、不透明な存在なのです。

 15.02.05「自称通称「イスラム国」その2 起源と背景:2度のアフガニスタン紛争とイラク戦争」

 また、オサマ・ビン・ラディン氏と言う人物は、建設業で財を成し、アメリカ、アジアおよび欧州に多数の支部と子会社60社以上を有し、石油および化学プロジェクト、遠距離通信および衛星通信に従事しているサウジ・ビン・ラディン・グループ(SBG)の創始者であるムハンマド・ビン・ラディン氏が22人の妻、55人の子供をもうけた、その17番目の子供とされます。ムハンマド・ビン・ラディン氏は、9.11米国同時多発テロ事件の際のジョージ・W・ブッシュ大統領の父親である、第41代アメリカ大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領とともにカーライル投資グループの大口投資家であり役員でありました。また、オサマ・ビン・ラディン氏の長兄であるサーレム・ビン・ラディン氏はジョージ・W・ブッシュ大統領がかつて経営していた石油会社の共同経営者でもありました。

ウサマビン・ラディンとジョージ・ブッシュ 写真

 以上の経緯から、9.11米国同時多発テロ事件当時のブッシュ大統領はオサマ・ビン・ラディン氏と旧知の仲であった可能性は高く、「アルカイダによるテロを知っていて見逃した」、「アルカイダによるテロを手助けした」、「アルカイダによるテロを依頼した」、と言う説であります。

2.自作自演説

 アメリカ政府とアメリカ軍が、遠隔操作の貨物機やミサイル、建物内に仕掛けた爆破解体用の爆薬を使って世界貿易センターのツインタワーやペンタゴンを破壊し、通説のような、アルカイダによるテロ事件であると報道機関を用いて演出した、とする説であります。この説を力強く指示する主張が、2005年、ブッシュ政権の労務省元主任エコノミストであったモルガン・レイノルズ(Morgan Reynolds)氏により以下のごとく成されております。

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・「遠く離れたアフガニスタンのイスラム原理主義者の本部からの指示を受けて、19名のアラブ・テロリストによって911事件が引き起こされた」という政府見解こそが、おとぎ話のような「陰謀説」である。WTC崩壊に関する政府公式見解も、これと同様に、およそ納得しがたい。

・私は崩壊の公式見解は正しくないと信じている。そのような誤った分析に基づいた政策もまた誤りである。アメリカ政府の見解はきわめて脆弱なもので、プロによる解体作業だけがWTC崩壊の事実を十分に説明することができる事象だ。

・事態を困難にしているのは、分析を受ける前にFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)が、WTCから証拠を取り去ってしまったことだ。

 ・WTC崩壊が解体行為によるものであったのであれば、911事件がアメリカ政府内部犯行であることが明らかにされるだろう。

・科学者や技術者、偏見のない研究者たちが911事件を解明するべきだ。しかし現在のアメリカの警察国家状態の下ではそれは難しい。爆破と建築の専門家たちは、911事件を分析することに対して、逮捕の恐怖を感じているからだ。

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 この自作自演説は、上述の見逃し説と比較しても、公式見解、通説との差異は著しく大きく、しかしながら、現在では見逃し説に代わる陰謀説の主流となっております。


◇ 世界貿易センター ツインタワー倒壊における疑惑

 9.11米国同時多発テロ事件陰謀説の最も根幹をなすのが、世界貿易センタービル倒壊に対する疑惑であります。世界貿易センターのツインタワーは、ビルの外側は鋼鉄が網の目のように配されており、建設当時の主力ジェット旅客機のボーイング707が突入しても、全体に影響が及ばず崩壊しないよう設計されたと言われます。衝突で建物が傾いても木のように揺れて元に戻る構造になっていると、、、。
 実際には、世界貿易センターの7つのビルは、航空機の衝突とそれに伴う火災をきっかけに倒壊したとされ、その機序を説明する仮説として「パンケーキクラッシュ説」が採用されました。これは、ビルの各階の層が下の階へ落下することで、各階が順に押し潰されるようにして崩壊したとするものですが、この理論に異議を唱え、また航空機の衝突とは別に爆弾が使われたとの説であります。

1.ビル倒壊の順番・形態・スピード

 航空機が衝突した後の世界貿易センタービルがどうなるのか、多くのカメラがツインタワーに向けられておりましたので、ビルが倒壊する動画はいくつもあります。以下にYouTube動画のリンクを掲載しますが、誰が見ても、これも以下にリンクをご用意しました、ビルの爆破、解体を惹起するものだと思います。

 「一般人が撮影した世界貿易センター 北棟 倒壊の瞬間」YouTube

 「実際のビル解体映像」YouTube

 例えば、私個人の素朴な疑問をお話します。08:46、先にアメリカン航空11便の衝突を受けた北棟は93-99階の広いフロアに爆発が生じたため避難経路が失われ、それより上の階にいた人はほぼ全員が死亡したとされます。一方の南棟78-84階に、09:03、衝突したユナイテッド航空175便は斜めに外側に外れて突入したため、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができました。つまりビルの損傷が北棟と南棟とでは同等ではなく、南棟の方が北棟よりも軽度であったようです。
 しかしながら、南棟が倒壊したのは09:59と、10:28の北棟よりも先でありました。しかも、異なる損傷の程度であったにも関わらず、両棟が倒壊する映像はほぼ同じ形態であり、まるで録画されたビデオを再現されているようでした。14年前に、テレビの中継を生で観た際に、すごく大きな違和感を感じたのは、今、YouTubeを見ても同じであります。
 倒壊のスピードに言及する人もいます。「パンケーキクラッシュ説」によるビル倒壊ではあんなにも均一に、しかも自由落下に近いかたちで倒壊することはあり得ないとの見解です。ツインタワーの倒壊にかかった時間は15-20秒であり、その後に倒壊した第7ビルは6秒でありました。これは真空での自由落下の場合にかかる時間として計算された値の約1.5-2倍と、「自由落下に匹敵」とまでは行きませんが、「パンケーキクラッシュ説」ではここまで速くはないとの考え方です。

2.ジェット燃料による火災では鉄鋼は溶けない!?

 公式見解では、「パンケーキクラッシュ説」によるビルの倒壊は、突入した航空機から階下に流れ出たジェット燃料に引火して、その火災による熱でビルを支える鉄鋼が溶けて起こったとされています。これに対する異論として、下の写真の如く、ツインタワーの火災は黒煙を出しており、いかにも酸素が不足した燃焼のように思われます。このことから、鉄鋼を溶かすほどの温度には達していなかったのではないか?、との考え方があります。

燃えるツインタワー

 事実、上述のごとく南棟の爆発は均一ではなく、航空機が衝突した78-84階より上の階にいた十数人が、衝突階を通り過ぎて階段から避難しました。この人々の中には、鉄鋼を溶かすほどの温度ではなかったと証言している人もいます。

3.テルミット法が使用された可能性

 テルミット法(thermite process)とは、金属アルミニウムで金属酸化物を還元する冶金法の総称で、瞬間的に鋼鉄を切断する際に使用されます。金属酸化物と金属アルミニウムとの粉末混合物に着火すると、アルミニウムは金属酸化物を還元しながら鉄鋼を溶かすほどの高温を発生するとされます。

Thermite219.jpg

 ブリガムヤング大学物理学のスティーブン・E・ジョーンズ教授は、ビル地下の溶けた金属に対する調査から、テルミット法が用いられた形跡を発見しました。その発表後、教授は米国政府からの圧力でブリガムヤング大学の教授職を解雇されましたが、ジョーンズ氏は、「教授職を解雇されようとも真実はねじ曲げられない」と、現在も、その主張を続けております。

4.事前に行われた工事の証言

 サウスタワーで働いていたスコット・フォーブス氏の証言では、9.11の4-6週間前に上の階で、ドリルやハンマーなどの改装工事らしき音がずっと聞こえており、床が揺れるほどでしたが、1度見に行ったところ、ドアを開けたら奇妙なことに何もなかったとのことでした。また彼は09月08日から09日にかけて電気工事の名目で長い停電があり、停電中はビルのセキュリティも解除され誰でも入ることができたとも証言しています。

5.その他、爆発音の証言

 NBCテレビから現場取材に行ったパット・ドーソン氏は、「どちらかのビルでまた爆発があった」、「(救助に向かった)消防本部長によるとビルに爆発物が仕掛けられていた」と報道しました。その他、当時ビルにいた何人もの人が爆発音を聞いたと証言しております。


◇ 世界貿易センター第7号棟倒壊の疑惑

 旅客機の突入を受けた世界貿易センター、南北棟の倒壊から8時間遅れて、17:20、世界貿易センター7号棟(通称 ソロモン・ブラザーズ・ビル、47階建て)も倒壊しました。この原因および報道に疑惑の目が向けられております。

1.第7号棟倒壊の機序は?

 直接航空機が衝突したわけではない本ビルが崩壊したことについて、火災の熱で鉄骨の強度が落ちていたのに加えて、ツインタワーの崩壊による破片の直撃や大地震を上回る猛烈な縦揺れの影響で崩壊したとされております。しかし、第7号棟はツインタワーから最も離れた場所に位置している上に、もっと近くに建っていた第3-6号棟に比べると、事故直後は損傷の度合いも軽いように見受けられ、また火災がひどいようにも見えませんでした。それなのに、わずか6.5秒と言う速さで倒壊しており、その景色はやはり南棟、北棟と同等な、計画的ビル解体を惹起するものでありました。

2.BBCの7号棟倒壊報道への疑惑

 さらに、今尚、説明がつかない事柄もあります。7号棟の倒壊は、「ソロモン・ブラザーズ・ビル」の呼称で、実際より早い午後4時54分に英国放送協会(BBC)が報じています。「たった今、ソロモンブラザーズビル(7号棟ビル)が崩壊したという情報が入ってきました」と倒壊を知らせるキャスターの背後には7 号棟はしっかり立っており、カメラの切り替えがないまま17時20分となったときにビルは崩れました。

 「実際の倒壊以前に7号棟の倒壊を報道したBBCの報道」YouTube


◇ 国防総省本庁舎(ペンタゴン)突入航空機への疑惑

 国防総省本庁舎(以下、ペンタゴン)には、09:38、ハイジャックされたアメリカン航空77便が突入、爆発炎上しました。これに対しても否定する証言、理論が多数あります。

1.突入したのは巡行ミサイルであった!?

 ペンタゴンに突入したのは巡行ミサイルであると証言する目撃情報が多数あります。米国CNNは、9.11、ペンタゴン攻撃直前にペンタゴン上空を航行していた飛行機を撮影した画像を保有しており、これが一般の旅客機ではなく、アメリカの軍用機のE4-Bに外形が酷似していると指摘する番組を2007年に放映しました。また同じ番組の中では、アメリカ政府公式報告の中に、この飛行機に関する言及がないことも指摘しております。USA Todayの記者マイク・ワルター氏は、ペンタゴンへの攻撃の瞬間を目撃しました。彼がCNNに対して、ペンタゴンを攻撃した飛行体は「巡航ミサイルのように飛んできた」と語っております。

2.旅客機の残骸は全くない!?

 普通の航空機墜落では、機体の一部や、乗客の遺体、スーツケースなどの遺物が散乱するものです。ペンタゴンに突入したとされるアメリカン航空77便ですが、現場の映像に機体の破片も乗客の遺体も全く写っていませんでした。焦げあとすらない機体の破片が1つ報道されたほか、焦げた破片も2例発表されたがいずれも突入したとされる757型機には使われていないものでありました。熱によりほぼ全ての残骸がほとんど消滅に近いかたちで残っていない、といった航空機事故はほとんど例がないとされます。本当にアメリカン航空77便が突入したのか、残骸からも疑問が湧いてきます。

3.小さすぎるペンタゴンの損傷

 突入したアメリカン航空77便、ボーイング757-200は100トン、全高44.7フィート、全長115フィート以上であり、これが最低時速400 km の速度で衝突していたと考えられます。ペンタゴンの建物の高さは78フィートでありますが、その損傷は最も外側の棟の、5階建ての1階部分のみだけでありました。旅客機の残骸が全く残らないほどの大爆発〜火災のわりにはペンタゴンの損傷はあまりにも不当とされております。


◇ その他9.11を陰謀であるとする根拠、証言

1.ユナイテッド航空93便の墜落跡にもなんの残骸もなし

 9.11米国同時多発テロ事件では、世界貿易センタービルとペンタゴン以外にも、40人の犠牲を出した航空機墜落事故がありました。同日、10:03、ユナイテッド航空93便がペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに墜落したとされます。しかし、下の現場写真の如く、墜落現場にはクレーターのようなものしかなく、ペンタゴンと同様に機体の破片は見られず、また乗客の遺体は1人も発見されませんでした。

ユナイテッド航空93便墜落現場

2.アーロン・ルッソ氏の証言;ニコラス・ロックフェラー氏からの提案

 アメリカの映画監督アーロン・ルッソは、2006年、インタビューに答えて、ロックフェラー一族で外交問題評議会上級メンバーであるニコラス・ロックフェラーから、911事件発生の11ヶ月前に、「New World Order構想」の実現計画の一環として以下のような話を聞かされ、ニコラス・ロックフェラーのグループに参加するよう勧誘された、と言います。

 ・これから「ある出来事」が起こる
 ・「ある出来事」によって、米軍はアフガニスタンに侵攻する
 ・さらに米軍はイラクに侵攻して油田を確保する
 ・中東に米軍基地を構築してこれらの地域を「New World Order」に取り込む
 ・これらの米軍侵攻の全てが、「巨大なでっち上げ」である

3.イタリア元大統領の謀略指摘発言

 イタリアのフランチェスコ・コシガ元大統領は、2007年11月30日発行のイタリアの日刊紙「コリエレ・デッラ・セーラ」のインタビュー記事の中で9.11事件は「米国政府の内部犯行だ」との発言をしました。氏は「イタリアの中道左派の最先端の人々は、この大規模な攻撃が、アラブ諸国に非難を向け、西側諸国をアフガニスタンとイラクの戦争に参加させるため、シオニスト(イスラエル民族主義者)の世界的グループの協力の下、米CIAとイスラエル諜報特務局により計画され、実行されたということを、熟知している」「この情報は、アメリカ、ヨーロッパの民主勢力に共有されている」と述べております。


◇ 9.11米国同時多発テロ事件から得られる利益は?

 もし仮に、多くの犠牲者を出したテロ事件をアメリカ政府が見逃した、あるいは自作自演したのであれば、それ相応の利益の還元があるはずです。ここに、二つの理由が挙げられます。一つは、誠につまらない個人の理由、「ブッシュ政権の低支持率」です。もう一つは、国家として極めて大きな、しかしそれも随分と自分勝手な、政治経済的理由、「戦争特需」であります。

1.ジョージ・W・ブッシュ大統領の支持率

 父親が第41代アメリカ大統領である、ジョージ・W・ブッシュ氏は、アメリカ史上最も接戦となった選挙戦を勝利して、2001年1月20日に大統領に就任しました。民主党候補で、後のノーベル平和賞受賞者でるアルバート・ゴア氏が、一般投票でブッシュの得票を50万票ほど上回っていましたが、選挙人投票でブッシュ氏が5票多く得票しました。実弟であるジェブ・ブッシュ氏が知事を務めるフロリダ州の、一般得票でゴア氏をわずかに上回り、25人の選挙人を獲得したためとされます。しかし、そのフロリダ州で選挙違反があったとの指摘もなされております。そうした理由もあって、親子二代目となったブッシュ政権の発足当初の国民支持率は低迷していました。
 任期9ヶ月目の9月11日、ニューヨークとワシントンD.C.で同時多発テロが発生し、3日後の9月14日、ブッシュ大統領は世界貿易センタービル跡地を見舞い、救助作業に当たる消防隊員や警察官らを拡声器で激励してリーダーシップを発揮しました。これによって、一時は、歴代トップだった湾岸戦争開戦時の父親ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の89%をも上回る驚異的な支持率91%を獲得しました(下図)。

ジョージ・ブッシュ政権支持率 図

 9月18日には、「テロを計画、承認、実行、支援したと大統領が判断した国家、組織、個人に対してあらゆる必要かつ適切な力を行使する権限を与える」とする、一見、独裁政治にも繋がりかねない合同決議が上院98対0、下院420対1で可決されております。

2.戦争特需

 9.11米国同時多発テロ事件直後の支持率の急上昇を成し遂げたブッシュ政権は、早速、テロに対する報復攻撃を仕掛けました。9.11から1ヶ月も経っていない10月07日、アフガニスタンへの侵攻を開始、11月13日には北部同盟軍が首都カーブルを制圧し、タリバン政権は消滅しました。
 翌年の2002年になって、ブッシュ政権はイラクとアルカイダを結びつける論調を開始しています。「イラクの大量破壊兵器保有の可能性が世界の安保環境を脅かしている」、「フセイン大統領とアルカイダが協力関係にある可能性がある」などを開戦理由に2003年03月19日、イラクに対して「イラクの自由作戦」と称した侵攻を行いました。

イラク戦争写真

 当然のごとく、戦争では犠牲者が出ますし、国内の労働力を戦地に赴く損失もあります。しかしながら、社会現象なり事件なりに関連する形で発生する需要によってそれら必要とされる物品などの市場価値が上がり、好景気を博することを特需景気と言いますが、その最たるものとして、戦争特需があります。軍需産業の側にすれば「製品を使ってもらえる良い機会」であります。また直接戦争で消費される兵器関連の産業だけではなく、軍事活動で需要が増大する鉄鋼、エネルギー、食料、繊維など様々な方面に国家予算が投下され、それらに関連する企業に利益をもたらします。

3.政治家の石油産業や軍需産業との繋がり

 践祚特需と類似しているようですが全然違います。ブッシュ政権の中心人物らは、石油産業や軍需産業との深い繋がりがあり、戦争によって、特定の政治家に利益をもたらす、と言う見方です。具体例でご説明します。
 ブッシュ大統領は、1978年にアルブスト・エネルギーという石油ガス会社を創立しましたが、つぶれかけたところを他社に買収され、その後、同社を買収したハーケン社の取締役を90年まで務めました。ブッシュ大統領は、大統領就任後も石油業界と深い関係があることが指摘されております。そして、制圧した後のイラクの油田は米国が支配したのであります。
 チェイニー副大統領は、副大統領就任まで、世界最大の石油掘削会社ハリバートン社の最高責任者でありました。同社の子会社、KBRが競争入札なしにイラクの油田火災鎮火を請け負いましたし、同社は2001年に国防総省よりコストプラス方式で上限なしの10年契約を獲得しております。そこで支払われる報酬は税金で賄われます。

チェイニー副大統領 写真
リチャード・ブルース・チェイニー元副大統領

 数え上げたらキリがないほど、米国政府の要人らが関わる石油産業や軍需産業がイラク戦争前後に優遇され、巨額の富を得ております。これらはあくまでもイラク戦争前後の話でありますが、9.11米国同時多発テロ事件が発端であることは言うまでもありません。

 9.11米国同時多発テロ事件がブッシュ政権の支持率をアップし、さらにその報復攻撃としてアフガニスタンやイラクへの侵攻が行われたのは公式発表された事実でありますが、原因があって結果が後からついて来たと考えるよりも、結果を見越してその原因を引き起こしたシナリオだった可能性はあります。


◇ あとがきに代えて 9.11米国同時多発テロ事件 陰謀説を助長する嘘

1.現代の陰謀論者たちの傾向

 私個人は起こった出来事を冷静に見て客観的に判断するだけですが、入って来る情報に誤りがあることが多く、これは政府やマスコミの報道操作のみではありません。
 現代は、インターネットを通じたメディアが発達し、個人が自由にいろんなことを言える時代であります。インターネットのみならず、多くの語り部とされる人々が、エイジング思想や、裏の社会、医療の闇をいろんな場で説明しています。当然のごとく、スキャンダラスな出来事、オカルトや陰謀と言ったものに人々は色めき立ちます。そういう内容の本が売れて、「言ったもの勝ち」、言うなればフィクション作家としてお金儲けしているだけのような人がいらっしゃいます。
 そうした人々の論調の中には、無理な理論武装、曖昧なことへの断言、はっきり間違ったことを真実として伝えるはしばしばです。それらは、はっきり言って「嘘」であります。でも、「嘘」をついても、それは「個人が取捨選択すべき」との考え方からお咎めはなし、そういう時代であります。

2.世界貿易センタービルの米国、イスラエル二重国籍者は全員が無事!?

 さて、9.11 米国同時多発テロ事件において、世界貿易センタービルで働いていた米国、イスラエル二重国籍者4000人は、事件当日、全員が欠勤して無事であったと言う記事を多数、見かけます。その根拠として、「NHK解説委員 長谷川 浩 氏の変死」が挙げられています。以下のようなポスター(?)も作られています。

長谷川浩死のユダヤ疑惑

 2001年10月15日、NHK解説委員 故 長谷川 浩 氏が東京都渋谷区神南のNHK放送センターで転落死しました。遺書などはなく、「事件性はない」との扱いで終わりました。多くの解説が、この故長谷川氏が、9.11事件当日の世界貿易センターでの被害者の国籍を調べていて、米国、イスラエル二重国籍のユダヤ人4000人全員が欠勤していたことを突き止め、これを発表しようとしていた矢先に殺害されたと述べております。
 本当のところは、そんな事実はありません。真実は、事件発生当初、各国大使館が自国民の安否を確認し、イスラエルではニューヨークに4000人前後が滞在しており、そのほぼ全員が無事であることを確認したとのことです。それが世界貿易センターに勤める米国、イスラエル二重国籍者4000人にすり変わり、この人々が当日、同時に欠勤して、難を逃れた、すなわち、9.11はユダヤ金融資本による陰謀で、それを彼らは事前に知らされていたとの作り話です。そもそも、前提からしておかしくて、世界貿易センタービルにユダヤ人ばかり4000人も勤務していないでしょう。

3.陰謀はあったかも知れないが、その説を後押しする「嘘」に注意!

 他にも、日本テレビアナウンサ―の故 米森 麻美さん(享年34歳)の死を9.11と結びつける話もあります。詳しくは別に譲りますが、どう考えてもこじつけのように思います。いろんな確からしい疑惑と、それらを修飾するかのごとく、「嘘」、「インチキ」が横行しているのが事実です。「真実は?」と題して、歴史的事実を検証して行くにあたり、このあたりの世情にも考慮が必要と考える次第です。


真実は? 9.11米国同時多発テロ事件 まずは公式発表から


 先日、ニューヨーク 9.11 悲劇の地「グラウンド・ゼロ」をご紹介し、最後の文章で「こうしたモニュメントを見るにつけ、実は上辺だけと感じる人、隠された真実に疑惑の目を持つ人、はっきりと怒りを覚える人が少なからずいることも忘れてはなりません。」と申しました。9.11に対する疑惑、それは日本ではあまり話題にされておりませんが、米国では3人に1人は疑っているとされます。久しぶりに「真実は?」、9.11米国同時多発テロ事件を検証いたします。

アメリカ同時多発テロ写真

 アメリカ同時多発テロ事件は、今から14年前、2001年9月11日にアメリカ合衆国内で同時多発的に発生した、航空機等を用いた4つのテロ事件の総称であります。航空機が使用された史上最大規模のテロ事件で、死者3,025人、負傷者6,291人にも及び、全世界に衝撃を与えました。その後、米国は、このテロに対する報復として、アフガニスタン紛争(2001年〜)およびイラク戦争(2003-2011年)を仕掛けております。


◇ 旅客機4機のハイジャック

 2001年9月11日朝、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系のグループによってほぼ同時にハイジャックされました。それぞれについて若干の詳細をまとめます。

1.アメリカン航空11便(ボーイング767-223ER)

 アメリカン航空11便は、ボストン・ローガン国際空港07:59発、ロサンゼルス空港行きで、乗員乗客92名でありました。

アメリカン航空11便 写真

 離陸から14分後、ボストン航空交通管制センターの管制官からの「アメリカン航空11便、高度を35,000フィートまで上昇してください」という指示に応答がなかったため、それ以前の段階でハイジャックがなされたものと考えられております。犯人は以下の通り発表されております。

 【アメリカン航空11便のハイジャック犯】
  モハメド・アタ(エジプト;操縦担当)
  アブドゥルアズィーズ・アル=オマリー(サウジアラビア)
  ワリード・アル=シェフリー(サウジアラビア)
  ワイル・アル=シェフリー(サウジアラビア)
  サターム・アル=スカーミー(サウジアラビア)

 操縦室へ侵入したハイジャック犯は機長と副操縦士を隠し持っていたカッターナイフで刺殺しコックピットを占拠、自らが操縦して、離陸から17分後の08:16、高度29,000フィートより規定の航路を逸脱し始めました。なお、凶器を持ち込み操縦室へ侵入した方法については現在も不明であります。
 08:23、客室乗務員の1人がアメリカン航空予約席係に「客室乗務員です。たったいま飛行機がハイジャックされました」と電話連絡、もう1人の客室乗務員もフライトサービスマネージャーに電話をしてハイジャックされたと報告し、彼女たちはハイジャック犯の座席番号も地上に伝えております。
 ハイジャック犯のリーダーであるアタより「我々は、ハイジャックした。静かにしていればお前たちは大丈夫だ。今から空港に引き返す。誰も動くな、何も問題ない。動けばお前たちの命も飛行機も危険にさらすことになる。大人しく座ってろ!」と乗客に機内放送でアナウンスを行いましたが、これはスイッチを間違えており、機内ではなく、ボストンの航空管制官へ送られました。
 08:26、機体が大きく南に航路を転じた頃、バージニア州にある連邦航空局指令センターが本部に緊急事態を告知、ボストン航空交通管制センターより、北アメリカ航空宇宙防衛司令部のニューヨーク州にある北東航空局に通報し、マサチューセッツ州にある空軍基地から2機のF-15緊急発進を要請しております。
 アメリカン航空11便は08:43、ニューヨーク、マンハッタンへと進路を変更し、ニューヨーク上空に来たところで異常な急降下を開始しました。フライトサービスマネージャーから「外に何が見える?」と言う質問に客室乗務員の1人が「タワーが見える、ビルが見えるわ」と答えております。
 08:46、11便は、約38,000 Lのジェット燃料を積んだまま、時速約750 km/hの高速で、世界貿易センター北棟(第1ビル、110階建て)の93-99階に北側から突入し、機体の全てがビル内に飲み込まれ、爆発炎上しました。突入の瞬間まで、客室乗務員たちは地上と交信しておりましたが、犯人を含む乗員乗客全員が死亡しました。

2.ユナイテッド航空175便(ボーイング767-222)

 ユナイテッド航空175便は、アメリカン航空11便と同じく、ローガン空港発、ロサンゼルス空港行きでありました。同機はボストン・ローガン国際空港を08:14出発、乗員乗客65名でありました。

ユナイテッド航空175便 写真

 175便は、航空管制からの問いかけに応答しなくなっていたアメリカン航空11便から発信されたモハメド・アタ自身の肉声を傍受しておりました。08:42、この不審な交信に関して175便と管制官が交信しましたが、それが175便の最後の交信となりました。

 【ユナイテッド航空175便のハイジャック犯】
  マルワーン・アル=シェッヒー(アラブ首長国連邦;操縦担当)
  ファイヤーズ・バニーハンマード(アラブ首長国連邦)
  ムハンド・アル=シャフリー(サウジアラビア)
  ハムザ・アル=ガームディー(サウジアラビア)
  アフマド・アル=ガームディー(サウジアラビア)

 ユナイテッド航空175便は、08:42-08:46にハイジャックされたとみられ、このときテロリストは棍棒、ナイフ、催涙神経ガススプレー、爆弾(爆発はさせなかった)を所持していたとされます。最後の交信から数分後、同機は航空管制の許可を得ずに針路を変更、08:47、アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に突入した直後、175便は航空機識別番号(トランスポンダ・コード)を変更しました。08:52には客室乗務員よりユナイテッド航空にハイジャックの通報がなされましたが、08:54、ユナイテッド航空からの交信には応答がありませんでした。
 09:03、175便は機体を傾けながらニューヨークの世界貿易センター南棟78-84階に高速で突入・炎上しました。機体は原形をとどめず、大半がビル内に飲み込まれました。

3.アメリカン航空77便(ボーイング757-223)

 アメリカン航空77便は、ダレス国際空港発、ロサンゼルス空港行きで、乗員乗客64名でありました。08:51から08:54の間にかけて完全にハイジャックされ、その直後に向きを北に変え、すぐに南へ転回し、しばらくして東へ進路を変えました。最初の針路離脱から3分間(08:50:51まで)は、管制官と機長による正常な通信がありましたが、その後は通信不能となっております。ペンタゴンへの激突までの間に、2人の搭乗者が地上と電話で連絡を取っていました。

アメリカン航空77便写真

 【アメリカン航空77便のハイジャック犯】
  ハーニー・ハンジュール(サウジアラビア;操縦担当)
  ハリード・アル=ミンザール(サウジアラビア)
  マージアド・ムーカド(サウジアラビア)
  ナワーフ・アル=ハーズミー(サウジアラビア)
  サリーム・アル=ハーズミー(サウジアラビア)

 09:38、ペンタゴンに突入し爆発炎上、機体は大破しました。激突の瞬間は、周辺の監視カメラなどによって撮影されており、また、目撃者も大勢いました。映像によると、ほぼ水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突、離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突、炎上したため機体の残骸はほとんど原形をとどめず、乗客乗員64名は全員犠牲となりました。


4.ユナイテッド航空93便(ボーイング757-222)

 ユナイテッド航空93便は、ニューアーク空港08:42発、サンフランシスコ国際空港行きで、乗員乗客40名でありました。09:24、93便は航空管制官から「他機、2機がニューヨークのWTCに突っ込んだので、ハイジャッカーには十分、注意してください」と警告を受け、09:26パイロットが管制官からの警告を確認しております。

 【ユナイテッド航空93便のハイジャック犯】
  ズィアド・ジャッラーフ(レバノン;操縦担当)
  アフマド・アル=ハズナーウィー(サウジアラビア)
  アフマド・アル=ナーミー(サウジアラビア)
  サイード・アル=ガームディー(サウジアラビア)

 その1分後、09:27、犯人らがコックピットに押し入り、操縦士と乱闘となった際に旅客機の高度が低下したことを管制官らは確認しています。09:28、管制官らは93便のコックピットで発せられた悲鳴を聞き、それから40秒後、再び管制官らは93便のコックピットで複数の悲鳴が発せられたのを聞いています。管制官らは93便へ応答を求めたが回答はなく、この時点で高度は700 ft (200 m) にまで低下していました。ハイジャックが発生してから、乗客10人と乗員3人は管制官や家族へ携帯電話や機内電話で連絡をしております。
 09:59、乗客がコックピットのドアを叩き壊そうとする音が聞こえ始めます。その音に混じって犯人が「ドアを押さえろ、絶対中に入れるな」と指示しているのが記録されております。10:00、機体が急降下、急上昇を繰り返し、10:01、犯人の「墜落させてやる、酸素を止めろ」との指示が記録されています。
10:03、同機は時速580 km/hの速度でペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに墜落しました(下現場写真)。乗客乗員40名全員が犠牲となりました。

ユナイテッド航空93便墜落地点


◇ 世界貿易センター(World Trade Center, WTC)の大惨事

1.アメリカン航空11便の北棟への突入、爆発炎上

 2001年9月11日、08:46、世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟、93-99階の北側に、アメリカン航空11便が突入、爆発炎上しました。この時点では多くのメディアがテロ行為ではなく単なる航空機事故として報じました。当時のアメリカ合衆国大統領、ジョージ・W・ブッシュ氏も「第一報を受けた時点では航空事故だと考えた」と発言しております。

 「9.11テロ アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に突入した瞬間」YouTube

2.ユナイテッド航空175便の南棟への突入、爆発炎上

 1機目に続いて09:03、南棟78-84階付近にユナイテッド航空175便が突入、爆発炎上しました。2機目の激突は1機目の激突後に現場のテレビ中継を行っていた際に発生したため、前代未聞の衝撃的な映像を世界中の多くの人がリアルタイムで見る事になりました。なお、この時点では事故ではなく故意に起こされた事件であることが認識されております。

WTC2機目の突入

 「9.11テロ ユナイテッド航空175便が世界貿易センター南棟に突入した瞬間」YouTube

3.ツインタワーの倒壊とパンケーキクラッシュ説

 世界貿易センターのツインタワーは、建設当時の主力ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずでした。しかし、実際に高速で突入した同サイズのボーイング767によってビル上部は激しく損傷、漏れ出したジェット燃料は縦シャフトを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生しました。火災の熱による鉄骨の破断でタワーは強度を失い、09:59、南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊、北棟も10:28に南棟と同様、砕けるように崩壊しました。

911世界貿易センタービル倒壊写真

「倒壊する世界貿易センタービル 北棟」YouTube

 このツインタワー倒壊の原因論としてパンケーキクラッシュ説が言われていります。パンケーキクラッシュとは、建築物の柱がフロアを支えきれずに、上の階から下の階に向かってフロア自体が崩れ落ちるように倒壊する現象です。床が高熱により下方に湾曲しても起こり、倒壊したフロアが積み重なっている様子が、パンケーキを積み重ねた様子に似ていることからこう呼ばれます。世界貿易センタービル、ツインタワーの倒壊では、航空機の突入で発生した火災により、支持鉄骨が溶融・破断したことで、上層階部分のパンケーキクラッシュが生じ、これがツインタワー全体に波及した可能性が挙げられています。

4.世界貿易センター7号棟の倒壊

 旅客機の突入を受けた世界貿易センター、南北棟の倒壊から8時間遅れて、17:20、世界貿易センター7号棟(通称 ソロモン・ブラザーズ・ビル、47階建て)も倒壊しました。火災の熱で鉄骨の強度が落ちていたのに加えて、ツインタワーの崩壊による破片の直撃や大地震を上回る猛烈な縦揺れの影響で崩壊したとされています。

5.世界貿易センターにおける人的被害

 ツインタワーの人的被害は、特に北棟で大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)でありました。特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われています。それは航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され炎上し、避難経路が遮断されたためです。
 一方、2機目の旅客機の突入を受けた南棟も同様に激しく炎上しましたが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができました。旅客機突入以前の避難者も含めると約7割の人が生還しているとされます。
 北棟と南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落、炎上し、8時間後に敷地北隣の高層ビル、世界貿易センター7号棟も崩落し、以上、ニューヨークでの被害者は2,749人に及びました。


◇ アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)への旅客機突入

 2001年9月11日、09:38、アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に、はジャックされたアメリカン航空77便(ボーイング757)が突入、爆発炎上しました。ビルの一部は炎上し、10:10には4階が崩壊、10:15には1階までが全て崩壊しました。77便の乗客・乗員64名は全員が死亡、国防総省職員189人が死亡しました。

911ペンタゴン写真

 アメリカン航空77便の突入は高速かつ水平であったため、ほぼ原型を留めぬほどの破壊であり、爆発炎上により機体の判別が困難なほどとされます。ビルの倒壊は5層になっているビル全体の1番と2番で抑えられました。この部分は長官執務室の反対側であり、ビルの補強工事中で普段よりも職員が少ないことが被害を抑えたとされます。
 なお、この直前に起きた世界貿易センタービルへの事件の影響で情報は錯綜し、ここでの最初の報道は単にペンタゴンが爆発炎上したというだけでありましたが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によってアメリカン航空機が北側から旋回して激突したとの目撃が証言され報じられました。さらに激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録され、これはすぐにFBIによって回収、調査されております。


◇ アメリカ合衆国の対応

 第43代アメリカ合衆国大統領、ジョージ・ブッシュ氏の政権下にあったアメリカ合衆国は、9.11同時多発テロに対して以下の対応を行いました。

1.非常事態宣言

 ブッシュ大統領は速やかに非常事態を宣言しました。冷戦時代に設定された政府存続計画が初めて実行されました。世界貿易センタービルやペンタゴンへの攻撃がなされた後しばらくの間は、さらなるテロに備えて、州兵、予備役が動員されました。空港などには厳戒態勢が敷かれ、全ての国境が封鎖されました。また、連邦航空局の命令によりアメリカ国内の民間航空路の封鎖、アメリカ領空内への民間機の入域、通過が禁止され、領空内を飛行中の民間機は全て最寄の空港に強制的に着陸させられました。
 これらの措置は数日間続いた上、この措置が行われた地域はアメリカ本土のみならず、アメリカが航空管制を担当しているサイパンやパラオなどの太平洋諸国の一部地域や、北大西洋の一部地域など広範囲に及びました。これにより多くの外国人がアメリカ国内に足止めされた上に、多くの航空機が地上待機させられた世界各国の航空会社の運行が大混乱に陥りました。

2.犯人捜査

 この事件において、ハイジャック犯の、恐らくは機器操作ミスにより、乗客に向けての放送が管制塔に傍受されることとなり、コックピット内の会話が管制室に入り、アラビア語を話していることから、おそらくはアラブ人が犯人であることが早期に推測できました。
 また、客室乗務員は機内電話を使用して航空会社へハイジャックを報告し、犯人の特徴、人数と座席番号を伝えました。このため、航空会社は犯人の氏名、住所、電話番号からクレジットカードの使用履歴までを把握することが可能となりました。また、数名の乗客も手持ちの携帯電話や機内電話で家族や友人にハイジャックの事実を伝え、これらの電話の会話は殆どが機体の破壊の時まで続きました。この内いくつかの会話は録音されており、事件捜査に使用されました。

3.米国による犯人引渡し要求からアフガニスタン侵攻

 アメリカ合衆国政府はこれらの捜査の結果から、このテロ攻撃がサウジアラビア人のオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカーイダ」によって計画、実行されたと断定しました。これに対して、アルカーイダは否定しなかったが、肯定もしませんでしたが、米国政府は、彼らが潜伏するアフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求しました。
 しかし、ターリバーン側は、「証拠があれば引き渡す。しかし、今の段階ではアルカーイダのやったこととは断定できない」と主張し、引き渡しを拒否しました。これに対してアメリカ合衆国軍はアフガニスタンのターリバーン政権に対して攻撃を開始しました。なお、湾岸協力会議を構成するアラブ諸国もテロ攻撃を批判し、アフガニスタン侵攻を支持する声明を出しました。

4.その後、イラク戦争

 アフガニスタン侵攻に続いて、ブッシュ政権は、2002年、国際テロ組織とならず者国家と断じた「悪の枢軸:イラク、イラン、北朝鮮」との戦いを国家戦略とし、「アメリカの防衛のためには、予防的な措置と時には先制攻撃が必要」として推進する方針を決めました。これをもとに、2003年、アメリカ合衆国はイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争に踏み切りました。

広島、長崎への原爆投下から70年、核保有国はどうなっているのか?


 今から70年前、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、マリアナ諸島テニアン島を飛び立った米国軍B-29エノラ・ゲイ号(機長 ポール・ティベッツ大佐)により、広島県広島市にウラン235原子爆弾(原爆)が投下され、当時の広島市の人口推定35万人のうち、9万~16万6千人の命が被爆から2~4ヶ月以内に失われました。その3日後の1945年(昭和20年)8月9日、テニアン島から出撃して第一目標である福岡県小倉市に向かったものの、天候上の問題から第二目標である長崎市へと移動した米国軍B-29ボックスカー号(機長 チャールズ・スウィーニー少佐)が、午前11時2分、長崎県長崎市街地から約3 kmの松山町上空へプルトニウム239を使用した原爆を投下、当時の長崎市の人口推定24万人のうち約7万4千人が死亡しました。これらが実戦で使用された人類史上1発目と2発目の核兵器でありました。

原爆ドーム

 原爆の、そのとてつもない破壊力と、無差別に人の体を蝕む非人道性について、日本の受けた大きな傷は、敗戦国とは言え、多くの国家に対して多大なる教訓として伝わったはずでありました。少なくとも、世界で唯一の被爆国となった我が国は広島、長崎の悲劇を世界に向けて発信し続けて来たと思います。これまでのところ、広島、長崎以降の戦争では使用されてはいませんが、現代の世界に核保有国は少なくありません。
 繰り返しますが、世界で初めて核兵器が戦時下に使用されてから70年、核兵器の悲惨さを振り返り、世界の国々の核保有の実態をまとめておきます。


◇ 写真で見る広島、長崎の惨状

1.広島平和記念資料館より

広島原爆資料000

広島原爆資料001

広島原爆資料002

広島原爆資料003

広島原爆資料004

広島原爆資料005

広島原爆資料006

広島原爆資料007

広島原爆資料 人影の説明

広島原爆資料008

2.長崎原爆資料館より

長崎原爆資料館001

長崎原爆資料館002

長崎原爆資料館003


◇ 核兵器による被曝の人体への影響

 核兵器による被曝の人体への影響を急性期および慢性期、さらには被曝二世について言及いたします。ここでは、広島、長崎の被曝経験にも基づく病態をご説明しますが、原発事故や放射線治療、X線診断などの低線量被曝の影響については別の機会といたします。

1.急性放射性症候群(acute radiation syndrome, ARS)

 核兵器により人間が被爆した場合、火傷などの直接的な外傷とは別に、頭髪の脱毛、皮下出血、歯茎からの出血、鼻血、下痢や嘔吐などの急性放射線症候群(acute radiation syndrome, ARS)を発症します。これは、体細胞が電離放射線を被曝することによる確定的影響によって生じる放射線障害であり、その発症機序は、電離放射線の電離作用が直接・間接的に体細胞の遺伝子である、デオキシリボ核酸(DNA)を傷害することにより、遺伝情報が損傷することによるものであります。DNAが回復不能なほど重度な傷害を受けると、細胞はプログラム細胞死を来すか、遺伝情報を損傷したまま固定化してしまうことになります。前者の場合は、大量の細胞が失われることによって組織は急性の機能不全に陥り、プログラム細胞死を来した細胞が比較的少数であった後者の場合も、生存した細胞の遺伝情報に損傷が残っていると、正常細胞を産生することができず、機能不全からの回復が阻害されることになります。

2.原爆症(atomic bomb injury)

 原爆による被曝直後を乗り越えた後は、白血病やがん、骨髄異形成症候群などを発症する可能性が高く、この晩発性の放射線障害を原爆症と総称されます。発症は被爆直後の場合が多いですが、10年、20年経った後に発症することも少なくなく、60年以上経った現在でも、新たに発症するケースが見られます。また、直接被爆をしていなくても、原爆投下直後に救援等のため被災地に入ったことによっていわゆる「入市被爆」したり、放射性降下物を含んだ「黒い雨」を浴びたり、さらに母胎内で被爆して生まれた子供にも発症しました。広島市、長崎市では被爆直後は健康に見えた人の容態が突然悪化し、死亡したケースが数多く確認されており、多くの場合、体にだるさを感じた後、目が見えなくなったり、節々に痛みを感じたりした後に死亡したとされます。

【主な原爆症】
 ・悪性新生物:甲状腺や消化器などの固形癌、白血病
 ・副甲状腺機能亢進症
 ・心筋梗塞
 ・甲状腺機能低下症
 ・慢性肝炎、肝硬変
 ・放射線白内障

3.被曝二世

 差別や偏見に曝されることが多かった「被爆二世」については、遺伝的影響はないとの意見が定説となっています。原爆傷害調査委員会(ABCC)による被爆二世に対する調査では、新生児の障害、染色体異常、血中タンパク質の異常などの発生率に健常人との間で差はないと結論されております。また、放射線影響研究所は2007年に、被爆二世への遺伝的な影響は、死産や奇形、染色体異常の頻度、生活習慣病を含め認められないと発表しています。厚生労働省健康局総務課はこれらの研究から国会答弁において被爆二世の健康への影響はないと考えられるとしています。
 一方、被爆二世の健康への影響を疑う意見も存在します。1988年に結成された全国被爆二世団体連絡協議会は、2004年に坂口厚生労働大臣に対して被曝二世、三世に健康に関する不安があり、なんらかの対応を求める請願書を提出しました。同会の2006年の総会決議では原爆症と同じ症状で死去した二世が存在すると指摘しています。2012年6月3日、長崎原爆資料館で開催された第53回原子爆弾後障害研究会において、広島大学原爆放射線医科学研究所研究グループの「広島原爆被爆者の子どもにおける白血病発生について」(鎌田七男名誉教授)で、被爆二世の白血病発症率は特に両親ともに被爆者の場合に高くなる遺伝的影響があるとされております。


◇ 核保有国

1.核保有国の概要

 核保有国とは、核兵器(一般には原子爆弾)を保有している、または保有している疑いが強いと国際社会からみなされている国のことであります。
 2014年現在、核実験を公式に成功させた国は8か国であります。そのうち核拡散防止条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons、NPT)で核兵器保有の資格を国際的に認められた核保有国はアメリカ合衆国、ロシア(ソ連からの継承)、イギリス、フランス、中国の五大国)であり、それ以外(NPT非批准)の核保有国はインド、パキスタン、北朝鮮の3か国、他に、核保有が確実視されている国にはイスラエルがあり、核保有または核開発の疑惑国にはイラン、シリア、ミャンマーなどが挙げられます。

2.核保有国一覧と世界の年別核実験回数

核保有国の表

世界の核実験回数グラフ


◇ あとがき

 広島、長崎への原爆投下は第二次大戦を終結させるための一つの手段であったと、言えば言えなくもないところです。戦争に至った我が国の非は明らかであり、その敗戦への過程の中で、沖縄大虐殺や東京大空襲と同じ次元で原爆による攻撃があったと米軍は言うかも知れません。しかし、広島ではウラン型、長崎にプルトニウム型と、異なるタイプのものを使用して、その後の健康被害への調査を行うなど、核実験、あるいは人体実験的な要素は大きく、しかも無抵抗な市民への攻撃は、明らかな無差別殺人でもあります。
 どの国も、核兵器の脅威を知りながら、核廃絶を訴えながら、そして、放射線による後年までも続く健康被害に非人道性を理解しながらも、しかし、現実には核兵器を作り続けた歴史があって、各国の核保有数には誠に驚かされます。改めて、戦争による唯一の被曝国として、核兵器廃絶に向けた姿勢を貫く必要性を感じる次第です。

日本の、実は世界的に低い「報道自由度」


 先日、テレビ朝日の「報道ステーション」の生放送で、元経産官僚の古賀茂明氏が番組降板を巡ってキャスターの古舘伊知郎氏と口論になったシーンを全文で引用させていただき、古賀氏の、現在の日本が行こうとしている方向性に対する正論に対して、政府与党からの影の圧力や番組降板、プロデューサーの更迭と言った動きがあるのかも知れないとご紹介しました。加えて、同番組で、福島での甲状腺ガン患者の急増や手抜き除染問題など、原発に関する数々の報道を手掛けて来た、ディレクターの故 岩路 真樹 氏(享年49歳)の自殺に疑惑の声が挙がっていること、そして、実際に自民党から「報道ステーション」に対する圧力文章の存在と担当プロデューサーが異動となったとの記事をご紹介しました。文のおわりに、「政府およびメディアの報道を鵜呑みにはできない、そもそも報道の自由度がそれほど高い国ではない」などと申し上げました。今日はその「報道自由度」について勉強いたしました。


◇「国境なき記者団 Reporters Without Borders, RWB」

 「報道自由度」と言う言葉は、2002年以降、「世界報道自由ランキング(Worldwide press freedom index)」を「国境なき記者団」が毎年発行するようになって発生したように思います。まずは、この「国境なき記者団」についてご説明します。

1.発足

 「国境なき記者団 Reporters Without Borders, RWB」は、言論の自由(または報道の自由)の擁護を目的とした、ジャーナリストによる非政府組織であり、1985年、フランスの元ラジオ局記者ロベール・メナールによってパリで設立されました。

2.概要

 世界中で拘禁されたジャーナリストの救出、死亡した場合は家族の支援、各国のメディア規制の動きへの監視・警告が主な活動とされています。2002年以降、「世界報道自由ランキング(Worldwide press freedom index)」 を毎年発行しており、2006年11月には「インターネットの敵 (Enemies of the Internet) 」13カ国を発表し、2014年現在には19カ国を挙げています。

3.警告

 中華人民共和国のYahoo!とGoogleへのインターネット検閲に対してそれを止めるよう要請したとされます。2009年6月、イラン大統領選挙に関して、マフムード・アフマディーネジャード現大統領の陣営による検閲や報道関係者の取締りが行われたとして、選挙結果の不承認を各国に呼びかけております。日本に対しても、従来から記者クラブ制度を「排他的で報道の自由を阻害している」と強く批判しており、2011年の福島第一原子力発電所事故に関連した報道規制や、秘密保護法などの政府情報開示の不透明さに対して警告を発しております。


◇「インターネットの敵 Enemies of the Internet」

 「インターネットの敵 Enemies of the Internet」とは、「国境なき記者団」が、ネットで検閲など情報統制を行っている国を調査し、「監視対象」と、はっきり「敵」として見なしている国であります。以下、各分類毎に挙げられた年度順に国名を列挙いたします。

【過去に監視対象として挙げられた国】

 ベラルーシ     2000-2011年、格上げ
 ベネズエラ     2001年、指定解除
 ヨルダン      2008年、指定解除
 タジキスタン    2008年、指定解除
 イエメン      2008-2009年、指定解除

 リビア       2008-2011年、指定解除
 バーレーン     2008-2009年、2011年、格上げ
 インド       2008-2013年、格下げ
 アラブ首長国連邦  2008-2013年、格下げ
 ロシア       2010-2013年、格上げ

【現在 監視対象として挙げられている国】

 タイ        2008年〜
 カザフスタン    2008年〜
 スリランカ     2008-2009年、2011年〜
 エリトニア     2008-2009年、2011年〜
 マレーシア     2008-2009年、2011年〜
 
 オーストラリア   2009年〜
 韓国        2009年〜
 トルコ       2010年〜
 フランス      2011年〜
 エジプト      2011年〜
 
 チュニジア     2011年〜

【過去に敵として挙げられた国】

 エジプト      2006-2010年、格下げ
 チュニジア     2006-2010年、格下げ
 ミャンマー     2006-2013年、指定解除

【現在 敵として挙げられている国】

 イラン       2006年〜
 ウズベキスタン   2006年〜
 北朝鮮       2006年〜
 キューバ      2006年〜
 サウジアラビア   2006年〜

 シリア       2006年〜
 トルクメスタン   2006年〜
 ベトナム      2006年〜
 ベラルーシ     2006-2008年、2012年〜
 中華人民共和国   2008年〜

 バーレーン     2012年〜
 アメリカ合衆国   2014年〜
 アラブ首長国連邦  2014年〜
 イギリス      2014年〜
 インド       2014年〜

 エチオピア     2014年〜
 スーダン      2014年〜
 パキスタン     2014年〜
 ロシア       2014年〜
 

◇ 2015年「世界報道自由ランキング Worldwide press freedom index」

 「世界報道自由ランキング」とは、2002年以降、毎年14の団体と130人の特派員、ジャーナリスト、調査員、法律専門家、人権活動家らが、それぞれの国の報道の自由のレベルを評価するため、50の質問に回答する形式で指標が作成された、各国のメディアに与えられる報道の自由度を表します。報道の自由に対する侵害について、法的支配やインターネット検閲、ジャーナリストへの暴力などの項目で調査されており、侵害度が大きいほど指数は高くなります。

【2015年 世界報道自由ランキング】

 順位   国名            指数   前年比

 001位 フィンランド        07.52  → ±0
 002位 ノルウェー         07.75  ↑ +1
 003位 デンマーク         08.24  ↑ +4
 004位 オランダ          09.22  ↓ -2
 005位 スウェーデン        09.47  ↑ +5

 006位 ニュージーランド      10.06  ↑ +3
 007位 オーストリア        10.85  ↑ +5
 008位 カナダ           10.99  ↑ +10
 009位 ジャマイカ         11.18  ↑ +8
 010位 エストニア         11.19  ↑ +1
 
 011位 アイルランド        11.20  ↑ +5
 012位 ドイツ           11.47  ↑ +2 (GDP 4位)
 013位 チェコ           11.62  → ±0
 014位 スロべキア         11.66  ↑ +6
 015位 ベルギー          11.98  ↑ +8
 
 016位 コスタリカ         12.26  ↑ +5
 017位 ナミビア          12.50  ↑ +5
 018位 ポーランド         12.71  ↑ +1
 019位 ルクセンブルグ       13.61  ↓ -15
 020位 スイス           13.85  ↓ -5
 
 021位 アイスランド        13.87  ↓ -13
 022位 ガーナ           15.50  ↑ +5
 023位 ウルグアイ         15.94  ↑ +3
 024位 キプロス          16.52  ↑ +1
 025位 オーストラリア       17.03  ↑ +3
 
 026位 ポルトガル         17.11  ↑ +4
 027位 リヒテンシュタイン     17.67  ↓ -21
 028位 ラトビア          18.12  ↑ +9
 029位 スリナム          18.20  ↑ +2
 030位 ベリーズ          18.54  ↓ -1
 
 031位 リトアニア         18.80  ↑ +1
 032位 アンドラ          19.87  ↓ -27
 033位 スペイン          19.95  ↑ +2
 034位 イギリス          20.00  ↓ -1 (GDP 6位)
 035位 スロベニア         20.55  ↓ -1

 036位 カーボヴェルデ       20.69  ↓ -12
 037位 アンティグア・パーブータ  21.02  ↓ -1
 038位 フランス          21.15  ↑ +1 (GDP 5位)
 039位 南アフリカ         22.06  ↑ +3
 040位 サモア           22.32  → ±0
 
 041位 トリニダート・トバコ    22.39  ↑ +2
 042位 ボツワナ          22.91  ↓ -1
 043位 チリ            23.00  ↑ +15
 044位 トンガ           23.37  ↑ +19
 045位 エルサルバドル       23.66  ↓ -7
 
 046位 ブルキナファソ       23.79  ↑ +6
 047位 ニジェール         23.85  ↑ +1
 048位 マルタ           24.16  ↑ +3
 049位 アメリカ合衆国       24.41  ↓ -3 (GDP 1位)
 050位 コモロ           24.52  ↑ +3
 
 051位 台湾            24.83  ↓ -1
 052位 ルーマニア         24.90  ↓ -7
 053位 ハイチ           25.08  ↓ -6
 054位 モンゴル          25.25  ↑ +34
 055位 モーリタニア        25.27  ↑ +5

 056位 パプアニューギニア     25.87  ↓ -12
 057位 アルゼンチン        26.11  ↓ -2
 058位 クロアチア         26.12  ↑ +7
 059位 マラウイ          26.41  ↑ +14
 060位 韓国            26.55  ↓ -3

 061位 日本            26.95  ↓ -2 (GDP 3位)
 062位 ガイアナ          27.21  ↑ +5
 063位 ドミニカ共和国       27.31  ↑ +5
 064位 マダガスカル        27.43  ↑ +17
 065位 ハンガリー         27.44  ↓ -1

 066位 ボスニア・ヘルツェゴビナ  27.51  → ±0
 067位 セルビア          27.66  ↓ -13
 068位 モーリシャス        27.69  ↑ +2
 069位 グルジア          27.70  ↑ +15
 070位 香港            27.76  ↓ -9

 071位 セネガル          27.77  ↓ -9
 072位 モルドバ          27.85  ↓ -16
 073位 イタリア          27.94  ↓ -24 (GDP 8位)
 073位 ニカラグア         27.94  ↓ -3
 075位 タンザニア         28.09  ↓ -5

 076位 北キプロス         28.33  ↑ +7
 077位 レソト           28.36  ↓ -3
 078位 アルメニア         28.43  → ±0
 079位 シエラレオネ        28.47  ↓ -7
 080位 トーゴ           28.50  ↓ -4
 
 081位 ギニアビサウ        28.70  ↑ +5
 082位 アルバニア         28.77  ↑ +3
 083位 パナマ           28.98  ↑ +4
 084位 ペナン           29.24  ↓ -9
 085位 モザンビーク        29.98  ↓ -6
 
 086位 コートジボワール      30.45  ↑ +15
 087位 コソボ           30.63  ↓ -7
 088位 キルギス          30.69  ↑ +9
 089位 リベリア          30.78  → ±0
 090位 クウェート         30.84  ↑ +1

 091位 ギリシャ          31.01  ↑ +8
 092位 ペルー           31.21  ↑ +12
 093位 フィジー          31.28  ↑ +14
 094位 ボリビア          31.29  → ±0
 095位 ガボン           31.38  ↑ +3

 096位 セーシェル         31.55  ↑ +7
 097位 ウガンダ          31.65  ↑ +13
 098位 レバノン          31.81  ↑ +8
 099位 ブラジル          31.93  ↑ +12 (GDP 7位)
 100位 ケニア           32.07  ↓ -10

 101位 イスラエル         32.09  ↓ -5
 102位 ギニア           32.56  → ±0
 103位 東ティモール        32.63  ↓ -26
 104位 ブータン          32.65  ↓ -12
 105位 ネパール          32.71  ↑ +15
 
 106位 ブルガリア         32.91  ↓ -6
 107位 コンゴ共和国        33.00  ↓ -25
 108位 エクアドル         33.65  ↓ -13
 109位 パラグアイ         33.74  ↓ -4
 110位 中央アフリカ        33.84  ↓ -1
 
 111位 ナイジェリア        34.09  ↑ +1
 112位 モルディブ         34.32  ↓ -4
 113位 ザンビア          34.35  ↓ -20
 114位 モンテネグロ        34.63  → ±0
 115位 カタール          35.35  ↓ -2

 116位 タジキスタン        36.19  ↓ -1
 117位 マケドニア         36.26  ↑ +6
 118位 マリ            36.33  ↑ +4
 119位 アルジェリア        36.63  ↑ +2
 120位 アラブ首長国連邦      36.73  ↓ -2
 
 121位 ブルネイ          36.76  ↓ -4
 122位 アフガニスタン       37.44  ↑ +6
 123位 アンゴラ          37.84  ↑ +1
 124位 グアテマラ         37.92  ↑ +1
 125位 南スーダン         38.04  ↓ -6

 126位 チュニジア         38.68  ↑ +7
 127位 オマーン          38.83  ↑ +7
 128位 コロンビア         39.08  ↓ -2
 129位 ウクライナ         39.10  ↓ -2
 130位 モロッコ          39.19  ↑ +6

 131位 ジンバブエ         39.19  ↑ +4
 132位 ホンジュラス        39.27  ↓ -3
 133位 カメルーン         39.63  ↓ -2
 134位 タイ            40.07  ↓ -4
 135位 チャド           40.17  ↑ +4
 
 136位 インド           40.49  ↑ +4 (GDP 10位)
 137位 ベネズエラ         40.61  ↓ -21
 138位 インドネシア        40.75  ↓ -6
 139位 カンボジア         40.99  ↑ +5
 140位 パレスチナ         41.01  ↓ -2

 141位 フィリピン         41.19  ↑ +8
 142位 エチオピア         41.83  ↑ +1
 143位 ヨルダン          42.07  ↓ -2
 144位 ミャンマー         42.08  ↑ +1
 145位 ブルンジ          42.93  ↓ -3

 146位 バングラディッシュ     42.95  → ±0
 147位 マレーシア         43.29  → ±0
 148位 メキシコ          43.69  ↑ +4
 149位 トルコ           44.16  ↑ +5
 150位 コンゴ(旧ザイール)    44.31  ↑ +1

 151位 ガンビア          44.05  ↑ +4
 152位 ロシア           44.97  ↓ -4 (GDP 9位)
 153位 シンガポール        45.87  ↓ -3
 154位 リビア           45.99  ↓ -17
 155位 スワジランド        47.28  ↑ +1
 
 156位 イラク           47.76  ↓ -3
 157位 ベラルーシ         47.98  → ±0
 158位 エジプト          50.17  ↑ +1
 159位 パキスタン         50.46  ↓ -1
 160位 カザフスタン        53.46  ↑ +1

 161位 ルワンダ          56.57  ↑ +1
 162位 アゼルバイジャン      58.41  ↓ -2
 163位 バーレーン         58.69  → ±0
 164位 サウジアラビア       59.41  → ±0
 165位 スリランカ         60.28  → ±0
 
 166位 ウズベキスタン       61.14  → ±0
 167位 赤道ギニア         66.23  ↑ +1
 168位 イエメン          66.36  ↓ -1
 169位 キューバ          70.21  ↑ +1
 170位 ジプチ           71.04  ↓ -1

 171位 ラオス           71.25  → ±0
 172位 ソマリア          72.31  ↑ +4
 173位 イラン           72.32  → ±0
 174位 スーダン          72.34  ↓ -2
 175位 ベトナム          72.63  ↓ -1

 176位 中華人民共和国       73.55  ↓ -1 (GDP 2位)
 177位 シリア           77.29  → ±0
 178位 トルクメニスタン      80.83  → ±0
 179位 北朝鮮           83.25  → ±0
 180位 エリトリア         84.86  → ±0

世界報道自由ランキング地図

 指数別に色分けされた上図を見ますと、赤や黒で塗られた指数が高い地域は、アジア、中東、アフリカにロシアとメキシコ、南米の一部と、政情不安、あまり豊とは言えない地域となっておりました。国別に見て参りますと、予想されたことですが、国内総生産(GDP)で米国に次いで第2位であります中国は、北朝鮮と共に170番台と最下位付近に位置しておりました。その他、国内総生産上位10位以内の国では、GDP 1位のアメリカが49位、GDP 4、5、6位のドイツ、フランス、イギリスがそれぞれ、12、38、34位に対して、GDP 3位の日本は61位と不良でありました。ブラジル(GDP 7位)99位、インド(同10位)136位、ロシア(同9位)が152位と、国内総生産上位10位以内であっても、報道自由ランキング下位の国はありました。

【我が国の年度別世界報道自由ランキング順位】

日本の報道自由ランキング順位グラフ

 我が国の年度別世界報道ランキング順位をグラフで示しました。日本は、2006年の51位より年々、順位を上げて来て2010年には世界11位まで上昇しました。しかし、近年は、福島第一原発をはじめとした報道の不透明さや政府などから開示される情報量の少なさ、記者クラブ制度の閉鎖性、2013年には政府情報の隠ぺいを可能にしたとも受け取れる特定秘密保護法の制定などから信頼を失いつつあり、年々指標を下げ続けて、2015年は韓国よりも下、61位、G7では最下位まで順位を落としております。


◇ 我が国のジャーナリズム側に潜む問題点

 報道の自由度が低いと言うと、いかにもメディアに対して政府が圧力をかけたり、不都合なことをもみ消したりするのを思い浮かべてしまいますが、我が国のジャーナリズム側の問題点、具体的にはジャーナリスト達の職場におけるシステムの問題を指摘する記事を見つけましたので供覧いたします。

報道自由度に関するコラム記事

 *****

日本に報道の自由はあるのか? おそらく、ない。しかし特定秘密保護法のせいでも安倍政権のせいでも、ない

 国際的なジャーナリスト組織である「国境なき記者団」が2月に発表した2015年版の世界報道自由度ランキングで日本が61位に後退した。日本の報道自由度はいまや先進国で最低水準という。これをどうみるか。

「おい、おい大丈夫か」日本のジャーナリストは

 国境なき記者団は1985年にパリで設立されたNGOだ。言論や報道の自由を守るために、世界のジャーナリストを支援している。活動の一環として02年からメディアの独立性や政府の規制などを数値化して、各国の報道自由度ランキングを作って公開している。
 日本は当初、26位からスタートした。民主党政権時代の2010年に11位まで順位を上げたが、その後は年々、下げた。東日本大震災と福島原発事故があった後の2012年、一連の情報隠しが批判された影響もあって、一挙に53位まで順位を落とした。それ以降、韓国よりも下位に甘んじている。

 日本に関することしの講評を見ると、特定秘密保護法の影響が大きいようだ。その中で「国境なき記者団は日本政府が憲法に違反し、報道の自由に制限を加えた国家機密に関する厳しい法律を成立させたことを憂慮する」と表明している。国境なき記者団がこうした評価を下した背景には、日本人ジャーナリストたちが起こした特定秘密保護法の廃止を求める訴訟がある。講評に添付されているジャーナリストたちの声明をみると、彼らはかなり極端なグループであるようだ。
 特定秘密保護法を「憲法違反」と断じているだけでなく、安倍晋三政権について「日本を取り戻せ」というスローガンと集団的自衛権の下で「特定秘密保護法が戦争をできる体制を作るための鍵になる」と述べている。これは意見の表明だからまだいいとしても、驚いたのはこの次だ。安倍政権が「かつてのドイツ・ナチ体制下における授権法のように、安倍政権が憲法の枠の外で独裁体制を築く可能性さえある」とまで述べている。こうなると「おい、おい大丈夫か」と言いたくなる。

つまらぬ三文芝居

 特定秘密保護法をめぐってマスコミが大騒ぎしていたころ、一部に「戦争をするための独裁体制への一歩」といったような極端な声があったのはたしかだ。だが、いまではすっかり熱が冷めてしまった。国会でも特定秘密保護法をめぐる議論は引き潮のように消えてしまった。代わりに民主党は国会で安倍政権を「政治とカネ」問題で追及したが、それもブーメランのように岡田克也代表に火の粉が飛んできたら、あっという間に手打ちになりつつある。まったくばかばかしい。つまらぬ三文芝居を見せられたかのようだ。

 それはともかく、報道自由度ランキングで日本が順位を下げたという話には、裏に安倍政権をナチ体制になぞらえるような極端論があった、という事情は理解しておくべきだ。私自身が特定秘密保護法をどう考えるかといえば、13年11月29日公開コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37671)で書いたように、法不在の下、官僚が国民に見えないところで何を秘密にするか裁量で決めているより、法律できちんと法定したほうがいいと思う。問題があれば法改正すれば修正できるが、官僚が水面下ですべてを決めていたら、国民はまったく知る由もなくお手上げ状態になってしまう。

特定秘密保護法など関係ない!

 さて、ここからが本論だ。日本に報道、言論の自由はあるか。私は国境なき記者団とはまったく別の理由で、きわめて怪しいと思っている。それは特定秘密保護法などとは全然、関係ない。肝心の記者たちが独立したジャーナリストというより、単なる「大企業のサラリーマン」であるからだ。
 彼らは取材現場にいるときは、まだ記者らしい仕事をしている。記者クラブ依存の取材は役所の発表モノばかり追っていて、それ自体が問題という側面はある。それでも本当の問題はそこにあるのではない。記者の横並びと出世志向である。記者が少し経験を積んで、特派員やデスクを目指すころになると、社内の評判を悪くしないように立ち回る。デスクや部長に「あいつはダメだ」と烙印を押されれば、次のポストなどどこかに消えてしまうからだ。デスクになれば次は部長、部長になると次は局次長、局長、局長になっても次は役員とみんな上を向いて歩く。記者たちがヒラメ集団になっているのだ。
 取材現場はどうかといえば、新人の支局時代から警察や役所の発表をいち早く抜くのが特ダネと染みこまされているから、東京に来て永田町や霞が関を回るようになっても、取材相手に食い込もうと、ごますりのポチになる。そのくせ記者クラブではどうかといえば、同業他社と仲良くしていないと仲間外れにされるから、横並びの取材に甘んじる。政治記者たちが政治家との懇談で互いに「メモ合わせ」するのは公然の秘密である。共有したメモにない話は書かないのが暗黙のルールなのだ。

サラリーマン記者に「報道の自由」が議論できるか

 報道の現場だけではなく、意見を表明する論説でも似たようなものだ。編集の記者や論説委員たちが本当に自分の意見を自由に表明しているかといえば、こちらも首をひねらざるをえない。これには証拠がある。たとえば、左に傾いた朝日新聞や東京新聞に右に傾いた記者の記事が載っているか。逆に右に傾いた(世界標準で言えば中立に近いが)産経新聞や読売新聞に左に傾いた記者の記事があるか。ない。例外は憲法改正にも集団的自衛権行使にも賛成でありながら、東京新聞にときどき小さなコラムを書いている私くらいと思うが、それでも細々と息をつないでいる程度である。
 つまり右であれ左であれ、ほとんどの記者は自由な考えに基づいて記事を書いているのではなく、自分が給料をもらっている新聞の論調に合わせているのである。所詮、サラリーマンなのだ。そんなサラリーマンが「言論の自由」だの「報道の自由」だの、大上段にふりかぶって議論できるか。私に言わせれば、チャンチャラおかしい。

 報道、言論の自由を言うなら、まず1人ひとりの記者自身が組織から自由にならなければならない。組織も記者を解き放って自由にしなければならない。そんな記者も組織も残念ながら、日本のジャーナリズムにはほとんどない。それが現状である。

 *****



◇ 私見

 日本には、竹島や尖閣諸島、さらには従軍慰安婦問題、南京大虐殺などについて、韓国や中国が歴史を捏造して反日政策を行っていることに憤りを感じている国民が多いと思います。また、自衛隊の海外派遣など安全保障と憲法改正の問題、原発の事故状況や放射能漏れ、除染の現状など、国民にとって極めて重要な問題であるにもかかわらず、その情報が不透明なものが多数あります。真実を知ること、正しい歴史の継承が求められる昨今において、この日本が実は世界の中では必ずしも「報道自由度」が高い国ではありません。その順位は、朴槿恵(パク・クネ)大統領への名誉毀損で、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に対する出国禁止措置を取り、報道の自由が問題視された韓国よりも下位でありました。
 先日の、テレビ朝日「報道ステーション」における古賀茂明氏の発言には、実は報道の自由、言論の自由が損なわれつつある日本の極めて危険な現状が背景にあることは疑いのないところです。その原因として、国家あるいは政府の姿勢、ジャーナリズムのシステムの問題などが挙げられますが、我が国が、国民が全く知らないうちにどこへ向かうのか?、無関心であってはならない、自国について知る権利を訴えるべき時代であると思います。

真実は? テレビ朝日「報道ステーション」における古賀茂明氏 発言の裏側にあるもの


 先月、3月27日、テレビ朝日の「報道ステーション」の生放送で、元経産官僚の古賀茂明氏が番組降板を巡ってキャスターの古舘伊知郎氏と口論となりました。古賀氏の、いささか憎まれ口のように言われた主張は、政府与党による圧力で、報道ステーションのプロヂューサーは更迭され、自分(古賀氏)も番組出演から降ろされた、と言うもので、安倍政権目論む我が国の進む道については大きく反論する内容でありました。
 報道の自由や言論の自由と放送法との兼ね合い、公共のメディアにおける発言として適切か否か?、などと物議を呼んでおりますが、それ以上に、政府与党がメディアに対して圧力をかけたり、国民に対して自分たちが不都合であることを隠匿することがあることは、時々、耳にします。古賀氏の発言の裏側にあるものについて少し触れたいと思います。


◇ 「報道ステーション」の古賀氏と古舘キャスターのやりとり

 ここでは、番組のやりとりを供覧し、古賀氏の主張を検証したいと存じます。古賀氏の政府与党に対する批判的な文章は赤字で、古賀氏の主張を青字で示します。

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 古舘伊知郎 キャスターよりサウジアラビアのイエメン空爆などの中東情勢と米国の立ち位置についてのコメントを求められて、、、

古賀 茂明 氏

 そうですね、そのお話をする前に、私、今日が最後と言うことでですね、テレビ朝日の早河会長とか古舘プロダクションの佐藤会長のご意向でですね、私はま、これが最後、と言うことなんです。これまで非常に多くの方から激励を受けまして、で、一方で菅官房長官をはじめ官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきましたけれど、まあ、それを上回る皆さんの応援のおかげでですね非常に楽しくやらせていただいた、と言うことで、心からお礼を申し上げたいな、と言うふうに思います。本当にありがとうございました。

シーン01

古舘伊知郎 キャスター

 古賀さん、あの、ちょっと待って下さい、ちょっと待って下さい。古賀さん、待って下さい。今のお話は私としては承服できません。あの〜、古賀さんは金曜日に時折出て下さって、たいへん私も勉強させていただいている流れの中で、番組が4月から様相が変わって行く中でも、古賀さんに、機会があれば、企画が合うならば出ていただきたいと、相変わらず思ってますし、、、

古賀 茂明 氏

 それは本当にありがたいです。もし本当であれば、本当にありがたいことです。

古舘伊知郎 キャスター

 古賀さんがこれですべて、なんか、テレビ側から降ろされるということは、ちょっと古賀さん、それは違うと思いますよ。

古賀 茂明 氏

 いや、でも、私に古舘さん、言われましたよね。私がこういうふうになることについて「自分はなにもできなかった、本当に申し訳ない」と。

古舘伊知郎 キャスター

 はい、もちろん、この前お話したのは、楽屋で、古賀さんにいろいろ教えていただいている中で、古賀さんの思うような意向に沿って流れができてないんであるとしたら、大変申し訳ない、と私、思ってる今でも。しかし、さっきのはちょっと極端すぎる。

古賀 茂明 氏

 私、全部録音させていただきましたので、もしそう言うふうに言われるんでしたら、全部出させていただきますけれども、、、。

古舘伊知郎 キャスター

 や、こちらもそりゃあ出させていただくことになってしまいます、古賀さん。

古賀 茂明 氏

 いいですよ。

古舘伊知郎 キャスター

 だから、じゃあ、それは置いて、これは私は違うと思っていますが、じゃ、イエメンのお話、アメリカのこと聞かせていただけますか?

古賀 茂明 氏

 それで、あの、ま、非常に複雑な状況にあるんですけれども、ま、今になって大騒ぎしてますけども、これは、ま、火薬庫みたいなものでね、ず〜っと前からそうだったんですね。で、フーシー派って言うのは、まあ、今出てた通りイランの支援を受けているので、イエメンがフーシー派に支配されちゃったら困ると、で、サウジが困るとアメリカも困ると、、、。
 で、その前提はですね、ま、アメリカから見ると、サウジが正義なんですね。で、サウジアラビアって言うのは普通に見ると、もう全く民主的な国ではなくて、ま、人権侵害って言うのは国際的にもですね、問題だし、ヨーロッパでも非常に大きな問題になっているわけですけれども、これもし、シリアだったらアメリカはものすごい勢いで、ま、避難するでしょう。でも、サウジアラビアだったら非難しないんです。なぜかって言うと、まあ、アメリカの石油利権をしっかり守ってくれるのがサウジアラビアだからなんですね。

古賀 シーン02

 て言うことは、ま、アメリカの正義イコールサウジアラビアの正義で、サウジはアメリカの味方だし、アメリカはサウジの味方だ、と言うふうに日本人はなんか単純に思って、で、アメリカの正義は日本の正義だ、と言うのが安倍さんたちの考え方ですよね。そしたら、じゃあ、サウジを応援するのは正義なんだって言うふうに短絡的に行っちゃう可能性があるんですけれども、こりゃあもう、あの、今言ったように、アメリカの正義って言うのは非常にダブルスタンダードになっているので、正義ってのは分かんないですよ。
 そう言う前提で、ま、一歩引いてですね日本は何をすべきか、と言うことを、こう、考えていかなくちゃいけないなと、、、。けして短絡的に、アメリカとサウジが一体なんだから、日本もそこを一体でサウジを応援しなくちゃいけないと言う単純な考え方は、ま、とっていただきたくない。今のところは慎重な、え〜、対応になっていると思いますけれども、是非、そういうふうにしていただきたい、と言うふうに思います。

古舘伊知郎 キャスター

 かなり引いて、この複雑に入り組んだ情勢を冷静に見なきゃいけないということですね。

古賀 茂明 氏

 はい

古舘伊知郎 キャスター

 はい、それでは次参ります。今日、今お届けしている、古賀さん、国会の流れも含めて、国会全体でもいいんですけど、どんなふうにご覧になりますか?

古賀 茂明 氏

 そうですね。あの、今、日本の外交とか安全保障って、まあ、根本から変わろうとしてますよね。で〜、ま、そう言う中で、ま、中身がまだよく分からない、法案も出てきてませんし、国民とか国会の間で、ま、国会でちゃんとした議論が行われていないと言う状況で、もうどんどんアメリカとの間ではですね、先に進めてしまうと、アメリカに安倍さんが行って約束しちゃおうかと言うような、この動きって言うのは、よく考えてみたらとんでもないことだと思うんですね。
 ところが、なぜか、国会でも大きな騒ぎになっていないし、あるいは、マスコミもですね、「それは大変だ!」って言うことになっていないってのは、これは本当、どういう事なんだろうな、と言うのを、ま、非常に私、おかしいな!、と言うふうに思っているんです。
 で、一方で、でも国会で別にその、戦争するとかしないとか、それだけやっているわけじゃあなくてですね、今度の国会って言うのは、まあ、安倍さんは「改革断行国会」と言うふうに名前を付けたんですね。「もう、改革するぞ!」、と。だけどはっきり言って、今のところ大きな、その、岩盤規制にメスを入れますなんて話は出てきてないわけですね。農業で言えば農協改革、最初は非常に大きなこと言ってましたけど、結局、統一地方選で協力を得るためには地域農協、メス入れられないな、と言うことで竜頭蛇尾になっちゃいましたし、それから医療改革見ててもですね、まあ、チマチマしたことはやるんですけれども、大きな変更はできないと。電力改革に至っては自然エネルギーを抑制して原発推進に行こうと言う、まあ、ほとんど原子力村の言いなりじゃあないかなと、言うふうに見えるんです。

 一方でじゃあ、安倍さん何もやってないのかと言うと、そうじゃなくて、一生懸命やっていることもあるんですね。で、それはですね、ま、安倍さんがおそらく目指している国と言うのが、社会と言うのがあると思うんですけど、一つが原発輸出大国ですね。今、世界中に行って原発を売り歩いています。ま、成果もかなり出てきてると。それから武器輸出大国、これも去年の4月にですね、武器輸出三原則をなくしてですね、武器の輸出をどんどんしようと、これも驚くほど進展して来ています。こんなに進むのかな?、とやや驚きなんですけれども。そして、え〜、ギャンブル大国、これは何かって言うと「カジノ法案」ですね。前国会で反対が強くて廃案になったんですけども、依然として自民党を中心にですね、これを進めようと。
 で、こう言うのを見たときにパッと思いついたのは、私、施政方針演説でですね、安倍さんが、「その列強を目指してたねあの明治時代の、あの日本人、素晴らしいね」と言うふうに礼賛をしました。「列強」と言う言葉を使ったんで私、本当に驚きましたけど、まあ、安倍さんの側近と話しをした時に、「あれは完全なミスだった」と言うことをお認めになってましたけれども、ま、この安倍さんが言う「美しい国」と言うのはどう言うことなのかな?、て言うふうに一方で思うんです。

 私はこう言うことは狙っちゃいけないな、って言うふうに思っているんですね。じゃあ、どう言うことを目指して行ったらいいのか?、これはもちろん私の考え方ですけれども、多くの日本人と共通しているんじゃないかなと思うんですが、原発輸出大国じゃなくて自然エネルギー大国だ、あるいは武器輸出大国じゃなくて平和大国だと、ギャンブル大国なんかやめて文化大国だと言う、ま、こう言う国を目指して欲しいなあと言うふうに思うんですよ。

古賀シーン03

 そうすると、ま、安倍さんが目指しているような国と、そうじゃないと言う人たちのですね、間に相当ギャップがあるんじゃないかな?、と言うことで、私がもう一度、申し上げたいのは、やっぱり安倍さんとは我々、考え方違うよと、それが “I am not ABE” と言うことで、前も申し上げたんですけれども、まあ、それはものすごい批判を受けました。

古賀シーン04

 で、今日もですね、さっきああ言うやり取りがありましたけれども、やっぱり、我々は批判されたから言っちゃいけないと、言うふうになちゃいけないので、そう言う意味ではですね、ちょっとテレビ朝日では作っていただくのは非常に申し訳ないと思った、自分で作ってきました。“I am not ABE” と言うのをですね。
 これは、あの、単なる阿部批判じゃないです。要するに、日本人がどういう生き方をしようかと言うことを考えるうえでの1つの材料にしていただきたいな、と言うふうに1つの考え方を申しあげたと、それはもちろん批判をしていただいてもいいですし、そういうことをみんなで議論していただきたいな、と言うふうに思ってましたんで、ま、これは、もちろん、官邸の方からまたいろんな批判がくるかも知れませんけれども、え〜、ま、あんまり陰で僕、言わないでほしいなと思っているので、是非、直接ですね、菅官房長官でも、ご覧になっていると思いますから、私のところにどんどん文句を言って来ていただきたいなと言うふうに思います。

古舘伊知郎 キャスター

 あの〜、古賀さんのいろんなこう言うお考えってのは共鳴する部分も多々あるのですが、一方で、はっきり申し上げておきたいなと言う一点はですね、マスコミの至らなさ不甲斐なさも、もちろん認めるところはありますが、例えば、私が担当させていただいているこの番組で言えば、この前も数日前に原発のですね、川内原発に関する地震動に対するあの不安の指摘、あるいは、3.11の4年目の際には、核のゴミが全く行き場がない問題点、批判すべきとするところ、それから沖縄の辺野古の問題ですね。こういうところも、北部一帯での、ああ言うアメリカの海兵隊の思惑があるであろうと、そういうことをやらせていただいているんです。

古賀 茂明 氏

 それ私も、昨日ね、ツイートしたんですよ。こんな立派なビデオね、作ってますよと、あそこのサイトに行って特集ってところをクリックして下さい。並んでますよ。あれを是非観て下さい、って言ったんですね。いや、言ったと言うか、ツイートしたんですよ。すごく反響もありました。で、あれを作ってたプロデューサーが、今度、更迭されると言うのも事実です。

古舘伊知郎 キャスター

 更迭ではないと思いますよ。私は人事のことは解りませんが、あの〜、やっぱり人事異動を更迭、まっ、これ止めましょう、古賀さん、これ観ている方、よく解らなくなってると思いますよ。

古賀 茂明 氏

 それは止めましょう、止めましょう。いやだから、僕はそんなこと言いたくないので、これを、え〜、今、安倍政権の中でですね、どんな動きが進んでいるのかな?、と、、、

古賀シーン05

古舘伊知郎 キャスター

 ごめんなさい、ちょっとごめんなさい、時間が、ちょっと、、、

古賀 茂明 氏

 だから、そう言うこと言わないで欲しかったんですよね〜。ただ、言わせていただければ、最後に、これをですね、是非、古舘さんにお贈りしたいんですけど、マハトマ・ガンジーの言葉です。「あなたがすることのほどんとは無意味であるが それでもしなくてはならない そうしたことをするのは 世界を変えるためではなく 世界によって自分が変えられないようにするためである」と。

古賀シーン06

 つまり、圧力とか自粛に慣れて行ってですね、ああ、何もしない、一人でやったってしょうがない、ただ叩かれるだけだ、そう言うことでやっていないと、知らないうちに自分が変わってしまって、本当に大きな問題が起きているのに気が付かないことはあるんですよと、私もすごく今、自分に言い聞かせていつも生きているんですけれども、是非これはみんなが考えていただきたいことだなと、言うふうに思っています。
 あの、いろいろね、あの、ちょっと申し訳ない、あのような口論になっちゃって、申し訳ないんですけれども、私が言いたかったのは、え〜、もう、みんながやっぱり、言いたいことはそのまま言おうと、え〜、自然に言おうと、もちろん違う意見の方も、違う意見をどんどん言っていただいていいし、古舘さんだって、私の考えがおかしいとなれば、本当におかしいと、どんどん言っていただいて、まったく何の問題もないんですけれども、何か言ったことについて裏でいろいろ圧力をかけたり、え〜、ま、官邸から電話をかけて何だかんだと言ったりとかですね、そういうことはやめていただきたいと言うふうに思っております。

 *****

 私は、この番組を月曜日から金曜日のほぼ毎晩、観ていますので、上のやり取りもリアルタイムで拝見いたしました。古賀氏が、やや興奮して抑制が効かなくなっている印象はありましたが、至ってまとも、と言うか、誰かが言わなければならないことだと思いました。そして、このような発言、主張に対して圧力や番組降板、プロデューサーの更迭があるのなら、非常に日本は危ない国だと思います。

 一方、この番組の古賀氏の発言に対して、菅官房長官は「全く事実無根であって、言論の自由、表現の自由は、これは極めて大事だという風に思っていますけれども、事実に全く反するコメントをですね、まさに公共の電波を使った行動として、極めて不適切だという風に思っています。放送法という法律がありますので、まず、テレビ局がどのような対応をされるかということを、しばらく見守っていきたい、こういう風に思います。」とコメントを出しました。
 また、4月1日、都内のイベントでテリー・伊藤氏は「あれはちょっとやり過ぎ。人の名前を出すのも何かなと思うし、もうちょっとやり方があったんじゃないかなと。(テレビを)私的に使いすぎてるのかな。もっと大人のやり方があったんじゃないかと。主義は主義だけど、逆にマイナスになってるんじゃないかな」とコメント、4月5日のテレビ番組でビート・たけし氏は「本質を突いたらだって、テレビがやっちゃうと、郵政省管轄かどうか知らないけおd、結局(政府から)プレッシャーかかるに決まってるんだから」と発言し、いずれも古賀氏に対して否定的な見解でありました。


◇「報道ステーション」ディレクター 岩路 真樹 氏自殺への疑惑

 今回の古賀氏の発言と、昨年あった出来事を結びつけるのが適切か否か判りませんが、同じテレビ朝日「報道ステーション」の関係者に起こったことですので取り上げます。
 昨年、8月30日、テレビ朝日の報道番組で活躍していた名物ディレクター、岩路 真樹 氏(享年49歳)が東京都大田区の自宅で遺体となって発見されました。自宅3階の部屋で練炭自殺を図ったとみられ、第一発見者となった妻とは離婚調停中だったとされます。「報道ステーション」においては、福島での甲状腺ガン患者の急増や手抜き除染問題など、原発に関する数々の報道を手掛けて来て、まだまだこれから!、と言う矢先の出来事でした。ただ、私生活において、妻と3人の子供と別居生活であり、「子ども好きで、週末にしか会えないことが相当こたえていたようだ」との証言があり、妻と子供宛ての遺書が3通残されており、現場の状況などから、警察は早くから自殺と断定、「他殺の疑い」はないとしてマスコミに広報されることもありませんでした。
 以下、氏の自殺への疑惑、他殺の疑いとして言われていることを列挙いたします。

じま 甲状腺癌

1.写真週刊誌「フラッシュ」の発売中止

 この岩路氏に関する記事を掲載した写真週刊誌「フラッシュ」が突然、発売中止となりました。表向きは、「ネットに流出したハリウッドセレブのヌード写真を無断掲載しようとした」とされますが、真相は明らかではありません。

フラッシュ表紙

2.欠勤の連絡と次の取材の打つ合わせ

 死亡する直前の8月27日、岩路氏は自ら会社に欠勤の連絡を入れていますが、岩路氏を知る編集者は、「電話口から聞こえた岩路氏の声は、ろれつが回っておらず、明らかに様子がおかしかった。」と証言しています。また、この連絡の直前には仕事仲間と次の取材の打ち合わせをしていたことも発覚しております。

3.死亡日時の食い違い

 警察が関係者に明かした死亡推定日は発見1日前の29日だが、「遺体を診た医師が作成した死体検案書に記された死亡推定日は、28日になっていた」(テレビ朝日関係者)とされます。

4.岩路氏のツイッター

 「自殺はしない」宣言を 〜私が死んだら、消されたと思ってください!」と岩路氏がツイッターに文章を残していたとされます。

5.自殺の方法にも不審点

 部屋の外側から通気孔や窓、ドアの隙間をガムテープで塞ぎ、自らをロープで椅子に縛り付けて、身動きできない状態にした後に、ライターもマッチも使わずに練炭に火を付けたとされております。なぜ、部屋の外側から隙間を塞いだのか?、なぜ、どうやって自分の体を縛りつけたのか?、どのようにして練炭に火を付けたのか?、と言うところは解明されていません。

6.「報道ステーション」テロップの意味は?

 9月5日の「報道ステーション」に不思議なテロップが現れました。「原発事故関連のミュースをきょうも放送できませんでした。時間がなくなったからです。申し訳ありませんでした」と言うものです。

報道ステーション「じま」がなくなった

 これに対して、「番組の予定を変更した場合、『放送時間の都合上、予定を変更してお送りしました』といった定型文的な固い言い回しのテロップが表示されるのが一般的である。」との指摘や、「『時間がなくなったからです』ほどではないが、『きょうも放送できませんでした』もやや口語調であり、日本を代表する報道番組のテロップとしては不可解である」との意見がネットを賑わしておりました。「時間」を「じま」と読むと岩路真樹氏の中の文字「路真」のことではないか?、テレビ朝日からの暗号メッセージでは?、などとの憶測も飛んでおります。


◇「報道ステーション」に対する自民党の圧力文章とその後の人事

 こちらは本日の日刊ゲンダイに掲載された記事です。昨年11月の衆議院解散直後に、自民党より「報道ステーション」に送られた「圧力文章」があったとのものです。

自民党 圧力文章の記事

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やっぱり…「報ステ」に自民党が“圧力文書” その後に異例人事

 官邸からの圧力があった――「報道ステーション」のコメンテーターだった古賀茂明氏に“番組降板”の真相をバクロされたテレビ朝日は、いまだに混乱が続いている。「報道ステーション」の打ち切り説も流れている。

 圧力をかけたと名指しされた菅義偉官房長官は「まったくの事実無根」と否定しているが、すでに昨年末、安倍自民党が「報道ステーション」に“圧力文書”を送りつけていたことが分かった。この文書にテレビ朝日は震え上がったという。本紙はそのペーパーを独自入手した。

自民党からの手紙

 文書が送りつけられたのは、2014年11月26日。11月21日に衆院を解散した直後だった。自民党の福井照報道局長の名前で、「報道ステーション」の担当プロデューサーに送られている。

 文書は、〈11月24日付「報道ステーション」放送に次のとおり要請いたします〉というタイトルがつけられ、〈アベノミクスの効果が、大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく……〉と番組を批判し、さらに〈放送法4条4号の規定に照らし……十分な意を尽くしているとは言えません〉と、放送法まで持ち出して牽制している。

 テレビ朝日は相当ビビったらしく、安倍自民党に“恭順の意”を示すためか、その後、担当プロデューサーには異動を命じている。異例の人事だった。

「自民党は11月20日、在京キー局各社に対し、中立な選挙報道を求める、いわゆる“圧力文書”を送っています。その直後、“番組”に対してまで文書が送られてきたことで、テレ朝は真っ青になったはずです。自民党からの文書の趣旨は、テレ朝の中堅幹部のなかで周知徹底されました」(テレ朝関係者)

 しかし、権力がメディアを脅し、報道機関が屈しているとしたら恐ろしいことだ。

「放送法を持ち出し、中立に報道しろと要請するのは“こちらは目を光らせているぞ”という威嚇に等しい。どうかしているのは、テレ朝以外の報道各社です。これは他人事ではないですよ。なぜ、問題にしないのか。いま傍観していたら、圧力はどんどん強まる一方です」(政治評論家・山口朝雄氏)

 自民党とテレ朝は、それぞれ文書を送り、受け取ったことを認めた。この国のメディアは、正念場に立たされている。

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◇ おわりに

 昨年の夏、今から30年前の1985年(昭和60年)8月12日に起こった日航123便の墜落事故を当ブログで取り上げました。まず、メディアを通じた公式発表、次いでその報道の矛盾と様々な疑問、多くの証言、目撃情報、そして現場の異常な状態など、これがただの事故ではないと思わざるを得ないことを申し上げました。

 真実は? 「日航ジャンボ機墜落事故」、公式発表より - 2014.07.30
 
 真実は? 「日航ジャンボ機墜落事故」、疑問と疑惑 - 2014.08.05

 もしも、この死者520名も出した、日本のみならず世界でも最大の飛行機事故が、報道されているのと異なる事実があるとしたら、紛れもなくそのことを政府は知っていて、もちろんメディアも気づいており、しかしながらある種の圧力がかかったものであると確信いたします。

 冒頭にご紹介した、テレビ朝日「報道ステーション」における古賀茂明氏 発言の裏側にあるもの、それは、政府とメディアにある情報で、国民には知らされないことが、実は非常に多いと言うことかと思います。最近は、この手の「裏話」がネットに溢れていて、自分なりに取捨選択する必要はありますが、政府およびメディアの報道を鵜呑みにはできない、そもそも報道の自由度がそれほど高い国ではない、そんな現代の日本であることは間違いありません。


限りなくインサイダー取引に近い? 政治家の株式投資


 「日刊ゲンダイ」と言う新聞に以下の記事が載っておりました。最近の株価高騰で自民党安倍内閣、閣僚たちの株式投資における含み益拡大を指摘したものです。まずはこちらをご紹介します。ちなみに株式投資関連の話しではありますが、世情の話題にて「スピリチュアル株式投資」ではなく「時事、歴史の正しい継承」と名付けたカテゴリーといたします。


◇ 官製相場で政治家たちがボロ儲け、日刊ゲンダイの記事から

現代ネット記事表紙

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官製相場でボロ儲け 安倍政権「含み益1000万円超」閣僚リスト

 狂乱の官製相場が止まらない。日経平均は18日も続伸し、終値は前日比107円高の1万9544円と15年ぶりに1万9500円台を回復した。兜町界隈は「もう2万円は通過点に過ぎない」なんて浮かれているトマ・ピケティじゃないが、「資産家」揃いの安倍内閣の面々はウハウハだ。
 「円安基調は続いているし、きのうは黒田日銀が大規模緩和の継続を決めた。公的資金の買い支え期待もある。とりあえず来月の統一地方選が終わるまでは、株価が下がる要素が見当たりません。年内目標は1996年に付けた2万2600円台。当面はそれに向けて上昇していくでしょう」(株式評論家の倉多慎之助氏)。

 そりゃ資産家は笑いが止まらない。それが証拠に別表(時価総額は17日終値)を見てほしい。保有している上場銘柄で、1000万円超の“含み益”が出た安倍内閣の閣僚をランキングしたものだ。閣僚の資産公開を基に、第2次安倍内閣が発足した2012年12月26日から今月17日までの終値で算出した(1000円単位は切り捨て)。

政治家の株式利益

 トップの山谷国家公安委員長が保有する株の時価総額は、第2次安倍改造内閣で資産公開した昨年10月時点で9000万円台だったが、官製相場がさらに進んで1億円の大台を突破。「山谷さんが持っている株は、三菱電機(9000株)や富士通(5000株)、野村HD(6900株)など、公的資金の買い支えが期待される日経平均採用銘柄が大半です。塩崎さんも同様で、手堅いといえば手堅い。うまく時流に乗っています」(経済ジャーナリスト・岩波拓哉氏)。
 甘利経済再生相なんて保有株はオリエンタルランドだけなのに、まさに濡れ手で粟だろう。12年12月26日に1万470円だった株価は3万6530円まで上昇している。安倍首相の森永製菓も185円→404円と2倍以上になった。ちなみに5位の竹下復興相は、妻が福田組の株を64万1905株も持っている。含み益はナント2億3878万円! 夫妻合わせれば断然の首位に躍り出る。ランク外の宮沢経産相も、妻は三菱UFJFGなど大型株を8銘柄保有。トータル1056万円儲けている。加えて、麻生財務相にしても石破地方創生相にしても、結局はボンボンの資産家だ。

 官製相場で最後に笑うのは誰か、安倍政権はどっちを向いて政治をやっているのか、有権者はよ~く見た方がいい。

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◇ 閣僚たちの保有銘柄チャート

 日刊ゲンダイの記事で取り上げられた事例について、いくつか実際にチャートを見てみることとしましょう。

1.積水ハウス(1928-T1):山谷えり子 国家公安委員長 保有
積水ハウス(1928-T1)チャート

2.太平洋セメント(5233T1):塩崎 恭久 厚生労働大臣 保有
太平洋セメント(5233-T1)チャート

3.西日本鉄道(9031-T1):麻生 太郎 副総理兼財務大臣兼金融担当大臣 保有
西日本鉄道(9031-T1)チャート

4.オリエンタルランド(4661−T1):甘利 明 内閣府特命担当大臣(経済財政政策)保有
オリエンタルランド(4661−T1)チャート

⒌.森永製菓(2201-T1):安倍 晋三 内閣総理大臣 保有
森永製菓(2201-T1)チャート

 どの銘柄も見事なまでに高騰しているのが見て取れます。しかも、それまではあまり動きが目立たなかったのが、2012年12月26日の第二次安倍内閣発足と同時に活気付いた、そんな銘柄が多いように見受けられます。


◇ 政治家は極めて優れたトレーダー!?

 政治家としての特権、裏技を使って?、己の保有銘柄の株価が上がるように操作できるのか?、あるいはある種の情報を元にこれから高騰する銘柄に対して事前に株式投資をするのか?、おそらくはその両方でしょうし、今回の記事は閣僚の資産公開に基づくものですが、それ以外にも空売りなどの信用取引も行っているでしょうし、仕手筋からの情報を得て短期資金を導入する手法もしているでしょう。つまり政治家がやる株式投資なんてインサイダー取引みたいなもの、もしかりに政治家でありながら株で損をしている人がいたならば、その人はよっぽど無能な政治家なのかも知れません。どのレベルの人までが甘い汁を吸えるのかは知りませんが、ほぼ総じて政治家が株式投資で儲けていて、だから与野党で指摘、攻撃することはないのでしょう。もちろん、もし安倍首相にこの点を抗議したところで、「政治家が保有する銘柄の株価が偶然にも高騰し、その結果として含み益を得たとしてもですね、なんら法的には問題のないことと考えるわけであります。」とかなんとか言いそうですね。


◇ 株価にばかり目が行く構図

 景気とは経済が良い悪いと言う状況を意味するものであり、景気が好況であれば会社業績も向上し株価も上がると言うのは確かです。しかし、日本には(欧米諸国もそうかも知れませんが)、その経済の指標として株価ばかりに目が行く構図が見られます。新聞でもニュースでも日経平均が必ず報じられます。でも、一説には国民の1割程度の人しか株式投資をしていないとされます。株価が何を意味しているかと言えば、経済界の上層部や、上述のごとき政治家をはじめ国内外の大株主たちの資産であり、9割方を占める株式投資をやっていない国民の生活を判定する指標にはなりません。

 株価は国民の生活の本当の指標にはなり得ない

 今回、こんなのは氷山の一角でしょうが、閣僚たちの株式保有銘柄を見て、その昨今の高騰、彼らの含み益が増大するのを目の当たりに見ましたが、それ以上に驚くべきは、山谷えり子 国家公安委員長17銘柄、塩崎 恭久 厚生労働大臣23銘柄などと、保有する銘柄があまりに多数に及ぶ議員もいることです。私は株式投資をしますけれど、一度に保有する銘柄は5つくらいが限度です。この人たちは10も20も銘柄を保有して、なんか株だけで生活しているかのでは?、ここでも株価ばかりに目が行っているのではないか?、て推察します。

 保有する銘柄の多さに驚き

 「アベノミクス」などと言って株価を上げる方策を取ったのは、結局のところ、自分たちの保有する銘柄の株価が高騰して、自分たちが儲けるためであり、株価が上がって自分たちが儲かれば目標は達成!、ってそんな感じにも見えます。政治家って、国民の安全や国家のあり方、他国との関係を司る役割りだと存じますが、トレーダー、あるいはインサイダー取引のようなことをしていて、政治活動に大きなバイアスがかかるのは当然だと思います。
 
 株式投資など一切やらない人物が政治家になり閣僚になり、そして総理大臣になる時代は、来るわけはないでしょうね。それよりも、政治家が保有する銘柄に目をつけて、その安値を拾う方が得策かもしれません(爆)。

「イスラム国」日本人 人質殺害 遺族の言葉に対する韓国の世論から


 イスラム過激派組織「イスラム国」による日本人、人質殺害事件において、先に殺害されたとされる 湯川 遥菜 氏の父、正一さん(74歳)が1月25日、千葉市の自宅で報道各社の代表取材に応じました。この時のコメントに対して韓国、のネットユーザーらが日本とは異なる大きな反応であったとの記事がありましたので、ご紹介いたします。

韓国j「イスラム国に対する日本はすごい」の記事

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「日本は…すごい」韓国世論、イスラム国事件で日本人家族の態度に感嘆

 イスラム教過激派「イスラム国」が日本人2人を人質にし、日本政府に殺害すると脅迫した事件は韓国でも関心を集めた。韓国人少年がイスラム国に志願したとされ、ひとごとでなくなったこともある。だが、韓国人が目を見張ったのは、人質の1人が殺害されたとみられる画像が出た後の父親の対応だ。極限のなか、「迷惑をかけた」と謝罪し、政府の尽力に感謝する言葉に「見習うべきだ」との書き込みがインターネット上にあふれた。何でも他人や政府のせいにする韓国の風潮に反省を促す声も上がった。(桜井紀雄)

■ 被害者の父の「謝罪と感謝」に衝撃

 1月24日深夜、人質となった後藤健二さん(47)が、もう一人の人質、湯川遥菜さん(42)が殺害されたとみられる写真を持ち、「ハルナは殺された」と語る映像がインターネット上に流れた。翌25日、湯川さんの父、正一さん(74)が千葉市の自宅で報道各社の代表取材に応じた。

 正一さんがまず口にしたのは次の言葉だ。

 「今回の事件について、皆さまに大変ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ございません」。そしてこう続けた。「同時に、政府をはじめ、関係者に尽力いただき、ありがたいと深く感謝しています」

 終始、硬い表情を崩さず、時折、声を震わせながら、「冷静さを保つだけで手いっぱい。一人になったら耐えられない」とも語り、「嘘であれば」と息子との再会に望みを託した。それでも、その後、息子同様に殺害されたとみられる映像が流れた後藤さんについて「遥菜を心配し、命を懸けて現地に入り、拘束された。非常に心苦しい。早く解放され、日本に帰り、活動してもらいたい」と気遣っていた。

 「親として息子に十分な教育ができたのかということに責任を感じている。息子も、もう少し人生を生きて、皆さんに恩返ししたんだろうと思う」と悔しさもにじませた。

 このインタビューは韓国でも大きく報じられたが、ネットユーザーらの反応は、他の日本に関するニュースと大きく違った。

 父親の言葉に深く感じ入り、「日本の市民意識は本当にすごい。韓国人も見習うべきだ」という書き込みがあふれたのだ。ネットユーザーの一人は、父親に対し、「偉い方だ。心はどれだけ張り裂けそうか。胸が痛む。事件の一刻も早い解決を、手を合わせて祈ります」と記した。

 韓国の通信社、聯合ニュースのスマートホン版の記事へのコメントだけで4000件を優に超え、「認めざるを得ない先進国の市民意識だ」「日本は本当にすごい」といった書き込みが相次いだ。

■「憎いけど、うらやましい国」ニッポン

 《いつも感じることだが、日本人たちから学ぶ点は、見習わなければ。大事件に遭ったときも、冷静に落ち着いて対応し、自分より他人に配慮する人たちの姿を見るとき-列に並んで秩序を守る姿など。わが国は、大事件が起きれば、大騒ぎし、補償を求め、日本人の姿とは正反対だ》

 《日本人のこんな姿を目にするたび、わが国も感情的に判断する誤りを正さなければと思う。どんなに悲しい出来事でも、公私は分けなければいけないのに。われわれは、何か悪いことが起きれば、すぐに誰かに責任をなすり付ける傾向が多いから》

 こういった韓国の風潮と比較した内容が多い。

 湯川さんの父親の対応に感銘したと書き込んだ人が、日本びいきというわけではなく、「日本による恥辱の歴史は忘れることができないが、日本人に学ぶ点は多いようだ」といったコメントも目につく。

 《わが国では、何か事故が起きれば、国家のせいにする。(日本は)戦犯国家だけど、こういう成熟した国民性は見習う必要がある》

 《日本、憎いがうらやましい国だ。冷淡といえるほど、卓越した市民意識は本当にすごい》


 《日本は嫌いだ。しかし、こんな状況で理性を失わず、国民に迷惑をかけてすまないなんて言う日本人たちの配慮の心は、見習わなければいけない。わが国だったらどうしたか? 泣き叫んで「国民を捨てた政府だ」と非難し、騒ぎ、デモし…》

 こうした「日本は嫌いだ」と断った上で、「認めざるを得ない」といった書き込みは少なくない。

 記事に対するコメント欄には、フェイスブックの「いいね」に当たる共感を表すアイコンがあり、日本人の対応を評価する一連の書き込みには、多くの人が「共感」にクリックした。書き込みまではしなくとも、多くのサイレントマジョリティーが支持したわけだ。

 一方、「韓国にひどいことをしておいて1人や2人のことで騒ぐな」といった心ないコメントもあったが、すぐに反論や非難が書き込まれ、感銘や評価の渦の中にかき消された。

■ 震災でも「申し訳ない」…「迷惑かけない文化」

 東日本大震災発生時にも韓国で、秩序だって行動する日本人や家族を失っても他人への配慮を忘れない被災者の姿が驚きを持って受けとめられた。

 湯川さんの父親の記事へのコメントでも「津波で家族をうしなったおじいさんも『国民に心配をかけ、申し訳ない』と言っていた…。これはわれわれと日本の国民性の違いのようだ」と指摘する人もいた。

 人質の父親の対応について、韓国最大手紙、朝鮮日報(電子版)は「日本人の『迷惑かけない』文化」と題した東京特派員を経験した論説委員のコラムを掲載した。

 コラムは、小学生のころから「他人に迷惑をかけてはいけない」ことを教えられる日本の状況を紹介。震災時の被災者だけでなく、2009年11月に日本人10人が犠牲になった釜山の射撃場火災でも、遺族が「申し訳ない」と口にしたことに触れ、「悲しみで泣き叫ぶことは、周囲に迷惑をかけることなので、彼ら(日本人)は、自らの悲しみを心のうちに押し込める」と解説した。

 その上で、「ことあるごとに他人を攻撃することに慣れているわれわれにとって、『迷惑うんぬん』と言いながら、頭を下げる日本人の姿には、相変わらず驚かされる」と記した。

 イスラム国をめぐっては、17歳の韓国人少年がシリアとの国境付近のトルコ南部で1月10日から行方不明になった。少年はネット上でイスラム国関係者とみられる人物と接触し、「新しい人生を送りたい」などとイスラム国入りを志願する書き込みをしていたことから、警察当局は、イスラム国の支配地域に入った可能性が高いとみている。

 こうした“事件”があっただけに、韓国でもイスラム国に関するニュースへの注目は高く、日本人殺害脅迫事件についても「韓国も無関係ではいられない」といったメディアの論調が目立つ。

■ セウォル号での「疲弊」が引きつけた関心

 だが、湯川さんの父親の態度が韓国人の心をとらえたのは、イスラム国への関心からだけではなさそうだ。

 《韓国では、大統領や首相、長官の責任だと悪口を言い、ビンタ(バッシング)し、特別法をつくり、ハンガーストライキし、大騒ぎするのに。迷惑を掛けて申し訳ないというあの国民性。あの精神のために日本はおそろしい国なんだ》

 この書き込みは、高校生ら300人以上が犠牲になった旅客船セウォル号沈没事故をめぐる国民の動きと、惨事における日本人の態度を比較したものだ。

 セウォル号事故では、遺族の支持者を名乗る政治団体が朴槿恵(パク・クネ)大統領や首相、関係省庁トップの責任を追及。ハンガーストライキによる抗議デモも起きた。事故を受けた特別法制定をめぐって国論を二分し、国会も空転した。

 《韓国では、よくないことは全て他人のせい、政府のせいのするのに…。セウォル号事故は、船長の責任なのに、青瓦台(大統領府)に行って狼藉(ろうぜき)を働いたり、大統領の弾劾をわめいたり、代行運転手に暴行したりし、遺族にも失望させられたが》

 こんな書き込みもあった。「代行運転手に暴行」は、酒に酔った遺族団体幹部や野党議員が「俺たちが誰か知っているのか」と「遺族」をかさに着た横柄な態度を取り、運転手を暴行したとされる事件を指す。こういった状況から、韓国社会を一種の「倦怠(けんたい)感」が覆っていただけに、事件や事故の渦中に置かれた日本人の態度のあまりの違いに衝撃を受けたのだろう。

 書き込みは「韓国が先進国になれない理由はそこだ。自分自身を顧みなければ」と続け、拘束された後藤さんに対し、「無事に祖国に戻れることを祈る」と結んだ。

■「息が詰まるほど誠実」な人々

 湯川さんの父親の言葉は、歴史問題などで韓国で常に批判の的にされる安倍晋三政権に対する評価も引き出した。

 《韓国人がどう考えようと、国民から信頼される日本政府の姿と日本国民の成熟した市民意識が垣間見えた。どこぞの国では、水を掛け、「首相を辞めろ」とわめくだろう》

 自分の息子の生死がかかった事件でも、政府を信頼できる日本社会の「成熟」がうらやましいというのだ。

 父親の態度に加え、イスラム国による殺害脅迫事件に対する安倍政権の対応について、日本の世論調査で60%前後の人が「評価する」と答えたことを取り上げた書き込みもあった。

 《ああ、韓国とは全然、違う! 心が切り裂かれるはずなのに。日本国民の60%以上が安倍政権の対応が適切だとしたことをみると、韓国と違う! 韓国なら政府をなじるはずなのに…。日本や日本人は嫌いだが、これは見習う点だろう》

 日本に暮らし日々、日本人と接しているという韓国人は、記事への書き込みで、日本人のこうした態度は決して“建前”からではなく、心の底から出た言葉だと強調した。

 「大部分の人たちは、こんな状況でも、心から申し訳なく感じ、たとえ、助け出せなくとも誰も恨まない。日本の大部分の人たちが、こんな事件が起きても、誰も恨まず、諦観し、受け入れ、周囲に申し訳ないと言う」

 そして、「一部の悪い人たちのせいで、日本全体を悪く言ったり、死んでよかった」としたりする一部の声を「そうじゃない」と制した上で、こう締めくくった。

 「ここ(日本)の平凡な市民たちは、本当に息が詰まるほど、誠実に暮らしている」

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 他の国との国民性の違いを感じることはしばしばであり、昨今、世界中で見かける中国人観光客のマナーの悪さなどは、その最たるものかも知れません。でも私自身は、その中国人が華僑となって赴いた地において、娯楽をしない、酒を飲まない、英語が不自由ながら、ただひたすら勤勉である姿を米国留学の際にまざまざと見ることがありました。また、日本は単一民族の島国であり、先祖代々の家とか墓と言った考え方があるため、田舎へ行けば行くほど排他的な人間性を感じることがあります。このあたりは、移民の国であり、土地への執着がないアメリカ人とは異なる気がいたします。マナーの悪さは良くないとしても、国民性の違いについてそれに優劣は付け難い、優劣を付けるべきではないと考える次第です。
 韓国のネットユーザーが日本の市民意識に触れて驚嘆しているのは、いわゆる日本人の「恥の文化」を理解されていないからだと思います。人前で泣き叫ぶ「恥」、不満をぶちまけて感情を露わにする「恥」、行き場のない気持ちをどこかにぶつける「恥」を日本人は知っていて、湯川 遥菜 氏の父、正一さんのコメントを、我々、日本人はごく自然の、よく聞く発言のように感じますが、韓国にはそういう「文化」がないだけのことだと思います。
 でも、そのことで日本人の国民性が韓国のそれよりも優れているとする考えには賛同しません。国民性はあくまでも国民性であって、その国の歴史や文化、DNAみたいなもので成り立っているものであり、そこに優劣を付ける権利は何人にもないと、ふと思う次第です。

自称通称「イスラム国」その2 起源と背景:2度のアフガニスタン紛争とイラク戦争


 イスラム過激組織「イスラム国」による日本人人質事件で、ついにフリージャーナリストの 後藤 健二 氏(47歳)が殺害された映像が流れて、自体は最悪の結果となってしまいました。先に殺害されたとされる 湯川 遥菜 氏と併せて、テロに対する強い怒りを覚えると同時に、遺族の方々への哀悼の念を申し上げ、謹んでご冥福をお祈りいたします。

後藤さん殺害映像ニュース 図

 昨年12月18日、「自称通称『イスラム国』について」と題して、1)「サラフィー・ジハード主義」、2)イスラム国の概要、3)イスラム国の発祥とこれまでの記事、4)世界大戦から滅亡の道を歩んだオスマン帝国、5)イスラム国の理念と主張としてサイクス・ピコ体制の打破、6)その戦力、などについて触れました。今回、この「イスラム国」の起源/背景として、間接的あるいは直接的に関係すると思われるアフガニスタン紛争とイラク戦争について勉強してみました。なお、ここでは、これら紛争が「9.11アメリカ同同時多発テロ事件」を発端としていることを前提といたします。


◇ 旧ソ連のアフガニスタン侵攻からアルカイダの起源とタリバン政権まで

 まずは、言葉の意味を理解する目的もあり、「9.11アメリカ同同時多発テロ事件」以前の背景について、極々簡単に、駆け足で触れて参ります。詳しい内容は別に譲ります。

1.旧ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻とムジャーヒディーン

 今から36年も前の話になりますが、1979年、旧ソビエト連邦(旧ソ連)がアフガニスタンに侵攻しました。これはその前年、1978年、アフガニスタンに共産主義政党であるアフガニスタン人民民主党による政権が成立したことに端を発します。この政権に対する抵抗が国内には強く、1979年には武装した抵抗勢力としてほぼ全土を支配するに至りました。政権政党である人民民主党政権が旧ソビエト連邦に軍事介入を要請しました。旧ソ連軍は1979年12月24日より軍事介入を開始しました。

 人民民主党政権による要請で旧ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻が始まった

アフガニスタンとその周辺国 図

 これに対して、1978年より発生したアフガニスタン各地の反政府ゲリラは、自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラムを防衛するジハード(聖戦)と位置付け、自らを「ムジャーヒディーン」と名乗りました。ムジャーヒディーンとはアラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒドの複数形であります。これらの勢力は軍事介入して来た旧ソ連軍に対しても激しく抵抗しました。

 旧ソ連軍に抵抗した勢力 ムジャーヒディーン は「ジハードを遂行する者」の意

2.旧ソ連の軍事介入への賛否とモスクワ五輪ボイコット

 旧ソ連の軍事介入については、政権政党であるアフガニスタン人民民主党の要請を受けてのことであり、貧しい同盟国を救助しに行った行為、あるいはイスラム原理主義のテロリズムを封じ込める為の攻撃、と言う評価もあります。

 旧ソ連の行為に貧しい同盟国の救助、イスラム原理主義のテロ封じとの評価

 しかし、主として欧米諸国、旧ソ連と対峙する国々は、主権国家への正当な理由のない侵略行為だと見なし、1980年開催のモスクワ・オリンピックでは、アメリカ合衆国とそれに追従する日本、西ドイツ、韓国に加え、旧ソ連と対立関係にあった中国、イラン、パキスタンといった旧ソ連の軍事的脅威に晒されアフガニスタン同様の事態を恐れる諸国、および反共的立場の強い諸国など50カ国近くが五輪への出場をボイコットしました。

 旧ソ連の行為を主権国家への正当な理由のない侵略行為とする評価
 米国、日本、西ドイツ、韓国、中国など50カ国近くがモスクワ五輪をボイコット


モスクワオリンピック 図

 1982年11月29日の国連総会では、旧ソ連軍はアフガニスタンから撤退すべきだとする国連決議 37/37 が採択されています。

3.サイクロン作戦とアルカイダの起源

 米国、ジミー・カーター大統領は、「ソビエトのアフガン侵攻は第二次世界大戦以降、平和に対する最大の脅威である」との声明を出し、1979年7月、旧ソ連軍の侵攻に対する反共ゲリラへの資金提供を認可する大統領令に署名しました。これを受けて、1979年から1989年にかけて、アメリカ合衆国中央情報局(CIA)が計画した、アフガニスタン紛争中のムジャーヒディーンに武器や資金の提供を行う計画のコードネームがサイクロン作戦(Operation Cyclone)であります。次代のロナルド・レーガン大統領も、海外の反ソ抵抗運動に対する支援を謳ったレーガン・ドクトリンの一環として計画を大いに拡大していきました。

 サイクロン作戦:アフガニスタン ムジャーヒディーンに武器や資金を提供する計画

ムジャヒーディンと会談するレーガン大統領
1983年 ムジャヒディンの指導者と会談する米国レーガン大統領

 現代において反米テロリストの代名詞のようになっているアルカイダは、このサイクロン作戦の名の下でムジャーヒディーンを訓練・育成し武装化させたことに始まったとされます。1984年、アフガニスタンのアラブ人ムジャーヒディーンを理論的に指導してきたムスリム同胞団のアブドゥッラー・アッザーム氏が教え子のウサマ・ビンラディン氏をパキスタンのペシャーワルに呼び入れ、アラブ諸国からアフガニスタンへ義勇兵を送り込む組織、マクタブ・アルヒダマト(MAK)を結成しました。この動きにイスラム集団の精神的指導者であるオマル・アブドゥル・ラフマーン氏やジハード団指導者のアイマン・ザワーヒリー氏などが合流し、35000人のムジャーヒディーンが世界各地からアフガニスタンに集結、軍事訓練キャンプを建設し、米国CIAやサウジアラビアの援助を受けながら、ゲリラ戦を主体として旧ソ連軍と戦いました。

 サイクロン作戦で支援を受けて発生したアルカイダ

 1988年、旧ソ連軍のアフガニスタン撤退の前に、闘争の舞台をイスラエルやカシミール、コソボ、アルジェリアなど世界各地の紛争地に求めるムジャーヒディーンが中心となって「アルカイダ」が組織されました。1989年、MAKのアブドゥッラー・アッザーム氏が何者かに爆殺されて、ビンラディン氏が指導者となりアルカイダが合流しました。

4.タリバン政権の樹立とアルカイダとの連携

 旧ソ連のアフガニスタン侵攻(1979-88年)後、旧ソ連に支援されていた共産主義政権を打倒したムジャーヒディーンたちが内輪もめから再び戦闘を始め、アフガニスタンは無秩序、無法状態に陥っていました。そうした現状を憂えてイスラム教に基づき治安と秩序の回復のために立ち上がったのがタリバンの起源とされます。1996年から2001年11月頃までアフガニスタンの大部分を実効支配し、アフガニスタン・イスラム首長国(タリバン政権)を樹立しました。ただ、この政権は、国際的には一部国家を除いて承認されておりません。

 旧ソ連撤退後の無法状態のアフガニスタンにタリバン発生

タリバン旗 図
タリバンの旗

 1996年、タリバン政権はウサマ・ビンラディン氏とアルカイダの幹部を客人としてアフガニスタンへの滞在を許可しました。これをもってアルカイダはその拠点をアフガニスタンに移しましたが、このアルカイダは「対米宣戦布告」を行うなどそれまで引き起こされていた数々の反米テロの黒幕と推定されており、当時の米国ビル・クリントン大統領は、タリバン政権にアルカイダを引き渡すように要求しましたが、タリバン政権はこれを拒否しました。しかし、アルカイダはイスラム諸国からも異端視されていた組織であり、そのためタリバンは周辺諸国から孤立し始めました。

 タリバン政権が受け入れたアルカイダ


◇ 9.11米国同時多発テロ後の米国政府の対応

1.9.11の概略と犠牲者数

 1996年、「タリバン政権」が発足してからも、政情不安がアフガニスタンに続いている2001年9月11日、米国に以下に示す航空機を使った4つのテロ事件が勃発しました。

 1)08:46 アメリカン11便(乗員乗客92名)世界貿易センタービルに突入爆発炎上
 2)09:03 ユナイテッド175便(同65名)世界貿易センタービルに突入爆発炎上
 3)09:38 アメリカン77便(同64名)米国防総省本庁舎 ペンタゴンに激突、爆発炎上
 4)10:03 ユナイテッド93便(同44名)ペンシルベニア州シャンクスヴィル墜落

 このテロで、世界貿易センタービルの2,602人、4機の旅客機に搭乗していた246人、ペンタゴンの125人など、計3,025人が犠牲になったとされております。

同時多発テロの新聞

アメリカ同時多発テロ貿易センター
航空機の衝突で炎上する世界貿易センタービル

2.米国政府の速やかな断定:9.11=アルカイダ

 アメリカ合衆国政府(ジョージ・W・ブッシュ大統領)は、事件後速やかに、このテロ攻撃がオサマ・ビンラディン氏をリーダーとするテロ組織、アルカイダによって計画・実行されたと断定し、同組織が潜伏するアフガニスタン・タリバン政権に対して引き渡しを要求しました。しかし、タリバン側は、「証拠があれば引き渡す。しかし、今の段階ではアルカイダのやったこととは断定できない。」と主張し、引き渡しを拒否しました。なお、このテロ疑惑について、アルカイダは否定も肯定もしておりません。

ジョージ・W・ブッシュ 図
米国ジョージ・W・ブッシュ大統領


◇ アフガニスタン紛争(2001年〜)

1.ビンラディンとアルカイダの引渡しを要求

 アメリカ同時多発テロ事件は、その損害の大きさでアメリカ合衆国を含む世界各国に衝撃を与え、北大西洋条約機構(NATO)はテロ攻撃に対して「集団的自衛権」を発動しました。上述の如く、同テロは、アメリカ政府によって、これまで数度に渡ってアメリカに対するテロを行ったウサマ・ビンラディンとアルカイダに首謀者の嫌疑がかけられました。アフガニスタンの9割を実効支配していたタリバン政権は、数度に渡る国連安保理決議によってビンラディンとアルカイダの引渡しを要求されていましたが、拒否し続けており、今回も拒否しました。

ウサマ・ビンラディン 写真
アルカイダ ウサマ・ビン・ラディン氏

2.空爆の開始からタリバン政権の転覆

 NATOは攻撃によってタリバン政権を転覆させる必要を認め、2001年10月2日、集団自衛権を発動、アメリカ合衆国とイギリスを始めとした有志連合諸国は10月7日から空爆を開始しました。11月13日には北部同盟軍が首都カーブルを制圧、タリバン政権は消滅しました。

3.その後のアルカイダとアフガニスタン

 これによりアルカイダは資金的・人員的に打撃を受けたとされ、これ以降アルカイダは個々の組織に分離しそれぞれが活動を行っているとされています。また、アフガニスタンは、国連の主導による復興と治安維持が行われていますが、南部を中心としてタリバン派の勢力が攻撃を行っており、アフガニスタンの治安は2010年現在も安定していません。


◇ イラク戦争

1.湾岸戦争後のイラク

 1991年の湾岸戦争の後にイラクが受諾した停戦決議(決議687)においては、イラクは大量破壊兵器の不保持が義務づけられていました。この達成を確認する手段として、国連は主に英米人で構成された国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)を設置し、イラクの兵器の保有状況、製造設備などを調査しました。イラク側もこれを受け入れ、1997年位までは大きな混乱はありませんでした。

2.イラクの細菌兵器の可能性と査察の拒否

 ところが、1998年、UNSCOMはイラクにはミサイルと核兵器は無く、化学兵器もほとんどないと考えてよいが、ただ生物兵器が疑問であるとする報告を行い、同年12月、空爆やイラク政府の非協力によりUNSCOMの査察活動は停止しました。1999年12月にはUNSCOMにかわり国際連合監視検証査察委員会(UNMOVIC)を設置するという国際連合安全保障理事会決議1284が採択されましたが、この採択ではロシア、フランス、中国が棄権しており、イラクも受け入れを拒否しました。

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イラク サダム・フセイン大統領

3.タリバン転覆後のイラクとアルカイダの関連を主張

 2001年に就任した米国ジョージ・W・ブッシュ大統領は、就任直後から査察に対するイラクの非協力姿勢を問題にしていました。9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生し、世界中からテロに対する非難やアメリカに対する哀悼のコメントが寄せられる中、イラク国営放送のコメンテーターは第一報として対米テロ攻撃を「アメリカのカウボーイがこれまで犯してきた人道への犯罪に対する果実だ」と論評しました。この報道は、アメリカ側のイラクに対する心証を悪化させたものの、アメリカ政府はテロ事件発生後一か月間はむしろイラク政府の関与に否定的なコメントをしていました。10月20日になって、イラクのサダム・フセイン大統領はアメリカ市民に対する弔意をはじめて示しましたが、アフガニスタンのタリバン政権を転覆させた翌年2002年になって、米国はイラクとアルカイダを結びつける論調を開始しました。

4.イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」

 ブッシュ大統領は2002年初頭の一般教書演説において「悪の枢軸」発言を行い、イラク、イラン、北朝鮮は大量破壊兵器を保有するテロ支援国家であると名指しで非難しました。特にイラクに対しては、長年要求し続けた軍縮の進展の遅さと、大量破壊兵器の拡散の危険を重視し、2002年に入って政府関連施設などの査察を繰り返し要求しました。
 2003年3月17日、先制攻撃となる空爆を行った後、ブッシュ大統領はテレビ演説を行い、48時間以内にサダム・フセイン大統領とその家族がイラク国外に退去するよう命じ、全面攻撃の最後通牒を行いました。一方、フセイン大統領は、自国に向けた演説では徹底抗戦を主張していましたが、それまでに2通、そして最後通牒後に更に1通、計3通の同一内容の書簡をブッシュ大統領宛てに送りました。内容は「米政府が政権交代を求めなければ、あらゆる要求に完全に協力する用意がある」というものだったとされます。アメリカ側はこれら3通の書簡を全て受取り拒否した上で、2日後の3月19日に予告どおり、イギリスなどと共に「イラクの自由作戦」と命名した作戦に則って、侵攻を開始しました。

【米英からの公式発表による開戦理由】
 ・イラクの大量破壊兵器保有の可能性が世界の安保環境を脅かしている
 ・独裁者サダム・フセインが国内でクルド人を弾圧するなど多くの圧政を行っている
 ・度重なる国連査察の妨害により、大量破壊兵器の廃棄確認が困難である
 ・度重なる査察妨害、湾岸戦争の停戦決議である国連安保理決議687が破られている
 ・国際連合安全保障理事会決議1154でイラクに対して最終警告がされていた
 ・決議1441の「最後の機会」にもかかわらずずイラク側は査察に非協力的であった
 ・フセイン大統領とアルカイダが協力関係にある可能性がある

イラク戦争 図
イラク戦争

 正規軍同士の戦闘は2003年中に終了し、同年5月に米国ブッシュ大統領により「大規模戦闘終結宣言」が出ましたが、後にイラク国内での治安の悪化が問題となりイラク国内での戦闘は続行しました。2010年8月31日に米国バラク・オバマ大統領により改めて「戦闘終結宣言」と「イラクの自由作戦」の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた「新しい夜明け作戦」が始まり、そして2011年12月14日、米軍の完全撤収によってオバマ大統領がイラク戦争の終結を正式に宣言しました。

5.大量破壊兵器の有無とアルカイダとの関係

 イラク国内に入ったアメリカ軍は、大量破壊兵器の捜索を行いましたが、新たな大量破壊兵器および生物・科学兵器は発見されませんでした。拘束されたサダム・フセイン大統領は、FBIの取調べに対し、イラクが戦争前の査察に非協力的だったのは「大量破壊兵器を保持している事をほのめかす事でイランや国内の反政府勢力を牽制しようとした」ためで、化学兵器などの大量破壊兵器は「湾岸戦争後の国連の査察ですべて廃棄させられたため最初から無かった」と証言しています。
 また、2008年3月、アメリカ国防総省は正式に「フセインとアルカイダの関係を示す決定的証拠はない、認められるのはパレスチナ武装勢力との関係のみ」とする報告書をまとめました。

 大量破壊兵器は保有せず、アルカイダとの関係もなし

 結局、核兵器を含む、大量破壊兵器も細菌兵器もなく、アルカイダとの関係もないイラクが米英からの攻撃を受け、国家は滅ぼされたのでありました。


◇「イスラム国」要人たちはイラク出身

 前置きがものすごく長くなりましたが、ここで「イスラム国」の登場です。旧ソ連のアフガニスタン侵攻に始まって、アメリカ合衆国は、これに対してアルカイダを教育、支援して対抗しました。9.11が起こった後、米国は、このアルカイダ撲滅を目論みアフガニスタン紛争、イラク戦争をしかけました。こうした流れの中で、「イスラム国」は米国の攻撃を受けたイラク人によって作られた組織でありました。

1.アブ・バクル・アル・バグダディ

 サラフィー・ジハード主義組織「イスラム国」の指導者、カリフである、アル=バグダーディー氏は、イラク出身でバグダードのイスラム大学(現在のイラク大学)でイスラム学の学士・修士および博士号を取得した学者であり、2004年2月、アメリカ合衆国に対する抵抗組織の設立に関与した容疑で拘束され、キャンプ・ブッカに収容されました。

アル=バグダーディー 図

2.アブ・アリ・アンバリ

 バグダディの下の最高指導部「シリア担当」の人物、イラク出身の旧イラク軍将校で、米軍により拘束、収容された経験があります。

3.アブ・ムスリム・トゥルクマニ

 バグダディの下の最高指導部「イラク担当」の人物、イラク出身の旧イラク軍将校で、米軍により拘束、収容された経験があります。


◇ おわりに

 当然の如く、「イスラム国」の残虐な行為を容認する者ではありませんし、あらゆるテロ行為、全ての暴力、戦争に対して反対する立場に変わりはありませんが、その時代、その時代の必然性があって戦争が起こることは理解します。ただ、その中身において、詳しく調べてみると不可解な出来事、思わぬ発見に出会います。

 ・反米テロを繰り返したアルカイダは米国により支援を受けた
 ・米国で起こった9.11が以後のアフガニスタン、イラクでの戦争の発端となった
 ・2001年アフガニスタン紛争は米国がタリバン政権とアルカイダに対して行った
 ・米国が率先してイラク戦争を起こした

 こうして見ますと、いつの時代にも米国が主役でいることが解ります。そして、9.11米国同時多発テロについて、これがアルカイダの仕業ではなく、ブッシュ政権の米国政府による自作自演との疑惑があります。もし万が一、それが真実であったとすれば、米国はアフガニスタンのおいても、イラクにおいても、多数の無意味な死者を出し、そして、今、「イスラム国」による殺戮も、実は米国が大きな原因となっていると言わざるを得ないと考える次第です。9.11についてはまた別の機会にご紹介したく存じます。

自称通称「イスラム国」:その概要、理念、出来事、歴史的背景と主張など

 先日、マヤ暦によるところの「第5の太陽の終わり」前後における世界情勢の変化をテーマに各年の「出来事」を勉強しましたが、まだ今年が終わっておりませんので、改めて年明けには第二版として投稿したいと思っております。こうした勉強をしていて、将来の世界平和に対して極めて懸念されるのが通称「イスラム国 (Islamic State, IS)」の存在のように思います。今日は、これまでのところのこの団体についてまとめてみました。


◇「サラフィー・ジハード主義」

 イスラム国を語るにはまず「サラフィー・ジハード主義」への理解が必要と思います。昨年9月1日「中東/アラブ/イスラムの歴史的背景」と題してイスラム社会についてまとめましたが、この中でも触れました、イスラム教徒にはシーア派とスンニ派がございます。両者の争いは石油の利権争いに過ぎない現状となっておりますが、元々は、シーア派はムハンマドの血筋を預言者の代理人(カリフ)とする立場、スンニ派はコーランやイスラムの慣習(スンナ)を厳守する立場、とされており、イスラム教の伝承の様式に関する考え方の違いのようです。下図の如くスンニ派の方が多数派となっております。

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シーア派(緑)とスンニ派(黄緑)の分布

 さて、そのイスラム教スンニ派より13世紀から14世紀にかけて発生した考え方に、現状改革の上で初期イスラムの時代を模範とし、それに回帰すべきであるとする思想が生まれました。これがサラフィー主義であり、スンナ派の厳格派とも呼ばれます。「単なる復古主義でなく、回帰すべき原点、純化されるべき伝統がそもそも何であるかを、厳しく問うもの」とされます。コーランと預言者ムハンマドの言行(スンナ)を法源とする法律はシャリーアと呼ばれ、サラフィー主義はこのシャリーアを厳格に施行し、イスラム国家の樹立を求める立場であります。

 サラフィー主義:
 ・初期イスラムの時代を模範とし原点に回帰する考え方
 ・シャリーアを厳格に施行
 ・イスラム国家の樹立を求める立場


 以上の性格上、サラフィー主義は政治性が強いものの、基本的には非暴力的な立場でありました。これに対し、1990年代以降、シャリーア施行などを実現するために武力行使をジハード(聖戦)と位置づけて優先する流れが台頭して来て、これらは「サラフィー・ジハード主義」あるいは「サラフィー主義・ジハード派」などと、サラフィー主義とは区別して呼ばれるようになり、「アルカイダ」など日本メディアが「イスラム過激派」と表現するものの一部はこれにあたります。


◇ イスラム国の概要

 イスラム国とは、当然の如く「国」ではなく、アルカイダとは別個の、イラクやシリアで活動するサラフィー・ジハード主義組織であります。2014年6月29日、カリフ制イスラム国家の樹立を宣言し、組織名の名をそれまでの「イラクとシャームのイスラム国(Islamic State of Iraq and Syria, ISIS)」、別称「イラクとレバントのイスラム国(Islamic State in Iraq and the Levant, ISIL)」から、「イスラム国(Islamic State, IS)」を国名として採用し、シリア北部の都市であるラッカ(下図赤丸内)を首都とすると宣言しました。

シリア ラッカ図

 国家の樹立を宣言しましたが、当然のごとく、欧米諸国や日本、近隣のイラク、シリア、さらには、周辺のシーア派およびスンニ派イスラム教諸国などからも国家としては承認されていません。しかし、首都に指定したラッカでは一般市民より税金を徴収しており、防衛省・保健省・電力省などの省庁を置き、各省庁には閣僚もおり、治安組織(警察組織)も持っており、パトロールカーも巡回させ、また、支配地域の住民のために独自のパスポートを発行、2014年11月13日には、イスラム国独自の貨幣(金貨・銀貨・銅貨)を発行すると発表しております。次第に国家としての体裁を整えつつあります。

 国家としてあらゆる国より非承認
 次第に国家としての体裁を整えつつ


 組織のメンバーはシリア人など現地の人々だけではなく、外国でもメンバーを募集しており、世界80ケ国から1万5000人の戦闘員が集ってきているとされます。同組織では、シリア人よりもむしろ外国人戦闘員のほうが信用されており、外国人戦闘員は、現地人の5~10倍の給料が支払われているされます。インターネット上のソーシャル・ネットワーク・システム(SNS)を用いて、全世界の若者に協力を呼び掛けているという特徴があり、しかもその広報が洗練されていて品質がプロ並みと言われております。

 世界80ケ国から1万5000人の戦闘員
 SNSを用いた全世界の若者への呼びかけ



◇ イスラム国の発祥とこれまでの記事

 2000年頃、アブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーがヨルダンなどで築いた「タウヒードとジハード集団」を前身とし、アフガン戦争後、イラクに接近し、2003年のイラク戦争後はイラク国内でさまざまなテロ活動を行ったとされます。2004年には、アルカイダと合流して名称を「イラクの聖戦アル=カーイダ組織」と改めましたが、外国人義勇兵中心の彼らはイラク人民兵とはしばしば衝突したとされます。

 2006年1月、イラク人民兵の主流派との対立をきっかけに名称を「ムジャーヒディーン諮問評議会」と改め、他のスンニ派武装組織と合流し、さらに10月には解散して他組織と統合し、「イラク・イスラム国」と改称しました。以下、イラク・イスラム国〜イラクとシャームのイスラム国〜イスラム国とその周辺国の動向を箇条書きに列挙いたします。

2009年

10月25日、12月08日 イラク首都バグダードで自爆テロを実行 両日合わせて282人死亡 1169人負傷

2012年

03月20日 イラク バグダード等数十都市で爆弾テロ 52人死亡 約250人負傷

2013年

04月 アル=ヌスラ戦線と合併「イラクとシャームのイスラム国(ISIS)」、別称「イラクとレバントのイスラム国(ISIL)」に改称
07月21日 イラク バグダード近郊の刑務所を襲撃 武装勢力の戦闘員や幹部を多数含む500人あまりの受刑者を脱獄
08月 シリア アレッポ近郊のシリア空軍基地を制圧
09月 自由シリア軍がシリア軍から奪還 支配していたトルコ国境沿いのアッザーズを奪取制圧

2014年

01月 イラク西部アンバール県ラマーディーと同県都市 ファルージャを掌握
02月 アルカイダ「イラクとシャームのイスラーム国」とは無関係との声明
03月 イラク サマラ襲撃
06月05日 イラク軍によりサマラより撤退
06月10日 イラク モスルを陥落 3千人の囚人を脱走
06月11日 イラク モスルのトルコ領事館を制圧 領事館員ら48人を誘拐
06月15日 イラク政府軍と戦闘 タルアファルを制圧
06月17日 イラク バグダッド北東約60キロのバアクーバまで進撃
06月17日 イラク首相府 サウジアラビアの財政支援を指摘 避難
06月20日 イラク バイジの油田施設を包囲
06月25日 イラク アジール油田地帯を制圧
06月29日 アブー・バクル・アル=バグダーディーをカリフ(指導者)とする「イスラム国」として国家の樹立を宣言
08月08日 米国軍 イスラム国に対しイラク支配地域に限定した空爆開始
08月08日 米国 イスラム軍と対峙するクルド人に支援物資の供給を開始
08月12日 国連 イスラム国 少数派住民 女性や少年少女1500人を誘拐 性奴隷としていると声明
08月18日 イスラム国 日本人男性 湯川遥菜氏 拘束と報道
08月21日 イスラム国 米国人ジャーナリスト男性斬首の映像を動画投稿サイトに掲載

イスラム国 公開処刑 図

08月22日 イスラム国の支配領域 英国超
08月24日 イスラム国 シリア北東部ラッカ 空軍基地を制圧 全域掌握
08月25日 シリア アサド政権 イスラム国に対して国際社会と協力する声明
08月26日 米国オバマ大統領 イスラム国に対して「正義の鉄槌を下す」
08月28日 イスラム国 シリア兵500人逮捕 160人処刑 映像公開
08月29日 英国 キャメロン首相 英国籍のイスラム国戦闘員500人以上と声明 テロ行為に関わった英国民の出入国を抑制
08月31日 独 イスラム国と対峙するクルド人勢力に武器を供与する方針
09月01日 国際連合 人権理事会 イスラム国の行為を戦争犯罪や人道に対する罪として「最も強い言葉」で非難する決議
09月10日 米国オバマ大統領 イスラム国に対する空爆の方針
09月16日 イスラム国に 韓国 中国 米国 カナダ 独 仏 ノルウェー エジプト ソマリアから戦闘員として参加との報道
09月19日 国連安全保障理事会 イスラム国の壊滅に向けた対策強化を求める議長声明を全会一致で採択
09月19日 仏 イスラム国のイラク北東部の補給所に初の空爆実施
09月22日 米国 シリア領内でのイスラム国への空爆を開始 サウジアラビア バーレーン カタール UEA ヨルダンも参加
09月30日 英国 イスラム国を標的とした空爆開始
10月06日 イスラム国に参加するためにシリアに渡航しようとした北海道大学の学生ら複数の日本人に家宅捜索や任意の事情聴取
10月13日 イスラム国 イラク政府の数少ない前哨基地 バグダッド西方軍事拠点を占拠
10月14日 パキスタン タリバン指導者 イスラム国支持を宣言
10月16日 イスラム国による世情不安から日米で大幅に株安
10月22日 カナダ オタワの国会議事堂をイスラム国の呼びかけに応じた男性が襲撃
10月23日 米国NY イスラム教に改宗した男性 イスラム国に応じて警官襲撃
10月29日 イスラム国に参加の非イラク人 非シリア人戦闘員 80カ国 1万5000人以上
11月03日 豪州 シドニー イスラム国支持者によりシーア派信者狙撃
11月07日 イスラム国 奴隷制復活を宣言
11月08日 米国軍 イスラム国幹部が乗る車列が空爆 最高指導者のアブバクル・バグダディ致命傷との報
11月15日 イスラム国 通過「イスラム国ディナール」発行
11月17日 イスラム国 6月以降 シリアで1429人処刑
11月17日 イスラム国 公開の処刑映像 仏人が米国人人質を殺害した映像?
11月24日 米国 イスラム国 シリア アサド政権への対応でオバマ大統領と対立したヘーゲル国防長官が辞任
11月24日 米軍率いる有志連合のイスラム国空爆で900人以上死亡
11月25日 シリア ラッカを空爆 95人死亡
11月26日 イスラム国 同性愛者として男性2人を殺害
11月26日 イスラム国 サウジアラビア東部州ダウアを襲撃 8人死亡
12月02日 イランがイスラム国を空爆


◇ 世界大戦から滅亡の道を歩んだオスマン帝国

 イスラム国の理念と主張を理解するうえで、避けては通れない歴史上の出来事がありました。オスマン帝国の没落と西欧諸国の対応を先にご説明します。

1.オスマン帝国の発祥と発展

 オスマン帝国は、1299年、アナトリア(小アジア)の片隅で、イスラム王朝のオスマン1世が王位について建国したとされます。14世紀には東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、15, 6世紀までにはマムルーク朝などの西アジア・北アフリカのイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展しました。

オスマントルコ帝国領土 図
オスマン帝国の領土拡大

2.世界大戦から滅亡への道

 しかし17世紀末頃から徐々に衰退してその領土は蚕食され急速に縮小、18世紀にはロシアの南下政策によりクリミア半島を失うも、クリミア戦争(1853-1856年)ではイギリス、フランスとの同盟軍としてロシアに勝利しました。さらなる挽回を図って、ロシアによる汎スラヴ主義拡大の脅威に対抗するためドイツに近づき、第1次世界大戦(1914-1918年)に同盟国側で参戦しました。
 この大戦で、帝国はアラブ人に反乱を起こされ、ガリポリの戦いなどいくつかの重要な防衛線では勝利を収めるものの劣勢は覆すことができませんでした。1918年10月30日、ムドロス休戦協定により帝国は降伏し、国土の大半はイギリス、フランスなどの連合国によって占領され、イスタンブール、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡は国際監視下へ、アナトリア半島もエーゲ海に隣接する地域はギリシャ統治下となりました。そしてアナトリア東部においてもアルメニア人、クルド人らの独立国家構想が生まれたことにより、オスマン帝国領は事実上、アナトリアの中央部分のみとなりました。帝制が廃止されて最後の皇帝メフメト6世が廃位した1922年が滅亡年とされます。

3.「サイクス・ピコ協定」

 このオスマン帝国の敗戦から滅亡に先立ち、大戦中の1916年、イギリスはフランスやロシアとともにオスマン帝国の領土を、アラブ人やクルド人などの現地住民の意向を無視して、自分たちの勢力圏を決める秘密協定「サイクス・ピコ協定」を締結し、戦後その協定に修正を加えて国境線を引きました(サイクス・ピコ体制)。つまり、大戦における敗戦で、オスマン帝国領は分割され、元々は同一の国家であったのに、後に独立した現在に至っても、シリア、レバノン、イラク、ヨルダンといった国々に分割されたままなのであります。

【サイクス・ピコ協定で分割統治となった地域】
 シリア、レバノン:フランス
 ヨルダン、パレスチナ、イラク:イギリス
 クリミア半島:ロシア


◇ イスラム国の理念と主張

1.サイクス・ピコ体制の打破

 イスラム国の最も強い理念と主張はサイクス・ピコ体制の打破であり、オスマン帝国の滅亡に伴い分割された領土、西洋列強によって「押しつけられた国境」を消し去ろうと言うものであり、これは中東の国境線を全面的に見直すことを意味しております。

イスラム国の主張する領土 図
イスラム国が主張する領土

2.イスラム法の遵守

 イスラム国は、実効支配地域において、従来の教育制度を大きく改めることを表明しています。歴史や哲学、公民、体育、音楽、図工などの世俗的な学校教育を全面的に禁止し、イスラム法の極端な解釈に基づく過激な思想教育を児童に教えているとされます。また、本年11月7日には、イスラム国はコーランに従って、奴隷制度の復活・運用を国際社会に公表しています。

3.初期イスラム帝国への回帰

 イスラム国は、領土の上ではオスマン帝国滅亡前の状態を主張しているように見えますが、オスマン帝国の復活については言及しておらず、初期イスラム帝国に回帰して、スンニ派アラブ人のカリフのもとに、イスラム教徒の諸民族や、キリスト教、ユダヤ教などの異教徒を支配下におく体制を目指していると考えられております。


◇ イスラム国の戦力

1.装備

 当初、戦闘員の多くが利用していたものは単なるテロリスト然とした装備でありましたが、事態が長期化するにつれてイラク軍から鹵獲したアメリカ製およびヨーロッパ製の武器や、欧米からの志願兵が持ち込んだ戦闘服、タクティカルベスト、暗視ゴーグルなどの近代的な装備を利用し始めているとされます。またイラク軍の基地を制圧した際には装甲車、大砲などの地上戦力だけでなく、戦闘機、爆撃機までも入手しているとされます。
 イスラム国は、数的には決して圧倒的ではないが、優れた西側の兵器やシリア騒乱で得た戦闘経験を持ち、攻撃目標の適切な選択をすることで、不必要な犠牲を出さない効率的な戦い方を心得ており、志願兵の流入と相まって勢力を拡大しているのが現状です。

2.兵力

 イスラム国の構成員は、一般的には1万数千人と言われておりますが、アメリカ合衆国のCIAは戦闘員の数は2万人から3万1500人に上るとする見方を示しております。約半数は「イスラム国」の建国を宣言してからの加入者とされ、急速に勢力を拡大しており、新規参加者の大半はシリア人とされます。

3.外国人戦闘員

 外国人戦闘員は、アラブ諸国や欧州、中国などから、2014年11月の時点で1300人ほどとされておりますが、各国の表明する数字を足し合わせると大きな開きがあり、実情はほとんど解っていないようにも思われます。ヨーロッパ諸国では、イスラム国をはじめとするイスラム過激派に加わった自国民が、帰国した後にテロを起こす可能性を危惧しています。

 実態が不明瞭な外国人戦闘員
 イスラム国に加わった帰国後のテロ行為の可能性


 イギリスのキャメロン首相は、2014年8月29日、イギリス国籍のイスラム国の戦闘員は少なくとも500人にのぼると語り、国外でテロ行為に関わった疑いのある英国民の出入国を抑制する方針を発表ました。

 イギリスからは少なくとも500人

 ドイツのメルケル首相によれば、イスラム国要員は約2万人で、うち欧州出身者が約2000人を占めると語っており、ドイツからは400人を超える若者がイスラム国の戦闘員となり、このうち100人はドイツに帰国しているとされます。同国のデメジエール内相はイスラム国を支援するあらゆる活動を禁止する方針を発表しております。

 ドイツの調査では欧州出身者が約2000人

 アメリカ合衆国、国防総省は10人ほどのアメリカ人がイスラム国に参加しているらしいと発表しております。

 アメリカからは10人ほど

 非イスラム教国の中では、ロシアから最も多くの戦闘員が出ており、その数は800人という説があります。

 ロシアから800人

 アメリカやフランスの研究機関によりますと、チュニジアからは3000人、サウジアラビアからは2500人が戦闘員としてイスラム国に参加しているとのことです。また、中東と北アフリカの全域でイスラム国の細胞組織の増加を示す証拠が増えてきており、リビアにはすでに3000人の戦闘員がいるとされます。

 チュニジアから3000人、サウジアラビアからは2500人

 日本からは現在のところイスラム国へ参加している人物は確認されていないが、本年10月6日、警視庁は北海道大学の学生がイスラム国に加わろうとしたとして、私戦予備および陰謀の疑いで事情聴取をしました。学生はイスラム国司令官と太いパイプを持っている中田考氏の紹介によって、イスラム国幹部と接触しようとしたとされます。中田は幹部に学生を紹介し、ルートや通訳の手配をしたことについて公安の事情聴取と家宅捜索を受けております。


◇ インターネットを使った巧みな宣伝

 イスラム国の構成員はTwitterやYouTubeにアカウントを開設し、画像や動画を投稿するなどしてプロパガンダ活動を展開、世界の若者に参加を呼びかけているとされます。本年8月下旬、TwitterやYouTubeなどから相次いでアカウント停止処分を受けましたが、インターネット上での活動を分散型SNSのDiasporaへ移行しているとされます。残念ながら(?)、イスラム国のインターネットを使った巧みな宣伝術を見つけることはできませんでしたが、フジテレビのトークバラエティー番組で取り上げられたYouTube映像がありましたのでリンクを添付します。

フジテレビ 月曜日深夜 0:35-1:25 ワイドナショー 9月21日放送↓
https://www.youtube.com/watch?v=5qrvyx9M3mU


◇ おわりに

 イスラム国が、20世紀初頭に起こったオスマン帝国の滅亡における領土分割を1つの大きな大義として、世界に対して挑戦を仕掛けているのは明白です。現代の格差社会、病める若者が溢れる現代社会において、インターネットを使った、いわゆる「同志」を募る巧みな方法は、単なるテロ行為では片付けられない、あるいはアルカイダよりも危険な存在かと考えるところです。

 アルカイダよりも危険な存在?

 宗教はなんのためにあるのか?、そうした原点に戻った時、極論として、答えは簡単、一言で言うならば「人間が幸せになるため」だと思います。イスラム教の原点もそこにあったはずです。上でご紹介した「サラフィー主義」はあくまでも非暴力的な立場であります。ここに「ジハード = 聖戦」が加わって「サラフィー・ジハード主義」となると、これは、宗教の名を借りた強大なテロ組織です。

 「サラフィー」と「サラフィー・ジハード」の違い

 イスラム国の、奴隷や弱者に対する非人道的行為、残虐さ、それを映像で発信する冷酷さ、これらを直視した時、この集団が宗教に基づいた集団ではなく、なんの主張も説得力がなく、もちろん国家たりえないことは明らかであります。私は、戦争や殺戮を支持する者ではありませんが、世界の平和のために早期に解決、殲滅が必要と考える次第です。

政治資金規正法のあらまし

 先日、自身の選挙区内でうちわを配ったとして追求を受けた 松島みどり 法務大臣と共に、 小渕 優子 経産大臣が大臣を辞任しました。小渕氏の場合は、政治資金収支報告書に2010、2011年の東京・明治座で開いた「観劇会」で集めた会費収入が計約742万円だったのに対し、明治座に支払った金額を計約3384万円と計上していました。さらに、小渕氏の資金管理団体より、実姉の夫が経営する東京都内の服飾雑貨店などに「品代」として2008年からの5年間で38回、計約362万円を政治資金から支出していたこと、百貨店でのベビー用品や化粧品、著名デザイナーズブランド品の購入にも支払われていたことが発覚しました。

小渕と松島の写真

 小渕 優子 議員、クリーンなイメージでしたので残念な印象はありますが、いかにも脇が甘い、お金に対して無頓着な人間であることが浮き彫りになった感は否めません。同時に、松島議員のうちわはともかく、間違った政治資金の運用なんていくらでも横行しており、これを何かのタイミングで明るみにし、国民と野党(?)の目をそちらに向けさせる、あるいはわざと政治を停滞させることが目的のような、そんなことの繰り返しのようにも思えます。


◇ 政治資金規正法のあらまし

 今回、政治資金規正法についてたいへん解りやすい文章に出会いました。恐らくは1948年に制定された原文など、とても理解できない難解な文章でしょう。この解りやすい「あらまし」を説明した総務省のページをご紹介します。

 *****

政治資金規正法 図01

目 次

1.政治資金規正法の目的
2.政治資金を規正する基本的考え方
3.規正の対象
4.政治資金の収支の公開等
5.寄附の制限
6.政治資金パーティーの対価の支払の制限
7.運用等の制限
8.罰則等



1.政治資金規正法の目的

政治資金規正法は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、1政治団体の届出、2政治団体に係る政治資金の収支の公開、3政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正、4その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的としています。


2.政治資金を規正する基本的考え方

 治資金の規正については、大きく分けて、、、

1)政治資金の収支の公開

 政治団体に設立の届出等を義務付けるとともに、1年間の政治団体の収入、支出及び資産等を記載した収支報告書の提出を政治団体に義務付け、これを公開することによって政治資金の収支の状況を国民の前に明らかにすること。

2)政治資金の授受の規正等

 政治活動に関する寄附(政治団体に対してされる寄附又は公職の候補者の政治活動に関してされる寄附をいう)等について、対象者による制限や、量的、質的制限などを行うこと。

 、、、の2つがあり、具体的には、以下の図のとおりとなっています。

政治資金規正法 図02


3.規正の対象

 政治資金規正法の規正の対象は、政治団体及び公職の候補者です。

1)政治団体

(1)政治団体とは

 政治資金規正法においては、下記の活動を本来の目的とする団体及び下記の活動を主たる活動として組織的かつ継続的に行う団体を政治団体としています。

 ① 政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、
   又はこれに反対すること
 ② 特定の公職の候補者を推薦し、支持し、
   又はこれに反対すること

 また、下記に該当する団体については、政治資金規正法上、政治団体とみなされます。

 ① 政治上の主義又は施策を研究する目的を有する団体で、
   国会議員が主宰するもの又はその主要な構成員が
   国会議員であるもの(いわゆる政策研究団体)
 ② 政治資金団体
 ③ 特定パーティー開催団体(政治団体以外の者が特定
   パーティー {政治資金パーティーのうち収入の金額が
   1,000万円以上のもの} になると見込まれる政治資金
   パーティーを開催する場合には、当該政治団体以外の
   者を政治団体とみなして政治資金規正法の規定の一部が
   が適用される)

(2)政治団体の種類

 政治団体には、下記の種類があります。

政治資金規正法 図03

 また、下記のものを「国会議員関係政治団体」といい、収支報告に関する特例等が設けられています。

政治資金規正法 図04

(3)政治団体の設立等の届出

 政治団体は、その組織の日又は政治団体となった日から7日以内に、郵便によることなく文書で、組織等された旨、当該政治団体の目的、名称、主たる事務所の所在地及び主としてその活動を行う区域、代表者・会計責任者・会計責任者の職務代 行者の氏名、住所、生年月日及び選任年月日等について、下記のとおり、都道府県の選挙管理委員会又は総務大臣に届け出なければなりません。

政治資金規正法 図05

 また、届け出た事項に異動が生じた場合も、その異動の日から7日以内にその内容を届け出なければなりません。
 政治団体の会計責任者は、会計帳簿を備え付ける等日々の会計管理を行うとともに、年一度、都道府県の選挙管理委員会又は総務大臣に収支報告書を提出することが義務付けられています。
 なお、政治団体が解散し、又は政治団体でなくなった場合は、解散等の日から30日以内(国会議員関係政治団体 {収支報告書に記載すべき収入及び支出があった年において国会議員関係政治団体であったものを含む} については、60日以内) に、その旨及び年月日を届け出るとともに、解散等の日までの収支報告書を提出しなければなりません。

2)公職の候補者

 公職の候補者とは、公職にある者、公職選挙法の規定により届け出られた公職の候補者及び当該候補者となろうとする者をいいます。
 なお、公職の候補者は、その者が代表者である政治団体のうちから、一の政治団体をその者のために政治資金の拠出を受けるべき政治団体として指定することができます (指定された政治団体を「資金管理団体」といいます。資金管理団体に係る寄附の特例については [資金管理団体に対する寄附の特例] 参照)。


5.政治資金の収支の公開等

1)収支報告

 政治団体の会計責任者は、毎年12月31日現在で、当該政治団体に係るすべての収入、支出及び資産等の状況を記載した収支報告書を翌年3月末日(1月から3月までの間に総選挙等があった場合は、4月末日)までに、都道府県の選挙管理委員会又は総務大臣に提出しなければなりません。

[主な報告事項]

 ① 寄附
   年間5万円を超えるものについて、寄附者の氏名等
 ② 政治資金パーティーの対価に係る収入
   一の政治資金パーティーごとに20万円を超えるもの
   について、支払者の氏名等
 ③ 支出
   政治活動費のうち一件当たり5万円以上のもの
   ※(資金管理団体又は国会議員関 係政治団体である間に
   行った支出にあっては、3、4を参照)について、支出を
   受けた者の氏名等
 ④ 資産等
   土地、建物、建物の所有のための地上権又は土地の賃借権、
   100万円超の動産、 預貯金(普通預金等を除く。)、
   金銭信託、有価証券、出資による権利、100万円超の貸付金、
   100万円超の敷金、100万円超の施設の利用権及び100万円超
   の借入金について、その内容

[収支報告書に併せて提出すべきもの]

 政治団体の会計責任者は、収支報告書を提出するときは、収支報告書に記載すべき支出に係る領収書等の写しを併せて提出しなければなりません。 領収書等を徴し難い事情があった場合には、領収書等を徴し難かった支出の明細書又は振込明細書の写し及び振込明細書に係る支出目的書を提出します。

※領収書等の徴収義務は、一件当たり5万円以上のすべての支出に係ります。

2)収支報告書の公表、閲覧及び写しの交付

 ① 公表
   政治団体の収支報告書の要旨は、官報又は都道府県の公報
   により、原則として11月30日(平成20年分の収支報告書
   は9月30日)までに公表されます。
 ② 閲覧及び写しの交付
   政治団体の収支報告書は、総務省又は都道府県の選挙管理
   委員会において、収支報告書の要旨が公表された日から3年
   間、何人も、閲覧又は写しの交付を請求することができます。

3)資金管理団体の収支報告に関する特例(①については平成20年分の収支報告から適用、②については平成19年分の収支報告から適用)

 ① 人件費以外の経常経費の明細
   資金管理団体については、収支報告書に明細を記載すべき
   支出の範囲が拡大されており、資金管理団体である間に
   行った支出にあっては、人件費以外の経費のうち一件当たり
   5万円以上のものについて、収支報告書に記載するとともに、
   領収書等の写しを併せて提出しなければなりません。
 ② 保有不動産等の保有状況
   資金管理団体が平成19年8月6日前から所有している不動産
   (これと密接に関 連する不動産を含む)については、用途
   その他の個々の利用の現況を収支報告書に記載しなければ
   なりません。

4)国会議員関係政治団体の特例(平成21年分の収支報告から適用)

(1)収支報告に関する特例

 国会議員関係政治団体については、収支報告書に明細を記載すべき支出の範囲が拡大 されており、国会議員関係政治団体である間に行った支出にあっては、人件費以外の経費のうち一件当たり1万円を超えるものについて、収支報告書に記載するとともに、領収書等の写しを併せて提出しなければなりません(なお、領収書等の徴収義務はすべての支出に係ります)。
 また、収支報告書の提出期限は、翌年5月末日(1月から5月までの間に総選挙等があった場合は、6月末日)までとされています。

政治資金規正法 図06

(2)登録政治資金監査人による政治資金監査

 国会議員関係政治団体については、収支報告書を提出するときは、その支出に関し、あらかじめ、収支報告書、会計帳簿、領収書等などについて、政治資金適正化委員会が行う研修を修了した登録政治資金監査人(政治資金適正化委員会の登録を受けた弁護士、公認会計士、税理士)による政治資金監査を受けなければなりません。
 政治資金監査は、政治資金適正化委員会が定める政治資金監査に関する具体的な指針 に基づき行われます。
 国会議員関係政治団体の会計責任者は、収支報告書の提出に併せて、登録政治資金監 査人が作成した政治資金監査報告書を提出しなければなりません。

(3)少額領収書等の写しの開示制度

 国会議員関係政治団体については、何人でも収支報告書の要旨公表日から3年間、人件費以外の経費で1件1万円以下の支出に係る領収書等の写し等(少額領収書等の写し)について、総務大臣又は都道府県の選挙管理委員会に対し開示請求をすることができます。

[開示請求から開示決定までの基本的な流れ]

 ① 開示請求書の提出
   開示請求する方は、総務大臣又は都道府県の選挙管理委員会
   に対し開示請求書を提出します。
 ② 少額領収書等の写しの提出命令
   開示請求を受けた総務大臣又は都道府県の選挙管理委員会は、
   開示請求が権利の濫用又は公の秩序若しくは善良の風俗に
   反すると認められる場合に該当するときを除き、開示請求が
   あった日から10日以内に、国会議員関係政治団体の会計責任者
   に対し、少額領収書等の写しの提出を命令します。
 ③ 少額領収書等の写しの提出
   国会議員関係政治団体の会計責任者は、提出命令があった日
   から原則20日以内に、少額領収書等の写しを総務大臣又は
   都道府県の選挙管理委員会に提出します。
 ④ 開示決定
   総務大臣又は都道府県の選挙管理委員会は、少額領収書等の写し
   の提出があった日から原則30日以内に開示決定し、閲覧又は写
   しの交付の方法により開示します。


5.寄附の制限

1)会社等のする寄附の制限

 政治団体を除く会社・労働組合等の団体は、政党・政党の支部(1以上の市区町村の 区域又は選挙区の区域を単位として設けられる支部に限る。)及び政治資金団体以外の 者に対しては、政治活動に関する寄附をしてはいけません。
 また、これに違反する寄附をすることを勧誘し又は要求してはいけません。

2)公職の候補者の政治活動に関する寄附の制限

 何人も、公職の候補者の政治活動(選挙運動を除く。)に関して金銭及び有価証券に よる寄附をしてはいけません。ただし、政党がする寄附及び政治団体に対する寄附は認められています。

3)寄附の量的制限

 寄附の量的制限とは、政治活動に関して一の寄附者が年間に寄附することのできる金額についての制限で、寄附の総額の制限(総枠制限)と同一の受領者に対する寄附額の制限(個別制限)があります。なお、金銭等 以外の財産上の利益についても時価に見積もった金額により制限の対象となること、制 限の対象となる政治団体については本部・支部を通じて一体であることに注意が必要です。

[総枠制限] 一の寄附者ができる寄附の年間限度額

 ◯ 政党・政治資金団体に対するもの
    個人:2,000万円まで
    会社、労働組合等:750万円〜1億円まで
   (資本金の額、組合員数等により異なる {別表2参照})

 ◯ その他の政治団体、公職の候補者に対するもの
    個人:1,000万円まで

[個別制限] 一の寄附者から同一の受領者への寄附の年間限度額

 ◯ 個人がその他の政治団体及び公職の候補者に対してする
   寄附は、150万円まで
 ○ その他の政治団体間でなされる寄附は、5,000万円まで

[資金管理団体に対する寄附の特例]

 資金管理団体に対する寄附については、下記のとおり量的制限等の特例があります。

 ① 公職の候補者が、その者が公職の候補者である間に政党から
   受けた政治活動に関す る寄附に係る金銭等の全部又は一部
   に相当する金銭等により自らの資金管理団体に対してする
   寄附(特定寄附)については、総枠制限及び個別制限の適用
   がありません。
 ② 公職の候補者が自らの資金管理団体に対してする特定寄附以外
   の寄附(歳費等の自 己資金による寄附)については、個別制限
   の適用がありませんので、総枠制限 (1,000万円)の範囲内に
   おいて寄附することができます。
 ③ 公職の候補者は、公職選挙法の規定により、選挙前一定期間、
   自己の後援団体に寄附することが禁止されますが、自らの資金
   管理団体に対しては寄附することができま す。

4)寄附の質的制限
   
 寄附の質的制限とは、特定の者からの寄附に関する規制で、下記の寄附が禁止されています。

(1)補助金等を受けている会社その他の法人がする寄附

 ① 国から補助金、負担金、利子補給金、その他の給付金(試験研究、
   調査又は 災害復旧に係るものその他性質上利益を伴わないもの
   及び政党交付金を除く) の交付の決定を受けた会社その他の法人
   は、その交付の決定の通知を受けた日から1年を経過する日まで
   の間、政党又は政治資金団体に対して寄附をすることはできません。
 ② 国から資本金、基本金その他これらに準ずるものの全部又は一部
   の出資又は拠出を受けている会社その他の法人は、政党又は政治
   資金団体に対して寄附をすることはできません。
 ③ 地方公共団体から補助金、負担金、利子補給金、その他の給付金
   (試験研究、 調査又は災害復旧に係るものその他性質上利益を
   伴わないものを除く)の交付の決定を受けた会社その他の法人は、
   その交付の決定の通知を受けた日から1年を経過する日までの間、
   その地方公共団体の議会の議員若しくは長に係る公職の候補者を
   推薦し、支持し、若しくはこれに反対する政党又は政治資金団体
   に対して寄附をすることはできません。
 ④ 地方公共団体から資本金、基本金その他これらに準ずるものの
   全部又は一部 の出資又は拠出を受けている会社その他の法人は、
   その地方公共団体の議会の議 員若しくは長に係る公職の候補者を
   推薦し、支持し、若しくはこれに反対する政 党又は政治資金団体
   に対して寄附をすることはできません。

(2)赤字会社がする寄附

 3事業年度以上にわたり継続して欠損を生じている会社は、その欠損が埋められるまでの間、政党又は政治資金団体に対しても寄附をすることはできません。

(3)外国人・外国法人等からの寄附

 外国人、外国法人又はその主たる構成員が外国人若しくは外国法人である団体 その他の組織から政治活動に関する寄附を受けることはできません。
 ただし、主たる構成員が外国人又は外国法人である日本法人のうち、上場会社 であって、その発行する株式が証券取引所において5年以上継続して上場されている者等からの寄附は除かれています。

(4)他人名義・匿名による寄附

 本人以外の名義又は匿名により政治活動に関する寄附をすることはできません。
 ただし、街頭又は一般に公開される演説会若しくは集会の会場において政党 又は政治資金団体に対してする寄附でその金額が1,000円以下のものに限り、 匿名による寄附をすることができます。

5)その他公正な流れを担保するための措置

(1)寄附のあっせん及び関与の制限

 政治活動に関する寄附は、寄附者の政治活動の一環としてその自発的意思に基づいて行われるべきであり、不当にその意思を拘束し、寄附を強制することは寄附者の政 治的自由の侵害となることから、次の規制があります。

 ① 威迫等により寄附者の意思を不当に拘束するような方法による
   寄附の斡旋の禁止
 ② 寄附者の意思に反するチェックオフによる寄附の斡旋の禁止
 ③ 寄附への公務員の関与制限

(2)政治資金団体に係る口座振込みの義務付け

 政治資金団体に対する寄附及び政治資金団体が行う寄附(金額が1,000円以下 のもの及び不動産の譲渡又は貸付け {地上権の設定を含む} によるものを除く)については、口座への振込みによらなければならないこととされています。

政治資金規正法 図07

政治資金規正法 図08


6.政治資金パーティーの対価の支払の制限

 政治資金パーティーとは、対価を徴収して行われる催物で、当該催物の対価に係る収入の金額から当該催物に要する経費の金額を差し引いた残額を当該催物を開催した者又はその者以外の者の政治活動に関し支出することとされているものです。
 政治資金パーティーについては、下記の規制があります。

 ① 開催団体
   政治資金パーティーは、政治団体によって開催されるように
   しなければなりません。政治団体以外の者が特定パーティー
   になると見込まれる政治資金パーティーを開催 する場合には、
   当該政治団体以外の者を政治団体とみなして政治資金規正法
   の規定の一部が適用されます。
 ② 収支報告(公開基準)
   政治資金パーティーの対価に係る収入については、収支報告
   書に所要の事項を記載して提出しなければなりません。
   また、一の政治資金パーティーの対価に係る収入のうち、同一
   の者からの対価の支払の金額又は同一の者により斡旋された
   対価の支払の金額の合計が20万円を超えるものは、対価の
   支払者又は斡旋者の氏名等が公表されます。
 ③ 対価の支払等に関する制限
   何人も、一の政治資金パーティーの対価の支払をする場合に
   おいて、150万円を超えて支払をしてはいけません。
   また、寄附と同様に、政治資金パーティーの対価の支払に
   ついても、斡旋及び関与の制限があります。


7.運用等の制限

1)政治資金の運用の制限

 政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることから、政治資金の運用方法は、金融機関への預貯金、国債証券、地方債証券の取得など、安全かつ確実なものに限定されており、株式運用等を行うことは禁止されています。

2)資金管理団体による不動産の取得等の制限

 資金管理団体は、平成19年8月6日以後新規に、土地若しくは建物の所有権又は建物の所有を目的とする地上権若しくは土地の貸借権を取得し、又は保有することが原則として禁止されています。


8.罰則等

1)主な罰則

 政治資金規正法に違反した場合の主な罰則には、下記のものがあります。

政治資金規正法 図09

2)公民権停止

 政治資金規正法に定める罪(政治資金監査報告書の虚偽記載、政治資金監査の業務等に関して知り得た秘密の秘密保持義務違反を除く)を犯した者は、公職選挙法に関する罪を犯した者と同様、下記の期間、公民権(公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権)が停止されます。

 ① 禁錮刑に処せられた者
   裁判が確定した日から刑の執行を終わるまでの間とその後
   の5年間
 ② 罰金刑に処せられた者
   裁判が確定した日から5年間
 ③ これらの刑の執行猶予の言い渡しを受けた者
   裁判が確定した日から刑の執行を受けることがなくなる
   までの間

 なお、政治資金規正法違反によりその公民権を停止される場合においては、あわせて 選挙運動も禁止されます。

3)没収、追徴

 寄附の量的、質的制限等違反による寄附に係る財産上の利益については、没収又は追徴されます。
 また、匿名による寄附及び政治資金団体に係る寄附で振込みによらないでなされたも のについては、国庫に帰属し、その保管者等が国庫に納付することとなります。

政治資金規正法 図10

政治資金規正法 図11

政治資金規正法 図12

http://www.seijishikin.soumu.go.jp/

 *****



◇ 麻生財相 政治資金で「銀座高級クラブ」

 堅苦しい文章を、コピペとは言え、書式を統一させたり苦労して作ったところで、またもおバカな記事を見つけてしまいました。

 *****

日刊ゲンダイの10:30記事

 これでもかと不祥事が噴出している安倍内閣の中でも、この男のカネ遣いの荒さは尋常ではない。日刊ゲンダイ本紙は26日、麻生財務相が資金管理団体「素淮会」の「交際費」名目で、六本木の会員制サロンに高額支出を繰り返す実態を伝えた。経営者は過去に週刊誌で「元愛人」と書かれた女性で、10~12年の間に政治資金から計23回、1865万5000円を払っていた。

麻生大臣の飲んでる写真

 麻生大臣のデタラメ支出はこのレベルで済まない。政治資金で“美人ホステス”がそろう銀座の「高級クラブ」に途方もないカネを落としている。

 行きつけは、銀座6丁目の「クラブ由美」と「クラブ麻衣子」、銀座8丁目の「ファーストクラブ」。いずれも「座っただけでウン万円」の老舗クラブ。中でも「由美」と「麻衣子」はメディアにも登場する有名ママが切り盛りし、銀座で一、二を争う超高額店だ。
「ボトルをキープしてあっても1人最低6、7万円。一番安い焼酎のボトルで2万円、もちろん、もっと高い酒を入れるのが暗黙のルールですが……。行く時は15万~20万円の予算を見ておかないと、恥をかきます」(銀座の飲食店関係者)

 庶民には高根の花である夜の世界に、麻生大臣は気前よくカネを弾んでいる。10~12年の間に政治資金の「交際費」から由美に計12回、453万1250円、麻衣子に計5回、94万8860円、ファーストに計7回、71万6975円を支出。ほかにも銀座7丁目の「club ueda」に計2回、17万6720円、銀座6丁目の高級クラブ「BON!」に1回、61万9520円を計上。11年4月1日には一晩で六本木のサロンに81万円、銀座の由美に26万8610円、ファーストに11万4975円、uedaに7万4660円をそれぞれ支払っていた。

 銀座の高級クラブに渡った政治資金は3年間で、総額700万円近くに上る。これだけ金銭感覚がトチ狂った大臣にこの先も国家財政を任せるのは危険だ。

 *****


 政治資金(国民の税金も含む)で「六本木の会員制サロン」に「銀座高級クラブ」、呆れてものが言えませんが、だから政治家は止められないし、野党に転じたら必死になって政権を取り戻しに行くんですね。


http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/naruhodo01.html
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/154525/2


真実は? 「日航ジャンボ機墜落事故」、疑問と疑惑

 先の「日航ジャンボ機墜落事故」について、今度は公に言われている疑問点、非公式に噂されている疑惑にまで言及します。

◇ 公式に発表されている事故対応への疑問

1.放射性物質の存在?のため捜査を待機

 事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されており、また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていました。これらの放射性物質が墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があるとして、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐに現場には入らず別命あるまで待機するよう命令されたとのことでした。

2.米軍ヘリから激しく遅れた自衛隊の墜落現場到着

 最初に墜落現場を発見したのは米軍ヘリであり、墜落事故直後には現場に到達して、救助活動は行わずに立ち去った模様です(後述)。もしそうだとしても、墜落現場についての情報が、在日米軍横田基地から政府、自衛隊など、日本の機関に報告されたはずです。しかしながら、消防、警察や、災害派遣要請によって出動した航空自衛隊の地上捜索隊、陸上自衛隊の各捜索隊は、正確な位置情報については誤報が繰り返され、翌13日の朝まで現場に到達することはできませんでした。墜落直後には多数の生存者がいた可能性があって、早期の救助活動が要求される局面で、なぜ、それほどまでに情報共有がなされなかったのか極めて疑問であります。

3.墜落現場の特定の遅れと二転三転の報道

 先の記事で、123便墜落現場は「8月13日04:30航空自衛隊救難隊、05:10の陸上自衛隊ヘリ、05:37の長野県警ヘリにより墜落現場の確認」と述べました。これは公式に発表されたものです。上述のごとく、早い段階(墜落の20分後、8月12日19:20頃?)で米軍ヘリが123便墜落現場に到達していたのに、自衛隊の現地確認は翌朝でした。
 123便の墜落現場は現地付近に住む住民によってかなり正確に特定されておりました。群馬県上野村の黒沢丈夫村長(当時、元海軍少佐、零戦パイロット)は、テレビ報道の映像を見て、現場が村内の「スゲノ沢」であると判断、土地勘のある消防団員に捜索隊の道案内をするよう要請したそうです。しかしながら、8月12日、夜23時頃、一番先に捜索のため到着した機動隊員32名の案内を頼まれた地元民たちに対して、道案内を頼んでおきながら機動隊員から 「その場所は違う、こっちだ」と根拠のない主張をされたそうです。墜落現場はスゲノ沢だと言うと 「いいやそこではない、中ノ沢だ、上官の命令だ」とも、、、。わざと捜索の場所を変えさせて、しかも足取りが遅い機動隊員は、ついに夜明けまで墜落現場にたどり着けませんでした。

 現地住民の誘導に対して否定する発言、足取りの遅さ

 しかも、その8月12日の夜、NHKニュースは墜落現場について二転三転する報道を行っていました。埼玉県三国山、長野県御座山、群馬県上野村小倉山、同ぶどう峠などなど、これらは御巣鷹山から8-10 kmの円のなかに入ります。前出の上野村村長、黒沢丈夫氏は、政府の墜落地点の計測ミスに怒りを隠さなかったとされます。零戦時代の知識でも特定可能なのに、現在の技術で墜落地点が特定できないはずはない、と、、、。

 NHKの墜落現場報道は御巣鷹山周囲で二転三転

 墜落現場の特定が遅れたのは「わざと遅らされていた」のではないか?、救助隊を分散させ、数時間にわたって、御巣鷹山に誰も近づけないようにする何らかの「作為」が働いたのではないか?、報道が二転三転して正確な墜落地点を示さなかったのは、現地の人が現場に行くのを阻む目的だったのではないか?、と言う事です。

4.他の生存者に関する認識の不一致

 生存者の証言によれば、墜落直後には相当数の乗客が生存していた可能性がありました。救出された当時12歳の少女の証言によると墜落した直後は周囲からがんばれという励ましや、早く助けに来ないのかなどという話し声が聞こえていたが、次第に静かになっていったと語っています。

【川上慶子さん(当時12歳)の証言】

 *****

 墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。

川上慶子写真

 *****


 こうした証言から、救出が早ければもっと多くの命を救えたのではないかという意見があります。しかし、事故調査報告書は、この点については事実認定をしておらず、生存者4名以外は即死もしくはそれに近い状況であったとしております。

5.十分に解明されなかった垂直尾翼破壊の原因

 123便を撮影した写真から、同機は垂直尾翼の大部分を失った状態で飛行していたことが判明しており、垂直尾翼の破壊が本事故の大きな要因であることが考えられました。しかし、事故機の垂直尾翼の破壊過程については、尾翼の回収が部分的であるため、その詳細は特定できなかったとしています。損壊した垂直尾翼について、事故から2か月以上が過ぎた1985年11月に、海上保安庁の協力を得て相模湾周辺の海底探査が行われましたが、何も発見できずに打ち切られており、垂直尾翼の大半は回収されませんでした。

日航機垂直尾翼

 事故の翌年、1986年4月25日に行われた事故調査報告書の案を検討する聴聞会では、公述人として参加した技術関係者や学識経験者から、事故原因の究明に重要な要素である垂直尾翼の破壊過程が十分に解明されていないと言う意見、尾翼の捜索も不十分であるという指摘がなされました。

6.事故調査報告書の「急減圧」に対する否定意見

 事故調査報告書では、事故原因として、圧力隔壁の損壊部分から与圧された客室内の空気が流れ出したことで、機内には相当な減圧が発生したと推定しています。事故調査委員会はこの減圧についての計算を行い、異常発生の8秒後には機内の与圧はすべて失われ、気温もマイナス40度にまで低下したことを示唆しています。

 圧力隔壁の損壊なら酸欠、気温低下が起こったはず

 しかしながら、パイロットが急減圧発生時の所定の対応をとらず、酸素マスクを使用した形跡はありませんでした。生存者は、長女の美紀子さんと共に助かった吉崎博子さんは、急減圧に関して、「子供の世話をしていてマスクが外れることもありましたが、それでも苦しいとは感じませんでした。」、また、機内の室温急低下に関しては、「私は半袖のブラウスと長めのキュロットスカートという服装でしたが、特に寒いということはありませんでした。」と証言しています。圧力隔壁の損壊は機内の状況から考えてまったく否定的であることは明白なようです。

7.不自然に速い事故原因究明の幕引き

 運輸省航空事故調査委員会は、事故発生2日後の8月14日に墜落現場に入り、本格的な調査を開始しました。調査には事故機の製造国であるアメリカから、国家運輸安全委員会 の事故調査官らが顧問として加わっております。
 123便は墜落事故の7年前の1978年6月2日に伊丹空港にてしりもち着陸事故を起こしており、その際に事故機の製造者である米国ボーイング社が修理に当った経緯がありました。今回、事故から約1月も満たない9月6日、ボーイング社による声明が出され、1978年の「しりもち事故」の際の、同社による修理が不適切なもの(修理交換した隔壁の下半分と上半分との接続強度が不足した状態、下図)であったことが今回の墜落事故の原因と発表されました。

ボーイング社の説明図

 これをもって公式な原因調査は終了しています。航空関係者や遺族などの一部からは再調査を求める声がありますが、現在に至るまで行われてはいません。ボーイング社があっさり、修理における自らの不手際を認めるのは不自然ですし、事故から1月足らずで事故原因の究明が終了するとはあまりにも速すぎる幕引きであったと考えます。


◇ 墜落後1時間半、幻に終わった米軍救出劇

 墜落事故からちょうど10年が経った1995年8月、日航ジャンボ機墜落事故当時、横田基地に駐屯、ロッキードC-130輸送機のナビゲーターをしていた元在日米軍中尉、マイケル・アントヌーチ氏が事故についての新事実を証言しました。

マイケル。アントヌーチ氏

https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg

 1985年8月12日18:25日航123便が発信した緊急救難信号を、付近を航行していたC-130輸送機が受診しました。その直後に123便の機長と管制が英語ではなく日本語で交信しているのを聞いて、C-130輸送機に搭乗していたアントヌーチ氏は、重大な事態が発生していると思ったと供述しています。確かに18:32管制より123便に対して日本語での交信を許可した記録が残されています。
 18:56管制のレーダーから123便が消滅したのを受けて、米軍横田基地司令部はC-130輸送機に対して123便の捜索に向うよう命令しました。アントヌーチ氏によると、19:15巨大な山火事を発見、墜落地点として報告したとされます。C-130輸送機は現場の上空で旋回を続けて情報収集をしていたとされます。20:30頃、横田基地より、救難ヘリが向っているとC-130輸送機に連絡が入りました。また、キャンプ座間より米陸軍のUH-1ヘリコプターが到着、現場へと誘導し、ロープを降ろし救助を開始した直後、横田基地より中止を命じられ、帰還命令、またその事実も他言しないよう上官から命令されたとのことでした。

 米軍ヘリへの救助活動中止、その事実を他言しない命令

 生存者の証言によりますと、墜落直後の現場にヘリコプターが接近したが、やがて遠ざかっていったと言います。また、報道機関としては事故現場を最も早く発見した朝日新聞社のヘリは、現場を超低空で飛行するヘリを目撃しています。マスコミ各社は「日本側がアメリカ軍の救助協力を断った」などと報道し、救難体制の不備や関係当局の姿勢に対する批判が高まりましたが、元在日米軍中尉、アントヌーチ氏が証言した救助活動中止と他言を禁止する命令は誰が何の目的で発したものかは今なお不明であります。


◇ 事故現場を訪れた最初の民間人、M氏の証言

 日航ジャンボ機墜落事故の夜、墜落現場付近の住民で山歩きに精通した若者が現場にまで訪れた人物がいました。このMさんと呼ばれる人のインタビューがネットに公開されております。全文でご紹介します。なお、この証言は、2009年6月、「(新)日本の黒い霧ブログ管理者」が講師を努めた小グループのセミナーにM氏を招いて、その席上で収録したものとされます。

事故現場を訪れた最初の民間人、M氏の証言

 *****

司会:それではMさんよろしくお願いします。Mさんは事故当夜、現場に
   向われたそうですが、まずその経緯を教えてください。
M氏:私の実家は、事故現場から観て西側、長野県の方にあります。当時
   は大学を卒業して社会人になったばかりで、事故当日はお盆という
   こともあり、たまたま実家に帰省していました。事故の速報を知っ
   たのが、12日夕方の7時過ぎ頃だったと思います。その時は墜落現
   場は長野県の北相木村付近という報道でした。そこで、北相木村や
   もっと南に位置する川上村に住む知り合いに電話を掛けて様子を尋
   ねたところ、どちらも墜落は確認できてないとのことなので、残る
   は南相木村の山間部しかないと思い、そちらに向いました。
   たまたま高校時代の友人2名と一緒だったので、事故現場に行って
   みようということになりました。まだ、若かったですから、その時
   はただ、何としても現場に1番乗りしてやるぞ、インタビューされ
   てテレビに映ってやるぞ、ぐらいの本当に軽い気持ちしかありませ
   んでした。オフロードバイクにまたがり、友人2人と共に南相木村
   に向けて出発し、おそらく21時頃までには南相木村からの林道に入
   っていたと思います。ただし、オンロードバイクの友人は途中でこ
   の行程から抜け、林道から先を進んだのはオフロードに乗った僕達
   2人だけです。
司会:その時刻はまだ、墜落地点は判明してませんでしたよね(公式発表
   は翌朝5時以降)。そこからどこに進めばよいか、どう判断したの
   ですか?
M氏:そんなの訳ないですよ。上空で戦闘機が、それもおそらく2機がぐ
   るぐる旋回している音がしてましたから、墜落現場はその音に中心
   付近だなとすぐに分かりました。そこで、バイクが可能な限り近く
   の林道を進んで、そこから先は徒歩で山に入ることにしました。
司会:ええっ? じゃあもうその時点で墜落地点は判っていたと・・・
M氏:はい。当然、警察の分かっていたはずですよ。だって僕達が南相木
   村へ向っているその後ろから、警察の白バイもついてきましたから。
   でも、普通のバイクなので切り返しの多い山道に難渋していて、オ
   フロードに乗った僕達は簡単に振り切っちゃいましたけど。林道の
   終点から山に入ってからは、途中、山の頂きへ登る度に、ヘリの音
   がする方向を探して、墜落地点を確認しました。ヘリは同じところ
   を一晩中飛んでいたので、墜落地点は当然分かっているものと思い
   ました。
司会:すると、林道から先は、徒歩で夜の山に分け入ったのですか。危険
   だと思わなかったのですか?
M氏:あの辺の山の持ち主の息子とか知ってますし、一緒に山に入って遊
   んでましたから、どんなところかは大体分かっていました。松の木
   と岩が多い所なんですよ。もちろん、急峻で険しい所だとも知って
   ますから、この先へ進むのは中々たいへんだなと思いましたよ。と
   にかく、対ら機現場に向かってまっすぐ進むことしか考えていませ
   んから、きつい傾斜や時にはオーバーハングを超えて、山道なんか関
   係なく強引にいくつもの尾根を跨いで行きました。ですから、直線
   距離でわずか7、8キロの行程なのに、山に入ってから現場に着くま
   で6-7時間くらいかかりました。着いたのは、午前4時前後だったは
   ずです。
司会:午前4時という時刻はどうやって確認したのですか?
M氏:当時は時計を身につける習慣はなかったのですが、着いた時に山の
   尾根付近が白み始めていたので、おそらくそれぐらいの時間だと思い
   ました。
司会:そこで何を見ましたか?
M氏:既に自衛隊員が7-80人、いや100人位は来ていました。それを見て、
   自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。同時に、事故犠
   牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきりと聴こ
   えました。
司会:ええっ? その時に生きて声を出している人がいたのですか!! 
   どれくらいの人が生きていたのでしょう?
M氏:全部を数えた訳ではありませんが、声の響き方からすると少なくと
   も4-50人はいたと思います。実際に、苦しそうに声をあげている人
   を私も間近で何人か見ています。自衛隊の人たちがいる以上、自分
   たちができることは、負傷者のいる場所を教え、早く救助してもら
   うことだと思い、呻き声のするあたりを探しては、その場所を隊員
   さんに伝え、早い手当を頼んでいました。
   ただ、隊員さんの対応には不信感を覚えましたね。「へたに動かす
   と危険なので」、後から来る部隊が手当することになっている」と
   言うだけで、何もしようとしない。手にした4-50cm位の丸いバッ
   グに、地面から拾った物を黙々と入れ続けている。
司会:自衛隊員は何を拾っていたのでしょう?
M氏:まだ暗くてよく見えなかったのでそれが何かまではわかりません
   でした。ボイスレコーダーとか、何か貴重な物なんだろうと思って
   いました。私が覚えている隊員さんの装備は、バッグの他に、片手
   に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴は
   つま先の短い短靴を履いており、傾斜のきついこの山のことをよく
   調べて入っているなと思いました。
   ちょっとひどいなと思ったのは、斜面を登り、尾根の反対側に出た
   ら、向こうの谷ではヘリコプターがホバリングしているじゃないで
   すか、ヘリが来ているならさっさと救助しろよと思いましたね。
   しかも、ヘリの下では、さっき隊員さんたちが何かを入れていたバ
   ッグを10数個まとめ、ネットに入れて吊り上げていました。何度も
   吊り上げていたので、全部で70個くらいのバッグが回収されたと
   思います。
司会:現場にはどれくらい滞在したのですか?
M氏:到着してから1時間後くらいに、自衛隊の次の部隊が続々と到着し
   て来ました。また、暗視スコープを装着した最初の部隊も引き上げ
   る体制に移っていたので、もうこれで大丈夫と思い、この時に下山
   を始めました。なお、次の部隊は、山で歩きにくいブーツ姿だった
   ので、これでちゃんと歩けるのかな?と思いました、
司会:4-50人いたという、呻き声の人たちはどうなってしまったのでしょ
   う?
M氏:それは僕もずっと不思議に思っていたのですが、下山を開始する朝
   の5時過ぎ頃には、谷の呻き声がピタリと止んでいました。
司会:この事故の生存者は4人の女性でしたが、その他にも助かりそうな
   人はいませんでしたか?
M氏:僕が見た負傷者の中に、指先が1本ちぎれただけの男の人がいまし
   た。この程度なら死ぬことはないなと思い、救助活動(隊員への声
   かけ)を後回しにしたのをはっきり覚えています。あの人がどうな
   ったのか、僕にも分かりません。
司会:事故調査委員会が、当夜、墜落場所発見が困難だったと報告してい
   ます。しかし、Mさんは夜を徹して現場に到達している。この報告
   をどう思いますか?
M氏:日頃から遭難者の多い現地周辺にはCB無線による救助網が敷かれ
   てます。無線機を持った人員を担当箇所に登らせて無線を交わせ
   ば、夜間に炎上しているような目立つものなら訳なく見つけ出せる
   はず。どうしてこんなに時間がかかったのか分かりません。
司会:大型アーミーナイフは何に使われていたのでしょう。
M氏:それは見ていないので分かりません。
司会:現場で身の危険を感じたり、二人を排除するような動きはありま
   せんでしたか?
M氏:そういうことは特に感じませんでした。
司会:機体が激しく衝突し炎上した墜落現場に木立が残っているのは不
   自然だとよく指摘されるのですが、実際に見てどうでしたか?
M氏:言われてみたら、確かに変ですよね。林立している木の間に機体の
   破片や遺体(の一部)が飛散していましたから。それにあの辺りは
   針葉樹が多い山ですから、機体から火が出たらあっという間に周囲
   に燃え広がるはず。それにしゃ、あまり燃えてなかったなぁ、変だ
   なぁ。
司会:事故調査委員会が、生存者4人の発見を奇跡的だと報告しています。
   しかし、Mさんは生きている何十人もの声を聞いている。この報告
   について、改めて感想を聞かせてください。
M氏:報告は嘘だと思います。明らかにもっと多くの方の命を救うことが
   できたはずです。
司会:その他、現場で見て、何か変だと思ったことを教えてください。
M氏:山で遭難して遺体になると、狐や狸など、山の動物にひどく食い荒
   らされるのですが、現場で見た遺体には、奴らが手をつけた痕跡が
   まるでない、それは山を知る者としてたいへん不思議な事です。
司会:ありがとうございました。

 *****


 M氏の証言に見る、日航ジャンボ機墜落事故の公式に発表されている報道との矛盾点、および公にされていない事柄は以下の通りです。

1.墜落現場が不明とされた時間帯に救助隊?が到達

 M氏が事故機の墜落現場に到達したのは13日04:00頃、この時にはすでに事故機の周囲に100人程度の自衛隊員が降り立って作業をしていたと証言しています。公式には、8月13日04:30航空自衛隊救難隊、05:10の陸上自衛隊ヘリ、05:37の長野県警ヘリにより墜落現場の確認とされます。

2.事故直後の生存者についての矛盾

 生存者についての見解は公式の報道でも矛盾が指摘されております。生存者の墜落直後は多くの生存者がいたとの証言は、M氏の証言とも一致しております。事故調査報告書には生存者4名以外は即死もしくはそれに近い状況であったとしていますが、M氏はもっと具体的に「指先が1本ちぎれただけの男」について証言しております。

3.M氏が見た自衛隊員は在日米軍?

 M氏は100人にも及ぶ自衛隊員が13日午前4時には事故機墜落現場にいて、その装備は片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグルと証言していますが、軍事評論家の説明では、当時において、この装備は自衛隊よりも在日米軍に当てはまるとされます。

4.人命救助よりも何がしかの物体を回収?

 M氏の証言の中に、ホバリングしているヘリコプターに地面から拾った物体を回収していたとあります。人命よりも優先する何かがあったことになります。

 このオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人は24年間海外勤務にあって真実を語る機会はありませんでしたが、2010年5月16日、江戸東京博物館にて、その日目撃したことの証言を依頼されました。ところが、講演の2週間前、アクシデントが発生、車の後輪がバースト、あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避したとのことです。損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない、熱線銃によるものと判明しました。さらに、「123便事件の真実について、これ以上語るのを止めよ」というメッセージが彼に送られたそうです。幸いにも、かろうじて講演会当日は会場に無事駆けつけ、証言することができました。


◇ 日航ジャンボ機墜落に関する諸説

 以上の通り、日航ジャンボ機墜落事故には公式発表とはずいぶんと矛盾する、あるいは異なる事実、証言がありました。事故に先立って行われた不適切な米ボーイング社の修理、隔壁の接続部の金属疲労、などに伴う垂直尾翼の破壊によって、操縦不能となって墜落したとされる公式報道からはかけ離れた真実が別にあるような?、考えさせられます。123便墜落についての憶測をいくつか列挙いたします。

1.自衛隊による演習用ミサイル衝突説

 JAL123便が操縦不能になった原因は、飛行機の垂直尾翼が破壊されたことにあります。これを金属疲労が原因とする以外に、何らかの飛行物体が衝突したと考えるのも自然なことです。そこで、高度24000ft(7200m)の上空における飛行物体として考えられるものは飛行機かミサイルくらい(UFOも?)、そんなところかと存じます。

 実際、ボイスレコーダーなどの分析記録によると、操縦クルーや乗客の一部がその謎の飛行物体を目撃しているフシがあるとのことです。123便が羽田空港を離陸したのは18:12、水平飛行に移行した18:18過ぎであり、ベルト着用のランプは消えていたと考えられます。この時、123便の右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいてきたとのことです。18:23
再度ベルト着用の指示がでます。18:24には、スチュワーデスが、「(トイレにいき)たいという方がいらっしゃるのですが、よろしいでしょうか」とコックピットに許可を求めています。これに対する、ボイスレコーダーに残された副操縦士の返答は「気をつけて、じゃ気をつけてお願いします、手早く、気をつけてください」であり、これは声紋分析で高度な緊張状態とされます。

 18:18ベルト着用のランプが消えて18:23再点灯
 18:24 副操縦士の高度に緊張した声


 謎の飛行物体を操縦クルーが視認した18:18時点の飛行機の高度は1万1300 ft(3440 m)ですが、衝撃音とともに尾翼が破損した18:24:35時点の高度は、2万3900 ft(7170 m)とのことです。わずか6分の間に1万2600 ft(3780 m)も上昇しました。123便は右前方から飛んできた飛行物体に対して、これを避けつつ高度を上げるものの、この6分間、飛行物体に追い掛け回され、ついには背後から垂直尾翼への衝突だったと考えられます。このことから考えて、謎の飛行物体は明らかに巡航ミサイルであると言えます。標的が、どのように高度を変えても、時々刻々自ら軌道修正を行い、標的を追い詰めて標的の後ろに回ろうとします。その結果が123便の垂直尾翼破壊だったのです。

 謎の飛行物体は巡航ミサイル

 18:24:35の衝突から、18:24:42と7秒後には機長より緊急救難信号、スコーク77を発信されました。この「スコーク77」は、国際緊急無線信号であり、めったなことでは使わない信号だそうです。仮に、事故調査委員会の言うように、圧力隔壁の破損が原因で尾翼が破壊された場合、「ドーン」という爆発音が聞こえただけでは、コックピットの中では何が起こったのか解らなかったはずであり、7秒後と言う速やかは「スコーク77」発信もあり得ないことです。機長は、謎の飛行物体に6分間もつけ回されていたからこそ、「ドーン」という音が聞こえた時、その飛行物体が垂直尾翼にぶつかったと確信して「スコーク77」を発した、そう考えるのが極めて妥当です。

 ミサイルによる6分間の巡航があったからこそ
 衝突7秒後のスコーク77発信


 では、どこから飛んで来た飛行物体なのかと言うと、1985年8月12日は、相模湾で当時の新型護衛艦「まつゆき」が試運航中であったことです。護衛艦は昔のことばでいえば戦艦です。戦艦の試運航というのは、単に海上を航行するだけではなく、兵装運用実験を行うことが大切な目的だそうです。

護衛艦まつゆき

 この「まつゆき」の実験の一環で、発射されたミサイルが、たまたま相模湾上空にさしかかった123便に衝突してしまった、と言う推測がなされております。それを裏付けるものとして、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた故小川哲氏(当時41歳)と言う人物が、123便に近づいて来るオレンジ色の飛行物体をカメラに収めたとされます。下の写真は、日航機墜落事故の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ったものです。

小川哲氏の写真

 自衛隊の失態に繋がることですので、事故調査委員会はそういう事実を知ったうえで、あくまで圧力隔壁破損が垂直尾翼破壊の原因であることで通してしまい、外部からの飛行物体の存在を隠す方針としたのではないか?、と言うものです。

2.自衛隊機による撃墜説

 JAL123便の目撃情報として、「ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった。」(浦和市の住民)、「飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。」(長野県南相木村中島地区の住人3人)。これらの証言はJAL123便の後から戦闘機が追従したことを物語っています。実際、この時間帯に自衛隊のF-4EJ戦闘機2機とF-15J戦闘機1機の計3機が飛行していたことが知られています。

 123便に追従する戦闘機2機の目撃情報

 さらに、墜落事故の翌日、8月13日の埼玉新聞の見出しは「夕やみに“火の玉”」とあります。埼玉県浦和市に住む住民と長野県の川上村住民は次のように言っています。「マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。」(浦和市の住民)、「埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙を残して南相木村の群馬県境に消えた。」(長野県川上村の住民)。

 夕闇に「火の玉」と化した123便

 垂直尾翼が破損したくらいではジャンボ機が「火の玉」となることは考えづらく、上の証言を総合すると、何とか山中に不時着しようとしていた123便に対して、追従した戦闘機が人目につきにくい山かげに入るのを見極めてミサイルを発射したと推測されております。

3.核兵器使用の説

 JAL123便墜落の目撃情報に「ピカッと雷光のように走った閃光、黒いキノコ雲」と言うものもあります。墜落現場残留物にイエローケーキと言う物体が指摘されております。これは、核兵器に使用される軍用の濃縮ウランで、錬度が高く、レンガ色をしているそうです。墜落現場で収集した方が123便事件講演会会場に持ち込んだところ、多くの人が体調に異変を来たしたそうで、その症状から放射性物質であると判明したとされます。

イエローケーキ

 元日航職員で、日航ジャンボ機墜落事故の陰謀説を唱えたために殺害されたと噂される故 佐宗 邦皇 氏の証言では、骨が約3 cm刻みの破片になって飛び散るほどの、広島原爆の30倍以上と推定される衝撃であり、これらは小型の核爆弾使用を示唆しているとのこと、、、。決して不時着態勢に入っていた速度の航空機のものではないとされます。
 東大地震研究所の微小地震計が、墜落時刻に異常振動を観測、記録しています。第1波は18:56:26、第2波は3秒後。これら2つの波は極めて微小な物でありました。これは、123便墜落の衝撃と考えられます。しかし18:56:31から観測された第3波は、約5秒間揺れ、その後も10秒近く揺れる大きなものでありました。最初の2つの波は航空機の地面衝突によるもの、しかし、第3波は広島原爆の30倍を超える小型核爆弾の衝撃ではなかったか?、との考え方があります。

4.情け容赦無い殺害部隊存在の説

 123便の墜落現場において、生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達の存在を指摘する声もあります。123便の生存者たちは、無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた、とするものです。

焼けこげた遺体

 上の写真は子供の遺体でありますが、頭部の輪郭が崩れる程激しく燃えており、ジェット燃料が原因ならば、まとまった燃料が本人にかかり燃えた、あるいは近くで激しく燃えていたことになります。しかし、子供の遺体のすぐ周囲に生えた木立にはほとんど焦げ跡がありません。しかもこの写真を掲載した「フォーカス」の文面には「紙幣や書類が周囲に散乱していた」と記載されています。

 周囲の木立に焦げ跡がないのに黒焦げとなった遺体

 この現象がさらに強いのは、コックピット内であり、焼き尽くされ何も無い、操縦クルーの遺体はなく、ただ歯が残されているのみという状況だったと言われます。いかに激しく地面にぶつかったとはいえ、遺体の一部は残るはずですし、コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。機首前部付近では「遺体がない」という声が相次いだといいます。当時、遺体の歯形で本人確認を行った 大國 勉 氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)は、「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」、と証言しています。

 骨の芯まで二度焼きしたような状況の遺体
 まるで火炎放射器で焼いた跡のよう


 周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのは、やはり、証拠隠滅のために火炎放射器で徹底的に焼き尽くしたからと言う説を後押しします。


◇ 日航機撃墜の理由は?

 上述の、「自衛隊による演習用ミサイル衝突説」であれば偶然の事故もあり得ることですが、もっと意図的に、あの日のJAL123便を撃墜する理由があったとの説があります。ここでご紹介するのは、上で申し上げた事故の本来の姿とリンクするものではなく、あくまでもこの事故の背景にあったものを推測するものであります。ここで挙げるのは、いずれも米国に有利となるお話でありますが、上の説明では、どちらかと言うと日本の自衛隊が犯人であるかの憶測が飛び交っております。これに対する説明に明確な説明をされている人は少ない印象ですが、NHKをはじめ、メディアを巻き込んだ、日米の国家ぐるみの意志であったと説明している人が多数いることをここで申し上げます。

1.プラザ合意から急速な円高へ

 日航機墜落事故の翌月、1985年9月22日、プラザ合意、G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)により発表された、為替レート安定化に関する合意、がなされました。この歴史的な合意を機に、円ドル為替レートが250円/ドル台から1年後には一気に120円/ドル台に円が急騰しました。急激な円高を受けて、以降日本経済は輸出企業を中心に大打撃を被ることになります。そして日銀の窓口指導による、バブル創出、崩壊、金融ビッグバンによるM&A等で外資ハゲタカファンドの進出、郵政民営化、莫大な国富の喪失と続いて行きます。前出の故 佐宗 邦皇 氏は講演の中で、米国によるこのプラザ合意に従うよう日本政府への圧力がかかっており、その一環としてJAL123便の撃墜があったと言っております。

2.純国産オペレーティングシステム「トロン」完成を阻止

 墜落した日航機には、純国産コンピュータ・オペレーティングシステム「トロン」開発プロジェクトの技術者17名が搭乗しており、全員が亡くなりました。この「トロン」とは坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSで無償のオープンソースでありました。
 95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占しましたが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたとされます。それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのであり、「トロン」開発プロジェクトの技術者が死亡して、開発が遅れたことも大きく関係していると考えられます。
 もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないとされます。つまり、日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないとのことです。


◇ 雑感

 文面は、いささかオカルトのような内容となりましたが、色々と調査するにあたり、背筋が寒くなる想いがありました。もしかしたら、「大きな嘘」がかえって明るみにならない典型かも知れません。もしも、米国や日本政府がメディアをも動かして闇の力に従っているとしたならば、29年も前のこの「事件」を、どうやって今後の教訓にして行くのかは難しいかも知れません。しかしながら、罪もない人々の死を痛む強い気持ちは、真実に目を背けず、真実を知ることを恐れない、真実を探求する勇気に繋がるものと確信します。

 29年目の夏を迎え、謹んで、亡くなられた方々の冥福をお祈りし、ご遺族の方へのお悔やみの言葉を申し上げます。

真実は? 「日航ジャンボ機墜落事故」、公式発表より

 今年になって航空機事故が続いています。3月8日、マレーシア航空370便(乗員乗客239名)が、マレーシアのクアラルンプールから中国の北京に向けて航行中、タイランド湾上空で消息を絶ち、今なお発見されてはおりません。同じく、7月17日、アムステルダム発クアラルンプール行きのマレーシア航空機、MH17便(乗員乗客295名)が、ウクライナ上空を航行中、撃墜される事件が起きました。台湾では7月23日夜、台湾南部の高雄から澎湖島の馬公に向かっていたトランスアジア航空(復興航空)GE222便が墜落し、乗員乗客58人のうち48人が死亡する事故が起きました。

 こうして海外の航空機事故(事件)を見るにつけ、日本の航空機は久しく重大な事故に遭遇していないものだと思い返します。実際、日本の航空機が死亡事故を起こしたのは29年前に遡ります。8月になりますとあの時の記憶が蘇ります、日本航空123便墜落事故は、1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、羽田発伊丹行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故であります。乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者は4名であり、死者数は日本国内で発生した航空機事故では2014年7月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多でとのことです。

日航機事故記事

 この通称「日航(ジャンボ)機墜落事故」が事故ではなく撃墜されたとの、ショッキングな説があります。「真実は?」、少し勉強してみました。


◇ 墜落事故当日のJAL123便

1.フライトプランと乗員乗客

 1985年(昭和60年)8月12日(月)
 日本航空(JAL)123便、ボーイング747SR-46(機体記号JA8119)
 18:00 羽田空港 発
 18:56 伊丹空港 着 予定

 機 長:高濱 雅己(49歳、運航部門指導教官、総飛行12,423時間41分)
 副機長:佐々木 祐(39歳、B747機長昇格訓練生、3,963時間34分)
 機関士:福田  博(46歳、エンジニア部門教官、9,831時間03分)
 乗務員:チーフパーサー波多野 純(39歳、10,225時間)以下、
     女性乗務員11名 (以上、乗員は15名)

 乗 客:509人 (以上、乗員乗客は計524人)

2.リアルタイムJAL123便

 墜落事故を起こしたJAL123便と、東京航空交通管制部、JAL本社、在日米軍横田基地の交信記録、さらにはボイスレコーダー、墜落地点周辺の調査結果から、JAL123便の羽田空港離陸から墜落までの出来事をリアルタイムに箇条書きにしてみました。不正確な部分はご容赦いただきたく存じます。

1985年(昭和60年)8月12日(月)

 18:04  JAL123便(以下123便)羽田空港18番スポットより遊離
 18:12 123便、同空港滑走路15Lより離陸
 18:24:35 相模湾上空、巡航高度2万4千f(7200m)直前の衝撃音
 18:24:40 頃、機長「なんか爆発したぞ」、オートパイロット解除
 18:24:42 123便、緊急救難信号(スコーク77)発信
 18:25 機長より緊急事態発生にて羽田への帰還の申し出、管制了承
 18:27 全油圧喪失、「ハイドロプレッシャーオールロス」と機関士の声
 18:27 頃、客室の気圧の減少を示す警報音、低空へ降下を目指すことに
 18:27:30 123便より緊急事態宣言、管制よりJAL本社に報告
 18:28 管制、123便に真東へ向かうよう指示、123便は操縦不能と返答
 18:31 管制より近傍の名古屋空港着陸を提案、123便は羽田行きを希望
 18:31 頃、客室乗務員より客室の収納スペースが破損したと報告
 18:32 管制より123便に対し日本語での交信を許可
 18:33 機関士より緊急降下と同時に酸素マスク着用を提案
 18:33 頃、JAL本社より123便に対し社内無線での交信を要求
 18:35 123便、R-5 ドア破損し緊急降下中と連絡、無線モニターを要求
 18:37 機長のディセンド(降下)指示も機は上昇降下の不安定飛行
 18:38 ランディング・ギアを降ろそうとするが油圧喪失のため不可能
 18:40 ランディング・ギアの自重を利用してこれを降下
 18:40 管制、123便専用無線周波数を用意したが123便からの応答なし
 18:41 まで、上昇下降を繰り返し2万f(6000m)以上の高度を維持
 18:41 山梨県大月市上空で右旋回、高度2万fから6千fへ一気に降下
 18:42 123便を除く全航空機に無線周波数の変更を指示
 18:44 頃、埼玉県上空で左旋回、群馬県南西部山岳地帯へ進路変更
 18:45 無線傍受の在日米軍横田基地より支援、123便操縦不能との返答
 18:46 機長「これはだめかも分からんね」と発言
 18:46 管制より羽田空港の入域管制無との交信を提案も123便は拒否
 18:47 123便、木更津へのレーダー誘導要求、管制に操縦不能と返答
 18:47 管制より羽田空港の入域管制無との交信を提案、123便は了承
 18:48 123便、機長の荒い呼吸音が記録される
 18:48 頃、機関士より操縦する副機長に「頑張れ〜」の声
 18:49 JAL本社より社内無線での3分間の呼出しに123便は応答なし
 18:49 頃、機首39度に上がり、速度200km/hで失速警報装置が作動
 18:50 機長より操縦する副機長に対して「どーんと行こうや」の声

※この頃、東京都西多摩郡奥多摩町で123便を撮影した人がいて、その写真によって123便が垂直尾翼の大部分を失った状態で飛行していたことが初めて明らかとなった。
日航機垂直尾翼

 18:51 依然続くフゴイド運動を抑えるために電動でフラップが出される
 18:52 機体の安定が見られる
 18:53 管制より123便に交信、123便より「アンコントロール」と返答
 18:53 横田基地より緊急着陸の受入れ準備に入っていると返答
 18:54 123便より現在地の質問、管制、熊谷25マイル(45km)西と報告
 18:55:00 羽田空港、緊急着陸準備を説明、機関士「はい了解しました」
 18:55:01 機長の要請でフラップを下げて機体を水平に戻そう試みる
 18:55:12 フラップ降下直後、南西風に煽られ右に逸れながら急降下
 18:55:45 「あ〜っ」と言う叫び声
 18:55:50 機長「フラップみんなでくっついてちゃ駄目だ」との言葉
 18:56:00 機長パワーとフラップの上昇を指示、機関士が返答
 18:56:00 管制のレーダーから123便が消滅
 18:56:07 123便、機首は36度も下がり、ロール角も最大80度
 18:56:14 123便、対地接近警報装置作動、この時の速度は640km/h
 18:56:20 頃まで、機長「あたま上げろー、パワー」と叫び続ける
 18:56:23 123便の右主翼と機体後部が樹木と接触、機長「ダメだ!」
 18:56:26 衝撃音
 18:56:28 機体後部が分離
 18:56:30 123便、高天原山の斜面に前のめりに反転して衝突、墜落
 18:57:00 横田基地より基地への着陸を提案も123便からの応答なし
 18:59:00 管制、レーダーから123便が消失したことを発表

3.客室内の状況

 機内の状況を生存者の証言、死者が書き残した文章、写真などから推測した文章がいくつかあります。これらをまとめました。

 機内では、衝撃音が響いた直後に、各座席に酸素マスクが落下し、プリレコーデッド・アナウンスが流れました。乗客は客室乗務員の指示に従って酸素マスクおよびシートベルトを着用し、タバコを消すなど非常時の対応をしました。一部座席では着水に備え、救命胴衣の着用なども行われたとされます。

日航123便機内

 波多野チーフパーサーは全客室乗務員に対し、機内アナウンスで酸素ボトルの用意を指示しています。生存者の証言によると、機内は異常発生直後から墜落までさほど混乱に陥ることはなく、全員落ち着いて行動していたとのことでした。その後、乗客は衝撃に備える安全姿勢、すなわち、前席に両手を重ね合わせて頭部を抱え込むようにし、全身を緊張させる姿勢をとりました。
 乗客の中には最期を覚悟し、不安定な機体の中で懸命に家族への遺書を書き残した者が複数いました。これらの遺書は、後に事故現場から発見され、犠牲者の悲痛な思いを伝えています。一般的に墜落事故では、異常の発生から数分の余裕も無く墜落に至ることが多いのですが、この事故では18時24分の異常発生から30分以上にわたって飛行を続けることができたため、遺書を書く時間が与えられた極めて希なケースとされます。
 生存者によると「客室乗務員は終始乗客のサポートをしていた」と語っており、機体後部に取り付けられていたコックピットボイスレコーダー(CVR)には幼児連れの親に子供の抱き方を指示する放送、身の回りを確認するよう求める放送、不時着を予想してか「予告無しで着陸する場合もある」との放送、「地上と交信できている」との放送が墜落直前まで記録されています。その他、一人の客室乗務員による不時着後に備えて乗客に出す指示を列挙したメモや、異常発生後の客室内を撮影したカメラが墜落現場から見つかり、マスコミによって公開されています。

4.墜落状況

 JAL123便は、18時56分30秒、高天原山の斜面に前のめりに反転するように衝突、墜落しました。衝撃で、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほどバラバラになり炎上したとされます。後の調査にると、機体の大部分に数百Gの衝撃が加わったとされ、両主翼も離断し炎上しました。

JAL123便残骸

 一方、56分28秒に分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落して行きました。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速したとされます。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しませんでした。従って、123便本体にいた人は即死もしくはそれに近い状況であったと考えられるのに対し、客室後部の座席に座っていた女性4名は奇蹟的に生還できました。そのうえ、客室後部付近を中心に墜落直後の時点ではかなりの数の乗客が生存しており、翌朝に捜索隊が到着するまでの間に次々と息を引き取ったという生存者の証言もあります。


◇ 事故直後の対応

 123便墜落事故後の捜索と救助活動について、公式発表されているものを箇条書きにいたしました。

・18:28頃、千葉航空自衛隊中部航空警戒管制団で123便の緊急救難信号を受信、中部航空方面隊に報告、航空自衛隊の中央救難調整所が活動開始。
・18:56嶺岡山レーダーサイト当直司令は123便が墜落したと判断、F-4EJファントムによる緊急発進を提案、19:01百里基地よりF-4戦闘機が離陸。
・東京航空局東京空港事務所は、123便の緊急事態発生を受けて東京救難調整本部を開設し、同機の緊急着陸体制を整えた。
・19:59管制のレーダーから消失の報を受け、東京救難調整本部は、防衛庁、警察庁、消防庁、海上保安庁などの関係機関に通報し、123便の捜索開始。
・レーダー消失直後は、まだ同機が低空飛行を続けている可能性も残されていたため、管制や社内無線からの呼びかけは継続。
・墜落の約20分後19:15頃、米空軍のC-130輸送機が、群馬・長野県境付近の山中の大きな火災とその位置情報を航空自衛隊中央救難調整所に通報。
・19:21頃、航空自衛隊百里基地から発進したF-4戦闘機2機も墜落現場の火災を発見、上空位置での横田タカン方位(300度)、距離(32マイル)を通報。
・墜落から約1時間後の19:54に、救難・救助のため見切り発進した百里基地救難隊のKV-107ヘリコプターは、46分後の20:42に現場上空に到着。
・20:33救難調整本部(東京空港事務所長)から航空自衛隊へ航空救難の要請(災害派遣要請)。

※当時のKV-107救難ヘリは両側面のバブルウィンドウ横に救難用ライト4灯を装備して夜間の救難作業は可能でしたが、赤外線暗視装置などの本格的な夜間救難装備の無いことなどを理由に、事故当夜の救難員が降下しての救助活動は行われなかったとしております。

・陸上からは、20:21長野県警臼田署のパトカーが埼玉県と群馬県境あたりの黒煙と通報。21:39には埼玉、長野両県警のパトカーが三国峠の西北西に赤い煙を発見。
・12日深夜までに、長野県警より墜落現場は群馬県側の山中であると発表するも、その正確な位置情報については誤報が繰り返された。
・消防、警察や、災害派遣要請によって出動した航空自衛隊の地上捜索隊、陸上自衛隊の各捜索隊は、翌13日の朝まで現場に到達することはできなかった。
8月13日04:30航空自衛隊救難隊、05:10の陸上自衛隊ヘリ、05:37の長野県警ヘリにより墜落現場の確認
・墜落から約14時間が過ぎた08:30長野県警機動隊員2名がヘリコプターから現場付近にラペリング降下、その後陸上自衛隊第1空挺団員が現場に降下して救難活動を開始。
・陸路からは上野村消防団、群馬県警機動隊、警視庁機動隊、陸上自衛隊、多野藤岡広域消防本部藤岡消防署の救助隊が現場に到着、ようやく本格的な救難活動が開始された。
・午前11時前後、4名の生存者が長野県警機動隊、上野村消防団などによって相次いで発見され、陸上自衛隊のヘリコプターで救助、病院に搬送された。


◇ 墜落事故の発生原因

 日航ジャンボ機墜落事故の原因として、公式には1987年6月19日、事故調査委員会(委員長:武田 峻)は事故調査報告書を公表し、本事故の推定原因を発表しました。その要旨は以下の通りです。

・まず123便の後部圧力隔壁が損壊、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に流出したことによって、機体尾部と垂直尾翼が破壊
・4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失。
・圧力隔壁の損壊は、隔壁の接続部の金属疲労によって発生した亀裂により、隔壁の強度が低下し、飛行中の与圧に耐えられなくなったために生じたと推定。
・その亀裂発生は、1978年の同機「しりもち事故」の際、米国ボーイング社による修理が不適切(修理交換した隔壁上下の接続強度の不足)であったことに起因。
・点検でこれらの異常を発見できなかった。


◇ 墜落事故を振り返って

 8月12日のあの時、私はなぜか大学のある街の自分のアパートでニュースを見ました。本来なら親元に帰省している時期なのですが、、、。もしかしたら追試かなんかがあったのかも知れません。大学の先輩の実家が群馬の田舎の方で、大きな音を聞いたと言っておりました。
 当時、20代前半の大学生であった私は公式発表に対してなんの疑問もなく受け入れておりました。社会も「金属疲労」と言う言葉を、新鮮な現象として認知し、受け入れていたと思います。

 疑惑について、あくまでも中立な立場を取る所存です。次の記事に続きます。

韓国における「義死傷者」の概念

 4月16日の朝から10日が経過して、今なお、乗客の救出作業と新たな死者の確認が続いております、韓国旅客船セウォル号の沈没事件には心が痛みます。連日のように、日本から輸入した船の改造や規定を越える積載、舵取りや操縦における不備、事故発生後の乗務員や警備側の対応の問題など、様々な報道がなされております。そんな中、今日の報道に初めて聞く言葉「義死(傷)者」を見ました。ちょっとしたまめ知識として書き留めておこうかとキーボードを叩いています。

ファオル号沈没画像


◇ 乗客救助での死亡に義死者申請の記事

義死者神聖の記事

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 セウォル号で乗客を救助しながら、共に犠牲となったカップル、キム氏(28、男性)とチョン氏(28、女性)を「職務外の行為として他人の生命、身体を救済している途中で死亡した人物」(韓国では「義死者」という)として指定する作業が推進されている。仁川市(インチョンシ)は24日、彼らの葬儀手続き終了後に、保健福祉部に義死者指定申請を行う計画だと明かした。

義死者記事写真

 義死者として指定されるには、遺族や担当地方自治体が関連書類を準備し、福祉部に申請しなければならない。キム氏とチョン氏の生前居住地はそれぞれ仁川市(インチョンシ)・南洞区(ナムドング)と西区(ソグ)だ。
 担当自治体は故人の救助活動を証言する目撃者を探す一方で、海洋警察にも確認書類を送るよう要請した。遺族と手続きを協議し、彼らの活動を後押しする各種書類も確保している。仁川市の関係者は「自治区から書類を受け取り、市が福祉部に申し込む計画だ」と説明した。
 義死者として指定された故人の遺族には、保証金、医療給与、教育保護、就職保護などの優遇が与えられる。また、義死者の遺体は国立墓地に移葬が可能だ。福祉部は最大60日間で審査を行い、義死者指定可否を決定する。

 セウォル号から救助された40代男性が去る19日、チョン氏の葬儀場を訪れ、「キム氏とチョン氏は脱出を拒み、乗客を救おうと傾く船内に進入し被害に遭った」と遺族に説明し、当時の様子が伝えられた。

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 恥ずかしながら初めて聞きました「義死(傷)者」の言葉と概念ですが、己の危険を顧みず他人を救う行為にて死亡した人への畏敬の念と、その遺族に対する強い慰めの気持ちが感じられ、正しく運用されれば価値ある法律のように思います。例えば東日本大震災においてもこの「義死者」にあたる日本人は多数いたと思いますが、日本ではこうした制度はありません。また、報奨金などお金が関わることですので、その認定が難しいところかも知れません。


◇ 義死傷者礼遇に関する法律

 韓国Web六法と言うページを見つけましたので、「義死傷者礼遇に関する法律」の一部を以下に閲覧いたします。

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第1条(目的)この法律は、他人の危害を救済している途中で身体の負傷を受けた者及びその家族並びに死亡した者の遺族に対して必要な報償等国家的礼遇をすることにより社会正義の具現に貢献することを目的とする。<改正96・12・30>

第2条(定義)①この法律で"義死者"とは、職務外の行為として他人の生命、身体又は財産の急迫した危害を救済している途中で死亡した者及び義傷者であってその負傷により死亡した者をいう。
②この法律で"義傷者"とは、職務外の行為として他人の生命、身体又は財産の急迫した危害を救済している途中で大統領令が定める身体の負傷を受けた者をいう。
③この法律で"義死者の遺族又は義傷者の家族"とは、義死者又は義傷者の配偶者(事実上の婚姻関係にある者を含む。以下同じである。)、子女、父母、祖父母又は兄弟姉妹をいう。

第3条(適用範囲)この法律は、次の各号の場合に適用される。
 1.他人の生命、身体又は財産を保護するために強盗、窃盗、暴行、拉致等犯罪行為を制止し、又はその犯人を逮捕している途中で義傷者又は義死者になったとき
 2.自動車、列車、その他乗用物の事故又はその他の理由で危害に瀕した他人の生命又は身体を救助している途中で義傷者又は義死者になったとき
 3.天災地変その他水難、火災、建物の倒壊、築台又は堤防の崩壊等により危害に瀕した他人の生命又は身体を救助している途中で義傷者又は義死者になったとき
 4.天災地変その他水難、火災、建物の倒壊、築台又は堤防の崩壊等により発生し得る不特定多数人の危害を防止するために緊急の措置を採っている途中で義傷者又は義死者になったとき
 5.野生の動物又は狂犬等の攻撃により危害に瀕した他人の生命又は身体を救助している途中で義傷者又は義死者になったとき

第4条(義死傷者審査委員会)①義傷者及びその家族又は義死者の遺族に対する報償及び保護に関する事項を審査・決定するために保健福祉部に義死傷者審査委員会(以下"委員会"という。)を置く。<改正96・12・30>
②委員会は、審査に必要なときは、関係者を出席させ、又は調査することができ、国又は公共団体に対して関係事項の報告又は資料の提出を要求することができる。
③委員会の構成及び運営に関して必要な事項は、大統領令で定める。

第5条(申請及び報告)①義傷者及びその家族又は義死者の遺族であってこの法律の適用を受けようとする者は、大統領令が定めるところによりその住所地を管轄する市長・郡守・区庁長(自治区の区庁長に限る。以下同じである。)に申請しなければならない。<改正96・12・30>
②市長・郡守・区庁長は、第1項の規定による申請を受け、又は第3条各号の1に該当する事実を知ったときは、遅滞なくこれを保健福祉部長官及び特別市長・広域市長・道知事(以下"市・道知事"という。)に報告しなければならない。<改正96・12・30>
③保健福祉部長官は、第2項の規定による報告を受けたときは、5日以内に委員会にその事項を回附し、審査・決定させなければならない。<改正96・12・30>

第6条(栄誉の尊重)国は、義死者又は義傷者がみせてくれた殺身成仁の崇高な犠牲精神及び勇気が恒久的に尊重され、社会の亀鑑となるように賞勳法が定めるところにより栄典の授与等必要な措置を採ることができる。

第7条(報償金)①国は、義傷者及び義死者の遺族に対してその申請により報償金を支給する。
②第1項の補償金は、次の各号の基準により支給する。<改正99・1・21>
 1.義死者の遺族に対しては、死亡当時の国家有功者等礼遇及び支援に関する法律による基本年金月額に240を乗じた金額
 2.義傷者に対しては、第1号の規定により算出された金額の最高100分の100最低100分の40の範囲内において負傷の程度により大統領令が定める金額

第8条(報償金支給順位)①第7条の規定による報償金は、義傷者の場合には、その本人に、義死者の場合には、その配偶者、未成年の子女、父母、祖父母、成年の子女、兄弟姉妹の順で支給する。この場合、同順位の遺族が2人以上のときは、これを同一金額で分割して支給する。
②胎児は、第1項の規定による支給順位に関しては既に出生したものとみなす。

第9条(医療保護)①義傷者及び義死者の遺族に対しては、その申請により医療保護法が定める医療保護を実施する。
②第1項の規定による医療保護は、他人の危害を救済している途中で身体の負傷を受け、又は死亡したときから実施する。この場合、義傷者及び義死者の遺族が義死傷者として決定される前に支給した医療費の返還に関して必要な事項は、保健福祉部令で定める。<改正96・12・30>

第10条(子女の教育保護)義死者及び義傷者の子女に対しては、その申請により国民基礎生活保障法が定める教育給与を実施する。<改正99・9・7>[[施行日2000・10・1]]

第11条(就業保護)義傷者とその家族又は義死者の遺族の生活安定を図るために大統領令が定めるところにより就業保護を実施する。

第12条(葬祭保護)義死者に対しては、国民基礎生活保障法が定める葬祭給与を実施する。<改正99・9・7>[[施行日2000・10・1]]

第13条(保護機関)第7条から第12条までの規定による報償金の支給及び保護の実施は、管轄市・道知事又は市長・郡守・区庁長が行う。<改正96・12・30>

第14条(報償金等の申請期間)報償金及び保護は、その支給又は保護事由が発生した日から3年が経過したときは、これを申請することができない。

第15条(報償金等の還収等)①保健福址部長官は、虚偽又は不正な方法でこの法律による報償金又は保護を受けた者に対しては、その者が受けた報償金及び保護に必要な費用を還収する。<改正96・12・30>
②保健福祉部長官は、第1項の規定により還収をする場合において、報償金等を返還する者が期限内にこれを返還しないときは、国税滞納処分の例によりこれを徴収する。<改正96・12・30>

附則①(施行日)この法律は、公布後6月が経過した日から施行する。
②(報償等に関する経過措置)この法律施行当時従前の規定により既に支給事由行き発生した場合には、従前の規定による。

附則<96・12・30>
第1条(施行日)この法律は、公布後3月が経過した日から施行する。

第2条(義死傷者決定申請に関する経過措置)この法律施行当時従前の規定により義傷者とその家族又は義死者の遺族であることの審査・決定を受けるために市・道知事に申請した場合には、この法律により市長・郡守・区庁長にその申請をしたものとみなす。

第3条(他の法律の改正)医療保護法中次の通り改正する。
 第4条第1項第3号を次の通りとする。
  3.義死傷者礼遇に関する法律による義傷者及び義死者の遺族

第4条(他の法令との関係)この法律施行当時他の法令で義死傷者保護法を引用している場合には、義死傷者礼遇に関する法律を引用したものとみなす。

附則<99・1・21>
①(施行日)この法律は、公布後3月が経過した日から施行する。
②(補償金支給に関する経過措置)この法律施行前に行った行為に対する補償金を支給する場合においては、従前の規定による。

附則<99・9・7>
第1条(施行日)この法律は、2000年10月1日から施行する。<但書省略>

第2条から第13条まで 省略

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◇ 義死者認定に伴うトラブル

 上で「その認定が難しいところ」などと申しましたら、やはりその手のトラブルは多数あるようで、以下のような記事も見つけました。義死者として認められなかった子供に対して両親が行政訴訟を起こし、死後3年が経過したところで認められたとのことです。

義死者冷遇の記事

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01年7月1日、江原道横城郡(カンウォンド・フェンソングン)のある谷で開かれた聖書学校に参加した高校生A君は、水に溺れてもがく友人B君を助けようとして一緒に溺死した。
A君の両親はA君を義死者(名誉の死者)として認めるよう要請した。しかし、保健福祉部(福祉部)の義死・義傷者審査委員会はA君を義死者として認めなかった。B君を積極的に助けようとしたと見るのは難しいというのが理由だった。

A君の両親は行政訴訟を起こし、勝訴した。死後3年が経って、A君は義死者として認められた。

義死傷者制度に対しては、あいまいな選定基準と不十分な補償のため、当事者と遺族からの不満の声が高い。義死傷者に認定されなかった人たちの大半が、裁判を起こし、一歩遅れて義死傷者として認められる悪循環が繰り返されている。

▲曖昧な選定基準〓1996年に制定された義死傷者礼遇に関する法律は、義死者を「自分の職務でないにもかかわらず、他人の生命や財産を救済するため死亡した人」と規定している。義傷者は同様の理由で負傷した人だ。

しかし、職務の範囲、他人の範囲、救済の程度などは規定されておらず、類似した事案でも審査委員の判断によって違った結果が出る可能性が大きい。

線路で子供を助けるため両足を失った「美しい鉄道員」金幸均(キム・ヘンギュン)さんの行為が職務の範囲を超えるのか、南極世宗(セジョン)基地で同僚隊員を助けるために出航してからボートが転覆して死亡した全在圭(チョン・ジェギュ)隊員の場合、同僚を他人と見なすことができるのか、法律上では明確でない。

金さんは義傷者、全隊員は義死者として認められたが、02~04年の義死傷者申請者のうち3分の1ほどが、職務上の行為であり、救済対象が他人ではないという理由で、義死傷者として認めてもらえなかった。同期間申請者142人の半分に当たる71人だけが、義死傷者として認められた。

しかし、同期間、審査委員会の決定を不服とし、行政訴訟を提起した21件のうち、福祉部が勝訴した件数はたった1件に過ぎなかった。福祉部では現在、訴訟が進行中の8件も、下級審で大半が敗訴したことがわかっている。

ある義死傷者審査委員は、「審査用資料が、申請者の義死傷当時の状況を明確に理解するには不十分な場合が多い。義死傷者選定基準を具体化する必要がある」と述べた。

▲不十分な補償〓義死傷者関連法規は持続的に補完され、義死者の場合、1990年まで500万~600万ウォンに過ぎなかった補償金が、今年、1億7000万ウォン余りと、大幅に増えた。政府はまた、昨年9月、義死者も国立墓地に埋葬することができるよう、国立墓地運営改善案を作成した。

義死傷者に対する礼遇は、過去に比べればかなり改善したが、依然として不十分と指摘されている。

義死者の遺家族には教育費が支援されるが、支援期間は高校在学中までだ。経済的負担が最も大きい大学在学時は、何の支援もされない。

また、関連法は義傷者本人や義死傷者の家族が就業斡旋を要請すれば、市郡区が職場を斡旋することを定めているが、実際には就業斡旋がほとんど行なわれてないというのが、福祉部の説明だ。

これに対し、他の審査委員は「国家有功者の子女のように、政府が大学まで教育費を支援し、就業時に加算点を与える方案を考慮しなければならない」と述べた。

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◇ セウォル号乗務員への義死者認定誓願の動き

 さて、今回のセウォル号沈没事件に戻って、女性乗務員のパク・ジヨンさん(22)が「乗務員は最後までいなければならない。あなたたち全員を救助してから私も逃げる」と言い、救助に奔走した後、かえらぬ人となってしまったことが報道されました。パクさんは2012年に大学を休学してセウォル号の運航会社「清海鎮海運」に入社したとのことです。22日午前、告別式が仁川市内で営まれ、母親や妹などの遺族や友人らはパクさんの名前を呼び続け、泣き崩れたそうです。最大野党・新政治民主連合の元恵栄(ウォン・ヘヨン)国会議員や仁川市議会議長ら政治家、市関係者ら100人余りが参列し、告別式が終わるとパクさんの犠牲の精神に敬意を表し志願した制服姿の始興警察署(京畿道)の警察官9人がひつぎを運んだとされます。

 国民の間でパクさんを国が「義死者」として認定する求める声が高まっており、インターネットによる署名が始まっているようです。

パクさんへの署名

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 セウォル号沈没の被害者、ご遺族の方々には心からお悔やみを申し上げ、亡くなられた方には謹んでご冥福をお祈りいたします。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140425-00000017-yonh-kr
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9133/gisisyousya.html
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2005091579698
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2014/04/22/0200000000AJP
20140422001900882.HTML

従軍慰安婦問題の展望:まずは、世界に対して「河野談話」を否定するところからやり直すべきではないか?

 「従軍慰安婦問題」などと、極めて細かく大量の出来事があった問題を扱ってしまい、いささか不十分な記事に、後から少しず追加したりしております。今後も更新することはあろうかと思います。

 だいたい大まかな流れをつかんだところで思う事を申します。例えば、吉田 清治 氏の作り話の書籍にしろ、つじつまの合わない証言をする元慰安婦や、植村 隆 記者が捏造した朝日新聞の記事であっても、利益に基づいた個人の行いはしばしば見られることでありますが、政府が不十分な調査で間違った声明を出してしまえば、国として認めたことになり、それがそのまま明確な証拠となってしまいます。本記事のタイトルに示す如く、日本の取るべき道は「河野談話」のはっきりした否定だと思います。

 日本の取るべき道は「河野談話」のはっきりした否定

 阿部首相は「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と発言していますが、政府としては「河野談話」を踏襲する姿勢であります。確かに、過去に政府の見解として出したものを、後の政府、しかも同一の政党が「あれは間違いでした」とすることは、信頼に関わりますので、そんなに頻繁に行うわけにはいかないと思います。「河野談話」はもう20年以上も前の出来事ですので、今更、政府として蒸し返さず、大人しくしておれば、反日の流れは去るだろうとする意見もあろうかと存じます。
 しかしながら、韓国のこの問題に対する姿勢を見るにつけ、沈静化するどころかますますエスカレートして行くように思えます。私個人は、何かのきっかけでもあれば、襟を正して、胸を張って、世界に声明を出して良いと思います、「『河野談話』は間違いでした!」と、、、。

 韓国の姿勢は現在進行形でありエスカレートする一方

 「何かのきっかけでもあれば、、、」などと申しましたが、この年末年始に「河野談話」に関する報道がありましたのでご紹介します。


◇ 直近の「河野談話」に関する報道

 この年末、12月28日、従軍慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」をめぐり、日本維新の会が年明けに「河野談話」の撤回と、河野氏の国会への参考人招致を求める署名運動を全国で展開するとした記事が掲載されました。

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河野談話撤回を求める維新の会記事

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」をめぐり、日本維新の会が年明けに河野談話の撤回と、河野氏の国会への参考人招致を求める署名運動を全国で展開することが27日、分かった。
 談話の根拠となった韓国での元慰安婦への聞き取り調査報告書は「ずさん」だったことが産経新聞の報道で明らかになっており、維新は署名運動を通じ見直しの機運を盛り上げたい考えだ。平沼赳夫国会議員団代表らが主導して進める。維新は「歴史問題検証プロジェクト・チーム(PT)」(座長・中山成彬元文部科学相)を11月に発足させ、談話の検証を開始。12月に内閣官房に対し、元慰安婦16人の聞き取り調査報告書の開示請求を行った。米カリフォルニア州グレンデール市に「慰安婦」像が設置された問題では、党所属国会議員が現地を視察している。
 だが、こうした取り組みにもかかわらず、談話見直しの論議は広がりを欠いている。このため、「間違った談話で、日本人がいわれのない汚名を着せられたままではいけない」(幹部)として、全国で声を上げることにした。

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 さらに本年の元日、「河野談話」が、日本政府によって原案の段階から韓国側に提示、指摘によって修正するなど、日韓の合作であった、との記事が掲載されました。

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河野談話日韓合作記事

原案段階からすり合わせ

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」について、政府は原案の段階から韓国側に提示し、指摘に沿って修正するなど事実上、日韓の合作だったことが31日、分かった。当時の政府は韓国側へは発表直前に趣旨を通知したと説明していたが、実際は強制性の認定をはじめ細部に至るまで韓国の意向を反映させたものであり、談話の欺瞞(ぎまん)性を露呈した。

 当時の政府関係者らが詳細に証言した。日韓両政府は談話の内容や字句、表現に至るまで発表の直前まで綿密にすり合わせていた。
 証言によると、政府は同年7月26日から30日まで、韓国で元慰安婦16人への聞き取り調査を行った後、直ちに談話原案を在日韓国大使館に渡して了解を求めた。これに対し、韓国側は「一部修正を希望する」と回答し、約10カ所の修正を要求したという。
 原案では「慰安婦の募集については、軍の意向を受けた業者がこれに当たった」とある部分について、韓国側は「意向」を強制性が明らかな「指示」とするよう要求した。日本側が「軍が指示した根拠がない」として強い期待を表す「要望」がぎりぎりだと投げ返すと、韓国側は「強く請い求め、必要とすること」を意味する「要請」を提案し、最終的にこの表現を採用した。
 別の箇所でも「軍当局の意向」は「軍当局の要請」に書き換えられた。原案で慰安婦に対し「心からおわび申し上げる」とある箇所は、韓国側に「反省の気持ち」を付け加えるよう指摘され、盛り込まれた。
 修正に応じなかった箇所もある。原案が「(慰安婦が)意思に反して集められた事例が数多くあり」とする部分で、韓国側は「事例が数多くあり」の削除を求めた。これでは募集全部に強制性が及ぶことになるため、日本側は修正を拒否した。
 政府は、河野談話がほぼ固まった同年8月2日、韓国の閣僚にも案文を伝えた。閣僚は一定の評価をしつつも、「韓国民に、一部の女性は自発的に慰安婦になったという印象を与えるわけにはいかない」と強調したとされる。

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◇ 櫻井よしこ 氏の論説

 この問題に関する記事の最後に、2007年の「WiLL」と言う雑誌に載っていた評論家 櫻井よしこ 氏の論説を、全文の引用でご紹介し、本問題に関する記事を一旦、終了といたします。たいへん力強い言い回しに強い説得力を感じます。

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桜井良子氏と本

櫻井よしこ

日本を貶め続ける「河野談話」という悪霊


強制連行を認めた河野氏

 九三年八月四日、宮澤喜一内閣総辞職の前日に、河野洋平官房長官が発表した談話が悪霊のように日本にとり憑いている。
 中国や韓国、さらに欧米諸国で"高く"評価されるに至った河野談話は「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と明記して、「官憲」が「強圧」によって慰安婦を生み出したと、公に認める内容だった。また、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営された」、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは問接にこれに関与した」、「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」として、軍による強制の意思が働いていたことを強く示唆する内容だった。

 また、河野氏は、直後の記者会見で次のように、より明確に強制連行を認めている。(官邸記者)「今回の調査結果は、強制連行の事実があったという認識でよろしいわけでしょうか?」。「そういう事実があったと。結構です」、氏は明快に答えたが、これだけはっきり言うからには根拠があるはずだ。その点を別の官邸詰めの記者が質問した。「強制連行については公文書は見つからずそれで聞きとり調査をしたと理解していますが、客観的資料は見つかったのですか?」。この問いに河野氏は次のように答えた。「強制には、物理的な強制もあるし、精神的な強制もあるんです。精神的な強制は官憲側の記憶に残るというものではない。しかし関係者、被害者の証言、それから加害者側の話を聞いております。いずれにしても、ご本人の意思に反した事例が数多くあるのは、はっきりしておりますから」。

 要は、質問に出てきた客観的資料はなかったのだ。しかし、「証拠はないという事実」に反して、河野氏は「強制」があったと断じ、それが一人歩きし始めた。政府は、当時十六人の元韓国人慰安婦の証言を聴いており、彼女らの証言が「強制」の決め手になったとされた。だが、その証言内容も、証言者の姓名も、今日に圭るまで、一切明らかにされていない。


公表できない調査内容

 私が実際にこの問題について当事者らの取材を始めたのはそれから四年近くがすぎてからだった。九七年四月から慰安婦問題が中学の歴史教科書に掲載されることになり、事実はどうなのかという疑問が再ぴ私の中で頭をもたげてきたのだ。
 宮澤内閣の力を結集して集めた歴史資料は膨大な量にのぼり、その中には、日本軍による強制を示す資料はただの一片もなかったとされている。にもかかわらず 、なぜ、政府は強制を認めたのか、私は考え得る当事者たち全員に取材を申し込んだ。そして取材を一旦受けながら、直前に断ってきた宮澤首相を除き、河野氏、河野 氏の前に官房長官を務めた加藤紘一氏、官房副長官の石原信雄氏、外務審議室長 の谷野作太郎氏、武藤嘉文外相、駐日韓国大使の孔魯明氏、駐韓日本大使の後藤 利雄氏らの話を聞いた。その結果確認出来たのは、河野談話には根拠となる事実は、全く、存在せず、日韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃く反映されていたことだった。氏の歴史観、戦争に関する極めて、否定的な想いは、宮澤氏のそれと多くの共通項を有してもいた。

 河野談話に至る過程で重要な役割を果たしたのが、前述のように、十六名の女性たちの"証言"だった。十六人は韓国政府によって選ばれ、日本側から外政審議室 の田中耕太郎審議官ら四名が韓国に派遣され、一人平均二時間半をかけて聞き取 りをした。報告書を読んだ谷野外政審議室長は次のように語った。「凄まじい内容でした。宮澤さんにお見せしたら目を背けました。読みたくない と仰った。余程公表しようと思いましたが、出してもいうことをきかない人はきかない。余りにもオドロオドロしいので出しませんでした」。
 一方、石原氏は、「最後まで迷いました。第三者でなく本人の話ですから不利な 事は言わない、自分に有利なように言う可能性もあるわけです。それを(旧日本軍及び政府による強制連行有無の)判断材料として採用するしかないというのは …」と口ごもった。氏が口ごもったのは、女性たちへの聞き取りが尋常なものではなかったからである。第一に、日本側から女性たちへの反問も検証も許されなかった。加えて、韓国政府の強い要望で実現した聞き取り調査は、日本政府が、女性たちは生活やお 金のために慰安婦になったのではなく、強制連行されたのだと認め、謝罪することにつながるべきだと、韓国政府が要求していたことである。
 事実、聞き取り調査の始まる前の七月十四日、孔大使は日本記者クラブで会見し 、元慰安婦の名誉回復のため、強制連行だったと日本政府が認めることが第一条件だと述べている。女性たちの証言は日本政府が聞き取りをすると決めた瞬間から旧日本軍による強制連行の"証拠"となるべき運命だったと言える。


韓国人でも証言に疑問

 ただ、石原氏も谷野氏も、温度差はあれ、証言内容に疑問を抱いてはいた。「彼女たちの体験を売春だったと開き直れる世界ではありません」と述べた谷野氏でさえ、女性たちの証言を「そのまま信ずるかと言われれば疑問はあります」と答えたのだ。女性たちの証言を信じ難いとする評価は日本人だけのものではない。韓国においても同様の見方がある。九三年、二月に出版された『強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち証言集1』(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編)は、四十余人を対象に調査を実施した。調査に参加した安秉直・ソウル大学教授はこう書いている。
 「調査を検討するにあたってとても難しかった点は、証言者の陳述が理論的に前と後ろが合わない場合がめずらしくなかったことだ」、「調査者たちをたいへん困難にさせたのは、証言者が意図的に事実を、歪曲していると感じられるケースだ。我々はこのような場合に備えて、調査者一人一人が証言者に人間的に密接になることによってそのような困難を克服しようと努力し、大部分の場合に意図した通りの成果を上げはしたが、ある場合には調査を中断せざるを得ないケースもあった」(西岡力氏『闇に挑む!』徳間書店)。
 韓国の人々の目にも疑問が残った女性たちの証言を前にして石原氏が懸念したことのひとつは、日本が強制を認めた場合、それが後々、新たな補償問題につながっていく可能性だった。だが、韓国政府は日本政府より一枚上手だった。彼らは日本側の懸念を見通し、日本政府が強制を認め易くするために、日本には金銭的補償は求めない、補償の必要があれば、韓国政府の責任において行うと明言したのだ。こうして、懸念取り除かれた日本政府は強制連行を認めるべく、背中を押されていった。


十三歳の少女まで?

 だが日本が強制を認めて四年後、状況はまたもや微妙に変化した。九七年春、韓国の柳宗夏外相が、日本政府は慰安婦問題に対して補償し責任を認めるべきだと述べたのだ。日本政府による個人補償の必要性に韓国政府がはじめて言及した瞬間だった。
 石原氏は「女性たちの名誉が回復されるということで強制性を認めたのであり、 国家賠償の前提としての話だったなら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めていたはずだ」と語る。河野談話はそうではないという前提で、"善意"で"日韓関係に配慮して"認めたというのだ。もう一歩踏み込んで言えば、あの時点で日本政府が強制性を認めれば、韓国側は もはやこの間題を問わないという、阿吽の呼吸とでも呼びたくなる"共通の理解" があったと、氏は述懐する。河野官房長官の強い意思とそれを支える宮澤首相の決意によって生まれた談話は、いま、国際社会で日本軍による強制連行の動かぬ証拠とされ、日本非難の支柱となった。

 それにしても、米国下院での状況は、検証のプロセスが欠落している点で、日本での聞き取りと酷似する。米下院本会議に、「旧日本軍が若い女性を強制的に性的奴隷にしたことに対して、日本政府の公式な謝罪を要求する」という内容の決議案が日系三世のホンダ議員によって提出されたのは、今年一月三十一日だった。
 米国下院の決議案には、「日本帝国陸軍が直接的及び間接的に」、「若い女性の隷属」、「誘拐を組織することを許可した」「慰安婦の奴隷化は、日本国政府によって公式に委任及び組織化され、輸姦、強制的中絶、性的暴行、人身売買を伴っていた」と記述されている。

 慰安婦の中には、十二歳の少女もいたとされ、彼女らは、「自宅から拉致され」、「二十万人もの女性が奴隷化され」、「多くの慰安婦は、最終的には殺害されたり、交戦状態が終了した際には自殺に追い込まれた」、その結果、「(女性たち)の 内僅かしか今日まで生存していない」とある。こうした対日非難の"証拠"となったのが、またもや、検証されざる女性たちの証言である。たとえば二月十五日の米下院公聴会で証言した韓国人女性は昭和十九 年、十六歳のとき、友人に誘われて未明に家出し、国民服の日本人の男についていったそうだ。汽車と船を乗りついで台湾に到着、男が慰安所の所有者だったと 知った。男は彼女を電気ショックで拷問し、電話線を引き抜いて縛り上げ、電話 機で殴ったという。彼女は売春を強制されたが、「ただの一度も支払いを受けなかった」とも語っている。


検証もせずに批判

 真実とすれば、このひどい取り扱いは心底憎むべきものであり、女性には深い同情を禁じ得ない。だが、疑問も残る。たとえば、右の証言はどこで日本国政府や軍による挾致、強制につながるのかという点だ。白ら語ったように、彼女は友人と家出した。彼女らを台湾に連れて行ったのは慰安所の所有者だった。彼女の台湾行きに日本軍や日本政府が加担し、強制したのでないのは明らかだ。また同じ公聴会で証言したオランダ人女性は「インドネシアの抑留所にいた一九四四年、日本軍の将校に連行され、慰安所で性行為を強要された」と証言した。 たしかに、インドネシアでは、現地の旧日本軍人がオランダ人捕虜の女性を同意なく売春婦として働かせたことがあった。
 しかし、事態を知った軍本部は、この慰安所の閉鎖を命じ、当事者は戦後、戦争犯罪人として死刑に処せられている。彼女の事件は、むしろ日本側が「国家による強制はなかった」と説明出来る材料なのだ。にもかかわらず、ホンダ議員らは検証もせずに日本を断罪する。戦後補償問題に取り組むミンディー・コトラー氏も、公聴会で慰安婦問題とユダヤ人虐殺を同列に並べ、日本に、強制連行を否定することで「日米同盟の名誉を汚すのをやめよ 」と糾弾した。


河野談話が全ての原因

 かつて日本政府は韓国政府の強い要請を受け入れて、疑問を封じ込めて強制を認めたが、今や、女性たちの証言は、韓国政府が要請しなくとも、検証なしで、米国議会で受け容れられていく。まさに河野談話によって、強制性は慰安婦問題の大前提として国際社会に認知されたのだ。そのことに気づけば、駐日米大使の三月の発言も、自ずと理解出来る。トーマス・シーファー大使は米国下院公聴会での女性たちの言葉を「信じる」、「女性たちは売春を強要された」として旧日本軍による強制は「自明の事実」と述べた。ホンダ議員も、二月二十五日、日本のテレビに生出演して、「強制連行の根拠を示してほしい」と問われ、答えた。「実際に(河野)談話という形でコメントが出ているじゃありませんか。また、 強制的でなかったというのなら、どうして日本の首相は心よりお詫びしたのですか」。

 日本を深く傷つけ、貶め続ける河野談話。だが、米国の反日グループからは、次のように悪し様に言われている。コトラー氏は公聴会で述べた。「日本政府は公式な謝罪をしたことがない。今までの首相の謝罪は全部個人の意見としての謝罪である」、「官房長官は、ホワイトハウスの広報担当者とほぼ同じ。広報担当者のお詫びが政府のお詫びでないように、河野氏のお詫びも政府のお詫びではない」。さらに「河野氏はレイムダックで、責任を持てない」人物だとし、「この問題は今日だけではなく明日の問題でもある」と強調した。

 河野談話にもかかわらず、未来永劫日本の非をとがめ、責任を問い続けるというのだ。そして決議案は、日本政府は「歴史的責任を明確に認め、受け人れ」、「この恐ろしい罪について、現在及び未来の世代に対して教育し」、「慰安婦の従属化・奴隷化は行われなかったとするすべての主張に対して、公に、強く、繰り 返し、反論し」、米国下院の主張する慰安婦のための「追加的経済措置」について国連やNGOの勧告に耳を傾けよと結論づけている。河野談話が全て、裏目に出ているのである。


証拠ない、と安倍首相

 安倍首相はこうした動きについて、河野談話を引きつぐとしながらも、重要な点に言及した。三月一日には「(軍の強制連行への直接関与など)強制性を裏づける証拠がなかったのは事実」と発言し、三月十六日には社民党の辻元清美衆院議員の質問上意書に対して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見あたらなかった」とする政府答弁を出した。韓国政府もメディアも即反応した。宋畏淳外交通商相は二日、「健全で未来志向の日韓関係を築く共通の努力の助けにならない」と不快感を表明。有力紙『中央日報』は下院公聴会に関連して「日本は恥ずかしくないのか」との見出しをつけた。

 河野談話は「女性たちの名誉を守るため」に「善意」で出されたはずだった。それがいま反対に、恥を知れと日本に突きつけられる。にもかかわらず、つい先頃までの日本政府、外務省の対策は信じ難くもお粗末だ。たとえば、米国下院の対日非難に対し、駐米大使加藤良三氏はこの数か月、何をしてきたか。たしかに氏は、下院宛に書簡を出した。だがそこには、日本が謝っていないとするのは正しくない、日本はこれまで謝罪を重ねてきたと書かれているのである。事実関係を争う文章は、一行も見当たらない。但し、加藤氏の名誉のためにつけ加えれば、氏は二月の公聴会の直前、「決議案は事実に基づいていない」とする声明を出した。出さないよりも出した方がよかったとはいえ、公聴会直前の簡単な声明がいか程の説得力を持つのか。なぜこれまで、下院の動きに対して、事実に基づく抗議も説明もしてこなかったのか。

 ホンダ議員についても、外務省は調査してこなかった。同議員は後述するように 、中国の反日勢力と深く結びついている。そのことを明らかにしたのは産経をはじめとするメディアである。それはメディアの責任である以上に、大使以下、ワシントン大使館の外交官の責務であるはずだ。日本の名誉を汚し、国益を損ねる理由なき外国の主張に、反論もしないのは、責任放棄であり国辱外交である。


反日団体と密なホンダ

 「沈黙して耐えるのがよい」。こういう意見は内外に少なからず存在する。たとえば知日派のマイケル・グリーン前国家安全保障会議アジア上級部長である。氏は「慰安婦問題は、高いレベルで政治介入すればかえって複雑化する。強制性があろうとなかろうと、被害者の経験は悲劇で、現在の感性では誰もが同情を禁じ得ない。強制性の有無を解明しても、日本の国際的な評判が良くなるという話ではない」、「日本が政治的に勝利することはない」と言う。同様の意見は日本国内ではさらに多い。とりあえず眼前の摩擦を回避し、"火を消すのが大事"だと考える結果、事実関係については、"歴史家に任せよ"などと言う。

 しかし、これまでと同じ小手先の手法が一体どこにつながっていくのか。答を得るためにはホンダ議員が過去に関わった対日賠償請求問題を検証しなければならない。米カリフォルニア州議会で「賠償・第二次大戦、奴隷的な強制労働」という条項を含む民事訴訟法が成立したのは九九年七月だった。
 タイトルからはナチス・ドイツ時代のユダヤ人強制労働に対する賠償請求が連想されるが、なんと、それは ナチス政権、その同盟国との表現で日本を訴追の対象に含めた法案だった。同法案成立から一カ月後、同州議会はホンダ議員が提出した第二次世界大戦時の 日本軍による戦争犯罪に関する下院共同決議を採択した。それはアイリス・チャン氏の『ザ・レイプ・オブ・南京』を全面的に肯定して日本を貶める、おどろお どろしい内容だった。ホンダ議員らは、日本の歴史的責任は現在米国で活動中の日本企業が果たすべきだとして、二〇一〇年まで、対日企業賠償請求訴訟を起こすことが出来ると定めた。日本企業への賠償請求金額は一兆ドル・百二十兆円に上った。

 ユダヤ人の消滅を国策としたドイツと日本が一緒にされる理由は、断じてない。 公正さも国際法も無視したあの東京裁判においてさえも、連合国は日本を"人道に対する罪"で裁くことが出来なかった。にもかかわらず、凄まじい偏見と日本を貶めたという意図に立って対日企業賠償訴訟を法制化したのがホンダ議員だ。同じ人物が、今回もまた、深く関っている。ホンダ議員が中国系反日団体、「世界抗日戦争史実維護(保護)連合会」による全面支援を受けていることも、すでに明らかにされた(「読売新聞」、三月十六日朝刊」。右の連合会には、中国共産党政府の資金が注入されていると考えるべきであり、一連の展開は中国政府の長年の、そして数多くの反日活動の一環だと断じざるを得ない。


誇り高く事実を語れ

 読売の記事は、下院外交委員会でただひとり、「日本はすでに謝罪してきた」として、決議案に反対してきた共和党のダナ・ローラバッカー議員が、地元カリフォルニア州の事務所で韓国系団体の訪問を受け、「決議支援」に転じたとも伝えている。つまり、私たちは今回の米下院の慰安婦問題に関する動きを日米二国間の関係でのみとらえてはならないのだ。下院の決議案は紛れもなく、中輯両国による反日連合勢力の結実で、その中に米国が取り込まれつつあることを物語る。だからこそ、彼らの反日の意図、空恐ろしいほどの反日戦略を読みとり対処すべきなのだ 。沈黙を守れば消え去り、忘れ去られるような生易しい脅威ではない。

 日本がこの深刻な事態に対処すべき道はただひとつ、真正面から正論で闘うことだ。拉致問題で、筋を曲げることなく闘ってきたように、安倍首相は同様の決意で日本の名誉と誇りにかけて、全力で対処しなければならない。国際社会に張り巡らされようとしている反日情報の罠の核心をしっかりと見詰め、長く困難な論争になるのを覚悟して取り組むのだ。挫けず、誇り高く、事実を語り、世界を説得していく心構えをこそ新たにしなければならない。

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http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/stt13122808150000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010112380006-n1.htm
http://www.ianfu.net/opinion/sakurai-yoshiko.html

従軍慰安婦問題の経緯:元々朝鮮にいた、ただの「慰安婦」に「従軍」と「問題」が加わった!

 ここでは現代に至るまでの「従軍慰安婦問題」の歴史をおさらいいたします。詳しいところはネットなりをご覧いただければ幸いです。あくまでよく知られている話しを表面的に浅く触れてまいります。


◇ 確かに朝鮮に「慰安婦」はいた!

 見て見ぬふりとか知らないふりをする必要はなく、現代において、世界中にも、日本の各地にも、風俗産業はあります。条例で市町村によって形態は異なるようですけれど、、、。戦争中も慰安行為(売春)によって収入を得る女性が多く存在しました。恐らくはどこの国でもです。日韓では、通称「慰安婦」と呼ばれており、慰安婦の中には親に売られてしまった人や借金を背負っていた人もいたと思われます。しかし、軍による強制ではなく、大卒の初任給が月収約20円の時代に、慰安婦は月収300円以上で公募集をかけられていました。

従軍慰安婦募集
1944年7月26日付けの新聞「京城日報(キョンソンイルボ)」に掲載された慰安婦を募集する広告(月収300円以上(3000円前借可)

従軍慰安婦達
慰安婦の写真(笑顔の女性もいた)

 もっといろいろと調査結果があって、慰安行為の報酬としてお金が支払われた記録や、終戦後日本軍がいなくなった後も現地で慰安行為を行っていたとの証言があります。これらは、特に、日本軍の強制ではない、普通に世界中にあったものの一つである証拠です。軍の命令に従い、同行したものではないので「従軍」ではありません。ただの「慰安婦」なのです。橋下大阪市長とNHK籾井新会長の発言は正しいことは正しいですが、いわゆる「従軍慰安婦問題」に対する発言としては不適切で、的外れなものであります。


◇ 「従軍慰安婦問題」出現前後の韓国政府

 以下に大韓民国の歴代大統領を示します。各大統領の退任時(後)の出来事を付記しましたが、戦後35年間は失脚、亡命、クーデターや暗殺が相次いで、その後は罪に問われる人が目立ちます。

【大韓民国歴代大統領】
 01-03代 48-60年 李承晩(イ・スンマン)   :失脚後亡命
 04-04代 60-62年 尹潽善(ユン・ボソン)   :軍事クーデター
 05-09代 63-79年 朴正煕(パク・チョンヒ)  :暗殺
 10-10代 79-80年 崔圭夏(チェ・ギュハ)   :クーデターで辞任
 11-12代 80-88年 全斗煥(チョン・ドファン) :死刑判決
 13-13代 88-93年 盧泰愚(ノ・テウ)     :懲役刑
 14-14代 93-98年 金泳三(キム・ヨンサム) 
 15-15代 98-03年 金大中(キム・デジュン)  :ノーベル平和賞
 16-16代 03-08年 盧武鉉(ノ・ムヒョン)   :収賄疑惑、自殺
 17-17代 08-13年 李明博(イ・ミョンバク)  :家族に収賄疑
 18-18代 13-14年 朴槿恵(パク・クネ)

 さて、初代の大統領である李承晩氏は、韓国大統領の中でもとりわけ厳しい反日だっと言われます。李承晩政権は日本と国交正常化をせずに多額の賠償請求をして来ました。1952年には一方的に日本海・東シナ海に軍事境界線(李承晩ライン)を設定し、その韓国領海内に竹島も含まれています。しかし、その李承晩政権ですら、外交交渉の場で「慰安婦問題」を持ち出したことは一度もありませんでした。李承晩政権が日本政府に過去の清算としての要求を網羅的にあげた「対日請求要綱」の中でも「強制連行」という言葉は使われていません。この言葉も当時、無かったものです。同様に「慰安婦問題」についても、「対日請求要綱」の中にはまったく出てきません。「慰安婦」の存在は知っていましたが、それを「問題」化して外交交渉の場に持ち込めるとは思っていなかったようです。

 厳しい反日の李承晩政権でさえ慰安婦問題に触れなかった

 朴政煕政権になって、反共が重要な政策である背景に、アジアの自由主義陣営は団結すべきだという立場から、1965年、日韓基本条約が締結され、日韓は国交正常化をしました。その後の1965年から1982年までの間に、歴史問題を理由にした反日デモが起きたことはなく、歴史問題で外交交渉をしたこともありませんでした。すでに清算は済んでいると言う状況でした。

 1965〜82年の日韓に歴史問題は話題にならなかった

 次に述べますが、「慰安婦」が「従軍慰安婦問題」として取り上げられるようになったきっかけは1982年からです。当時、全斗煤政権は日本に対して60億ドルの経済協力を求めていたのですが、日本は拒絶しておりこう着状態にありました。そんな時、歴史認識に関する朝日新聞の誤報に対して中国共産党が抗議しました。それを見た全斗換政権が歴史問題を使えば日本を追い込むことができると判断し、中国共産党と手を組んで、日本批判をして援助をとるという対日歴史糾弾外交を始めます。これ以降、反日、反日と言いながら、金やモノ、技術をくれと言う、歴史を外交のカードにする韓国政府が続いているわけです。

 対日歴史糾弾外交は 1982年 全斗換政権から

李承晩(ライン)と全斗煥
左から李承晩大統領、李承晩ライン、全斗煤大統領


◇ 1982年教科書誤報事件

 1982年6月26日、大手新聞各紙および各テレビ局は、「文部省(現在の文部科学省)が、教科書検定において、高等学校用の日本史教科書の記述を『華北へ侵略』を『華北に進出』に変えさせた」と一斉に報じました。中国政府より公式な抗議がありましたが、実教出版の「世界史」の「華北へ侵略」を「華北に進出」と書き換えた記述は存在せず誤報でありました。8月26日には「日本は過去に於いて韓国・中国を含むアジアの国々に多大な損害を与えた」とする政府見解を宮澤喜一官房長官談話として発表、謝罪しました。
 非常に小さなつまらない出来事のように思えますが、よく調べずに謝罪した日本政府に対して、上でも申し上げました通り、中国共産党および全斗煤政権以降の韓国政府は、歴史問題を取り上げれば、日本に対して優位な外交が展開できると思わせてしまったとされます。


◇ 1983年 吉田 清治 氏「私の戦争犯罪」

 1983年、吉田 清治(1913年〜)なる人物が「私の戦争犯罪 - 朝鮮人強制連行」と言う本を出しました。この中で、昭和18年に韓国の済州島で、日本の軍人が赤ん坊を抱いたお母さんや若い未婚の女性を狩り立てトラックで連行したという、いま一般に流布している「強制連行」が初めて出てきました。同時に 吉田 清治 氏は韓国 のテレビに出演して、自分の戦争犯罪を謝ったりしていました。1989年には韓国語訳版が出版されましたが、同年8月14日、済州島の現地新聞「済州新聞」の許栄善記者は、吉田氏の著作には「裏付けの証言がない」として、吉田氏の言う済州島での「慰安婦狩り」は事実無根であり、吉田の主張は虚偽であると報じました。

吉田氏と著書 私の戦争犯罪

 吉田氏は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていましたが、1995年、「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認め、1996年5月の週刊新潮インタビューで吉田氏は以下にように語っております。

 吉田 清治 氏:「まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない」(週刊新潮1996年5月2/9号)


◇ 1991年 金学順の出現と朝日新聞のスクープ

 1990年11月、青柳 敦子 と言う大分県在住で勤務医を夫に持つ40歳の3児の母親が、在日朝鮮人である宋斗会代表と共に韓国にて「原告募集」というビラをまきました。「強制連行された人たち、慰安婦だった人たち、日本を相手に裁判をしませんか。費用は全部私がもってあげます」という内容でした。

 「(慰安婦)原告募集」というビラ

 この呼びかけで、慰安婦であった金学順(1924-1997年)なる人物が名乗りを上げました。彼女の日本政府に宛てた訴状には「14歳の時に40円でキーセン(日本で言う「置屋」)に売られた」と書かれており、韓国のハンギョレ新聞にもこのことは報道されております。

 金学順:「14歳時に40円でキーセンに売られた」
      = 強制連行されたわけではない


金学順

 1991年8月11日付けの朝日新聞(大阪版) 植村 隆 記者が、金学順のことを、世界初のスクープとして「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人が名乗り出た」と報じました。ただし、金学順が身売りされたことには触れず、「連行」されたとしました。この 植村 隆 と言う記者は金学順さんも加わっている訴訟の原告組織「太平洋戦争犠牲者遺族会」のリーダー的存在である梁順任常任理事の娘の夫でありました。つまり、朝日新聞の最初の報道はただ部数を伸ばすためだけでなく、記者が自分の義母の裁判を有利にするために、意図的に「キーセンに身売りした」という事実を報じなかったと考えられております。

植村記者と朝日新聞記事

 さらに、1992年1月11日、朝日新聞は朝刊の一面トップで、「慰安所への軍関与示す資料」「政府見解揺らぐ」という見出しの記事を載せました。

よしみ氏と朝日新聞
吉見 義明 氏(左下)と朝日新聞記事

 これは、吉見 義明 中央大学教授が防衛研究所で、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という資料を発見したという記事です。しかし、この資料は、日本国内で慰安婦を斡旋する業者が人さらい紛いのことをしているが、それは「軍の威信」に関わるから業者の選定を厳しくせよ、という「業者を取り締まる」内容であり、軍は関与しているのですが、それは業者が軍の名前を騙って「強制連行」するな 、といういわばよい方向に関与していたのです。なお、吉見 義明 教授は、慰安婦問題では慰安婦は日本による性奴隷制度という立場から、積極的な活動を行っております。


◇ 1992-93年の日本政府の対応

 1983年の吉田 清治 氏著書「私の戦争犯罪」で紹介された「従軍慰安婦」が、1991年、実際の慰安婦の名乗りと訴訟、朝日新聞の(捏造と思われる)度重なる記事によって、いよいよ「従軍慰安婦問題」へと発展しつつある1992年、宮沢 喜一 首相の訪朝を直前に控えた1月13日、加藤 紘一 内閣官房長官がお詫びと反省の談話を出し、宮沢首相も17日に訪韓、盧泰愚 大統領に8回も謝りました。これから調べることについて、加藤氏も宮沢氏もまずは謝罪したわけです。

 調査の前に謝罪した日本のリーダー

 韓国の一般の人たちは、大新聞である朝日新聞のスクープで、テレビが毎日のように報道し、日本の総理が韓国に來て謝ったわけですから、そんな事実があったと思ってしまいます。年寄りの人たちが「慰安婦は問題にできない」と言っても、そちらのほうが説得力がなくなります。韓国のテレビドラマでは、平和な村に憲兵などが現れて10代の女性を強姦し、ジ ープに乗せてさらっていったという内容のものが流されました。戦前を知らない人たちは、あたかもそれが事実であるかのように受け取ります。いよいよ日本に対する感情が高まり「従軍慰安婦問題」は完成です。

 1993年8月4日、日本政府は、日本の反日勢力が作り上げた嘘を訂正する努力をしないで、それに迎合するような談話を作って謝罪をし、問題を先送りしました。これが、慰安婦に対する日本軍の「強制」の意味を拡げて、これを認めた、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、通称「河野談話」であります。
 その場凌ぎで役人が考えたことでしょうが、韓国との関係上、「強制」は認めたほうがいい。しかしそういう「事実」は無く、そこで彼らは「強制」の意味を広げればいいと考えたとされます。つまり、「権力による強制」ではなくても、「本人の意志に反したことは強制」だとしました。河野談話では軍の関与を認め「おわびと反省」を表明しましたが、これにより「日本政府が旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた」という曲解が広まってしまったとされます。

 *****

【1993年8月4日 河野談話 全文】
 いわゆる従軍慰安婦問題については、一昨年十二月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請による設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提訴されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

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宮澤、加藤、河野
左から宮沢 喜一、加藤 紘一、河野 洋平 各氏


◇ 高校(95年)、中学(97年)教科書に明記

 従軍慰安婦の存在に加えて、それらが日本軍の強制を示唆する文言が1995年から高校、1997年より中学の教科書に明記されており、これは現在の阿部政権において改訂する方向で検討されているとのことです。しかし、以下は昨年3月26日の産経ニュースでありますが、高校教科書の検定結果が公表されて、沖縄戦での集団自決について「日本軍が強いた」との表現や、慰安婦について「連行」、「強いられた」といった記述がみられ、現行の教科書に比べ自虐的な歴史観に基づく反日的な記述が強まったと報道されております。

教科書の記述記事


◇ 2007年 アメリカ合衆国下院121号決議

 米国での動きでです。2007年1月、日系アメリカ人でカリフォルニア州下院議員のマイク・ホンダ氏により、日本政府への慰安婦に対する謝罪要求決議案がアメリカ合衆国下院に提出され、2007年6月26日にアメリカ合衆国下院外交委員会において賛成39票対反対2票で可決されました。ホンダ議員の選挙資金には中国ロビー団体の世界抗日戦争史実維護会や在米コリアンロビー団体からの資金が多いことが噂されており、同議員の執拗なまでの日本叩きには裏がありそうです。

マイクホンダと米国の議決121
マイク・ホンダ氏と合衆国下院121号決議

 当決議案採択の後、フィリピンやオーストラリアの議会でも慰安婦問題に関して日本の謝罪を求める決議案が提出されておりますが、これに反して、米国、ホワイトハウスへ下院121号決議(通称慰安婦決議)撤廃を求める署名運動もあります。

121号決議反対の署名運動


◇ 2006年 安秉直 ソウル大学名誉教授の見解

 安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授は、従軍慰安婦について韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査した結果を韓国の新聞インタビューで、「問題は強制動員だ。強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」、「3年活動してからやめた理由は、彼ら(挺身隊対策協)の目的が慰安婦の本質を把握して今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだったからだ」とコメントしました。韓国側の調査でも「強制連行」による「従軍慰安婦」の事実は否定されたのです。


◇ 経緯を振り返って

 「従軍慰安婦問題」についての出来事は、まだまだたくさんあると思います。ご紹介しました「慰安婦」が「従軍慰安婦問題」にまで発展した経緯には、日本の「身から出た錆」のような部分が多数、見られました。邦人自らの書籍、新聞における捏造に端を発して、それに対する政治家あるいは官僚のその場凌ぎの対応が、かえって問題を肯定して大きくした、他国を刺激するかたちになったように思います。正しい歴史を見直した時、これから日本のとるべき立場が見えて来るかと存じます。次の記事では、日本がこれからやれることを少しばかり考えたいと思います。


http://makizushi33.ninja-web.net
http://ja.wikipedia.org/wiki/李承晩
http://ja.wikipedia.org/wiki/李承晩ライン
http://ja.wikipedia.org/wiki/全斗煥
http://ja.wikipedia.org/wiki/教科書誤報事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田清治_(文筆家)
http://ja.wikipedia.org/wiki/金学順
http://ja.wikipedia.org/wiki/植村隆
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉見義明
http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国下院121号決議
https://petitions.whitehouse.gov/petition/repeal-house-representatives-resolution-121-stop-aggravating-intl-harassment-korean-propaganda-lies/yJw8lgRZ
http://ja.wikipedia.org/wiki/安秉直

従軍慰安婦問題の現状:韓国では現在進行形、エスカレートする対日歴史糾弾外交と我が国の対応

 先日、「首相の靖国参拝に日本人は反対しても良いのでは?」と題して、靖国神社参拝についての私見を述べました。言うまでもない戦争の悲惨さと、軍部が「大本営発表」と言う名の隠れ蓑(みの)を利用して、無意味に尊い国民の命を失った事実を直視した時に、A級戦犯の合祀には複雑な心境を持たざるを得ないことを申し上げました。
 もちろん、戦没者を国のリーダーが参拝する施設にA級戦犯が合祀されていることを是とするか非とするかの議論は、他の国にとやかく言われることではない、と言う立場であります。例えばユダヤ人の大量虐殺を行ったヒトラーは万民が認める国際的な犯罪者であり、人間として倫理的にも罪人であることは揺るがぬ事実でありますが、日本のA級戦犯とそれに準ずる軍人は、図らずも国家の存亡を託され、国益を第一に考え、敗戦のかたちを模索し、日本の象徴たる天皇陛下の立場を憂慮した人々であり、純粋な自国の利益のための思惑は他国にとって不利益となります。戦争とはそういうものであると思います。 
 さらに言えば、死者に対する畏敬の念のあり方、たとえそれがA級戦犯であっても、死した後も生前の罪が罰せられなければならないか否かは民族間で異なる死生観であります。この考え方については、もう少し見聞を広めたところでもう一度、とりあげたいと思いますし、現実的な東アジアにおける外交の問題に目を背けるわけにも参らず、「首相の靖国参拝」は今後とも多くの要素をはらんだ問題だと考えます。

 靖国参拝において死生観の要素は?

 さて、前置きが長くなりましたが、「首相の靖国参拝」と同様に世間を騒がせている問題に「従軍慰安婦問題」があります。私個人は、靖国参拝に比べたら、「慰安婦」は極めて単純な、結果が見えている問題に思えてなりません。恐らくは日本国民の多くが話題にするのも辟易するこの話題を、当ブログで取り上げるかどうか迷いましたが、己の知識の整理と、若者や我が子達に正しい認識を残せればと思いました。


◇ 最近の「従軍慰安婦問題」に関する記事から

 まずは、最近の記事のご紹介です。2月12日の時事通信で阿部首相の衆議院予算委員会における答弁を紹介しています。

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阿部首相の従軍慰安婦記事

 安倍晋三首相は12日午後の衆院予算委員会で、先のフランスの漫画祭で韓国の団体が従軍慰安婦をテーマに特別展を開いたことに関し、「間違った事実を並べて日本を誹謗(ひぼう)中傷していることに対しては、冷静かつ礼儀正しく反論しなければならない」と述べた。首相は「政府の立場は従来述べてきた通りだ」とも語り、村山談話や河野談話を引き継ぐ安倍政権の立場を改めて示した。
 第2次安倍政権下で実現していない日韓首脳会談については「対話のドアは開いているし、われわれもドアの中に閉じこもっているというより、対話に応じるよう働き掛けている」と強調した。日本維新の会の中山成彬氏への答弁。 【時事通信 2月12日(水)15時44分配信】

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◇ 直近の韓国による対日糾弾慰安婦PR

 今回の阿部首相の答弁は、本年1月30日に開幕した、ヨーロッパ最大級のマンガフェスティバル、アングレーム国際漫画祭で、韓国がいわゆる「従軍慰安婦」を描いた漫画、20作品などを出品、韓国の閣僚が現地入りするなど、アピールしている問題に対するものでありました。これ以外にも、2011年にはソウルの日本大使館前、昨年7月には米国ロサンゼルス近郊のグレンデール市中央公園に、「従軍慰安婦」の像が韓国政府によって設置されております。これは中国も同じですが、歴史の事象(事実かどうか別として)を糾弾することで、賠償や援助を取り付ける、あるいは、国際社会における日本の立場を貶めることで、領土領海問題などで有利な展開を目論む、言うなれば「対日歴史糾弾外交」が今なお続いており、ますますエスカレートしていると言わざるを得ません。
 日本人の多くは韓国政府の大人げない策略に唖然として、下手に騒がない方が得策と考えているかと思います。「間違った事実を並べて、日本を誹謗中傷していることに対しては、冷静かつ礼儀正しく反論しなければならない」とする阿部首相の答弁は、強すぎず弱すぎずバランスの取れた発言だとは思います。しかし、我が国はこの問題について、これまでの対応に間違いは無かったのか?、今後の改善すべき点があるのではないか?、と言う議論はあってしかるべきです。

フランス従軍慰安婦漫画
フランス、アングレーム国際漫画祭における韓国の「(従軍)慰安婦展示館」

慰安婦像
2011年12月14日、ソウルの日本大使館前に設置された「平和の碑」、慰安婦の少女像(左)と2013年7月30日、米国ロサンゼルス近郊のグレンデール市中央公園に設置された旧日本軍の韓国人従軍慰安婦を象徴する少女像(右)


◇ 橋下大阪市長とNHK籾井新会長の発言

 昨年5月13日、日本維新の会の共同代表でもある 橋下 徹 大阪市長が、旧日本軍の従軍慰安婦問題に関して、「日本政府が暴行脅迫して拉致した事実は証拠に裏付けられていない。ただ意に反して慰安婦になった人にはやさしく配慮しないといけない」と発言し、これだけならば大きな問題は無かったと思いますが、「歴史を調べるといろんな軍で慰安婦制度が活用されていた。銃弾が飛び交う中、猛者集団を休息させようとしたら必要なのは誰だって分かる」とも述べました。これに対する激しい批判を受けて「当時、軍の規律を維持するには必要だった」との認識を重ねて示しました。
 これに対して翌14日、日本維新の会の 石原慎太郎 共同代表は「軍と売春は付き物で、歴史の原理のようなものだ。決して好ましいものではないが基本的に彼は間違ったことは言っていない」などと擁護し、また、日本維新の会、国会議員団の 西村 真悟 衆院議員は5月17日の党代議士会で、二人の共同代表の慰安婦発言に関連し、「日本には韓国人の売春婦がうようよいる」と発言し、すぐに撤回するも、党から除名処分となりました。

 橋下氏「歴史上、いろんな軍で慰安婦制度が活用された」
    「当時、軍の規律を維持するには必要だった」
 石原氏「軍と売春は付き物で、歴史の原理のようなものだ」
 西村氏「日本には韓国人の売春婦がうようよいる」


 本年になってからも公の場における同様な発言がありました。1月25日、NHK新会長の 籾井(もみい) 勝人(かつと) 氏は就任会見において、従軍慰安婦問題について、「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げた。「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」とも述べました。飾り窓はオランダなどにある売春街を指します。
 さらに「会長の職はさておき」とした上で、韓国についても「日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っている。しかしすべて日韓条約で解決している。なぜ蒸し返されるんですか。おかしいでしょう」とも述べました。その後、記者から会長会見の場であることを指摘されると、発言を「全部取り消します」と話したとのこと、、、。

 籾井氏「(慰安婦は)戦争をしているどこの国にもあった」
    「なぜオランダにまだ飾り窓(売春街)があるんですか」
    「すべて日韓条約で解決している」
    「なぜ蒸し返されるんですか。おかしいでしょう」


橋下と籾井
橋下 徹 氏(左)と 籾井 勝人 氏(右)


◇ 韓国の真実と真意を理解すべき

 私は、米国留学の際に韓国の留学生と交流しましたし、家族での海外旅行は米国に次いで多く韓国のソウルに行っております。キムチや焼き肉は日本でも食べられますが、ソウルに行ってこそ本場の味を楽しめるものとして、海鮮チゲ鍋、チヂミ、テジカルビには素晴らしい文化を感じます。この1年で、「韓国の反日に観るあまりにも流動的な歴史」(昨年6月21日)、「目を醒してほしい!、韓国の反日感情と歴史認識」(同9月15日)と、2度に渡って韓国の誤った歴史認識、反日思想(教育)に反論しましたが、隣人としての友好関係を望む気持ちであります。

韓国料理
左から海鮮チゲ鍋、チヂミ、テジカルビ

 日本では、私が挙げた紺国料理に加えて、ドラマ「冬のソナタ」(2002年)や、男性デュオである 東方神起(2003年)、女性アイドルグループ、KARA(2007年)などの韓流に人気が集まりました。一般的な日本人は韓国に対して非常に好意的だと思います。

冬ソナ、から、とうほう
左から「冬のソナタ」、KARA、東方神起

 しかしながら、深夜の南大門広場や、ソウルのロッテ免税店なんかに行けば、びっくりするものがたくさん売られています。
 南大門でも明洞でも、夜の11時以降に出店が許可された店舗があって、LOUIS VUITTONやCHANEL、Gucciと言ったブランドもののコピー商品が安価で売買されています。見た目は、私などには区別がつかない、本物そっくりに出来ていますが、いざ購入してもファスナーはすぐに壊れるし、キーホルダーは短期間に糸がほつれて破損します。「パクリ」と言えばそれまで、よく言われることですが、外見だけ似せて、上手いことを言って、そうしたものを売って、人を騙すことに、なんら恥の概念はないのに驚かされます。
 ロッテ免税店にはたくさんの日本のお菓子が売られています。私は最初、それらがカルビーなり明治製菓、グリコと言った日本のお菓子の会社が韓国向けにパッケージを作って販売していると思いました。ところがそうでは無く、これも「パクリ」なんですね。韓国の製菓会社が日本のお菓子をそっくり真似て作り、パッケージも極めて類似したものとなっています。ひよこ本舗吉野堂の「名菓ひよこ」もそっくりなものが売られています。

パクリお菓子
ソウルで売られる多数のコピー製菓

 ただの「真似」で片付けて良いのでしょうか? 韓国では、空手は自国のテコンドーが起源であり、日本の空手が韓国テコンドーの真似であると考えられ、若者に伝授されております。空手のみならず、韓国の若者に言わせると「日本文化は全て韓国文化のコピー」だそうです。もしかしたら、「かっぱえびせん」、「キノコの山」、「ポッキー」にくわえて「ひよこ」の果てまでも、韓国が起源で、日本が真似していると考えている人がいるかも知れませんし、いつの日かそうなることを期待しているように思えます。時間をかけて立場を逆転する発想が見え隠れします。

 有名なコピー商品はただのパクリで良いのか!?

 従軍慰安婦問題も同じで、長い年月をかけて執念深く言い続けることで、いつしか歴史の事実をねじ曲げる、自分たちが有利であれば事実はどうでも良い!、極めて悪質な強い意志を感じます。韓国の、対日歴史糾弾外交は今、まさに隆盛を極めており、今後もエスカレートして行くことを知るべきです。
 そうした状況において、日本の政治家の発言はどうでしょう?、代表的報道機関のトップはどのような認識でいるのでしょう? 「慰安婦 = 売春婦」がどこの国でもあった、軍には必要だった、ってそんなことが論点なんでしょうか? 
 また、その言い回しについても、悪い行いを指摘されて、「他でもやっている」と言う発言は、万引きでもいじめでも、子供が叱られて「○×ちゃんだってやってるもん!」って開き直るのとどこか違いがあるのでしょうか? ちょっと大きな話しをすれば、ユダヤ人に対するホロコーストを行ったヒトラーは、オスマン帝国(現トルコ)によるアルメニア人大虐殺を取り上げて「他でもやっている」と言っていたそうです。

 そんなんでは、阿部首相が仰るところの韓国の「誹謗中傷」に対抗できない、浅はかすぎる歴史認識、政治家として貧困な論拠の持って行き方、はっきり申し上げて情けないと思います。もっと、問題の根は深く、日本人は危機感とある種の決断を持つべきかも知れません。

 韓国のエスカレートする対日歴史糾弾外交に対して
 あまりにも浅はかな歴史認識、貧困な論拠


 少し時間をいただいて、次は、「従軍慰安婦問題」についてこれまでの経緯と日本のあるべき立場について私見を述べたく存じます。あくまでも客観的な立場で考えたいと思います。


http://news.yahoo.co.jp/pickup/6106946
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00262238.html
http://www.gekiyaku.com/archives/31091782.html
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1302R_T10C13A5PP8000/?n_cid=DSPRM501
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1400M_U3A510C1EB1000/?n_cid=DSPRM501
http://ja.wikipedia.org/wiki/西村眞悟
http://www.asahi.com/articles/ASG1T5J3XG1TUCVL005.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4654444.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルメニア人虐殺

首相の靖国参拝に日本人は反対しても良いのでは?

 いささか社会的、政治的、外交的内容を私見、雑感、独り言として取り上げさせていただきます。あまり重苦しいネタを取り上げるつもりは無いのですが、靖国神社参拝の話題が出るたびに私自身が密かに感じていることであります


◇ 阿部首相の靖国参拝で

 昨年の12月26日、阿部首相が現職総理として7年ぶりに靖国神社を参拝し、いつものことですが、そこにA級戦犯14人が合祀されていると言う理由で、中国と韓国が遺憾の意、と言うよりもはっきり批判的な発言をして来ます。今回は米国も「失望した」とのコメントを発表しました。
 これに対して日本のネット世論の意識調査では、8割が阿部首相の靖国参拝を支持との記事がありました。中国、韓国の批判には以下の匂いが感じられ、そうしたA級戦犯の合祀とは別の政治的思惑が見え隠れするため、日本国民としては、靖国参拝の意義以上に中韓に対する反発につながっているように思います。「我が国の戦没者に対する総理大臣の参拝に対して他の国にとやかく言われたくない」、と言うご意見が多かろうと思います。

【中国、韓国の靖国参拝批判の思惑】
 ・政府(中国は共産党)や格差に対する国内の不満の矛先を変えるため
 ・従軍慰安婦や南京大虐殺と併せて日本の孤立化を目論むもの
 ・領土問題を有利に運ぶ手段の一環として
 ・国を挙げて誤った歴史認識を継続するための
 ・日本に対する元々ある競争意識、優越感、嫌悪感

 どうしても、政治、外交的背景があっての議論になりがちですので、日本国としては中韓に屈する訳にはいかないところはあり、靖国のみならず、従軍慰安婦、領土問題について、阿部内閣の毅然としたある一定の態度は求められるところでしょう。
 しかしながら、中国、韓国の存在、日本に対する批判を抜きにした時の、「A級戦犯14人が合祀されている」靖国神社参拝についての議論はあまりされていない、正教分離もそうですが、もっと単純に、太平洋戦争で多くの日本人が命を落としたのであって、罪なく戦死した国民とそうした状況を作り出したA級戦犯が共に合祀されていること、多くの戦死者を出した犯罪者であるA級戦犯に対して参拝することの是非は、周辺諸国とは別に日本国民は考えて良いと思います。

 中韓の日本に対する批判とは別にA級戦犯の合祀を考える

 反戦の小説、ドラマや映画、音楽まで、数えきれないほど、戦争の悲惨さを訴えたものが日本にはあります。2006年、数々の賞を受けた映画「硫黄島からの手紙」もその代表的なものと存じますが、3つばかり用意いたしました。映画「連合艦隊」からは戦艦大和の沖縄出現が決定するシーン、映画「さとうきび畑の唄」では一般人が戦争に駆り出されて米兵を射殺する命令を受けたシーンがありました。現在、放映中の映画の原作、小説「永遠の0」には特攻隊員の家族に残した遺書に関する議論がありました。


◇ 映画「連合艦隊」のシーンから

連合艦隊DVD

製作スタッフ

製  作   :株式会社 東宝映画 1981年
製作協力   :東宝映像株式会社(特殊技術、光学ステレオ技術)
配  給   :東宝株式会社
スタッフ
 製  作  :田中 友幸
 製作補   :高井 英幸
 企画協力  :児島  襄、豊田  穣
 監  督  :松林 宗恵
 特技監督  :中野 昭慶
 脚  本  :須崎 勝彌
 音  楽  :服部 克久、谷村 新司
 演  奏  :新日本フィルハーモニー交響楽団
 主題歌   :谷村 新司 「群青」


キャスト

真珠湾攻撃・ミッドウェイ作戦
 山本五十六(連合艦隊司令長官)   :小林 桂樹
 宇垣  纏(連合艦隊参謀長)    :高橋 幸治
 南雲 忠一(第一航空艦隊司令長官) :金子 信雄
 草鹿龍之介(第一航空艦隊参謀長)  :三橋 達也
 永野 修身(軍令部総長)      :小沢栄太郎
 及川古志郎(海軍大臣)       :藤田  進
 福留  繁(軍令部第一部長)    :藤岡 琢也
 富岡 定俊(軍令部第一課長)    :橋本  功
 黒島 亀人 (連合艦隊先任参謀)    :南  道郎
 渡辺 安次 (連合艦隊戦務参謀)    :北浦 昭義
 大石  保 (第一航空艦隊先任参謀)  :六本 木真
 源田  実(第一航空艦隊航空参謀) :斎藤真
 野元 為輝(空母瑞鶴艦長)     :長谷川 弘
 下田 久夫(空母瑞鶴飛行長)    :平田 昭彦

レイテ作戦
 小沢治三郎(第一機動艦隊司令長官) :丹波 哲郎
 貝塚 武男(空母瑞鶴艦長)     :神山  繁
 武田   (瑞鶴飛行隊整備士長)  :長門 裕之
 森    (瑞鶴飛行隊整備士)   :なべおさみ
 中鉢   (瑞鶴の予科練出飛行士) :遠藤 公一
 大林 末雄(第一機動艦隊参謀長)  :織本 順吉
 栗田 健男(第二艦隊司令長官)   :安部  徹
 小柳 富次(第二艦隊参謀長)    :近藤  宏
 大前 敏一             :加地健太郎
 大谷藤之助             :伊吹  徹
 豊田 副武(連合艦隊司令長官)   :田崎  潤
 神  重徳(連合艦隊先任参謀)   :佐藤  慶

沖縄作戦
 伊藤 整一(第二艦隊司令長官)   :鶴田 浩二
 有賀 幸作(戦艦大和艦長)     :中谷 一郎
 山本 祐二(第二艦隊先任参謀)   :富田浩太郎
 小滝久 雄(第21駆逐隊司令)   :中山 昭二
 新谷 喜一(第17駆逐隊司令)   :高並  功
 駆逐隊司令             :今西 正男
 駆逐隊司令             :細川 純一

本郷家
 本郷 英一             :永島 敏行
 本郷 眞二             :金田 賢一
 本郷 直樹(奈良博物館館長)    :森繁 久彌
 本郷 歌子(英一・眞二の母)    :奈良岡朋子
 本郷 陽子(英一婚約者、眞二の妻) :古手川祐子
 工藤   (英一の部下、戦友)   :佐藤  允
 茂木   (英一の戦友)      :丹波 義隆

小田切家
 小田切武市(海軍兵曹長)      :財津 一郎
 小田切正人(海軍中尉)       :中井 貴一
 小田切照代(正人の姉)       :友里千賀子
 小田切美代(正人の妹)       :里見 奈保(鶴田さやか)
 小田切加代(正人の妹)       :川島 光代

その他
 鈴川   (芸者)         :松尾 嘉代

ナレーター
 平光淳之助


 昭和20年4月、アメリカ軍の沖縄本島への上陸作戦に対して大日本帝国は戦艦大和を沖縄に向けて出撃させますが、その決定がなされた軍令部、連合艦隊司令における会議と、その決定を連合艦隊に通達するシーンであります。登場人物の台詞のみ抜粋して供覧します。

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 *****

 豊田 副武 連合艦隊司令部は第二艦隊を最後の水上部隊として使用したい
 大前 敏一 どのようにですか?
 神  重徳 4月6日を期して沖縄水域に菊水一号作戦を決行します
       数百の特攻機を投入すれば必ず敵を混乱に陥れるでしょう
       それに呼応して翌4月7日、大和以下の第二艦隊を沖縄に突入
       させます
 大前 敏一 無茶だ! それに大和の腹を満たすだけの燃料が無い
 神  重徳 片道だけで十分です
 大前 敏一 なに?
 神  重徳 水上部隊の特攻と考えていただきたい
 小沢治三郎 誠に勇壮果敢でけっこう!
       しかしこれが作戦と言えるのか?
       私がかつてレイテの囮作戦を引き受けたのはそれなりの戦果が
       期待できたからだ
 神  重徳 今回は戦果は問題ないです
       大和ここにありの意気を示せばいいんです
       大和は名実ともに日本海軍の象徴です
       その大和を使わずに戦争に敗れるようなことがあったら人は
       なんと言うでしょう?
       艦隊は滅んでも魂は残すべきです
       どうか大和に生き恥をかかせないでください
 小沢治三郎 そんな浪花節は聞きたくない!
       私はまったく意味の無いただ面子を保つための出撃を許す
       方が、よほど恥ずかしいことだと思う
 神  重徳 しかし
 小沢治三郎 私の言いたいのはそれだけだ
       あとは総長のご決断次第だ

 *****


 こうして戦艦大和だけで3000名、艦隊全体では6000名の将兵が従事する第二艦隊の、小沢治三郎曰く「まったく意味の無いただ面子を保つための出撃」が、日吉の地下壕で決定され、連合艦隊参謀長である草鹿龍之介が菊水一号作戦を指揮する宇垣 纏(まとめ)の下に報告に行きます。この二人はミッドウェー海戦の大敗の際に互いの非を指摘しあった仲でありました。

 *****

 草鹿龍之介 えっ!? 大和の出撃が決定した?
 神  重徳 そうです! その旨を大和の伊藤長官以下の第二艦隊に納得
       させてほしいんです
       その役は参謀長の貴方以外には考えられません

 宇垣  纏 なに!?
 草鹿龍之介 従って、見方の同士討ちを避けるため基地航空部隊は当日、
       一切の管制攻撃を中止していただきます
 宇垣  纏 護衛戦闘機はどうする?
 草鹿龍之介 連日、大規模な特攻作戦をやるとなると、その余裕は無い
       でしょう
 宇垣  纏 余裕があろうと無かろうと、なぜ私に命令しない?
       大和の護衛に何機出せと
       きみはそれでも連合艦隊の参謀長か!?

 草鹿龍之介 これから大和に出向きます
 宇垣  纏 説得に行くのか?
 草鹿龍之介 自分で確信の持てない作戦を命令として伝えなければならん
       のは辛いですな
 宇垣  纏 私も同じ思いだ
       特攻機が毎日、この基地から飛び立って行く
       「死んでこい!」
       これはもう命令の限界を越えている
       しかし、戦争が続く限り私は命じ続けるだろう
       「死んでこい!」と
 草鹿龍之介 貴方とはずいぶんやりやってきましたが、もはやお互い、
       船でも飛行機でもなくなりましたな
 宇垣  纏 連合艦隊を崩壊の危機に追い込んだ責任だけが残ったという
       ことだ

 *****


大和炎上
1945年4月7日 沖縄に向う途中の坊ノ岬沖海戦で米軍航空隊の爆撃で炎上する大和

 あらゆる戦争でそうでしょうが、しばしば、軍に命令を出す立場の人間は概して現場における殺戮の悲惨な状況を知りません。知っていたとしても、多くの場合、「心を鬼に!」と国の存続のためには国民の犠牲は「やむをえまい」と言う感覚に支配されるようです。しかしそれが、国民に対して隠していた、嘘をついていた、そういう積み重ねの末に、生きている国民や亡くなられた人々への対面を考えた戦略だとすれば、これは国の存続とは関係ない、ともすると自分たちの保身でもあったと思います。
 日本海軍の象徴である戦艦大和を使わずに戦争に敗れることを避けたいとする艦隊司令の意見ですが、大和を使うチャンスはいくらでもありました。大敗したミッドウェー海戦(1942年6月5-7日)では前線に出ることなく退却しました。1943年8月、ソロモン諸島では激戦が行われ戦局が悪化していましたが、戦艦大和はトラック島の停泊したままで実戦への参加命令は出ませんでした。居住性の高さや食事などの面で優遇されていたこともありました、他艦の乗組員や陸軍将兵から「大和ホテル」と揶揄されたと言われます。いよいよ戦局は厳しく、米軍の日本本土への爆撃を防ぎ、南方資源地帯からの供給を維持するために計画されたレイテ湾突入(栗田健男艦長、1944年10月23-25日)においても、好機に恵まれながら反転、戦場から去りました。
 大日本帝国の戦艦大和を用いた戦略の不甲斐無さを、国民はどれほど知らされていたのでしょうか? 「大本営発表」は、ミッドウェー海戦後より、損害矮小化発表が目立ちはじめ、不適切な言い換えが行われるようになり、敗戦直前には勝敗が正反対の発表すら恒常的に行われたとされます。大和の沖縄への出撃も、「沖縄を守るため」と言えば納得する人は多かったと思いますが、戦果を臨むべくもなく、「(万が一に失敗して)艦隊は滅んでも魂は残す」と言われれば、心を動かされる日本人はいたかも知れません。
 大日本帝国軍が詭弁に詭弁を重ねて国民を騙して、無駄な戦いを計画、維持して、多くの死者を出したのは紛れも無い事実です。草加と宇垣の対話の中で、「自分で確信の持てない作戦」を伝える辛さを言う草加に対して、特攻隊が出撃する基地にいて「『死んでこい!』、これはもう命令の限界を越えている」と苦しい気持ちを激白する宇垣、彼等はまだ、小沢治三郎と同様、現場の死に行く者を意識していたと思います。


◇ 映画「さとうきび畑の唄」の1シーンから

サトウキビ畑の唄DVD

スタッフ

 脚  本     :遊川 和彦
 音  楽     :寺島 尚彦
 主題歌      :森山 良子「さとうきび畑」
 プロデューサー  :八木 康夫
 演  出     :福澤 克雄
 制  作     :TBSエンタテインメント
 製作著作     :TBS、BS-i 2003年


キャスト

 森山 良子                  :森山良子
 平山 幸一(大阪出身、沖縄在住の写真館店主) :明石家さんま
 平山美知子(幸一の妻、第6子を妊娠)     :黒木  瞳
 平山  勇(長男、紀子と結婚直後に出兵)   :坂口 憲二
 平山 紀子(勇の妻で小学校教師)       :仲間由紀恵
 平山 美枝(長女)              :上戸  彩
 平山  昇(次男)              :勝地  涼
 平山 春子(次女)              :大平奈津美
 平山  健(三男)              :我妻 泰熙
 吉岡   (学徒出陣の日本兵)        :オダギリジョー

 大阪から駆け落ちして来て沖縄で写真館を営む平山幸一(明石家さんま)、美知子(黒木瞳)夫妻の家族の、太平洋戦争における沖縄戦を舞台にした物語です。軍に駆り出された幸一が、戦場にて傷ついた米兵に対して上官から射殺するように命じられたシーンです。動画に次いで登場人物の台詞を供覧いたします。

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 *****

 隊 長  伏せろ! あの岩陰の向こうで何か動いたぞ!
      新入り! 貴様が行って見てこい!
 幸 一  私ですか? こいつですか?
 隊 長  貴様だ、早くしろ!
 幸 一  こいつ?
 隊 長  貴様だ!
 同 僚  あんただ!、あんた あんた、あんた
 隊 長  早くしろ!

  〜 米兵が傷を負って倒れているのを見つけて 〜

 隊 長  どうした?
 幸 一  はい、敵が怪我をしております
 隊 長  武器は?
 幸 一  ありません! 大丈夫です

 米 兵  Help me, please help me, help me.
 幸 一  Thank you! Thank you!
 米 兵  Help me.
 幸 一  大丈夫! 大丈夫!

  〜 隊長が近寄ってきて米兵に手をかけ 〜

 隊 長  いいざまだ! おいほらっ!
 幸 一  ちょっと待って下さいよ
      ちょっと待って下さい
      ちょっと待って下さいよ! 無抵抗じゃないですか!
 隊 長  なんだと貴様! 敵をかばうのか?
 幸 一  そんなつもりじゃ
 隊 長  こいつらのせいで沖縄をめちゃくちゃにされたんだぞ
      貴様、悔しくないのか?

  〜 隊長は拳銃を幸一に持たせて 〜

 隊 長  お前がやれ!
 幸 一  すいません 勘弁していただけないでしょうか?
 隊 長  なんだと貴様! それでも帝国軍人か?
      上官の命令に逆らうと言うことは天皇陛下の命令に逆らうことと
      一緒だぞ!
      何してる? 早くやれ!
 幸 一  私にはできません
 隊 長  なんだと?
 幸 一  私は、私には人を殺せません
 隊 長  貴様!
 幸 一  私は、こんな事をするために生まれて来たんじゃないんですよ!
 隊 長  なに?
 幸 一  私は写真を撮るしか能のない男です
      でも、仕事に恵まれて、心から愛する女性に出逢い、
      6人の子供にも恵まれました
      私の小さな望みは、子供たちが私に負けないくらいの家族を作って
      この手で、この手で写真を撮ることなんですよ
      たくさんの、たくさんの家族に見守られて天寿を全うできたら
      生きてて、生きててよかったと思えたら、もう何もいらないですよ
      なぜ私がこんなことをしなきゃいけないんですか?
      こんな事をするために生まれて来たんじゃないんですよ、私は

幸一射殺

 *****


 戦場にありがちなシーンです。傷ついた敵兵を捕虜とせずに射殺することは少なからずあったと思います。とりあげたシーンにおいて、幸一(明石家さんま)に米兵を殺すよう命ずる隊長は、明らかに戦場と言う場にあって、憎しみに捕われ、慈悲の心も正しい判断も失われていたと思われます。隊長と幸一の関係は、そのまま、大日本帝国軍部と、末端における艦隊、部隊、兵士の関係だったと思います。「上官の命令に逆らうことは天皇陛下の命令に逆らうこと」と言う言葉は、軍司令の命令も天皇の勅命かの如く使われていたと思われます。米兵の射殺を命じられた幸一が「私は、こんな事をするために生まれて来たんじゃないんですよ!」と言う発言と同様な気持ちを持った、戦場に駆り出された日本人は少なくなかったと思います。でも、そのまともな発想の日本人が処刑される、間違った空気を作り出したのも、やはり大日本帝国軍であったと言えます。


◇ 小説「永遠の0」における議論から

永遠の0本

 もう一つ、神風特別攻撃隊(特攻隊)員の心理状態を考えさせられるシーンを紹介します。太平洋戦争において、元海軍中尉で、特攻隊員の予備員である特攻要員であった武田と言う人物に、神風特別攻撃隊(特攻隊)はテロリストであると言う持論を持つ新聞記者の高山が面会、会談する場面の原文です。

 *****

 (高山)「私は特攻隊員が一時的な洗脳を受けていたと思っています。それは彼らのせいではなく、あの時代のせいであり、軍部のせいです。しかし戦後、その洗脳は解けたと思っています。だからこそ、戦後日本は民主主義になり、あれだけの復興を遂げたと思っています。

 武田は小さな声で「何と言うことだ」と呟いた。

 高山は畳みかけるように言った。
「私は特攻はテロだと思っています。あえて言うなら。特攻隊員は一種のテロリストだったのです。それは彼らの残した遺書を読めばわかります。彼らは国のために命を捨てることを嘆くよりも、むしろ誇りに思っていたのです。国のため尽くし、国のために散ることを。そこには一種のヒロイズムさえ読みとれました」

「黙れ!」
 いきなり武田が怒鳴った。ウェーターが驚いて振り返った。
「わかったようなことを言うな! 我々は洗脳などされておらんわ」

「しかし、特攻隊員の遺書を読めば、殉教的精神は明らかだと思いますが」

「馬鹿者! あの遺書が特攻隊員の本心だと思うのか」
 武田は怒りで顔を真っ赤にさせた。周囲の人が皆こちらを見たが、武田はまったく気にしなかった。
「当時の手紙類の多くは、上官の検閲があった。時には日記や遺書さえもだ。戦争や軍部に批判的な文章は許されなかった。また軍人にあるまじき弱々しいことを書くことも許されなかったのだ。特攻隊員たちは、そんな厳しい制約の中で、行間に思いを込めて書いたのだ。それは読む者が読めば読みとれるものだ。報国だとか忠孝だとかいう言葉にだまされるな。喜んで死ぬと書いてあるからといって、本当に喜んで死んだと思っているのか。それでも新聞記者か。あんたには想像力、いや人間の心というものがあるのか」
 武田の声は怒りで震えていた。武田の妻がそっと夫の腕に手を添えた。

 高山は挑戦的に身を乗り出して言った。
「喜んで死を受け入れる気のない者が、わざわざそう書く必要はないでしょう」

「遺族に書く手紙に『死にたくない! 辛い! 悲しい!』とでも書くのか。それを読んだ両親がどれほど悲しむかわかるか。大事に育てた息子が、そんな苦しい思いをして死んでいったと知った時の悲しみはいかばかりか。死に臨んで、せめて両親には、澄み切った心で死んでいった息子の姿を見せたいという思いがわからんのか!」

 武田は怒鳴った。

「死にたくないという本音が書かれていなくとも、愛する家族にその気持ちはわかる。なぜなら、多くの遺書には、愛する者に対する限りない思いが綴られているからだ。喜んで死にいく者に、あれほど愛のこもった手紙を書けるものか」
 武田は涙を流した。さきほどからウェイターがじっと見ている。
「新聞記者だと―。あんたには死にいく者が、乱れる心を押さえに押さえ、残されたわずかな時間に、家族に向けて書いた文章の本当の心の内を読み取れないのか」

 涙を流して語る武田に、高山は口元に冷ややかな笑みを浮かべた。
「私は書かれた文章をそのまま受け取ります。文章というものはそういうものでしょう。出撃の日に、今日は大いなる喜びの日と書いた特攻隊員もいます。また天皇にこの身を捧げる喜びを書いた者もいます。同じようなことを書いた隊員たちは大勢います。そんな彼等は心情的には殉教的自爆テロのテロリストと同じです」

「馬鹿者!」
 武田は手のひらで机を叩いた。

 (中 略)

「君の政治思想は問わない。しかし、下らぬイデオロギーの視点から特攻隊を論じることはやめてもらおう。死を決意し、我が身なき後の家族と国を思い、残る者の心を思いやって書いた特攻隊員たちの遺書の行間も読みとれない男をジャーナリストとは呼べない」

 *****


 特攻隊員が殉教的自爆テロのテロリストと同じであるか否かについては、昨年4月17日の記事、「全然違う 日本の『神風』とイスラムのテロ」でも触れましたので、別に譲るとして、ここでは特攻隊員が遺書を書く時の心境に注目いたします。検閲を受けるため、正直な文章は書けません。親兄弟の親族、遺族に対してまでも言論の自由は剥奪された状態で、それとは別にも、死に行く自分を思う家族への気持ちを思いやり、「乱れる心を押さえに押さえ」て「我が身なき後の家族と国を思う」、戦場における同胞の苦しみが伝わって来ます。


◇ 戦史を理解したうえでの私見

 冒頭に戻って、日本のネット世論の意識調査では、8割が阿部首相の靖国参拝を支持との記事がありました。日本国民として、靖国参拝の本当の意義以上に中韓に対する反発があろうかと存じます。「我が国の戦没者に対する総理大臣の参拝に対して他の国にとやかく言われたくない」、と言う考え方は至極、当然のことです。
 しかし、戦史を理解すればするほど、A級戦犯とそれに準ずる軍にいた人々が、日本国民に対して、言い訳のきかない莫大な罪を犯したことは間違いなく、罪人(加害者)と被害者が同じ地に合祀されていることへの矛盾、日本(人、国民)を不幸に陥れたA級戦犯を参拝することへの疑問を感じざるを得ないのが正直な気持ちであります。


http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1600F_W4A110C1000000/
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20131228-00031101/

現代において行われた!? 族誅(ぞくちゅう)

 昨日、処刑された北朝鮮の張 成沢氏(チャン・ソンテク、1946年2月6日 - 2013年12月12日)に関連する記事が目に入り、親族をも処刑したとのこと、あり得る話と思いつつも、現代においても、「族誅(ぞくちゅう)」と呼ばれることが行われたことに、背筋が寒くなる感覚を持ちました。まずは、その記事の引用から入ります。

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張氏家族処刑の記事タイトル

 【ソウル聯合ニュース】北朝鮮が、張 成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長の粛清後、張氏の親族の大半を処刑したことが分かった。複数の北朝鮮消息筋が26日、明らかにした。
 消息筋によると、張氏の親族に対する処刑は金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の指示により大々的に行われ、処刑の対象者には幼い子どもも含まれた。
 張氏の姉と夫の全英鎮(チョン・ヨンジン)駐キューバ大使、おいの張勇哲(チャン・ヨンチョル)駐マレーシア大使と張大使の20代の息子2人は昨年12月初めに平壌で処刑された。全大使夫妻と張大使夫妻はいずれも銃殺された。このほか、張氏の2人の兄(いずれも故人)の息子や娘、孫に至るまで直系親族は全員処刑された。親族らの処刑の時期は確認されていないが、張氏が処刑された昨年12月12日以降と推定される。
 消息筋は、張氏の親族が処刑されたのは張氏の勢力を残さないためだとした上で、張氏の勢力の粛清は広範囲にわたって行われていると説明した。

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◇ 張 成沢 氏 処刑の経緯

 ここで、昨年12月の北朝鮮 張 成沢 元国防副委員長の処刑について簡単に解説いたします。ごく表面的な報道に基づくものであり、その裏にある根深い部分があるとしても、それは他に譲りますし、今後、明らかになる事実もあろうかと存じます。

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 張 成沢(チャンソンテク)氏は、現北朝鮮第1書記、金 正恩(キムジョンウン)氏の父で第2代最高指導者である金 正日(キム・ジョンイル、1941年2月16日 - 2011年12月17日)の妹、金 慶喜(敬姫、キム・ギョンヒ、1946年5月30日 - )の夫で、北朝鮮を建国した金 日成(キム・イルソン、1912年4月15日 - 1994年7月8日)の義理の息子にあたる、現政権におけるNo.2と目された人物でありました。

金日正、金正日、金慶喜
左から金日成、金正日、金慶喜

金第1書記家系図

 北朝鮮の朝鮮中央通信は昨年12月13日、金 正恩(キムジョンウン)第1書記の叔父、張 成沢(チャンソンテク)元国防委員会副委員長が国家転覆をはかった罪で裁判にかけられ、処刑されたと伝えました。朝鮮中央通信によりますと、張氏は「あらゆる策謀と卑劣な手段を用いて国家転覆をはかった反逆者」として12月12日に特別軍事裁判にかけられ、本人が起訴内容をすべて認め、直ちに死刑が執行されたとのことでした。
 同通信は張氏について、党と指導者を裏切った「卑劣な人間のくず」であり、「犬よりひどい」人物と描写していました。また、張氏の処刑について、北朝鮮情勢に詳しい米ピーターソン国際経済研究所のマーカス・ノランド氏は「驚くべき展開だ」と指摘し、「20年にわたって北朝鮮を見てきたが、私が覚えている限り、上層部の処刑が公に発表されたことはなかった。噂はあったが、今回のような大々的な逮捕や処刑は前代未聞だ」と話しており、張氏の、言うなれば「クーデター」が北朝鮮政府にとって、極めて衝撃的かつ驚異的な事件であることが伺われます。


◇ 族誅(ぞくちゅう)

 さて今回、話題にしたいのは、たとえ政府にとって衝撃的で驚異的なクーデターの首謀者であろうとしても、幼い子供も含む張氏の親族の大半を処刑したと言う事です。こうした、権力闘争に敗れた一族全員を虐殺することを、族誅(ぞくちゅう)と言い、その起源は中国、殷の時代に始まり、秦の時代になって拡張され、清の時代までみられたとされます。また、属国の朝鮮、ベトナムでも行われ、日本では、江戸時代まで敵対者の一族郎党を全員処刑する例があったとのことです。処刑される範囲で三親等=「三族皆殺し」、九親等=「九族皆殺し」とも呼ばれます。中国では、古来から「罪は九族に及ぶ」とされており、族誅には親族にまで連帯責任を負わせることによる犯罪抑止、そして遺族の遺恨を根こそぎ断つ目的があったと言われます。

 「犯罪抑止」と言うと正当性を感じますが、実は、非合法的な処刑に対する一族の怨恨が将来において国家あるいは特定の権力者に災いを起こすことを防ぐ、「一族(郎党)皆殺し」であったことは間違いないと思います。


◇ 源 頼朝を処刑し得なかった平 清盛

 日本においても歴史上、族誅(ぞくちゅう)は一般的に行われて来たことでしたが、逆に、これをせずに将来、自分の首を絞める結果となった権力者もおりました。平 清盛(1118年 – 1181年3月20日)もその人物だと思います。

 詳しい歴史の内容は他に譲るとして、武家が公家に代わって政権を担う戦乱が平安時代末期ありました。皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し武力衝突に至った保元の乱(1156年)の後、二条天皇親政派と後白河院政派の争い、急速に勢力を伸ばした信西への反感が高まっておりました。平 清盛の5歳年下である源 義朝(1123年 – 1160年2月11日)は、後白河上皇の近臣である藤原 信頼が首謀者となった平治の乱(1159 - 60年)に加わり三条殿焼き討ちを決行、二条天皇側近らの画策で天皇は六波羅の平清盛邸へと移り、官軍となった平氏が賊軍となった信頼らのいる大内裏を攻撃、義朝軍は敗れ、一門は官職を剥奪され京を落ちました。
 義朝に従う13歳の三男、源 頼朝(1147年5月9日 – 1199年2月9日)らは、本拠の東国を目指すが頼朝が途中で一行とはぐれてしまい、平 頼盛の家人・平宗清に捕らえられました。父、義朝は尾張国にて長田 忠致に謀殺され、長兄、義平は都に潜伏していたところ捕らえられて処刑、次兄、朝長は逃亡中の負傷が元で命を落としたとされます。
 1160年2月9日、京、六波羅へ送られた頼朝の処罰は死刑が当然とされていましたが、清盛の継母、池禅尼の嘆願により死一等を減ぜられて伊豆に流刑となったとされます。共に武家の世を願った平 清盛が42歳当時、同世代ながら対立することとなった源 義朝にどのような感情を持ったのかは想像の域を出ませんが、政変に加わった13歳の三男を死刑としない決断を下したのでした。

平清盛と源頼朝
平 清盛(左)と源 頼朝(右)

 その後の、頼朝挙兵(1980年、33歳時)、壇ノ浦の戦いにおける平氏滅亡(1185年3 月24日)、征夷大将軍として鎌倉幕府成立(1192年)と、時代が大きく流れた、その原因として、平 清盛が平治の乱で敗れた源 義朝の一族に対する族誅(ぞくちゅう)をなし得なかったことが大きかったと思います。この出来事が後の世の教訓となったか?、「一族郎党打ち首」と言う形の族誅(ぞくちゅう)は、鎌倉〜室町〜戦国時代に引き継がれたものと思われます。


◇ 現代において族誅(ぞくちゅう)?

 言うまでもないことですが、過去の歴史において行われたことであっても、21世紀の現代で、法治国家において、ある犯罪者を処刑するのみならず、幼い子供を含むその親族をも処刑する行為が許されるはずはありません。今回の北朝鮮での出来事は「特別軍事裁判」において罪が確定し刑が執行されたと報道されており、そこまでは、どんな国であろうと、法に基づいた判断とされますが、その親族については、裁判がなされたとは考えずらく、また族誅(ぞくちゅう)あるいは、三親等=「三族皆殺し」、九親等=「九族皆殺し」と言う法律があるとも思えず、法には基づかない為政者の命令であり幼い子供は紛れも無く無実、つまり親族については殺人に他なりません。

 張 成沢元国防委員会副委員長の国家転覆罪とそれに対する処刑の是非とは別に、親族への処刑は、これが事実ならば糾弾されるべき北朝鮮指導者の犯罪と考える次第です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140126-00000002-yonh-kr
http://ja.wikipedia.org/wiki/族誅
http://ja.wikipedia.org/wiki/平清盛

目を醒してほしい!、韓国の反日感情と歴史認識

 6月にも当ブログで取り上げました、韓国の反日に関する記事です。あまりスピリチュアルとは関係ない社会問題、歴史認識の問題でありますが、韓国だけでは人口5000万人、中国は13億人超え、これだけの人民のスピリッツに影響を及ぼし続ける反日教育とそれに伴う国民の歴史認識は、国家、民族の未来にも影響を及ぼす大きな問題だと考える次第です。

韓国ブログ表紙

 一昨日、これに関連した記事が掲載されておりましたのでご紹介いたします。ある韓国人95歳のご老人が「日本の植民地統治は、良いことだったとワシは思うよ」と発言したところ、別の韓国人青年の逆鱗に触れ殴り殺されてとのことです。それに対する韓国内ネットユーザーからは青年の行為を「愛国心ゆえ」として擁護する声があがっているとのことです。

 *****

韓国記事

 韓国で、95歳の韓国人男性が日本統治時代を「肯定」する発言をしたところ、居合わせた男の怒りを買い、殴られて死亡するという事件が起こった。「愛国心ゆえ」の犯行だと男は供述、韓国ネットユーザーなどからも擁護の声が上がる。あまりにも惨い事件に、日本では驚きが広がっている。

 老人の杖を奪い、頭を何度も…

 韓国紙「世界日報」によれば、事件が起こったのは2013年5月のことだ。ソウルにある宗廟市民公園が、その現場となった。同公園は観光スポットとして知られるとともに、近所に住む高齢者たちの憩いの場でもあり、多くの人々が青空の下、囲碁や世間話を楽しんでいる。被害者の朴さん(95)も、そうした輪に加わる一人だった。そこにやってきたのが、黄被告(38)だ。彼は大量に飲酒しており、すっかり酩酊していた。この酔っ払いと朴さんが話すうち、その何気ない一言が黄被告の「逆鱗」に触れた。

 「日本の植民地統治は、良いことだったとワシは思うよ」

 朴さんがどのような点を「良い」と評価したのかはわからないが、なにしろ朴さんは95歳、終戦の時点でもすでに27歳だ。日本統治の実態、そしてその後の韓国現代史を目の当たりにしてきたわけで、その発言には重みがあっただろう。一方の黄被告は37歳、朴正煕時代すらほとんど記憶していない世代だ。

 「なんだと!」

 しかし、「愛国者」である黄被告は朴さんの発言に激怒した。朴さんを蹴飛ばすと、その杖を奪い、怒りに任せて頭などを殴りまくった。朴さんは頭蓋骨や脳などに重傷を負い、治療を受けたものの死亡した。傷害致死罪で逮捕された黄被告は「泥酔しており心神耗弱状態だった」と主張したものの、9月10日に懲役5年の判決を受けた。
 驚くことに、韓国内ではこの黄被告への擁護論が少なくない。上述の世界日報からして「酒の勢いで愛国心の度が過ぎた」とやや同情的だが、さらにネット上では、黄被告を「愛国青年」などと称し、、、

 「そもそも日帝を称賛した時点でジジイは犯罪者」
 「殺されて当然」
 「懲役刑? むしろ勲章モノじゃねえか」
 「正義の審判だ!」
 「裁判官は売国奴!」


 などと殺人を正当化するコメントが記事に多数付けられている。無論、「これが法治国家のやることか! 韓国はいつから歴史観が違えば人を殺していい国になったんだ?」と嘆く声もあるが、過激な意見の勢力が強い韓国ネット上では押され気味だ。
 日本統治時代への評価をめぐっては、韓国では近年一部の研究者から近代化の進展などを重視し、部分的に評価する動きがある。しかしこうした意見が反映された教科書が8月30日に検定を通過したところ、国内世論が沸騰、政界も巻き込む大論争に発展するなど、今なお「タブー」視は根強い。

 *****


◇ 朝鮮民族特有の「火病」との関連は?

 朝鮮半島の儒教の教えは根強く、男尊女卑、親や年長者への畏敬の念が強い印象を持っておりましたので、95歳にもなるご老人への暴行致死には少し意外な反面、朝鮮民族特有の「火病」と呼ばれる精神疾患を思い出します。
 「火病」(かびょう、ひびょう、ファッピョン)あるいは鬱火病(うっかびょう、うつひびょう、ウラッピョン)は、怒りの抑制を繰り返すことでストレス性障害を起こす精神疾患とされ、爆発的な怒り、興奮状態、パニックを観ることが多いが、怒りばかりが主症状ではなく、鬱状態、拒食症、意識喪失、不眠、悪寒、発熱など多彩な症状を含有するとされています。朝鮮民族特有の病態で、環境要因による風土病と考えられたり、遺伝性の自律神経系異常、近年では発症者の脳の欠陥が指摘されてもいます。韓国の会社員の35.2%が、好ましくない上司と後輩を見た時に火病を発症する、2012年現在、韓国の小・中・高校生648万人のうち105万人(16.2%)は、うつ病の兆候や暴力的な傾向を示す「要関心群」で、そのうち22万人は、すぐに専門家の診断や治療を受けるべき「要注意群」でああるとされます。

 「火病」は朝鮮民族特有の精神疾患

 今回の事件の犯人は逮捕後、「泥酔しており心神耗弱状態だった」と主張しましたが、それはある程度、理解できることであり、あるいは「火病」とは関係ないかも知れませんが、非常に頻度の高い病態にて心の片隅に入れておく必要はあるかと存じます。私事ですが、米国留学時にも韓国への出張においてもこの「火病」を思わす発狂したコリアンはしばしば見かけました。あれはけっこう激烈です。
 極東アジアにおける歴史認識に関する話しの冒頭で「火病」に触れましたのは、この朝鮮民族固有の精神状態が反日感情に及ぼす影響が高いように考えるからです。必ずしも発症していない状況においてでも、慢性的な抑鬱状態に陥りやすい社会基盤や個人の資質があって、容易に爆発する精神状態、その不満や怒りの矛先を過去の日本に向ける国民感情であり歴史教育、はっきり申せば煽動があるように思います。


◇ 民度としての中韓の若干の違い

 よく反日感情/教育を中国とともに語られることが多く、確かに国家事業として国民感情を反日に向わせていることや、格差社会の問題が関連すること、デモに観られる無差別破壊工作の様子、あるいは戦後の復興において日本が優位でありましたところ現代において中韓の台頭が著しいことなど、中韓に共通点は多いと思います。
 しかしながら、中韓の民度、国民性には若干の違いがあって、韓流ブームに観ます通り、韓国人の方がお洒落で、愛情表現などが日本に近い印象があります。中国は恐妻家が多く、男尊女卑が残る朝鮮儒教とは少し異なる家庭の事情があるようです。上で紹介した「火病」は中国人にはありません。何と言っても、朝鮮半島と中国では、中国にある「中華思想」が大きいと思います。「中国こそが世界の中心(華)」との考え方です。これについてはまた後日考えたいと思います。
 マナーに目を転じますと、元々マナーが悪い二つの国ですが、近年においては中国の方が圧倒的に問題となっております。つい先ほどは「上海地下鉄おしっこ事件」などと称して電車内でおしっこをした子供の親とそのおしっこをかけられた女性の論争がサンデースクラブルに取り上げられていました。この夏、旅行先のロサンゼルスのアウトレットにて、中国人の振る舞いは目に余るものでした。バックなどの商品を多数、床に置いて選別するご婦人がおりました。よく、中国人のマナーの悪さを国民が多くて、農村部から出て来た者の行為を指摘する声が聞かれますが、団体旅行に来る豊かな層でもマナーは良くありません。


◇ 1910年 日韓併合の是非

 さて、日韓併合の是非、これについての私の意見は前回のブログと同じです。不凍港を求めてロシアの南下が進んでおり、これに対して本邦のみならず大韓帝国を守るためにとった政策として日韓併合は必要不可欠であり、もしこれがなされなかったならば、結局、朝鮮半島はロシアに占領されて、別の歴史を歩んだことは間違いありません。

 ロシアの征服から朝鮮半島を守るための日韓併合

 また、以前のブログでも触れましたが、併合後の朝鮮半島において、日本人と朝鮮人はほぼ対等な関係で相互に手を取り合って国づくりを行りましたし、警察官の半数は朝鮮人であったとされます。また、ハングル文字を推進したのは日本国であり、日本語を積極的に覚えて、自ら日本名を名乗ったのは朝鮮人であったとのことです。

 日本人と朝鮮人はほぼ対等な関係で国づくり
 警察官の半数は朝鮮人であった
 ハングル文字を推進したのは日本国
 日本語を積極的に覚えて自ら日本名としたのは朝鮮人


 韓国で言われているような、弾圧を加え、植民地支配をしている国であればあり得ないことです。日本は国家として、朝鮮半島を自国と同等に考え、朝鮮人との確かな共存をビジョンしていたと思います。もちろん、当時の貧困に喘ぎ、国家の存亡が危ぶまれた大韓帝国にとってこの上ないありがたいことであったはずなのです。
 戦後の復興、いわゆる「漢江の奇跡」を自分たち韓国人の力だけでなし得たと、間違った誇りすなわち虚栄心を持つのは解らないでもないですが、日本からの賠償金を不正に扱った行為を隠すため、また国民の不満を他所に向けるために、歪んだ歴史を国民に植えて、国民のスピリッツをも歪ませる、そんな韓国の歴代政府はあまりにも大きな罪を犯していると確信します。
 今回報道の95歳ご老人は正しい歴史を後世に残す、もう数少ない年代の極めて貴重な発言をしたところ、惨殺されたうえ「犯罪者」、「殺されて当然」とのネットの声、、、。韓国と言う国はどこまでもダメな国、国家として考え直すチャンスはもうわずかですね。

 日韓併合時代の朝鮮半島について、私の主張以上に素晴らしいページを見つけましたので、以下のご紹介いたします。是非とも御供覧いただけば幸いです。

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日韓併合の真実
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi02.htm

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1880年代のソウル南大門大通り(中心街)。日韓併合(1910-1945年)前の朝鮮。飢えと貧困にあえぐ人々。日本はこの朝鮮を建て直した。

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日韓併合時代中、1936年のソウル、南大門通り。

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http://hemitotsy.blog.fc2.com/blog-entry-40.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130913-00000002-jct-soci
http://ja.wikipedia.org/wiki/火病
http://ja.wikipedia.org/wiki/漢江の奇跡
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi02.htm

韓国の反日に観るあまりにも流動的な歴史

 橋下大阪市長が維新の会の候補者宛に謝罪メールを送ったとのこと、、、。本ブログで政治の話しをするつもりはありませんが、橋下氏の言葉使いにはいろいろと問題を感じるものの、元々は従軍慰安婦に対する「歴史認識」の相違が日本と他国との間であることは間違いないと存じます。どちらが正しいのか?、本当のところはどうなのか?、この件に関する個人的意見は差し控えますが、実は従軍慰安婦は存在せずこれは作り話であるとする説から、「私は連行された慰安婦であった」と本人が名乗り出て来た実際まで、両極端の現象があることは事実です。
 以前、日本の神風特別攻撃隊をイスラムの自爆テロと同義に語る欧米人を紹介し、百田尚樹氏の「永遠の0」を引用して、心の内面までも歴史認識を間違ってはいけないと主張させていただきました。歴史は人間が積み上げるものであり、それは文化、教養の分野かも知れませんが、ある程度は科学的根拠に基づいた事実認識は必要だと思います。それが、「神風」の真の姿に対する認識であり、朝鮮半島のこと、尖閣諸島にも通ずるものと考えます。そういう見地から韓国の反日感情と歴史の実際に目を向けてみました。

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 私の手元にある一枚の写真があります。1997年のもので、米国留学中に日本に帰国する邦人の送別会を「ヤンピンカン」と言うコリアンレストランで行ったときの記念撮影です。その店の年配のご主人は生粋の韓国人でありますが、たいへんな親日家であり、我々はその焼き肉レストランをよく利用しました。私が訪れるたびごとに、ご主人は日本語で親しげに話しかけて来て、その中で、ご主人の父親の時代に本国が日本に併合され、それによって街が作られ、電気や上下水道、鉄道などのインフラが整って、それが現代の韓国に繋がったと感謝の気持ちを言っていました。古い時代をよく知る韓国人は二国間の真の姿を知っているわけです。

 古い時代を良く知る親日的な韓国人もいる

 以下によく見る二枚の写真を添付します。1910年の日韓併合前後の南大門広場の写真です。これに関する討論は多くのブログ(サイト)があり、ベストセラーとなった「マンガ嫌韓流」にも詳細が載っております。

【日韓併合前の南大門】
南大門併合前

【日韓併合後】
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 日韓併合は日本の侵略でも植民地支配でもない!

 南大門の写真を観てのごとく、日韓併合前の韓国は貧困と内乱に乱れており、街は浮浪者に溢れ、そこかしこに死体が転がっている有様だったとのことです。また国際情勢としては港を求めるロシアの南下政策の危険に曝されておりました。日清戦争に勝利した我が国が欧米諸国とロシアを含む列強の脅威から朝鮮半島を保護(支配)して、国際社会に対応しようとしたのはその時代としては当然の成り行き、打倒な判断だったと思います。しかも、現代の韓国で言われているような植民地(奴隷)支配や弾圧ではなく、限りなく対等な関係で相互に手を取り合って国づくりを行ったことが日韓併合後のソウルの街の写真からも伺えます。
 「マンガ嫌韓流」では警察官の半数は朝鮮人であったことも記されています。弾圧を加え、植民地支配をしている国であればあり得ないことです。また、ハングル文字を推進したのは日本国であり、日本語を積極的に覚えて、自ら日本名を名乗ったのは朝鮮人であったとのことです。
 日本による侵略戦争、植民地支配とは?、少なくとも韓国に対しては大いなる歴史認識の誤りであると言わざるを得ないところです。

 日本からの多額の賠償金での復興が「漢江の奇跡」の真実
 本当に賠償されるべき人々にはお金が回らなかった事実

 第二次大戦で破れたのは日本だけではなく、併合されていた韓国も同じ立場であったのですが、日本は現代の通貨の価値にして1兆円を越える賠償金を韓国に支払いました。そのお金は科学技術の進歩に多くの部分が利用され「漢江の奇跡」と呼ばれる復興を遂げたとされておりますし、また一部は当時の朴正煕大統領の懐に入ったとも言われています。戦争被害に遭った人々や「在日」として日本国内に残った韓国人、いわゆる「三国人」には賠償はほとんどされなかったとも言われています。その朴正煕大統領の娘である朴槿惠現大統領は就任早々「日本は正しい歴史認識を持つべき」と述べられて、過去の政権を養護しているのか?、現政権の維持のためなのか?、国民の怒りの矛先を他国に向ける方針なのか?、どこまでも反日感情を発信する現状にあります。

ぱく大統領x2

 国家の政策とは言え簡単に歪められる歴史
 スピリチュアリズムに関わる文明や歴史認識の流動的な可能性


 韓国や中国において、国民に反日感情を惹起させ、子供に対して反日教育を行うことは、それらの国家の政策であり、仕方の無いことだとは思いますが、重大なことは、たった100年にも満たない最近の歴史が簡単に歪められてしまうことです。
 アセンションをはじめ、スピリチュアルを語る際にはスピリチュアリズムの起源としての歴史認識や、マヤ暦など古代文明について正確な情報が求められることはあります。韓国や中国の反日に触れ、あまりにも歴史と言うものは非科学的で流動的なものであることを再認識せざるを得ないのが正直な気持ちです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国併合
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi02.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/マンガ_嫌韓流
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/11256231.html

橋下大阪市長の発言について

 橋下徹 大阪市長の発言が物議を呼んでおりますが、スピリチュアル的な発想 (?)で私見を申します。ツイッターや記者会見でたくさんの発言があり、反論やら釈明やらもありますので、ごくごく一部のみを紹介しますと、、、。

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◇橋下氏発言

「人間、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実、特に戦場を駆け抜けた男達であれば、そういう心身を休める手段は必要であった」として、当時の慰安婦の必要性を強調。

沖縄における性犯罪の実態に触れ、沖縄の在日米軍海兵隊幹部に、風俗業者を活用するよう求めて、「米軍が法律で認められた日本の風俗業を利用することに何ら問題はない」と力説。

慰安婦に関して「今の視点で良いか悪いかと言われれば、良いことだとは言えない。ただ、世界各国を見れば、軍人の性的欲求の解消策が存在したのは事実」と当時の出来事として容認、加えて、これを集団レイプの如く扱われ日本だけが責められるのは不当であることを主張。

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 従軍慰安婦について、橋下氏の発言は、現在において許されるものではなくとも、過去のその時点においては容認されるものとのご意見であり、男性の性への欲求を満たす手段として風俗営業の活用を推進する姿勢と受け止めております。さらには、従軍慰安婦について日本だけが軍による集団レイプであるかのような扱いをされていることに不満を示しているようです。
 これに対して、「女性の尊厳を著しく傷つけるもの」、「公人として見識と品位が疑われる」、「他国に同じような過去があったとしても、それで日本の慰安婦問題が許容されるわけではない」などと、各新聞で攻撃されている模様です。

 道徳的かつ恒久的な害悪の容認、正当化には反対

 個人的見解として、、、。歴史認識がどうであるか?、過去のその時点において正当な行いであるか?、政治家(公人)の発言としてどうか?、と言う以前の問題があると思います。あらゆる生きとし生けるものに魂があるとしても、畜生と比較して人間は高い精神世界を持った存在と言えるかと存じます。つまり、高い精神性に基づいて、弱肉強食の畜生とは異なり、人間には道徳があります。例えば黒人奴隷制度(アパルトヘイトを含む)やユダヤ人虐殺(ホロコースト)、無差別なテロ、その他の人権侵害、差別、暴力と言ったものは、人類が経験した非道徳的行為であり、これらは、道徳的かつ恒久的に害悪と見なしていいものだと思います。すると、あらゆる人間は精神世界に生きており、道徳の観念から考えて、これらのものについて、いかなる理由があろうとも容認、正当化は成り立たないものと考える次第です。

http://twilog.org/t_ishin

文明の盛衰と地球外生物との遭遇 ホーキング教授の見解

 衆議院予算委員会 石原慎太郎氏 環境問題に触れて

 本年2月12日 衆議院予算委員会における安倍内閣 政治姿勢 集中審議という場において、約20年ぶり、ある人物の代表質問を観ました。久しぶりに衆議院議員となられた石原慎太郎、前東京都知事です。相変わらずの江戸の頑固親父風で、憲法改正や軍備増強など、日本国の万民が受け入れられるとは言えない内容もありましたが、最後の環境問題に関するご答弁の中で、イギリスのホーキング教授の「文明の盛衰と地球外生物との遭遇の可能性」についての見解を紹介されていました。本当はホーキング氏の論文なりを引用すべきですが、つい先日の国会審議で放送されたホットなものですので、こちらの内容で紹介させていただきます。
 スピリチュアルに関連するかどうか?、地球外の知的生命体が地球においてアセンションを起こそうとしている、また地球は文明の長い周期から、滅亡への道をたどっているのか?、現代の日本の立法機関における最新の討論内容がアセンションに関連しているように思えたところです。以下、なるべく石原氏のご答弁を正確に再現いたしました。

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石原答弁

 浦島太郎のように18年ぶりに国会に戻って参りました「暴走老人」の石原であります。私この名称、非常に気に入ってましてね、自らも愛称しているんですけど、せっかくの名付け親の田中眞紀子さんが落選されてまして、彼女の言葉によると「老婆の休日」だそうです(笑)。

※ 憲法改正(廃棄)について、天皇陛下の立場、靖国神社参拝、尖閣諸島問題、横田基地返還、科学技術、経済、会計監査 などについて述べられた後、、、

 (中 略)

 最後に、担当の大臣はいらないって言ったんですけど、ひとつ安倍総理に政治家の哲学としてご記憶いただきたい。私が代議士の頃、40年近く前に、東京の読売ホールでブラックホールを見つけた(スティーブン・)ホーキング教授(1942.1.8〜 英)と言う天才的な宇宙学者(宇宙物理学者)の講演を聞きました。彼は、筋ジストロフィーで声が出なくて(実際は筋萎縮性側索硬化症)、手でもって(実際は「目線」だと思います)人造語で話していました。

 40年前のホーキング教授の講演から

 まあまあな話でしたが、その時に質問を許されてある宇宙物理学の学者が、この宇宙に地球並みの文明を持った星がいくつくらいあると思いますか?、と訊いたら、ホーキングは2ミリオン(2百万)と言った。私は、びっくりしました、太陽系宇宙だけではないですよ!、全宇宙での話です。

 全宇宙に地球並みの文明を持つ星は2百万

 そうしたらある人が別の質問をしました。それだけ沢山の文明を持つ星があるのに、なんで我々は、ハリウッドのくだらない映画じゃあなしに、実際に宇宙船とか宇宙人にこの地球で出会うことはないのでしょうか?、と尋ねたら、ホーキングは「いや!、それは違う」、せめて地球並みの文明を持ったら、そういうプラネット、惑星は非常に自然の循環が悪くなって、宇宙時間によると瞬間的に生命が消滅する、と言ったんですよ。私はびっくりしまして、まあホーキングは神様じゃあありませんけど一応天才ですから、私が挙手しまして「貴方の言う宇宙時間の瞬間とは地球時間のどれくらいですか?」と聞きましたら「100年」と言いましたね。あれから40年経っちゃいました。彼の予言が正しいとしたらあと60年しかこの地球は保たない、貴方方は保たないってことですな。

 地球並みの文明を持つ星は瞬間的に生命が消滅
 その宇宙時間による瞬間的とは地球時間の100年

 私はこの問題は、、、。人間とはみな欲望で欲望の象徴は経済、経済と言えば金ですからね、金、金、金でうつつを抜かしていて、ヨーロッパの経済が不振だの、アメリカが不振だ、日本がどうのと言ってますが、過去のG8で環境問題があんまり深刻に討論されていないですね。少なくとも過去の3年間、G8が終わった後、政府のスポークスマンに記者たちが「環境問題について討論しましたか?、進歩はありましたか?」と聞くと「いや〜、あまりしませんでしたが、半歩は前進した」ってのが3年間続きました。3年で半歩前進じゃあいかにも遅すぎるんですよ。

 環境問題に真剣に取り組まない今の世界の政治家

 NASAに(ジェームズ・)ハンセンって非常に優秀な主任教授がいますが、北極海の氷はあと20年経ったら溶けると言って、あれからもう7年経ちましたな。あと13、4年経つとどんどん氷が溶けて、北極海ってのは航路になるかも知らないんだが、しかしその結果ね、ヒマラヤの氷も溶け、フランスのローヌ氷河のオーバールック展望台はもう氷河なんか見えないですよ。地元の専門家に聞いたらこれから100kmくらい上がらないと見えないそうで、全部溶けて洪水になって流れちゃったそうですよ。それらの水はどんどんオーシャン、太平洋、大西洋に流れ込んで、地球の自転で遠心力で一番どこに行くかったら、赤道の直下の島々はどんどん埋没していっている。

 地球温暖化が海面の上昇を促している

 ツバルという国、標高が一番高いところでわずか5mしかない、アメリカが作った飛行場のところ、それがもう(国土の)半分が水没して主要作物であるタロイモが作れない、住民はなにしているか?って言えば、オーストラリア人から半分腐ったような貧しい肉を与えられて食ってますが、どんどん健康を害して、その日その日をなんとか朗らかに生活するつもりですかね?、みんなマリファナ吸ってましたね。あれはある意味、明るい地獄だと私は思った。

tubaru のコピー

 ツバルと言う島国の水没(=滅亡)に触れ

 こういう事態がどんどん進んで、今、あちこちに異常気象がある。ニューヨークでハリケーンが来たり、豪雪が来たり、日本でもそうですが、当然のことですけど、これは異常気象ではなく通常気象なんですね。これを阻止するために日本はいろんなことをするべきだと思うし、安倍首相、せめて日本の最高指導者として、G8に行って世界全体に正当な危機感を抱かせるためのスピーチをしてもらいたい。

 G8での首相の環境問題に関する答弁に期待

 (中 略)

 是非、G8で私達の子孫の生命を担保するために(環境問題に対して)もうちょっと違う意識を持って、全体で動くよう警告を発して欲しい、と言うことです。

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 このホーキング教授の考え方は昔から言われており私も存じ上げておりました。私が聞いたのもそれこそ40年前の氏の発想に基づくものかも知れませんが、地球並みかそれ以上の文明を持つ惑星は、長い時間の中で、全宇宙に無数に存在する(した)けれども、現在の地球と時間が重なる可能性が極めて低いため、いわゆる「未知との遭遇」はなかなか起こらないでいるということです。
 ただ、今、アセンションを解説するスピリチュアルのヒトの中には、惑星が滅んだ後に魂(霊体)として精神世界に生きている生命体が地球に接触を企てているとの主張があります。こうなると、時空を超えた地球外生物との接触もあり得るとなりますでしょうか?。

 精神世界に生きる地球外生命体ではどうか?

 文明の進化の末の人類滅亡については、公害や食品汚染、原子力、二酸化炭素増加などの環境破壊は十分に考えられることと思います。地球温暖化の影響が日本の亜熱帯化くらいであれば乗り越えられるかと存じますが、氷の融解に伴う海面の上昇は、地震や津波など、ちょっとした出来事で、多くの海岸線の都市が失われます。事実、最後の氷河期の終わりに全世界に起こした洪水が多くの古代文明を滅ぼしたとの説はかなり有力な証拠を残しております。

 氷河期の終わりの現象が再度起こり得るか?

 地球外生物との接触も人類滅亡も、全く否定できないものと思います。非科学的な事象であっても、否定の証明ができないものについての私の評価はもう少し先になるかと存じます。それまでは一つの学説として平等に考えたいと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/スティーヴン・ホーキング
http://www.waratte.jp/edn/edn080125.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/ツバル